「海」
〜2009年夏休み特別企画より抜粋・旧ゼロ編〜
「うわあ、綺麗なところねぇ!」 まだそこに着く前から、眼前に広がる景色にスリーはおおはしゃぎだった。 「ほら、あまり乗り出すと落っこちるぞ」 ナインは微かに頬を赤らめると、わざと乱暴にハンドルを切った。 「あっ、やん、落ちるっ」 言いかけてちらりと見た隣のシートで、本当にスリーが落ちそうになっているのを見つけナインは顔色を変えた。 「ばっ、何やって」 シートベルトを外し思い切り腕を伸ばして掴まえるのと同時にブレーキを踏む。 「バカヤロウっ、どうしてシートベルトをしてないんだっ」 ナインは無言でスリーをぽいっと離すとむっつりと運転席に座り直した。 「・・・ジョー?」 スリーが同じく助手席に座り直しながら、ジョーの顔を窺う。 「怒ったの?」 それでもナインは答えない。硬い声でシートベルトをしろと命令するだけである。 しばし無言の時が流れた。 「・・・もうすぐ着くぞ」 ぼそりとナインが言うけれど、スリーはじっと前方を凝視したまま反応しない。 「・・・フランソワーズ?」 それでもスリーは答えない。
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「・・・着いたぞ」 エンジンを切ってキーを引き抜く。 「・・・フランソワーズ」 ナインはスリーの手から荷物を取り上げると肩に掛けた。顔を逸らす彼女の頬に手をかける。 「海に行きたいといったのは君だよ?そんな顔してたらつまらないじゃないか」 ちらり、とスリーが顔を上げてナインを見つめ――そして、バッグの肩ヒモを掴んでいる彼の腕に目を遣った。 「ジョー。ここ・・・」 ぶつけたのだろう。そんなことは一言もナインは言わなかったけれど。 「ね、ジョー」 ナインはにっこり笑むと「行くぞ」とスリーに背を向けた。 「――ほら。フランソワーズ」 ナインが足を止めて振り返る。 「ほら。お揃いの水着を着るんだろう?・・・いいのかなぁ、来ないとお揃いにならないんだけど?」 スリーがぱっと顔を上げる。 「僕だけだったらあれ着るの、かなり恥ずかしいんだけど?」 スリーは数歩で駆け寄ると、ナインの首筋に飛びついた。
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「おっそろい、おっそろい、うっれしっいなー」 口ずさみながら砂浜をスキップするスリー。ひとりで荷物を全部持ったナインの周りにじゃれつくようにして。 「・・・フランソワーズ。邪魔」 そう言う間にもナインの目の前でじいっと彼の顔を見つめるスリー。 「後ろ向きで歩くと転ぶぞ」 ナインはじっとりとスリーを見つめた。その額には汗が光っている。いくら009とはいえ、全部の荷物をひとりで運んでいるのだ。この炎天下で。いくら真っ白いサンドレス姿のスリーが目の前にいて、しかもそのドレスが時々陽に透けて彼女の身体のラインが浮かび上がったとしても、それをゆっくり楽しむ余裕はナインにはなかった。 「・・・後で調べるぞ。背中」 低い声で宣言してみるが、スリーは既に目の前から消えており、今は数メートル先をスキップしている。先刻と同じフレーズを口ずさみながら。 ――全く。そんなにお揃いが嬉しいのかよ?
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「私、海に行きたいな」 えっ。 「プールって前に言ってたよな?」 思わない。 しかし、僕の苦悩をよそにスリーはにこりと微笑んだ。 「知ってるわ。ジョーは、おそろいの水着が恥ずかしいのよね」 ・・・わかっているなら、どうにかして欲しい。 「でも、もしも誰もいない海だったら?」 何だ、その歌詞のような海は。そんなところがあるというのか。 「ね。この葉書を見て」 ひらりとどこから出したのか、スリーの人指し指と中指の間には一枚の葉書。 「・・・確かに誰もいない海だな」 上目遣いにこちらを見るスリー。 ・・・まったく。
そんな会話を交わしていた数日前を思い出す。 ――お揃いの水着なんて、着るつもりはなかったのに。 けれどもついさっき、自分で宣言してしまったのだ。おそろいを着るぞと。 ・・・でも、まあ、・・・いいか。あんなに喜んでいるんだし。 ナインにとってスリーの笑顔は何よりも大事なのだった。 ――しかし。それにしても―― 「おい、フランソワーズ。あの建物は何だ」 数メートル先のスリーがこちらを向く。汗だくのナインは声を張り上げた。 「あの建物だよっ。誰もいないはずじゃなかったのか」 ここに行こうと言ったのは君じゃないか。誰もいないから、って。誰かがいるとしたら詐欺だ。 「いいじゃない。きっと海の家か何かよ。冷たいものが飲めるかもしれないでしょ?ジョーは飲みたくないの」 手を伸ばすスリーを避けるようにナインは歩き出す。 「メンドクサイから持ってくよ」 スリーはポケットからハンカチを取り出すと、歩くナインに小走りに近寄りその額の汗を拭った。 「いいよ。いらない」 うるさそうに顔を振って、それでもしつこく汗を拭くスリーをやりすごそうとした。が、それは叶わなかったので、ナインは荷物を全部放り出した。 「えっ、ジョー?」 そうして怒ったようにスリーの両肩をがっしり掴むと有無を言わせず唇を重ねていた。
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