「額をこつん」

 

 

 

「凄いわ、きれいねぇ」


ガラスにこつんと額をあてて、スリーは眼下の光景に見惚れていた。

超高層ホテルの一室である。
大きなガラス窓の下には美しい夜景が広がっていた。


「きれいねぇ…」


うっとりと呟くスリーの隣に立ち、ナインは君の方が綺麗だよなんてとても口に出しては言えないようなセリフを心の中で呟いていた。
他の国の男性なら照れもせずふつうに口に出すことができるかもしれないが、ナインは日本男児であったからとてもじゃないが言えやしない。
あるいは現代の草食系男子なら、日本人であっても平然と口にできるのかもしれない。
だがしかし、生憎ナインは草食系男子には程遠い昭和の熱血男子であった。


「ね?ジョー」


突然、ちらちら横目で盗み見ていた対象がこちらを向いたのでナインは大層驚いた。


「えっ、何が?」
「もう。聞いてなかったの?」


愛でていた相手がぷくっと頬をふくらませた。
そんな顔もまた可愛くて、ナインはその頬をつつきたくなる衝動にかられた。が、何とか我慢した。
今はそんなことをしている場合ではないのだ。

しかしスリーはそうでもないようで、ナインが全く聞いてなかった話を繰り返して聞かせている。


「さっき言ったじゃない。こういう夜景が綺麗なホテルってドラマとか映画とかだと、ホラ……ね?」
「うん?」

肝心なところをぼかすからナインにはさっぱりわからない。

「もうっ。知らない、ジョーのばか」

ナインが首を捻っているとスリーは頬を染めてくるんと向こうを向いてしまった。

それは困る。

「フランソワーズ。ちゃんと見て」
「…さっきから見てたわ、ちゃんと」

見てなかったのはジョーのほうでしょうと抗議の声が上がる。
が、ナインはそれを無視すると上着を脱いだ。

普通のシチュエーションなら後に続く展開はナインにとって嬉しいもののはずであるが、生憎今日はそうではなかった。


――ったく。深夜にホテルでふたりっきりだというのに。


夜景も綺麗で。
お互いにドレスアップもしていて。
御丁寧に部屋にはシャンパンなんかも届いていたりする。

なのに。


白い防護服姿になると赤いマフラーをなびかせ、ナインは拳で窓ガラスを割った。
超高層の建物は窓の開閉ができないようになっている。特にホテルなら尚更だ。

風が室内に入り込んでくる。

同じく既に防護服姿になっているスリーを抱き寄せ、ナインはそのまま外に飛び出した。


「フランソワーズ、着地点を誘導してくれっ」


首筋に腕を回し耳元で誘導するスリーを抱えナインは降下を続けていた。
今は敵を出し抜くことしか考えていない。


――否。


頭の片隅では先刻のスリーのことを考えていた。

映画やドラマならこんな時――


「…フランソワーズ」
「大丈夫よジョー、このままで予定していた着地点につくわ。敵も気付いていない」
「今度はドラマや映画みたいなことをしよう」
「きっと私たちがふつうのカップルと思って警戒してないわね。――えっ?」


蒼い瞳が大きく見開かれた。
問うように見つめるけれど、ナインは既に頬をひきしめ臨戦態勢に入っている。


…空耳かしら。

ううん。でも。


こういう場面で冗談を言うひとではない。
だからきっと――空耳なんかではないのだろう。


このミッションが終わったら。


きっと映画やドラマのような出来事が待っている。