古典篇(その八)

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<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その三)> ー景行天皇から允恭天皇までー

 

  目 次

[212景行天皇]

 212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊212B1纏向(マキムク)の日代(ヒシロ)宮212B2泳(ククリ)宮212B3高屋(タカヤ)宮212B4高田(タカタ)行宮212B5綺(カニハタ)宮212B6高穴穂(タカアナホ)宮212C1活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊212C2日葉酢(ヒバス)媛命212D1譽津別(ホムツワケ)命から212D15石衝(イハツク)毘売命(布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命)まで212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛212E3水歯郎媛(ミヅハノイラツメ)212E4五十河(イカハ)媛212E5高田(タカタ)媛212E6日向髪長大田根(ヒムカノカミナガオホタネ)212E7襲武(ソノタケ)媛212E8御刀(ミハカシ)媛212E9伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)212E10訶具漏(カグロ)比売212F1櫛角別(クシツヌワケ)王212F2大碓(オホウス)命212F3小碓(ヲウス)命212F4稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子212F5神櫛(カムクシ)王212F6稚足彦(ワカタラシヒコ)尊212F7五百城入(イホキイリ)彦皇子212F8忍之別(オシノワケ)皇子212F9稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子212F10大酢別(オホスワケ)皇子212F11渟熨斗(ヌノシ)皇女212F12渟名城(ヌナキ)皇女212F13五百城入(イホキイリ)姫皇女212F14鹿依(カゴヨリ)姫皇女212F15五十狭城入(イサキイリ)彦皇子212F16吉備兄(キビノエ)彦皇子212F17高城入(タカキイリ)姫皇女212F18弟(オト)姫皇女212F19五百野(イホノ)皇女212F20稲背入(イナセノイリ)彦皇子212F21武國凝別(タケクニコリワケ)皇子212F22日向襲津(ヒムカノソツ)彦皇子212F23國乳別(クニチワケ)皇子212F24國背別(クニソワケ)皇子212F25豊戸別(トヨトワケ)皇子212F26真若(マワカ)王212F27日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)王212F28大枝(オホエ)王212G山邊道上(ヤマノヘノミチノヘ)陵212H1屋主忍男武雄心(ヤヌシオシヲタケゴコロ)命212H2神夏磯(カムナツソ)媛212H3速津(ハヤツ)媛212H4熊襲梟師(クマソタケル)212H5川上梟師(カハカミノタケル)212H6弟橘(オトタチバナ)比売命212H7美夜受(ミヤズ)比売命212H8御諸別(ミモロワケ)王  

[213成務天皇]

 213A稚足彦(ワカタラシヒコ)尊213B高穴穂(タカアナホ)宮213C1大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊213C2八坂入(ヤサカノイリ)媛命213D1櫛角別(クシツヌワケ)王から213D28大枝(オホエ)王まで213E弟財郎女(オトタカラノイラツメ)213F和訶奴氣(ワカヌケ)王213G狭城盾列(サキノタタナミ)陵213H武内(タケシウチ)宿禰  

[214仲哀天皇]  

 214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊214B1笥飯(ケヒ)宮214B2徳勒津(トコロツ)宮214B3穴門豊浦(アナトノトユラ)宮214B4橿日(カシヒ)宮214C1日本武(ヤマトタケル)尊214C2両道入(フタヂノイリ)姫命214D1稲依別(イナヨリワケ)王214D2布忍入(ヌノシイリ)姫命214D3稚武(ワカタケ)王214D4稚武彦(ワカタケヒコ)王214D5武卵(タケカヒゴ)王214D6十城別(トヲキワケ)王214D7足鏡別(アシカガミワケ)王(蘆髪蒲見別(アシカミノカマミワケ)王)214D8息長田別(オキナガタワケ)王214E1大中(オホナカツ)姫214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊(神功皇后)214E3弟(オト)媛214F1鹿坂(カゴサカ)皇子214F2忍熊(オシクマ)皇子214F3譽屋別(ホムヤワケ)皇子214F4譽田別(ホムタワケ)尊214G長野(ナガノ)陵214H1熊鰐(ワニ)214H2撞賢木厳之御魂天疎向津(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツ)媛命  

[215応神天皇]  

 215A譽田別(ホムタワケ)尊215B1明(アキラ)宮215B2吉野(ヨシノ)宮215B3大隅(オホスミ)宮215B4葉田葦守(ハダノアシモリ)宮215C1足仲彦(タラシナカツヒコ)尊215C2氣長足(オキナガタラシ)姫尊215D1鹿坂(カゴサカ)皇子から215D3譽屋別(ホムヤワケ)皇子まで215E1高城入(タカキノイリ)姫命215E2仲(ナカツ)姫尊215E3弟(オト)姫命215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛215E5小瓦(ヲナベ)媛215E6弟(オト)媛215E7糸(イト)媛215E8日向泉長(ヒムカノイズミノナガ)媛215E9迦具漏(カグロ)比売215E10野伊呂売(ノノイロメ)215E11兄(エ)媛215F1額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子215F2大山守(オホヤマモリ)皇子215F3去来真稚(イザノマワカ)皇子215F4大原(オホハラ)皇女215F5労来田(コムクタ)皇女215F6荒田(アラタ)皇女215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊215F8根鳥(ネトリ)皇子215F9阿倍(アヘ)皇女215F10淡路御原(アハヂノミハラ)皇女215F11紀之菟野(キノウノ)皇女215F12三野(ミノ)郎女215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子215F14矢田(ヤタ)皇女215F15雌鳥(メトリ)皇女215F16菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女215F17稚野毛二派(ワカノケフタマタ)皇子215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子215F19大葉枝(オホハエ)皇子215F20小葉枝(コハエ)皇子215F21幡日之若(ハタヒノワカ)郎女215F22川原田(カハラダ)郎女215F23玉(タマ)郎女215F24忍坂大中(オサカノオホナカツ)比売215F25登富志(トホシ)郎女215F26迦多遅(カタヂ)王215F27伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王215G恵我藻伏崗(エガノモフシノオカ)陵215H1大濱(オホハマ)宿禰215H2枯野(カラノ)船215H3甘美内(ウマシウチ)宿禰  

[216仁徳天皇]  

 216A大鷦鷯(オホサザキ)尊216B高津(タカツ)宮216C1譽田別(ホムタワケ)尊216C2仲(ナカツ)姫尊216D1額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子から216D19小葉枝(コハエ)皇子まで216E1磐之媛(イハノヒメ)命216E2髪長(カミナガ)媛216E3八田(ヤタ)皇女216E4菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊216F4雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊216F5大草香(オホクサカ)皇子216F6幡梭(ハタビ)皇女216G百舌鳥野耳原(モズノミミハラ)陵216H1茨田(マムタ)堤216H2雄鮒(ヲフナ)・阿俄能胡(アガノコ)216H3宿儺(スクナ)216H4桑田玖賀(くはたのくが)媛  

[217履中天皇]  

 217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊217B磐余稚櫻(イハレノワカサクラ)宮217C1大鷦鷯(オホサザキ)尊217C2磐之媛(イハノヒメ)命217D1住吉仲(スミノエノナカツ)皇子から217D5幡梭(ハタビ)皇女まで217E1黒(クロ)媛217E2草香幡梭(クサカノハタビ)皇女217E3太(フト)姫郎姫217E4高鶴(タカツル)郎姫217F1磐坂市邊押羽(イハサカノイチノヘノオシハ)皇子217F2御馬(ミマ)皇子217F3青海(アヲミ)皇女(飯豊(イヒトヨ)皇女)217F4中磯(ナカシ)皇女217G百舌鳥耳原(モズノミミハラ)陵217H1刺領巾(サシヒレ)(曽婆訶理(ソバカリ))217H2車持(クルマモチ)君  

[218反正天皇]

 218A瑞歯別(ミツハワケ)尊218B柴籬(シバカキ)宮218C1大鷦鷯(オホサザキ)尊218C2磐之媛(イハノヒメ)命218D1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から218D5幡梭(ハタビ)皇女まで218E1津野(ツノ)媛218E2弟(オト)媛218F1香火(カヒ)姫皇女218F2圓(ツブラ)皇女218F3財(タカラ)皇女218F4高部(タカベ)皇子218G耳原(ミミハラ)陵  

[219允恭天皇]  

 219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊219B遠飛鳥(トホツアスカ)宮219C1大鷦鷯(オホサザキ)尊219C2磐之媛(イハノヒメ)命219D1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から219D5幡梭(ハタビ)皇女まで219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命219E2衣通(ソトホシ)郎姫219F1木梨軽(キナシノカル)皇子219F2名形大娘(ナガタノオホイラツメ)皇女219F3境黒(サカヒノクロ)彦皇子219F4穴穂(アナホ)尊219F5軽大娘(カルノオホイラツメ)皇女219F6八釣白(ヤツリノシロ)彦皇子219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)尊219F8但馬橘大娘(タヂマノタチバナノオホイラツメ)皇女219F9酒見(サカミ)皇女219G長野原(ナガノノハラ)陵219H1闘鷄(ツゲ)国造219H2盟神探湯(くかたち)219H3玉田(タマタ)宿禰219H4男狭磯(ヲサシ)

<修正経緯>

 

<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その三)> ー景行天皇から允恭天皇までー

 

[ここでは神武天皇の部を201とし、その中で和風諡号は201A(別名または幼名は201A2~)、宮都は201B、父母は201C1~2、兄弟姉妹は201D1~、后妃は201E1~、皇子は201F1~、陵は201G、治世中特筆すべき人名等は201H1~として整理番号を付し、以下同様に<その一>では201神武天皇から209開化天皇まで、<その二>では210崇神天皇・211垂仁天皇を、<その三>では212景行天皇から219允恭天皇までを解説し、<その四>以下において220安康天皇から順次241持統天皇の部まで解説する予定です。

 表記は原則として記紀ともに岩波日本古典文学大系本によります。本文中001〜199の神名は、古典篇(その五)<『古事記』の神名>により、名義は主として岩波日本古典文学大系本の注および『古事記』(新潮日本古典集成、校注西宮一民、昭和54年)の付録「神名の釈義」によります。

 ポリネシア語による解釈は、原則としてマオリ語により、ハワイ語による場合は注記を付します。]

 

 

[212景行天皇]

 

212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊(垂仁天皇)と211E2日葉酢(ヒバス)媛命の第2子、211F3大足彦(オホタラシヒコ)尊とし、記は211E2氷羽州(ヒバス)比売命の第2子、大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命とします。

 垂仁紀30年正月条に何が欲しいかと問われた211F2五十瓊敷入彦命が弓矢が欲しいと答えて弓矢を得、大足彦尊が皇位が欲しいと答えて皇太子となったとあります。

 天皇は、212F3小碓(ヲウス)命(日本武(ヤマトタケル)尊)を各地に派遣する一方、自らも九州など各国を巡視して反乱の鎮圧等を精力的に行ったと伝えられます。

 この「おほたらしひこ・おしろわけ」は、

  「オホ・タラ・チ・ヒコ・オチ・ラウ・ワカイ(ン)ガ」、OHO-TARATI(TARA-TI)-HIKO-OTI-RAU-WAKAINGA(oho=wake up,be wake,arise;tarati=spurt,splash;(tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast);hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;oti=finished,gone or come for good;rau=catch as in a net,entangle,project;wakainga=distant home)、「すっくと立つている・全力を奮るって(または<多くの后妃を持ち、記紀ともに80人におよぶ子を成したとつたえる>ゴシツプを・流した)・各地を遍歴(転戦)した・紛糾(反乱)を・解決した・遠いところを住居とした(天皇)」(「ラウ」のAU音がO音に変化して「ロ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212B1纏向(マキムク)の日代(ヒシロ)宮

 紀は宮を纏向(マキムク。大和国城上郡、もと纏向村、現櫻井市北部。垂仁天皇の211B纏向珠城宮と同じ場所です)の日代(ヒシロ)宮とし、記も纏向の日代宮とします。

 この「ひしろ」は、

  「ヒ・チロ」、HI-TIRO(hi=raise,rise;tiro=look,survey,examine)、「高いところで・(国内の動向を)見ている(宮)」または「ヒ・チロウ」、HI-TIRO(hi=raise,rise;tirou=pointed stick used as a fork,pole used to reach anything)、「より高い地位を・求めていた(天皇が住む。宮)」

の転訛と解します。

 

212B2泳(ククリ)宮

 紀は天皇は4年2月から11月まで弟(オト)媛を妃としょうとして美濃国の泳(ククリ)宮に居られたとします(212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の項を参照してください)。記には記載がありません。

 この「くくり」は、

  「ククリ」、KUKULI((Hawaii)knee,to crouch or lie as an animal with feet under the body)、「(獲物を待つ動物のように)うずくまって待ち構えていた(宮)」

の転訛と解します。

 

212B3高屋(タカヤ)宮

 紀は天皇は12年11月から日向国の高屋(タカヤ)宮に居られたとします。記には記載がありません。

 この「たかや」は、

  「タカ・イア」、TAKA-IA(taka=heap,lie in a heap;ia=indeed,current)、「実に・高いところにある(または実に・高く作られた。宮)」

の転訛と解します。

 

212B4高田(タカタ)行宮

 紀は天皇は18年7月から筑紫後国の御木(ミケ)の高田(タカタ)行宮におられたとします。記には記載がありません。

 この「たかた」、「みけ」は、

  「タカ・タ」、TAKA-TA(taka=heap,lie in a heap;ta=dash,beat,lay)、「高いところに・ある(宮)」

  「ミ・イケ」、MI-IKE(mi=stream,river;ike=strike with a hammer or other heavy instrument)、「金槌で殴るような・激流が襲う川(その地域)」

の転訛と解します。

 

212B5綺(カニハタ)宮

 紀は天皇は53年12月から54年9月まで伊勢の綺(カニハタ)宮に居られたとします。記には記載がありません。

 この「かにはた」は、

  「カニヒ・パタ」、KANIHI-PATA(kanihi=patch a garment;pata=prepare food,drop of water)、「破れを繕い・雨が漏る(宮)」(「カニヒ」のH音が脱落して「カニ」と、「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」となった)

の転訛と解します。

 

212B6高穴穂(タカアナホ)宮

 紀は天皇は58年2月に近江国の志賀(シガ)(後の滋賀郡は現大津市付近とされます)の高穴穂(タカアナホ)宮に移られ、60年11月にそこで崩じたとします。記には記載がありません。

 この「たかあなほ」、「しが」は、

  「タカ・ア・ナホ」、TAKA-A-NAHO(taka=heap,lie in a heap;a=the...of;naho=hasty,quick)、「高いところにある(または高く作られた)・急造の(宮)」

  「チ(ン)ガ」、TINGA(tinga=likely,suitable)、「(宮を建てるのに)好適な(地域)」

の転訛と解します。

 

212C1活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊

 父は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊(垂仁天皇)の項を参照してください。

 

212C2日葉酢(ヒバス)媛命

 母は211E2日葉酢(ヒバス)媛命の項を参照してください。

 

212D1譽津別(ホムツワケ)命から212D15石衝(イハツク)毘売命(布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命)まで

 兄弟姉妹はそれぞれ211F1譽津別(ホムツワケ)命から211F16石衝(イハツク)毘売命(布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命)までの項を参照してください。

 

212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)

 紀は皇后を播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)、一書には稲日稚郎姫(イナビノワキイラツメ)とし、212F2大碓(オホウス)皇子、212F3小碓(ヲウス)尊を生んだとし、一書にはさらに212F4稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子の3人を生んだとします。

 記は吉備臣等の祖、若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)(207F7稚武彦(ワカタケヒコ)命と考えられます)の娘、針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオホイラツメ)とし、212F1櫛角別(クシツヌワケ)王、212F2大碓(オホウス)命、212F3小碓(ヲウス)命(亦の名、倭男具那(ヤマトヲグナ)命)、212F4倭根子(ヤマトネコ)命、212F5神櫛(カムクシ)王の5人を生んだとします。

 この「はりま」、「いなびのおほいらつめ」、「いなびのわき(わか)いらつめ」、「わかたけきびつひこ」は、

  「パリ・マ」、PARI-MA(pari=cliff;ma=white,clean)、「清らかな・崖(が連なる・国)」

  「イナ・ピ・ノ・オホ・イラ・ツ・マイ」、INA-PI-NO-OHO-IRA-TU-MAI(ina=emphasis;pi=eye,young of birds;no=of;oho=wake up,arise;ira=freckle,shine;tu=stand,settle;mai=clothing,a dance)、「大きな・眼の(または幼い雛のように可愛い)・すっくと立っている・黒子が・ある・(着飾り・踊りを踊る)姫」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)(「いらつめ」については雑楽篇の301いらつめ・いらつこの項を参照してください。)

  「イナ・ピ・ノ・ウアカハ・イラ・ツ・マイ」、INA-PI-NO-UAKAHA-IRA-TU-MAI(ina=emphasis;pi=eye,young of birds;no=of;uakaha=vigorous,difficult;ira=freckle,shine;tu=stand,settle;mai=clothing,a dance)、「大きな・眼の(または幼い雛のように可愛い)・元気が良い・黒子が・ある・(着飾り・踊りを踊る)姫」

  「ウアカハ・タケ・キ・ピ・ツ・ヒ・コ」、UAKAHA-TAKE-KI-PI-TU-HI-KO(uakaha=vigorous,difficult;take=stump,base of a hill,chief;ki=full,very;pi=eye;tu=stand,settle;hi=raise,rise;ko=addressing to males and girls)、「元気が良い・どっしりとした・大きな・眼がある地域(吉備国)に・住む・身分の高い・男子」

の転訛と解します。

 

212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛

 紀は妃を210F12八坂入(ヤサカノイリ)彦皇子の娘、八坂入(ヤサカノイリ)媛とし、212F6稚足彦(ワカタラシヒコ)尊(後の213成務天皇)、212F7五百城入(イホキイリ)彦皇子、212F8忍之別(オシノワケ)皇子、212F9稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子、212F10大酢別(オホスワケ)皇子、212F11渟熨斗(ヌノシ)皇女、212F12渟名城(ヌナキ)皇女、212F13五百城入(イホキイリ)姫皇女、212F14鹿依(カゴヨリ)姫皇女(カゴは鹿冠に弓耳の字です)、212F15五十狭城入(イサキイリ)彦皇子、212F16吉備兄(キビノエ)彦皇子、212F17高城入(タカキイリ)姫皇女、212F18弟(オト)姫皇女の13人を生んだとします。52年7月に、5月に崩じた212E1播磨稲日大郎姫の後の皇后に立てられます。

 なお、記にはありませんが、八坂入媛を娶る前に美濃においてその妹の弟(オト)媛を妃としょうとして訪れますが、弟媛は竹林に隠れてしまい、一計を案じた天皇が212B2泳(ククリ)宮の池に鯉を放して弟媛を誘き出して宮に留め、妃としようとしましたが、弟媛はこれを固辞して姉の八坂入媛を薦めたと伝えます。

 記は妃を210F12八坂入(ヤサカノイリ)日子命の娘、八坂入(ヤサカノイリ)日売命とし、212F6若帯日子(ワカタラシヒコ)命(後の成務天皇)、212F7五百木之入(イホキノイリ)日子命、212F8押別(オシワケ)命、212F13五百木入(イホキノイリ)日売命の4人を生んだとします。

 この「やさかのいり」は、

  「イア・タカ・イリ」、IA-TAKA-IRI(ia=indeed,current;taka=heap,lie in a heap;iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「実に・高いところに居る・夢占いをした」

の転訛と解します。

 

212E3水歯郎媛(ミヅハノイラツメ)

 紀は妃を三尾氏磐城別(ミオノウヂノイハキワケ)の妹の水歯郎媛(ミヅハノイラツメ)とし、212F19五百野(イホノ)皇女を生んだとします。記には見えません。

 この「みづは」、「みお」、「いはきわけ」は、

  「ミヒ・ツ・ウハ」、MIHI-TU-UHA(mihi=greet,admire,sigh for;tu=stand,settle;uha=woman,calm)、「物静かで・威厳がある(姫)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「ウハ」の語頭のU音が脱落して「ハ」となった)

  「ミ・アウ」、MI-AU(mi=river,stream;au=current,rapid,sea)、「激流の・川(が流れる地域。そこに住む部族)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「イ・ワキ・ワカイ(ン)ガ」、I-WHAKI-WAKAINGA(i=past tense,beside;whaki=reveal,disclose,confess;wakainga=distant home)、「(存在を世に)明らかに・した・遠い場所に住む(首長)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212E4五十河(イカハ)媛

 紀は妃を五十河(イカハ)媛(記には見えません。)とし、212F5神櫛(カムクシ)皇子(記は212F5神櫛(カムクシ)王を212E1針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオホイラツメ)の子とします。)と212F20稲背入(イナセノイリ)彦皇子(記には見えません。)の2人を生んだとします。

 この「いかは」は、

  「イ・カハ」、I-KAHA(i=past tense,beside;kaha=strong,strength)、「強い性格で・あった(姫)」

の転訛と解します。

 

212E5高田(タカタ)媛

 紀は妃を阿倍氏木事(アヘノウヂノコゴト)の娘の高田(タカタ)媛(記には見えません。)とし、212F21武國凝別(タケクニコリワケ)皇子(記には見えません。)を生んだとします。

 この「たかた」、「あへ」、「こごと」は、

  「タカ・タ」、TAKA-TA(taka=heap,lie in a heap;ta=dash,beat,lay)、「お高く・止まっている(姫)」

  「アヘイ」、AHEI(able,possible)、「能力がある(部族)」(「アヘイ」の語尾のI音が脱落して「アヘ」となった)

  「コ・(ン)ゴト」、KO-NGOTO(ko=to give emphasis;ngoto=head,be deep,be intense)、「非常に・思慮深い(首長)」(「(ン)ゴト」のNG音がG音に変化して「ゴト」となった)

の転訛と解します。

 

212E6日向髪長大田根(ヒムカノカミナガオホタネ)

 紀は妃を日向髪長大田根(ヒムカノカミナガオホタネ)(記には見えません。)とし、212F22日向襲津(ヒムカノソツ)彦皇子(記には見えません。)を生んだとします。

 この「ひむか」、「かみながおほたね」は、

  「ヒム・カ」、HIMU-KA(himu=hip-bone;ka=take fire,be lighted,burn)、「腰骨のような地域(一つ瀬川と大淀川が作る二つの平野からなる地域)の・居住地(日向国)」

  「カミ・(ン)ガ(ン)ガ・オホ・タ・ヌイ」、KAMI-NGANGA-OHO-TA-NUI(kami=eat;nganga=breath heavily,make a harsh noise;oho=wake up,arise;ta=dash,beat,lay;nui=large,many)、「音を立てながら・物を食べる・すっくと・立つている・身体の大きな(姫)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次ぎのNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

の転訛と解します。

 

212E7襲武(ソノタケ)媛

 紀は妃を襲武(ソノタケ)媛(記には見えません。)とし、212F23國乳別(クニチワケ)皇子(記には見えません。)、212F24國背別(クニソワケ)皇子(記には見えません。一書には宮道別(ミヤヂワケ)皇子とします。)、212F25豊戸別(トヨトワケ)皇子(記は妾の子、沼代郎女(ヌノシロノイラツメ。紀の212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛が生んだ212F11渟熨斗(ヌノシ)皇女と同一人と解する説があります。)と同母とします。)の3人を生んだとします。

 この「そのたけ」は、

  「タウ・ノ・タケ」、TAU-NO-TAKE(tau=ridge of a hill,come to rest,be suitable,beautiful;no=of;take=stump,base of a hill,chief)、「峰が続く国(襲の国)・の・どっしりとした(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

の転訛と解します。

 

212E8御刀(ミハカシ)媛

 景行紀13年5月条は妃を襲(ソ)国の御刀(ミハカシ)媛とし、豊國別(トヨクニワケ)皇子を生んだとします。記も日向の美波迦斯(ミハカシ)毘売を娶って豊國別(トヨクニワケ)王を生んだとします。

 この「みはかし」は、

  「ミハ・カチ」、MIHA-KATI(miha=wonder;kati=leave off,be left in statu quo)、「(大和へ連れ帰らないで日向に)置き去りにされたことを・いぶかった(姫)」

の転訛と解します。

 

212E9伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)

 記は妃を212E1針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオホイラツメ)の妹の伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)とし、212F26真若(マワカ)王と212F27日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)王を生んだとします(紀には見えません)。

 この「いなびのわかいらつめ」は、

  「イナ・ピ・ノ・ウアカハ・イラ・ツ・マイ」、INA-PI-NO-UAKAHA-IRA-TU-MAI(ina=emphasis;pi=eye,young of birds;no=of;uakaha=vigorous,difficult;ira=freckle,shine;tu=stand,settle;mai=clothing,a dance)、「大きな・眼の(または幼い雛のように可愛い)・元気が良い・黒子が・ある・(着飾り・踊りを踊る)姫」

の転訛と解します。

 

212E10訶具漏(カグロ)比売

 記は妃を倭建命の曾孫、須売伊呂大中日子(スメイロオホナカツヒコ)の娘訶具漏(カグロ)比売とし、212F28大枝(オホエ)王を生んだとします(紀には見えません)。

 この「かぐろ」、「すめいろおほなかつ」は、

  「カ・(ン)グ・ラウ」、KA-NGU-RAU(ka=take fire,be lighted,burn;ngu=silent;rau=project,extended)、「際だって・無口で・輝くように美しい(姫)」(「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」と、「ラウ」のAU音がO音に変化して「ロ」となった)

  「ツメ・イロ・オホ・ナ・カツア」、TUME-IRO-OHO-NA-KATUA(tume=slow,dilatory;iro=submissive as result of punishment;oho=wake up,arise;na=belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「動作が緩慢で・従順で・すっくと立っている・内廷の外に・居る(傍系の。彦)」

の転訛と解します。

 

212F1櫛角別(クシツヌワケ)王

 記は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)の第1子とします(紀には見えません)。

 この「くしつぬわけ」は、

  「クチ・ツヌ・ワケ」、KUTI-TUNU-WAKE(kuti=pinch,contract,close the mouth or hand;tunu=roast,inspire with fear;wake,wakewake=hurry,hasten)、「縛り上げられ・恐怖を感じて・あわてた(命)」または「クチ・ツヌ・ワカイ(ン)ガ」、KUTI-TUNU-WAKAINGA(kuti=pinch,contract,close the mouth or hand;tunu=roast,inspire with fear;wakainga=distant home)、「縛り上げられ・恐怖を感じた・遠くに住む(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 この解釈によれば、記にいう朝夕の大御食(オホミケ)に出てこなかった兄を「泥疑(ネギ)教え諭せ」と天皇から命じられた212F3小碓命が、「捕らえて、つかみつぶして、手足をもいで、薦に包んで投げ捨てた」(殺された)とされる兄はこの櫛角別王であったと考えられます(岩波本は、美濃の兄比売・弟比売の一件で後暗かったため大御食に出てこなかった212F2大碓命がこの兄としますが、紀には櫛角別王が見えず、景行紀4年2月条は兄遠子(エトホコ)・弟遠子(オトトホコ)の一件で「天皇は大碓命を恨んだ」と記し、同40年6月条に至って大碓命は天皇から蝦夷を討伐することを命じられて愕然として逃げ隠れ、遂に美濃国に封じられたとあるところからみても大碓命とは考えられません)。

 この「おほみけ」、「ねぎ」は、

  「アウミヒ・カイ」、AUMIHI-KAI(aumihi=greet,welcome;kai=consume,eat,food)、「歓迎の・食事(の会合)」(「アウミヒ」のAU音がOU音に、H音が脱落して「オウミ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)

  (1)「ネイ・キ」、NEI-KI(nei=to indicate continuance of action,stretched forward;ki=say)、「じっくりと・話をする」または(2)「ネイ・(ン)ギオ」、NEI-NGIO(nei=to indicate continuance of action,stretched forward;ngio=extinguished,faded)、「ずっと・消えてなくなる」(天皇の命令は前者(1)であったのに、小碓命は後者(2)と誤って聞いたものと考えられます。)

の転訛と解します。

 

212F2大碓(オホウス)命

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)の第1子(記は第2子)とします。

 景行紀2年3月条は大碓(オホウス)命と212F3小碓(ヲウス)命を双生児とし、この双生児出生を天皇が異(アヤシ)んで「即ち碓(ウス)に誥(タケ)びたまひき」とし、このため大碓(オホウス)・小碓(ヲウス)と命名したとあります。

 また、景行紀4年2月条は天皇が美濃国の国造の娘、兄遠子(エトホコ)・弟遠子(オトトホコ)が国中で一番の美人という評判を聞いて大碓命に確かめさせたところ大碓命がこの姉妹と密かに通じて復命しなかった(記は別の女子を偽って貢上した)ので「天皇は大碓命を恨んだ」と記し、同40年7月是月条に至って大碓命は天皇から蝦夷を討伐することを命じられて愕然として逃げ隠れ、遂に美濃国に封じられたとし、記は兄遠子(エトホコ)が押黒兄(オシグロノエ)日子王、弟遠子が押黒弟(オシグロノオト)日子王を生んだとします。

 この「おほうす」、「うす」、「たけび」、「えとほこ」、「おととほこ」、「おしぐろ」は、

  「オホ・ウツ」、OHO-UTU(oho=wake up,spring up,arise;utu=make response,be stanched,cease running)、「(天皇から蝦夷を討伐することを命じられて)びっくりして跳び上がって・顔面蒼白となった(血の流れが止まった)(命)」

  「ウツ」、UTU(make response,be stanched,cease running)、「(赤ん坊が)生まれるとそれに対応して(伴って)」または「(臍の緒を切った)出血を止めて」

  「タカイ・プ」、TAKAI-PU(takai=wrap up;pu=tribe,bundle,double)、「二度・(赤ん坊を)産着でくるんだ」(「タカイ」のAI音がE音に変化して「タケ」となった)

  「ヘイ・ト・ホコ」、HEI-TO-HOKO(hei=go towards;to=the...of;hoko=exchange,lover)、「先頭に立って行く(姉の)・すり替えられた(姫)」

  「アウト・ト・ホコ」、AUTO-TO-HOKO(auto=trailing behind;to=the...of;hoko=exchange,lover)、「後ろについて行く(妹の)・すり替えられた(姫)」

  「オチ・(ン)グ・ロ」、OTI-NGU-RO(oti=finished;ngu=silent,ghost;ro=inside)、「外(公の場)へ出ることなく・沈黙して(日陰の身で)・一生を終えた(王)」

の転訛と解します。

 

212F3小碓(ヲウス)命

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)の第2子(記は第3子)とします。亦の名は、紀は日本童男(ヤマトオグナ)、日本武(ヤマトタケル)尊、記は倭男具那(ヤマトヲグナ)命、倭建(ヤマトタケル)命とします。

 小碓命は幼いころから雄々しく、長ずるに及んで容貌魁偉、背丈一丈、大力で、212H5川上梟師(カハカミノタケル)を討ち、日本武皇子(ヤマトタケルノミコ)の名を献じられ(景行紀27年12月条)、次いで大碓命が尻込みした蝦夷征伐を志願し(同40年7月条)、それを終えて帰還の途中伊勢の能褒野(ノボノ)で没した(同40年是歳条)とあります。

 この「をうす」、「やまとをぐな」、「やまとたける」、「のぼの」は、

  「オウ・ツ」、OU-TU(ou,ouou=few;tu=fight with,energetic)、「稀にみる・猛々しい(命)」(この「ツ=ス、猛々しい」は、「スサノオ」の「ス」と同じです。古典篇(その五)の084建速須佐之男命の項を参照してください。)

  「イア・マト・オク・ヌイ」、IA-MATO-OKU-NUI(ia=indeed,current;mato=deep swamp;oku,okuoku=few;nui=large,great,many)、「実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・稀にみる・偉大な人物(命)」

  「イア・マト・タケ・ル」、IA-MATO-TAKE-RU(ia=indeed,current;mato=deep swamp;take=stump,base of a hill,chief;ru=shake,scatter,earthquake)、「実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・どっしりとした・周囲を震撼させる(命)」

  「(ン)ガウ・ポノ」、NGAU-PONO(ngau=bite,hurt,act upon,attack;pono=came upon)、「(命が病に)ひどく痛んだ・(たまたま)やって来た(場所)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「ポノ」が「ボノ」となった)(地名篇(その三)三重県の(5)三重郡(a三重郡・b能煩野)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

212F4稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)の第3子(記は第4子倭根子(ヤマトネコ)命)とします。

 この「わかやまとねこ」は、

  「ウアカハ・イア・マト・ネコ」、UAKAHA-IA-MATO-NEKO(uakaha=vigorous,difficult;ia=indeed,current;mato=deep swamp;neko,nekoneko=border)、「元気が良い(または気難しい)・実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・周囲の地域(に住んだ)(命)」

の転訛と解します。

 

212F5神櫛(カムクシ)王

 記は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E1針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオホイラツメ)の第5子(紀は212E4五十河(イカハ)媛の第1子)とします。

 この「かむくし」は、

  「カム・クチ」、KAMU-KUTI(kamu=eat;kuti=pinch,contract,close the mouth or hand)、「口を閉じて(無言で)・食事をする(命)」

の転訛と解します。

 

212F6稚足彦(ワカタラシヒコ)尊

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第1子(記は第1子若帯日子(ワカタラシヒコ)命)とします。

 景行紀51年正月条は、正月7日の宴に稚足彦尊と213H武内宿禰が参加しなかった理由が非常時に備えるためであったと聞いて、天皇が「灼然(イヤチコ)なり」といい、ことに寵愛した(このことが立太子の理由となったと推定されます)とあります。213A稚足彦(ワカタラシヒコ)尊(213成務天皇)の項を参照してください。

 また、この「いやちこ」は、従来「イヤは弥の意。チコはチカ(近)の母音交代形か。いちじるしいこと。きわだっていること。神仏の霊験のすぐ著れるにいう。」(岩波『古語辞典』)などと解されていますが、

  「イア・チコ」、IA-TIKO(ia=indeed,current;tiko=stand out,protrude)、「実に・(考え、行動が)ずば抜けて優秀である」

の転訛と解します。

 

212F7五百城入(イホキイリ)彦皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第2子(記は第2子五百木之入(イホキノイリ)日子命)とします。

 景行紀4年2月条は、天皇の御子は80人いたが、212F3日本武尊、212F6稚足彦尊と五百城入彦皇子の3人を身近に残し、残りはすべて国郡に封じてその国に行かせたとします。

 この「いほきいり」は、

  「イホ・キ・イリ」、IHO-KI-IRI(iho=heart,the strength of a thing,object of reliance;ki=full,very;iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「(天皇の)強い・信頼を得ていた・夢占いをした(命)」

の転訛と解します。

 

212F8忍之別(オシノワケ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第3子(記は第3子押別(オシワケ)命)とします。

 この「おしのわけ」は、

  「オチ・ノホ・ワカイ(ン)ガ」、OTI-NOHO-WAKAINGA(oti=finished,gone or come for good;noho=sit,settle;wakainga=distant home)、「(領土の)果ての土地に・止まった・遠いところを住居とした(命)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212F9稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第4子とします。212E1播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオホイラツメ)の第3子212F4稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子と同名です。

 212F4稚倭根子(ワカヤマトネコ)皇子の項を参照してください。

 

212F10大酢別(オホスワケ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第5子(記にはありません。)とします。

 この「おほすわけ」は、

  「オホ・ツ・ワカイ(ン)ガ」、OHO-TU-WA-KAI(oho=wake up,spring up,arise;tu=stand,settle;wa=definite space,area;kai=eat,anything produced in profusion)、「すっくと・立っている・遠いところを住居とした(命)」または「オ・ホツ・ワカイ(ン)ガ」、O-HOTU-WAKAINGA(o=the...of;hotu=sob,long for,chafe with animosity;wakainga=distant home)、「いらいらして当たり散らした・遠いところを住居とした(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212F11渟熨斗(ヌノシ)皇女

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第6子(記に記す妾の子、212F25豊戸別(トヨトワケ)皇子と同母の沼代郎女(ヌノシロノイラツメ)と同一人と解する説があります。)とします。

 この「ぬのし」、「ぬのしろ」は、

  「ヌイ・ノチ」、NUI-NOTI(nui=large,many;noti=pinch,contract)、「非常に・身体が小さい(圧縮された。姫)」

  「ヌイ・ノチ・ロ」、NUI-NOTI-RO(nui=large,many;noti=pinch,contract;ro=roto=inside)、「非常に・身体が小さい(内部が・圧縮された。姫)」

の転訛と解します。

 

212F12渟名城(ヌナキ)皇女
 

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第7子(記は妾の子沼名木郎女(ヌナキノイラツメ))とします。

 この「ぬなき」は、

  「ヌイ・ナキ」、NUI-NAKI(nui=large,many;naki=glide,move with an even motion)、「大きな(身体で)・流れるように歩く(姫)」

の転訛と解します。

 

212F13五百城入(イホキイリ)姫皇女

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第8子(記は第4子五百木入(イホキノイリ)日売命)とします。

 212F7五百城入(イホキイリ)彦皇子の項を参照してください。

 

212F14鹿依(カゴヨリ)姫皇女

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第9子(カゴは鹿冠に弓耳の字です)(記は妾の子香余理(カゴヨリ)比売)とします。

 この「かごより」は、

  「カカウ・イオ・リ」、KAKAU-IO-RI(kakau=swim;io=muscle,rope.lock of hair;ri=bind,protect)、「髪を・束ねて・泳いだ(姫)」(「カカウ」のAU音がO音に変化して「カコ」となった)

の転訛と解します。

 

212F15五十狭城入(イサキイリ)彦皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第10子(記は妾の子若木之入(ワカキノイリ)日子王)とします。

 この「いさきいり」、「わかきのいり」は、

  「イ・タキ・イリ」、I-TAKI-IRI(i=past tense,beside;taki=lead,recite,challenge;iri=iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「夢占いを・繰り返し・行った(命)」

  「ワカキノ・イリ」、WHAKAKINO-IRI(whakakino=pronounce bad,treat with contempt,disguise,disfigure,debase;iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「悪い内容の・夢占いをした(命)」

の転訛と解します。

 

212F16吉備兄(キビノエ)彦皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第11子(記は妾の子吉備兄(キビノエ)日子王)とします。

 この「きびのえ」は、

  「キ・ピ・ノ・ヘイ」、KI-PI-NO-HEI(ki=full,very;pi=eye;no=of;hei=go towards)、「大きな・眼がある地域(吉備国)・の・人の先に立つ(命)」

の転訛と解します。

 

212F17高城入(タカキイリ)姫皇女

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第12子(記は妾の子高木(タカキ)日売命)とします。

 この「たかきいり」は、

  「タカキ・イリ」、TAKAKI-IRI(takaki=neck,throat;iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「頚(が長いこと)で・有名な(姫)」

の転訛と解します。

 

212F18弟(オト)姫皇女

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛の第13子(記は妾の子弟(オト)比売命)とします。

 この「おと」は、

  「アウト」、AUTO(trailing behind)、「人の後ろについて行く(妹の。姫)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となった)

の転訛と解します。

 

212F19五百野(イホノ)皇女

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E3水歯郎媛(ミヅハノイラツメ)の子(記には見えません。)とします。景行紀20年2月条に天照大神を祀るために派遣されたと伝えます。

 この「いほの」は、

  「イホ・ノア」、IHO-NOA(iho=heart,up above,to intensify "noa";noa=free from TAPU or any other restriction)、「実に・清純な(姫)」

の転訛と解します。

 

212F20稲背入(イナセノイリ)彦皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E4五十河(イカハ)媛の第2子(記には見えません。)とします。

 この「いなせのいり」は、

  「イナチ・ノ・イリ」、INATI-NO-IRI(inati=excessive,extraordinary,trouble;no=of;iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「並外れていた・ことで・有名な(命)」

の転訛と解します。

 

212F21武國凝別(タケクニコリワケ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E5高田(タカタ)媛の子(記には見えません。)とします。

 この「たけくにこりわけ」は、

  「タケ・クニ・コリ・ワカイ(ン)ガ」、TAKE-KUNI-KORI-WAKAINGA(take=stump,base of a hill,chief;(Hawaii)kuni=set a light to,kindle,burn;kori=move,bestir oneself,use action in oratory;wakainga=distant home)、「どっしりとした・(灯を灯す)国で・・身振り手振りで話をした・遠いところを住居とした(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212F22日向襲津(ヒムカノソツ)彦皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E6日向髪長大田根(ヒムカノカミナガオホタネ)の子(記には見えません。)とします。

 この「ひむか」、「そつ」は、

  「ヒム・カ」、HIMU-KA(himu=hip-bone,the large posts of palisides of a fort;ka=take fire,be lighted,burn)、「腰骨のような地域(一瀬川と大淀川が作る二つの平野からなる地域)の・居住地(日向国)」

  「ト・ツ」、TO-TU(to=the...of,calm,drag;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「静寂が・ある(無口な。命)」または「実に・勇猛な(命)」

の転訛と解します。

 

212F23國乳別(クニチワケ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E7襲武(ソノタケ)媛の第1子(記には見えません。)とします。

 この「くにちわけ」は、

  「クニ・チ・ワカイ(ン)ガ」、KUNI-TI-WAKAINGA((Hawaii)kuni=set a light to,kindle,burn;ti=throw,cast,overcome;wakainga=distant home)、「(灯を灯す)国を・征服した・遠いところを住居とした(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212F24國背別(クニソワケ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E7襲武(ソノタケ)媛の第2子(一書には宮道別(ミヤヂワケ)皇子とします。記には見えません。)とします。

 この「くにそわけ」、「みやぢ」は、

  「クニ・ト・ワカイ(ン)ガ」、KUNI-TO-WAKAINGA((Hawaii)kuni=set a light to,kindle,burn;to=drag,calm;wakainga=distant home)、「(灯を灯す)国を・牽引した・遠いところを住居とした(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「ミヒ・イア・チ」、MIHI-IA-TI(mihi=greet,admire,sigh for;ia=indeed,current;ti=throw,cast,overcome)、「実に・尊さを・示した(命)」

の転訛と解します。

 

212F25豊戸別(トヨトワケ)皇子

 紀は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E7襲武(ソノタケ)媛の第3子(記は妾の子豊戸別(トヨトワケ)王)とします。

 この「とよとわけ」は、

  「トイ・イオ・ト・ワカイ(ン)ガ」、TOI-IO-TO-WAKAINGA(toi=move quickly,encourage;io=muscle,tough;to=drag,calm;wakainga=distant home)、「疲れを知らずに・駆け抜けた・(国を)牽引した・遠いところを住居とした(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

212F26真若(マワカ)王

 記は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E9伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)の第1子(紀には見えません。)とします。

 この「まわか」は、

  「マ・ウアカハ」、MA-UAKAHA(ma=white,clean;uakaha=vigorous,difficult)、「清らかで・元気な(皇子)」

の転訛と解します。

 

212F27日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)王

 記は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E9伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)の第2子(紀には見えません。)とします。

 この「ひこひとのおほえ」は、

  「ヒコ・ピト・ノ・オホ・ヘイ」、HIKO-PITO-NO-OHO-HEI(hiko=move at random or irregularly,shine;pito=extremity,navel,at first;no=of;oho=wake up,arise;hei=go towards)、「各地を遍歴したことでは・一番・の・すっくと立っている・人の先頭に立って進む(皇子)」

の転訛と解します。

 

212F28大枝(オホエ)王

 記は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊と212E10訶具漏(カグロ)比売の子(紀には見えません。)とします。

 この「おほえ」は、

  「オホ・ヘイ」、OHO-HEI(oho=wake up,arise;hei=go towards)、「すっくと立っている・人の先頭に立って進む(皇子)」または「オ・ハヱ」、O-HAWE(o=the place of;hawe=turn aside,bend in a road of river)、「(道または川の)曲がり角の・土地に住む(皇子)」(「ハヱ」のAWE音がAUE音からOE音に変化して「ホエ」となった)

の転訛と解します。

 

212G山邊道上(ヤマノヘノミチノヘ)陵

 紀は陵を倭國(ヤマトノクニ)の山邊道上(ヤマノヘノミチノヘ)陵、記は「山邊道上(ヤマノヘノミチノヘ)にあり」とします。『延喜式』は「山邊道上陵」「在大和国城上郡」と、『陵墓要覧』は「天理市大字渋谷字向山」としています。

 この「やまのへ」、「みちのへ」は、

  「イア・マ・ノ・ヘイ」、IA-MA-NO-HEI(ia=indeed,current;ma=white,clean;no=of;hei=tie round the neck,snare by the neck,be bound)、「実に・清らかなところ(山)・の・頚(麓)」

  「ミチ・ノ・ヘイ」、MITI-NO-HEI(miti=lick,undertow of surf,backwash;no=of;hei=tie round the neck,snare by the neck,be bound)、「(山の麓を)舐める・ように・接している(陵)」

の転訛と解します。

 

212H1屋主忍男武雄心(ヤヌシオシヲタケゴコロ)命

 景行紀3年2月条は、天皇が紀伊国に赴いて神を祭ろうとしたが、占いで不吉と出たので、屋主忍男武雄心(ヤヌシオシヲタケゴコロ)命(一書では武猪心(タケイココロ))を派遣して祭らせたとし、命は阿備(アビ)の柏原(カシハバラ)に9年住み、紀直の遠祖菟道(ウヂ)彦の娘影(カゲ)媛を娶って213H武内宿禰(タケシウチノスクネ)を生んだとします。

 この「やぬしおしをたけごころ」、「たけいごころ」、「あび」、「かしはばら」、「うぢ」、「かげ」は、

  「イア・ヌイ・チ・オチ・アウ・タケ・ココロ」、IA-NUI-TI-OTI-AU-TAKE-KOKORO(ia=indeed,current;nui=large,many;ti=throw,cast,overcome;oti=finished(koti=divide,separate);au=firm,certainly;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;kokoro=old man)、「実に・長く・離れた地(紀伊国)に・留め・置かれた・どっしりとした(または呪術(祭祀)を行う)・老人」

  「タケ・ウイ・ココロ」、TAKE-UI-KOKORO(take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;ui=disentangled,disengaged;kokoro=old man)、「どっしりとした(または呪術(祭祀)を行う)・(朝廷から離れて)束縛から解放された・老人」

  「アピ」、API(=apiapi=crowded,constricted)、「人が密集した(または山脈が重畳する地域)」

  「カチ・ワ・パラ」、KATI-WA-PARA(kati=cease,closed of a passage,boundary;wa=derinite space,area;para=cut down bush,a place where certain rites were performed)、「辺境の・場所で・祭祀を行ったところ」

  「ウチ」、UTI(bite)、「浸食された(場所。そこに住む彦(身分の高い男子))」

  「カケ」、KAKE(ascend,climb,be superior to)、「(才色ともに)秀でた(姫)」

の転訛と解します。

 

212H2神夏磯(カムナツソ)媛

 景行紀12年9月条に天皇が筑紫征討のために周防(スハウ)の娑麼(サバ)に来て、多(オホ)臣の祖武諸木(タケモロキ)、国前(クニサキ)臣の祖菟名手(ウナテ)、物部(モノノベ)君の祖夏花(ナツハナ)に付近の状況を探らせたところ、神夏磯(カムナツソ)媛が恭順の意を示し、菟狭(ウサ)の川上に鼻垂(ハナタリ)、御木(ミケ)の川上に耳垂(ミミタリ)、高羽(タカハ)の川上に麻剥(アサハギ)、緑野(ミドリノ)の川上に土折猪折(ツチオリイオリ)がいて反抗していると伝えたので、これらを従えたとします。

 この「かむなつそ」、「すはう」、「さば」、「たけもろき」、「うなて」、「なつはな」、「うさ」、「はなたり」、「みけ」、「みみたり」、「たかは」、「あさはぎ」、「みどりの」、「つちおりゐおり」は、

  「カ・ムナ・ツトフ」、KA-MUNA-TUTOHU(ka=be lighted,screech,to denote the commencement of a new action or condition;muna=tell or speak of privately,secret;tutohu=give consent to,indicate)、「新たに・(反抗する部族の)秘密の情報を話すことに・同意した(女性の首長)」(「ツトフ」のH音が脱落して「ツトウ」から「ツソ」となった)

  「ツ・ホウ」、TU-HOU(tu=girdle;hou=bind,lashing together)、「(中国山地の裾に)巻かれた・帯(のような地域)」

  「タパ」、TAPA(edge,split)、「裂けている土地(佐波川の河口あたり)」

  「タケ・モロキ」、TAKE-MOROKI(take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;moroki=continuing)、「(敵を打倒する)呪文を唱え・続けている(将軍)」

  「ウ(ン)ガ・テ」、UNGA-TE(unga=send,expel,seek;te=crack)、「(進軍のための)川(通路)を・切り開く(将軍)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」となった)

  「ナツ・パナ」、NATU-PANA(natu=scratch,tear out,angry;pana=thrust or drive away,expel)、「猛然と・(敵を)蹴散らす(将軍)」(「パナ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハナ」となった)

  「ウタ」、UTA(the land,the inland,load or man a canoe)、「人や荷物の積み下ろし場(がある地域)」

  「パナ・タリ」、PANA-TARI(pana=thrust or drive away,expel;tari=carry,bring,urge,incite)、「(敵を)蹴散らすことを・推進する(首長)」(「パナ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハナ」となった)

  「ミ・イケ」、MI-IKE(mi=stream,river;ike=strike with a hammer or other instrument)、「金槌で殴るような激流となって・襲う川(その川の流れる地域)」

  「ミミ・タリ」、MIMI-TARI(mi,mimi=stream,river;tari=carry,bring,urge,incite)、「川の・(交通・水利の)統制を推進する(首長)」

  「タカ・パ」、TAKA-PA(taka=heap,lie in a heap;pa=stockade)、「高いところにある・集落」(「パ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハ」となった)

  「アタ・ハ(ン)ギ」、ATA-HANGI(ata=expressive of disgust,how horrible!;hangi=earth oven,scarf or cut or dip made in felling a tree)、「恐ろしい・(伐木の)斧を振るう(首長)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」となった)

  「ミ・トリ・ノ」、MI-TORI-NO(mi=stream,river;tori=cut;no=of,belonging to)、「川が・切れ切れに・なっているような(地域)」

  「ツ・チ・オリ・ウイ・オリ」、TU-TI-ORI-UI-ORI(tu=fight with,energetic;ti=throw,cast;ori=cause to wave to and fro,sway;ui=disentangle,disengage)、「猛々しい性格で・あちこちと・神出鬼没に行動する(首長)」

の転訛と解します。

 

212H3速津(ハヤツ)媛

 景行紀12年10月条に天皇が碩田(オホキタ)国から速見(ハヤミ)邑に来て、速津(ハヤツ)媛が迎えに出て、鼠の石窟(ネズミノイハヤ)に青、白の土蜘蛛、直入(ナホリ)縣の禰擬野(ネギノ)に打猿(ウチサル)、八田(ヤタ)、國摩侶(クニマロ)の土蜘蛛が反抗していると伝え、来田見(クタミ)邑に止まって海石留(ツバキ)樹で椎を作り、土蜘蛛を亡ぼしたとあります。

 この「はやつ」、「おほきた」、「はやみ」、「ねずみ」、「なほり」、「ねぎの」、「うちさる」、「やた」、「くにまろ」、「くたみ」、「つばき」は、

  「ハ・イア・ツ」、HA-IA-TU(ha=breath;ia=indeed,current;tu=stand,settle)、「呼吸する(潮の干満に応じて水位が上下する)・流れ・のそばに住む(姫)」

  「アウホキ・タ」、AUHOKI-TA(auhoki=eddy,backwater;ta=dash,beat,lay,alley)、「(海岸に)淀んだ潟が・ある(並んでいる。地域)」(「アウホキ」のAU音がO音に変化して「オホキ」となった)

  「ハ・イア・ミ」、HA-IA-MI(ha=breath;ia=indeed,current;mi=stream,river)、「呼吸する(潮の干満に応じて水位が上下する)・流れの・川」

  「ネイ・ツ・フミ」、NEI-TU-HUMI(nei=to indicate continuance of action;tu=fight with,energetic;humi=abundant,abundance)、「多数が(集まって)・精力的に・走り回る(動物=鼠。鼠のように行動する部族が住む岩屋)」(「ネイ」のEI音がE音に変化して「ネ」と、「ツ」のU音と「フミ」のH音が脱落して「ウミ」となったその語頭のU音が連結して「ツミ」となった)

  「ナ・ホリ」、NA-HORI(na=belonging to;hori=cut,slit,be gone by,stand aside)、「裂けている・ような地形の(場所)」

  「ネイ・(ン)ギ(ン)ゴ」、NEI-NGINGO(nei,neinei=stretched forward,bobbing up and down;ngingo,ngingongingo=malignant devouring spirits)、「食人鬼が・徘徊する場所」(「(ン)ギ(ン)ゴ」の最初のNG音がG音に、二番目のNG音がN音に変化して「ギノ」となった)

  「ウチ・タル」、UTI-TARU(uti=bite;taru=shake,overcome,painful,thing)、「(人を)襲う・(悪い)奴(首長)」

  「イア・タ」、IA-TA(ia=indeed,current;ta=dash,beat,lay)、「実に・襲いかかる(奴。首長)」

  「クニ・マロ」、KUNI-MARO((Hawaii)kuni=tungi=set a light to,kindle;maro=a sort of kilt or apron,a incantation for success in war)、「(敵を打倒する)呪文を唱える・集落(の首長)」

  「クタ・ミ」、KUTA-MI(kuta=encumbrance as old and infirm people on a march;mi=stream,river)、「淀んだ・流れ(のある場所)」

  「ツパ・キ」、TUPA-KI(tupa=dried up,barren,flat;ki=full,very)、「非常に・乾燥した(場所にも生育する木)」または「ツ・パキ」、TU-PAKI(tu=stand,settle;paki,papaki=slap,cliff against which the waves beat)、「波がうち寄せる崖(の上)に・生えている(木)」

の転訛と解します。

 

212H4熊襲梟師(クマソタケル)

 景行紀12年12月条に熊襲(クマソ)の渠師者(イサヲ)である厚鹿文(アツカヤ)、乍鹿文(サカヤ)の同類を八十梟師(ヤソタケル)といい、熊襲梟師(クマソタケル)の娘市乾鹿文(イチフカヤ)、市鹿文(イチカヤ)を欺いて熊襲梟師を殺したとあります。

 この「くまそたける」、「いさを」、「あつかや」、「さかや」、「やそたける」、「いちふかや」、「いちかや」は、

  「ク・マ・タウ・タケ・ル」、KU-MA-TAU-TAKE-RU(ku=silent;ma=white,clean;tau=come to rest,float,be suitable,beautiful;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;ru=skake,agitate,scatter)、「静かで・清らかな・美しい国の・どっしりとした・勇気が満ち溢れている(者)」

  「イタ・アウア」、ITA-AUA(ita=tight,fast,compact;aua=far advanced,at a great height or depth)、「こじんまりと・(他の者から)抜きん出ている(者)」

  「アツ・カ・イア」、ATU-KA-IA(atu=to indicate a direction or motion onwards,to form a comparative or superative;ka=be lighted;ia=indeed)、「一番の・実に・光り輝いている(者)」(美称と解した場合)または「アツ・カイア」、ATU-KAIA(atu=to indicate a direction or motion onwards,to form a comparative or superative;kaia=steal,thief,stealthy)、「一番の・(泥棒のように)忍び足で歩く(者)」(卑称と解した場合)

  「タ・カ・イア」、TA-KA-IA(ta=dash,beat,lay;ka=be lighted;ia=indeed)、「猛然と襲いかかる・実に・光り輝いている(者)」(美称と解した場合)または「タ・カイア」、TA-KAIA(ta=dash,beat,lay;kaia=steal,thief,stealthy)、「猛然と襲いかかる・(泥棒のように)忍び足で歩く(者)」(卑称と解した場合)

  「イ・アト・タケ・ル」、I-ATO-TAKE-RU(i=past tense,beside;ato=enclose in a hence,thatch;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;ru=skake,agitate,scatter)、「一つの塀の中に・いる(同じ部族の)・どっしりとした・周囲を震撼させる(者)」

  「イチ・フ・カ・イア」、ITI-HU-KA-IA(iti=small;hu=hill;ka=be lighted;ia=indeed)、「小さな・すこし背の高い・実に・光り輝いている(者)」(美称と解した場合)または「イチ・フ・カイア」、ITI-HU-KAIA(iti=small;hu=hill;kaia=steal,thief,stealthy)、「小さな・すこし背の高い・(泥棒のように)忍び足で歩く(者)」(卑称と解した場合)

  「イチ・カ・イア」、ITI-KA-IA(iti=small;ka=be lighted;ia=indeed)、「小さな・実に・光り輝いている(者)」(美称と解した場合)または「イチ・カイア」、ITI-KAIA(iti=small;kaia=steal,thief,stealthy)、「小さな・(泥棒のように)忍び足で歩く(者)」(卑称と解した場合)

の転訛と解します。

 

212H5川上梟師(カハカミノタケル)

 景行紀27年12月条に熊襲(クマソ)の取石鹿文(トロシカヤ)、亦の名川上梟師(カハカミノタケル)を212F3日本武(ヤマトタケル)尊が女装して討ち、川上梟師が日本武皇子(ヤマトタケルノミコ)の名を献じたとあります。記も同様ですが、熊曽建(クマソタケル)兄弟2人とし、さらに出雲建(イズモタケル)討伐説話を付しています。

 この「とろしかや」は、

  「トロチ・カ・イア」、TOROTI-KA-IA(toroti=spurt out,exude of a steady stream;ka=be lighted;ia=indeed)、「(勇気が)噴出する・実に・光り輝いている(者)」(美称と解した場合)または「トロチ・カイア」、TOROTI-KAIA(toroti=spurt out,exude of a steady stream;kaia=steal,thief,stealthy)、「(勇気が)噴出する・(泥棒のように)忍び足で歩く(者)」(卑称と解した場合)

の転訛と解します。

 

212H6弟橘(オトタチバナ)比売命

 記は、212F3倭建(ヤマトタケル)命が東征の際相模國走水(ハシリミズ)から上総國へ渡ろうとして暴風浪に悩んだとき、妃の弟橘(オトタチバナ)比売命が菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を敷いた上に入水して海神を鎮めたと伝えます。紀は弟橘(オトタチバナ)媛は穂積(ホヅミ)氏忍山(オシヤマ)宿禰の娘とします。

 この「おとたちばな」、「ほづみ」、「おしやま」、「はしりみず」は、

  「アウト・タ・チ・パナ」、AUTO-TA-TI-PANA(auto=trailing behind,drag out;ta=dash,beat,lay;ti=throw,cast;pana=thrust or drive away,cause to come or go forth in any way)、「(畳を波の上に)投げ出した・後に続いて・身を翻して・飛び込んだ(入水した。姫)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となった)

  「ハウツ・ミヒ」、HAUTU-MIHI(hautu=spirit of bravery;mihi=greet,admire)、「尊崇すべき・勇猛な精神(を持つ部族)」(「ハウツ」のAU音がO音に変化して「ホツ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「オチ・イア・マ」、OTI-IA-MA(oti=finished(koti=divide,separate);ia=indeed,current;ma=white,pale,clean)、「(弟橘媛が入水したことを知って)後で・実に・顔面蒼白となった(将軍)」

  「ハ・チリ・ミ・ツ」、HA-TIRI-MI-TU(ha=breath,what!;tiri=throw or place one by one,throw a present before one;mi=stream,river;tu=stand,settle)、「何と・(海神への)贈り物を投じた(弟橘比売命が入水した)・海が・在る(場所)」

の転訛と解します。

 

212H7美夜受(ミヤズ)比売命

 記は212F3倭建(ヤマトタケル)命が東征の際、尾張國造の娘美夜受(ミヤズ)比売命(紀は宮簀(ミヤス)媛)と結婚を約して東国に赴いた後帰って再会した際に、姫の意須比(オスヒ)の裾に月経の血が付いていたので歌を交わしたとします。

 この「みやず」、「おすひ」は、

  「ミ・イア・ツ」、MI-IA-TU(mi=stream,river;ia=indeed,current;tu=stand,settle)、「何と・水(月経血)が・(衣の裾に)着いていた(姫)」

  「オ・ツヒ」、O-TUHI(o=the...of;tuhi=delineate,adorn with painting,redden,adornment of a surface by pattern or colour)、「(赤く)色が着いている(衣の裾の汚れ)」(記の編集者は、意須比(オスヒ)(「襲」上着の一種。男女ともに使った。岩波『古語辞典』)を着衣の上に重ねて着る衣装と解していますが、月経血であれば下着に付くはずで、上着に付くはずはありません。これは上記の通り「裾」の「汚れ」と解すべきものです。)

の転訛と解します。

 

212H8御諸別(ミモロワケ)王

 景行紀55年2月条は、210崇神天皇の子210F1豊城入彦(トヨキイリヒコ)命の孫彦狭嶋(ヒコサシマ)王(207孝霊天皇の子207F6彦狭嶋(ヒコサシマ)命と同名です)に東山道15國の支配を命じましたが、赴任途中で病没したとします。

 そこで翌56年8月条は、彦狭嶋(ヒコサシマ)王の子御諸別(ミモロワケ)王に東国の支配を命じ、蝦夷の足振邊(アシフリベ)、大羽振邊(オホハフリベ)、遠津闇男邊(トホツクラヲベ)等を降伏させたとあります。

 この「ひこさしま」、「みもろわけ」、「あしふりべ」、「おほはふりべ」、「とほつくらをべ」は、

  「ヒコ・タ・チマ」、HIKO-TA-TIMA(hiko=move at random or irregularly;ta=dash,beat,lay;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「あちこち遍歴した・掘り棒で掘り散らかしたような地形の場所に・居る(王)」

  「ミヒ・モロキ・ワカイ(ン)ガ」、MIHI-MOROKI-WAKAINGA(mihi=greet,admire;moroki=continuing;wakainga=distant home)、「尊崇すべき・(父の偉業を)引き継いで行った・遠い所に住んだ(王)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「モロキ」のK音が脱落して「モロ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった))

  「アチ・プリ・ペ」、ATI-PURI-PE(ati=descendant,clan,beginning;puri=sacred;pe=crushed)、「最初に・聖なる権威を・失った(首長)」

  「オ・ホハ・プリ・ぺ」、O-HOHA-PURI-PE(o=the...of;hoha=wearied with expectation,wearisome;puri=sacred;pe=crushed)、「疲れ切って・聖なる権威を・失った(首長)」

  「ト・ホツ・クラ・オペ」、TO-HOTU-KURA-OPE(to=the...of;hotu=sob,desire eagerly;kura=red feathers,treasure,chief;ope=scoop up,scratch the head,bail out water)、「宝物を・失って・泣いた(首長)」

の転訛と解します。

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[213成務天皇]

 

213A稚足彦(ワカタラシヒコ)尊

 紀は212景行天皇の第4子で212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛命が生んだ212F6稚足彦(ワカタラシヒコ)尊とし、記は212E2八坂之入(ヤサカノイリ)比売命が生んだ212F6若帯日子(ワカタラシヒコ)命とします。

 天皇は、213H武内宿禰を大臣(オホオミ)として、地方行政機構の整備を行い、國郡に造(ミヤツコ)長を置き、縣邑に稲置(イナキ)(記は縣に縣主)を置いたと伝えます。

 この「わかたらしひこ」は、

  「ワカタラ・チ・ヒ・コ」、WHAKATARA-TI-HI-KO(whakatara=gossip,scandal,chaff,banter;ti=throw,cast;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「(先帝と異なって女性に興味を示さなかったという)ゴシップを・流した・身分の高い・男子(尊)」

の転訛と解します。

 また、この「みやつこ」、「いなき」は、

  「ミヒ・イア・ツコウ」、MIHI-IA-TUKOU(mihi=greet,admire;ia=indeed,current;tukou=dress timber with a adze)、「尊崇すべき・実に・(材木の表面を削るように)平滑に統治する(官吏)」

  「イナキ」、INAKI(overlap,thatch)、「(包み込むように人々を)統括する(官吏)」

の転訛と解します。

 

213B高穴穂(タカアナホ)宮

 記は宮を近淡海(チカツアフミ)の志賀(シガ)の高穴穂(タカアナホ)宮とします。紀には記載がありません。天皇は212景行天皇が晩年に住み、そこで崩御された212B6高穴穂(タカアナホ)宮にそのまま住んだものと思われます。

 この「たかあなほ」、「しが」は、

  「タカ・ア・ナホ」、TAKA-A-NAHO(taka=heap,lie in a heap;a=the...of;naho=hasty,quick)、「高いところにある(または高く作られた)・急造の(宮)」

  「チ(ン)ガ」、TINGA(tinga=likely,suitable)、「(宮を建てるのに)好適な(地域)」

の転訛と解します。

 

213C1大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊

 父は212A大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)尊(景行天皇)の項を参照してください。

 

213C2八坂入(ヤサカノイリ)媛命

 母は212E2八坂入(ヤサカノイリ)媛命の項を参照してください。

 

213D1櫛角別(クシツヌワケ)王から213D28大枝(オホエ)王まで

 兄弟姉妹については、それぞれ212F1櫛角別(クシツヌワケ)王から212F28大枝(オホエ)王まで(212F6稚足彦(ワカタラシヒコ)尊を除く。)の項を参照してください。

 

213E弟財郎女(オトタカラノイラツメ)

 記は穂積(ホヅミ)臣等の祖、建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の娘、弟財郎女(オトタカラノイラツメ)を娶って213F和訶奴氣(ワカヌケ)王を生んだとします。紀には妃、御子とも記載がありません。

 この「おとたから」、「ほづみ」、「たけおしやまたりね」は、

  「アウト・タカ・ラ」、AUTO-TAKA-RA(auto=trailing behind,drag out;taka=lie in a heap,fall off,revolve;ra=wed)、「(夫が皇太子から天皇となり、また子が皇太子とならなかったことにより、夫または子の)後を追って・(地位・身分が)共に・変転した(姫)」

  「ハウツ・ミヒ」、HAUTU-MIHI(hautu=spirit of bravery;mihi=greet,admire)、「尊崇すべき・勇猛な精神(を持つ部族)」(「ハウツ」のAU音がO音に変化して「ホツ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「タケ・オチ・イア・マ・タリ・ヌイ」、TAKE-OTI-IA-MA-TARI-NUI(take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;oti=finished(koti=divide,separate);ia=indeed,current;ma=white,clean;tari=carry,urge;nui=large,many)、「すっくと立っている・遠く離れた・実に・清らかな場所に住む・活気に富む(首長)」

の転訛と解します。

 

213F和訶奴氣(ワカヌケ)王

 記は213A稚足彦(ワカタラシヒコ)尊と213E弟財郎女(オトタカラノイラツメ)の子とします。仲哀紀は成務天皇は「男無(ヒコミコマシマサズ)」とします。

 この「わかぬけ」は、

  「ウアカハ・ヌケ」、UAKAHA-NUKE(uakaha=vigorous,difficult;nuke=crooked,humped)、「粗暴で・心が曲がっていた(王)」

の転訛と解します。

 

213G狭城盾列(サキノタタナミ)陵

 紀は陵を倭(ヤマト)國の狭城盾列(サキノタタナミ)陵、記は「沙紀の多他那美に在り」とします。『延喜式』は「狭城盾列池後(サキノタタナミノイケリシリ)陵。大和國添上郡」と、『陵墓要覧』は所在地を奈良市山陵町字御陵前とします。

 この「さき」、「たたなみ」は、

  「タキ」、TAKI(track,lead,bring along)、「(北への)道を辿る(地域)」

  「タ・タ(ン)ガ・ミ」、TA-TANGA-MI(ta=the;tanga=be assembled,row.tier;mi=stream,river)、「(水を張った)周濠(を持つ墳墓)が・段列をつくって並んで・いる(場所)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」となった)

の転訛と解します。地名篇(その五)の奈良県の(4)佐紀盾波古墳群の項を参照してください。

 

213H武内(タケシウチ)宿禰

 孝元紀2年2月条は208F5彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)命の孫武内(タケシウチ)宿禰と記し、景行紀3年2月条は212H1屋主忍男武雄心(ヤヌシオシヲタケゴコロ)命(一書では武猪心(タケイココロ))が紀直の遠祖菟道(ウヂ)彦の娘影(カゲ)媛を娶って武内宿禰を生んだとし、記は208F5比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命と木国造の祖の宇豆(ウヅ)比古の妹の山下影(ヤマシタカゲ)日売の子建内(タケウチ)宿禰とします。

 武内宿禰は景行天皇に仕えて北陸・東国の事情を調査し(景行紀25年7月条・27年2月条)、212F6稚足彦(ワカタラシヒコ)尊とともに新年宴会に非常時に備えて朝廷を警備して稚足彦尊は皇太子に武内宿禰は棟梁之臣(ムネハリノマヘツキミ)となり(景行紀51年正月条・同年8月条)、次いで成務紀3年正月条は成務天皇と同日に生まれた武内宿禰を大臣(オホオミ)としたとします。

 宿禰は次の214仲哀天皇にも大臣として仕え、神功皇后に協力して215応神天皇の擁立に力を尽くし(214H2撞賢木厳之御魂天疎向津(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツ)媛命の項を参照してください)、仁徳天皇の時代にも長寿の人として記されています(記は成務天皇から仁徳天皇までに登場します)。

 この「たけしうち(たけうち)」、「むねはりのまへつきみ」、「おほおみ」は、

  「タカイ・チウ・ウチ」、TAKAI-TIU-UTI(takai=wrap up,wrapper;tiu=soar,wander,sway to and fro;uti=bite(utiuti=worry,annoy))、「(生まれたばかりの譽田尊を)産着にくるんで(抱いて保護して)・諸国を放浪し・苦労した(将軍)」または「タカイ・ウチ」、TAKAI-UTI(takai=wrap up,wrapper;uti=bite(utiuti=worry,annoy))、「(生まれたばかりの譽田尊を)産着にくるんで(抱いて保護して)・苦労した(将軍)」(「タカイ」のAI音がE音に変化して「タケ」となった)

  「ムナ・ハリ・ノ・マヘア・ツ・キ・ミヒ」、MUNA-HARI-NO-MAHEA-TU-KI-MIHI(muna=secret;hari=carry;no=of;mahea=cleared away,free from obstruction;tu=stand,settle;ki=full,very;mihi=greet,admire)、「秘密を・運ぶ(胸に秘めて)・いる・何ものにも妨害されない(独立して公正な)・立場に居る・尊崇すべき(家臣)」

  「オホ・オフ・ミヒ」、OHO-OHU-MIHI(oho=wake up,arise;ohu=beset in great numbers,surround;mihi=greet,admire)、「すっくと立っている(高い地位にある)・(天皇を)取り囲む・尊崇すべき(家臣)」

の転訛と解します。

 

 

[214仲哀天皇]

 

214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と211F16両道入(フタヂノイリ)姫命の第2子、足仲彦(タラシナカツヒコ)尊とし、記は212F3倭建(ヤマトタケル)命と211F16布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命の生んだ帯中津日子(タラシナカツヒコ)命とします。213成務天皇に皇太子にふさわしい御子がなかったため、甥(父の異母兄の子)の足仲彦尊が皇太子に立てられ、214仲哀天皇となりました。

 この「たらしなかつひこ」は、

  「タラチ(タラ・チ)・ナ・カツア・ヒコ」、TARATI(TARA-TI)-NA-KATUA-HIKO(tarati=spurt,splash;(tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast);na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence;hiko=move at random or irregularly)、「全力を奮った(または<神の託宣を信じなかったため急死したという>ゴシップを・流した)・(先帝の直系ではない)傍系の・各地を遍歴した(尊)」

の転訛と解します。

 この「なかつ」は、通常「(真)中に位置する」と解されていますが、上記のように「最奥部の区画(塀)と外側の区画(塀)の間の(中の)区画(塀)」が原義ですので、ここでは「傍系」と解しました。

 

214B1笥飯(ケヒ)宮

 紀は即位当初の宮を記しません。仲哀紀2年2月条は天皇は角鹿(ツヌガ)に行き、行宮の笥飯(ケヒ)宮に滞在したとします。

 この「けひ」、「つぬが」は、

  「カイ・ヒ」、KAI-HI(kai=food;hi=raise,catch with fook and line,rise)、「食物(魚・いるかなど)を・釣り上げる(場所。そこにある宮)」

  「ツ・ヌイ・(ン)ガ」、TU-NUI-NGA(tu=stand,settle;nui=large,many;nga=satisfied,breath)、「大きな・満足が・ある(場所)」(なお、角鹿(ツヌガ)が敦賀(ツルガ)に転じたとされる「つるが」は、「ツ・ル(ン)ガ」、TU-RUNGA(tu=stand,settle;runga=the top,above,the south)、「(越の国の)南端に・位置する(地域)」(「ル(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ルガ」となった))

の転訛と解します。古典篇(その五)の064氣比(ケヒ)の大神の項を参照してください。

 

214B2徳勒津(トコロツ)宮

 仲哀紀2年3月条は天皇は皇后214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊や百寮(朝廷の官人たち)を笥飯(ケヒ)宮に置いたまま、ごく少数の供を連れて紀伊国に行き、徳勒津(トコロツ)宮に滞在したとします。徳勒津は現和歌山市新在家に比定する説があります。

 この「ところつ」は、

  「トコ・ロツ」、TOKO-ROTU(toko=prefix used in place of;rotu=heavy,favourable,put to sleep by means of a spell,render the sea calm by a spell)、「お気に入りの・場所(宮)」または「(呪文を唱えたように)静かな海の・(そばに)ある(宮)」

の転訛と解します。

 

214B3穴門豊浦(アナトノトユラ)宮

 仲哀紀2年9月条は天皇は熊襲討伐のために皇后214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊と合流して穴門(アナト)の豊浦(トユラ)宮に滞在(長門(ナガト)国豊浦郡。現山口県下関市豊浦の忌宮神社の地に比定する説があります。)したとします。記は「穴門(アナト)の豊浦(トユラ)宮、また筑紫(ツクシ)の訶志比(カシヒ)宮に坐しまして天の下治らしめしき」とします。

 この「とゆら」、「ながと」、「あなと」は、

  「トイ・ウラ(ン)ガ」、TOI-URANGA(toi=move quickly,encourage;uranga=act or circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(皇后一行が)到着して・元気づけられた(場所)」(「トイ」の語尾のI音と「ウラ(ン)ガ」の語頭のU音が連結し、「ウラ(ン)ガ」の語尾の「(ン)ガ」が脱落して「トユラ」となった)

  「(ン)ガ(ン)ガ・ト」、NGANGA-TO(nganga=breathe heavily or with difficulty;to=drag,open or shut a door or window)、「(潮流が)向きを変えて・激しく流れる(海峡。その海峡のある地域)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

  「アナ・ト」、ANA-TO(ana=denoting continuance of action or state;to=drag,open or shut a door or window)、「(潮流が)向きを変えて・流れる(海峡。その場所)」

の転訛と解します。

 

214B4橿日(カシヒ)宮

 仲哀紀8年正月条は天皇は儺(ナ)縣の橿日(カシヒ)宮(現福岡市香椎)に滞在したとします。記は「穴門(アナト)の豊浦(トユラ)宮、また筑紫(ツクシ)の訶志比(カシヒ)宮に坐しまして天の下治らしめしき」とします。

 この「かしひ」、「つくし」、「な」は、

  「カチ・ヒ」、KATI-HI(kati=leave off,be left in statu quo,bite;hi=raise,rise)、「(天皇が急死したので)そのまま放置された・(棟の)高い(立派な。宮)」

  「ツ・クチ」、TU-KUTI(tu=stand,settle;kuti=contract,pinch)、「(両側の山が)締め付けているところに・位置している(地域)」

  「ヌイ」、NUI(large,many)、「大きい(地域。または大きい港のある場所)」または「ナ」、NA(satisfied,breath)、「満足している(繁栄している場所。または繁栄している港がある場所)」(古典篇(その四)の09奴国の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

214C1日本武(ヤマトタケル)尊

 父は212F3日本武(ヤマトタケル)尊の項を参照してください。

 

214C2両道入(フタヂノイリ)姫命

 母は211F16石衝(イハツク)毘売命(布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命)の項を参照してください。

 

214D1稲依別(イナヨリワケ)王

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と211F16両道入(フタヂノイリ)姫命の第1子、稲依別(イナヨリワケ)王とし、記は212F3倭建(ヤマトタケル)命と近淡海の安(ヤス)國造の祖の意富多牟和氣(オホタムワケ)の娘の布多遅(フタヂ)比売の生んだ稲依別(イナヨリワケ)王とします。

 この「いなよりわけ」、「やす」、「おほたむわけ」、「ふたぢ」は、

  「イ・ナイ・オリ・ワカイ(ン)ガ」、I-NAI-ORI-WAKAINGA(i=past tense;nai=nei=to denote proximity to or connection with,to indicate continuance of action;ori=cause to wave to and fro,sway,move about;wakainga=distant home)、「ふらふらと・あちこち渡り歩いた・遠いところを住居とした(王)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「イア・ツ」、IA-TU(ia=current,rushing stream;tu=fight with,forthful,energetic)、「乱暴な性質の(しょっちゅう洪水を起こす)・激流(の川。その流域)」(地名篇(その三)の滋賀県の(17)野洲川の項を参照してください。)

  「オホ・タム・ワカイ(ン)ガ」、OHO-TAMU-WAKAINGA(oho=be awake,arise;tamu,tamutamu=flashing;wakainga=distant home)、「すっくと立っている・まばゆく光る・遠いところを住居とした(王)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「フ・タ・チ」、HU-TA-TI(hu=silent;ta=dash,beat,lay;ti=throw,cast)、「静かに・座って・そのままにしている(姫)」

の転訛と解します。

 

214D2布忍入(ヌノシイリ)姫命

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と211F16両道入(フタヂノイリ)姫命の第3子、布忍入(ヌノシイリ)姫命とし、記には記載がありません。

 この「ぬのしいり」は、

  「ヌイ・ノチ・イリ」、NUI-NOTI-IRI(nui=large,many;noti=contract,pinch;iri=be elevated on,be published,a spell to render visible one at a distance,affect with such a spell)、「ひどく・痩せていたことで・有名な(姫)」

の転訛と解します。

 

214D3稚武(ワカタケ)王

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と211F16両道入(フタヂノイリ)姫命の第4子、稚武(ワカタケ)王とし、記には記載がありません。

 この「わかたけ」は、

  「ウアカハ・タケ」、UAKAHA-TAKE(uakaha=vigorous,difficult;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation)、「勇気に満ち・どっしりとしている(王)」

の転訛と解します。

 

214D4稚武彦(ワカタケヒコ)王

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と212H6弟橘(オトタチバナ)媛命の生んだ稚武彦(ワカタケヒコ)王とし、記は212F3倭建(ヤマトタケル)命と212H6弟橘(オトタチバナ)比売命の生んだ若建(ワカタケル)王とします。

 この「わかたけ(る)」は、

  「ウアカハ・タケ・ル」、UAKAHA-TAKE-RU(uakaha=vigorous,difficult;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;ru=skake,agitate,scatter)、「勇気に満ち・どっしりとして・活力が溢れている(王)」

の転訛と解します。

 

214D5武卵(タケカヒゴ)王

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と吉備武彦の娘の吉備穴戸武(キビノアナトノタケ)媛の生んだ第1子の武卵(タケカヒゴ)王とし、記は212F3倭建(ヤマトタケル)命と吉備臣建(タケ)日子の妹の大吉備建(オホキビタケル)比売の生んだ建貝児(タケカヒコ)王とします。

 この「たけかひこ」、「きびのあなとのたけ」、「おほきびたける」は、

  「タケカ・ヒコ」、TAKEKA-HIKO(takeka=slovenly;hiko=move at random or irregularly)、「(身じまい等が)だらしがなく・ふらふら出歩いた(王)」

  「キ・ピ・ノ・アナ・ト・ノ・タケ」、KI-PI-NO-ANA-TO-NO-TAKE-RU(ki=full,very;pi=eye;no=of;ana=denoting continuance of action or state;to=drag,open or shut a door or window;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation)、「大きな・眼(津山盆地)がある国(吉備国)・の・(潮流が)向きを変えて・流れる場所・の・どっしりとした(姫)」

  「オホ・キ・ピ・タケ・ル」、OHO-KI-PI-TAKE-RU(oho=be awake,arise;ki=full,very;pi=eye;take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;ru=skake,agitate,scatter)、「すっくと立っている・吉備国の・どっしりとして・活力が溢れている(姫)」

の転訛と解します。

 

214D6十城別(トヲキワケ)王

 紀は212F3日本武(ヤマトタケル)尊と吉備武彦の娘の吉備穴戸武(キビノアナトノタケ)媛の生んだ第2子の十城別(トヲキワケ)王とし、記には記載がありません。

 この「とをきわけ」は、

  「タウ・オキ・ワカイ(ン)ガ」、TAU-OKI-WAKAINGA(tau=come to rest,float,be suitable,beautiful;(Hawaii)oki=divide,finish;okioki=rest,pause;wakainga=distant home)、「(朝廷と)離れて(遠隔の地で)・悠々と暮らした・遠いところを住居とした(王)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

214D7足鏡別(アシカガミワケ)王(蘆髪蒲見別(アシカミノカマミワケ)王)

 記は212F3倭建(ヤマトタケル)命と山代の玖玖麻毛理(ククマモリ)比売の生んだ足鏡別(アシカガミワケ)王とします。紀は仲哀紀元年閏11月条に天皇の異母弟の蘆髪蒲見別(アシカミノカマミワケ)王として登場し、倭建命陵の周濠に放すべく越國から献上された白鳥を「白鳥も焼けば黒鳥になる」と言って奪った罪で殺されます。

 この「あしかがみわけ」、「あしかみのかまみわけ」、「くくまもり」は、

  「アチ・カ・カミ・ワカイ(ン)ガ」、ATI-KA-KAMI-WAKAINGA(ati=beginning,clan,descendant;ka=take fire,burn;kami=eat;wakainga=distant home)、「(白鳥を)焼いて・食べた・最初(または後裔)の人間で・遠くに住んでいた(王)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「アチ・カミ・ノ・カ・マミ(ン)ガ・ワカイ(ン)ガ」、ATI-KAMI-NO-KA-MAMINGA-WAKAINGA(ati=beginning,clan,descendant;kami=eat;no=of;ka=take fire,burn;maminga=beguile,play pranks with,pretend;wakainga=distant home)、「(白鳥を)戯れで・焼いて・食べた・最初(または後裔)の人間で・遠くに住んでいた(王)」(「マミ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「マミ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「クク・マ・モリ」、KUKU-MA-MORI(kuku=firm,draw together,grating sound;ma=white,clean;mori=fondle,caress)、「小柄で・清らかな・(子供を)溺愛した(姫)」

の転訛と解します。

 

214D8息長田別(オキナガタワケ)王

 記は212F3倭建(ヤマトタケル)命とある妻の生んだ息長田別(オキナガタワケ)王とします。紀には記載がありません。

 この「おきながたわけ」は、

  「オキ・ナ・(ン)ガタ・ワカイ(ン)ガ」、OKI-NA-NGATA-WAKAINGA((Hawaii)oki=divide,finish;okioki=rest,pause;na=by,belonging to;ngata=satisfied;wakainga=distant home)、「(朝廷と)離れて(遠隔の地で)・どちらかといえば・満足していた・遠いところを住居とした(王)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

214E1大中(オホナカツ)姫

 紀は最初の妃を叔父である212F27日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)王(記の212E9伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)の第2子。212E10訶具漏(カグロ)比売の子(いずれも紀には見えません。)である212F28大枝(オホエ)王と同一人と解する説があります)の娘の大中(オホナカツ)姫とし、214F1鹿坂(カゴサカ)皇子と214F2忍熊(オシクマ)皇子を生んだとします。

 記は212F28大枝(オホエ)王の娘の大中津(オホナカツ)比売命とし、214F1香坂(カゴサカ)王と214F2忍熊(オシクマ)王を生んだとします。

 この「おほなかつ」は、

  「オホ・ナ・カツア」、OHO-NA-KATUA(oho=be awake,arise;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「すっくと立っている・(朝廷の中で)傍系に・属する(血統の。姫)」

の転訛と解します。

 

214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊(神功皇后)

 紀は皇后を209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊(209開化天皇)の曾孫、息長(オキナガ)宿禰王が葛城の高額(タカヌカ)比売を娶って生んだ氣長足(オキナガタラシ)姫尊とし、仲哀天皇の崩後、新羅遠征を推進し、帰国後に214F4譽田別(ホムタワケ)尊を生んだとします。皇后は214F1香坂(カゴサカ)王と214F2忍熊(オシクマ)王の反乱を鎮めて譽田別(ホムタワケ)尊を215応神天皇とし、崩後神功皇后の名を追諡されます。

 記は皇后を209F4日子坐(ヒコイマス)王の曾孫、息長(オキナガ)宿禰王が葛城の高額(タカヌカ)比売を娶って生んだ第1子息長帯(オキナガタラシ)比売命とし、214F3品夜和氣(ホムヤワケ)命と214F4大鞆和氣(オホトモワケ)命、亦の名品陀和氣(ホムタワケ)命を生んだとします。

 この「おきながたらし」、「たかぬか」は、

  「オキ・ナ・(ン)ガ・タラチ(タラ・チ)」、OKI-NA-NGA-TARATI(TARA-TI)((Hawaii)oki=divide,finish;na=belonging to;nga=satisfied,breathe;tarati=spurt,splash;(tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast))、「(天皇家の血統と離れた)傍系の・(境遇に)満足して・いた(部族出身の)・全力を奮った(または<不倫の子を天皇にしたという>ゴシップを流した。姫)」(「(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ガ」となった)

  「タ・カヌカ」、TA-KANUKA(ta=the...of,dash,beat,lay;kanuka=manuka=tea-tree,trouble,anxiety)、「ひどく・心配性の(姫)」

の転訛と解します。

 なお、近江国坂田郡息長(オキナガ)の地名は、「オキ・(ン)ガ(ン)ガ」、OKI-NGANGA((Hawaii)oki=divide,finish;nganga=breathe heavily or with difficulty)、「激しい洪水が・終わった(穏やかな。土地)」の転訛と解します。

 

214E3弟(オト)媛

 紀は妃を来熊田(ククマタ)造の祖大酒主(オホサカヌシ)の娘弟(オト)媛とし、214F3譽屋別(ホムヤワケ)皇子を生んだとします。記には見えません。

 この「おと」、「おほさかぬし」、「くくまた」は、

  「アウト」、AUTO(trailing behind,slow)、「(姉の)後ろについて行く(姫)」

  「オホ・タカ・ヌイ・チ」、OHO-TAKA-NUI-TI(oho=be awake,arise;taka=heap,lie in a heap;nui=large,many;ti=throw,cast,overcome)、「すっくと立っている・高い所にいて・多くの部族を・従えた(首長)」

  「クク・マタ」、KUKU-MATA(kuku=firm,draw together,grating sound;mata=face,eye,heap,deep swamp)、「こじんまりした・高台(そこを治める首長)」

の転訛と解します。

 

214F1鹿坂(カゴサカ)皇子

 紀は214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊と214E1大中(オホナカツ)姫の第1子の鹿坂(カゴサカ)皇子(記は香坂(カゴサカ)王)とします。皇子は、仲哀天皇が崩御し、214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊(神功皇后)が新羅遠征から帰国後に214F4譽田別(ホムタワケ)尊を生んだと知り、214F2忍熊(オシクマ)皇子と共謀して神功皇后を迎え撃つ準備をし、祈狩(ウケヒガリ)をしますが、「仮?(まだれに技)(さずき)」(一般に「桟敷」と解されています。)で猪に食われて死亡します。

 この「かごさか」、「うけひがり」、「さずき」は、

  「カ・(ン)ガウ・タカ」、KA-NGAU-TAKA(ka=screech;ngau=bite,hurt;taka=heap,lie in a heap,fall off)、「悲鳴を上げて・(猪に)食われた・高い桟敷にいた(または高いところから転落した。皇子)」

  「ウ・ケヒ・(ン)ガリ」、U-KEHI-NGARI(u=be fixed,reach its limit;kehi=defame,speak ill of;ngari=greatness,disturbance)、「大がかりな・正邪真偽を定めて・邪偽をおとしめる(行事)」

  「タツ・キ」、TATU(be at ease,be content)-KI(full,very)、「ゆったりとした・休息場所」(八岐大蛇退治の「佐受岐」と発音は同じですが異なる語です。)

の転訛と解します。

 

214F2忍熊(オシクマ)皇子

 紀は214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊と214E1大中(オホナカツ)姫の第2子の忍熊(オシクマ)皇子(記は忍熊(オシクマ)王)とします。皇子は、仲哀天皇が崩御し、214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊(神功皇后)が新羅遠征から帰国後に214F4譽田別(ホムタワケ)尊を生んだと知り、214F1鹿坂(カゴサカ)皇子と共謀して神功皇后を迎え撃つ準備をし、祈狩(ウケヒガリ)をしたところ、鹿坂(カゴサカ)皇子は猪に食われて死亡した後、菟道(ウヂ)の戦いに敗れ、瀬田で死亡し、その屍は日を経て菟道で発見されます。

 この「おしくま」は、

  「オチ・ク・マ」、OTI-KU-MA(oti=finished;ku=silent;ma=white,clean)、「(屍が川水に長期間洗われて)静かで・清らかな(屍となって発見されるという)・結末を迎えた(皇子)」

の転訛と解します。

 

214F3譽屋別(ホムヤワケ)皇子

 紀は214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊と214E3弟(オト)媛の子の譽屋別(ホムヤワケ)皇子(記は214E2息長帯(オキナガタラシ)比売命が生んだ第1子の品夜和氣(ホムヤワケ)命)とします。

 この「ほむやわけ」は、

  「ハウムム・イア・ワカイ(ン)ガ」、HAUMUMU-IA-WAKAINGA(haumumu=silent;ia=indeed,current;wakainga=distant home)、「実に・静かな・遠いところを住居とした(王)」(「ハウムム」のAU音がO音に変化し、反復語尾の「ム」が脱落して「ホム」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

214F4譽田別(ホムタワケ)尊

 紀は214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊の第4子で、214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊の子の譽田別(ホムタワケ)尊(後の215応神天皇。記は214E2息長帯(オキナガタラシ)比売命が生んだ第2子の大鞆和氣(オホトモワケ)命、亦の名品陀和氣(ホムタワケ)命)とします。

 この名に関しては、記紀ともに生まれたとき腕が鞆(トモ。ホムタとも。弓を射るときに左腕に結びつける弦受けの保護具)のようであったからとし、また皇太子となって角鹿に滞在した際、氣比大神と名を交換したとも伝えます。なお、本居宣長『古事記伝』は上古に鞆をホムタといった例はないとします。215A譽田別(ホムタワケ)尊の項および古典篇(その五)の030伊奢沙和氣大神064氣比大神の項を参照してください。

 

214G長野(ナガノ)陵

 紀は陵を河内(カフチ)国の長野(ナガノ)陵とし、記は河内の恵賀(エガ)の長江(ナガエ)に在りとします。

 なお、214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊の陵は記紀ともに狭城盾列(サキノタタナミ)陵(213G狭城盾列(サキノタタナミ)陵の項および地名篇(その五)の奈良県の(4)佐紀盾波古墳群の項を参照してください。)とします。

 この「ながの」、「えがのながえ」、「かふち」は、

  「(ン)ガ(ン)ガ・(ン)ガウ」、NGANGA-NGAU(nganga=breathe heavily or with difficulty,screech;ngau=bite,hurt,attack)、「激流が・襲つた(場所。そこに造成された陵)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「エ(ン)ガ・ノ・ナ・(ン)ガエ」、ENGA-NO-NA-NGAE(enga=anxiety(engaenga=overflow);no=of;na=by,belonging to;ngae=swamp)、「どちらかと言えば・湿地に・属する地域で・洪水の心配がある(土地)」

  「カフ・チ」、KAPU-TI(kapu=hollow of the hand;ti=throw,cast)、「手のひらの窪み(のような地形の場所)に・位置している(国)」

の転訛と解します。

 

214H1熊鰐(ワニ)

 仲哀紀8年正月条に天皇が筑紫に来られたのを知って岡(オカ)縣の熊鰐(ワニ)が出迎えて魚塩の地(その中には御筥(ミハコ。意味未詳)、御瓦(ミナヘ。正しくは扁に瓦。鍋のこととされますが未詳)があります)を献上します。天皇の船が岡浦に入るのを大倉主(オホクラヌシ)神と菟夫羅(ツブラ)媛神が妨げたので大和国菟田の伊賀彦(イガヒコ)に祭祀をさせます。

 この「わに」、「おか」、「みはこ」、「みなへ」、「おほくらぬし」、「つぶら」、「いがひこ」は、

  「ワニ」、WANI(scrape,graze,comb the hair)、「国を平穏に治める(者)」

  「オカ」、OKA(prick,stab)、「(突き刺したように海が)細長く入り込んでいる(場所。湾がある地域)」

  「ミ・ハコ」、MIHI-HAKO(mihi=greet,admire;hako=anything used as a scoop or shovel)、「尊い・(土中から)掘り出す(食物。その場所)」

  「ミ・ナヘ」、MIHI-NAHE(mihi=greet,admire;nahe=alone,only)、「尊い・(天皇一行の)専用の(食物を供給する場所)」

  「オホ・クラ・ヌイ・チ」、OHO-KURA-NUI-TI(oho=be awake,arise;kura=ornamented with feathers,treasure,chief;nui=large,many;ti=throw,cast,overcome)、「すっくと立つている・美々しく着飾った・多数(の人)を・従えている(神)」

  「ツプラ(ン)ギ」、TUPURANGI(disconnected,random)、「物事にも拘らない(鷹揚な。皇女)」(語尾の「(ン)ギ」が脱落して「ツプラ」となった)

  「イ・(ン)ガ・ヒコ」、I-NGA-HIKO(i=past tense,beside;nga=satisfied,breath;hiko=move at random or irregularly)、「満足・している・各地を遍歴した(者)」

の転訛と解します。

 

214H2撞賢木厳之御魂天疎向津(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツ)媛命

 仲哀紀8年9月条に神が皇后に憑依して「熊襲を征伐するよりも財宝が多数ある処女のマヨビキのような国、新羅国を征伐すべし」と託宣を下しますが、天皇はこれを信ぜず、熊襲を撃ちますが勝つことができず、9年2月に急死します(記は天皇が託宣を信じなかったためその場で急死したとします)。皇后は天皇の崩御を秘して豊浦宮で殯(モガリ)の无火殯斂(ホナシアガリ)を行います。

 同9年3月に皇后は自ら神主となり、213H武内宿禰に琴を弾かせ(記は武内宿禰が沙庭(サニハ)に在って神意を聞いたとします)、中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツオミ)を審神者(サニハ)として先に託宣を下した神の名を問い、伊勢国の渡逢(ワタラヒ)縣の拆鈴五十鈴(サクスズイスズ。神代記の佐久久斯侶伊須受宮の表記に従いサククシロイスズとして解釈します)宮の撞賢木厳之御魂天疎向津(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツ)媛命、天事代虚事代玉籤入彦厳之事代(アメニコトシロソラニコトシロタマクシイリヒコイツノコトシロ)神、表筒男(ウハツツノヲ)神・中筒男(ナカツツノヲ)神・底筒男(ソコツツノヲ)神などの名を知ります(記は天照大神と表筒男神・中筒男神・底筒男神とします)。

 この「まよびき」、「もがり」、「ほなしあがり」、「いかつおみ」、「さには」、「わたらひ」、「さくくしろ/いすず」、「つきさかきいつのみたまあまさかるむかつ」、「あめにことしろそらにことしろたまくしいりひこいつのことしろ」は、

  「マイオ・ピキ」、MAIO-PIKI(maio=calm(maioio=innumerable);piki=plume for the head)、「無数の・頭飾り」(「マイオ」のIO音がYO音に変化して「マヨ」となった)

  「モ・(ン)ガリ」、MO-NGARI(mo=for,for the use of,in consideration of the fact that;ngari=annoyance,greatness,power)、「(故人の)偉大さを・偲ぶための行事」(「(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「ガリ」となった)

  「ハウ・ナチ・ア・(ン)ガリ」、HAU-NATI-A-NGARI(hau=wind,breath;nati=contract,pinch;a=urge,collect;ngari=annoyance,greatness)、「(悲しみの)声を・強いて・押し殺して行う・悲しみ(の行事。または大規模な行事)」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」と、「(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「ガリ」となった)

  「イカ・ツ・アウミヒ」、IKA-TU-AUMIHI(ika=heap;tu=stand,settle;aumihi=sigh for,greet,welcome)、「高い地位に・ある・応接者」(「アウミヒ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オミ」となった)

  「タ(ン)ギ・ワ」、TANGI-WHA(tangi=sound,cry,resound;wha=be disclosed,get abroad)、「託宣(の意味)を・明らかにする(者)」(「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タニ」から「サニ」となった)

  「ワタ・ラヒ」、WHATA-RAHI(whata=elevated stage for storing food and other purposes;rahi=great,numerous)、「大きな(または多数の)・高床の食糧倉庫(がある地域)」

  「タク・クチ・ロ/イ・ツツ」、TAKU-KUTI-RO-I-TUTU(taku=edge,border;kuti=contract,pinch;ro=roto=inside;i=past tense,beside;tutu=hoop for holding open a hand net)、「狭まった口の・中の・縁にある/手網の支柱のような(地形の)・そばの(場所にある宮)」

  「ツキ・タカキ・イツ・ノ・ミヒ・タマ・アマ・タカ・ル・ムカ・ツ」、TUKI-TAKAKI-ITU-NO-MIHI-TAMA-AMA-TAKA-RU-MUKA-TU(tuki=beat,attack;takaki=neck,throat;itu=side;no=of;mihi=greet,admire;tama=son,spirit,emotion;ama=outrigger or thwart of a canoe;ru=shake,scatter,quiver;muka=the way by which a god communicates with the medium;tu=stand,settle)、「浸食された・山あいの場所の・尊崇すべき・神霊の・傍らに・カヌーの舳先のように(屋根の尖った先端を)・天高く・突きだした(宮に)・神と交流する者として・存在する(命)」

  「ア・メノ・コト・チロ・タウ・ラ(ン)ギ・コト・チロ・タマ・クチ・イリ・ヒ・コ・イ・ツノウ・コト・チロ」、A-MENO-KOTO-TIRO-TAU-RANGI-KOTO-TIRO-TAMA-KUTI-IRI-HI-KO-I-TUNOU-KOTO-TIRO(a=the...of,belonging to;meno,whakameno=show off,make a display;koto=loathing,sob;tiro=look,survey;tau=come to rest,float,be suitable,beautiful;rangi=sky,heaven;tama=son,spirit,emotion;kuti=contract,pinch;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;i=past tense,beside;tunou=nod the head,sign of assent)、「目立つことを・嫌ったように・見える・楽園で・休息することを・嫌ったように・見える・心を・引き締めている・有名な・高い身分の・男子で・(どんなことにも)同意することを・嫌ったように・みえる(神)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」と、「ラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ラニ」となった)

の転訛と解します。

 なお、表筒男(ウハツツノヲ)神・中筒男(ナカツツノヲ)神・底筒男(ソコツツノヲ)神については、古典篇(その五)の041上筒男神101中筒男神077底筒男神の項を参照してください。

214H3向匱男聞襲大?五御魂速狭騰(ムカヒツヲモオソホフイツノミタマハヤサノボリ)尊

 仲哀紀9年12月条の次に、同8年9月条以下前段までの異伝(一書第一)があり、仲哀天皇が橿日宮に居るとき、神が娑婆(サバ)県主の祖内避高国避高松屋種(ウツヒコクニヒコマツヤタネ)に憑り、次いで皇后に憑つて、「美女のマヨビキのような、財宝の多い国を与えよう」と託宣を下し、自らの名を「表筒男(ウハツツノヲ)・中筒男(ナカツツノヲ)・底筒男(ソコツツノヲ)」といい、また「向匱男聞襲大?五御魂速狭騰(ムカヒツヲモオソホフイツノミタマハヤサノボリ)尊」と名乗ったとあります。

 この「むかひつをもおそほふいつのみたまさのぼり」、「うつひこくにひこまつやたね」は、

  「ムカ・ヒ・イツ・ヲモ・オト・ハウフ・イツ・ノ・ミヒ・タマ・タ(ン)ゴ・ポリ」、MUKA-HI-ITU-WAUMAU-OTO-HAUHU-ITU-NO-MIHI-TAMA-TANGO-PORI()、「()()()()()」()

  「ウツ・ヒコ・クニ・ヒコ・マツ・イア・タネ」、UTU-HIKO-KUNI-HIKO-MATU-IA-TANE(utu=return for something,satisfaction,reward,make response;hiko=move at random or irregularly,shine;(Hawaii)kuni=to burn,kindle;matu=ma atu=go,come;ia=indeed;tane=male,showing manly qualities)、「放浪を・重ね・諸国を巡って・経験を積んだ・たまたま・この場に居合わせた・男らしい男の(県主)」(「イア」が「ヤ」となった)

の転訛と解します。

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[215応神天皇]

 

215A譽田別(ホムタワケ)尊

 紀は214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊の第4子で、214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊の子の214F4譽田別(ホムタワケ)尊(記は214E2息長帯(オキナガタラシ)比売命が生んだ第2子の大鞆和氣(オホトモワケ)命、亦の名品陀和氣(ホムタワケ)命)とします。

 この名に関しては、記紀ともに生まれたとき腕が鞆(トモ。ホムタとも。弓を射るときに左腕に結びつける弦受けの保護具)のようであったからとし、また皇太子となって角鹿に滞在した際、氣比大神と名を交換したとも伝えます。なお、本居宣長『古事記伝』は上古に鞆をホムタといった例はないとします。214F4譽田別(ホムタワケ)尊の項および古典篇(その五)の030伊奢沙和氣大神064氣比大神の項を参照してください。

 この「ほむたわけ」、「おほともわけ」は、

  「ハウムム・タ・ワカイ(ン)ガ」、HAUMUMU-TA-WAKAINGA(haumumu=silent;ta=dash,beat,lay;wakainga=distant home)、「静かに・急に(舞台へ)躍り出た・遠いところを住居とした(王)」(「ハウムム」のAU音がO音に変化し、反復語尾の「ム」が脱落して「ホム」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「オホ・トモ・ワカイ(ン)ガ」、OHO-TOMO-WAKAINGA(oho=be awake,arise;tomo=pass in,enter,begin,assault;wakainga=distant home)、「すっくと立っている・(反乱軍を)急襲した(または急に舞台へ躍り出た)・遠いところを住居とした(王)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

215B1明(アキラ)宮

 記は宮を軽島之明(カルシマノアキラ)宮と記し、応神紀41年2月条は天皇は明(アキラ)宮に崩じたとします。『続日本紀』には軽島豊明(カルシマノトヨアキラ)宮、『摂津風土記逸文』には軽島豊阿伎羅宮とあります。軽島は大和国高市郡久米郷の中で、現奈良県橿原市大軽町付近とされます。

 この「あきら」、「とよあきら」、「かるしま」は、

  「アキ・ラ」、A-KIRA(a=the...of;kira=primary,wing,rough with sharp points)、「(建物に)千木や鰹木がたくさん・付いている(宮)」

  「ト・イオ・ア・キラ」、TO-IO-A-KIRA(to=the...of,drag,open or shut a door or window;io=muscle,spur,ridge;a=the...of;kira=primary,wing,rough with sharp points)、「建物が山波の・ようで・千木や鰹木がたくさん・付いている(宮)」

  「カル・チマ」、KARU-TIMA(karu=eye,head,spongy matter in a gourd;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘り散らかしたような地形の・(中の)眼のような場所(またはひょうたんを縦に切ったときの皮の中の軟らかい部分のような場所)」

の転訛と解します。

 

215B2吉野(ヨシノ)宮

 応神紀19年10月条に天皇が吉野(ヨシノ)宮(奈良県吉野郡吉野町宮滝付近とされます)に行幸した際、國樔(クズ)人が来て産物を献上したとあります。

 この「よしの」、「くず」は、

  「イオ・チノ」、IO-TINO(io=muscle,line,spur,ridge;tino=main,absolute,very)、「極めて重要な・綱(のような川。その川の流域)」または「主要な・山脈(隆起線、断層線に沿った川。その流域)」

  「ク・ツ」、KU-TU(ku=silent;tu=stand,settle)、「静かに・住む(部族)」または「クフ・ツ」、KUHU-TU(kuhu=incert,conceal,join a company;tu=stand,settle)、「隠れて・住む(部族)」

の転訛と解します。(同条には「國樔(クズ)は毛瀰(モミ。蛙)を煮て上味とす」とあります。雑楽篇の609もみの項を参照してください。)

 

215B3大隅(オホスミ)宮

 応神紀22年3月条に天皇が難波(ナニハ)の大隅(オホスミ)宮に行幸したとあります。

 この「おほすみ」、「なには」は、

  「オホ・ツ・ミ」、OHO-TU-MI(oho=be awake,arise;tu=stand,settle;mi=stream,river)、「水辺に・そそり立って・いる(宮)」

  「ナ・ニワ」、NA-NIWHA(na=by,belonging to;niwha=resolute,fierce,bravery)、「どちらかと言えば・荒い(海。海辺)」

の転訛と解します。

 

215B4葉田葦守(ハダノアシモリ)宮

 応神紀22年9月条に天皇が淡路嶋で狩をした後、吉備の小豆嶋に遊び、葉田葦守(ハダノアシモリ)宮(現岡山県吉備郡足守町の地とする説があります)に移つたところ、御友別(ミトモワケ)が兄弟子孫を連れてやってきて膳夫(カシハデ)として仕えたので、吉備國をその子等に分けて封じたとあります。

 この「はだのあしもり」、「みともわけ」、「かしはで」は、

  「パタ・ノ・アチ・モリ」、PATA-NO-ATI-MORI(pata=prepare food,seed;no=of;ati=descendant,clan,beginning;mori=fondle,caress)、「一族が・奉仕して・食事の準備をした(宮)」(「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」となった)

  「ミヒ・トモ・ワカイ(ン)ガ」、MIHI-TOMO-WAKAINGA(mihi=greet,admire;tomo=enter,begin,assault;wakainga=distant home)、「尊崇すべき・(吉備國に)入ってきた・遠いところに住んだ(首長)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「カ・チ・ハテペ」、KA-TI-HATEPE(ka=take fire,burn;ti=throw,cast;hatepe=cut off,proceed in an orderly manner,follow in regular sequence)、「(食材を)キチンと・切り刻んで・火にかける(料理人)」(「ハテペ」の語尾の「ぺ」が脱落した)

の転訛と解します。

 

215C1足仲彦(タラシナカツヒコ)尊

 父は214A足仲彦(タラシナカツヒコ)尊の項を参照してください。

 

215C2氣長足(オキナガタラシ)姫尊

 母は214E2氣長足(オキナガタラシ)姫尊の項を参照してください。

 

215D1鹿坂(カゴサカ)皇子から215D3譽屋別(ホムヤワケ)皇子まで

 兄は214F1鹿坂(カゴサカ)皇子214F2忍熊(オシクマ)皇子および214F3譽屋別(ホムヤワケ)皇子の項を参照してください。

 

215E1高城入(タカキノイリ)姫命

 紀は妃を皇后215E2仲(ナカツ)姫尊の姉、高城入(タカキノイリ)姫命(記は212景行天皇の皇子212F7五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命(紀は212F7五百城入(イホキイリ)彦皇子)が尾張連の祖、建伊那陀宿禰の娘、志理都紀斗売を娶って生んだ子の品陀真若(ホムダマワカ)王の娘3人を娶った中の長姉の高木之入(タカキノイリ)比売)とし、215F1額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子(記は額田大中(ヌカタノオホナカツ)日子命)、215F2大山守(オホヤマモリ)皇子(記は大山守(オホヤマモリ)命)、215F3去来真稚(イザノマワカ)皇子(記は伊奢之真若(イザノマワカ)命)、215F4大原(オホハラ)皇女(記は大原(オホハラ)郎女)および215F5労来田(コムクタ)皇女(記は高目(コムク)郎女)を生んだとします。

 この「たかきのいり」、「ほむだまわか」は、

  「タカキ・イリ」、TAKAKI-IRI(takaki=neck,throat;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「頚(が長いこと)で・有名な(姫)」

  「ハウムム・タ・マ・ウアカハ」、HAUMUMU-TA-MA-UAKAHA(haumumu=silent;ta=dash,beat,lay;ma=white,clean;uakaha=vigorous,difficult)、「静かに・突如として舞台へ躍り出た・清らかで・元気がよい(王)」(「ハウムム」のAU音がO音に変化し、反復語尾の「ム」が脱落して「ホム」となった)または「静かに・突如として舞台へ躍り出た・実は・(出自に)問題がある(王)」

の転訛と解します。

 

215E2仲(ナカツ)姫尊

 紀は皇后を仲(ナカツ)姫尊(記は215E1高木之入(タカキノイリ)比売の次妹の中(ナカツ)日売命)とし、215F6荒田(アラタ)皇女(記は木之荒田(キノアラタ)郎女)、215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊(記は大雀(オホサザキ)命)および215F8根鳥(ネトリ)皇子(記は根鳥(ネトリ)命)を生んだとします。

 この「なかつ」は、

  「ナ・カツア」、NA-KATUA(na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「(朝廷の中で)傍系に・属する(血統の。姫)」

の転訛と解します。

 

215E3弟(オト)姫命

 紀は妃を皇后の妹、弟(オト)姫命(記は215E1高木之入(タカキノイリ)比売の末妹の弟(オト)日売命)とし、215F9阿倍(アヘ)皇女(記は阿倍(アベ)郎女)、215F10淡路御原(アハヂノミハラ)皇女(記は阿具知能三腹(アハヂノミハラ)郎女)および215F11紀之菟野(キノウノ)皇女(記は木之菟野(キノウノ)郎女)を生んだ(記はさらに215F12三野(ミノ)郎女を生んだ)とします。

 この「おと」は、

  「アウト」、AUTO(trailing behind)、「後ろについて行く(妹の。姫)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となった)

の転訛と解します。

 

215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛

 紀は妃を和珥(ワニ)臣の祖、日触使主(ヒフレノオミ)の娘の宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛(記は丸邇之比布禮能意富美(ワニノヒフレノオホミ)の娘、宮主矢河枝(ミヤヌシヤカハエ)比売)とし、215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子(記は宇遅能和紀(ウヂノワキ)郎子)、215F14矢田(ヤタ)皇女(記は八田若(ヤタノワキ)郎女)および215F15雌鳥(メトリ)皇女(記は女鳥(メドリ)王)を生んだとします。

 この「みやぬしやか(はえ)」、「わに」、「ひふれのお(ほ)み」は、

  「ミヒ・イア・ヌイ・チアカ(・ハエ)」、MIHI-IA-NUI-TIAKA-HAE(mihi=greet,admire;ia=indeed,current;nui=large,many;tiaka=mother;hae=split,gleam)、「尊崇すべき・実に・偉大な・(きらりと光る)・母親(である。姫)」

  「ワニ」、WANI(scrape,comb the hair,defame,fire-stick for obtaining fire by friction)、「(土地の表面が洪水などで)掻き均らされた(地域。そこに住む部族)」

  「ヒ・フレ・ノ・アウ(オホ)・ミヒ」、HI-HURE-NO-AU(OHO)-MIHI(hi=raise,rise;hure=search;no=of;au=firm,intense,certainly;(oho=be awake,arise);mihi=greet,admire)、「高い身分の・調査を行う者で・実に(すっくと立っている)・尊崇すべき身分に属する者」

の転訛と解します。

 

215E5小瓦(ヲナベ)媛

 紀は妃を215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛の妹、小瓦(ヲナベ。ナベは扁に瓦)媛(記は袁那辨(ヲナベ)郎女)とし、215F16菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女(記は宇遅之若(ウヂノワキ)郎女)を生んだとします。

 この「をなべ」は、

  「オ・ナペ」、O-NAPE(o=the...of,belonging to;nape=weave,say falteringly)、「織物を織る(のが好きな。姫)」または「どもり(の。姫)」

の転訛と解します。

 

215E6弟(オト)媛

 紀は妃を河派仲(カハマタナカツ)彦の娘の弟(オト)媛(記は214D8息長田別(オキナガタワケ)王の子で212F3倭建(ヤマトタケル)命の孫、咋俣長(クヒマタナガ)日子王の娘の息長真若中(オキナガマワカナカツ)比売)とし、215F17稚野毛二派(ワカノケフタマタ)皇子(記は若沼毛二俣(ワカヌケフタマタ)王)を生んだとします。

 この「おと」、「おきながまわかなかつ」、「かはまたなかつ」、「くひまたなが」は、

  「アウト」、AUTO(trailing behind)、「後ろについて行く(妹の。または従順な。姫)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となった)

  「オキ・ナ・(ン)ガ・マ・ウアカハ・ナ・カツア」、OKI-NA-NGA-MA-UAKAHA-NA-KATUA((Hawaii)oki=divide,finish;okioki=rest,pause;na=by,belonging to;nga=satisfied;ma=white,clean;uakaha=vigorous,difficult;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「(朝廷と)離れて(遠隔の地で)・どちらかといえば・満足していた・清らかで・活発な・(朝廷の)傍流に属する(姫)」

  「カハ・マタ・ナ・カツア」、KAHA-MATA-NA-KATUA(kaha=strong,persistency;mata=eye,face;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「眼光が・鋭い・(朝廷の)傍流に属する(彦)」

  「クヒ・マタ・ナ・(ン)ガ」、KUHI-MATA-NA-NGA(kuhi=kuhu=insert,conceal;mata=eye,face;na=by,belonging to;nga=satisfied)、「眼光が・突き刺すような(鋭い)・どちらかといえば・満足していた(彦)」

の転訛と解します。

 

215E7糸(イト)媛

 紀は妃を桜井田部(サクライノタベ)連男且(オサヒ。サヒは金偏に且)の妹の糸(イト)媛(記は桜井田部(サクライノタベ)連の祖、島垂根(シマタリネ)の娘の糸井(イトイ)比売)とし、215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子(記は速總別(ハヤブサワケ)命)を生んだとします。

 この「いと(いとい)」、「さくらいのたべ」、「おさひ」、「しまたりね」は、

  「イ・ト」、I-TO(i=past tense,beside;to=drag,open or shut a door or window)、「行ったり来たり(せわしなく動き回ることを)・した(姫)」または「イ・トイ」、I-TOI(i=past tense,beside;toi=move quickly,encourage)、「せわしなく動き回ることを・した(姫)」

  「タク・ラヒ・ノ・タペペ」、TAKU-RAHI-NO-TAPEPE(taku=edge,gunwale,skirt;rahi=great,abundant;no=of;tapepe=slip)、「大きな・絶壁(の縁)・の・滑落した(場所に住む。部族)」(「ラヒ」のH音が脱落して「ライ」と、「タペペ」の反復語尾が脱落して「タペ」から「タベ」となった)

  「オ・タヒ」、O-TAHI(o=the...of;tahi=one,first)、「一番の(頂点に立つ。者)」

  「チマ・タリ・ヌイ」、TIMA-TARI-NUI(tima=a wooden implement for cultivating the soil;tari=carry,bring,urge,incite;nui=large,many)、「掘り棒を・たくさん・運んできた(耕作用具を大量に導入して農地を開発した。首長)」

の転訛と解します。

 

215E8日向泉長(ヒムカノイズミノナガ)媛

 紀は妃を日向泉長(ヒムカノイズミノナガ)媛(記は日向之泉長(ヒムカノイズミノナガ)比売)とし、215F19大葉枝(オホハエ)皇子および215F20小葉枝(コハエ)皇子(記は大羽江(オホバエ)王、小羽江(ヲバエ)王および215F21幡日之若(ハタヒノワカ)郎女)を生んだとします。

 この「ひむかのいずみのなが」は、

  「ヒム・カ・ノ・イツ・ミ・ノ・ナ・(ン)ガ」、HIMU-KA-NO-ITU-MI-NO-NA-NGA(himu=hip-bone;ka=take fire,be lighted,burn;no=of;itu=side;mi=urine,stream;na=by,belonging to;nga=satisfied)、「腰骨のような(二つの平野が連なっている)地形の場所の・集落がある地域(日向國)・の・川の・ほとりの・どちらかといえば・満足していた(姫)」

の転訛と解します。

 

215E9迦具漏(カグロ)比売

 記は妃を迦具漏(カグロ)比売とし、215F22川原田(カハラダ)郎女、215F23玉(タマ)郎女、215F24忍坂大中(オサカノオホナカツ)比売、215F25登富志(トホシ)郎女および215F26迦多遅(カタヂ)王を生んだとします。紀には見えません。

 この「かぐろ」は、

  「カ・(ン)グ・ラウ」、KA-NGU-RAU(ka=take fire,be lighted,burn;ngu=silent;rau=project,extended)、「際だって・無口で・輝くように美しい(姫)」(「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」と、「ラウ」のAU音がO音に変化して「ロ」となった)

の転訛と解します。

 

215E10野伊呂売(ノノイロメ)

 記は妃を葛城の野伊呂売(ノノイロメ)とし、215F27伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王を生んだとします。紀には見えません。

 この「ののいろめ」は、

  「ナウ・ノ・イロ・マイ」、NAU-NO-IRO-MAI(nau=come,go;no=of;iro=submissive as result of punishment;mai=clothing,dance)、「(葛城から)やってきた・(着飾り、舞いを踊る)女」(「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

215E11兄(エ)媛

 応神紀22年3月条に妃の吉備臣の祖御友別(ミトモワケ。215B4葉田葦守(ハダノアシモリ)宮の項を参照してください。)の妹、兄(エ)媛が215B3大隅(オホスミ)宮で西を遠望して父母を恋うて嘆いたので、天皇が「父母の安否を尋ねたいという願いは、理(コトワリ)灼然(イヤチコ)なり」として帰国させたとあります。なお、御子の記録はなく、記にはみえません。

 この「え」、「ことわりいやちこ」は、

  「ヘイ」、HEI(go towards)、「(先に立って歩く)姉(の姫)」(「ヘイ」のH音が脱落して「エイ」から「エ」となった)

  「カウ・トワリ・イア・チコ」、KAU-TOWHARI-IA-TIKO(kau=alone,without hindrance,to no purpose;towhari=toari=clear,bright;ia=indeed,current;tiko=stand out,protrude)、「純粋で・曇りがなく・実に・際だっている(本心から出た至情。願い)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」となった)

の転訛と解します。

 

215F1額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E1高城入(タカキノイリ)姫命の第1子、額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と高木之入(タカキノイリ)比売の第1子、額田大中(ヌカタノオホナカツ)日子命)とし、仁徳紀即位前紀には応神天皇の崩後215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子と215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊が皇位を譲り合つている最中に倭の屯田・屯倉を手中に収めようとして出雲臣の祖淤宇(オウ)と倭直の祖麻呂(マロ)の弟吾子籠(アゴコ)に妨げられ、また仁徳紀62年是歳条には闘鶏(ツゲ)の室に貯蔵されていた氷を御所に献じたとあります。

 この「ぬかたのおほなかつ」、「おう」、「まろ」、「あごこ」、「つげ」は、

  「ヌカ・タ・ノ・オホ・ナ・カツア」、NUKA-TA-NO-OHO-NA-KATUA(nuka=deceive,dupe;ta=dash,beat,overcome,lay;no=of;oho=spring up,wake up,arise;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「(屯田・屯倉を手中に収めようとして言った)虚偽を・粉砕された・(吾子籠の証言を聞いて)びっくりして跳び上がった・(朝廷の)傍流に属する(皇子)」

  「アウ」、AU(smoke,gall,cloud,sea)、「心痛(に悩んだ。首長)」

  「マラウ」、MARAU(subject of talk,remember)、「(諸事万般を)記憶している(首長)」(「マラウ」のAU音がO音に変化して「マロ」となった)

  「ア・(ン)ゴコ」、A-NGOKO(a=the...of,belonging to;ngoko=itch,tickle)、「(屯田・屯倉の帰属について明確な証言をして淤宇を)喜ばせた(男子)」

  「ツ・(ン)ゲ」、TU-NGE(tu=stand,settle;nge=thicket)、「藪が・ある(土地)」または「ツケ」、TUKE(elbow,angle)、「(曲げた)腕(のような山脈の中の。土地)」(地名篇(その五)の奈良県の(55)都祁(ツゲ)盆地の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

215F2大山守(オホヤマモリ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E1高城入(タカキノイリ)姫命の第2子、大山守(オホヤマモリ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と高木之入(タカキノイリ)比売の第2子、大山守(オホヤマモリ)命)とし、応神紀40年正月条に215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子を皇太子とし、それに先立つ応神天皇の質問に対してその意志を忖度して少子が可愛いと答えた215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊をその補佐とし、天皇の意志に反して長子が可愛いと答えた大山守皇子に山川林野を掌らせたとあり、仁徳即位前紀に応神天皇の崩後皇太子を殺して皇位に就こうとして皇太子に殺されたとあります。

 この「おほやまもり」は、

  「オホ・イア・マ・モリ」、OHO-IA-MA-MORI(oho=spring up,wake up,arise;ia=indeed,current;ma=white,clean;mori=fondle,caress)、「(菟道稚郎子皇子が皇太子となったことを知って)びっくりして跳び上がった・(実に・清らかな場所である)山を・世話する役(の皇子)」

の転訛と解します。

 

215F3去来真稚(イザノマワカ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E1高城入(タカキノイリ)姫命の第3子、去来真稚(イザノマワカ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と高木之入(タカキノイリ)比売の第3子、伊奢之真若(イザノマワカ)命)とします(記の崇神天皇の皇子210F5伊邪能真若(イザノマワカ)命と同音です)。

 この「いざのまわか」は、

  「イ・タ(ン)ゴ・マ・ウアカハ」、I-TANGO-MA-UAKAHA(i=past tense,beside;tango=take up,take in hand;ma=white,clean;uakaha=vigorous)、「清らかさを・身に付けて・いた・元気の良い(皇子)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」となった)

の転訛と解します。

 

215F4大原(オホハラ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E1高城入(タカキノイリ)姫命の第4子、大原(オホハラ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と高木之入(タカキノイリ)比売の第4子、大原(オホハラ)郎女)とします。

 この「おほはら」は、

  「オホ・ハラ」、OHO-HARA(oho=spring up,wake up,arise;hara=violence TAPU,sin)、「禁忌を破って(または罪を犯して)・びっくりした(皇女)」

の転訛と解します。

 

215F5労来田(コムクタ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E1高城入(タカキノイリ)姫命の第5子、労来田(コムクタ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と高木之入(タカキノイリ)比売の第5子、高目(コムク)郎女)とします。

 この「こむくた(こむく)」は、

  「コムク・タ」、KOMUKU-TA(komuku=strip off,rub off;ta=dash,beat,lay)、「(罪を犯して)裸にされて(衣服・装身具を剥ぎ取られて)・打たれた(皇女)」または「コムク」、KOMUKUA(strip off,rub off)、「(罪を犯して)裸にされた(衣服・装身具を剥ぎ取られた。皇女)」

の転訛と解します。

 

215F6荒田(アラタ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E2仲(ナカツ)姫尊の第1子、荒田(アラタ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と中(ナカツ)日売命の第1子、木之荒田(キノアラタ)郎女)とします。

 この「あらた」、「きのあらた」は、

  「ア・ラタ」、A-RATA(a=the...of,belonging to;rata=tame,quiet,familiar)、「引っ込み思案の(姫)

  「キノ・ア・ラタ」、KINO-A-RATA(kino=bad,ugly;a=the...of,belonging to;rata=tame,quiet,familiar)、「不器量で・引っ込み思案の(姫)」

の転訛と解します。

 

215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E2仲(ナカツ)姫尊の第2子(譽田別尊の第4子)、大鷦鷯(オホサザキ)尊(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と中(ナカツ)日売命の第2子、大雀(オホサザキ)命)とします。

 応神紀40年正月条に215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子を皇太子とし、それに先立つ応神天皇の質問に対してその意志を忖度して少子が可愛いと答えた大鷦鷯尊をその補佐とし、天皇の意志に反して長子が可愛いと答えた215F2大山守(オホヤマモリ)皇子に山川林野を掌らせたとあり、記は大雀命の答に対して天皇が「阿藝(アギ)の言ぞ、我が思う通りである」と言われ、「大山守命は山海の政(マツリゴト)を為よ、大雀命は食國(オスクニ)の政を執れ、宇遅能和紀郎子は天津日継(アマツヒツギ)を知らしめせ」と命じられたので「大雀命は天皇の命に忠実に従った」とあります。

 また、仁徳即位前紀は菟道稚郎子皇子と大鷦鷯尊が皇位に就くのを譲りあうこと3年にして菟道稚郎子皇子が自殺し、大鷦鷯尊が仁徳天皇となったとします。

 仁徳紀元年正月条は、大鷦鷯(オホサザキ)の名の由来を皇子が生まれる日に産殿に木菟(ツク。みみづく)が入り、同日213H武内宿禰の子の産屋に鷦鷯(サザキ。みそさざい)が入ったのを吉祥として鳥の名を交換して命名したと伝えます。

 216A大鷦鷯(オホサザキ)尊の項を参照してください。

 

215F8根鳥(ネトリ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E2仲(ナカツ)姫尊の第3子、根鳥(ネトリ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と中(ナカツ)日売命の第3子、根鳥(ネトリ)命)とします。

 この「ねとり」は、

  「ネイ・トリ」、NEI-TORI(nei,neinei=stretched forward;tori=cut)、「背が高くて・痩せている(皇子)」

の転訛と解します。

 

215F9阿倍(アヘ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E3弟(オト)姫命の第1子、阿倍(アヘ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と弟(オト)日売命の第1子、阿倍(アベ)郎女)とします。

 この「あへ(あべ)」は、

  「アヘイ」、AHEI(able,possible with in one's power)、「能力がある(皇女)」または「アパイ」、APAI(front wall of a house)、「(女性ばかりの)家族を代表する(皇女)」(「アパイ」のAI音がE音に変化して「アペ」となり、さらにP音がF音を経てH音に変化して「アヘ」となった)

の転訛と解します。

 

215F10淡路御原(アハヂノミハラ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E3弟(オト)姫命の第2子、淡路御原(アハヂノミハラ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と弟(オト)日売命の第2子、阿具知能三腹(アハヂノミハラ)郎女)とします。

 この「あはぢのみはら」は、

  「アウア・チノ・ミハ・ラ」、AUA-TINO-MIHA-RA(aua=far advanced,at a great height or depth;tino=main,essentiality,exact;miha=wonder;ra=wed)、「実に・気高くて・尊敬を・集める(皇女)」

の転訛と解します。

 

215F11紀之菟野(キノウノ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E3弟(オト)姫命の第3子、紀之菟野(キノウノ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と弟(オト)日売命の第3子、木之菟野(キノウノ)郎女)とします。

 この「きのうの」は、

  「キノ・ウヌ」、KINO-UNU(kino=bad,ugly;unu=pull off,slip out of a crowd)、「不器量で・仲間外れになった(皇女)」

の転訛と解します。

 

215F12三野(ミノ)郎女

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E3弟(オト)日売命の第4子、三野(ミノ)郎女(紀には見えません)とします。

 この「みの」は、

  「ミ(ン)ゴ」、MINGO(curled)、「(髪の毛が)縮れている(皇女)」(「ミ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「ミノ」となった)

の転訛と解します。

 

215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛の第1子、菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と宮主矢河枝(ミヤヌシヤカハエ)比売の第1子、宇遅能和紀(ウヂノワキ)郎子)とします。

 応神紀40年正月条に菟道稚郎子皇子を皇太子とし、それに先立つ応神天皇の質問に対してその意志を忖度して少子が可愛いと答えた215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊をその補佐とし、天皇の意志に反して長子が可愛いと答えた215F2大山守(オホヤマモリ)皇子に山川林野を掌らせたとあります。

 また、仁徳即位前紀は皇太子である菟道稚郎子皇子と大鷦鷯尊が皇位に就くのを互いに譲りあい、その間に大山守皇子が皇太子を殺して皇位に就こうとして皇太子に殺され、その後譲りあうこと3年にして皇太子が自殺し(記は早世したとします)、大鷦鷯尊が仁徳天皇となったとします。

 この「うぢのわき」は、

  「ウチ・ノ・ウア・キ」、UTI-NO-UA-KI(uti=bite;no=of;ua=expostulation;ki=full,very)、「浸食された場所(宇治)・(に建てた宮)に住む・しきりに・(大鷦鷯尊に対して皇位に就くよう)諫言した(皇子)」

の転訛と解します。

 

215F14矢田(ヤタ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛の第2子、矢田(ヤタ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と宮主矢河枝(ミヤヌシヤカハエ)比売の第2子、八田若(ヤタノワキ)郎女)とします。のちに216仁徳天皇の妃から216E磐之媛命の崩後皇后となります。

 仁徳紀40年2月条は天皇が215F15雌鳥(メトリ)皇女を妃に望み、媒の215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子が命を果たさず皇女と通じ、天皇を誹謗して逃げたので追っ手に殺されますが、この間隼總別皇子と雌鳥皇女を処罰しないよう、また処罰する際に衣服・装身具を剥ぎ取らないよう諫言したとします。

 この「やた」、「やたのわき」は、

  「イア・アタ」、IA-ATA(ia=indeed,current;ata=gentry,clearly,openly)、「実に・穏やかな(皇女)」(「イア」の語尾のA音と「アタ」の語頭のA音が連結して「ヤタ」となった)

  「イア・アタ・ノ・ウア・キ」、IA-ATA-NO-UA-KI(ia=indeed,current;ata=gentry,clearly,openly;no=of;ua=expostulation;ki=full,very)、「実に・穏やか・で・しきりに・(隼總別皇子と雌鳥皇女の処罰について)諫言した(皇女)」(「イア」の語尾のA音と「アタ」の語頭のA音が連結して「ヤタ」となった)

の転訛と解します。

 

215F15雌鳥(メトリ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛の第3子、雌鳥(メトリ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と宮主矢河枝(ミヤヌシヤカハエ)比売の第3子、女鳥(メドリ)王)とします。のちに216仁徳天皇が妃に望みますが、215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子と通じて逃げ、追手の216H2雄鮒(ヲフナ)・阿俄能胡(アガノコ)に殺されます。

 この「めとり」は、

  「マイ・トリ」、MAI-TORI(mai=clothing,dance;tori=cut)、「斬り殺された・女性(着飾り、舞いを踊る女性。皇女)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

の転訛と解します。

 

215F16菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E5小瓦(ヲナベ)媛の子、菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と袁那辨(ヲナベ)郎女の子、宇遅之若(ウヂノワキ)郎女)とします。後に仁徳天皇の妃216E4菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女となります。

 この「うぢのわき」は、

  「ウチ・ノ・ウア・キ」、UTI-NO-UA-KI(uti=bite;no=of;ua=expostulation;ki=full,very)、「浸食された場所(宇治)・(に建てた宮)に住む・しきりに・(隼總別皇子と雌鳥皇女の処罰について)諫言した(皇女)」

の転訛と解します。

 

215F17稚野毛二派(ワカノケフタマタ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E6弟(オト)媛の子、稚野毛二派(ワカノケフタマタ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と息長真若中(オキナガマワカナカツ)比売の子、若沼毛二俣(ワカヌケフタマタ)王)とします。

 この「わかの(ぬ)けふたまた」は、

  「ウアカハ・ノケ(ヌケ)・プタ・マタ」、UAKAHA-NOKE(NUKE)-PUTA-MATA(uakaha=vigorous,difficult;noke=small;nuke=crooked,humped;puta=hole,move from one place to another,escape;mata=eye,face)、「元気が良くて・眼が・落ち窪んで・小さい(または歪んでいる)(皇子)」

の転訛と解します。

 

215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E7糸(イト)媛の子、隼總別(ハヤブサワケ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と糸井(イトイ)比売の子、速總別(ハヤブサワケ)命)とします。

 仁徳紀40年2月条は天皇が215F15雌鳥(メトリ)皇女を妃に望み、隼總別皇子が媒となりますが、命を果たさず皇女と通じ、天皇を誹謗して逃げたので追手の216H2雄鮒(ヲフナ)・阿俄能胡(アガノコ)に殺されます。

 この「はやぶさわけ」は、

  「ハ・イア・プタ・ワカイ(ン)ガ」、HA-IA-PUTA-WAKAINGA(ha=what!;ia=indeed,current;puta=hole,move from one place to another,escape;wakainga=distant home)、「なんと・実に・(飛ぶように速く)動き回った・遠いところを住居とした(皇子)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

215F19大葉枝(オホハエ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E8日向泉長(ヒムカノイズミノナガ)媛の第1子、大葉枝(オホハエ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と日向之泉長(ヒムカノイズミノナガ)比売の第1子、大羽江(オホバエ)王)とします。

 この「おほはえ」は、

  「アウ・ハエ」、AU-HAE(au=cloud,whirlpool,sea,firm,certainly;hae=tear,fear)、「全く・恐ろしい(凶暴な。皇子)」

の転訛と解します。

 

215F20小葉枝(コハエ)皇子

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E8日向泉長(ヒムカノイズミノナガ)媛の第2子、小葉枝(コハエ)皇子(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と日向之泉長(ヒムカノイズミノナガ)比売の第2子、小羽江(ヲバエ)王)とします。

 この「こはえ」は、

  「カウ・ハエ」、KAU-HAE(kau=alone,only;hae=tear,fear)、「ただただ・恐ろしい(凶暴な。皇子)」

の転訛と解します。

 

215F21幡日之若(ハタヒノワカ)郎女

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E8日向之泉長(ヒムカノイズミノナガ)比売の第3子、幡日之若(ハタヒノワカ)郎女とします。紀には見えません。

 この「はたひのわか」は、

  「ハ・タヒ・ノ・ウアカハ」、HA-TAHI-NO-UAKAHA(ha=what!;tahi=one,single,unique;no=of;uakaha=vigorous,difficult)、「何とも・ユニークで・活発な(姫)」または「ハ・タピ・ノ・ウアカハ」、HA-TAPI-NO-UAKAHA(ha=what!;tapi=apply,patch,mend,cook;no=of;uakaha=vigorous,difficult)、「何とも・面倒見がよくて・活発な(姫)」

の転訛と解します。

 

215F22川原田(カハラダ)郎女

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E9迦具漏(カグロ)比売の第1子、川原田(カハラダ)郎女とします。紀には見えません。

 この「かはらだ」は、

  「カハ・ラタ」、KAHA-RATA(kaha=strong,strength,persistency;rata=tame.quiet,familiar)、「ずっと・黙りこくっている(姫)」

の転訛と解します。

 

215F23玉(タマ)郎女

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E9迦具漏(カグロ)比売の第2子、玉(タマ)郎女とします。紀には見えません。

 この「たま」は、

  「タ・マハ」、TA-MAHA(ta=the...of;maha=gratified,satisfied,depressed)、「可愛らしい(姫)」(「マハ」のH音が脱落して「マ」となった)

の転訛と解します。

 

215F24忍坂大中(オサカノオホナカツ)比売

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E9迦具漏(カグロ)比売の第3子、忍坂大中(オサカノオホナカツ)比売とします。紀には見えません。

 この「おさかのおほなかつ」は、

  「オ・タカ・ノ・オホ・ナ・カツア」、O-TAKA-NO-OHO-NA-KATUA(o=the...of,belonging to;taka=heap,lie in a heap;no=of;oho=spring up,wake up,arise;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「高台の・場所に住む・すっくと立っている・内廷の外に・居る(姫)」

の転訛と解します。

 

215F25登富志(トホシ)郎女

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E9迦具漏(カグロ)比売の第4子、登富志(トホシ)郎女とします。紀には見えません。

 この「とほし」は、

  「トハウ・チ」、TOHAU-TI(tohau=damp,dew,sweat;ti=throw,cast)、「水が・垂れるような(みずみずしい。媛)」(「トハウ」のAU音がO音に変化して「トホ」となった)または「ト・ポチキ」、TO-POTIKI(to=drag;potiki=infant,child)、「幼児ぽさを・引きずっている(残している。姫)」(「ポチキ」のP音がF音を経てH音に変化し、語尾のK音が脱落して「ホチ」から「ホシ」となった)

の転訛と解します。

 

215F26迦多遅(カタヂ)王

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E9迦具漏(カグロ)比売の第5子、迦多遅(カタヂ)王とします。紀には見えません。

 この「かたぢ」は、

  「カタ・チ」、KATA-TI(kata=laugh;ti=throw,cast)、「笑いを・ふりまく(周囲を笑わせる。王)」

の転訛と解します。

 

215F27伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E10野伊呂売(ノノイロメ)の子、伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王とします。紀には見えません。

 この「いざのまわか」は、

  「イ・タ(ン)ゴ・マ・ウアカハ」、I-TANGO-MA-UAKAHA(i=past tense,beside;tango=take up,take in hand;ma=white,clean;uakaha=vigorous)、「清らかさを・身に付けて・いた・元気の良い(皇子)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」となった)

の転訛と解します。

 

215G恵我藻伏崗(エガノモフシノオカ)陵

 記は陵を「川内(カフチ)の恵賀(エガ)の裳伏(モフシ)の岡に在り」とします。応神紀・仁徳紀には陵の記載がなく、雄略紀9年7月条に「蓬累(イチビコ)丘の譽田(ホムタ)陵」とあります。『延喜式』は恵我裳伏崗(エガノモフシノオカ)陵は河内國志紀郡に在りとし、『陵墓要覧』は所在地を大阪府南河内郡南大阪町大字誉田(コンダ)字恵我藻伏岡(現羽曳野市)とします。

 この「えが」、「もふし」、「いちびこ」、「こんだ」は、

  「エ(ン)ガ」、ENGA(enga=anxiety)、「(洪水の)不安がある(土地)」

  「マウ・プチ、」MAU-PUTI(mau=be fixed;puti=dried up)、「すっかり・乾燥している(土地)」または「マウプ・チ」、MAUPU-TI(maupu=fruit of gourd growing near the root of the plant;ti=throw,cast)、「(根に近いところに生る)ひょうたんの実が・放り出されているような(土地。羽曳野丘陵の尖端の近くに、ひょうたんの実(前方後円墳)が置かれている・土地)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となり、「プ」のP音がF音を経てH音に変化して「フ」となった)

  「イ・チピ・コウ」、I-TIPI-KOU(i=past tense,beside;tipi=pare,dress the surface of timber with an adze;kou=knob,stump)、「表面を滑らかに削・った・丘」

  「コヌイ・タ」、KONUI-TA(konui=thumb,great toe;ta=dash,beat,lay)、「(羽曳野丘陵の尖端の)親指が・そこに在る(ような地形の場所)」または「(羽曳野丘陵の尖端の)親指を・削った(ような地形の場所)」「コヌイ」の語尾の母音が脱落して「コン」となった)

の転訛と解します。(以上の地名の解釈からしますと、伝応神天皇陵(誉田山古墳)は平地に築成したものではなく、既存の丘に手を加えて造成したものかも知れません。)

 

215H1大濱(オホハマ)宿禰

 応神紀3年11月条に各地の海人が「さばめく」、命令に従わず、阿曇(アヅミ)連の祖、大濱(オホハマ)宿禰を派遣して鎮めたので、海人の宰(ミコトモチ)としたとあります。

 また、このことから諺の「佐麼阿摩(サバアマ)」(岩波本の注は「周防の海人の意か」とします)ができたとします。

 この「おほはま」、「あづみ」、「さばめく」、「さばあま」は、

  「オホ・アハ・マ」、OHO-AHA-MA(oho=oho=spring up,wake up,arise;aha=expressing remonstrance,warning;ma=white,clean,faded)、「(海人が騒乱を起こしたと聞いて)びっくりして立ち上がって・(海人の)不平不満を・鎮めた(首長)」

  「アツ・ミ」、ATU-MI(atu=away,forth,to indicate reciprocated action,;mi=stream)、「潮流が・繰り返し寄せてくる(場所に居る。部族)」

  「タパ・メク」、TAPA-MEKU(tapa=command,call;(Hawaii)meku=to scold,speak offensively)、「命令に・反抗の発言をする」

  「タパ・アハ・マ」、TAPA-AHA-MA(tapa=command,call;aha=expressing remonstrance,warning;ma=white,clean,faded)、「命令に・反抗する声が・次第に弱くなって消えた」(「アハ」のH音が脱落して「ア」となった)

の転訛と解します。

 なお、「宰(ミコトモチ)」については、雑楽篇の313みこともちの項を参照してください。

 

215H2枯野(カラノ)船

 応神紀5年10月条は伊豆國に長さ10丈(約30メートル)の船を造らせたところ、海に軽く浮かんで速く進んだので「枯野(カラノ)」と名付けたとあります(分注には「軽野(カルノ)」と謂ったのが訛ったものかとあります)。仁徳記にも「枯野(カラノ)」船の記事があり、同条所載の歌には「加良怒(カラヌ)」とあります。

 この「からの(からぬ)」は、

  「カウ・ラ・ヌイ」、KAU-LA-NUI((Hawaii)kau=a canoe;(Hawaii)la=sail;nui=large,many)、「大きな・帆をもつ・カヌー」または「カウ・ルア・ヌイ」、KAU-LUA-NUI((Hawaii)kau-lua=double-canoe;nui=large,many)、「大きな・双胴のカヌー」

の転訛と解します。入門篇(その三)の3の(3)枯野船の項を参照してください。

 

215H3甘美内(ウマシウチ)宿禰

 紀は208F5彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)命の孫213H武内(タケシウチ)宿禰の弟の甘美内(ウマシウチ)宿禰とし、記は208F5比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命と尾張連等の祖の意富那毘(オホナビ)の妹の葛城之高千那(カヅラギノタカチナ)毘売の子味師内(ウマシウチ)宿禰とします。

 応神紀9年4月条は武内宿禰を筑紫に派遣したところ、弟の甘美内(ウマシウチ)宿禰が兄が反乱を企てていると訴え、応神天皇はそれを信じて武内宿禰を殺させようとしますが、壱岐直の祖真根子(マネコ)が武内宿禰に生き延びて無罪を勝ち取るように諫めて自ら身代わりとなつて死に、武内宿禰はひそかに筑紫を脱出して朝廷に至り、無罪を主張したが弟も最後まで譲らず、ついに探湯(クカタチ)によって武内宿禰が勝ち、弟を打ち倒して殺そうとしますが、天皇の命により弟は一命を救われたとあります。

 この「うましうち」、「まねこ」、「くかたち」は、

  「ウ・マチ・ウチ」、U-MATI-UTI(u=be fixed,be firm,reach its limit;mati=toe,finger,surfeited;uti=bite)、「手指を・極限まで伸ばして(最後まで自らの主張を曲げないで)・傷を負った(探湯に負けて兄に打たれたが、天皇の命により一命を救われた。将軍)」

  「マネネ・コ」、MANENE-KO(manene=importunate,begging;ko=addressing to girles and males)、「(生き延びて無罪を勝ち取るように)強く諫言した・男子」(「マネネ」の反復後尾が脱落して「マネ」となった)

  「クフ・カ・タ・チ」、KUHU-KA-TA-TI(kuhu=thrust in,insert;ka=take fire,be lighted,burn;ta=dash,beat,lay;ti=throw.cast,overcome)、「火を燃やした(加熱した水・斧など)中に・(手を)差し入れると・即座に・結果が出る(善悪の判断が表れる)(行事)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)(219H2盟神探湯(くかたち)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

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[216仁徳天皇]

 

216A大鷦鷯(オホサザキ)尊

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E2仲(ナカツ)姫尊の第2子(譽田別尊の第4子)、215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と中(ナカツ)日売命の第2子、大雀(オホサザキ)命)とします。

 応神紀40年正月条に215F13菟道稚(ウヂノワキ)郎子皇子を皇太子とし、それに先立つ応神天皇の質問に対してその意志を忖度して少子が可愛いと答えた大鷦鷯尊をその補佐とし、天皇の意志に反して長子が可愛いと答えた215F2大山守(オホヤマモリ)皇子に山川林野を掌らせたとあり、記は大雀命の答に対して天皇が「阿藝(アギ)の言ぞ、我が思う通りである」と言われ、「大山守命は山海の政(マツリゴト)を為よ、大雀命は食國(オスクニ)の政を執れ、宇遅能和紀郎子は天津日継(アマツヒツギ)を知らしめせ」と命じられたので「大雀命は天皇の命に忠実に従った」とあります。

 また、仁徳即位前紀は菟道稚郎子皇子と大鷦鷯尊が皇位に就くのを譲りあうこと3年にして菟道稚郎子皇子が自殺し、大鷦鷯尊が仁徳天皇となったとします。

 仁徳紀元年正月条は、大鷦鷯(オホサザキ)の名の由来を皇子が生まれる日に産殿に木菟(ツク。みみづく)が入り、同日213H武内宿禰の子の産屋に鷦鷯(サザキ。みそさざい)が入ったのを吉祥として鳥の名を交換して命名したと伝えます。

 この「おほさざき」、「あぎ」は、

  「オホ・タタキ」、OHO-TATAKI(oho=spring up,wake up,arise;tataki=take to one side,gannet,viscous,glairy,racy)、「(菟道稚郎子皇子が自殺したと聞いて)びっくりして跳び上がった・(皇位に就くことを)固辞していた(尊)」または「(菟道稚郎子皇子が自殺したと聞いて)びっくりして跳び上がって・(程良く焼けた魚を火から下ろして食膳に載せるように)その時が到来して皇位に就いた(尊)」

  「ア(ン)ギ」、ANGI(light air,fragrant smell,free,move freely)、「(耳に)心地よい(言葉)」

の転訛と解します。

 なお、上記の後者の「タタキ」は、鰹(カツオ)の「たたき」と同じ語源で、鯵(アジ)の「たたき」は身を細かく叩いて造りますが、鰹は身を三枚および背・腹におろして金串を刺し炭火または藁火にかけ、表面を焙って頃合いを見て火から下ろし(この火から下ろすタイミングがこの料理の味を決めるポイントです)、冷水で締めて刺身に造り、たっぷり葱・ニンニクなどの薬味をかけたものです。『広辞苑』第2版は「魚または鳥獣の肉などを叩いて作った料理。「鰹のー」」として天下に恥をさらし、第4版で「節取りをしたカツオの表面を焙(アブ)り、薬味を掛けて包丁で叩き刺身にした料理。土佐作り。」と改めましたが、なお「包丁で叩く」にこだわる誤りを犯しています。

 

216B高津(タカツ)宮

 記紀ともに難波(ナニハ)の高津(タカツ)宮とし、紀は人民の耕作・機織りを妨げないよう「漆喰を塗らず、絵を描かず、茅を葺いて端を切り整えなかった」とします。

 この「たかつ」、「なには」は、

  「タカ・ツ」、TAKA-TU(taka=heap,lie in a heap;tu=stand,settle)、「高台に・ある(宮)」

  「ナ・ニワ」、NA-NIWHA(na=by,belonging to;niwha=bold,fierce,bravery)、「荒波が・打ち寄せる(場所)」

の転訛と解します。

 

216C1譽田別(ホムタワケ)尊

 父は215A譽田別(ホムタワケ)尊の項を参照してください。

 

216C2仲(ナカツ)姫尊

 母は215E2仲(ナカツ)姫尊の項を参照してください。

 

216D1額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子から216D26伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王まで

 兄弟姉妹はそれぞれ215F1額田大中(ヌカタノオホナカツ)彦皇子から215F27伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王での項を参照してください。

 

216E1磐之媛(イハノヒメ)命

 紀は皇后を磐之媛(イハノヒメ)命(記は葛城の曽都(ソツ)毘古の娘石之日売(イハノヒメ)命)とし、216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊(記は大江(オホエ)の伊邪本和氣(イザホワケ)命)、216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子(記は墨江(スミノエ)の中津(ナカツ)王)、216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊(記は蝮(タヂヒ)の水歯別(ミヅハワケ)命)および216F4雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命)を生んだとします。

 皇后は嫉妬心が強く、記は天皇の妾(ミメ)たちは皇后のいる宮殿に入ることができず、皇后は何かあると「足母阿賀迦邇(アシモアガカニ)」嫉妬したといい、熊野に外出中に天皇が215F14八田(ヤタ)皇女を妃としたのを怒つて山背(ヤマシロ)の筒城(ツツキ)宮に引きこもって(仁徳紀30年9月条)一生を終えます。

 この「いはの」、「そつ」、「あしもあがかに」、「やましろ」、「つつき」は、

  「イ・ワ・(ン)ガウ」、I-WHA-NGAU(i=past tense;wha=be disclosed,get abroad;ngau=bite,hurt,attack,raise a cry)、「(感情を)むきだしに・して・噛み付いた(姫)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「ト・ツ」、TO-TU(to=calm;tu=stand,settle)、「静寂さが・ある(首長)」

  「アチ・マウ・ア(ン)ガ・カニ」、ATI-MAU-ANGA-KANI(ati=beginning;mau=carry,continuing,entangled;anga=face or move in a certain direction,turn to doing anything;kani=rub backwards and forwards)、「手をばたばたさせ・地団駄を踏み・狂乱状態が・始まる」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」と、「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」となった)

  「イア・マチ・ロ」、IA-MATI-RO(ia=current,rushing stream,indeed;mati=surfeited;ro=roto=inside)、「(京都盆地の)内部に・水の流れを・飽食している(巨椋(オグラ)池がある。地域)」または「イア・マチロ」、IA-MATIRO(ia=current,rushing stream,indeed;matiro=look longingly at,beg for food)、「(京都盆地には荒れ地が広がっていて)水の流れを・渇望しているように見える(地域)」

  「ツツキ」、TUTUKI(strike against an object,stumble,reach the farthest limit,be finished)、「(天皇を)寄せ付けない(宮)もしくはそこで(一生を)終わった(宮)」または「ツツ・キ」、TUTU-KI(tutu=hoop for holding open ahand net,stand erect,be raised as disturbance;ki=full,very)、「手網の支柱のような(尾根がU字形の股に分かれている)地形の場所が・多い(地域(綴喜(ツヅキ)郡)。その地域にある宮)」

の転訛と解します。

 

216E2髪長(カミナガ)媛

 紀は妃を日向(ヒムカ)国の諸縣(モロガタ)君牛諸井(ウシモロイ)の娘髪長(カミナガ)媛(記は日向の諸縣君牛諸(ウシモロ)の娘髪長(カミナガ)比売)とし、216F5大草香(オホクサカ)皇子(記は波多毘能大(ハタビノオホ)郎子、亦の名大日下(オホクサカ)王)および216F6幡梭(ハタビ)皇女(記は波多毘能若(ハタビノワカ)郎女、亦の名長日(ナガヒ)命、亦の名若日下部(ワカクサカベ)命)を生んだとします。

 妃は最初応神天皇が呼び寄せたのを215F7大鷦鷯(オホサザキ)尊が見初め、それを知った応神天皇が大鷦鷯尊に与えた(応神記は大雀命が建内宿禰大臣を通じて天皇に願ったとします)もので、その際大鷦鷯尊は妃を「古破嚢嬢子(コハダヲトメ)」と呼んで歌を作っています。

 この「かみなが」、「もろがた」、「うしもろい(うしもろ)」、「こはだをとめ」は、

  「カ・ミナ・(ン)ガ」、KA-MINA-NGA(ka=take fire,be lighted,burn;mina=desire,feel inclination for;nga=satisfied,breathe)、「うっとり・するような・光輝く(美貌をもつ。姫)」

  「モロ・(ン)ガタ」、MOLO-NGATA((Hawaii)molo=to turn,twist,interweave as roots;ngata=snail,small,satisfied,dry)、「かたつむり(小さな丘)が・絡み合っている(ような土地)」

  「ウチ・モロ・ウィ」、UTI-MOLO-WI(uti=bite;(Hawaii)molo=to turn,twist,interweave as roots;ui=relax or loosen a noose)、「絡み合った・投げ縄を・食いちぎる(紛糾を解決する。首長)」

  「コハ・タ・アウト・マイ」、KOHA-TA-AUTO-MAI(koha=flash as lighting,respect;ta=dash,beat,lay;auto=trailing behind,slow;mai=clothing,dance)、「(美貌の)輝きが・押し寄せてくるような・従順で・着飾り舞い踊る(姫)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

の転訛と解します。

 

216E3八田(ヤタ)皇女

 紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E4宮主宅(ミヤヌシヤカ)媛の第2子、矢田(ヤタ)皇女(記は大鞆和氣(オホトモワケ)命と宮主矢河枝(ミヤヌシヤカハエ)比売の第2子、庶妹(ママイモ)の八田若(ヤタノワキ)郎女)を妃とし(仁徳紀30年9月条)、216E1磐之媛(イハノヒメ)命の崩後(35年6月条)、妃を皇后とした(38年正月条)とします。記は御子はなかったとします。

 仁徳紀40年2月条は天皇が215F15雌鳥(メトリ)皇女を妃に望み、媒の215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子が命を果たさず皇女と通じ、天皇を誹謗して逃げたので追っ手に殺されますが、この間隼總別皇子と雌鳥皇女を処罰しないよう、また処罰する際に衣服・装身具を剥ぎ取らないよう諫言したとします。

 この「やた」、「やたのわき」は、

  「イア・アタ」、IA-ATA(ia=indeed,current;ata=gentry,clearly,openly)、「実に・穏やかな(皇女)」(「イア」の語尾のA音と「アタ」の語頭のA音が連結して「ヤタ」となった)

  「イア・アタ・ノ・ウア・キ」、IA-ATA-NO-UA-KI(ia=indeed,current;ata=gentry,clearly,openly;no=of;ua=expostulation;ki=full,very)、「実に・穏やか・で・しきりに・(隼總別皇子と雌鳥皇女の処罰について)諫言した(皇女)」(「イア」の語尾のA音と「アタ」の語頭のA音が連結して「ヤタ」となった)

の転訛と解します。

 

216E4菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女

 記は215A大鞆和氣(オホトモワケ)命と215E5袁那辨(ヲナベ)郎女の子、庶妹(ママイモ)の宇遅之若(ウヂノワキ)郎女(紀は215A譽田別(ホムタワケ)尊と215E5小瓦(ヲナベ)媛の子、菟道稚(ウヂノワキ)郎姫皇女)を妃としたが、御子はなかったとします。

 この「うぢのわき」は、

  「ウチ・ノ・ウア・キ」、UTI-NO-UA-KI(uti=bite;no=of;ua=expostulation;ki=full,very)、「浸食された場所(宇治)・(に建てた宮)に住む・しきりに・(隼總別皇子と雌鳥皇女の処罰について)諫言した(皇女)」

の転訛と解します。

 

216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第1子、大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第1子、大江(オホエ)の伊邪本和氣(イザホワケ)命)とします。

 尊は仁徳天皇31年に皇太子となり、仁徳天皇の崩後皇太子が妃としようとした黒媛を皇太子の名を騙って犯した216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子が皇太子を殺そうと急襲しますが、部下に守られて大和に逃げ、216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊に命じて住吉仲皇子を殺させて217履中天皇となります。

 217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊の項を参照してください。

 

216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第2子、住吉仲(スミノエノナカツ)皇子(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第2子、墨江(スミノエ)の中津(ナカツ)王)とします。

 皇子は、仁徳天皇の崩後皇太子の216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊が妃としようとした黒媛を皇太子の名を騙って犯し、そのことが皇太子に知れると皇太子を殺そうと急襲しますが、皇太子は大和に逃げ、216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊に殺されます。

 この「すみのえのなかつ」は、

  「ツ・ミ・ノエ・ノ・ナ・カツア」、TU-MI-NOE-NO-NA-KATUA(tu=stand,settle;mi=stream,river;noe,noenoe=tickle;no=of;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「波が・優しく打ち寄せる(岸をくすぐる)場所(=住之江)・に住む・内廷の外に居る(皇子)」

の転訛と解します。

 

216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第3子、瑞歯別(ミツハワケ)尊(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第3子、蝮(タヂヒ)の水歯別(ミヅハワケ)命)とします。

 仁徳天皇の崩後皇太子の216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊が妃としようとした黒媛を皇太子の名を騙って犯した216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子が皇太子を殺そうと急襲しますが、皇太子は大和に逃げ、皇太子の命によって住吉仲皇子をその部下を買収して殺し、217履中天皇の皇太子となり、218反正天皇となります。

 反正紀は、皇子が淡路宮で生まれたとき歯が一つの骨のようで、そこの瑞井(ミツノイ)の水で産湯を使つたがその井戸の中に多遅(タヂ。虎杖(イタドリ))の花があったので「多遅比瑞歯別(タヂヒノミツハワケ)天皇」と称えたと記します。

 218A瑞歯別(ミツハワケ)尊の項を参照してください。

 

216F4雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第4子、雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第4子、男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命)とします。

 尊は、病弱であることから天皇位を固辞しますが、皇后や群臣の強い要望に従って219允恭天皇となり、病が癒えてから、盟神探湯(クガタチ)を行って天下の氏姓の呼称の乱れを正したと伝えます。

 219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊の項を参照してください。

 

216F5大草香(オホクサカ)皇子

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E2髪長(カミナガ)媛の第1子、大草香(オホクサカ)皇子(記は大雀(オホサザキ)命と髪長(カミナガ)比売の第1子、波多毘能大(ハタビノオホ)郎子、亦の名大日下(オホクサカ)王)とします。

 安康紀元年2月条は、安康天皇が216F6幡梭(ハタビ)皇女を219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)皇子の妃に迎えようとし、使者に立った根使臣が大草香皇子が差し出した結納の宝物を横領しようとして讒言し、これを信じた安康天皇が大草香皇子を殺し、冤罪と判明した後、安康天皇は大草香皇子の妻220E中帝(ナカシ)姫命を妃とし、幡梭皇女を大泊瀬皇子の妃に迎えたとします。

 この「おほくさか」、「はたびのおほ」は、

  「オホ・ク・タカ」、OHO-KU-TAKA(oho=spring up,wake up,arise;ku=silent;taka=heap,lie in a heap)、「(根使臣の讒言によつて安康天皇から兵を向けられて)びっくりして飛び上がった・静かな・高台(に住む。皇子)」

  「パタヒ・ノ・オホ」、PATAHI-NO-OHO(patahi=befall all alike;no=of;oho=spring up,wake up,arise)、「(ありとあらゆる)災難に遭遇・した・(根使臣の讒言によつて安康天皇から兵を向けられて)びっくりして飛び上がった(王)」(「パタヒ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタヒ」となった)

の転訛と解します。

 

216F6幡梭(ハタビ)皇女

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E2髪長(カミナガ)媛の第2子、幡梭(ハタビ)皇女(記は大雀(オホサザキ)命と髪長(カミナガ)比売の第2子、波多毘能若(ハタビノワカ)郎女、亦の名長日(ナガヒ)命、亦の名若日下部(ワカクサカベ)命)とします。

 安康紀元年2月条は、220安康天皇が216F6幡梭(ハタビ)皇女を219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)皇子(後の221雄略天皇)の妃に迎えようとし、使者に立った根使臣が大草香皇子が差し出した結納の宝物を横領しようとして讒言し、これを信じた安康天皇が大草香皇子を殺し、冤罪と判明した後、安康天皇は大草香皇子の妻220E中帝(ナカシ)姫命を妃とし、幡梭皇女を大泊瀬皇子の妃に迎えたとします。

 この「はたび」、「はたびのわか」、「ながひ」、「わかくさかべ」は、

  「パタヒ」、PATAHI(befall all alike)、「ありとあらゆること(災難)に遭遇した(姫)」

  「パタヒ・ノ・ウアカハ」、PATAHI-NO-UAKAHA(patahi=befall all alike;no=of;uakaha=vigorous,strenuous,difficult)、「(ありとあらゆる)困難に・遭遇した(姫)」(「パタヒ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタヒ」と、「ウアカハ」のH音が脱落して「ウアカ」から「ワカ」となった)

  「ナ・(ン)ガヒ」、NA-NGAHI(na=by,indicating parentage or descent,belonging to;ngahi=suffer penalty,be punished)、「罰を受けた者(兄)の・係累(である。姫)」

  「ワカ・クタ・カペ」、WHAKA-KUTA-KAPE(whaka=make an immediate return for anything;kuta=encumbrance;kape=pass by,refuse,pick out)、「(根使臣の讒言によって兄が殺されたために)急に・邪魔者として・(朝廷から)放り出された(皇女)」

の転訛と解します。

 

216G百舌鳥野耳原(モズノミミハラ)陵

 紀は寿陵を百舌鳥野耳原(モズノミミハラ)陵(『延喜式』は百舌鳥野耳原中(モズノミミハラノナカ)陵、和泉国大鳥郡)とし、仁徳紀67年10月条に天皇が河内国石津原(イシツノハラ。現大阪府堺市石津町付近)に行幸して寿陵の地を定めて築き始めたところ、鹿が飛び出して倒れて死に、その耳から鳥が出て飛び去ったと伝えます。記は「毛受(モズ)の耳原(ミミハラ)に在り」としますが、起源説話は見えません。

 この「もずのみみはら」、「いしつはら」は、

  「モツ・ノ・ミミ・ハラ」、MOTU-NO-MIMI-HARA(motu=separated,broken off;no=of;mimi=stream,river;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「千切れた・川・のある・(部族の首長を葬った)墓のある原野」

  「イチ・ツ・ノ・ハラ」、ITI-TU-NO-HARA(iti=small,diminutive;tu=stand,be erect;no=of;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「少し・高くなった・(部族の首長を葬った)墓のある原野」

の転訛と解します。

 古代のこの地方は、西除川と石津川に挟まれた低湿地で、洪水のたびに流路を変えて蛇行する川と、洪水によって切り離されて沼となった旧河川が散在する原野であったと考えられます。百舌鳥古墳群の古墳は、このような場所の「千切れた川」を周濠として利用することによって掘削工事を節減したもの(215G恵我藻伏崗(エガノモフシノオカ)陵(伝応神天皇陵)は既存の丘を整形して築造したものと思われます)でしょう。地名篇(その四)の(19)のb百舌鳥野耳原の項を参照してください。

 

216H1茨田(マムタ)堤

 仁徳紀11年10月条は淀川の洪水を防ぐために茨田(マムタ)堤(吉田東伍『大日本地名辞書』は「枚方から東生郡野田村に至るまで凡そ7里」とします)を築きますが、2ケ所の難工事の場所があり、天皇の夢見によって武蔵人強頚(コハクビ)と河内人茨田(マムタ)連衫子(コロモノコ)を河神に人柱として捧げることとなり、強頚は泣きながら人柱となって一つの堤は完成し、もう一つの堤は衫子がひょうたん2個を河に投げ入れて「このひょうたんを沈めることができなければ真の河神とは認めない」と言ったが沈まず、人柱無しに完成させることができたため、その堤を「強頚断間(コハクビノタエマ)」、「衫子断間(コロモノコノタエマ)」と呼んだとします。

 この「まむた」、「こはくび」、「ころものこ」、「たえま」は、

  「マヌ・タ」、MANU-TA(manu=float,overflow;ta=dash,beat,overcome)、「洪水が・襲う(地域)」

  「コハ・ク・ピ」、KOHA-KU-PI(koha=present,pain;ku=silent;pi=flow of the tide)、「黙って・水の流れに・(その身体を)捧げた(人柱となった。男)」

  「コロ・モノ・コ」、KORO-MONO-KO(koro=desire,intend;mono=disable by means of incantations;ko=adressing to males and girles)、「(河神を)無力化しようと・企んだ・男」

  「タイマハ」、TAIMAHA(heavy,oppressed in body or mind)、「(身体または精神をはなはだ)圧迫した(負担をかけた。場所)」(語尾のH音が脱落して「タイマ」と、またはさらにAI音がAE音に変化して「タエマ」となった)

の転訛と解します。地名篇(その四)の(10)のb茨田郡およびc太間(タイマ)町の項を参照してください。

 

216H2雄鮒(ヲフナ)・阿俄能胡(アガノコ)

 仁徳紀40年2月条は天皇が215F15雌鳥(メトリ)皇女を妃に望み、215F18隼總別(ハヤブサワケ)皇子が媒となりますが、命を果たさず皇女と通じ、天皇を誹謗して逃げたので、吉備品遅(ホムチ)部雄鮒(ヲフナ。フナは魚偏に即)・播磨佐伯(サヘキ)直阿俄能胡(アガノコ)を追手として差し向け、菟田の素珥(ソニ)山を過ぎて伊勢の蒋代野(コモシロノ)で殺されます。雄鮒等は、皇后から皇女の手玉足玉を取らないよう厳命されていたにもかかわらず、命に背いてひそかに奪った玉が阿俄能胡の妻の手から朝廷の女官の手に渡ったことから、悪事が露見し、阿俄能胡は死罪になるところを自分の土地を献じて赦されたので、その土地を玉代(タマテ)と言ったとします。

 この「をふな」、「ほむち」、「あがのこ」、「さへき」、「そに」、「こもしろの」、「たまて」は、

  「オ・フナ」、O-HUNA(o=the...of;huna=conceal,destroy,unnoticed)、「(奪った玉を)隠した(または悪事が見過ごされた。男)」

  「ハウムチ」、HAUMUTI(dung,excrement)、「糞(のような部族)」(「ハウムチ」のAU音がO音に変化して「ホムチ」となった)

  「ア(ン)ガ・(ン)ゴコ」、ANGA-NGOKO(anga=face or move in a certain direction,turn to doing anything,aspect;ngoko=tickle,itch)、「あちこちの機嫌をとる(最初は妻に玉を与え、悪事が露見した後は天皇に土地を提供した)のが・得意な(男)」(「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」と、「(ン)ゴコ」のNG音がN音に変化して「ノコ」となった)

  「タエキ」、TAEKI(lie(tae=arrive,come,go,amount to of numbers,proceed to;ki=full,very))、「(横たわって)通路を遮断・警衛する(部族)」(雑楽篇の327さえきの項を参照してください。)

  「トニヒ」、TONIHI(walk stealthily)、「足音を忍ばせて歩く(山。場所)」(語尾のH音が脱落して「トニ」から「ソニ」となった)

  「コモ・チラウ・ナウ」、KOMO-TIRAU-NAU(komo=thrust in,insert;tirau=stick,pick root crops out of the ground;nau=come,go)、「(山野の)奥に入って・草の根をわけて探して・辿り着いた(場所)」(「チラウ」のAU音がO音に変化して「チロ」から「シロ」と、「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「タハ・マテ」、TAHA-MATE(taha=side,pass on one side,go by;mate=dead,damaged,finished)、「死罪を・免れた(代償の土地)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」となった)

の転訛と解します。

 

216H3宿儺(スクナ)

 仁徳紀65年条は、飛騨国に身体は一つで二つの相反する顔と、四つの手、四つの足を持ち、左右に剣、二つの弓矢を使い、反逆する宿儺(スクナ)がいたので、和珥(ワニ)臣の祖難波根子武振熊(タケフルクマ)を派遣して亡ぼしたと伝えます。

 この「すくな」、「たけふるくま」、「わに」は、

  「ツク・ナ」、TUKU-NA(tuku=let go,give up,leave;na=suffix,of these)、「皆が・避ける(怪物)」

  「タケ・フル・ク・マ」、TAKE-HURU-KU-MA(take=stump,base of a hill,beginning;huru=contract,gird on as a belt,an incantation recited over weapons before fighting;ku=silent;ma=white,clean)、「(和珥臣の)祖である・清らかな場所に・静かに居るもの(熊やその他の怪物)に対し・相手を調伏する呪文を唱える(将軍)」

  「ワニ」、WANI(scrape,comb the hair,defame,fire-stick for obtaining fire by friction)、「(土地の表面が)掻き均らされた(地域。その地域に住む部族)」

の転訛と解します。

216H4桑田玖賀(くはたのくが)媛

 仁徳紀16年7月条は、天皇が長い間恋心を抱きながら皇后の嫉妬を恐れて近づけることができなかった後宮の女官桑田玖賀(くはたのくが)媛を、朝廷から解放しようとして引受け希望者を募り、ただ一人名乗りを上げた舎人の播磨国造の祖速待(はやまち)に直ちに下賜しますが、玖賀媛は翌日の晩寝所へやってきた速待の妻となることを拒み、天皇の計らいで速待とともに桑田(丹波国桑田郡と解されています)に向かう旅の途中で病死したと伝えます。

 この「くはたのくが」、「はやまち」は、

  「クワタ・ノ・ク・ウ(ン)ガ」、KUWATA-NO-KU-UNGA(kuwata=long for,yearn,love,desire;no=of;ku=silent,wearied;unga=send,expel,seek)、「(天皇が・または互いに)恋いこがれて・いた・疲れ果てて(静かに)・送り返される(媛)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ウガ」となり、「ク」のU音と「ウガ」の語頭のU音が連結して「クガ」となった)

  「ハ・イア・マ・アチ」、HA-IA-MA-ATI(ha=what!,breath;ia=indeed,current;ma=go,come;ati=descendant,beginning)、「何と・まあ(早々と)・最初に・(寝所へ)やってきた(舎人)」

の転訛と解します。

 

 

[217履中天皇]

 

217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第1子、216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第1子、大江(オホエ)の伊邪本和氣(イザホワケ)命)とします。

 尊は仁徳天皇31年に皇太子となり、仁徳天皇の崩後皇太子が妃としようとした黒媛を皇太子の名を騙って犯した216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子が皇太子を殺そうと急襲しますが、部下に守られて大和に逃げ、216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊に命じて住吉仲皇子を殺させて217履中天皇となります。

 この「おほえのいざほわけ」は、

  「オホ・ヘイ・ノ・イ・タホ・ワカイ(ン)ガ」、OHO-HEI-NO-I-TAHO-WAKAINGA(oho=spring up,wake up,arise;hei=go towards,turn towards,be requited;no=of;i=past tense,beside;taho=yielding,weak;wakainga=distant home)、「(住吉仲皇子の襲撃を受けて)びっくりして跳び上がって・(部下の)言うなりになって・逃げ出した・遠いところを住居とした(尊)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

217B磐余稚櫻(イハレノワカサクラ)宮

 紀は宮を磐余稚櫻(イハレノワカサクラ)宮(記は伊波禮(イハレ)の若櫻(ワカサクラ)宮)とし、履中紀3年11月条には宮名の由来説話を記します。神功摂政3年正月条にも「磐余に都す。これを若櫻宮と謂う」とあります。

 この「いはれのわかさくら」は、

  「イ・ハレ・ノ・ワカ・タクラ(ン)ギ」、I-HARE-NO-WHAKA-TAKURANGI(i=past tense,beside;hare,haere=come,go;no=of;whaka=to form intransitive verb;takurangi=pointing upwards as a spear etc.)、「(難波から)やって来て・定着した場所・の・(防衛のために)槍を林立させて・いる(宮)」(「タクラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「タクラ」から「サクラ」となつた)

の転訛と解します。

 

217C1大鷦鷯(オホサザキ)尊

 父は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊の項を参照してください。

 

217C2磐之媛(イハノヒメ)命

 母は216E1磐之媛(イハノヒメ)命の項を参照してください。

 

217D1住吉仲(スミノエノナカツ)皇子から217D5幡梭(ハタビ)皇女まで

 弟妹は216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子から216F6幡梭(ハタビ)皇女までの項をそれぞれ参照してください。

 

217E1黒(クロ)媛

 紀は皇妃を葦田(アシタ)宿禰(履中紀元年7月条。即位前紀は羽田矢代(ハタノヤシロ)宿禰とします)の娘、黒(クロ)媛とし、217F1磐坂市邊押羽(イハサカノイチノヘノオシハ)皇子、217F2御馬(ミマ)皇子および217F3青海(アヲミ)皇女(一書には飯豊(イヒトヨ)皇女)の3人を生んだとします。

 記は皇后を葛城の曽都(ソツ)毘古の娘、黒(クロ)比売命とし、217F1市邊忍歯(イチノベノオシハ)王、217F2御馬(ミマ)王および217F3青海(アヲミ)郎女(亦の名飯豊(イヒトヨ)郎女)の3人を生んだとします。

 履中紀5年3月条に筑紫の三神が宮中に出現して「なぜ我が民を奪うのか。祟りをするぞ。」と言ったが、放置したとあり、同年9月条に天皇が淡路嶋が狩をしていたところ、「狭名来田蒋津之(サナクタコモツノ)命が羽狭(ハサ)に亡くなった」と大空に声があり、直後に皇妃が崩じたことを報告する使者が到来したとあり、この名は黒(クロ)媛の別名と解されます。

 この「くろ」、「あした」、「はたのやしろ」、「そつ」、「さなくたこもつの」、「はさ」は、

  「ク・ロ」、KU-RO(ku=silent;ro=roto=inside)、「心底から・無口な(静かな、淑やかな。姫)」

  「アチ・タ」、ATI-TA(ati=descendant,clan;ta=dash,beat,lay)、「(敵に)襲いかかる・部族(を指揮する。将軍)」

  「ハ・タ・ノ・イア・チロ」、HA-TA-NO-IA-TIRO(ha=what!;ta=dash,beat,lay;no=of;ia=indeed,current;tiro=look,survey)、「何と・(圧倒的な力で)襲いかかるように・実に・見える(軍隊を指揮する。将軍)」

  「タウ・ツ」、TAU-TU(tau=come to rest,be suitable,beautiful;tu=stand,settle)、「悠然と・構えている(首長)」

  「タナ・クタ・コムツ・ナウ」、TANA-KUTA-KOMUTU-NAU(tana=his,her,its;kuta=encumbrance;komutu=surprise,intercept;nau=go,come)、「あの・邪魔者(217H2車持(クルマモチ)君を指す)が・(天皇を)驚かす(狩を中断させる)ことを・もたらした(その犠牲者となった・命)」(「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「パタ」、PATA(drop of water etc.,cause,occasion)、「(筑紫三神の祭祀をおろそかにした)結果(罰としての死亡)」(「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」から「ハサ」となった)

の転訛と解します。

 

217E2草香幡梭(クサカノハタビ)皇女

 紀は妃を草香幡梭(クサカノハタビ)皇女とし、217F4中磯(ナカシ)皇女を生み、皇妃の217E1黒(クロ)媛の崩後、皇后となります(履中紀6年正月条)。皇女は216F6幡梭(ハタビ)皇女(雄略天皇皇后)とは別人または所伝の誤りかとされます。記には見えません。

 この「くさかのはたび」は、

  「ク・タカ・ノ・ハ・タピ」、KU-TAKA-HA-TAPI(ku=silent;taka=heap,lie in a heap;no=of;ha=what!;tapi=apply,patch,mend,cook)、「静かな・高台に・住む・何とも・面倒見がよい(姫)」

の転訛と解します。

 

217E3太(フト)姫郎姫

 紀は嬪を鮒魚磯別(フナシワケ)王の娘、太(フト)姫郎姫とし、217E4高鶴(タカツル)郎姫とともに、強力で鳴る兄の鷲住(ワシスミ)王に逢いたいと嘆いたとします。記には見えません。

 この「ふと」、「ふなしわけ」、「わしすみ」は、

  「フトイ」、HUTOI(stunted,dishevelled)、「(背が)低い(または髪を乱している。姫)」

  「フナ・チ・ウアキ」、HUNA-TI-UAKI(huna=conceal,destroy,unnoticed;ti=throw,cast,overcome;uaki=launch,push endwise)、「隠れていることを・止めて・堂々と(直立して)人前に出た(王)」

  「ワチ・ツ・ミヒ」、WHATI-TU-MIHI(whati=be broken off,break of the sea;tu=stand,settle;mihi=greet,admire)、「海の入り江に・住む・尊崇すべき(王)」

の転訛と解します。

 

217E4高鶴(タカツル)郎姫

 紀は嬪を鮒魚磯別(フナシワケ)王の娘、高鶴(タカツル)郎姫とします。記には見えません。

 この「たかつる」は、

  「タカ・ツル」、TAKA-TURU(taka=heap,lie in a heap;turu=pole,upright)、「(背が)高くて・(背筋を真っ直ぐ)伸ばしている(姫)」

の転訛と解します。

 

217F1磐坂市邊押羽(イハサカノイチノヘノオシハ)皇子

 紀は217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊と217E1黒(クロ)媛の第1子、磐坂市邊押羽(イハサカノイチノヘノオシハ)皇子(記は大江(オホエ)の伊邪本和氣(イザホワケ)命と黒(クロ)比売命の第1子、市邊忍歯(イチノベノオシハ)王)とします。

 また、雄略即位前紀は安康天皇が市邊押磐(イチノヘノオシハ)皇子を後継者としていたことを恨んで、雄略天皇が皇子を謀殺したとし、顕宗即位前紀は皇子の尊号を「市邊宮に天下治しし天萬國萬押磐(アメヨロズクニヨロズオシハ)尊」とします。顕宗記は皇子の歯は「三枝の如き押歯」であったとします。

 この「いはさか」、「いちのへ」、「おしは」、「あめよろずくによろずおしは」は、

  「イヒ・ワ・タカ」、IHI-WHA-TAKA(ihi=split,power;wha=be disclosed,get abroad;taka=heap,lie in a heap)、「力が・露出しているもの(岩)だらけの・高台(に住む皇子)」(「イヒ」のH音が脱落して「イ」となった)

  「イチ・ノペ」、ITI-NOPE(iti=small,compact;nope=constricted)、「こじんまりと・まとまった(場所。または宮。そこに住む皇子)」

  「オチ・ハ」、OTI-HA(oti=finished;ha=breath,taste,breathe)、「呼吸を・止められた(殺された。皇子)」または「オチ・イヒ・ワ」、OTI-IHI-WHA(oti=finished;ihi=split,power;wha=be disclosed,get abroad)、「(政治についての)力を・露出する(行使する)ことが・終わった(殺された。皇子)」(「イヒ」のH音が脱落して「イ」となった)

  「アマイ・イオ・ロツ・クニ・イオ・ロツ・オチ・ハ」、AMAI-IO-ROTU-KUNI-IO-ROTU-OTI-HA(amai=swell on the sea,giddy;io=muscle,spur,tough;rotu=heavy,render the sea calm by a spell;(Hawaii)kuni=to burn,kindle;oti=finished;ha=breath,taste,breathe)、「海(天下)を・しっかりと・平穏にし・居住地(国)を・しっかりと・平穏に治めて・呼吸を・止められた(殺された。皇子)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」となった)

の転訛と解します。

 

217F2御馬(ミマ)皇子

 紀は217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊と217E1黒(クロ)媛の第2子、御馬(ミマ)皇子(記は大江(オホエ)の伊邪本和氣(イザホワケ)命と黒(クロ)比売命の第2子、217F2御馬(ミマ)王)とします。

 この「みま」は、

  「ミヒ・マ」、MIHI-MA(mihi=greet,admire;ma=white,clean)、「尊崇すべき・清らかな(皇子)」

の転訛と解します。

 

217F3青海(アヲミ)皇女(飯豊(イヒトヨ)皇女)

 紀は217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊と217E1黒(クロ)媛の第3子(記は大江(オホエ)の伊邪本和氣(イザホワケ)命と黒(クロ)比売命の第3子、青海(アヲミ)郎女(亦の名飯豊(イヒトヨ)郎女))とします。皇極紀3年3月条は休留を茅鴟(フクロウ)とし、『和名抄』は休留鳥を以比止与(イヒトヨ)と訓じ、『新撰字鏡』は忌鳥は伊比止与(イヒトヨ)、又与太加(ヨタカ)とします。

 なお、顕宗即位前紀に217F1磐坂市邊押羽(イハサカノイチノヘノオシハ)皇子の第4子または第2子の飯豊(イヒトヨ)女王、亦の名忍海部(オシヌミベ)女王が222清寧天皇の崩後223顕宗天皇の即位前に天皇に代わって政を行ったとあります。

 この「あをみ」、「いひとよ」、「おしぬみべ」は、

  「アオ・ミヒ」、AO-MIHI(ao=daytime,bright,cloud,scoop up,be right,bark;mihi=greet,admire)、「(夜が明けたように)次第に明るくなった・尊敬すべき(皇女)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「イヒ・トイ・イオ・ノ・アオ」、IHI-TOI-IO-NO-AO(ihi=split,separate;toi=move quickly,encourage;io=muscle,line,tough,obstinate;no=of;ao=daytime,bright,cloud,scoop up,be right,bark)、「(天皇不在の)隙間を・疲れを知らずに・駆け抜けた(短期間天皇を代行した)・(夜が明けたように)次第に明るくなった(皇女)」

  「オチ・ヌミ・ぺ」、OTI-NUMI-PE(oti=finished;numi=bend,fold,pass by;pe=crashed,soft,like)、「(政が)挫折して・終わった・ように見える(皇女)」

の転訛と解します。

 

217F4中磯(ナカシ)皇女

 紀は217A大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊と217E2草香幡梭(クサカノハタビ)皇女の子、中磯(ナカシ)皇女とします。記には見えません。

 この「なかし」は、

  「ナ・カチ」、NA-KATI(na=satisfied,by,belonging to;kati=leave off,be left in statu quo,block up,prevent,barrier)、「放任されて・満足していた(皇女)」

の転訛と解します。

 

217G百舌鳥耳原(モズノミミハラ)陵

 紀は陵を百舌鳥耳原(モズノミミハラ)陵(『延喜式』は百舌鳥耳原南陵、和泉国大鳥郡とし、『陵墓要覧』は堺市石津ケ丘町とします)とし、記は「御陵は毛受(モズ)に在り」とします。「もずのみみはら」については216G百舌鳥野耳原(モズノミミハラ)陵の項を参照してください。

 

217H1刺領巾(サシヒレ)(曽婆訶理(ソバカリ))

 216仁徳天皇の崩後皇太子の216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子を殺すことを命じられた216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊は、住吉仲皇子の部下の刺領巾(サシヒレ)(記は曽婆訶理(ソバカリ))を買収して、住吉仲皇子が厠に入ったところを矛で刺して殺させ、その刺領巾(曽婆訶理)を主君に対し不忠であるとして殺します。紀は瑞歯別尊は、住吉仲皇子暗殺の後、刺領巾を殺し、直ちに石上神宮の皇太子の下に急行したとしますが、記は大坂の山口で曽婆訶理の功を賞する宴を開き、その場で曽婆訶理を殺したのでその地を「近飛鳥(チカツアスカ)」といい、翌日大和に来て祓いをして一泊した後石上神宮の皇太子の下に参ったのでその祓いをした地を「遠飛鳥(トホツアスカ)」というとし、「近飛鳥(河内)」、「遠飛鳥(大和)」の地名の起源を説明するための説話と解されています。

 この「さしひれ」、「そばかり」、「ちかつあすか」、「とほつあすか」は、

  「タハチチ・ヒレレ」、TAHATITI-HIRERE(tahatiti=peg,wedge used to tighten anythng;hirere=gush,spurt,rush)、「(矛、槍など)棒状のもので・勢いよく突き刺した(男)」(「タハチチ」のH音と反復語尾が脱落して「タチ」から「サシ」と、「ヒレレ」の反復語尾が脱落して「ヒレ」となった)

  「トパ・カリ」、TOPA-KARI(topa=fly,soar,cook in an earth-oven;kari=dig,rush along violently)、「(甘言に釣られて)舞い上がって・荒々しく突進した(男)」または「ト・パカリ」、TO-PAKARI(to=drag,be pregnant;pakari=matured,strong)、「強い力を・持っている(男)」

  「チカ・ツ・アツ・カ」、TIKA-TU-ATU-KA(tika=straight,right,correct;tu=stand,settle;atu=to form comperative or superlative or simply as an intensive,very;ka=take fire,be lighted)、「正義が・そこにあった(実現した)・最上の・居住地」

  「ト・ハウツ・アツ・カ」、TO-HAUTU-ATU-KA(to=drag,be pregnant;hautu=give the time for the rowers in a canoe,a song for the purpose of keeping time;atu=to form comperative or superlative or simply as an intensive,very;ka=take fire,be lighted)、「(石上神宮に急行しないで)時間を一拍・置いた・最上の・居住地」(「ハウツ」のAU音がO音に変化して「ホツ」となった)

の転訛と解します。

 

217H2車持(クルマモチ)君

 履中紀5年10月条は皇妃が突然崩じた原因を車持(クルマモチ)君が筑紫国で車持部から税を徴収し、筑紫三神の神戸を奪い取ったことにあるとし、是正措置を講じたとします。

  この「くるまもち」は、

  「クル・ママウ・チ」、KURU-MAMAU-TI(kuru=strike with the fist;mamau=grasp,wrestle with;ti=throw,casy,overcome)、「(神戸を奪つたことを咎められて)拳骨で殴り・支配され・滅ぼされた(豪族)」(「ママウ」のAU音がO音に変化して「マモ」となった)

の転訛と解します。

 

 

[218反正天皇]

 

218A瑞歯別(ミツハワケ)尊

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第3子、瑞歯別(ミツハワケ)尊(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第3子、蝮(タヂヒ)の水歯別(ミヅハワケ)命)とします。

 216仁徳天皇の崩後皇太子の216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊が妃としようとした黒媛を皇太子の名を騙って犯した216F2住吉仲(スミノエノナカツ)皇子が皇太子を殺そうと急襲しますが、皇太子は大和に逃げ、216F3瑞歯別(ミツハワケ)尊は皇太子の命によって住吉仲皇子をその部下を買収して殺し、217履中天皇の皇太子となり、218反正天皇となります。

 反正紀は、皇子が淡路宮で生まれたとき歯が一つの骨のようで、そこの瑞井(ミツノイ)の水で産湯を使つたがその井戸の中に多遅(タヂ。虎杖(イタドリ))の花があったので「多遅比瑞歯別(タヂヒノミツハワケ)天皇」と称えたと記します。

 この「みづはわけ」、「たぢひ」は、

  「ミヒ・ツハ・ワカイ(ン)ガ」、MIHI-TUHA-WAKAINGA(mihi=greet,admire,sigh for;tuha,tuwha=distribute,spit;wakainga=distant home)、「(皇太子の大兄去来穂別尊のために住吉仲皇子を殺すという)貢献をして・(そのことを)嘆いた・遠いところを住居とした(尊)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「タ・チヒ」、TA-TIHI(ta=dash,beat,lay;tihi=summit,top,topknot of hair,lie in a heap)、「高台に・在る(地域。河内国丹比(タヂヒ)郡の地域。そこに住む尊)」または「タ・チヒ」、TA-TIHI(ta=dash,beat,lay;tihi=summit,top,topknot of hair,lie in a heap)、「(巫女の)頭髪(の髷)を・住処とするもの(蝮(マムシ)。住吉仲皇子を直接攻めることなくその部下を買収して殺させるという卑劣な手段を用いた・蝮のような尊)」

の転訛と解します。

 

218B柴籬(シバカキ)宮

 紀は宮を河内の丹比(タヂヒ)の柴籬(シバカキ)宮(記は多治比(タヂヒ)の柴垣(シバカキ)宮。所在不詳)とします。

 この「しばかき」は、

  「チ・パカ・キ」、TI-PAKA-KI(ti=throw,cast,overcome;paka=quarrel;ki=full,very)、「全く・争い事が・無かった(平和だつた。宮)」

の転訛と解します。

 

218C1大鷦鷯(オホサザキ)尊

 父は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊の項を参照してください。

 

218C2磐之媛(イハノヒメ)命

 母は216E1磐之媛(イハノヒメ)命の項を参照してください。

 

218D1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から218D5幡梭(ハタビ)皇女まで

 兄弟姉妹は216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から216F6幡梭(ハタビ)皇女までの項をそれぞれ参照してください。

 

218E1津野(ツノ)媛

 紀は皇夫人を大宅(オホヤケ)臣の祖の木事(コゴト)の娘、津野(ツノ)媛とし、218F1香火(カヒ)姫皇女および218F2圓(ツブラ)皇女の2人を生んだとします。

 記は皇后を丸邇(ワニ)の許碁登(コゴト)臣の娘、都怒(ツノ)郎女とし、218F1甲斐(カヒ)郎女および218F2都夫良(ツブラ)郎女の2人を生んだとします。

 この「つの」、「おほやけ」、「こごと」、「わに」は、

  「ツノウ」、TUNOU(nod the head,sign of assent)、「(何でも)うなづく(従順な。姫)」

  「オ・ホイ・アケ」、O-HOI-AKE(o=the...of,place of;hoi=far off,distant;ake=forthwith,from below,upwards)、「遠い土地(の産物)を・献上する・役割(の部族)」(「ホイ」の語尾のI音と「アケ」の語頭のA音が連結して「ホヤケ」となった)

  「カウ・(ン)ゴト」、KAU-NGOTO(kau=alone,only;ngoto=head,be deep,firmly)、「ただただ・堅い(性格の。首長)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」と、「(ン)ゴト」のNG音がG音に変化して「ゴト」となった)

  「ワニ」、WANI(scrape,comb the hair)、「(土地の表面が洪水などで)掻き均らされた(地域。そこに住む部族)」

の転訛と解します。

 

218E2弟(オト)媛

 紀は妃を218E1津野(ツノ)媛の妹、弟(オト)媛とし、218F3財(タカラ)皇女および218F4高部(タカベ)皇子の2人を生んだとします。

 記は妃を218E1都怒(ツノ)郎女の妹、弟(オト)比売とし、218F3財(タカラ)王および218F4多訶辧(タカベ)郎女の2人を生んだとします。

 この「おと」は、

  「アウト」、AUTO(trailing behind)、「(姉の)後ろについて行く(人。妹)」(AU音がO音に変化して「オト」となった)

の転訛と解します。

 

218F1香火(カヒ)姫皇女

 紀は218A瑞歯別(ミツハワケ)尊と218E1津野(ツノ)媛の第1子、香火(カヒ)姫皇女(記は218A水歯別(ミヅハワケ)命と218E1都怒(ツノ)郎女の第1子、甲斐(カヒ)郎女)とします。

 この「かひ」は、

  「カ・ヒ」、KA-HI(ka=take fire,be lighted,burn;hi=raise,rise)、「光り輝き・気高い(皇女)」

の転訛と解します。

 

218F2圓(ツブラ)皇女

 紀は218A瑞歯別(ミツハワケ)尊と218E1津野(ツノ)媛の第2子、圓(ツブラ)皇女(記は218A水歯別(ミヅハワケ)命と218E1都怒(ツノ)郎女の第1子、都夫良(ツブラ)郎女)とします。

 この「つぶら」は、

  「ツプラ(ン)ギ」、TUPURANGI(disconnected,random)、「物事にも拘らない(鷹揚な。皇女)」(語尾の「(ン)ギ」が脱落して「ツプラ」となった)

の転訛と解します。

 

218F3財(タカラ)皇女

 紀は218A瑞歯別(ミツハワケ)尊と218E2弟(オト)媛の第1子、財(タカラ)皇女(記は218A水歯別(ミヅハワケ)命と218E2弟(オト)比売の第1子、財(タカラ)王)とします。

 この「たから」は、

  「タカラ(ン)ギ」、TAKARANGI(reel,stsgger,faint,giddy)、「気が弱い(皇女)」

の転訛と解します。

 

218F4高部(タカベ)皇子

 紀は218A瑞歯別(ミツハワケ)尊と218E2弟(オト)媛の第1子、高部(タカベ)皇子(記は218A水歯別(ミヅハワケ)命と218E2弟(オト)比売の第1子、多訶辧(タカベ)郎女)とします。

 この「たかべ」は、

  「タカ・パイ」、TAKA-PAI(taka=heap,lie in a heap;pai=good,excellent,good-looking)、「高貴で・ハンサムな(皇子)」(「パイ」のAI音がE音に変化して「ペ」から「ベ」となった)

の転訛と解します。

 

218G耳原(ミミハラ)陵

 紀は陵を耳原(ミミハラ)陵(『延喜式』は百舌鳥耳原北陵、和泉国大鳥郡と、『陵墓要覧』は堺市三国ケ丘町字田出井とします)とし、記は陵を「毛受野(モズノ)に在り」とします。216G百舌鳥野耳原(モズノミミハラ)陵の項を参照してください。

 

 

 

[219允恭天皇]

 

219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊

 紀は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊と216E1磐之媛(イハノヒメ)命の第4子、216F4雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊(記は大雀(オホサザキ)命と石之日売(イハノヒメ)命の第4子、男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命)とします。

 尊は、病弱であることから天皇位を固辞しますが、皇后や群臣の強い要望に従って219允恭天皇となり、病が癒えてから、219H2盟神探湯(クカタチ)を行って天下の氏姓の呼称の乱れを正したと伝えます。

 この「をあさづまわくごのすくね」は、

  「アウ・アタ・ツマ・ワク・コ・ノ・ツクヌイ」、AU-ATA-TUMA-WAKU-KO-NO-TUKUNUI(au=firm,sound,intense;ata=clearly,openly,gently;tuma=challenge,abscess;waku=scrape;ko=addressing to males and girles;no=of;tukunui=main body of an army,large)、「(氏姓の)呼称の・乱れによる悪弊(かさぶた)を・ぬぐい去って・正しく・定めた・強権を行使した(尊)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

の転訛と解します。

 

219B遠飛鳥(トホツアスカ)宮

 記は宮を遠飛鳥(トホツアスカ)宮(大和国高市郡とされます)とします。紀には記載がなく、別宮の藤原(フヂワラ)宮(大和国高市郡。241持統天皇の藤原宮は橿原市高殿町付近とされます)、次いで茅渟(チヌ)宮(河内国、後の和泉国、泉佐野市上之郷付近との説があのます)に219E2衣通(ソトホシ)郎姫を住まわせて通ったとあります。

 遠飛鳥(トホツアスカ)については、217H1刺領巾(サシヒレ)の項を参照してください。

 

219C1大鷦鷯(オホサザキ)尊

 父は216A大鷦鷯(オホサザキ)尊の項を参照してください。

 

219C2磐之媛(イハノヒメ)命

 母は216E1磐之媛(イハノヒメ)命の項を参照してください。

 

219D1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から219D5幡梭(ハタビ)皇女まで

 兄弟姉妹は216F1大兄去来穂別(オホエノイザホワケ)尊から216F6幡梭(ハタビ)皇女までの項をそれぞれ参照してください。

 

219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命

 紀は皇后を215F17稚野毛二派(ワカノケフタマタ)皇子の娘、忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫とし、219F1木梨軽(キナシノカル)皇子、219F2名形大娘(ナガタノオホイラツメ)皇女、219F3境黒(サカヒノクロ)彦皇子、219F4穴穂(アナホ)尊、219F5軽大娘(カルノオホイラツメ)皇女、219F6八釣白(ヤツリノシロ)彦皇子、219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)尊、219F8但馬橘大娘(タヂマノタチバナノオホイラツメ)皇女および219F9酒見(サカミ)皇女を生んだとします。

 記は皇后を215F17若沼毛二俣(ワカヌケフタマタ)王の子の意富本杼(オホホド)王の妹、忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命とし、219F1木梨軽(キナシノカル)王、219F2長田大(ナガタノオホ)郎女、219F3境黒(サカヒノクロ)日子王、219F4穴穂(アナホ)命、219F5軽大(カルノオホ)郎女(亦の名衣通(ソトホシ)郎女)、219F6八瓜白(ヤツリノシロ)日子王、219F7大長谷(オホハツセ)命、219F8橘大(タチバナノオホ)郎女および219F9酒見(サカミ)郎女を生んだとします。

 皇后は、男勝りの気丈な性格で、かつ嫉妬深かったようで、即位をためらった天皇に凍死を覚悟で即位をうながし、皇后として刑罰行政の補佐に当たるや(皇后に立てられると同時に刑部(オシサカベ)が設置されていますが、これは当時の皇后は、単に正妻であるだけでなく、天皇の政治の補佐、または一部の分担を行っていたことによるものと考えられます)、結婚前に無礼を働いた219H1闘鷄(ツゲ)国造を死刑にしょうとし、また219E2衣通(ソトホシ)郎姫に強く嫉妬して茅渟宮に足繁く通わないよう天皇を牽制したと伝えます。

 この「おしさか」、「おほなかつ」、「おほほど」は、

  「オチ・タカ」、OTI-TAKA(oti=(Hawaii)oki=divide,separate;taka=heap,lie in a heap)、「(本道と)離れた・(別の道にある)高台(に住む。姫)」(地名篇(その五)の奈良県の(32)忍坂の項を参照してください。)または「オ・チタカ」、O-TITAKA(o=the...of;titaka=wobble,move about irregularly,turn about)、「考え(または行動)が・揺れ動く(媛)」

  「オホ・ナ・カツア」、OHO-NA-KATUA(oho=spring up,wake up,arise;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「すっくと立っている・内廷の外に・居る(傍系の。姫)」

  「オホ・ホト」、OHO-HOTO(oho=spring up,wake up,arise;hoto=begin,make a convulsive movement,be apprehensive)、「すっくと立っている・物わかりのよい(王)」

の転訛と解します。

 

219E2衣通(ソトホシ)郎姫

 允恭紀7年12月条は新室の宴で舞つた皇后がいやいや妹の類い希な美人の衣通(ソトホシ)郎姫を献じ、衣通郎姫は姉の心中を察して参内を拒みますが、中臣烏賊津(イカツ)使主の策略によって翻意し、当初藤原(フヂワラ)宮に、次いで河内の茅渟(チヌ)宮で天皇に寵愛されます。

 茅渟宮で姫が濱藻にことよせて詠んだ歌を天皇が「決して他人に聞かせるな。必ず皇后が大いに恨むに違いない」といい、そこで人々は濱藻を「奈能利曽毛(ナノリソモ)」と謂った(これまで「なのりそ」は「決して人に告げるな」の意と解され、『万葉集』には「勿告藻」とした例があります)とします(11年3月条)。

 この「そとほし」、「いかつ」、「なのりそも」は、

  「タウ・ト・ハウ・チ」、TAU-TO-HAU-TI(tau=come to rest,be suitable,beautiful;to=be pregnant,drag;hau=famous,illustrious,resound,be heard;ti=throw,cast)、「美しさを・秘めていることが・あまりにも有名で・(世の中に)知れ渡っている(姫)」(「タウ」および「ハウ」のAU音がO音に変化してそれぞれ「ト」から「ソ」および「ホ」となった)

  「イカ・ツ」、IKA-TU(ika=fish,warrior,victim;tu=stand,be high,energetic)、「体力強健な・戦士」

  「ナヌ・リ・トモ」、NANU-RI-TOMO(nanu=murmur,indistinct(moenanu=talk in one's sleep);ri=bind,protect;tomo=enter,be filled,assault party,marriage negotiation)、「結婚の・約束を・(寝物語に)ささやく」または「ナ・(ン)ゴリ・トモ」、NA-NGORI-TOMO(na=belonging to;ngori=weak,listless;tomo=enter,be filled,assault party,marriage negotiation)、「ただ・力無く(波に漂って)・流れ着くもの(濱藻)」(「(ン)ゴリ」のNG音がN音に変化して「ノリ」となった)

の転訛と解します。

 

219F1木梨軽(キナシノカル)皇子

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第1子、木梨軽(キナシノカル)皇子(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第1子、木梨軽(キナシノカル)王)とします。

 皇子は23年3月に皇太子に立てられますが、允恭天皇の葬礼の際に暴虐を行って婦女に淫けた(安康即位前紀。記は允恭天皇の崩後木梨軽皇子が即位前に同母妹219F5軽大郎女(カルノオホイラツメ)と通じたとします)ので人望を失い、群臣すべての信望が集まった弟の219F4穴穂(アナホ)尊(220安康天皇)を殺そうとしますが、かえって穴穂尊に亡ぼされます。

 この「きなしのかる」は、

  「キナ・チノ・カル」、KINA-TINO-KARU((Hawaii)kina=blemish,flaw;tino=essentiality,main;karu=rags,spongy matter)、「(人格に)本質的な・欠陥がある・ぼろ屑のような(または性格がふわふわした。人間)」

の転訛と解します。なお、この「カル」の意味については、後に孝徳天皇となる軽(カル)皇子および文武天皇となる軽(カル)皇子の「カル」に共通しています。

 

219F2名形大娘(ナガタノオホイラツメ)皇女

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第2子、名形大娘(ナガタノオホイラツメ)皇女(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第2子、長田大(ナガタノオホ)郎女)とします。

 この「ながたのおほ」は、

  「ナ・(ン)ガ・タ・ノ・オホ」、NA-NGA-TA-NO-OHO(na=by,belonging to;nga=satisfied;ta=dash,beat,lay;no=of;oho=spring up,wake up,arise)、「どちらかといえば・満足して・いる(のどかな。場所)・に住む・すっくと立っている(皇女)」

の転訛と解します。

 

219F3境黒(サカヒノクロ)彦皇子

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第3子、境黒(サカヒノクロ)彦皇子(雄略即位前紀は坂合黒(サカアヒノクロ)彦皇子。記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第3子、境黒(サカヒノクロ)日子王)とします。

 雄略即位前紀は安康天皇が眉輪王に殺されたと聞いた219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)尊が兄達を疑って最初に責められた219F6八釣白(ヤツリノシロ)彦皇子が返事をしなかったので斬られ、次いで皇子が責められますが返事をせず、眉輪王とともに圓(ツブラ)大臣の家に逃げ込んだので、遂に火をかけられて焼死したと伝えます。

 この「さかひ(さかあひ)のくろ」は、

  「タカ・ヒ・ノ・ク・ロ」、TAKA-HI-NO-KU-RO(taka=fall off,fall away;hi=raise,rise;no=of;ku=silent;ro=roto=inside)、「高い地位から・一転して落ち込んだ・心底から・無口な(皇子)」または「タカ・アヒ・ノ・ク・ロ」、TAKA-AHI-NO-KU-RO(taka=fall off,fall away;ahi=fire;no=of;ku=silent;ro=roto=inside)、「火(の中)に・落ち込んだ(焼死した)・心底から・無口な(皇子)」

の転訛と解します。

 

219F4穴穂(アナホ)尊

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第4子、穴穂(アナホ)尊(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第4子、穴穂(アナホ)命)とします。

 允恭天皇の皇太子であった219F1木梨軽(キナシノカル)皇子が允恭天皇の葬礼の際に暴虐を行って婦女に淫けた(安康即位前紀。記は允恭天皇の崩後木梨軽皇子が即位前に同母妹219F5軽大郎女(カルノオホイラツメ)と通じたとします)ので人望を失い、群臣すべての信望が集まった弟の穴穂尊を殺そうとしますが、かえって穴穂尊に亡ぼされ、穴穂尊が220安康天皇となります。

 天皇は、216F5大草香(オホクサカ)皇子(允恭天皇の弟)の妹の216F6幡梭(ハタビ)皇女を弟の219F7大泊瀬(オホハツセ)尊(後の221雄略天皇)の妻に迎えようとした際、根使主(ネノオミ)の讒言を信じて軽率に大草香皇子を殺し、その妻の220E中帝(ナカシ)姫命を自らの妃から皇后とし、皇后との寝物語に軽率に大草香皇子を殺したことを語ったことを大草香皇子と中帝姫命の間の子眉輪(マヨワ)王(記は目弱王)に立ち聞きされて殺されます。

 この「あなほ」は、

  「ア・ナホ」、A-NAHO(a=the...of,belonging to;naho=hasty,quick in speech or action)、「軽率に・事を運んだ(行動に・慎重さを欠いていた。皇子・天皇)」

の転訛と解します。

 

219F5軽大娘(カルノオホイラツメ)皇女

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第5子、軽大娘(カルノオホイラツメ)皇女(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第5子、軽大(カルノオホ)郎女(亦の名衣通(ソトホシ)郎女))とします。

 允恭紀23年3月条は皇女と皇太子に立てられた同母兄の219F1木梨軽(キナシノカル)皇子が通じたので皇女を伊予国に流した(記は允恭天皇の崩後木梨軽皇子が即位前に軽大郎女と通じたので伊予の湯へ流され、後を追った皇女と共に自殺した)とします。

 この「かるのおほ」、「そとほし」は、

  「カル・ノ・オホ・イラ・ツ・マイ」、KARU-NO-OHO-IRA-TU-MAI(karu=rags,spongy matter;no=of;oho=start from fear,wake up,arise;ira=freckle;tu=stand,settle;mai=garment,dance)、「ぼろ屑のような(または性格がふわふわした)・(不倫が露見して)びっくりした・黒子が・ある・(着飾り、踊りを踊る)姫」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「タウ・ト・ハウ・チ」、TAU-TO-HAU-TI(tau=come to rest,be suitable,beautiful;to=be pregnant,drag;hau=famous,illustrious,resound,be heard;ti=throw,cast)、「美しさを・秘めていることが・あまりにも有名で・(世の中に)知れ渡っている(姫)」(「タウ」および「ハウ」のAU音がO音に変化してそれぞれ「ト」から「ソ」および「ホ」となった)

の転訛と解します。なお、この「カル」の意味については、後に孝徳天皇となる軽(カル)皇子および文武天皇となる軽(カル)皇子の「カル」に共通しています。

 

219F6八釣白(ヤツリノシロ)彦皇子

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第6子、八釣白(ヤツリノシロ)彦皇子(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第6子、八瓜白(ヤツリノシロ)日子王)とします。

 雄略即位前紀は安康天皇が眉輪王に殺されたと聞いた219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)尊が兄達を疑って最初に皇子が責められますが、返事をしなかったので斬られたと伝えます。

 この「やつりのしろ」は、

  「イア・ツリ・ノ・チロ」、IA-TURI-NO-TIRO(ia=indeed,current;turi=deaf,knee;no=of;tiro=look)、「全く・耳が聞こえない人間・のように・見えた(皇子)」

の転訛と解します。

 

219F7大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)尊

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第7子、大泊瀬稚武(オホハツセノワカタケ)尊(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第7子、大長谷(オホハツセ)命)とします。

 安康即位前紀は尊が218反正天皇の皇女を妻に迎えようとしましたが、尊が凶暴で気に入らないとすぐに人を殺す性癖があるからと拒絶されたとします。

 さらに、雄略即位前紀は安康天皇が眉輪王に殺されたと聞いた尊が兄達を疑って最初に責めた219F6八釣白(ヤツリノシロ)彦皇子が返事をしなかったので斬り、次いで219F3境黒(サカヒノクロ)彦皇子が責められますが返事をせず、眉輪王とともに圓(ツブラ)大臣の家に逃げ込んだので、遂に火をかけて一同を焼殺し、221雄略天皇となったと伝えます。

 このほか、雄略紀は天皇が暴虐を極めたと同時に偉大な仁慈の天皇であったとします。

 この「おほはつせ」、「わかたけ」は、

  「オホ・パツ・テ」、OHO-PATU-TE(oho=start from fear,wake up,arise;patu=wall,strike,kill;te=crack,emphasis)、「(安康天皇が殺されたと聞いてときをはじめ何かあると)びっくりして跳び上がって・(眉輪王および兄達等や、他の人々を)殺し・まくった(尊)」

  「ウアカハ・タケ」、UAKAHA-TAKE(uakaha=vigorous,difficult;take=stump,base of a hill,origin,chief)、「元気が良い・どっしりとした(偉大な。尊)」

の転訛と解します。

 

219F8但馬橘大娘(タヂマノタチバナノオホイラツメ)皇女

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第8子、但馬橘大娘(タヂマノタチバナノオホイラツメ)皇女(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第8子、橘大(タチバナノオホ)郎女)とします。

 この「たじまのたちばなのおほ」は、

  「タ・チマ・ノ・タ・チパ・ナ・ノ・オホ」、TA-TIMA-NO-TA-TIPA-NA-NO-OHO(ta=the,dash,beat,lay;tima=a wooden implement for cultivating the soil;no=of;tipa=dried up;na=by,belonging to,satisfied;oho=start from fear,wake up,arise)、「掘り棒で掘り散らかしたような地形が・ある場所・の・乾燥した・のんびりとした・場所の(場所にゆかりのある)・すっくと立っている(皇女)」

の転訛と解します。

 

219F9酒見(サカミ)皇女

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)尊と219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命の第9子、酒見(サカミ)皇女(記は男浅津間若子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)命と忍坂(オサカ)の大中津(オホナカツ)比売命の第9子、酒見(サカミ)郎女)とします。

 この「さかみ」は、

  「タカ・ミ」、TAKA-MI(taka=heap,lie in a heap;mi=stream,river)、「川が流れる・高台(の場所。そこにゆかりのある皇女)」

の転訛と解します。

 

219G長野原(ナガノノハラ)陵

 紀は陵を河内の長野原(ナガノノハラ)陵(『延喜式』は恵我長野北陵、河内国志紀郡と、『陵墓要覧』は所在地を大阪府南河内郡道明寺町(現美陵町)大字国府字市ノ山とします)とし、記は「河内之恵賀長枝(エガノナガエ)に在り」とします。

 この「ながののはら」、「えがのながえ」は、

  「ナ・ンガ・ナウ・ノ・ハラ」、NA-NGA-NAU-NO-HARA(na=by,belonging to;nga=satisfied;nau=come,go;no=of;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「(崩御した天皇が)満足して・眠つている・墓地(の場所。そこにある陵)」

  「エ(ン)ガ・ノ・ナ・(ン)ガ・ヘイ」、ENGA-NO-NA-NGA-HEI(enga=anxiety(engaenga=overflow);no=of;na=by,belonging to;nga=satisfied;hei=go towards,turn towards)、「(洪水などが)心配な地域・の・(崩御した天皇が)満足して・ずっと・眠つている(場所。そこにある陵)」

の転訛と解します。

 

219H1闘鷄(ツゲ)国造

 允恭紀2年2月条は、219E1忍坂大中(オシサカノオホナカツ)姫命は皇后に立てられると、結婚前に無礼を働いた(命に向かって「汝(ナビト)」と嘲り、「壓乞(イデ)、戸母(トジ)、其の蘭(アララギ)一茎」といい、用途を聞かれて「山に行く時に摩愚那岐(マグナキ)を払う」と言った)闘鷄(ツゲ)国造を死刑にしょうとしたが、国造が謝つたのでその姓を稲置(イナキ)に落としたと伝えます。

 この「つげ」、「なびと」、「いで」、「とじ」、「あららぎ」、「まぐなき」、「いなき」は、

  「ツ・(ン)ゲ」、TU-NGE(tu=stand,settle;nge=thicket)、「藪が・ある(地域。そこの国造)」

  「ナ・ピタウ」、NA-PITAU(na=by,belonging to;pitau=young succulent shoot of a plant)、「若い・やつ」(「ピタウ」のAU音がO音に変化して「ピト」となった)

  「イ・テ・(メア)」、I-TE-MEA(when,whilst)、「時に、ところで」

  「トチ」、TOTI(limp,halt)、「びっこ」

  「アラ・ラ(ン)ギ」、ARA-RANGI(ara=rise,rise upraise;rangi=sky,heaven)、「空へ(向かって)・伸びる(植物。野蒜(ノビル)(ほかにイチイの木も))」

  「マ(ン)グ・ナキ」、MANGU-NAKI(mangu=black;naki=glide,move with an even motion)、「滑る(ように動き回る)・黒い(虫。)」

  「イ・ナキ」、I-NAKI(i=past temse,beside;naki=glide,move with an even motion)、「(その地位から)滑り落ち・た(首長。その姓)」

の転訛と解します。

 

219H2盟神探湯(くかたち)

 允恭紀4年9月条は、尊が味橿(ウマカシ)丘の辭禍戸岬(コトノマガヘノサキ)に探湯瓮(クカヘ)を据えて盟神探湯(クカタチ)を行い、天下の氏姓の呼称の乱れを正したと伝えます。

 この「くかたち」、「うまかし」、「ことのまがへ」、「くかへ」は、

  「クフ・カ・タ・チ」、KUHU-KA-TA-TI(kuhu=thrust in,insert;ka=take fire,be lighted,burn;ta=dash,beat,lay;ti=throw.cast,overcome)、「火を燃やした(加熱した水・斧など)中に・(手を)差し入れると・即座に・結果が出る(善悪の判断が表れる)(行事)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「ウマ・カチ」、UMA-KATI(uma=bosom,chest;kati=bite)、「食いちぎられた・乳房(のような。丘)」

  「コト・ノ・マ(ン)ガ・ヘ・ノ・タキ」、KOTO-NO-MANGA-HE-NO-TAKI(koto=sob.make a low sound;no=of;manga=branch of a tree,branch of a river etc.;he=wrong;taki=track,recite,stick in(takitaki=fence))、「誤った・氏姓・が・ぶつぶつと低い声で語られている(人々がいる)ところ・に・垣根を引き回して」

  「クフ・カ・パエ」、KUHU-KA-PAE(kuhu=thrust in,insert;ka=take fife,be lighted,burn;pae=horizon,direction,be laid to the charge of anyone)、「火を燃やした(加熱した水・斧など)中に・(手を)差し入れる・ために地上に置かれるもの(瓮)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「パエ」のAEがE音に変化して「ペ」となり、P音がF音を経てH音に変化して「ヘ」となった)

の転訛と解します。

 

219H3玉田(タマタ)宿禰

 允恭紀5年7月条は、反正天皇の殯(モガリ)を司ることを命じられていた葛城の襲津彦の孫、玉田(タマタ)宿禰が、地震(ナイフル)があったときにその場を離れて酒を飲んでいたばかりか、様子を見に来た吾襲(アソ)を暗殺したので、殺されたとします。 

 この「たまた」、「なゐふる」、「あそ」は、

  「タマタ」、TAMATA(refresh,cultivate)、「(酒を飲んで)元気を回復した(将軍)」

  「ナウェ・フ・ル」、NAWE-HURI(nawe=scar;hu=resound,make any inarticulate sound;ru=shake,agitate,earthquake)、「(大地の)傷が・(大きな)音を立てて・振動した(地震があった)」(「ナウェ」のE音がI音に変化して「ナヰ」となった)

  「アト」、ATO(thatch,enclose in a fence(atoato=recite names etc.))、「名前を呼んだ(点呼をした。人)」

の転訛と解します。

 

219H4男狭磯(ヲサシ)

 允恭紀14年9月条は天皇が淡路島に狩りをしたが収獲がなく、嶋の神が赤石(あかし)の海底の真珠を我に供えて祀るならば獲物を与えようと託宣したので、海人を集めて探させたところ、阿波国の男狭磯(ヲサシ)がやっと深海から巨大な真珠を含む大鮑を引き上げると同時に息が絶えたと伝えます。

 この「をさし」、「あかし」は、

  「アウタ・チ」、AUTA-TI(auta=attack,encroach upon;ti=throw,cast)、「(大きな)冒険を・試みた(男)」(「アウタ」のAU音がO音に変化して「オタ」から「オサ」となった)

  「ア・カチ」、A-KATI(a=the...of;kati=block up,shut of passage,barrier)、「通路を塞ぐ(狭めている)・位置にある(場所)」

の転訛と解します。

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<修正経緯>

1 平成15年5月1日

  212H6弟橘媛命の項中、穂積氏忍山(おしやま)宿禰の解釈を修正し、216H4桑田玖賀(くはたのくが)媛の項を追加しました。

2 平成15年9月1日

  212A,212F8,212F10,212F15,212F23,212F24,212F25の項の一部、213Aの項の一部、214A,214D1,214D6,214D7,214D8,214E2,214F3の項の一部、215A,215F18の項の一部、217Aの項の一部を修正しました。

3 平成17年6月1日

  212B1,212E3,212E5,212F1,212H3(碩田(おほきた)国、鼠の石窟),212H8,213H(棟梁之臣),214B2,215B4,215F25,216F5,216F6,216G,216H2(玉手),217B,217F3,217H2,218B,218F3,219E1(忍海)の項の一部を修正しました。

4 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

5 平成23年1月1日

 212F3の項中能褒野の解釈を修正しました。

6 平成23年3月1日

 214F1の項に「さずき」の解釈を追加しました。

古典篇(その八)終わり

 

U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
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(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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