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さっきから右頬に痛いくらいに視線を感じる。

赤信号になったので、そうっと目だけ動かして右側のシートを見る。

―――フランソワーズ。

心の中でため息をついた。
さっきから――それこそ、彼女を車に乗せてからずっとこの調子だった。
それはもう、穴が開くのではないかというくらいの注視。ただただじっと見つめている。無言で。
その雰囲気に押されて、こちらから話し掛けるのも何だか違うような気がしてこれまたずっと無言を通していた。
いつもなら、レッスンの話や今日はジョーは何をしていただの、今夜のごはんは誰が当番だったかなどなど、話題に事欠くことはなく、和やかな空気で満たされている車内なのに。
なんだか今日は空気が重い。

「・・・フランソワーズ?」
車を発進させつつ話し掛けてみる。
「今日、何かあった?」
「別にないわよ?どうして?」
声音も抑揚もいつもと同じだった。特に怒っているとか悲しんでいるとかマイナスの感情は見当たらない―――とりあえず、今のところは。

「うん・・・練習、きつかった?」
そうだ。もしかしたら、単に疲れているだけなのかもしれない。
「ううん。いつもと一緒よ?」
そういうわけではないらしい。

再び沈黙。

「もうすぐ着くけど・・・どうする?どこか寄って行く?」
時々、おいしいお茶を飲みたいとかちょっと買いたいものがあるのとか言って遠回りすることもあるのだった。
「・・・ううん。いい」

例えば、声に怒気が含まれている、とか、語尾が涙声になっている、とかであれば、ジョーだって対処の仕方くらいわかるようにはなっているのだが、今日のように感情が全くわからないというケースは滅多になく、彼女が何を考え・・・あるいは、何が起こったのか、などはわかりようもないのだった。
なので、ただ困惑するのみ、だった。


***


ギルモア邸の玄関前に着いた。
が、フランソワーズは降りなかった。
いつもは玄関前で彼女を降ろし、自分はそのままガレージに向かうのだった。
停めたまま、しばらく無言で待ってみる。
けれども、隣のシートの彼女は身じろぎもせず降りようという素振りもみせない。

降りないのかな?

降りる気配がないのだから、降りないのに違いないけれども、だったらガレージに用事があるのかと思いつつ車をガレージ方向に回しながら、だけどいったい彼女がガレージ方面にどんな用事があるのかジョーは全く思いつけずにいた。

ガレージに着いた。
降りない。

車を入れた。
降りない。

エンジンを切ってキーを抜く。
・・・降りない。

「・・・フランソワーズ、降りるよ?」
「うん」
と、言いつつもじーっとジョーの右頬を見つめたまま動かない。
諦めて、そのままシートにもたれる。

しばし、間。

「・・・あのさ。何かあった?」
謎の沈黙に耐え切れず、言葉を発する。身体ごと彼女の方を向いて正面から顔を見る。
「ううん。ないわ・・・ねぇ、ジョー」
「なに?」
「ちょっと目をつむってみて?」
「・・・?」
訳がわからないけれども、そうっと目をつむってみる。

しばし、間。

「あの・・・フランソワーズ?」
片目をそうっと開けて、様子を窺う。
すると何やら考え込んでいる風のフランソワーズ。
「・・・やっぱり、ちょっと違うわ・・・」
ひとりブツブツ呟いている。
「違うって何が」
「・・・じゃあ、やっぱりあれしかないんだわ・・・!」
あれって何?
と、訊こうと口を開いた時。
「ねぇ、ジョー。ちょっとキスしてみてくれない?」

・・・・は?
なに?
何だって?

少し照れたような顔のフランソワーズをじっと見つめ、いったい彼女に何があったのだろうと思い巡らせる。
もちろん、彼女がキスをねだるのは別に珍しい事ではない。が、いつもはもっと甘えているというか・・・もっと言い方が違うし、もっと至近距離に居る時だし・・・何しろこんなに脈絡がないのは初めてだった。

かといって、ただこうして見つめ合ってるだけっていうのも何だか変だよな。

とりあえず、彼女の言う通りにしてみることにした。

が。

彼女に到達する前に止められた。
「やっぱり、そうだわ・・・!」
目を開けると、頬を紅潮させているフランソワーズ。

「フランソワーズ、いったい・・・」
「いいの。ジョーは気にしなくて」
「気になるよ」

大体、車に乗せてからずっと、今日は訳がわからないんだ。このままひとり納得しておしまい、ってそれはないだろう?
キスをねだっておきながら、させてくれないのも意味がわからない。

「・・・だって。ジョーのカードが」
「カードってなに」
「洗剤の応募券10枚でもらえるの」
そういえば、そんな企画もあったな。
「それが?」
「私は1種類しか持ってなくて知らなかったんだけど、本当は5種類あって、更にもう一枚シークレットカードというのがあったの」
「・・・ふぅん?」
そんなの僕も知らなかったよ。
「で、今日、そのシークレットカードを見せてもらったんだけど・・・」
口ごもる。
「その、ジョーが」

僕が何だって?