「ジョー。さっき寝てたでしょ?」

オペラの幕間。
ホワイエで休憩していた。
コーヒーでも貰ってこようか?と飲み物カウンターの方をちらちら見つめ落ち着かないナインに話しかけた。

「えっ・・・寝てないよ」

やっぱりコーヒーよりもワインの方がいいかなぁと呟くナイン。
私の話は上の空で。

「ウソ。絶対に寝てた」

ダメよ、車で来てるんだからとナインのジャケットの裾を引っ張りながら、更に言う。

「しつこいなァ。寝てないってば」

素直に認めたら言わないでいてあげようと思ってたのに。

私は無言で自分の右肩を指差した。

「なに?肩がどうかした?」
「ココ。ジョーのヨダレ」
「ええっ!?」

慌てて屈みこみ、まじまじと見つめる私の右の肩。

「――僕じゃないよ」
「ジョーよ」
「違うよ」
「違わない」
「僕のヨダレじゃない」
「もー!何言ってるのよ。ジョーに決まってるでしょ?」

大体、まだ湿ってるんだから。さっきウエットティッシュで拭いたけど。

前半の上演中、幕が上がってすぐ私の右肩に頭をあずけて寝てしまったナイン。
重かったし、寝息が近くて――気になって舞台に集中できなかったんだから。楽しみにしてたのに。

「ゴメンゴメン」

ちっとも悪いと思ってない顔で謝られても困るわ。

「――でもさ」

ジョーは私の右肩に手をかけてそのまま屈み――私の耳元で小さく囁いた。

私はナインの言葉にかあっと頬が熱くなるのを感じた。
もう・・・ジョーのばか。そんな風に言われたら、怒れないじゃない。
一瞬、ナインと目が合ったけれど、恥ずかしくて逸らしてしまった。

そのままナインは身体を起こし、眠気ざましにコーヒーを貰ってこようかなぁと言いながら飲み物カウンターの混雑具合をはかっているようだった。――私の肩に手をかけたまま。
私は全身の神経が肩に集中して・・・顔を上げることもできず、かといって身じろぎするのもはばかられて、ひとり固まっていた。

ちりん。

開演5分前を示すベルがホワイエに響き渡る。

「――行こう」

ジョーに手を引かれ立ち上がる。

「・・・今度は寝ないでね?」
「うーん。どうかなぁ・・・自信ないよ」
「せっかく取れたチケットなのよ?勿体ないじゃない。観られないひとだってたくさんいるのに」

段差があるから気をつけて、と言いながら足元を気にしてくれるナイン。
いつもより踵の高い靴を履いている私を気にしてくれている。・・・今日の彼は優しい。

「そんな事言ったって。大体、チケットの手配をしたのは僕だってこと忘れてないかい?」
「それは・・・感謝してるわ。だけど、だからって寝てもいいって事じゃないのよ?」
「じゃあ、マブタに目でも描いておくか」
「何よそれ。結局、寝るんじゃない――」
ため息まじりに呟く。
大体、目を描くにもマジックなんて持って来てないし。

そうして席に落ち着くと。

「――オヤスミ」

今度は堂々と宣言して私の右肩にもたれた。

私はその肩の重さと――ナインの顔があまりにも近い事に今更ながら気がついて――落ち着かなかった。
もう。
私が、舞台に集中できないって事に全然気付いていない。

 

結局私は、至近距離に感じるナインの規則正しい寝息に気をとられ、やっぱり舞台には集中できなかった。

 

***

 

「アー。よく寝た。――腹減ったな」

アンコールも全て終わり、続々と退場していく観客の波。
ジョーがなかなか起きてくれなくて、私はしばらく座ったままだった。
座席の前を通る人にすみませんすみませんと言い通しだった。
前方の席のひとたちが通り過ぎるたびに、肩にもたれて眠っているナインを見つめくすくす笑っているのを顔から火がでる思いでじっと耐えた。
それもこれも、ナインが起きてくれないから。
何度も何度も呼んだのに、全然起きない。
仕方がないので、残っているのが私たちだけになったのを見計らって――ナインのほっぺたをぎゅーっとつねった。
そうしてやっと、起きてくれたのだった。
けれど、ほっぺたを痛がって起きたのではなく――頬に何かあるなと手で払う程度だったようで、ナインにとっては全くダメージもないみたいだったけれど。
そうして、大きく伸びをして開口一番にそう言ったのだった。
まるで、ぐっすり眠って気分がいいみたいに。

「ディナーの予約をしてるんだ。早く行こう」

そして、言うと同時に私の手をつかんで立ち上がった。

そのジョーの横顔を見つめる。

「ん?なに?」
「んん。何でもない」

けれども注視してしまう。

「――なんだよ?」

少し顔を赤くして、怒ったように言うナイン。

「・・・うん。何でもないわ」

ヘンなスリーだな。と言いながら、私の手を引く。

――このくらいは罰ゲームのうちに入らないと思うの。
ヨダレ防止のため、ジョーと私の間に置いていたハンカチ。それがずれて皺になっていたらしく、ナインの左頬にはくっきりとハンカチの折り目の痕が残っていたのだった。
それを教えてあげなくても――黙っていても、罰ゲームのうちには入らないわよね?
何の罰ゲームかって?それは、オペラを観ないでずうっと寝ていたことと、私の肩を無断使用していたことに対して、よ。(ヨダレの件は許してあげるわ)

 

ディナーに向かう車の中で、私はナインの横顔――左の頬――を見つめ、微笑んだ。

今日のオペラ観劇も――これもデートの一種・・・よね?
私が見たがっていたオペラのチケットが取れて、・・・セブンも博士も都合が悪くて、ナインしか行けなかったから仕方なく付き合ってくれたのだとしても。
それでも、これってデートよね?
例え彼が、ずうっと寝てしまっていても。

デートよね?

だって、さっきナインは・・・・

 

ホワイエで言われたナインの言葉を思い出し、やっぱり顔が熱くなってしまった。
彼の真意はわからないけれど、でも。
今だけは、勘違いしていてもいいわよね?
だってこれは、デートなんだから。