ディナーのあと、ジョーは私をアパルトマンに送り届けた。
そして、「オヤスミ」と言って泊まっているホテルに帰って行った。あっさりと。
上でお茶でも、と言い掛けた私を目で制して。
オヤスミのキスもさせてくれなかった。
私はジョーの乗った車が小さくなるまで見送ってから部屋に上がった。

「ただいま」
「何だ、早かったな」

兄がびっくりしている。――当然よね。だってまだ夜の11時だもの。

「――ケンカでもしたのか?」
「してないわ。ふつうよ」
「ふつう、って・・・」
「――もう寝る」

ぽかんとしている兄をリビングに残し、私は部屋へ逃げ込んだ。

兄は、私とナインが「付き合っている」と思っている。
礼儀正しいナインに対する信頼度は絶大で――だから、私が日本にいても心配していない。ナインがついているんだから、って勝手に決めて安心している。
「付き合っている」――わけ、ない。
今日だって、ホントの「デート」じゃないもの。
魔法が解けたように、私の心は重く沈んだ。
そのまま、ぽすんとベッドに腰かけ、ころんと転がった。

――さっきまでは幸せだったのに。
なのにどうして急に悲しくなるんだろう。

ナインがあっさり帰って行ったから?

それとも、「もう少し一緒にいたい」ととうとう言えなかった自分のせい?

魔法が解けた今となっては、今日のナインのあの言葉ももしかしたらただの幻聴だったのかもしれないと、本当にそう言われたのかどうかさえあやふやになってしまった。
・・・幸せだったのに。

楽しかった分だけ、ひとりになると寂しかった。

もっと一緒にいたかったのに。

ナインは引き止める素振りさえ見せなかった。
さっさと車のドアを開けて私の手を取って降ろし、――そのまま「オヤスミ。今日は楽しかった」とだけ言ってアパルトマンの方へ私の背を軽く押した。
それだけだった。
振り返った時にはもう車に戻っていて、軽く手を振ると去っていった。
私を残して。

こんなの、全然「デート」じゃない。

本当に「付き合ってもらっただけ」。まるで義務のように。
義務・・・なのかな。
ナインにとって、私に付き合うというのは。
「おもり」みたいなものなのだろうか。
いつでも私を子供扱いするナイン。
彼のデートする相手はきっと・・・もっとずうっとオトナなのに違いない。
だって彼がデートのあとウチに寄るのは0時近くなった頃であって、今日みたいに11時前なんてことはない。
きっと、もっとゆっくり二人きりで会っているのに違いない。私とは違って。
私みたいなコドモと一緒じゃつまらないのかな。
――今日のドレスだって。
私はとても気に入っているけれど、ナインにとっては・・・もっとオトナっぽいのの方が良かったのかもしれない。
もっと、デコルテを見せるような・・・背中も開いているようなデザインの。
似合う似合わないはともかくとして。

むっくりと身体を起こし、皺にならないうちにワンピースを脱ぐ。
ナインとの楽しい時間が浸み込んでいるドレス。
いま一度、ぎゅっと抱き締めてみる。彼の残り香を探すように。ナインは香水なんてつけないから、そんなの探したってあるはずもなかったけれど。

携帯電話が小さな電子音を奏でた。
この音は――ナインからのメールの着信。

ついさっきまで一緒だったのに、何かあったのだろうか?

慌てて携帯を掴みフラップを開ける。

『今日は楽しかったよ。ありがとう』

・・・ナインたら。

さっきまで寂しかった胸に温かいものが広がっていった。

・・・ナインも寂しいって思ってくれていたのかな。
だって、時間的に――きっと、ホテルに戻ってすぐ。

『僕は明日帰るけれど、君は久しぶりのパリなんだからゆっくりしてくるといい』

――え!?

明日帰る?

聞いてないわ、そんな事。
だって、明日はルーブルに行こうね、って・・・。

思わずナインの番号を押していた。

・・・繋がらない。

コール10回で諦めて切る。

深くため息をついてベッドに座り込んだ。
わからなかった。ナインの気持ちが。
いったい、どうして急に帰るなんて。一週間はパリに居る予定のはずなのに。

――何があったんだろう?

もう一回コールしようとした途端、携帯が着信メロディーを奏でた。この曲はナイン。

「もしもし」
「あ、スリー?さっき電話くれた?」
「ええ」
「悪い悪い。ちょっと手が離せなくってさ」

さっきまで聞いていたナインの声なのに、何だかとっても懐かしく思えた。何故だかわからないけれど。

「で、何の用?」
「え。あ、うん・・・その、メールに」
「――あ」
「明日帰るから、って」
「・・・・うん。明日帰るけど」
「どうして?」
「――え」
「だって、一週間はいるつもりって言ってたじゃない。明日はルーブルに行こうね、って」
「え、あ、だから」
「そんなの、急に言われたって。そんなの、ひどいわ」
「え、と・・・スリー?」
「勝手にそんなの決めちゃうなんてひどいわ」

泣きそうだった。
なんでかわからないけれど、急に泣きたくなってしまった。――泣いてしまおうか。

「え、あ、だからそれは――」

慌てているナインの声が響く。

「スリー?ちゃんと聞いてる?――フランソワーズ?」

知らない。ジョーのばか。

「――あのさ。メール、ちゃんと読んだ?」

・・・メール?

「――いったん切るから。読んで」

そうして一方的に切られた。
メールの内容なんて。
そんなの、口頭で言ってくれればいいのに。どうしてわざわざ・・・

不思議に思いつつ、もう一度メール画面を開く。

『今日は楽しかったよ。ありがとう
僕は明日帰るけれど、君は久しぶりのパリなんだからゆっくりしてくるといい』

そこから下は空白だった。

――でも。

あれ?

スクロールできる・・・?

2,3行スクロールすると、文字が出てきた。

 

 

・・・これって。

 

――ナインたら。

私は涙を拭い、電話を持ち直した。
もちろん、ナインに電話をするために。

コール2回で繋がった。

「――ナイン?ごめんなさい、私・・・」

ナインの呆れた声が耳に響いた。

 

 

今日は楽しかったよ。
ありがとう。
僕は明日帰るけれど、君は久しぶりのパリなんだからゆっくりしてくるといい



スリーを置いていくのは残念だけど、博士から呼び出しがあったんだ。でも、もし一緒に帰りたかったらいつでも言ってくれ。


待ってるから

――あわてんぼの私も悪いけれど、ナインの謎の改行も悪かったと思うわ。どうして数行空けたのかしら。

とは言えず、私が言ったのはたったひとことだけだった。

 

「一緒に帰ってもいい?」