「ワルツ」

 


                              (C)ヒロイ様

 

黒塗りの迎えの車を降りて、クロークにコートを預け、ジョーのエスコートでパーティ会場に入る。
招待状のチェックを受けて中に通されると、そこは天井の高いダンスフロアだった。
最初はそこで、関係者各位の挨拶と表彰式が行われることになっている。今は弦楽四重奏の生演奏が流れ、既にフロアにいっぱいの人々の間を縫うようにウエイターが飲み物を配っている。

ジョーは目の前に差し出された盆からシャンパンをふたつ取ると、ひとつをフランソワーズに手渡した。

「ありがとう。――凄いのね。広いし、ひとがたくさん」
「うん。・・・そうだね」

言いながらジョーは顔をしかめた。
一度出席したっきり参加しなくなって数年が経っている。やっぱりこういう雰囲気は好きではなかった。
けれども、傍らのフランソワーズは目を輝かせ、嬉しそうに周囲を見回していたので――ジョーとしては連れてきて良かったと思わざるを得ないのだった。

奥に進むと、そこはロビーのようになっており、そこここにも人の輪ができていて賑やかだった。
そして、すぐ隣の部屋にはビュッフェ形式の料理が置いてあり、中央の大テーブルにオードブルが盛られ、部屋の壁に沿って並べられたテーブルにはそれぞれ料理とそれをちょうどよく盛って配してくれるシェフの姿があった。
洋食ばかりでなく、寿司コーナーもあるし、デザートコーナーもあった。
寿司コーナーではその場で握ってもらえるし、デザートコーナーは温かいデザートから冷たいものまでいくらでもあるようだった。

ジョーはとりあえず腹ごしらえしておこう、とフランソワーズを連れてそちらへ向かったのだが、ロビーの向こうからこちらへやってくる一団を見て諦めた。
もしかしたら今日は、何も口にできないかもしれない。このシャンパン以外には。

 

***

 

そういえば、自分はワールドチャンピオンだったのだ。

そう思い出したのは、さきほど事務所の社長に捕まった時だった。
それからスポンサー各社のお偉いさんとの挨拶に始まり、あれやこれや――ジョーが知らなくても社長がよく知っている誰かに引き合わされ続けた。
隣にいるフランソワーズはさぞや退屈だろう――と、隣を見て、ジョーは自分の認識が甘かったことに思い至った。

フランソワーズは、とある方面に詳しい人々にとってはアイドルに近いものだったのだ。
そして、とある方面に詳しい人々というのは、この会場に集まっている人のうち約半数がそれに該当していた。
つまり、オペラやバレエの観劇やクラシックコンサートに行くのが趣味の人々である。
先頃、上演された「ジゼル」の主役であるフランソワーズ・アルヌールを知らない人はいない。
そんなわけで、フランソワーズはフランソワーズで忙しかったのだ。

このパーティは基本的に女性同伴だったから、各お偉いさん方は奥方と来ているひとが殆どだった。
だから、連れ立ってジョーの元へ来たものの、奥様方はみんなフランソワーズのほうに関心を示したのだ。

そんなわけで、ジョーはおじさま達に囲まれ、フランソワーズは奥様方に囲まれていた。

ともすれば、ふたつの輪に離れてしまいそうだったが、ジョーはフランソワーズの肘を掴んだまま決して離しはしなかった。

やっとひと段落し、社長も離れていった時にはジョーは疲労困憊していた。

「腹減った・・・」
「何か取ってくるわ、ちょっと待ってて」

くるりとフットワークも軽く行ってしまいそうなフランソワーズの腕をすんでのところで引き戻す。

「ダメだってば。一人で行ったら」
「大丈夫よ、すぐだもの。ここから見えるでしょ?迷子になんてならないわ」
「・・・そうじゃなくて」
「だってお腹空いてるんでしょう?」
「そうだけど、でも」
「だから、ちょっと行って何か適当に貰ってくるから。待ってて!」
「えっ、ちょっとふら」

するりと腕からすり抜けたフランソワーズに本気で焦った。
自分のいない所で彼女がさっきのように囲まれたら。そしてそれが男性陣だったら。
そう思うといてもたってもいられない。

慌てて振り向こうとして――

フランソワーズとジョーの目の前に、料理を盛った皿が差し出された。

「こら、お嬢ちゃん。ジョーのいう事聞かないとダメでしょーが」

そこにいたのは、ジョーのチームのメカニックである女性だった。

「あ。お久しぶりです」
「――誰?」

訝しそうに言うジョーの頭をばし!とはたく。

「ちょっとアンタねー。それ本気で言ってんの?」
「いってーな。見慣れないカッコしてるからだろ」

今日はいつものつなぎではなくドレス姿なのだった。身体の線に沿って流れるように落ちるドレープ。出るところは出ており、細いところはあくまでも細いそのスタイルが強調されており、フランソワーズは知らないうちにジョーの腕をぎゅっと掴んでいた。

「ひとりで来てるのか?」
「まさか。旦那と一緒よ」

視線を動かすと、少し離れた所で誰かと談笑している紳士の姿があった。

「ジョー。お嬢ちゃんから離れちゃダメだよ。虎視眈々と狙っている輩がたっくさんいるんだからね」
「ああ。わかってるよ」

そのジョーの顔を見て目を細め、女メカニックはジョーの耳元に唇を寄せた。

「いい?気をつけるのは女性よ。女」
「なぜ?」
「女の方が怖いっていうのは定番なの。だから、彼女が女に囲まれていたら余計に注意すること。わかった?」
「――わかった」

よくわからなかったけれども、ともかく忠告は忠告として心に留めることにした。

 

「はい。ジョー、あーん」
「ん」

言われるままに口を開けて、差し出されたフォークから食べてから気がついた。ここがパーティ会場であり、公衆の面前だったことに。

「なっ、ふ、」
「おいしい?」
「ん、おいしいけど、そっ」
「じゃあ、もうひとくちね。はい。あーん」
「あ、・・・」

流れでもうひとくち貰ってしまう。
ついいつものように。

「フランソワーズ。いいよ、自分でやるから」
「でもフォークはひとつしかないのよ?」

先程女メカニックから受け取った皿には、フォークはひとつしか載っていなかった。

「じゃあ、僕はいいよ」
「ダメよ、お腹空いてるんでしょう?」

有無を言わせないフランソワーズにジョーは肩をすくめた。天然なのか、計算なのかジョーには全くわからないのだ。が、どうやら――フランソワーズの表情を見ると――計算のようだった。

「・・・フランソワーズ?」
「ん、なあに?」

そう言っている間にもジョーに食べさせることはやめない。
ジョーもまた観念して、フランソワーズに食べさせられるに任せていた。

「何があった?」
「えっ?」

何か不安になることがあったのだろう――と、思った。が、それが何なのかはさっぱりわからない。
フランソワーズは一瞬目を見開いて、そしてすぐににっこり笑った。

「別に何にもないわよ?」
「・・・そうかな」

フランソワーズとしては、ついさっきまで周囲に目がいかなくて、だから気付いていなかったのだが、先程の女メカニックのドレスやスタイルを見てわかったのだ。
ここには自分よりもスタイルが良いひとがたくさんいるんだということに。
更には、よくよく周囲を窺うと、ちらちらとジョーを見つめる女性も多い。女性同士で固まって、何やらひそひそとこちらを見ながら話している者もいる。
その、誰もがみんな自分よりナイスバディであることに気付き、少しだけフランソワーズの心は沈んだ。
キャンペーンガールやグリッドガールのみなさんと比べたら、バレリーナであるフランソワーズはどちらかというと細身だし筋肉質であり――要は、出るところが出ていないのに等しいのだった。
ジョーが彼女たちにとられてしまうかもしれない。とは、全く思わなかったけれど、ジョーが男としてそういう目線で彼女たちを見てしまうことは止められない。それが何だか嫌だったのだ。
実際には、ジョーの目にはフランソワーズ以外映っていなかったのだが。

だから、彼女たちへの牽制のつもりもあった。
このひとのカノジョは私なんだから。――と。

でも、こんなのは一時的なものでしかないとフランソワーズにもわかっていた。
何しろ、ここにいるジョーは009ではなく音速の騎士・ワールドチャンピオンなのだから。

 

***

 

関係者各位の挨拶が全て終わったところで、大ホールでは本格的に音楽が奏でられ、そこは即席のダンスホールに早変わりした。
ソシアルダンスを踊れる人が多いので自然とそうなっていた。

曲がワルツに変わったところで、フランソワーズがジョーの袖を引いた。

「ね、ジョー。踊らない?」
「――えっ?」

ジョーは耳を疑った。

「踊りたいの。ジョーと」

フランソワーズがソシアルダンスを踊れるなんて知らなかったが、あるいは彼女はなんでも踊れてしまうのかもしれなかった。が、自分はその方面はからっきしダメだった。
そんなの、フランソワーズは知ってるはずなのに。

「無理だよ」
「あら、どうして?」
「どうして、って・・・僕は踊れないし」
「・・・そうかしら。踊れるでしょう、ワルツは」
「踊れない、って。いったい何を根拠に・・・」

言いかけて、じっと見つめるフランソワーズの目を見た。
からかっているのでもなく、意地悪をしているのでもない。悲しい?と思いかけ、それも違うと否定する。では、彼女の本心はいったい・・・

「踊れるわよね?ワルツなら」

きらりと煌く蒼い瞳。

「えっ、いや、僕は・・・」
「それとも、私とじゃ踊ってくれないの?」
「――え!?」

フランソワーズの声の調子に、ジョーはなんとなくイヤーな予感がしてきた。

「ええと、フランソワーズ?」
「そうよね。私が相手じゃ嫌なのよね」

――ああ、やっぱり・・・

ジョーは内心、がっくりと膝を着いていた。
それはもう、なぜ今頃ソコに引っかかるのかフランソワーズ。と言いたかった。でも言えない。

「相手があのひとなら踊るのにね?」

その意地悪な言い方にジョーはかちんときた。

「わかったよ!さあ踊ろう、いますぐ踊ろう」

そう言ってフランソワーズの肘を掴み、フロアに出た。
周囲からざわめきがあがる。
それを全く意に介さず、ジョーはフランソワーズの背に腕を回した。

数年前。
ジョーが「あのひと」とダンスをするために、ワルツをマスターしていたことをフランソワーズは知っていた。
そして、ふたりがそれを踊ったことも。

ワルツは、社交ダンスとしては相手と密着する度合いが高い。だから、昔から、親密な会話をするために踊られることも多かった。

フランソワーズはジョーと「あのひと」の踊る姿を実際にその場で見たわけではなかったが、視てはいたのだ。彼女と踊るためなら、苦手なものも練習する彼を知って胸を痛めた。
以降、その話はせずにきていたけれど。

先日、パーティの招待状にそれらしき記載があり――ジョーは招待状を読まなかったので知らなかったのだが――フランソワーズは内心、絶対ジョーと踊ると決めていたのだった。
だから、ドレスも回転すると裾がふんわり広がって、でも足に纏わりつかないデザインを選んだ。

ジョーがダンス。と聞くと、いつもなら大笑いするネタではあった。が、それでも、実は彼は踊れるということを知っていただけに、フランソワーズは笑いながらも心の奥では悲しかった。
だから、今回のこの機会を逃したくはなかった。

「――ジョー、踊るの上手ね」
「えっ?なに?聞こえないよ」

小さくポツリと言ったフランソワーズの声を聞こうと、ジョーが彼女の唇に耳を寄せる。

「ううん。何でもない」
「フランソワーズ?」

いったい、どうして急に――と、思ったものの、内容が内容だけにほじくり返したくはなかった。
急に沈んだ様子のフランソワーズ。
けれどもジョーの唇には淡く笑みが浮かんでいた。

――全く。はしゃいだり、怒ったり、おとなしくなったり・・・忙しいなぁ。
それに。
もう随分と昔の話なのに、未だにヤキモチを妬いてくれるのが嬉しかった。単純に嬉しがっていい話ではないのはわかっていたけれど。でも、ジョーの中ではとうに昔の話だったのだ。

――可愛いな。

「フランソワーズ」
「・・・」

フランソワーズはダンスに集中しているフリをして答えない。

「――この曲が終わったら、抜けよう」
「えっ?」
「もういいよ。やっぱり僕はふたりがいい」
「でもっ・・・」
「こんなに人がいるんだから、僕たちがいなくなったって誰も気付かないさ」
「そんなことないと思うケド」

だって、あなたはワールドチャンピオンなのよ?

目は口ほどにものを言う。の、ことわざ通りのフランソワーズの視線を受けてジョーは苦笑した。

「もうシーズンオフだから、いいだろ。僕はただの――」

曲が終わりに近付く。

「――ただの、」

ジョーが何か決め台詞を言おうとした時、フランソワーズの声に台詞をひったくられた。

「ただの、私のカレシだわっ」

曲が終わってしーんとしたフロアに、フランソワーズのその声はとてもよく通った。
一瞬の静寂。
そのあとに、どっと拍手が沸いた。
この瞬間、今日の主役はフランソワーズに決定した。

「やだ、もうっ」
知らないっ。と顔を真っ赤にしてジョーの腕のなかに逃げ込む。

ジョーはフランソワーズを抱き締め、そのまま守るようにフロアを横切って――そして、ホールを出た途端に彼女を抱き上げ、加速装置を噛んでいた。

 

 

***

 

同日深夜。

「あのドレス、気に入ってたのに!ジョーのばか!」

フランソワーズが焼失したドレスに気付いたのは随分経ってからだったのだが、ジョーはそこを指摘するのは慎ましく控えた。そうしないと、彼女が更に暴れるのは必至だったからだ。
暴れて、無駄に体力を消耗してもらっては困る。
もう夜もかなり遅かったけれど、ジョーとしては眠るのにはまだちょこっと早かったからだ。

「綺麗だったのに!一点ものだったのに!」
「・・・別にいいじゃないか。一回着たんだし」
「でも」
「――いいよ。僕はあのドレス好きじゃなかったから」
「えっ!?」

途端に心配そうな顔をしてジョーの胸の上に身体を起こし、見つめるフランソワーズ。

「そんなの、全然知らなかったわ」
「うん。言わなかったから」
「言ってくれればよかったのに」
「何て?」
「そのドレスは好きじゃない、って」
「うん。そうだね。あのドレスを着るとフランソワーズしか見えなくなって困るから、好きじゃない」

実際、落ち着かないこと甚だしかった。
いったい今日、何人の男が彼女の姿に釘付けになっただろう?
そう思うと今でもかなり落ち着かない。

「もうっ・・・何よそれ」
「ほんとだよ?」

真剣に見つめる褐色の瞳に、フランソワーズは頬を染めてうつむいた。
そのままジョーの胸に頬を押し当てる。

「――それに、もしドレスがあってもしばらくは着られなかったよ」
「え?どうして?」
「んっ?――秘密だ」
「なによ、もうっ・・・」

ジョーにぴったりと寄り添っているフランソワーズの肩甲骨のあたりには、さっきジョーがつけたばかりの痕があった。が、彼女はまだ気付いていない。
ジョーは、頭のなかにあのドレスを思い浮かべ――あとドコに痕を残せば着られないかなと考えていた。

 

後日、フランソワーズに痕をつけた場所を教えなかったばっかりに、こっぴどく叱られることになるのをこの時のジョーはまだ知らない。