「月夜」

 

「お月見をしよう」と言い出したのはナインだった。彼はああ見えて日本の行事には詳しくうるさい。
今日も、ススキだのお団子だの、大喜びで準備していた。
もちろん、私もそれなりに手伝ってはいたけれど、心ここにあらずというのが本当のトコロで・・・
何故なら、今日はナインがここギルモア邸に泊まるのだ。
ナインが泊まること自体は、特に珍しいことではない。
事件があってもなくても彼が泊まってゆくことは多いし、彼の歯ブラシやパジャマだって常備してある。
だから、ナインが夜になっても帰らずにここに居るというのはどうという事ではないはずだった。
――二人きりでなければ。

泊りがけで学会へ出掛ける博士とイワン。
広いギルモア邸に私ひとりで居るのは危険だとナインが言い出し、彼が泊まることに決まったのだった。
博士もイワンも、ナインが居るなら心強いと言って安心して出かけて行った。
だから、――今夜は、この広いギルモア邸に居るのは私とナインの二人だけ。

二人しか、いない。

夕ごはんを作っても、一緒に食べるのはナインだけ。
二人っきりで、向かい合って。

朝から落ち着かない私をよそに、ナインは平然とススキを切り、お団子を買いに走り、ひとりでテキパキとお月見の用意をしていた。
明日まで二人っきりということなんか何とも思ってないみたいに。
実際、緊張しているのは私だけで、ナインはいつもと変わらなかった。

夕ごはんを食べてから――何を作ってどんな味だったのか覚えてない。ナインはおかわりしていたみたいだったけれど――バルコニーに出た。

綺麗な月だった。

ナインが「月が出てるよ」と呼びに来て、そのまま流れで一緒に月を見つめる事になった。
そうしてしばらくして気がついたのだ。
ナインとの距離が、あまりにも近いことに。

少し身体を動かせば、肘がぶつかってしまう。そのくらい近くにナインがいて――私はお月見どころではなくなってしまった。

 

「日本では、月にウサギがいる、って言うんだよ」
「ウサギ?」

唐突に話し始めたナイン。
私はドギマギしながらも、何とか会話に意識を向けることに成功した。

「ウン。ホラ、月の表面の模様がウサギみたいに見えるだろう?」
「えっ・・・どれ?」
「ホラ、あそこが耳で――」

指差されるけれど、全然わからなかた。
大体、どうしてウサギがいるというのかもわからない。月にウサギなんているわけないのに。

「んー・・・わからないかな・・・いい?月でウサギが餅ついてるんだよ」
「お餅つきしてるの?」
「ウン」
「どうしてウサギが月でお餅をつくの?」
「そんなの僕だって知らないよ。とにかく、昔からそういうことになってるんだ」
「ふうん」
「いいから、ホラ。――そろそろウサギに見えてこないかい?」
「――見えないわ」
「うーん・・・」

そうしてナインが私の視線を追うように、私の頬に頬を寄せた。
思わず身体を引いてしまう。

「ホラ、あそこ。――上のほうの、分かれているトコロが耳」

けれどもナインは全く動じず、講義でもするかのように真面目な声で月を指し解説する。
だから私も、気を引き締めてナインの指す方を見つめた。

「どれ?――わからないわ」
「あそこだよ。見えないかい?」

ウサギ、ウサギ、ウサギの耳・・・

私は夢中でナインの示す先を探した。ナインの視線を追うように、ナインの見ている方角と一致するように、ナインの体に身を寄せて。
月は意地悪するかのように、私にウサギの陰影をそう簡単には見せてくれないようだった。

「ホラ。――わかった?」
「ん・・・」

再度ナインに寄り添い、ナインと一緒に見つめるナインの指先。

「――あ!」

ウサギがいた。ウサギが――お餅をついてる!

「見えたわ、ナイン」

嬉しくて、思わずナインを見ようとしたら。思ってもいないくらい近くにナインの顔があって驚いた。

「あっ、ナイン・・・」
「んっ?どうかした?」

でもナインは平然と微笑むばかり。

「――ウサギに見えた?」
「え、ええ・・・」

瞬時に熱くなる頬を隠すこともできず、私は慌てて下を向いた。暗くてよかったと思いながら。

「ウサギがついた餅でも食べよう」

そう言って、ナインはさっさとリビングに通じるフランス窓の方へ歩いていく。

「あ、ナイン」
「何?」

お茶でも淹れるわ、と言い掛けた私は、室内へ一歩足を踏み入れた姿勢でこちらを向いたナインに言葉を失った。

「スリー?」

訝しげに眉間に皺を寄せているナイン。でも――

「んん。何でもない」
「変なスリーだな」

フンと鼻を鳴らし、そのまま部屋の中へ消えてゆく。
ひとりバルコニーに残された私は、心が少し軽くなったような、ほわんと酔っ払ったような、けれどもなんだかくすぐったいような、不思議な思いに支配されていた。知らず、頬が緩むのが恥ずかしくて、両手で押さえた。

だって・・・

私はこのままここに居ようか、リビングでお茶の用意をしようか迷い、結局、頬の熱さが取れるまで月を見ていることに決めた。

 

――ねぇ、月にいるウサギさん。

ナインの頬も赤くなっていたのって・・・見間違いじゃないわよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お茶を淹れて、リビングのソファに並んで座り、お月見団子を食べていると、突然背後から声がした。
誰もいないはずなのに。
ナインがお団子を持ったまま、さっと振り返る。顔は009のそれになっている。
瞬時に室内に緊張が走る。

「誰だ!」
「夕ごはんはまだぁ?腹ペコだよー」

そこに居たのは。

「セブン!?」

私とナインの声がかぶった。
そういえば、セブンは学会には同行していなかった。
と、いうことは。
セブンはずうっとここに居たということで。
私が残っても、広い邸内に一人きりということにはならなくて、ナインが泊まる必要もないわけで――
でも、泊まると言い出したのはナインのほうだった。ひとりじゃ危ないから、って。
と、いうことは。

「――あ。忘れてた」

「ひどいや、アニキっ。スリーもだよっ」
「ゴメンゴメン」

そう・・・私とナインは今日一日ずっと、セブンの存在を忘れていたのだった。