「リップグロス」
春先の海岸はまだまだ寒くて、そぞろ歩くなんて無理な相談だった。 だから私たちは、ぴったりくっついて歩いている。 「もうっ・・・」 私はナインの腕にぴったりくっついていたけれど、それでも風よけには足りなくて髪が風になぶられるにまかせていた。 ほんとに、もう! ま。ナインったら、気付いちゃった?新しいリップグロスに。 期待するだけ無駄なのよね。 そうして優しく髪を払い耳にかけてくれる。 そんなことないし、そもそもこれは天ぷらの油ではないし。 そう説明したかったけど出来なかった。 数分後。 「・・・あれ?天ぷらじゃないんだ?」 当たり前よ。そうじゃないもの。 「・・・なんてね」 にやりと笑うナイン。 唇をペロリと舐めて、
お互いの体温で暖をとるしかないわけだから。
「もうっ、だから無理よって言ったのに」
「こんなに寒いと思わなかったんだよ」
私とナインはコーヒーを飲んだあと海岸へ下りてきていた。
天気がいいし、海がきれいだったから。
だけど風の強さは計算外だった。
そして髪がひと房、リップグロスを塗ったばかりの唇に張り付いた。さっきからくっついては剥がし、くっついては剥がしの繰り返し。
春の新色のお気に入りなのに。
「大丈夫?フランソワーズ・・・あれ」
まじまじと私の唇を見る。
「・・・朝から天ぷらでも食べたのかい?」
・・・そうよね。
ナインがリップグロスの色なんかに気付くわけないし、そもそもリップグロスなんていう存在だってたぶん知らない。
「髪がくっついてる」
私はというと、滅多にしないナインの仕草にドギマギしてしまって、何にも言葉が出てこなかった。
「しかし、朝から天ぷらなんて豪華だなあ。それとも夕べの残りかい?僕は呼ばれてなかったよね。なんだか仲間外れみたいだな」
「そっ・・・」
だって、ナインが。
え?
「うん。甘いね。新しいやつ?」
だだだって、僕にも天ぷらのお裾分けちょうだいって言って、だからキスしたんじゃ・・・なかったの?
「おかわりってアリ?」
もう、知らない!
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