「SKY BLUE」

 

 

昨日の雨が嘘みたいにすっかり晴れた空は、眩しいくらいの蒼だった。

朝からジョーはとても気分が良かったけれど、フランソワーズは少しだけ不機嫌だった。
ジョーが珍しく早起きをして朝食の支度を手伝っても、ちらりと蒼い目で見つめ、申し訳程度の「おはよう」を唱えただけで
後は彼を全く無視している。
さっぱり原因がわからないジョーは、最初の方こそ首を傾げて何やら考え込んでいるようだったが、食事が済むとさっさと
ガレージへ行ってしまった。
よくそんなにガレージですることがあるわねというフランソワーズにジョーは微笑んだだけで答えなかった。
だから、本当のところ彼がガレージで何をしているのかフランソワーズにはわからない。

そんなわけで、少しだけ不機嫌なフランソワーズはしばらくしてからガレージへ向かっていた。
ジョーが一体何をしているのか見たかったのと、ジョーに絡んで八つ当たりをしようという二つの目的を携えて。

ガレージのシャッターは開けられていて、彼の車の周りにはフランソワーズには名前もわからない工具や部品が散らばっていた。ジョーの姿はなく、シンと静まり返っている。
彼の名を呼ぼうとして思い止まった。
自分がここにいることを知らせる必要はない。ジョーは、ここへ誰かが来て困るようなことをしているわけではないのだから。

ガレージの中へ入ってみた。
ひんやりとして暗かった。ひとの気配はない。
ガレージにいると言ったくせに、ジョーはいったいどこで何をしているのだろう。

車の周りを一回りしてみる。
何かをしている途中なのはわかったけれど、いったい何の途中なのかはわからない。

ジョーはどこに行ったのだろう。

 

 

「・・・何やってんの?」

 

足音もなく忍び寄られ、フランソワーズは文字通り飛び上がった。
背後にはジョーの姿。

「ジョー!もうっ、おどかさないで」
「おどかしてないさ。普通だよ」
「そうかもしれないけど、もっとこう先に声をかけるとか」
「かけたよ?」
「そっ・・・そうだけど」

全く気配がしなかった。
それは何故なのかフランソワーズにはわからない。

暗がりに慣れた瞳には、海を背に立っているジョーの表情がわからなかった。一瞬だけだったけれど。

「何か用?」
「・・・用がなくちゃ来ちゃいけない?」
「そんなことないけど」

言いながら、ジョーは車の下を覗き込む。

「いてもつまんないと思うよ?」

そうしてそのまま車の下へ消えてゆく。

「・・・そうかもね」

フランソワーズはジョーの消えた先を見つめながら息をついた。
猫にマタタビ。ジョーに車。

すぐに出てくるかと思って見守っていたけれど、いっこうにジョーは現れない。
何かをいじっている金属の触れ合う音だけが間断なく響いている。

「――ねぇ、ジョー?」
「うん?」

返事はないだろうと思っていたのに、打てば響くように声がしてフランソワーズは嬉しくなった。

「ここにいたら邪魔?」
「んっ?どうして?」

答えるけれど、ジョーの手は休まない。
金属の触れ合う音。

「・・・いてもいい?」
「いいよ」

あっさり言われ、何だか拍子抜けした。

しばらく無言で立ち尽くし、思い立って屈んで車の下を覗いてみた。

「ね、ジョー。楽しい?」
「うん」

視線を感じたのか、ジョーの目がちらりとこちらを向く。

「・・・ここにいてもつまらないだろ」
「ううん。そんなことないわ」
「無理しなくてもいいよ」
「してないもの」

そう言うと、そのままタイヤにもたれて座り込んだ。
両足を抱えるようにして。膝に頬をのせて。
金色の髪が肩からさらさらと流れ落ちる。

「冷えるよ」
「平気」

ジョーはほんの少しの空間から見える金色の髪に目を細める。
しょうがないなと息をつくと、車の下から這い出した。

「フランソワーズ。女の子は足腰を冷やしちゃダメだろ」
「平気だもの」
「いいや、ダメだ」
「だって、ここにいたいんだもの」

ジョーも床に座りこみ、そのままフランソワーズを見つめる。
拗ねたような蒼い瞳。鼻にかかった声。
ふと手を伸ばそうとして、油に汚れているのに気付く。そういえば、全身すっかり汚れているのだった。
このまま抱いてしまったら、せっかく綺麗な彼女を汚してしまう。
だから、照れたようにちょっと笑った。

「・・・もうちょっとしたら、向こうに行くから。ここは綺麗な場所とは言えないし」
「平気だもの」
「フランソワーズ」
「・・・ジョーを見てちゃ、だめ?」

朝からずっと不機嫌だったフランソワーズ。それが滅多に来ないガレージまでやって来て、そばにいたいと甘えている。
いったい今日の彼女はどうしてしまったのか。全く一貫性が感じられず、ジョーは不可解な彼女をただ見つめているしかなかった。

「――どうかした?」

ジョーの声にフランソワーズは頭を横に振る。

「僕、何かしたかな」

こっくり頷かれる。
が、ジョーには全く心当たりがない。

「ええと、その」

ともかく、何が何だかわからないけれど謝ってしまおう――と言い掛けたジョーに、フランソワーズが飛びついた。
そのままガレージの床に仰向けに倒れこんでしまう。

「え、わっ、何だ」

ちょうど真下にあった工具箱の角にいやというほど頭をぶつけ、ジョーは唸った。

「フランソワーズ、急にいったい――」
「ジョーのばか」
「へっ?」
「何よ、自分ばっかり」
「ええと、何が?」

けれどもフランソワーズは答えない。
ジョーは自分の上のフランソワーズをそうっと抱き締め身体を起こした。

「・・・フランソワーズ?」

顔を覗きこむ。
少し怒ったような、拗ねたような。

「――昨夜のことよ」
「昨夜?」

フランソワーズの顔をじっと見つめ、しばらく考えて――

「・・・あ」

そうして思わず噴出した。

「なんだ。そんなことで怒ってたのかい」
「そんなことなんかじゃないわ」
「だってさ」
「ずるいわ、ジョー」
「ずるい、って言われてもなあ・・・」

昨夜、電車が止まって、結局歩いて帰ったのだ。
途中でジョーが有無を言わさずフランソワーズを抱き上げ加速したから、考えていたより早く帰れたのだけれども。
雨に濡れたし疲れたし、熱いシャワーを浴びて眠りたかったのに、フランソワーズは自分の部屋へ帰してもらえなかったのだった。

「ジョーの足が重くて眠れなかったのに」
「え。そう?」
「いびきもかいてたわ」
「うーん」
「ずうっと抱っこされてる身にもなって。寝苦しいったらないわ」

僕は寝苦しくなかったけど、と言うのはやめておいた。

「ジョーの腕はきつくて解けないし」
「うーん」
「いつも言ってるでしょう?私はどこへも消えたりしないわって」
「うーん」
「息するのも苦しくなっちゃうのよ?」
「うーん」
「それがないと寂しくなるこっちの身にもなってちょうだい」
「うーん。・・・え?」

旗色が悪く唸るしかなかったジョーは、毛色の違う彼女の主張にきょとんと目を向けた。

「わかった?」

いたずらっぽく煌くフランソワーズの蒼い瞳。
空の蒼。
海の蒼。

「・・・以後気をつけます」

大好きな蒼に囲まれて、ジョーはやっぱり晴れた日の方がいいなと思うのだった。
もちろん、フランソワーズがそばにいれば、一番好きな蒼がいつでも見られるのではあるけれど。