「ワイン」

 

 

「ワインバー?」

耳慣れない言葉に、確認するかのようにもう一度聞き返す。

「私と?」

電話の向こうの声が信じられなくて、念をおすように。

「そう。今夜あたりどうかな」
「どうかな、って・・・」

急に言われても困る。

「何か予定が入ってる?」

心配そうな声が響いて、私は弾かれたように答えていた。

「ううん、大丈夫よっ・・・」
「――良かった。じゃあ、迎えに行くから支度して待っていてくれ」
「わかったわ」

一体何時に迎えに来るのか聞きそびれたことに気がついたのは、電話を切ってしばらくしてからだった。

どういう話の流れでそうなったのか、はっきりしたきっかけはわからない。ただ、そもそもの初めは、ワインについて何か話していたような気がする。
そこから、今年のボジョレーヌーボーの解禁は今日だったねという話になって。――で、気が付いたら、一緒にワインを飲みに行くことになっていた。
ナインと一緒に。

 

***

 

迎えに来たナインは、黒いシャツに白いジャケットで、まるでホストみたいだった。実際のホストがどんな格好かなんて知らないけれど。
私はというと、何を着て行ったらいいのかわからなくて――何しろワインバーなんて初めて行くのだ――少しだけ、いつもより胸元の開いたワンピースを選んだ。せっかく行くのだから、少しはオトナの女性に見えるといいなと思って。そして耳にはナインから貰ったイアリングをつけた。

私の格好を見たナインは、一瞬顔をしかめて何か言いたそうだったけれど、結局何も言わずに車に乗り込んだ。今日はナインの車ではなく黒塗りのタクシーだった。

並んで後部座席に座る。
なんだか緊張してしまう。
ナインに対して緊張しているのではなくて、今日行く初めての場所と――そこへ一緒に行くのがナインだという事実に。
――何か話さなくちゃ。
緊張しているって知られたら、またナインに子供扱いされてしまう。
そんなの悔しい。
そうっと隣の彼の顔色を窺い――思い切って訊いてみた。

「あの・・・ジョー?」
「うん?」
「その、・・・私の格好、おかしくないかしら」
「えっ?」

ナインがびっくりしてこっちを見るから、しっかり目が合ってしまった。
思わずうつむく。

「ほら、私・・・ワインバーに行くのなんて初めてでしょう。どんな格好で行ったらいいのか、わからなくて」

そうっと目を上げると、ナインは一瞬微笑んで、でもすぐに前を向いてしまった。

――やっぱり変だったのかな。戻って着替えた方がいいのかもしれない。
そう思って口を開こうとした時、ナインの声が耳に響いた。

「別におかしくない。――似合ってるよ」

けれども、言葉とは裏腹にむすっとしたまま前方へ視線を固定し、こちらを見ない。

「でも、そのデザインはちょっと気になるな」

デザイン?

「――胸元が開きすぎてる」
「・・・そうかしら?」

胸元の布をつまんでみる。いつもより、ちょこっと開いているけれど、そんなに言うほどじゃないと思うんだけど。

「そういうのは、もう少しメリハリのある人が着た方が似合う」
「あ。酷いわ、ジョーったら」

どうせ胸が小さいですよ。と、唇を尖らせていると、ナインは大笑いしてからポツリと言った。

「だから今日は、僕のそばを離れちゃダメだ」

「どうして?」

首を傾げてナインを見つめていると、その横顔が微かに赤くなった。

「こ、――コドモが来ていると思われたら困るだろう?」
「コドモ・・・」

かあっと頬が熱くなる。

「もうっ。ジョーの意地悪!!」

胸が小さいってそんなにからかわなくてもいいじゃない。自分ではそんなにナイ方だとは思っていなかったのに。
――でも。
ナインの周りにいるひとたちと比べたら、きっとナイようなものなのだろう。

そう思うと何だか胸の奥がもやっとしたので、考えない事にした。
何しろ今日は、ナインとのデートなのだから。それも、誘ったのはナインの方からの。

「――ねぇ、ジョーはよく行くの?その・・・ワインバーに」
「たまにね。今日だって久しぶりさ」
「・・・そうなんだ」
「ボジョレーが解禁になったら、飲みに行こうと思っててね」

そして今日、こうして一緒にワインバーに向かっているわけ・・・だけど。

何だかナインの言葉を聞いていたら、あまり楽しいとはいえないことを思いついてしまった。
もしかしたら、今夜ナインとこうして一緒に行くはずだったのは、別の人ではなかったのだろうか?
急に都合が悪くなったか何かで行けなくなり、私はその代わりに誘われたのかもしれない。何しろ、あまりに急な電話だった。

私は、誰かの代わりなのだろうか?

――ううん。

いけないわ。

そんな卑屈なこと、考えちゃダメ。
ナインはそんなことをするような人ではない。
それに、私だって、誰かの代わりにされるような人間ではない――と、思いたい。

そんな私の変な妄想を全く知らず、ナインは呑気な声で続けた。

「フランソワーズは、確かワインバーって行った事がなかっただろう?だからいつか、絶対連れて行こうって思ってたんだ」

私はびっくりして、ナインの横顔をただ見つめていた。

「きみが初めて行く所には、僕も一緒に行かないと」
落ち着かないんだよ。

そう言って、それっきり黙った。

私が初めて行く所にはナインも一緒に行く。

そうじゃないと落ち着かない。――ナインが。

ねえ、それってどういう意味・・・と訊こうとしたところで、車は目的の店に到着した。

 

***

***

 

そのまま訊けずに胸にしまった疑問は、いまも私のなかに澱のように残っている。
いつか、これが全て綺麗になることはあるのだろうか。
そしてその時、私はいったいどういう思いを抱えているのだろうか。

・・・笑えていたら、いいのだけど。

 

それがどんな結果でも。