「……フランソワーズ?」


小さく声をかけられて、私は我に返った。

どのくらいそこにいたのだろうか。
ギルモア邸に続く坂道の途中で、私は立ち止まってぼんやりと海を眺めていた。
すっかり陽も沈んでしまい辺りは薄い闇に覆われている。

振り返った先には、心配そうな黒い瞳。


「遅いからどうしたのかと思ったよ」
「……ごめんなさい」
「いや、……さっき博士が帰って来たけど、一緒じゃなかったから」
「……いやね。ちゃんと一人でも帰れるのに、心配症なんだから」
「うん。そうだね」

茶化すように言ったのに、ジョーは真面目な顔をしたまま黙り込んだ。

「あの、……ジョー?」

「帰ろう」

ジョーが手を差し伸べる。


いつも自然にこの手を取ってしまっていた。何も考えずに。
いま彼の手を取れば、私はまたサイボーグとしての日々を過ごすことになるのだろう。

でも。

もし、拒絶したらどうなるのだろう。

 

「……フランソワーズ?」

ジョーが少し首を傾げる。

「――帰ろう。一緒に」


いつもは強引に手を繋ぐのに、今日のジョーはただ待っている。手を差し伸べたまま。
私はそのてのひらをじっと見ていた。


「博士も待っているよ。セブンも」


みんなが待っている。私のことを。


「一緒に帰ろう」


一緒に――帰る。みんなのところへ。


――私は。


簡単なことなのに、一歩が踏み出せない。
ジョーの手を取ることができない。

自分がどうしたいのかわからない。


一緒に帰りたいの?


帰りたくないの?


ジョーは仕方ないなあと小さく言って、そうしてポケットからハンカチを取り出した。
それを放って寄越す。

「――顔、拭いておけ」


えっ?


「博士が心配するから。今日はすまなかった、って言ってたし」


――ああ。お見合いのこと。ジョーに言ったのね。


「――まあ、僕は心配しなかったけど」


どこか威張って言うジョーに思わず頬が緩んだ。

「……ジョーってちゃんとハンカチを持って歩くひとだったかしら」
「おいおい、僕は正義の戦士009だぜ。よいこの手本なんだ。ハンカチちり紙は常に持っているさ」
「うふ。ほんとかしら」
「お。笑ったな。ほんとだって」

ほんとかしら。

ジョーの笑う声を聞いて、私も一緒に笑っていた。
そして、改めてジョーの腕につかまった。


「帰りましょう」


ふつうの女の子の生活に戻るのは、たぶんいつでもできる。

でも、今は。

今は、私のことを心配してくれるひとがいる場所へ帰る。

帰りたい。


「正義の戦士なのね、ジョーは」
「そうだよ?いつも言ってるだろう」
「うふふ、そうよね。いつでも」

いつでもみんなを守る009。
だから今日はいつもよりちょっとだけ、甘えてしまおう。

「フランソワーズ。笑いすぎだぞ」
「だって」

たぶんジョーは、私がぼうっと立ち止まっていたのを知っているだろう。
そして、きっとしばらくそのまま待っていてくれたに違いない。
ひとの気持ちを守ってくれるひとだから。

「……笑いすぎて涙が出てきちゃった」
「ほら、言っただろう?」

今日の思いは全部このまま流してしまおう。

そして、忘れてしまおう。

 

そう――博士に、これは笑いすぎて流した涙なんだとそう言えるように。