「え、観たの?」

電話の向こうで絶句する気配。

「・・・ジョー?」
「・・・いや。そっか。もう流れているよね」
しばし無言。
「・・・どうかした?」
「あ、いや・・・」

実はあのコマーシャルの台本は前半部分だけで、後半のインタビューには無かったのだった。

「他のひとのも観た?・・・20人分あるといってたけど」
「ううん。ジョーのだけよ」
「・・・そっか」

じゃあ、知らないんだ。
後半は、それぞれセリフが違っているということを。

・・・あの収録は大変だった。
前半部分は、台本を覚えればよかったからすぐに終わったけれど、問題の後半部分。
質問自体は決まっているから、それに対する答えだけ考えておけば良かったんだけど。
普段、フランソワーズにも面と向かってそういう事を言う機会は少ない。
少ないというより・・・殆ど皆無に等しいジョーにとって、はっきりと言わなければいけないというのはかなりの無理難題だったのだった。
しかも、キャンペーンなので、変に照れたり、口ごもったりすればすかさずNG。
静かに、堂々と話す事が求められる。

それも、テレビで流されるんだもんなぁ・・・。

フランソワーズにだけは観られたくなかったのに。
電話の向こうの彼女を思い出し、ひとり赤くなる。
・・・顔が見えなくて良かった。

「・・・ジョー?いる?」
「あ、ああ。・・・いるよ」

「ジョーも、そう思ってくれてるの?」
「え、何が」
「だから、テレビのセリフ。・・・いつも心の中では隣にいる、って」
思うも何も。
あれは台本ではなく、自分の想いなのだけど。

「・・・そうだね」

・・・そうだね。って。
もう。
いつもかわすんだから。そういうセリフ。
たまにははっきり言って欲しいのに。

 

リビングの電話での会話。
ソファには博士が座っていて、お気に入りのドラマを見ている。
それがコマーシャルに切り替わった。

・・・あら、ジェットじゃないの。

画面には先日のジョーと同じ言葉を伝えるジェットの姿があった。
けれども、後半は。

・・・あれ?
ジョーと違う。
どうして?

「ねぇ、ジョー?」
「ん、なに?」
「いま、ジェットのキャンペーンのが流れたんだけど、後半はあなたと違ってたわ」
「・・・そう」
「どうして?決まっているのでしょう?」
「・・・決まってないよ」

あんまり小さい声で言うから、一瞬聞き取りそびれた。

「なに?聞こえないわ」
嘘だろ。君に聞こえないわけないだろう?
ちょっと憮然として。

「・・・決まってないんだよ。あれは。各自が考えて喋ったんだから」
「・・・じゃあ・・・」
そうだよ。僕はいつもそう思っているんだよ。

「・・・そう」
「そうだよ」
くすっ。
「なに?」
「なんでもない」
電話の向こうのあなた、きっと凄く照れているわね。

「・・・ありがとう」

何が?とは訊かれない。
自分も、何をとは言わない。

ただ無言で。

・・・傍から見れば、ただの無言電話よね。
けれど、この電話の向こうには彼が居る。
「ジョー?・・・いる?」
「いるよ」

「・・・気をつけてね」
「うん」
「ちゃんと観てるから」
「う、うん」
ちょっと詰まって。
レース自体は、あまり観て欲しくないんだけどなぁ・・・。

ジョーがレースを観て欲しがらないのは知っていた。
何故なら、優勝以外のときは思い切り不機嫌だから。
表面上にこやかでも、画面を通してフランソワーズにはわかってしまう。

「私はいつもあなたの隣にいるもん」

ちっ。
軽い舌打ちが聞こえてきた。
怒っているのではなく、照れ隠し。
・・・まったくもう。不良なんだから。

「お行儀が悪いわよ、ジョー?」
「うるさいな。・・・もう切るよ?」

と、言いつつもいつも切らない。

今日も電話を切るタイミングを探すふたりだった。