公演は地方公演だった。
邸から遠く離れた地、広島で計3回行われることになっている。

それを話した時、グレートは本当に残念そうに言ったものだった。

「近くならなぁ絶対に観に行くのに」

広島までは、さすがに来られるはずもない。
そういう訳で、仲間は誰も観に来ない公演となったのだった。

――子供じゃないんだから。

送り出される時の、みんなの心配そうな顔を思い出す。

・・・誰も観に来てくれないからって泣いたりしないわよ。

軽く頬を膨らませる。

大体、バレエ団のみんなだって――家族がこんな遠くまで来たりなんてしてないし。

それに。
チケットは3日分とも完売なのだった。

観に来てくださる人のために、私は精一杯踊るだけよ。
――頑張るから。

携帯の画面を見つめ、ちょっと微笑むと電源を落としバッグにしまう。
そうして控え室を後にした。

今日は最終日。

 



少女漫画的ゼロナイより 「約束」 

 

 

帰りの新幹線では散々な目にあった。
何しろ、

「バラの花束っ」
「目の前でキスっ???」

きゃーーー。と、車内の他の乗客から苦情がこないのがおかしいくらいの騒ぎよう。
それもこれも、全てフランソワーズが大事に大事に抱えているバラの花束のせいだった。

「それ、上にあげちゃえばいいのに」
「いいの」
「こっちの足元に置こうか?」
「大丈夫」

ことごとく丁重にお断わりして、ずうっと大切に抱えている。

「でも、手が疲れるでしょ?」
「平気」
「お茶も飲めないじゃない。大体、フランソワーズ、前が見えてるの?」
「うん」
「お弁当食べるときくらい置けばいいのに」
「イヤ」

周囲が気を遣っているのは、それは「花束」というのにはあまりにも非常識な量の花であり、持っているのも大変だろうという大きさのせいだった。
が、フランソワーズは全く意に介さず、絶対に離さない。

「でも、そんなにずっと持ってたら、体温であったまって萎れちゃうんじゃない?」

からかいついでに言ってみたら

「えっ!?」

と絶句し、みるみる瞳に涙がたまってきたので――

「ああ、ゴメン、うそうそ。嘘だってば、大丈夫よフランソワーズ」

すぐに白旗をあげてしまうのだった。

「――全く。そんなに心配なら、時々水に漬けてあげたほうがいいんじゃない?」
「洗面所あるから、行ってくれば?」
「――ん。そうする」

そう言ってデッキに向かうフランソワーズの後ろ姿を見つめ、ほぼ全員が深い深いため息をついた。

「――まったく。おちおちからかってもいられないわよ。すぐ泣くんだから」
「意地悪言うからでしょ?」
「だってさー・・・花束持ってやって来て、キスして帰っちゃうなんて・・・アナタ何者っ?て話よ」
「いいじゃない。フランソワーズはそれでいいみたいだし」
「だけど、だったら舞台も見ていけって話」
「んー・・・まぁ、ね。でも色々と事情があるんじゃないの。――あ、ちょっと」

横を通り過ぎようとしたフランソワーズのペアである彼を席に引っ張り込む。

「なに?」
「生ちゅー見たんでしょ?」
「そんなビールみたいに言わなくても」
「どうだった?」
「どう、って・・・別に。普通」
「普通??だったらアンタもそういうことするの?」
「え。しない――と思う・・・けど」
「やっぱりこう、熱烈な――」

ばさっと目の前をバラの花に遮られ、二の句が継げなくなる。

「お待たせ。・・・なんの話?」
「フランソワーズの生ちゅーの話」
「・・・ふぅん?」

その間に捕虜となっていた彼はさっさと逃げ出した。

席についたフランソワーズは、再び膝の上に花を置いて嬉しそうに覗き込んでいる。

「――そんなに見てて、飽きないの?」
「うん。飽きないわよ?」

あ、そ。と小さく呟いてから改めて訊く。

「で、熱烈なちゅーをしたっていうじゃない」
「してないわよ」
「そんな照れなくても」
「だって、全然――」
熱烈なちゅーなんかじゃなかったもの。ちょこ、っと唇が触れただけで、全然本気じゃないキスで、敢えて言えば、お疲れ様、とか、おやすみ、みたいな挨拶のキスで、大体ジョーが本気を出したらあんなもんじゃないし、それに

「――フランソワーズ?」

目の前に手をひらひらされて我に返った。

「・・・まったく。まぁいいわ。ずーっとそうゆう顔してなさい」

そうゆう顔、って・・・??
窓に映る自分の顔を見つめる。ちょうどトンネルに入ったので、それはまるで鏡のようで。

――やだわ、もうっ

そこには嬉しそうに笑っている自分がいた。

 

***

 

「ただいまー」

「お帰り」

声とともに覗いた顔を見つめ、玄関先に呆然と立ち尽くした。

「うそ・・・なんで?」
「調整が予定より早く終わったから、ちょっと戻った」
「聞いてないわ」
「うん、さっき帰ったばかりだから。――フランソワーズ?」

「・・・・ジョー・・・・っ」

さっきまでそれはもう大事に抱えていたバラの花束をあっさり放り出し、そのままジョーの胸に飛び込んだ。

「――わっ」
「ジョー、ジョー、ジョーっ」
「フランソワーズ、土足っ・・・」
「ジョーっ」
「靴、履いたままっ」

聞く耳持たない。ので、仕方なく抱き上げた。後で掃除するのは、多分自分だよなーと思いながら。

「フランソワーズ、わかったから。――荷物は?」
「ジョーっ」

会話にならない。
自分の首筋にかじりついてくるフランソワーズを持て余しながら、リビングに向かう。

「・・・なんで僕の名前しか言わないの」
「だって、ずーっと呼べなかったんだもんっ」
「・・・なるほど」

リビングに入ると、ヤレヤレと言いたげなピュンマとジェロニモが目に入った。

「――お姫様の帰宅ってわけね」

その声のした方をちらりと見つめる蒼い瞳。
・・・無言の圧力。
ピュンマとジェロニモは一瞬身震いし、そーっと部屋をでることにした。

「あれっ?一緒にお茶でも飲もうって・・・」
「ジョーよ。俺達に構うな」
「そうそう。お姫様に呪い殺されたくないからね」
「?」

蒼い瞳の目力は絶大な効果があるのだった。つまり

――邪魔しないでね、いい?邪魔したらその時は・・・・

既に、玄関に放置されたバラの花束の存在などどーでも良くなっているのだった。

当たり前でしょ?バラの花よりそれを贈ってくれた人のほうがずーっとずーーーっと大事だもん。
ねっ?ジョー。

とはいえ。
後で可哀想な目にあった花束を見つめ、フランソワーズが泣くことは明らかだったので・・・
離れたくないと駄々をこねる彼女をソファに座らせ、脱がせた靴を持って玄関に行き、花束を救出したジョーなのだった。

 


 

 

「――フランソワーズ、ちょっといいかな?」

少し開いたドアの隙間からジョーの瞳が見えた。

「ええ。いいわよ。どうぞ」

ドアを大きく開け、入ってきたジョーは微かに眉間に皺を寄せた。

「・・・なに、コレ」
「何って、見ての通りよ?」

バラの花だった。
フランソワーズの部屋のあらゆるところに置かれている大量の。
そして充満する、花の香り。
よく花瓶が足りたねと言おうとしてやめる。そんな事を言おうものなら、どうやってこれらの花瓶を調達したのかを彼女は嬉々として語るのに決まっている。そうなると「長い」ことを経験上熟知しているのだった。

「どうしたの?」
「え、あ、ウン。――明日、発つから」
「あ。そうだったわね」

そう言いつつも、どこか上の空。
明日出発したら、またしばらくは離れ離れなのに何とも淡白なフランソワーズに、ジョーは少し拍子抜けした。
だって昼間はあんなに――離れなかったのに。
帰宅するなりジョーに飛びつき、離れなかった彼女の代わりに、いまここにあるバラの花束――元々は彼が彼女に贈ったものだった――を洗面所に持って行って水に漬け、その合間に玄関の掃除(フランソワーズが土足のまま上がったため汚れてしまった箇所)をしたのは彼だった。
そんな熱烈な彼女だったのに、夕食後の今は落ち着いたのか妙に静かだった。

「・・・フランソワーズ?」

バラに埋もれたこの部屋で、いったいフランソワーズは何をしてたのだろうか。
夕食後、後片付けをかって出たジェロニモに全てを任せ、早々に部屋へ引き上げたフランソワーズ。
ずうっと篭りっきりで顔を見せなかった。
待てど暮らせど部屋に来ないフランソワーズにしびれを切らし、とうとう自分からこちらに来てしまったのだった。すっかり敗北気分のジョー。しかも、こちらに来ても別に嬉しそうでもなんでもないいつもの彼女の様子に更に落ち込む。

明日発つ、って言ってあったよな?

「なぁに?――あ、適当に座ってて」

適当に。と、言われても。
あらゆるところにバラが置いてあって、うっかりすると倒しそうである。
ともかく、空いているスペースを抜けて何とかベッドの隅に腰掛けるのに成功する。

間。

先程からフランソワーズは何やら広げてじっと見入っている。

「・・・何見てるの」
「うん・・・雑誌とか」
「――ふーん」

フランソワーズを見ているのは楽しいけれども、同じ部屋にふたりっきりでいるのにこちらに全く関心を示さない彼女というのは寂しかった。
かといって、手を伸ばして触れるのもためらわれた。なんとなく。
どうしたものかと思っていると、フランソワーズがひょいと顔を上げた。そうして、そのまま手に雑誌を持ったままトコトコとジョーのそばにやって来て――隣に座った。ジョーの膝の上に雑誌を広げる。

「あのね。・・・もうすぐバレエのお友達のお誕生日なの」
「・・・へぇ」
「何かプレゼントしたいんだけど、何がいいのか・・・迷ってるの」
「――その、お友達、って」

コホン、と咳払い。

「・・・男?」

「・・・・・・・・・・えっ?」

雑誌の記事を読んでいたフランソワーズは、一瞬返事が遅れた。

「・・・やっぱりな。仲良さそうだったし」
「・・・まぁ、仲はいいけど。でも彼のお誕生日はまだ先だから」
「あ、そ」

なんとも素っ気無いジョーの態度に、ちょっと頬を膨らませる。

「――なんなの?なんかヤーな感じよ?ジョー」
「そう?いつもこんな感じだよ俺は」
「何怒ってるのよ」
「怒ってないよ」
「うそ。怒ってるじゃない。・・・ちょっとこっち向いて」
「――フン」

顔をそむけるジョーを呆れたように見つめ――

「・・・妬いてるんだ?」
「別に」
「だから怒ってるんだ?」
「違うよ」
「――やっぱり」
「何が」
「妬いたから、わざと彼の前でキスしたんでしょ」
「そんなつもりじゃ――」

言いつつ、微かに頬が赤く染まってゆく。

「――もう。・・・困ったひとね」

そっとジョーの前髪に触れる。

「違うわよ。お友達っていうのは女の子」
「・・・ふーん」
「安心した?」
「・・・別に」
「どうでもいい?」
「そうは言ってないよ」
「そうよね、ジョーは興味ないわよねこんな話」
「そんな事言ってないだろ」
「じゃあどうして怒ってるの?」
「関係ない」
「ないわけないでしょ?」

それでもジョーはそっぽ向いたまま答えない。
小さくやれやれと呟くと、フランソワーズは腕組みしている彼の腕にそっと触れた。

「・・・寂しかった?」
「何が」
「ジョーのこと放ったらかしにしてたから」

途端、ジョーは自分の腕に触れていたフランソワーズの手を払いのけた。

「ちがっ・・・」
「違くないでしょ?もう。――甘えんぼね、ジョーは」

どっちがだよ。というジョーの抗議は受け容れられなかった。
その代わり、頬にキスを貰った。