「消失!」
「消えたんだ!!これは由々しき事態であるっ」 赤いマフラーを翻し、白銀の防護服に身を包んだ黒い髪・黒い瞳の正義の人。 「まあ、落ち着けナイン」 フンっと鼻を鳴らしたが、立ち上がっているのが自分ひとりであることに今さらながら気付くと大人しく着席した。 「そのうち帰ってくるんじゃないかなあ。きっと買い物に行ってるだけだよ」 のんびり言うのは原作ジョーである。頬杖をついて漫画雑誌をめくっている。 「よくもそんなのんびりしていられるな?ああ?君は学習というものをしないのか」 あくまでも雑誌から目を離さずのんびり言っている――が、その瞳の奥に危険な光が宿っていることに気付かぬ者はいない。彼女が窮地に陥ったときの彼がどうなるのかはここにいる全員が知っている。彼がいまこうしてのんびりと雑誌を読んでいる…ように見えているのも見せかけにすぎないのだということも。 「あんまりヤツを煽るな、ナイン」 やや冷えた空気を元に戻そうとするが如く苦笑しながら声をかけたのは超銀ジョーであった。 「少なからず落ち込んでいる奴もいるんだし」 目で示したのは、椅子の上で膝を抱えている者と放心したように虚空を見つめている者二名。 「……僕のどこがいけなかったんだ……」 どちらも傍からみれば「アブナイ」領域の人物にしか見えない。 「全く。新ゼロジョーもREジョーも彼女がいないと何にもできないんだもんなあ」 呆れるよ全くとさわやかに笑った超銀ジョーに、だったら君はどうなんだいと声をかけてきたのは平ゼロジョーである。 「うん?いやあ、だってさ。たまにはホットケーキじゃなくてパンケーキが食べたいって言っただけなんだよ?そんなことで出て行くわけないだろう?」 なおも言い募ろうとした平ゼロジョーであるが、ここでナインが再び起立した。 「諸君。ここで各々どんなことが起こったのか明らかにしていくべきだと思う」 一同が注目しているのを確認し、ナインは言葉を継ぐ。 「フランソワーズがいかにして僕らの前から消えたのかを」
―1―
その名は
「落ち着けだと!?僕は極めて冷静だッ」
「学習?何の」
「自分の過去を振り返ってみたまえ。買い物と称して外出した彼女がどんな目に遭ってきたのか忘れたわけではあるまい」
「――うるさいなあ」
「君はどこかで今も僕を見ているんだろう?」
「え、いったい何の話?」
「だから、彼女の失踪の理由としては甘いだろって話」
「――もっと別の理由を検討してみるべきだと思う。僕なんか、朝起きたら…消えてたんだ。腕の中から」
「ははは。それは夜に原因があるんだろ。ほら、君…ちょっとその辺甘いから」
「は?僕だって日々進歩してるしそれは彼女だって――いや、だからそうじゃなくて。僕の場合は」
「酷いのよ。ジョーはホットケーキが好きだから、だったら人気のお店みたいにメレンゲをホイップしたふわふわのを作ってみようと思って頑張ったのに。ふわふわのホットケーキを前にして、今日はパンケーキが良かったななんてしれっと言ったのよ!」 それは酷いわ、酷いわね――と全員の同情が超銀フランソワーズに集まった。 「私は今朝それを聞いて、ちょっと買い物に行ってくるわねと言って出てきたの」 と原作フランソワーズ。 「私は洗濯物を干している途中だったけど、それを聞いてここに来たの。もちろん、誰にも何も言ってないわ」 新ゼロフランソワーズもにっこり笑って言った。 「二人ともそんな風に出てきて大丈夫なの?ジョーが心配するんじゃ…」 しれっと異なる返事をした二人は顔を見合わせ、うふふと笑い合った。質問したスリーのほうが気を揉む。 「大丈夫よって、原作ジョーはパニックになると怖いんじゃ…」 気の強い平ゼロフランソワーズが振り返る。はいはい…と全員が静かになったところで、 「見える?」 と傍らのREフランソワーズにそっと尋ねる。 「ええ。バッチリよ。いま、まさに捜査会議が開かれているところ」 わあ、やっぱりねと背後できゃっきゃしているのを聞き流し、REフランソワーズはモニターを続けた。 「…もう。ジョーったらもうちょっとしゃんとしないかしら」 小さく呟く。 「またトモエが見えるとか言ったらただじゃおかないんだから」 平成組は顔を見合わせ、肩を竦めた。 「だって離してくれないんだもの、ジョーったら」 やや自慢大会のように言い合うところへ、のんびりと声がかかった。 「子供ねえ。ジョーが離してくれないのなんて、当たり前のことでしょう?彼はゼロゼロナインなのよ?」 原作フランソワーズのひとことに全員がなんだか納得してしまったのだった。
―2―
「あら、大丈夫よ」
「するでしょうね」
「なればね。でも今回はそんなんじゃないし、いないことにも気付いてないんじゃないかしら」
「そうかしら…それに新ゼロフランソワーズ。そちらはもっと大変なのでは」
「そうね。今頃膝を抱えてメソメソしてるわね」
「だったら」
「うふふ。私、そんな風に膝を抱えてメソメソしている彼が好きなの」
「あ…そ、そう…」
「そういうスリーはどうなの?」
「そうよ。どうやって姿を消してみせたの?」
「あなたの方こそ熱血ナインがいるでしょう。今頃大捜索会議が開かれてるかもよ」
「私は…そういう企画だって聞いたから、ナインがコーヒーを飲んでいる間に出てきたわ」
「ほら。絶対捜索隊がやってくるわよ」
「熱血くんだもんね」
「ちょっとみんな静かにして」
「ね。平ゼロジョーはどうしてるかわかる?」
「平ゼロくん?…ちょっと待って。――あ。なんか超銀ジョーとケンカしてるわ。夜がどうのこうのって。アナタ、いったいどんな状況で姿を消したの?」
「え!?…ん、まあ…彼の腕の中からそうっと抜けてきただけだけど」
「はあ?それは驚くでしょう。目が覚めたらいない、ってサイアクよ?」
「そういうアナタはどうなのよ?」
「私?私は…ん、まあ、似たような感じ?」
「そうなのよね。離してくれないのよ、ジョーってば」
<原作ジョーの場合> それはいつも通りの朝のはずだった。 「お砂糖が切れちゃったんだわ」 朝ごはんは和食だった。砂糖なんて使ったかな…?と内心首を捻るジョーを置いて、フランソワーズは車のキーを手に取った。 「ちょっと行ってくるわね」 珍しく腰を浮かしたジョーに 「あら、今日はどういう風のふきまわし?やあよ、急に雨が降ったら困るもの。私ひとりで行ってくるわ」 そんなこんなで、車のキーとお財布だけを手にするという至って軽装でフランソワーズは出かけたのだった。 『フランソワーズがいないよ?』 慌てたジョーがイワンを放り出し――もちろん彼は自力で浮いているので問題ないが不機嫌にはなった――邸を飛び出し、ほどなく車を発見したが、当然ながら中には誰もいなかった。 「――クソっ」 嫌な記憶が頭をよぎる。 ――さらわれたのか? ** 「…と、いうわけだ」 相変わらず頬杖をついたまま漫画雑誌を繰る原作ジョーに、 「貴様、そんな状況でよくのんびりしていられるなっ。どう考えても事件に巻き込まれたに決まってる」 ないだろっと続けようとしたナインだったが、ふと気圧されたように言葉に詰まった。 何に気圧されたのか。 のんびり雑誌を繰っているだけの原作ジョー。だが、その彼の醸し出す空気は尋常ではなかった。 ** 「朝ごはんでお砂糖?和食よね?」 きょとんとするスリーに原作フランソワーズは片目をつむってみせた。 「ジョーは甘い卵焼きじゃないと食べてくれないのよ。ちょうど使い切っちゃったの。迂闊だったわ、ストックもなかったなんて」 いや、そういう問題じゃないのでは…と全員が思ったが、にこにこお茶を飲んでいる彼女に意見できる者はいなかった。 「まあ、企画が「9が3を探す」っていうのだから、探して貰いましょ」
―3―
朝食後の片付けを終えてエプロンを外しながら、フランソワーズが「あ、」と何かを思い出したかのように立ち止まった。
「ん?」
「今日の朝ごはんで使い切っちゃったのよ」
「…ふうん…?」
「え?今?夕方でもいいんじゃ」
「駄目。午後になると暑いもん」
「まあ、確かに。――あ、じゃあ僕が運転」
「酷いなあ。僕は君の運転のほうが」
「ジョーォ?」
「――なんでもありません」
商店街まで車で行けば往復でも30分以内には戻る距離である。だからすぐに帰ってくるだろうとジョーは思っていた。
が。しかし。
お昼近くになってもフランソワーズは戻って来なかった。
それでもジョーは、商店街で誰かとお喋りしてるんだろうと楽観視していた。しょうがないなあと洗濯物を干し、イワンにミルクを飲ませた。そのイワンを肩に抱いてげっぷさせている時だった。
「買い物に行ったんだよ。どこかでお茶でもしてるんだろ」
『そうじゃなくて、車が乗り捨てられている。すぐそこで』
「――は?」
「――うるさいなあ。買い物に行くって言ってたからそうなんだよ。じきに帰ってくるさ」
「そんなわけ」
彼は――そう、静かに怒っているに違いなかった。フランソワーズをかどわかした誰かに対して。
「あら、うちも甘いのじゃないと駄目なのよ。どうしてかしらねえ」
「味覚が子供なのよ」
「ふふ、そこが可愛いんじゃない」
「ナインは何でも食べてくれるけど…」
「はいはい、ごちそうさま」
「ねえ、でもそんな状況ってまずくない?絶対、心配しているわよ」
「そうねえ…でも、買い物に行ってくるって言ったから」
原作フランソワーズはこの中でのリーダー格なのである。
<平ゼロジョーの場合> ぐったりして既に眠りそうなフランソワーズを腕の中に抱き締めながら、今日はどうだったのかなとジョーは秘かに考えていた。以前、一緒にいくとい目標を立てた。そして既にそれは達成された…と、自分では思っている。が、果たしてそれが彼女の優しい演技ではないと言い切れないのがもどかしい。確かめるだけの自信もないし術もない。 「もうだめ……」 フランソワーズがうとうとがっくんとなったのでやっと終わりになったという何ともすっきりしない終わり方。 ――まあ、いいか。ほっぺが赤いし、フランソワーズ可愛かったし。 先程までの彼女を思い出すと自然に頬が緩んでくる。 でも。 どうやって? 自分はフランソワーズを「抱き締めて」眠っていたのだ。 僕に何も言わないで消える? それは有り得なかった。有り得ない事態だった。あってはならない事だった。 ――さらわれたんだっ。 しかも、 ――何にも着ないでっ…! 床に散らばったままの彼女の衣類を呆然と見つめていた。 ** 「……と、いうわけなんだ」 悔しさを顔に滲ませながら言う平ゼロジョー。しかし、 「ふうん。でもそれってやっぱり何か君に問題があったんじゃないのかなあ」 返って来た答えは冷たかった。 「だ、だからって!何にも着ないで消えるなんて…っ」 違う。そんなわけない。そんなわけ…… あるのか?フランソワーズ。 ** 「えーっ、そうっと抜けてきちゃったの?」 幾度も失敗しているREフランソワーズが尊敬のマナザシで平ゼロフランソワーズを見た。 「だって。このままいたら、絶対おはようってその後にも…」 不安そうに訊いたのはスリーだった。 「いやってわけじゃ。でも…」 超銀フランソワーズの声にびくりと肩が揺れる。 「ジョーとくっついているのは好きよ。でもちょっと疲れちゃったし」 周りの目もあるしねと小さく言った彼女にうんうんと頷いたのは新ゼロフランソワーズだった。 「でもちょっと甘やかしすぎよね?平ゼロフランソワーズは」 言えるでしょ? 言えないわね。 胸中、ふたつに分かれたけれどそれは声にならずに終わった。
―4―
だからやっぱり回数に頼るしかないジョーだった。そして、回数に頼った結果、
それでも満足してくれたかな?と顔を覗きこむと既に眠り込んでいて、ジョーは小さく息を吐いた。
さてじゃあ自分も眠ろうと改めて彼女の髪にキスをして抱き締めたまま目をつむった。
そう。しっかり抱き締めていたはずなのに。
いない!?
陽射しがカーテンから透けてみえる明るさだったから、いないことに気がつかないほうがおかしい。否、それを言うなら腕のなかの重みが消えていたことになぜ気付かなかったのか?
ジョーはただ呆然と腕のなかを見つめていた。
それを言うなら、彼女の温もりも既に感じられず――ということは、けっこう前に彼女はここから消えたのだ。
もちろん、眠りに応じて少しずつ腕は緩んでいたに違いないし、そんなにぎゅうぎゅうに抱き締めたら彼女も苦しかろうと普段よりも緩めに抱いていた。だから、彼女がその気なら腕から抜け出すくらいは難しくなかっただろう。けれど。
だから。
「普通に自分の部屋に帰ったんだろ」
「同居してるんだし、彼女の部屋もあるんだよね?」
「う…まあ、そう…だけど」
「ホラ。やっぱり君に問題が」
「うんまあ」
「よくジョーの腕から抜けられたわね」
「そうよ。相手はゼロゼロナインよ?事後だっていったって、そうそう簡単に抜けられはしないわ」
「ま」
「ふふ、若いわねえ」
「いやなの?」
「そうよねえ。大体、朝っていってもお昼に近かったんじゃないの?」
「そうかしら」
「全部彼の思うように応じていたら身体がもたないわ。ここまで、ってちゃんと言わないと駄目」
「でも……言える?ゼロゼロナインに」
<超銀ジョーの場合> しゃかしゃかしゃかしゃかしゃか 「うるさいなあ…」 しかもカーテンは全て開けてあり物凄く眩しい。目が開かない。 「――んだよっ」 まだ眠ってから二時間くらいしか経ってないじゃないか…っ! 全然起きる時間ではない。大体、フランソワーズはどこに行った。見回してもそこには誰もいないし、あるのは脱ぎ散らかした自分の服だけだった。だからフランソワーズは既に起きているのだろう。きちんと服を着て。 「まさかっ」 もうフランスに帰るつもりなのかっ? 「フランソワーズっ」 フランソワーズはキッチンにいた。それもこの上なく――ここにしばらくいますよという格好で。 「今ね、ホットケーキを作っているところなの。メレンゲにしてさっくり混ぜるとお店みたいにふわってなって」 しゃかしゃかしゃかとボールをかき混ぜる。異音の正体はこれであった。 「パンツくらい穿いたら?」 とけろっと言われ、何だか妙にかちんときてしまったのだった。 「――僕はホットケーキよりパンケーキがいいな」 フランソワーズはがしゃんとボールを置くと手早くエプロンを外した。 「カフェに並ばなくても食べられるわよって言ったら、ほんと?凄いねって言ったくせにっ」 途端。 そう、思っていたのに。 フランソワーズは全く姿を見せなかったのだった。 ** 「そ。それはやっぱり君が悪いと思うよ?」 超銀ジョーの話を聞いた一同は凍りついた。これでよくも僕は悪くないなどと言えたものだと思いながら。 「そうかな?」 しかし超銀ジョーに危機感は全くなかった。ふふっと笑うと 「全く。フランソワーズって体力あるよね」 ** 「ホイップするの大変だったのよ?それに半分はもう焼きあがっていて、ジョーの目の前にふわっふわのホットケーキがあったのに。それを見もしないで、僕はパンケーキが良かったなんて酷すぎると思わない?」 しかし、こちらも何故か全員の反応は薄かった。 「ちょっと…超銀ジョーにも同情の余地があるような…」 さも当然のように言われ、一同はああ…さすが超銀フランソワーズとしかいえなくなってしまった。 「これで探しに来るかしら?」 当然のような新ゼロフランソワーズの問いに全員が頷いた。 「探す理由としては甘くない?」 超銀フランソワーズは口許を緩めた。 「あのひと、いくじなしだから」
―5―
――?
遠くから何やら異音が聞こえてくる。
最初は無視していたものの、それは止んだと思ったらまた続き、かと思うとまた止んで…を繰り返しており、ジョーの眠りを妨げた。強引に眠りの淵から引き起こされ、ジョーは不機嫌の極みだった。髪をかきあげ、むっつりと身体を起こし――フランソワーズの姿がないことにもイライラしながら――顔をしかめた。
全く朝からうるさい。大体、フランソワーズの声以外の音で無理矢理起こされるのなど不本意以外のなにものでもない。
眠いのと眩しいのとうるさいのとで、ジョーの寝起きは最悪だった。唸りながらベッドから這い出し、傍らの時計が目に入ったので時間をみると朝の7時だった。
しかし。眠ってから二時間のはずである。ふつうに考えれば彼女だってまだ眠いはずだ。なのに起きている。と、いうことは。
「まあ、ジョー、どうしたの?」
ジョーはほっとするやら、何でこんなに早く起きてるんだと驚くやら、音がうるさいとイラっとするやら様々な感情が混じり合い眠気や倦怠感が身体を襲い、なんだかがっくりと脱力しかけた――ところへ、
「え?」
「聞こえなかった?ホットケーキみたいな甘いのは朝から食べたくないんだよ」
「え、でも大好物でしょ?」
「――今日はパンケーキが食べたいんだっ」
「だってもう作ってるのに」
「うるさいっ」
「――何よそれ」
「そんなこと言ったかな?」
「昨夜のことでしょう?もう忘れたの?」
「知らないな」
フランソワーズはふいっとキッチンを出て行って――それっきり、消えてしまったのだった。
それでも。
ジョーはすぐに帰ってくるさと楽観視していた。
何故なら、こういう他愛のないケンカは今に始まったことではないし、過去の経験と照らし合わせて考えると、そのうち「ちょうど切れてたからメープルシロップ買ってきちゃったわ」とか言って戻ってくるのだ。そして自分はごめんなさいの代わりにホットケーキを食べればいい。それで仲直りだ。
「ねえ」
「えっ?どうしてよ」
「だって、二時間しか眠ってないんでしょう?それをホイップの音で起こされるのって」
「それにどうしてアナタ、眠くなかったの?」
「え。だって、ジョーの好きなものを食べさせてあげたいじゃない?」
「それ…眠気に勝ったの?」
「勝ったわよ?」
何ていうか、これにつき合わされている私たちってもしかしてただのおひとよし?
「あら、大丈夫よ」