「ペイント」

 

 

「ジョー、動かないで」
「だってくすぐったいよ」
「駄目よ、描けないでしょ・・・」

2010年FIFAワールドカップ。
日本時間では真夜中の放送にもかかわらず、サッカー少年だったナインは元気いっぱいだった。
当然の如く、「サムライブルー」の日本チーム公式ウエアを着用し、テレビの前に陣取った。
本当はパブリックビューイングに行って他のサポーターと興奮を分かち合いたいところだったが、スリーと一緒に観戦するというのも捨て難く、こうして自宅観戦となった。スリーを興奮したサポーターのいる場所に連れて行くなどとんでもない。
そういったわけで、スリーもナインと一緒にサッカー中継を観ることとなった。
スリーはといえば、特にサッカーに興味はなかったが、予選リーグからナインにつき合わされ、しかも詳細な解説者と化した彼のもとで鍛えられ、今ではいっぱしのサッカー通となっていた。
ナインは「そうだろう、僕の解説がいいからな」と胸を張ったが、スリーとしては「惚れた弱み」だと思っていた。
おそらく他のひとのほうがルール説明は上手いだろう。が、ナインが説明してくれるというだけでスリーにとってはとても嬉しく、夢中な彼の横顔を見るのもまた好きだった。
だからスリーとしては、サッカー様様である――と、言えないこともなかった。
おかげで彼の別の一面も見られたのだから。

今日は決勝リーグの日本戦である。
ナインは当然の如く朝からあれこれ準備に忙しかった。何しろ今日は日本サッカー至上歴史に残る日になるかもしれないのだ。応援にも気合がはいる。だからナインは、今日は両頬に国旗をペイントすることを思いついたのであった。
そしていま、それを描くのはスリーだった。

「もう、ジョーったら」
「フランソワーズの描き方がくすぐったいんだよ」
「ま。だったら自分でどうぞ?」
「うそうそ、描いてくださいマドモアゼル」
「よろしい」

そんな風に大騒ぎしながら描いたのである。
一生懸命に描いているスリーも可愛いなあと思っていたナイン。だから彼は重要なことに気がつかなかった。彼女が持っていたのは、顔料をつけた筆ではなくマジックペンであるということに。

「はい。描けたわ!」

スリーが大きく息を吐き出した。
日の丸は簡単だと思っていたが、真ん中の赤い○を描くのは意外と難しかった。白と赤の割合とか、その位置とか考えなくてはいけないのだ。ただ○を描けばいいというものでもなかった。

「――うん。いいな」

渡された手鏡で自分の両頬をチェックしたナインは、その出来に満足そうに頷いた。

「さあ、次はきみの番だ」
「私も?」
「もちろんさ。なんたって今日はトクベツな日なんだからな!日本中がひとつになるんだ」

でもサッカーに興味ないひとも居ると思うわ――とスリーは思ったけれど、何も言わずナインに言われるまま彼に向き直った。
ナインが片手にペンを持ち――やはり筆ではなくマジックペンである――もう片方の手でスリーの顎に手をかけた。
スリーと目が合った。

「・・・なんだか描きにくいな。ちょっと目をつむっててくれないか」
「わかったわ」

真剣なナインにスリーは笑いを堪え、言われたとおりに素直に目をつむった。
ナインはさてとペンを動かそうとしたが、

「・・・・」

目の前のぷくぷくした頬を前に手が止まってしまった。
微かに上気した薄桃色の頬。
つやつやした肌。
いつもふざけてつついて遊んでいるスリーのほっぺ。

「・・・ジョー?」

なかなか頬に描く気配がないので、スリーはそうっと目を開けた。
真剣な瞳のナインと出会う。

「どうかしたの?」
「いや、・・・描くよ」
「ええ」

しかしナインの手は動かない。

「ジョー?」
「あ、うん」

そして。

スリーの頬に触れたのは、マジックペンではなくナインの唇だった。

「えっ?」

ちゅっ、ちゅっ、と両頬にあっという間に唇をつけると、ナインはぱっとスリーを離した。

「おしまい!」

ぷいっと顔を背けると、どっかりとソファに座ってしまう。

「もうっ、何よそれ!」
「いいんだよ、それで」
「だって、君も描くんだよって言ったのはジョーじゃない」
「だから、いいんだって」

顔を背けたままのナイン。その耳たぶが赤く染まっていた。
スリーは熱くなった両頬を両手で包むように押さえると、無言でナインの隣に座った。