「ワルツ」
![]() (C)ヒロイ様
黒塗りの迎えの車を降りて、クロークにコートを預け、ジョーのエスコートでパーティ会場に入る。 ジョーは目の前に差し出された盆からシャンパンをふたつ取ると、ひとつをフランソワーズに手渡した。 「ありがとう。――凄いのね。広いし、ひとがたくさん」 言いながらジョーは顔をしかめた。 奥に進むと、そこはロビーのようになっており、そこここにも人の輪ができていて賑やかだった。 ジョーはとりあえず腹ごしらえしておこう、とフランソワーズを連れてそちらへ向かったのだが、ロビーの向こうからこちらへやってくる一団を見て諦めた。
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そういえば、自分はワールドチャンピオンだったのだ。 そう思い出したのは、さきほど事務所の社長に捕まった時だった。 フランソワーズは、とある方面に詳しい人々にとってはアイドルに近いものだったのだ。 このパーティは基本的に女性同伴だったから、各お偉いさん方は奥方と来ているひとが殆どだった。 そんなわけで、ジョーはおじさま達に囲まれ、フランソワーズは奥様方に囲まれていた。 ともすれば、ふたつの輪に離れてしまいそうだったが、ジョーはフランソワーズの肘を掴んだまま決して離しはしなかった。 やっとひと段落し、社長も離れていった時にはジョーは疲労困憊していた。 「腹減った・・・」 くるりとフットワークも軽く行ってしまいそうなフランソワーズの腕をすんでのところで引き戻す。 「ダメだってば。一人で行ったら」 するりと腕からすり抜けたフランソワーズに本気で焦った。 慌てて振り向こうとして―― フランソワーズとジョーの目の前に、料理を盛った皿が差し出された。 「こら、お嬢ちゃん。ジョーのいう事聞かないとダメでしょーが」 そこにいたのは、ジョーのチームのメカニックである女性だった。 「あ。お久しぶりです」 訝しそうに言うジョーの頭をばし!とはたく。 「ちょっとアンタねー。それ本気で言ってんの?」 今日はいつものつなぎではなくドレス姿なのだった。身体の線に沿って流れるように落ちるドレープ。出るところは出ており、細いところはあくまでも細いそのスタイルが強調されており、フランソワーズは知らないうちにジョーの腕をぎゅっと掴んでいた。 「ひとりで来てるのか?」 視線を動かすと、少し離れた所で誰かと談笑している紳士の姿があった。 「ジョー。お嬢ちゃんから離れちゃダメだよ。虎視眈々と狙っている輩がたっくさんいるんだからね」 そのジョーの顔を見て目を細め、女メカニックはジョーの耳元に唇を寄せた。 「いい?気をつけるのは女性よ。女」 よくわからなかったけれども、ともかく忠告は忠告として心に留めることにした。
「はい。ジョー、あーん」 言われるままに口を開けて、差し出されたフォークから食べてから気がついた。ここがパーティ会場であり、公衆の面前だったことに。 「なっ、ふ、」 流れでもうひとくち貰ってしまう。 「フランソワーズ。いいよ、自分でやるから」 先程女メカニックから受け取った皿には、フォークはひとつしか載っていなかった。 「じゃあ、僕はいいよ」 有無を言わせないフランソワーズにジョーは肩をすくめた。天然なのか、計算なのかジョーには全くわからないのだ。が、どうやら――フランソワーズの表情を見ると――計算のようだった。 「・・・フランソワーズ?」 そう言っている間にもジョーに食べさせることはやめない。 「何があった?」 何か不安になることがあったのだろう――と、思った。が、それが何なのかはさっぱりわからない。 「別に何にもないわよ?」 フランソワーズとしては、ついさっきまで周囲に目がいかなくて、だから気付いていなかったのだが、先程の女メカニックのドレスやスタイルを見てわかったのだ。 だから、彼女たちへの牽制のつもりもあった。 でも、こんなのは一時的なものでしかないとフランソワーズにもわかっていた。
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関係者各位の挨拶が全て終わったところで、大ホールでは本格的に音楽が奏でられ、そこは即席のダンスホールに早変わりした。 曲がワルツに変わったところで、フランソワーズがジョーの袖を引いた。 「ね、ジョー。踊らない?」 ジョーは耳を疑った。 「踊りたいの。ジョーと」 フランソワーズがソシアルダンスを踊れるなんて知らなかったが、あるいは彼女はなんでも踊れてしまうのかもしれなかった。が、自分はその方面はからっきしダメだった。 「無理だよ」 言いかけて、じっと見つめるフランソワーズの目を見た。 「踊れるわよね?ワルツなら」 きらりと煌く蒼い瞳。 「えっ、いや、僕は・・・」 フランソワーズの声の調子に、ジョーはなんとなくイヤーな予感がしてきた。 「ええと、フランソワーズ?」 ――ああ、やっぱり・・・ ジョーは内心、がっくりと膝を着いていた。 「相手があのひとなら踊るのにね?」 その意地悪な言い方にジョーはかちんときた。 「わかったよ!さあ踊ろう、いますぐ踊ろう」 そう言ってフランソワーズの肘を掴み、フロアに出た。 数年前。 ワルツは、社交ダンスとしては相手と密着する度合いが高い。だから、昔から、親密な会話をするために踊られることも多かった。 フランソワーズはジョーと「あのひと」の踊る姿を実際にその場で見たわけではなかったが、視てはいたのだ。彼女と踊るためなら、苦手なものも練習する彼を知って胸を痛めた。 先日、パーティの招待状にそれらしき記載があり――ジョーは招待状を読まなかったので知らなかったのだが――フランソワーズは内心、絶対ジョーと踊ると決めていたのだった。 ジョーがダンス。と聞くと、いつもなら大笑いするネタではあった。が、それでも、実は彼は踊れるということを知っていただけに、フランソワーズは笑いながらも心の奥では悲しかった。 「――ジョー、踊るの上手ね」 小さくポツリと言ったフランソワーズの声を聞こうと、ジョーが彼女の唇に耳を寄せる。 「ううん。何でもない」 いったい、どうして急に――と、思ったものの、内容が内容だけにほじくり返したくはなかった。 ――全く。はしゃいだり、怒ったり、おとなしくなったり・・・忙しいなぁ。 ――可愛いな。 「フランソワーズ」 フランソワーズはダンスに集中しているフリをして答えない。 「――この曲が終わったら、抜けよう」 だって、あなたはワールドチャンピオンなのよ? 目は口ほどにものを言う。の、ことわざ通りのフランソワーズの視線を受けてジョーは苦笑した。 「もうシーズンオフだから、いいだろ。僕はただの――」 曲が終わりに近付く。 「――ただの、」 ジョーが何か決め台詞を言おうとした時、フランソワーズの声に台詞をひったくられた。 「ただの、私のカレシだわっ」 曲が終わってしーんとしたフロアに、フランソワーズのその声はとてもよく通った。 「やだ、もうっ」 ジョーはフランソワーズを抱き締め、そのまま守るようにフロアを横切って――そして、ホールを出た途端に彼女を抱き上げ、加速装置を噛んでいた。
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同日深夜。 「あのドレス、気に入ってたのに!ジョーのばか!」 フランソワーズが焼失したドレスに気付いたのは随分経ってからだったのだが、ジョーはそこを指摘するのは慎ましく控えた。そうしないと、彼女が更に暴れるのは必至だったからだ。 「綺麗だったのに!一点ものだったのに!」 途端に心配そうな顔をしてジョーの胸の上に身体を起こし、見つめるフランソワーズ。 「そんなの、全然知らなかったわ」 実際、落ち着かないこと甚だしかった。 「もうっ・・・何よそれ」 真剣に見つめる褐色の瞳に、フランソワーズは頬を染めてうつむいた。 「――それに、もしドレスがあってもしばらくは着られなかったよ」 ジョーにぴったりと寄り添っているフランソワーズの肩甲骨のあたりには、さっきジョーがつけたばかりの痕があった。が、彼女はまだ気付いていない。
後日、フランソワーズに痕をつけた場所を教えなかったばっかりに、こっぴどく叱られることになるのをこの時のジョーはまだ知らない。
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