「不良と生徒会長」

 


―5―

 

――ヤだな。


ナインが道に迷わないように注意しながら、それでもスリーの歩みは心なしかゆっくりになってしまった。
たぶん、本当は生徒会室になんか行きたくないからなのだろう。
否、それを言えば本当はこの校舎にだって足を踏み入れたくはなかった。

しかし。

そんな気持ちを凌駕する何かがあって、今日この時スリーはここにいるのであった。


ここに来たくはなかった。が、かといってナインひとりをここに来させるという気にはとてもなれなかったし、そんなことをしたら落ち着かなくてどうしようもない。勿論、彼が独りでここにたどり着いたかどうかは別問題である。
そうではなくて、スリーはただ不安だったのだ。
なにしろ、ここには――この校舎のどこかには――「彼女」がいるはずなのである。
ナインと会うために居るはずなのだ。何しろ彼女は生徒会役員なのだから。


「…どうした?」

スリーの歩みが遅いことに気付いて、前を行くナインが足を止めた。

「腹でも痛いのか?」
「…そんな顔してる?」
「ああ」

スリーは唇を噛んだ。
いっそのこと、そうなの痛くてもう一歩も歩けないの帰りましょう――と言ってしまおうか。
自分で勝手についてきたのになんとも情けない話ではあるけれど。
でも――そう、「彼女」に会うよりはいいかもしれない。「彼女」とナインが会うのを見るよりは。

「大丈夫か?」

ふっと影が動いて――ナインが目の前に来ていた。心配そうに顔を覗き込んでいる。

「さっきの元気がないな。そんなに辛いのか?」

ええそうなの――と言ってしまえば楽になる。きっとナインは戻ろうと言ってくれるはず。

でも。

「ううん。大丈夫。なんでもないわ。…暑さのせいかしら」

真夏なのだ。

「熱中症か?」

ナインの手が額にあてられる。

「うん…そんなに熱いって感じじゃないが、保健室に行くか」
「ううん、大丈夫よ」
「しかし」
「――平気」

気がすすまないけれど――イヤだけど――もうここまで来たのだ。

「それより、ほら。約束の時間でしょう」
「あ、ああ――そうだな」

覚悟を決めるしかない。

 

昨年の文化祭でナインが見惚れていた女の子。
あの日以来、彼が彼女の話をしたことはなかったから、これまで彼らがどういう風に過ごしていたのかは知らない。
案外、スリーの知らないところで会っていたかもわからない。
ただ、今日は公然と「彼女」と会うのである。しかもスリーが同席しても別段変だと思われない状況で。
こんな機会にのんびりと自宅で過ごす女はいない。自分の思い人が他の女性と会うのを見過ごして平気な女などいるわけがない。だから、自分も同じ場所で同じ時間を過ごすと今日は覚悟して来たのだ。来たはずなのだ。
しかし、いざそれが数分後にせまってみると自分はいったい何をどうしたいのかどういうつもりでここまで来たのかわからなくなった。
ナインが自分以外の女性を見つめる姿を見るためにここまで来たなんて落ち着いて考えればどうかしている。
もちろん、自分とナインはただの生徒会役員同士である。スリーが勝手に片思いしているだけである。
しかしその片思いゆえに、スリーは覚悟を決めるしかなかったのだった。

だから。

そう、とりあえず――笑ってみることにした。


「私は大丈夫よ」
「そ、そう――か」

ちょっとぎこちなかっただろうか。その証拠にナインが少し動揺したようだった。

「もし辛くなったら遠慮しないで言うんだぞ」
「はい」


そしてナインは扉に手をかけた。


「失礼します」

 



―6―

 

一瞬のことだった。
戸口にもたれていた島村ジョーが体を起こし、中に入って来たナインの目の前に立ち塞がったのは。


「――なんだお前」


対するナインも全く動じない。鋭く見返している。

「今日は生徒会の用でやって来た。そのいわば客人に向かってこの態度はなんだ」
「うるせーな。本当にそれだけの理由かわかったもんじゃねーだろう」
「大体、貴様は生徒会に関係のない人間だろう。ここを去りたまえ」
「イヤだね。それに全く関係がないかというとそーじゃねーんだよなぁ。――なぁ?委員長」

それがきっかけだったかのように視線が委員長に向けられた。突然二人がにらみ合いを始めたので、傍観するしかなかった委員長ははっと我に返りつかつかと歩を進めた。

「なぁ委員長じゃないでしょう、島村ジョー。そこを退きなさい」
「――それって命令?」
「そうよ。命令です」
「…だったらしょーがねーな」

そうしてジョーが退くと、やっとナインと対面することができた。

「すみません。こちらの手落ちです」
「いえ。気になさらず。僕もまったく気にしておりませんから」

挑発するようにちらりとジョーを見る。が、そんなナインの学生服の裾をちょっと引いて注意を喚起したのはスリーだった。


「喧嘩は駄目よ」
「うるさいな。わかってるさ」
「あら、そちらは――確か書記の方よね?」
「あ、はい。今日は同席させていただいても…?」
「もちろんよ、どうぞ」

そうして着席し――島村ジョーは再び戸口にもたれていた――生徒会長が来るのを待つこととなった。

 

 

***

 

 

――全く気にくわねぇ。


島村ジョーはいらいらと爪を噛んだ。
視線の先には文化祭について話し合う2校の生徒会役員がいる。既に話し合いが始まって30分が過ぎた。
全くの部外者であるジョーは話の内容にも今回の集いの目的にも興味がなかった。
ではなぜ彼はいまここにいるのか。
それは全て委員長そのひとがいるからであった。

彼にとっての委員長――フランソワーズという名前がある――はいったいどんな存在なのだろうか。

品行方正な万能委員長。
美しく優しく非のうちどころがなく、自分とは住む世界が違う人間。
でもなぜか放っておけない存在。
そばにいるのが自分ではどうにもつりあわないとわかっているけれど、その隣を誰にも譲りたくは無いと強く思ってしまう相手。

そして。

その瞳に自分以外の男を映して欲しくはないと思うただひとりの女の子。


けれども彼がそう思っているということは決して伝えられない。

否。

ある程度までは伝えても構わないはずである。それによって彼女に近付く男が減るのだから。つまり、「委員長は島村ジョーのお気に入りである」という噂でもたてば彼女に近付くような男はいなくなるはずである。
だから敢えて――本心とは違うようなわからない風を装って、彼女のそばにいるのであった。
ジョーにとって、委員長が彼のことをどう思っているのかはどうでもいいことなのである。

そのジョーがいま、じっと見つめているのは――委員長ではなくナインそのひとであった。


――気にくわねぇ。


知らず、眉間に皺が寄る。


――アイツ。

なんだってフランソワーズのことをあんなに見るんだ(彼は心の中では委員長を名前で呼んでいた)。
去年の文化祭の時だってそうだ。フランソワーズにぼうっと見惚れやがって!
俺の…大事な…(俺のフランソワーズだなどと心の中でもとても言えない)…女の子にあんな目を向けるなんて許せねぇ。
しかもフランソワーズは奴の邪な視線に全く気付いていないとくる!万能委員長といってもこういうところは疎いから、俺としては心配で仕方がないというか目が離せないというか…

…いや、ともかくだ。

アイツがフランソワーズを思っているのはわかっているが、フランソワーズは俺がいいと思った奴じゃないと駄目だ。
俺がそう決めた。
ともかく、アイツ――ナインとかいう奴だけは絶対駄目だ。


ジョーはナインを睨み続けた。

 



―7―

 

あのひと、この――委員長のことが好きなのね。


話し合いが進む中、スリーは確信していた。
部屋に入った途端、ナインの前に立ち塞がった背の高い人物。
開襟シャツのボタンを全てはずし――しかもシャツの下には何も着ておらず素肌だった――細い金のネックレスをした男。髪は金髪で(おそらく染めているのだろう、眉毛は黒かったから)長く、服装からして不良と思える男。言葉使いも目つきも悪く、どうしてこんな人物が生徒会室にいるのだろうと不思議だった。
が、時間の経過とともに理解していた。


あのひとは委員長が心配で仕方ないんだわ。


それは――悲しいかな、ナインがここにいるからなのだろう。
なにしろナインは、誰であろうその委員長に好意を抱いているのだから。

 

昨年の文化祭の時であった。
巡回中の二組の生徒会メンバーが行き会い、和やかに話してすれ違う――はずであったところ、当時副会長であったナインが彼女、委員長を一緒にどうですかと誘ったのだった。
それは特に異例というわけではなかったし、社交辞令といわれればそうともとれる物腰で言われたから、誘われた委員長も笑顔で受けようとしていた。
が。
そこへどこからどう現れたのか、立ち塞がったのが島村ジョーだったのである。
それはもう彼はいつからそこにいてどんなタイミングでやってきたのか、誰もわからない状況だった。ただひとつ明らかだったのは、ナイン――他校の副会長に喧嘩を売り、そしてナインそのひともそれを買ったということだった。
文化祭で他校生との喧嘩など絶対にあってはならないことである。だから、その場で島村ジョーは委員長が、ナインは後ろにつき従っていたスリー(もちろん迷子防止のためである)が取り押さえ引き剥がし、事なきを得た。

ナインは多くを語らなかった。が、「ナインが委員長をナンパした」という事実はスリーにとって大きなことであった。
それまで、全く色恋沙汰とは無縁だった副会長である。もしかしたら男色なのではないかという噂もあった。だから安心していたようなものだったから、この事件はスリーにとってまさに青天の霹靂であった。

ナインはああいうひとが好きなのだ。

髪が長くてスタイルが良くて、まっすぐ前を見据え堂々としている女の子。はっきり自分の意見が言えて物怖じしない。
自分のようにはっきりものを言えずもじもじしているのとは大違いである。
だから、自分はナインの好みからは外れている――。

もちろん、努力もした。ナインの好みに近づけるように頑張った。
髪も伸ばしたし使うシャンプーにも気を遣い、ブラッシングもしっかりした。はっきり声が出せるように腹筋も鍛えたし、何しろ――ナインの目をみてしっかり喋ることができるように頑張ったのだ。

しかし。

スリーの目から見て、今日のナインはいつもと違って浮かれていた。
それはおそらく委員長に会えるからなのだろう。やはり、付け焼刃の自分とは違うのだ。そう思うと心がくじけ、とても彼と同行などできやしないと思っていたが、諸事情があってそうもいかずいまここにいるのだった。
そして今、そんな自分とおそらく同じような感情を抱いている人物――島村ジョーの存在に気付いたというわけだった。

 

――あのひと。

不良なのに委員長のことが好きなんだわ。全然、釣り合わないの、きっとわかっているのにどうしようもないのね。

…私と一緒だわ。

 



―8―

 

表面上は何事も無かったかのように話を進めながら、その実、委員長の心の中はあれこれ考えるのに忙しかった。
ただでさえ、島村ジョーが同じ部屋にいるというだけで落ち着かないのである。
その理由は、自分ではよくわかっていたけれどもそれを彼に悟られるわけにはいかないのであった。


…だって、ジョーは。

私なんかとは釣り合わない。


自分のように決まったことを決まったようにするしか出来ず、ちょっとでも自由に振舞ったらどうすればいいのか迷子のようにわからなくなってしまう人間とは違うのだ。
自分を信じ、自分の思うように自信を持って生きている。

委員長――フランソワーズはそんなジョーが好きだった。
しかし、あくまでも「委員長」である自分が不良である彼を慕っているなどととてもじゃないが誰に打ち明けるわけにもいかない。時々、もしかしたら彼も自分のことを…?などと淡い期待を寄せる程度である。
とはいえ、それですら自分はからかわれていると思うこともしばしばであった。


――だってジョーはそういうの、慣れているんだもの…。


それを思い出すたびに心は重く沈む。
「不良」のジョーは喧嘩などの武勇伝には事欠かない。更に、英雄色を好むとでもいうのだろうか、女性関係の噂も途切れたことがなかったのだ。
しかも、フランソワーズは実際にそれを見たことがあった。
だから、そういうことに疎い自分はもしかしたらただからかわれているだけなのかもしれない。時々思わせぶりなことを言われるが、それは――おそらく、彼は誰にでもそうなのだろう。

…そうよ、今日だって。


昨年の文化祭でナインに誘われたとき、助けに入ってくれたのはジョーだった。もちろん、周囲のひとは「ジョーが助けてくれた」などと思っていない。ただ彼がナインに喧嘩を売っただけと思っている。
しかしフランソワーズはことの真相を知っていた。
あの時、おそらくナインはただの社交辞令で誘ったのであろう。けれどもそういうことに不慣れな自分はおたついてしまった。
表面上はにこやかにしていたけれども、内心はどうしようどうしたらいいのだろうとそればかり考えパニックになっていた。
だから、目の前にジョーが来てくれたときはほっとしたなんてものではなかった。その背中に庇われたとき、嬉しくてしょうがなかったのだ。ジョーの真意はわからないとしても。
だから今日も、ナインが来ると聞いてやってきたジョーが、単に喧嘩の続きをしたかったのか、再び自分を守ってくれようとしていたのかどちらかなのはわからなかった。
ただ、それでも――嬉しいのには違いなかった。

フランソワーズに気があるような思わせぶりな言葉や態度。
からかわれているだけと思っても、それでも――偽りとしても、嬉しく思ってしまうのだった。


――要は勘違いしないことだわ。


なんとか結論づけた。

そう。からかわれているだけなのに、うっかり誤解して勘違いしなければいいだけのこと。
この状況がイヤではないのだから、間違っても彼との仲がぎくしゃくしたりしないように気をつけなければ。