最初は元気いっぱいだった白雪姫――フランソワーズ。
しかし、魔界で過ごす日が経つにつれて少しずつ元気がなくなっていくようでした。
食欲もないようであまり食べないし、何より、滅多に笑わなくなったことがジョーは気になっていました。

ジョーはフランソワーズが笑うのを見るのが大好きなのです。

好奇心旺盛なきらきらした瞳で何事にも元気よく取り組む前向きなお姫様。
一緒にいると自分も元気になったし、なにより彼女から溢れる幸せなオーラに包まれるのが心地良かったのです。
けれども最近はそのオーラも小さくなってしまっていました。


――何か心配事でもあるのだろうか。


しかし、ジョーにはまったく心当たりがありません。
フランソワーズが自分に相談してくれたらと思うのだけど、フランソワーズは何も言ってくれません。
だからじっと待つしかないのですが、ジョーは待つのが大嫌いでした。

 


今日もフランソワーズは月を見てため息をついています。
まさか実は白雪姫ではなくかぐや姫だったというのではないだろうなと変な不安も芽生えてしまいます。
ジョーはそんな妙な考えを頭から追い払うと大股で彼女のところへ行きました。


「フランソワーズ」

「あら、ジョー」


にっこり笑ってみせるものの、どこか寂しげな様子。
ジョーの胸は痛みました。
ホームシックではないと言っていたフランソワーズでしたが、やっぱり人間界が恋しいのかもしれません。


「あのさ。・・・人間界に行ってみるかい?」
「え、どうして?」
「いや、そのぅ」
「行きたくないわ」


フランソワーズはきっぱりと言い切りました。
だってジョーは、もしかしたら自分を口実にして人間界に行きたいだけなのかもしれないではないですか。
そしてまた別の女性を連れてくるつもりなのかもしれないのです。


「もとの世界に戻るつもりはないってずうっと前から言ってるでしょう。忘れちゃったの?」
「いや、忘れてないよ。そう・・・それならいいんだけど」


そしてまた二人は黙って紅い月を見つめました。
真っ赤に輝くふたつの月。

その月は重なることはありません。
いつ見ても仲良く並んでいるだけ。距離が縮まる事も離れることもありません。


――なんだか私たちみたい。


フランソワーズはそんなことも思いました。
ジョーだけを頼りに、ジョーが好きでここに来たのに、今は自分の気持ちもジョーの気持ちもわかりません。
もしかしたら、自分は人間界を脱出したかっただけで、連れ出してくれるなら相手は誰でもよかったのかもしれませんし、ジョーにしても自分を特別に思ってくれたわけではなく単に後宮に迎えるひとりとして連れてきただけかもしれません。


「――そういえば、知ってる?フランソワーズ」
「何を?」
「あの月。本当はひとつだったってこと」
「え?そうなの?」
「うん」

そんなこと、ジョーが教えてくれない限り知る由もありません。

「あの月がふたつになってから、この世界は闇だけの世界になってしまった」
「――どうして月はふたつになったの」
「魔力さ」
「魔力?」
「そう。・・・大魔王が大魔女に敗北したせいで、ね」
「大魔王・・・って」
「先代の王さ」
「それって、あなたのお父さま?」
「まさか。違うよ。俺達は世襲制じゃない。誰が次代の王になるのかは生まれたときに持っている魔力で決まるんだ」
「――そう」
「先代の大魔王は大魔女より魔力が劣っていた。だから、俺が王位につくまでは大魔女が支配する世界ってわけ」
「でも大魔女ってみたことないわ」
「ああ。洞窟に篭ってるからね。それに――俺は会いに行けないし」
「なぜ?」
「嫌われているから。代々、大魔女と大魔王は相性が悪いんだ。ただ、今までは世代が微妙に違っていたから害はなかった。先代だけだよ。同じ年に生まれるという不運に遭ったのは」
「・・・そうだったの。でも・・・じゃあ、今、次代の魔女もどこかにいるの?」
「幸運なことにまだ生まれていないんだ」
「そう。・・・ね、どうにかして月をひとつにできないの?その――あなたの魔力で。大魔王が駄目ならあなたがいるじゃない」
「まあ、できなくはないさ。実際、簡単だし」
「だったらやっちゃえばいいじゃない」


あっけらかんと言うフランソワーズに、ジョーは月からフランソワーズに目を移しました。
金色の髪が緋色に輝いています。


「――そうだね」

ジョーはバルコニーのてすりに寄りかかると、隣に立つフランソワーズをそうっと引き寄せ、その体を自分の腕のなかに取り込みました。

「いい考えだ」
「そうでしょう?」

フランソワーズは急に親密さを露わにされて戸惑いました。
首筋に触れるジョーの鼻先がくすぐったくて身をよじります。
そんな彼女の髪を優しく撫でて、ジョーは呟くように言いました。

「そうだな。――そろそろ、呪いを解いてもいいかもしれない。俺もそのくらいの修行は積んできたし」

うんうんとひとり頷くジョー。まるで自分に言い聞かせるように。

「うん――そうだな」
「ねえ、ジョー?」

フランソワーズは胸がどきどきしてまともにものが考えらませんでしたが、ジョーのひとりごとに何か引っかかるものがあって口を開きました。

「呪い、って?」
「うん?――ああ」

ジョーはフランソワーズを解くと、大きく伸びをしました。
そして再び月をじっと見つめます。

「あれは呪いの月なんだ。あれがある限り魔界には呪いがはびこっている」
「それってどういうこと?」
「簡単に言うと、色々なものが呪いにかかっているってことさ」
「色々なものって――ちょっと、ジョー?」

ジョーは着ていたマントを脱ぎ捨てると、身軽にバルコニーのてすりに立ち上がりました

「思い立ったが吉日。今から呪いを解くよ」
「えっ?そんな急に」
「決心がつかなかっただけなんだ。――感謝するよ。フランソワーズ。きみのおかげで決心がついた。ありがとう」


ちらりとフランソワーズを見返ったジョーの瞳はどこか悲しげでした。

「今からあの月を壊して呪いを解く。――フランソワーズ。これでお別れだ」
「えっ!?」
「もちろん、君は今まで通りこのまま魔界にいていいよ。ただ――俺のことは忘れてくれ」
「いやよ、どうして?」
「それは、呪いが解けたらわかる。きみは俺に二度と会いたくないと思うだろう」
「そんなわけ――」

ないでしょう、と反論しかけたけれども突然轟音とともに現れた竜巻にフランソワーズの声は千切れてしまいました。

「ジョー!」

「――魔界7つ道具のひとつ・・・」

ジョーが口のなかでフランソワーズには聞き取れない呪文らしきものをむにゃむにゃ呟きました。
そして竜巻が閃光とともに矢のようになって紅い月に向かって放たれ――次の瞬間、月は破壊されておりました。


その途端、周囲の闇が消えてなくなり世界は昼間の明るさを取り戻しました。