なんと、今ぶつかったのはジョーその人だった。

 

「ゴメンゴメン」

悪びれずにこにこしながら頭を掻いてみせるその姿に、フランソワーズの先刻からの不機嫌値が上昇した。

「ちゃんと前を見てよね。いったい何をやってるのよ」
「ウン。だからゴメン。急いでたから」
「ふうん」

どこへ行くのか気になった。が、平気な顔をしてみせる。

「だったら、早く行ったら?」
「え。何で」
「急いでるんでしょ?」
「ウン。でも会えたし」

「――えっ?」

雨の中、傘もささずに走ってきたらしいその姿は、靴もパンツの裾も肩も髪も、何もかもが濡れていた。

「朝から天気予報で夜になったら雨が降るって言ってたのに、傘を持って行かなかっただろ?だから」
「――迎えに来てくれたの?」
「うん」
「・・・傘も持たずに?」
「えっ・・・あ!」

自分の両手を見て、そしてフランソワーズの手に握られている傘を見て。

「傘・・・持ってたの?」
「ええ。雨だ、って言ってたから。天気予報で」

なんだそうか、そうだよな、折り畳み傘という手があったか――とほっとしたように言うジョーに、フランソワーズはちょっとだけ微笑んだ。
ほんの少し機嫌が直った。

「ばかね。傘を忘れたら意味ないでしょう」
「ほんとだね」

くすくす笑い合う相合傘。
婦人ものの傘は小さくて、ジョーは半分以上雨に打たれているのだけど気にしない。

「今日は車じゃないの?」
「うん。ちょっと――ね」
「・・・そう」

何がちょっとなのか見当もつかず、フランソワーズは曖昧に笑った。
しばし無言の道行きとなった。

「――フランソワーズ。寄るところがあるんだけど、いいかな」
「寄るところ?」
「うん」
「・・・いいけど」

どこに寄るんだろう――と思いながら、ジョーが導く方へ一緒に歩いてゆく。
細い路地を入って抜けて、私道と思われる道を通り抜けて。

「ジョー、いったいどこに・・・」

問いかけた途端、大通りに出た。
何の変哲もない、片側3車線の大通り。

「ねぇ。いったい」

立ち止まったジョーに不審な目を向ける。彼の寄りたいところはいったいどこなのかと思いながら。
けれどもジョーは無言のまま前方を凝視している。
フランソワーズは不審に思ったまま、ジョーの視線を辿ってみた。

すると、そこには。

 

ピンク色の樹。

 

通りの向こう側に、ピンク色の樹が連なっており、街灯の元に白く輝いて見えた。

「え・・・散ったと思ってたのに」
「八重桜。今がちょうど見頃なんだ」

ジョーが心配そうにフランソワーズを窺う。

「この前行けなかったから。――こんな場所でごめん。でもちょうどライトアップされてるみたいに見えるし」

目の前を結構なスピードで車が走りすぎてゆく。
雨はいっそう強く降り、車がその飛沫をこちらに飛ばしてゆく。

 

落ち着かない場所の、遠くに見える八重桜。

 

そして、心配そうなジョーの顔。

 

「車だと通り過ぎるだけでちゃんと見れないし、それに今日じゃないともう散るかもしれないから、だから」

 

フランソワーズは何も言わない。

車の音と、傘に当たる雨の音。

 

――春の雨は嫌い。

 

こんな自分も嫌い。

 

ジョーも嫌い。

 

だったけれど。

 

「・・・ジョー」
「ん。なに?」

 

心配そうなジョーの顔。

 

雨の向こうの八重桜。

 

「――ありがとう」

 

 

春の雨も、好きになれそうだった。