「捕まったのは、やっぱり僕?」

 

 

「次」っていうのは重要だ――と、ナインは思う。

「はじめて」というのは、勢いも手伝ってなんだかわからないうちに終わってしまうことが殆どで。
だから、少し落ち着いてからの「次」の方が、実は数倍重要ではないかと思うのだ。

かといって、「はじめて」が彼女にとってどういう意味があったのかはわからない。
自分にとっては「彼女とのはじめて」であったけれども、彼女にとっては正真正銘の「はじめて」だったのだ。が、少なくとも無理強いはしていないし、彼女が嫌がるようなことだってしていない自信はある。
だから、「次」に至るにあたり、問題はおそらく「きっかけ」であろう。
この前は「誕生日」という巷のカップルたちの多くがその恩恵にあずかったであろう「きっかけ」があった。
しかし、「次」にはそんなイベントは生憎待ち受けてはいなかった。
お互いの誕生日は終わってしまったし。
バレンタインデーも過ぎたばかり。
だから、次は――

――クリスマス?

それはないだろうとナインは足を止めた。
いくらなんでも、それはないだろう。
まだ彼女を知る前ならともかく、知ってしまった今となってはそれはあまりにも遠い未来に感じられた。
そんな遠い遠い未来までお預けをくらうのかと思うとナインは切なくてくらくらした。

とても――待てるわけがない。

 

 

***

 

 

「ジョー!どうしたの?」

 

待ち合わせ場所に向かう途中、背後から声をかけられ振り返ると、そこには待ち合わせの相手であるスリーが立っていた。
走ってきたのか、息があがり頬がピンクに染まっている。

「ああ、良かった!遅刻しちゃったから、待たせたと思って焦ったわ」

胸を押さえ、息を整え、そうしてにっこり笑いかけてくる。
微かに鼻の頭に滲む汗すら綺麗だと――可愛いと思ってしまうのは惚れた弱みなのだろうか?

「――え。あ・・・うん」
「でも、ジョーったらこんなところで立ち止まっちゃって、いったいどうしたの?私が時間通りに来ていたら、完璧に遅刻よ?」

両手を腰にあて、少し怒ったようなフリをする。が、ナインはそんなところは見ちゃいなかった。

「うん・・・そうだね」

ナインの目に映るスリーは、一週間前、自分の腕のなかにいた時の彼女と同じだった。
弾んだ息と上気した頬。少し汗ばんだ身体。きらきらした瞳。
ずっと繰り返し思い出していた彼女。
その記憶と合致する目の前の彼女。

「――フランソワーズ」

ナインの声が喉に絡む。
走ってきたのはスリーであり、自分ではないのに、突然喉がからからになった。

「なあに?映画、始まる時間って何時だったかしら」
「知らない。そんなことより、」
「そんなことって何よ。見たい映画があるって言ったのはジョーのほうよ?」
「そうだけど、いいよもう」
「でも」

目の前にいるのは、一週間前に自分の腕に抱いた愛しい彼女だった。手を伸ばせばすぐに届く距離にいる。きっかけなんて全く無視して、このまま自分の思いのままに攫ってしまうというのはどうだろう。

しかし。

かといって、映画をとりやめにして、そして――いきなり「次」というわけにもいかないだろう。
そんなのはきっと彼女の望むところではない。

ナインは、自分としてはじゅうぶん望むところであったが、しかしそれをすれば絶対に嫌われてしまうと踏みとどまった。
嫌われるだけならまだしも、十中八九、スリーは泣くだろう。そして、そんなジョーは嫌いと言われるのだ。
嫌いと言われるのは痛くも痒くもなかったが、泣かれるのは避けたかった。
未だに彼女に泣かれると、もう何をどうしたらいいのやらわからなくなってしまうのだ。
だから、泣きながら嫌いと言われるという事態になったら最悪である。おそらく再起できないだろう。

「もう。今日のジョーってなんかヘン」

スリーはバッグを持ち替えると、空いたほうの手をナインの腕に巻きつけた。

「――え。フランソワーズ、ちょっと・・・」

「次」なんて今そんなこと考えるべきではないのだ。と、この数秒間で自分を抑えこんだナインだったが、この突然の先制攻撃に頭は真っ白になった。

「・・・たまにはいいでしょう?」

恥ずかしそうに言うのがまた可愛くて、ナインはもうどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
好きにしてくれ――という思いと、好きにしてしまうぞ――という思いが交錯する。

「でも、近いよ」

そう――近い。お互いの距離が。

いつもは手を繋ぐだけなのに。

どうして今日に限って自分から腕を組んできたのか、ナインにはわからなかった。
だから、わざと怒ったような顔をしてみせる。

「――だって」

スリーはちょっと俯いて、そして小さな声で言った。

「・・・こうしてる方が落ち着くんだもの」

ナインは息をつくと天を仰いだ。
頬を染めて、本当に安心したように言われたらもう――何もできない。
ヨコシマな思いがタテジマになってしまう。漢字と意味が違うけれど、この際どうでもよかった。
そのくらい、ナインの心中は混乱していたのだ。

――完敗だった。

 

「――わかった。僕もそのほうが落ち着くよ」

 

 

***

 

 

自分のヨコシマな思いを嗅ぎ取って、わざとこういう先制攻撃をかましたのかどうか、スリーの真意は知れない。

が。

――焦ることはない。

そう・・・焦る必要はないのだ。
いま隣にいる彼女は、ナインから逃げようとしているわけではないのだから。
こういうことは、お互いにそういう気持ちになったらそうすればいいのだ。

それまで己の自制心がどのくらいもつものなのか、今のナインにはわからない。

ただ。

本当に「次はクリスマス」になってしまうかもしれないと半ば冗談で思っていたのが事実になってしまうかもしれない。
それだけは勘弁して欲しかった。

 

 

***

 

 

ナインの腕に自分の腕を巻きつけ、寄り添いながら歩いているスリー。
それは、男性に頼っている女性、という図である。
可憐な女性が逞しい男性に全てを委ね、安心しているかのような。

しかし、ナインは知っていた。

心理学的に言って、これは――実は、捕らえられているのは自分のほうなのだということを。
そういう目で見てみれば、周囲のカップルに「捕らえられた男性」のなんと多い事か。

 

――でも、いいさ。

僕を捕らえられるのはフランソワーズだけなんだし、彼女にだったら捕まってもいい。

どうせ・・・捕まったのは僕のほうなのだから。

 

最初に会った時から。