―4―

 

「うわあ。凄いわねぇ。桁が違うわ」
「ほんとほんと。登校途中で貰うって普通じゃないわよ」


2月14日の朝。
話題の主は不良の島村ジョーである。
彼が校門を通り過ぎて姿を現した途端、教室の窓に女子が張り付いた。
彼は大方の予想通り、既に紙袋を持っていて――それはぱんぱんに膨らんでいた。

私はそんなに暇じゃないので別に彼の姿を見物しに窓辺に寄ったりはしない。ちらりと見ただけだ。
そんなことより、視界の隅に映る彼の机がちょっとだけ気になっていた。

既に彼の机の上にはチョコレートが積まれていたのだ。
そしてその山はどんどん大きくなってゆく。今も下級生がそろそろと入ってきてチョコを置いていった。
本当は教室に入れるべきではないのだけれど今日だけは仕方がない。

彼の人気はいったいどこからくるのかしら。


「ねぇ委員長、見て。島村くんの席。相変わらず凄いわよね」
「そうね。いったいどこがいいのかしら」
「あら、だって島村くん、かっこいいじゃない」
「…かっこいい?」
「顔も可愛いし」
「可愛い?」

私がよほど変な顔をしていたのだろう、カトリーヌは噴出した。

「なんて顔してるのよ委員長」
「だって可愛いなんていうから」
「髪に騙されちゃだめ。けっこう整った顔してるわよ」
「…ふうん」

なるほどね。みんな顔にひかれてるってわけ。
外見がいいひとって今日みたいな日は得ね。

「不良なのに」
「不良っていっても彼は理不尽なことはしないじゃない。正義のひとだって噂よ」
「…噂だけでしょう」
「もう、委員長ったら」

カトリーヌが何か言いかけたところで噂のひとが教室に入って来た。
みんなの視線を浴びているけれど、そんなことに全く構わず彼は席についた。
表情も変えず一言も発せず、淡々と机の上のチョコを新しい紙袋に入れてゆく。そしてそれを机の脇に置くと眠そうに欠伸をして、そのまま机に突っ伏してしまった。

「…なんだ、つまんないの」

あまりにいつもと変わらないその姿に注視していた女子の輪も解けてゆく。


島村ジョー。
たくさんのチョコに全く動じない。

――彼に意中のひとはいないのだろうか。


そんなことをちらりと考えた私は何故か胸の奥がもやっとしてきて彼から目を逸らせた。


別に島村ジョーに意中のひとがいたって私には関係ない。

 


―5―

 

放課後。

私はいつものように教室に誰も残っていないのを確認して帰り支度をした。
風紀委員の仕事というわけではないけれど、いたずらに教室に残っている生徒を放置してはおけない。

ふと島村ジョーの机が目に入った。
既に主はいない。
机の周りにあったチョコの入った紙袋と一緒に消えている。

私は小さく息をつくと教室を後にした。

 

校門を出たところで――不良の島村ジョーを発見した。

…何をしてるのかしら。
花壇の脇に腰掛けて、ぽかんと空を見ている。

私は足早にその前を通りすぎようとして、――でもなぜか気になって――足を止めていた。


「何、してるの」
「…別に」
「用がないならもう帰ったら?」
「…そうだな」

大儀そうに腰を上げると隣に並んだ。
手ぶらだった。

――チョコはどうしたのかしら。

でもそれを訊くのは気にしているみたいでイヤだったから触れないことにした。

別に私には関係ないし。

どうでもいいことだし。


だから私は全然関係ない話をすることにした。


「前から気になっていたんだけど、その格好…寒くないの?」

私は制服の上にコートを着てマフラーをしている。でも彼はブレザーの前をはだけてシャツも開けているし、袖だって捲くっている。見ているだけで寒そう。

「別に」
「風邪ひいたって知らないわよ」

そう言うと、低く笑ったみたいだった。

「誤解しないでね。別に心配しているわけじゃないのよ?ただインフルエンザにでもなったらみんなが迷惑するから。学級閉鎖になったら授業も遅れるし」
「…気をつけるよ」
「本当に?」
「ああ」
「だったらその寒そうな格好から改めなさいよ」
「…」

何もする様子がなかったから、私は彼の前に回りこむと無理矢理ブレザーのボタンを留めた。

「ほら、これでちょっとは暖かいでしょう」
「…かもな」
「かもじゃなくて暖かいでしょう?」
「…暑い」
「知りません」

ふと目があって、私はなんだかとても大胆なことをしてしまったような気がして頬が熱くなった。
でもそれを悟られたくはなかったから、顔を逸らすと彼の前から退いた。
ああもう、静まれ心臓。


「――あのさ」


私がどぎまぎして黙ったまま歩いていると、珍しく彼のほうから声がかかった。

「何?」
「何か食いもん持ってない」
「えっ?」
「腹減った」
「…何よそれ」

お昼ごはんは食べたんでしょう?
と言おうとして黙った。
彼は…お弁当を持ってきてはいないし、実はお昼ごはんを食べている姿も見たことがないのだ。
いつも昼休みには姿を消してしまっていてどこでどうしているのやらさっぱりわからない。

とはいえ、あの大量のチョコがあったでしょう。
と言うわけにもいかなかったから、私は軽く肩を竦めるとバッグを探った。

「…これでよかったらドウゾ」
「何これ」
「チョコレート」
「…へぇ」
「あ、でも誤解しないでね。別に誰かにあげそびれたとかそういうんじゃなくて、自分用なんだから」
「自分用」
「この前、カトリーヌたちと作ってそのままバッグに入れてただけなの」
「…ふうん。ま、何でもいいや。食ってもいい?」
「今?」
「腹減って死にそう」
「…もう。いいわよ食べても」

ちょうど公園が見えたので、そこのベンチに座ることにした。

「…委員長が作ったのか」
「そうよ。だから味は保証しないわよ。知らないわよ」
「食えればなんでもいい」
「あらそう」

10センチ四方の箱の中には丸いトリュフチョコが4つ。
島村ジョーはそれをひとつつまむと口に放り込み、そして――動きが止まった。

「…無理しなくていいわよ」
「いや、………これ、何?」
「わさび」
「………自分用?」
「そうよ。悪い?」
「いや、…」

そうして二つ目を口に入れて、今度は悶絶した。いっきに額から汗が湧く。

「それは唐辛子ね」

それでも感心したことに島村ジョーは吐き出したりせず、あとふたつのチョコもきちんと食べたのだった。
あとふたつのチョコはカラシと生姜がたっぷりと入ったものだったのだけど。

…お水とか飲まなくていいのかしら。

「…まったく。チョコ作って辛いってお約束かよ」
「だって初めて作ったんだもの。色々混ぜてみたくなったの」
「ふうん。…で?本当はもうひとつあるんだろ」
「えっ?」

心臓が跳ねた。
島村ジョーはじっとこちらを見ている。
いつものように片目しか見えないけれど、束の間風が吹いてちらっと両目が見えた。
その眼差しが妙に優しげに見えて、私の心臓はますます落ち着かなくなった。

「一個じゃ腹の足しになんねーよ。持ってるんだろ、もうひとつ」
「な、なんでそんなこと」
「くれ」

手が差し出されたので、――私はしぶしぶバッグからチョコを取り出した。
さっきと同じ大きさの箱。

「さんきゅ」

そう言うと彼は何のためらいもなく箱を開けた。

「――なるほどね」

小さくそう言うと、――中身を取り出し、齧った。
ぱりんと音をたてる、チョコレート。

「…甘い」
「別に味の批評をしなくてもいいわ」
「歯が溶けそう」
「だったら食べなくていいわ」

手を伸ばしたのを器用に避けて、島村ジョーはチョコをくわえたまま

「貰った以上、これは俺のだからやらない」

と言った。

「あの、別に深い意味はないんだから。みんなに合わせて作っただけで」
「――うん」
「自分用なんだから」
「うん」
「今日のおやつにするつもりだったのよ」
「うん」
「本当よ?別に誰かにあげようとかそんなんじゃなくて、」

ああもう、何を言ってるのかしら私。
でも。
でもでもでも。

「どうせ似合わないとか思ってるんでしょう?でも、カトリーヌもミナもやっぱりバレンタインはハートよねって盛り上がってるし、どうせならイチゴミルクのチョコにしようって勝手に決めちゃうししょうがなかったんだもの。別に誰かにあげようとかそんなつもりは全然なくて、今日だってバッグにたまたま入っていただけで」
「わかってる」
「ほ、本当よ?たまたまなんだから」

するとチョコをあっという間に食べ終わった島村ジョーは、私の頭にぽんと手を載せた。

「うん。よくわかった。ごちそうさま」

ああもう、なんだか泣きそう。

「違うの、そうじゃなくて」
「うん」


だって。


だって、


だって本当はたまたま持っていたわけじゃなくて、――ああでも言えない。

私が混乱していると島村ジョーは鼻の頭をちょっと掻いて、ちらりとこちらを見てから言いにくそうに言った。

「――ふたつめのチョコが本命?」

し、知らないっ。

「いや…ひとつめもそう、か」

納得したように頷いた。

「ごめん。もう貰わないから。……他の女からは」
「別にそんなこと言ってないじゃない」
「うん。でも俺たち――付き合ってるんだし」
「そ、…そうだった――かしら」
「…たく。機嫌悪いなぁ。ここのところずっとだけど」

そう言うと島村ジョーは立ち上がって、正面から私を見下ろした。

「…なによ」
「名前」
「えっ?」
「呼べよ」
「……」
「お前、何か怒ってると俺のこと島村くんって呼ぶだろ。知ってるぞ」
「――そんなこと、」
「だけどその呼び方は気に入らない」

そしてちょっと屈んで、私の顔を覗きこんだ。その距離、数センチ。

「…フランソワーズ。一ヶ月もヤキモチ妬くって飽きないわけ?」
「別に妬いてたわけじゃないわ」
「素直じゃねーな。俺が毎年大量にチョコを貰うってのが気に入らないんだろう?」
「そんなこと私には関係ないし」
「そうかな?フランソワーズ」

顔が近い。

「――だったら、さっきのチョコは何」
「そ、」

それは。

「…フランソワーズ?」

囁くような小さな声。

息が頬にかかる。


頬が熱い。


「…知らない。ジョーのばか」