000 地名篇(その十七)


地名篇(その十七)

(平成14-8-1書込み。27-8-5最終修正)(テキスト約51頁)


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 [ここでは『和名抄』所載の旧国名、旧郡名のほか、その地域の主たる古い地名などを選び、原則としてマオリ語により(ハワイ語による場合はその旨注記します)解説し、その他はまたの機会に譲ることとします。]

 

<中部地方の地名(その3)>

 

  目 次 

21 岐阜県の地名

 

 美濃(みの)国多藝(たき)郡養老(ようろう)の滝・多度(たど)山石津(いしつ)郡牧田(まきた)川・円満寺(えんまんじ)山古墳・高須(たかす)輪中・油島(あぶらじま)不破(ふは)郡関ヶ原(せきがはら)町・藤古(ふじこ)川・伊吹(いぶき)山・垂井(たるい)町・青墓(あおはか)宿・野上(のがみ)宿安八(あんぱち)郡長良(ながら)川(因幡(いなば)川)・大垣(おおがき)市・揖斐(いび)川・杭瀬(くいぜ)川・輪中(わじゅう)・大井(おおい)荘・墨俣(すのまた)町池田(いけた)郡三周(さんしゅう)ケ岳・金糞(かなくそ)山・粕(かす)川大野(おほの)郡徳山(とくやま)・冠(かんむり)山・谷汲(たにぐみ)村本巣(もとす)郡能郷(のうご)白山・権現(ごんげん)山・温見(ぬくみ)峠・根尾(ねお)川・水鳥(みどり)・真桑(まくわ)席田(むしろた)郡糸貫(いとぬき)川方縣(かたかた)郡厚見(あつみ)郡稲葉(いなば)山・井ノ口(ゐのくち)・加納(かのう)・柳ケ瀬(やながせ)・鵜飼(うかい)各務(かかみ)郡山縣(やまかた)郡武儀(むぎ)川・武芸(むげ)谷武義(むけ)郡板取(いたどり)川・洞戸(ほらど)村・高賀(こうか)山・瓢(ふくべ)ケ岳・牧(まき)谷美濃市上有知(こうずち)・大矢田(おおやた)・「ヒンココ」祭り・楓(かえで)谷・関(せき)市・津保(つぼ)川・加茂郡七宗(ひちそう)町郡上(ぐじょう)郡高鷲(たかす)村・大日(だいにち)ケ岳・鷲(わし)ケ岳・蛭(ひる)ケ野・石徹白(いとしろ)・毘沙門(びしゃもん)岳・郡上八幡(ぐじょうはちまん)・宗祇水(そうぎすい)賀茂(かも)郡美濃加茂市古井(こび)・太田(おおた)・飛水(ひすい)峡・八百津(やおつ)町・黒瀬(くろせ)・錦織(にしこおり)・網場(あば)・坂祝(さかほぎ)町・御部(ごぶ。郷部)山可兒(かに)郡可児(かに)市広見(ひろみ)・多治見(たじみ)・蛙目(がえろめ)粘土・木節(きぶし)粘土土岐(とき)郡妻木(つまぎ)川・大湫(おおくて)・細久手(ほそくて)恵奈(えな)郡加子母(かしも)村・舞台(ぶたい)峠・付知(つけち)町・苗木(なえぎ)・阿木(あぎ)川・上矢作(かみやはぎ)町・明智(あけち)町・へぼ飯

 

 飛騨(ひだ)国・工(たくみ)大野(おほの)郡天神(てんじん)山・多賀(たが)山・宮(みや)川・江名子(えなこ)川・大八賀(おおはちが)川・川上(かおれ)川・白川(しらかわ)村・御母衣(みほろ)ダム益田(ました)郡久々野(くぐの)町・無数河(むすご)川・小坂(おさか)町・濁河(にごりご)温泉・下呂(げろ)温泉・中山七里(なかやましちり)・馬瀬(まぜ)川荒城(あらき)郡古川(ふるかわ)町・数河(すごう)高原・神岡(かみおか)町・流葉(ながれは)山・高原(たかはら)川・平湯(ひらゆ)・福地(ふくじ)

 

22 静岡県の地名

 

 遠江(とほとうみ)国濱名(はまな)郡猪鼻(いのはな)湖・三ヶ日(みっかび)町・新居(あらい)関・鷲津(わしづ)敷智(ふち)郡浜松(はままつ)市・引間(ひくま)・三方原(みかたはら)・雄踏(ゆうとう。おふみ)・舞沢(まいさわ)・前坂(まえさか)豊田(とよた)郡天竜(てんりゅう)川・佐久間(さくま)ダム・秋葉(あきは)山・船明(ふなぎら)・榑木(くれき)・掛塚(かけつか)・池田(いけだ)宿引佐(いなさ)郡寸座(すんざ)岬・都田(みやこだ)川・引佐細江(いなさほそえ)・気賀(きが)麁玉(あらたま)郡長上(ながのかみ)郡長下(ながのしも)郡磐田(いわた)郡見附(みつけ)・矢奈(やな)比売神社山香(やまか)郡気田(けた)川周智(すち)郡森(もり)町・春野(はるの)町・水窪(みさくぼ)町山名(やまな)郡袋井(ふくろい)市・原野谷(はらのや)川・浅羽(あさば)町・弁財天(べんざいてん)川佐野(さや。さの)郡掛川(かけがわ)宿・逆(さか)川・小夜(さよ)ノ中山城飼(きこう)郡菊(きく)川・小笠(おがさ)山・鶴翁(かくおう)山・高天神(たかてんじん)城跡・牧ノ原(まきのはら)台地・御前崎(おまえざき)秦原(はいはら)郡大井(おおい)川・接阻(せっそ)峡・寸又(すまた)峡・金谷(かなや)宿・相良(さがら)町・萩間(はぎま)川

 

 駿河(するが)国志太(した)郡島田(しまだ)宿・藤枝(ふじえだ)・岡部(おかべ)宿・宇津ノ谷(うつのや)峠益頭(ましつ)郡高草(たかくさ)山・焼津(やいづ)市・小川(こがわ)湊・石花海(せのうみ)有度(うと)郡三保(みほ)の松原・日本平(にほんだいら)・久能(くのう)山・根古屋(ねこや)・登呂(とろ)・丸子(まりこ)・日本坂(にほんざか)安倍(あべ)郡藁科(わらしな)川・賤機(しずはた)山廬原(いほはら)郡江尻(えじり)・興津(おきつ)・薩陲(さった)山・由比(ゆい)・蒲原(かんばら)冨士(ふじ)郡田子ノ浦(たごのうら)・吹上(ふきあげ)ノ浜・潤井(うるい)川・吉原(よしわら)駿河(するが)郡沼津(ぬまづ)市・愛鷹(あしたか)山・黄瀬(きせ)川・我入道(がにゅうどう)

 

 伊豆(いづ)国田方(たかた)郡狩野(かの)川・万三郎(ばんざぶろう)岳・天城(あまぎ)山地・浄蓮(じようれん)ノ滝・韮山(にらやま)町・三島(みしま)市・熱海(あたみ)市・伊東(いとう)市那賀(なか)郡松崎(まつざき)町・堂ケ島(どうがしま)海岸・トンボロ・土肥(とい)町・戸田(へだ)村賀茂(かも)郡下田(しもだ)市・稲生沢(いなうざわ)川・石廊(いろう)崎・河津七滝(かわづななだる)・稲取(いなとり)・熱川(あたがわ)

 

23 愛知県の地名

 

 尾張(おわり)国海部(あま)郡津島(つしま)市・巻藁(まきわら)船・車楽(だんじり)船・神守(かもり)町・佐屋(さや)宿・蟹江(かにえ)町中嶋(なかしま)郡稲沢市稲葉(いなば)・儺追(なお)い祭・起(おこし)町・真清田(ますみだ)神社・祖父江(そぶえ)町葉栗(はくり)郡丹羽(には)郡犬山(いぬやま)市・小弓(おゆみ)荘・入鹿(いるか)池・江南市古知野(こちの)春部(かすかべ)郡(春日井(かすがい)郡)小牧(こまき)市・田県(たがた)神社・清洲(きよす)町・五条(ごじょう)川・西枇杷島(にしびわじま)町・小田井(おたい)山田(やまた)郡瀬戸(せと)市・棒の手(ぼうのて)・長久手(ながくて)町・岩作(やざこ)・天白(てんぱく)川・矢田(やた)川・牧野(まきの)池愛智(あいち)郡名古屋(なごや)市・熱田(あつた)・蓬莱(ほうらい)島・蓬左(ほうさ)・断夫(だんぷ)山古墳・白鳥(しらとり)古墳(御材木場)・藤前(ふじまえ)干潟智多(ちた)郡桶狭間(おけはざま)・阿久比(あぐい)町・半田(はんだ)市・衣浦(きぬうら)湾・常滑(とこなめ)市・篠(しの)島・日間賀(ひまか)島

 

 参河(みかわ)国碧海(あをみ)郡矢作(やはぎ)川・境(さかい)川・刈谷(かりや)市・知立(ちりゅう)市・八つ橋(やつはし)・安城(あんじょう)市賀茂(かも)郡挙母(ころも)町・論地(ろんぢ)ケ原・猿投(さなげ)山・足助(あすけ)町・巴(ともえ)川・寧比曽(ねびそ)岳額田(ぬかた)郡乙(おと)川・男(おと)川・本宮(ほんぐう)山・闇苅(くらがり)渓谷・岡崎(おかざき)市・藤(ふじ)川宿幡豆(はず)郡西尾(にしお)市・平坂(へいさか)・一色(いしき。いっしき)町・吉良(きら)町・饗庭(あえば)・三ケ根(さんがね)山寶飯(ほい)郡豊川(とよかわ)・御油(ごゆ)・一宮(いちのみや)町・砥鹿(とが)神社・遠望峰(とおね)山・宮路(みやじ)山・旧蒲形(がまがた)村設楽(したら)郡段戸(だんど)山・宇連(うれ)川・茶臼(ちゃうす)山・鳳来寺(ほうらいじ)山・寒沙(かんさ)川・長篠(ながしの)八名(やな)郡多米(ため)峠・本坂(ほんざか)峠・宇利(うり)峠・瓶割(かめわり)峠渥美(あつみ)郡飽海(あくみ)・吉田(よしだ)・高師(たかし)原・天伯(てんぱく)原・田原(たはら)町・赤羽根(あかばね)町・伊良湖(いらご)岬

<修正経緯>

 

 

<中部地方の地名(その3)>

 

21 岐阜県の地名

 

(1)美濃(みの)国

 

 岐阜県は、古くは美濃(みの)国および飛騨(ひだ)国でした。

 美濃国は、北は越前国、飛騨国、東は信濃国、南は三河国、尾張国、伊勢国、西は近江国に接します。古くは三野、御野と記され、和銅ごろに「美濃」と定められました。はじめは14郡でしたが、霊亀元(715)年本巣郡東部を分けて席田郡が、8世紀末から9世紀前半に安八郡から池田郡が、斉衡2(855)年に多藝郡から石津郡、武義郡から郡上郡が分かれ18郡となりました。

 『和名抄』は、訓を欠きます。国名は、各務野、青野、賀茂野(または大野)の三野から、「真野」の転(本居宣長)、「簑」の産地(賀茂真淵)、朝廷の禁野があったから、「ミ(美称)・ノ(野)」の意、「ミ(水、湿地)・ノ(ヌの転。沼地、湿地)」の意、「山沿いのわずかに高低のある地」などの説があります。古来、飛騨国と美濃国を対比して「飛山濃水」と称されています。

 この「みの」は、

  「ミミ・ノホ」、MIMI-NOHO(mimi=make water,urine,stream;noho=sit,stay,settle,be located)、「水の・上に位置する(地域。国)」(「ミミ」の反復語尾が脱落して「ミ」と、「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

(2)多藝(たき)郡

 

a多藝(たき)郡

 古代からの郡名で、県の南西部、東は揖斐川流域の平野部、西は養老山脈に連なり、山中に養老(ようろう)の滝がある地域で、かつては現在の養老郡、海津郡にまたがる広大な地域でしたが、斉衡2(855)年に石津郡を分離し、おおむね現在の養老郡養老町の地域です。

 『和名抄』は、「多支(たき)」と訓じます。郡名は、『古事記』の倭建命が伊吹山から伊勢へ帰る途中当地で歩行困難となり、「当藝当藝(たぎたぎ)しくなりぬ」と言ったことによるとする説、「タキタギシ(地形が険しいこと。曲路、難路、険所)」の意、「滾(たぎ)る(滝・急流)」の意、「タケ(台地・断崖)」の転などの説があります。

 この「たき」は、

  「タ・ハキ」、TA-HAKI(ta=dash,beat,lay;haki=cast away)、「(水が)勢い良く・放り出される(場所。滝(養老の滝)。その滝がある地域)」(「タ」のA音と「ハキ」のH音が脱落して「アキ」となった語頭のA音が連結して「タキ」となった)

の転訛と解します。

 なお、『古事記』の「たぎたぎし」は、

  「タ(ン)ギタ(ン)ギ・チ」、TANGITANGI-TI(tangitangi=frequent of cry;ti=throw,cast)、「(あまりの痛さに)何回となく悲鳴を・上げた(場所。地域)」

の転訛と解します。

 

b養老(ようろう)の滝・多度(たど)山

 養老(ようろう)の滝は、養老山地東麓の断層崖にかかる高さ約30メートル、幅約4メートルの滝で、『続日本紀』養老元(717)年条に元正天皇が不破行宮に行幸したとき、当耆(たき)郡多度(たど)山の美泉の効用を知り、瑞祥として養老と改元したとあり、『古今著聞集』などに源丞内が泉にわき出る酒を老父に飲ませて孝養をした養老伝説が記され、滝の近くにその泉とされる掬水(きくすい)泉があります。
(この養老伝説は、下記に解説するように、もともと単なる「滝」という意味の呼称であったのが、「人を酔わせる滝」という意味をも持つために、この伝説が作られ、「養老」という漢字が当てられたものと考えられます。)

 『続日本紀』の多度(たど)山は、養老山地を指しているようですが、現在の多度山(403メートル)は養老山地南東縁にあり、山麓の三重県桑名郡多度町には桑名首の祖という天目一箇命を祀る多度神社があります。

 この「ようろう」、「たど」は、

  「イオ・ロウ」、IO-ROU(io=muscle,line;rou=a long stick to reach anything,draw out contents of a narrow vessel,stretch out,intoxicated as TUTU(a plant) juice)、「放り出されている・(水の)流れ(滝)」または「(人を)酔わせる・(酒の)流れ(滝)」(「イオ」が「ヨ」から「ヨウ」となった)

  「タタウ」、TATAU(tie with a cord,settle down upon)、「流れ(滝・川)が結び付けられている(養老の滝がある山の西から北、そして東から南へと取り巻いて(巻き付いて)流れる牧田(まきた)川がある。山)」(AU音がO音に変化して「タト」から「タド」となった)

の転訛と解します。

 

(3)石津(いしつ)郡

 

a石津(いしつ)郡

 古代からの郡名で、かつては多藝(たき)郡に属しましたが、斉衡2(855)年に多藝郡の北部および南部を分離して石津郡となりました。県の南西部、多藝郡を挟んで同郡の北の牧田川上流部と、南の揖斐川下流部の地域で、おおむね現在の養老郡上石津町、海津郡南濃町、海津郡平田町、海津町の地域です。明治13年に上石津郡、下石津郡となり、明治30年にそれぞれ養老郡、海津郡に編入されました。

 『和名抄』は、「伊之津(いしつ)」と訓じます。郡名は、当地を開拓した石津連にちなむ、「石の多いところにある港」の意、「磯のある港」の意などの説があります。

 この「いしつ」は、

  「イチ・ツ」、ITI-TU(iti=small,unimportant;tu=stand,settle)、「重要でない・場所に位置する(地域)」

の転訛と解します。

 

b牧田(まきた)川・円満寺(えんまんじ)山古墳・高須(たかす)輪中・油島(あぶらじま)

 上石津町の中央を牧田(まきた)川が流れ、伊勢西街道が通ります。

 南濃町には4世紀半ばごろの築造とされる円満寺(えんまんじ)山古墳があります。

 海津(かいづ)町の中心、高須(たかす)地区の名は高須輪中の中の微高地にあるため高洲と呼ばれていたことによります。揖斐川と長良川の合流点の油島(あぶらじま)千本松原の木曾三川公園には、宝暦治水工事(1754年から55年)を完成させた後膨大な予算超過の責任を負って自刃した薩摩藩家老平田靱負ほか藩士80名を祀る治水神社があります。

 この「まきた」、「えんまんじ」、「たかす」、「あぶらじま」は、

  「マキ・タ」、MAKI-TA(maki=invalid,sore,a prefix giving the force that an action is done spontaneously or on impulse;ta=dash,beat,lay)、「突然に・襲ってくる(洪水を起こす。川)」

  「ヘ(ン)ガ・マヌ・チ」、HENGA-MANU-TI(henga=circumstance of ng;manu=float,overflow;ti=throw,cast,overcome)、「立地条件が悪く・(揖斐川の)洪水にさらされる・場所に放り出されている(古墳)」(「ヘ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「エナ」から「エン」と、「マヌ」が「マン」となった)

  「タカ・ツ」、TAKA-TU(taka=heap,lie in a heap;tu=stand,settle)、「(堤防の中の)高い場所に・ある(土地。地域)」

  「ア・プラ・チマ」、A-PURA-TIMA(a=the...of,before names of places,belonging to;pura=any small foreign substance in the eye;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「(揖斐川と長良川の合流点の中の)目の中に入ったごみのような(小さい)・堀り棒で堀ったような(島)」

の転訛と解します。

 

(4)不破(ふは)郡

 

a不破(ふは)郡

 古代からの郡名で、県の南西部に位置し、西端には不破関、西部には交通・軍事の要衝関ヶ原がある地域で、おおむね現在の大垣(おおがき)市の西部、不破郡の地域です。

 『和名抄』は、「不破(ふは)」と訓じます。郡名は、「不破関」から、百済系渡来人の不破連等の名から、「柔らかい土地、湿地」の意、「フ(節)」で「高地」の意とするなどの説があります。

 この「ふは」は、

  「フハ」、HUHA(=huwha=thigh)、「太股(のような山に挟まれた場所にある。関所)」または「フ・ウハ」、HU-UHA(hu=hill;uha=uwha=woman,calm,a bivalve shell used for cutting the hair)、「岡の上にある・(髪の毛を切る)貝殻(のように通行を遮断する。関所)」(「フ」のU音と「ウハ」の語頭のU音が連結して「フハ」となった)

の転訛と解します。

 

b関ヶ原(せきがはら)町・藤古(ふじこ)川・伊吹(いぶき)山・垂井(たるい)町・青墓(あおはか)宿・野上(のがみ)宿

 関ヶ原(せきがはら)町は、伊吹(いぶき)山地と鈴鹿山脈(地名篇(その三)の三重県の(2)鈴鹿山脈の項を参照してください。)に挟まれた狭隘地で、東山道が通り、江戸時代には中山道から北国街道、伊勢街道が分岐していました。町名は不破(ふわ)関付近が原野であったことによるとされます。不破関は、狭い藤古(ふじこ)川の谷の段丘上に設けられた古代の三関の一つであり、関ヶ原古戦場跡は、豊臣方から徳川方へ政権が移る関ヶ原の戦いの舞台です。

 伊吹(いぶき)山(1,377メートル)については、地名篇(その三)の滋賀県の(12)伊吹山の項および地名篇(その八)の山岳地名のc事績地名の項を参照してください。

 垂井(たるい)町は、北は伊吹山地、南は揖斐川支流の相川の扇状地で、中山道と美濃路の分岐点の宿場町として栄えました。

 古代の不破駅の所在地は、垂井とも青墓(あおはか)ともいわれます。その後承久の乱の時には幕府軍は垂井宿・野上(のがみ)宿に陣しています。

 垂井町野上(のがみ)は、壬申の乱の際、天武天皇が行宮を置き、高市皇子等を指揮した場所です。

 青墓(あおはか)宿は、現大垣市青墓町にあったとされる東山道の宿で平安末期から鎌倉期にかけて傀儡子(くぐつ)や遊女のいる宿として著名で、保元の乱で斬られた源為義の子の母は青墓長者の女であり、平治の乱で敗れた源義朝が青墓に逃れて青墓長者の女との間に子を儲けるなど源氏との縁が深い宿でした。

 この「せきがはら」、「ふじこ」、「いぶき」、「たるい」、「のがみ」、「あおはか」は、

  「テキ・ヒ(ン)ガ・ハラ」、TEKI-HINGA-HARA(teki=outer fence of a stockade;hinga=fall from errect position,be killed,lean,be outdone in a contest;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「(居住地の外側の)境界の・人々が(戦争で)殺されて・埋葬された場所」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「フチ・コ」、HUTI-KO(huti=pull up;ko=a wooden implement for digging)、「高いところを・(鍬で)掘るように流れる(川)」

  「イ・フキ」、I-HUKI(i=past tense,beside;huki=avenge death,spit)、「(倭建命に侮辱されたため山の神が)報復して殺した・という事件があった(山)」または「イプ・キ」、IPU-KI(ipu=calabash with narrow mouth,vessel for holding anything;ki=full,very)、「(山頂の草原に)ひょうたんのような石塔が・たくさんある(山)」

  「タ・ルイ」、TA-RUI(ta=the,dash,beat,lay;rui=shake,scatter)、「浸食された場所が・散らばっている(土地。地域)」

  「(ン)ゴ(ン)ガ・ミヒ」、NGONGA-MIHI(ngonga=beaten,crushed;mihi=greet,admire,show itself)、「粉々に砕かれた・(土地であることを)見せつけている(土地。そこの行宮。そこの宿)」(「(ン)ゴ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ノガ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「ア・オハ・カ」、A-OHA-KA(a=the...of,belonging to;oha=generous,abundant,dying speech;ka=take fire,be lighted,burn)、「どちらかというと・(源氏の落ち武者や、傀儡子(くぐつ)など社会の弱者に対して)寛大に処遇した・居住地(集落。宿)」

の転訛と解します。

 

(5)安八(あんぱち)郡

 

a安八(あんぱち)郡

 古代からの郡名で、県の南西部、西濃平野の中央に位置し、長良(ながら)川、揖斐(いび)川、杭瀬(くいぜ)川などが南流し、絶えず洪水に見舞われ、河道変更のため郡界がたびたび変更され、8世紀末から9世紀前半に池田郡が分かれ、近世には中島(なかしま)郡、羽栗(はくり)郡が分かれた(両郡は後に合併して羽島(はしま)郡となります)地域で、おおむね現在の大垣市の東部、羽島市、各務原市の西部の一部、安八郡、海津郡平田町、羽島郡の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。『日本書紀』天武紀元年6月条に「安八磨(あはちま)郡」と、大宝2(702)年御野国戸籍は「味蜂間郡」と記します。郡名は、「アハ(崩崖、自然堤防)」から、「ア(接頭語)・ハチ(端)・マ(美称)」で「崖、自然堤防」の意、「ア(湿地)、マ(湿地)」で「河川の氾濫原」の意、「味鴨が飛来する入り江」の意などとする説があります。

 この「あんぱち」、「あはちま」は、

  「ア(ン)ガ・パチ」、ANGA-PATI(anga=driving force,thing driven,collect;pati=shallow water,ooze,splash)、「水が滲み出す場所(崖、堤、湿地など)が・集まっている(土地。地域)」

  「アハ・チマ」、AHA-TIMA(aha=what?,open space;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「堀り棒で掘ったような場所(川に囲まれた島)がある・開けた場所(地域)」

の転訛と解します。

 

b長良(ながら)川(因幡(いなば)川)・大垣(おおがき)市・揖斐(いび)川・杭瀬(くいぜ)川・輪中(わじゅう)・大井(おおい)荘・墨俣(すのまた)町

 郡の東の境界を長良(ながら)川(古くは因幡(いなば)川ともいいました)が、大垣(おおがき)市の東の境界を揖斐(いび)川が、大垣市の西部を杭瀬(くいぜ)川が南流します。大垣市は、海抜約10メートルで、揖斐川の潮の干満を利用しての伊勢湾との水上交通が極めて容易でした。

 郡は古来から水害に悩まされてきた地域で、住民は集落や耕地の周囲に輪中(わじゅう)堤防を築いて対処してきました。

 郡には中世に東大寺領の大井(おおい)荘がありました。

 墨俣(すのまた)町は、東境を長良川、西境を揖斐川に挟まれた町ですが、かって天正14(1586)年までここで長良川と木曾川が合流しており、古代には東海道と東山道を結ぶ美濃路が通じ、墨俣渡があった軍事・交通の要衝で、数々の合戦が行われたことで著名です。

 この「ながら」、「いなば」、「おおがき」、「いび」、「くいぜ」、「わじゅう」、「おおい」、「すのまた」は、

  「(ン)ガ(ン)ガラ」、NGANGARA(snarl)、「唸り声を上げる(川)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガラ」となった)

  「ヒ(ン)ガ・パ」、HINGA-PA(hinga=fall from an errect position,be killed,lean,be overcome with astonishment or fear;pa=stockade,screen)、「(突然出水して)あれよあれよという間に・集落を押し流す(川)」(後出(11)厚見郡のb稲葉山の項を参照してください。)

  「オホ・(ン)ガキ」、OHO-NGAKI(oho=wake up,arise;ngaki=clear off brushwood,cultivate,avenge)、「高くなっている・灌木を切り開いた(土地。地域)」(「(ン)ガキ」のNG音がG音に変化して「ガキ」となった)

  「イ・ピ」、I-PI(i=past tense,beside,from,in the act of,as affecting;pi=flow of the tide,soaked,source)、「潮の干満の影響が・(上流に)及ぶ(川)」

  「クイ・テ」、KUI-TE(kui=weak,cowardly;te=crack)、「臆病な(おずおずと流れる)・割れ目(川)」

  「ウア・チウ」、UA-TIU(ua=backbone,neck,thick twisted or plaited hem on the collar of a cloak;tiu=soar,wander,strike at with a weapon)、「高くした・(居住地の)縁の厚い堤防(輪中)」

  「オ・ハウ・ウイ」、O-HAU-UI(o=the...of;hau=vitality of man,vital essence of land,eager,famous;ui=disentangle,loosen a noose)、「活気が・溢れている・ほどけた輪縄のような(蛇行する。川)」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」と、「ウイ」が「ヰ」となった)

  「ツ・(ン)ガウ・マタ」、TU-NGAU-MATA(tu=fight with,energetic;ngau=bite,hurt,attack;mata=face,eye,edge,deep swamp)、「(川の流れが)しつこく・浸食する・湿地(地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

(6)池田(いけた)郡

 

a池田(いけた)郡

 古代からの郡名で、県の西部、伊吹山脈に連なる山間地帯にあり、揖斐川上流域の川西地方で、8世紀末から9世紀はじめに安八郡の北部が分かれたものとされ、明治30年揖斐郡に編入されています。おおむね現在の揖斐郡坂内村、藤橋村の西部の一部(揖斐川右岸の区域)、久瀬村の西部の一部(揖斐川右岸の区域)、春日村、揖斐川町の西部の一部(揖斐川右岸の区域)、池田町の地域です。

 『和名抄』は、「伊介太(いけた)」と訓じます。郡名は、「池がかりの田」の意、「池処」で「池のあるところ」の意、「湿地、氾濫原」の意などの説があります。

 この「いけた」は、

  「イケ・タ」、IKE-TA(ike=lofty,high;ta=dash,beat,lay)、「高いところに・位置している(地域)」

の転訛と解します。

 

b三周(さんしゅう)ケ岳・金糞(かなくそ)山・粕(かす)川

 郡の北端には三周(さんしゅう)ケ岳(1,292メートル)が、その南には金糞(かなくそ)山(1,314メートル)がそびえ、南端近くで揖斐川に支流の粕(かす)川が合流してその下流に大きな複合扇状地を形成します。

 この「さんしゅう」、「かなくそ」、「かす」は、

  「タ(ン)ガ・チウ」、TANGA-TIU(tanga=be assembled;tiu=soar,wander,strike at with a weapon)、「高い峰が・集まっている(山)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サン」となった)

  「カハ・ナク・ト」、KAHA-NAKU-TO(kaha=rope,edge,strong;naku=dig,scratch,bewitch;to=drag,be pregnant,calm)、「削られた・(尾根の)縁(へり)を・寄せ集めている(山)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「カハ・ツ」、KAHA-TU(kaha=rope,edge,strong;tu=fight with,energetic)、「荒々しく流れる・縄(のような。川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)大野(おほの)郡

 

a大野(おほの)郡

 古代からの郡名で、県の西部、池田郡の東、揖斐川左岸に位置し、明治30年に揖斐郡(一部は本巣郡)に編入されました。おおむね現在の揖斐郡藤橋村(西部の一部(揖斐川右岸の区域)を除く)、久瀬村(西部の一部(揖斐川右岸の区域)を除く)、揖斐川町(西部の一部(揖斐川右岸の区域)を除く)、谷汲(たにぐみ)町、大野(おおの)町の地域です。

 『和名抄』は、「於保乃(おほの)」と訓じます。郡名は、「オホ(美称)・ノ(野。傾斜地)」で「人手の入らない原野」の意とする説があります。

 この「おほの」は、

  「オホ・ノホ」、OHO-NOHO(oho=wake up,arise;noho=sit,stay,settle)、「高く引き上げられて・居る(地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」から「ノ」となった)(後出飛騨国の(21)大野郡の項および地名篇(その十五)の福井県の(6)大野郡の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

b徳山(とくやま)・冠(かんむり)山・谷汲(たにぐみ)村

 郡の北端、藤橋村徳山(とくやま)地区(旧徳山村)には揖斐川が源を発する冠(かんむり)山(1,257メートル)があり、その西の冠峠で福井県今立郡池田町へ通じます。

 郡の南には根尾川沿いに谷汲(たにぐみ)村があり、西国33番札所の華厳(けごん)寺があります。

 この「とく」、「かんむり」、「たにぐみ」は、

  「ト・ク」、TO-KU(to=drag,be pregnant,calm;ku=silent)、「静かさを・内蔵している(山々がある。地域)」

  「カム・ムリ」、KAMU-MURI(kamu=eat,munch,close of the hand;muri=the rear,behind,north)、「後ろで・手を合わせている(前面の山並みの後ろにT字形に山が延びている。山)」

  「タ(ン)ギ・クミ」、TANGI-KUMI(tangi=sound,cry,lamentation;kumi,kumikumi=beard,white throat feathers of the parson bird)、「髭を蓄えた僧侶が・お経を唱えている(寺のある。地域)」(「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タニ」となった)

の転訛と解します。

 

(8)本巣(もとす)郡

 

a本巣(もとす)郡

 古代からの郡名で、県の西部、大野郡の東、北部は根尾(ねお)谷、南部は西濃平野の低湿地に位置し、もと本巣国造が治めていた(『古事記』開化天皇条)とされ、おおむね現在の本巣郡根尾村、本巣町、糸貫町の西部(糸貫川右岸の区域)、真正町、北方町、巣南町、穂積町、岐阜市の西部の一部の地域です。明治30年に席田郡、方縣郡の一部、大野郡の一部を編入しています。

 『和名抄』は、「毛止須(もとす)」と訓じます。郡名は、「川中の中州」の意、「古くから人の居住していた地」の意とする説があります。

 この「もとす」は、

  「モト・ツ」、MOTO-TU(moto=strike with the fist;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「しつこく・拳骨で殴られている(ひんぱんに洪水に見舞われている。地域)」

の転訛と解します。

 

b能郷(のうご)白山・権現(ごんげん)山・温見(ぬくみ)峠・根尾(ねお)川・水鳥(みどり)・真桑(まくわ)

 郡の北端に能郷(のうご)白山(別名権現(ごんげん)山。1,617メートル)がそびえ、その北東に温見(ぬくみ)峠があります。(地名篇(その十五)の福井県の(6)大野郡のb能郷(のうご)白山の項を参照してください。)

 郡の北部は、能郷(のうご)白山に源を発する根尾(ねお)川の谷で、その上流の本・支流の流路は北西から南東の走向をもつ根尾谷断層に支配されているとされます。明治24(1891)年の濃尾大地震の際根尾村水鳥(みどり)では最大6メートルの垂直変位の断層崖が出現し、特別天然記念物に指定されました。根尾は、「ネ(根、嶺。ナ(大地)の転)・オ(峰、岡)」で「大地にしっかり根を下ろしている」意とする説があります。

 真正町真桑(まくわ)は、真桑瓜の名産地です。

 この「のうご」、「ごんげん」、「ぬくみ」、「ねお」、「みどり」、「まくわ」は、

  「(ン)ゴウ(ン)ゴウ」、NGOUNGOU(thoroughly ripe,soft,a fashion of wearing the hair tied up in a knot at the forehead)、「前頭部に髷を結っている(山の前面に突起した峰がある。白山)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ノウゴウ」から「ノウゴ」となった)または「ノホ・(ン)ガウ」、NOHO-NGAU(noho=sit,stay,settle;ngau=bite,hurt,attack)、「(白山の麓の)囓じられている・場所に居る(集落。地域。その地域を麓に持つ白山)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」と、「(ン)ガウ」のNG音にG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)

  「(ン)ガウ・(ン)ゲ(ン)ゲ」、NGAU-NGENGE(ngau=bite,hurt,attack;ngenge=fat)、「囓じられている・肥った(山)」(「(ン)ガウ」のNG音にG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「(ン)ゲ(ン)ゲ」の語尾の「ゲ」が脱落して「ンゲン」となった)

  「ヌク・ミヒ」、NUKU-MIHI(nuku=wide extent,distance;mihi=greet,admire,show itself)、「長く延びている・ことを見せつけている(峠)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「ネヘ・オフ」、NEHE-OHU(nehe=rafter of a house;ohu=beset in numbers,surround)、「家のたる木のような(北西から南東へ走る平行した)山脈が・密集している(地域。そこを流れる川。その川がつくる谷)」(「ネヘ」のH音が脱落して「ネ」と、「オフ」のH音が脱落して「オ」となった)

  「ミヒ・トリ」、MIHI-TORI(mihi=greet,admire,show itself;tori=cut)、「(大地が)切断された(崖が生じた)・ことを見せつけている(場所)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「マク・ワ」、MAKU-WA(maku=wet,moist;wa=definite space,area)、「(豊富な湧水に恵まれた)湿っている・場所(土地)」

の転訛と解します。

 

(9)席田(むしろた)郡

 

a席田(むしろた)郡

 古代からの郡名で、県の西部、西濃平野の北部、本巣郡と方縣郡の間に位置する揖斐川扇状地の中央で、西境を糸貫(いとぬき)川が南流します。和銅8(715)年7月に尾張国の席田君と新羅人等を美濃国に移し、本巣郡東部を分けて建郡されました(『続日本紀』)。おおむね現在の本巣郡糸貫町の東部(糸貫(いとぬき)川左岸の区域。旧席田村の区域)です。

 『和名抄』は、「无之呂多(むしろた)」と訓じます。郡名は、「筵(むしろ)を並べたような田地」であることから、「ムシロ(毟る。崖地)・タ(処の転)」からとする説があります。

 この「むしろた」は、

  「ムフ・チラウ・タ」、MUHU-TIRAU-TA(muhu=grope,push one's way through bushes etc.;tirau=stick,draw a canoe sideways with the paddle;ta=dash,beat,lay)、「奥(内陸)に入り込んで・(本巣郡の)脇に寄せて・置かれたカヌー(のような細長い地域)」(「ムフ」のH音が脱落して「ム」と、「チラウ」のAU音がO音に変化して「チロ」から「シロ」となった)

の転訛と解します。

 なお、「むしろ(筵)」も同じ語源で、「ムフ・チラウ」、MUHU-TIRAU-TA(muhu=grope,push one's way through bushes etc.;tirau=draw a canoe sideways with the paddle)、「奥へ奥へと・(カヌーを並べるように)藁を横に並べた(編んだ。敷物)」の転訛と解します。

 

b糸貫(いとぬき)川

 郡の西境を糸貫(いとぬき)川が南流します。

 この「いとぬき」は、

  「イト・(ン)グ・キ」、ITO-NGU-KI(ito=object of revenge,enemy;ngu,ngungu=eat greedily;ki=full,very)、「仇を討つように・徹底的に・(川の流れが土地を)意地汚く浸食する(川)」(「(ン)グ」のNG音がN音に変化して「ヌ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)方縣(かたかた)郡

 

 古代からの郡名で、県の南部、本巣郡・席田郡の東、山県郡の南、長良川北流域の平野部に位置し、おおむね現在の岐阜市の一部(長良川北部の区域。東北部の区域を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「加多加多(かたかた)」と訓じます。郡名は、往古の牟宜都(むげつ)国造の領域を二分して山縣郡とこの郡に分け、その片方なので片縣としたことによる(吉田東伍『大日本地名辞書』)、「潟上田(かたあげた)」の転で「低湿地に面した良田のある土地」の意、「カタ(潟)・ケ(助詞)・タ(処)」で「潟ケ処、潟ケ跡」の意とする説があります。

 この「かたかた」は、

  「カタカタ」、KATAKATA(dried up)、「(かつて湿地であったのが)乾上がった(場所。地域)」

の転訛と解します。

 

(11)厚見(あつみ)郡

 

a厚見(あつみ)郡

 古代からの郡名で、県の南部、北から西は長良川、南は木曾川を境とする地域で(ただし織豊期に木曾川は大洪水により南へ河道が変更しています)、おおむね現在の岐阜市の一部(長良川南岸の区域)の地域です。

 『和名抄』は、「阿都美(あつみ)」と訓じます。郡名は、尾張国から入った阿曇(あずみ)氏が開拓したことによる、「温泉の湧出地」の意、「アツ(崖)・ミ(辺、あたり)」の意とする説がありまする

 この「あつみ」は、

  「アツ・ミ」、ATU-MI(atu=to indicate a direction or motion onwards(away,forth),to indicate reciprocated action;mi=stream,river)、「(長良川から溢れた)水が・(さらに下流へと)流れ去る(場所。地域)」

の転訛と解します。

 

b稲葉(いなば)山・井ノ口(ゐのくち)・加納(かのう)・柳ケ瀬(やながせ)・鵜飼(うかい)

 岐阜市は、県の南西部にある県庁所在都市で、その中心市街地は長良川の扇状地の扇頂部に位置し、戦国時代に斎藤道三が金華(きんか)山(稲葉(いなば)山。329メートル)に城を築き、その城下町から発展しました。永禄10(1567)年に織田信長が斎藤氏を滅ぼし、それまで井ノ口(ゐのくち)と称していた町を岐阜と改称し、楽市・楽座の制を定めました。

 稲葉山城(岐阜城)は、関ヶ原の戦いの後、中山道の宿場の加納(かのう)に移され、加納は商業地として、幕末には加納傘の生産で栄え、昭和15(1940)年に岐阜市に編入されました。

 岐阜市の市街地の中心に柳ケ瀬(やながせ)地区があり、また長良川の夏の鵜飼(うかい)は全国に著名です。

 この「きんか」、「いなば」、「ゐのくち」、「かのう」、「やながせ」、「うかい」は、

  「キニ・イカ」、KINI-IKA(kini=nip,pinch;ika=fish)、「つままれた(丈が高くなった)・魚のような(山)」(「キニ」の語尾のI音と「イカ」の語頭のI音が連結して「キニカ」から「キンカ」となった)

  「ヒ(ン)ガ・パ」、HINGA-PA(hinga=fall from an errect position,be killed,lean,be overcome with astonishment or fear;pa=stockade,screen)、「高いところから一気に落ち込んでいる(急傾斜の)・衝立のような(山)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となった)

  「ウイ・(ン)ガウ・クチ」、UI-NGAU-KUTI(ui=disentangle,loosen a noose;ngau=bite,hurt,attack;kuti=pinch,contract)、「ほどけた輪縄(蛇行する川)が・(山と山の間に)挟まれて・(あたりを)浸食している(場所。土地)」(「ウイ」が「ヰ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「カ・(ン)ガウ」、KA-NGAU(ka=take fire,be lighted,burn;ngau=bite,hurt,attack)、「(川に)浸食された・居住地(集落。そのある場所)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がOU音に変化して「ノウ」となった)

  「イア・ナ・(ン)ガテ」、IA-NA-NGATE(ia=current,indeed;na=belonging to;ngate=move,shake)、「どちらかというと・騒がしい音を立てる・川(その川の流れる場所)」(「イア」が「ヤ」と、「(ン)ガテ」のNG音がG音に変化して「ガテ」から「ガセ」となった)

  「ウ・カイ」、U-KAI(u=bite,gnaw;kai=eat,drink)、「(魚を)呑み込む鳥(鵜)に・(魚を)呑み込ませて捕る(漁法)」または「ウ・(ン)ガイ」、U-NGAI(u=bite,gnaw;ngai=pant,sob)、「(魚を)呑み込む鳥(鵜)に・あえがせて(呑み込んだ魚を吐かせて)捕る(漁法)」

の転訛と解します。

 

(12)各務(かかみ)郡

 

 古代からの郡名で、県の南部、厚見郡の東、木曾川北岸の平野に位置し、一般に各務野と称し、明治初期までその大半が原野のままの地域で、明治30年に稲葉郡の一部となりました。おおむね現在の各務原(かかみがはら)市の地域です。

 『和名抄』は、「加ゝ美(かかみ)」と訓じます。郡名は、郡内の村国真墨田神社に鏡作部の祖天糠戸命が祀られていることから鏡にちなむ、「鏡岩」という人の影を映すと伝えられる岩にちなむ、「カカ(芝地。またはカケ(欠)の転)・ミ(場所を示す接尾語)」の意とする説があります。

 この「かかみ」は、

  「カ・カミ」、KA-KAMI(ka=take fire,be lighted,burn;kami=eat)、「(灯を灯す)居住地を・食い尽くす(集落が・無い。無人の原野の地域)」

の転訛と解します。

 

(13)山縣(やまかた)郡

 

a山縣(やまかた)郡

 古代からの郡名で、県の西部、方縣郡の北、北部は白山山脈に連なり、南部は西濃平野が開け、北部に源を発する武儀(むぎ)川が東南に貫流して武芸(むげ)谷を形成する地域で、おおむね現在の山県(やまがた)郡、岐阜市の一部(東北部の区域)の地域です。

 『和名抄』は、「夜末加太(やまかた)」と訓じます。郡名は、山のかたわらにあるから、山上田(やまあがた)の転からとする説があります。、

 この「やまかた」は、

  「イア・マ・カタ」、IA-MA-KATA(ia=indeed,current;ma=white,clear;kata=openig of shellfish)、「実に・清らかな地域(山の地域)で・貝が口を開いたような(場所(武芸谷)。その場所がある地域)」

の転訛と解します。

 

b武儀(むぎ)川・武芸(むげ)谷

 郡の北部に源を発する武儀(むぎ)川が東南に貫流して武芸(むげ)谷(後出(14)武義(むけ)郡の項を参照してください。)を形成します。

 この「むぎ」、「むげ」は、

  「ム・ウキ」、MU-UKI(mu=silent;uki,ukiuki=of old,continuous,peaceful)、「静かで・平和な(川)」(「ム」の語尾のU音と「ウキ」の語頭のU音が連結して「ムキ」から「ムギ」となった)

  「ム・(ン)ガイ」、MU-NGAI(mu=silent;ngai=tribe,clan)、「静かな・部類に属する(川。その川の流れる谷)」(「(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「ゲ」」となった)

の転訛と解します。

 

(14)武義(むけ)郡

 

a武義(むけ)郡

 古代からの郡名で、県の中央部、山県郡の東、中央部を長良川が南流し、西部は白山山脈に連なり、板取(いたどり)川、武儀川が東流して長良川に合流し、東部は赤石山脈の一部で津保(つぼ)川が南流して長良川に合流し、これらの合流点付近に平野が広がります。美濃国にはかつて美濃(三野)国造のほか、牟義都(むぎつ。牟宜津、身毛津)国造が存在したとされ(『釈日本紀』に引用する『上宮記』逸文)、武義郡は牟義都国造の本拠地と考えられています。おおむね現在の美濃市、関市、武儀(むぎ)郡、加茂郡七宗(ひちそう)町の地域です。

 『和名抄』は、「牟介(むけ)」と訓じます。郡名は、「ムケ(剥け)」で「崖地、崩れ地」の意とする説があります。

 この「むけ」は、

  「ム・カイ」、MU-KAI(mu=silent;kai=eat,products,fulfil its proper function)、「静まり・かえっている(地域)」

の転訛と解します。(武儀(むぎ)・武芸(むげ)については、前出(13)山縣(やまかた)郡のb武儀(むぎ)川・武芸(むげ)谷の項を参照してください。)

 

b板取(いたどり)川・洞戸(ほらど)村・高賀(こうか)山・瓢(ふくべ)ケ岳・牧(まき)谷

 郡北部には長良川支流の板取(いたどり)川が深い浸食谷を刻んで流れる板取村があります。

 その南には洞戸(ほらど)村があり、その北には高賀(こうか)山(1,224メートル)とその南東に連なる瓢(ふくべ)ケ岳(1,163メートル)がそびえます。

 板取川の谷は、牧(まき)谷と呼ばれ、武儀川の武芸(むげ)谷、揖斐川の揖斐谷とともに美濃紙の生産地として著名でした。

 この「いたどり」、「ほらど」、「こうか」、「ふくべが」、「まき」は、

  「イ・タタウ・リ」、I-TATAU-RI(i=past tense;tatau=tie with a cord,tie in bunches;ri=protect,screen,bind)、「(三本の)紐を・束ねて・一本にしたような(川)」(「タタウ」のAU音がO音に変化して「タト」から「タド」となった)(なお、植物の「虎杖(イタドリ)」も、同じ語源で、「イ・タタウ・リ」、I-TATAU-RI(i=past tense;tatau=tie with a cord,tie in bunches;ri=protect,screen,bind)、「(紐で縛ったような)叢(くさむら)と・なつて・(道を)遮る(植物。いたどり)」(「タタウ」のAU音がO音に変化して「タト」から「タド」となつた) の転訛と解します。)

  「ホラ・トウ」、HORA-TOU(hora=scatter over a surface,spread out;tou=anus,posteriors)、「お尻の谷間に・広がっているような(高い山と山に挟まれた川沿いに低地が広がっている。地域)」

  「コウカ」、KOUKA(the part of a latrine behind the beam,abyss)、「便所の後ろにある(山)」(高賀(こうか)山とその南東に連なる瓢(ふくべ)ケ岳からそれぞれ西南にほぼ平行して尾根が突き出ており、その間に深い谷を形成していますが、この二つの尾根を便所で足を載せる梁に見立ててこの名が付けられたものでしょう。この「コウカ」は「後架(こうか。禅寺で僧堂の後ろにかけ渡して設けた洗面所。その側に便所があり、転じて便所の意になる。『広辞苑』第四版)」の語源であることは明白です。)

  「フ・クぺ(ン)ガ」、HU-KUPENGA(hu=hill,promontory;kupenga=net,drape)、「(いくつもの)襞(ひだ)を曳いている・岡(どっしりとした山)」

  「マ・アキ」、MA-AKI(ma=white,clear;aki=dash,beat,abut on)、「清らかな・(板取川の)洪水が襲う(谷。地域)」

の転訛と解します。

 

c美濃市上有知(こうずち)・大矢田(おおやた)・「ヒンココ」祭り・楓(かえで)谷・ 関(せき)市・津保(つぼ)川・加茂郡七宗(ひちそう)町

 美濃(みの)市は長良川中流域にある市で、中心市街の旧美濃町は古くは上有知(こうずち)と呼ばれていました。近世以降美濃紙の集散地として栄えました。市南部の大矢田(おおやた)は、牧谷と武芸谷の中間にあり、大矢田神社には特殊神事の等身大の棒操り人形劇を奉納する「ヒンココ」祭りが伝わり、神社の社叢は楓(かえで)谷のヤマモミジ樹林として天然記念物に指定されています。

 関(せき)市は、美濃市の南の市で、長良川に武儀川、津保(つぼ)川が合流する関(せき)盆地に中心があります。長良川の舟運に恵まれ、飛騨路(金山街道)と奥美濃路(郡上街道)の交わる場所です。

 加茂郡七宗(ひちそう)町は、中世に武義(むぎ)荘があり、町名は北東部の国有林七宗(しちそう)山(678メートル)にちなみます。

 この「こうずち」、「おおやた」、「ヒンココ」、「かえで」、「せき」、「つぼ」、「ひちそう」は、

  「コウツ・ウチ」、KOUTU-UTI(koutu=promontory,point of land etc.project;uti=bite)、「浸食された・高台(土地)」(「コウツ」の語尾のU音と「ウチ」の語頭のU音が連結して「コウツチ」から「コウズチ」となった)

  「オホ・イア・タ」、OHO-IA-TA(oho=wake up,arise;ia=current,indeed;ta=dash,beat,lay)、「(二つ の)川が・襲いかかる・高くなった場所(台地。その地域)」

  「ヒ(ン)ガ・ココ」、HINGA-KOKO(hinga=fall from an errect position,be killed,lean,be outdone in a contest;koko=shovel,scoop up,pull up)、「(高いところから)ぶら下げた・(人形の手足を棒で)引っ張り上げる(人形を操る。その芝居。その芝居を奉納する祭り)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒナ」から「ヒン」となった)

  「カ・エテ」、KA-ETE(ka=take fire,be lighted,burn;ete=eke=thicken in cooking,place oneself,or be placed upon another object)、「(葉が)積み重なって・火を燃やしたように赤くなる(樹木)」

  「テキ」、TEKI(outer fence of a stockade,a round stick or peg applied to a stick for making a cartridge cases)、「丸い籠のような(盆地。その地域)」(「テキ」が「セキ」となった)

  「ツポウ」、TUPOU(bow the head,rush of current,steep)、「奔流する(川)」(語尾のU音が脱落して「ツポ」から「ツボ」となった)

  「ヒ・チトフ」、HI-TITOHU(hi=raise,arise;titohu=show,display)、「高いことを・見せつけている(山。その山のある土地)」(「チトフ」のH音が脱落して「チトウ」から「チソウ」となった)

の転訛と解します。

 

(15)郡上(ぐじょう)郡

 

a郡上(ぐじょう)郡

 古代からの郡名で、県の中央、濃飛高原の中央に位置し、かつては奥美濃と称される山間地にあり、西は白山山脈、北は大日ケ岳などの分水嶺に囲まれ、郡の北部に源を発する長良川が中央を南流する地域で、おおむね現在の郡上郡(白鳥町の北西の一部の区域(石徹白(いとしろ)地区)を除く)の地域です。斉衡2(855)年4月武義郡の北部を分けて建郡され、昭和33(1958)年福井県大野郡石徹白(いとしろ)村を編入しています。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「武義郡の上」の意、「安群(あぐ)郷の上」の意とする説があります。

 この「ぐじょう」は、

  「クチ・オウ」、KUTI-OU(kuti=contract,pinch,close the mouth or hand;ou,ouou=few)、「僅かな・口(しかない。峻険な山が周囲を取り囲み、数少ない山と山に挟まれた狭い出入り口がある。地域)」

の転訛と解します。

 

b高鷲(たかす)村・大日(だいにち)ケ岳・鷲(わし)ケ岳・蛭(ひる)ケ野・石徹白(いとしろ)・毘沙門(びしゃもん)岳・郡上八幡(ぐじょうはちまん)・宗祇水(そうぎすい)

 郡の北端の高鷲(たかす)村は、長良川最上流域の山村で、大日(だいにち)ケ岳(1,709メートル)、鷲(わし)ケ岳(1,672メートル)などの急峻な山地があり、北部の蛭(ひる)ケ野は太平洋側(長良川)と日本海側(庄川)の分水界となっています。

 白鳥(しろとり)町は、昭和3(1928)年白鳥伝説にちなんで上保(かみのほ)村から改名して町制を施行した町で、同33(1958)年福井県大野郡石徹白(いとしろ)村を編入しています。古くから白山信仰の拠点美濃馬場として栄えた地域です。町の西には毘沙門(びしゃもん)岳(1,385メートル)がそびえます。

 八幡(はちまん)町は、郡上八幡とも呼ばれ、中央を吉田川が流れて町内で長良川と合流し、合流点付近に市街地が発達しました。古来美濃と飛騨を結ぶ交通の要所で、近世以降郡上郡の中心となっています。町には各所に湧水があり、「水の生まれる町」とも呼ばれ、本町の宗祇水(そうぎすい。連歌の祖飯尾宗祇がこの近くに住んでいたことによるとされますが、古くからの名称でしょう)は名水百選の一つです。

 この「たかす」、「だいにち」、「わしが」、「ひるが」、「いとしろ」、「びしゃもん」、「はちまん」、「そうぎ」は、

  「タカ・ツ」、TAKA-TU(taka=heap,lie in a heap;tu=stand,settle)、「高いところに・位置している(土地。地域)」

  「タヒ・ニヒ・チ」、TAHI-NIHI-TI(tahi=single,unique,sweep,trim timbers with an axe;nihi,ninihi=steep;ti=throw,cast,overcome)、「斧で削ったような・険しい(山が)・放り出されている(山)」(「タヒ」のH音が脱落して「タイ」と、「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」となった)

  「ワチア(ン)ガ」、WHATIANGA(angle,place at which anything is bent,bend of a arm)、「(山脈が大きく)転回している場所にある(山)」(IA音がI音に、NG音がG音に変化して「ワチガ」から「ワシガ」となった)

  「ヒ・ル(ン)ガ」、HI-RUNGA(hi=raise,arise;runga=the top,the upper part,above,upwards)、「一番上の・高い場所にある(野。原)」(「ル(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ルガ」となった)

  「イト・チロ」、ITO-TIRO(ito=object of revenge,enemy;tiro=look,survey)、「仇に復讐している・ように見える(躍起になって浸食している。川。その川の流れる地域)」

  「ピチ・アモ(ン)ガ」、PITI-AMONGA(piti=put side by side,add;amonga=sacred food for conciliating a god)、「(大日岳の)脇に置かれた・(神をなだめるために捧げられた)聖なる供物(のような。山)」(「ピチ」のP音がB音に変化して「ビチ」から「ビシ」と、「アモ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「アモナ」から「アモン」となった)

  「パチ・マノ」、PATI-MANO(pati=shallow water,ooze,splash;mano=thousand,indefinitely large number)、「無数の・泉(がある。土地。地域)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」と、「マノ」が「マン」となった)(なお、例えば滋賀県近江八幡市は水郷の町として、また秋田・岩手県にまたがる八幡平(はちまんたい)は山頂と山腹に多数の湖沼・湿原をもつ山地として知られます。)

  「トウ・(ン)ギア」、TOU-NGIA(tou=dip into a liquid(toutou=sprinkle with water);ngia=seem,appear to be,)、「水が噴出している・ように見える(湧き水)」(「トウ」が「ソウ」と、「(ン)ギア」のNG音がG音に変化して「ギア」から「ギ」となった)

の転訛と解します。

 

(16)賀茂(かも)郡

 

a賀茂(かも)郡

 古代からの郡名で、県の東南部、中央を飛騨川が南流し、可児郡との境を流れる木曾川に合流しており、飛騨川以東は飛騨山脈に連なる険峻な山地、西は肥沃な平野で古くは加茂野と称しました。おおむね現在の美濃加茂(みのかも)市、加茂郡(七宗町および八百津町の一部(木曾川南岸の区域)を除く)の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、鴨にちなむ、古代に当地を治めていた賀茂県主にちなむなどの諸説があります。

 この「かも」は、

  「カモ」、KAMO(eyelash,eyelid,eye)、「(木曽川と飛騨川に挟まれた)まぶたのような(地形の土地。その土地を含む地域)」

の転訛と解します。

 

b美濃加茂市古井(こび)・太田(おおた)・飛水(ひすい)峡・八百津(やおつ)町・黒瀬(くろせ)・錦織(にしこおり)・網場(あば)・坂祝(さかほぎ)町・御部(ごぶ。郷部)山

 美濃加茂(みのかも)市は、県南部、中濃の中心地で、昭和29(1954)年古井(こび)・太田(おおた)の2町と加茂野ほか5村等が合併して成立しました。古井は飛騨川と木曾川の合流点の北西の河岸段丘上に、太田はその西にあり、古くから美濃と飛騨を結ぶ水運と道路交通の要衝で、近世には中山道の太田宿が置かれていました。

 白川(しらかわ)町は、町の中央を白川が西流して飛騨川に合流し、同川の白川口から七宗町上麻生までの奇岩怪石に富み、甌穴(おうけつ)群がある飛水(ひすい)峡は景勝地として知られます。

 八百津(やおつ)町の名は多くの河港(津)があったからとの説があり、中心集落の黒瀬(くろせ)は中世末期以来木曾川最奥の河港として栄え、その対岸の錦織(にしこおり)には近世初期に網場(あば)が設けられ、上流からの木曾材がここで筏に組まれて川下げされました。

 坂祝(さかほぎ)町は、県の南端、木曾川が奇岩急流の日本ラインと呼ばれるあたりの右岸にあり、左岸の山々(愛知県犬山市)に相対して御部(ごぶ。郷部)山(170メートル)があります。町名は、式内社坂祝神社にちなむ、木曾川沿いの難所「坂歩危」によるとの説があります。

 この「こび」、「おおた」、「ひすい」、「やおつ」、「くろせ」、「にしこおり」、「あば」、「さかほぎ」、「ごぶ」は、

  「コピ」、KOPI(double together as of anything hinged or jointed,gorge of a river,nip between the legs)、「(飛騨川と木曾川が)合流している(場所。地域)」(なお、美濃加茂市と対岸の可児市には、いずれも川合(かわい)の地名があり、いわゆる二重地名が存在する全国でも稀な場所となっています。)

  「オホ・タ」、OHO-TA(oho=wakw up,arise;ta=dash,beat,lay)、「(木曾川から)高いところに・居る(場所。地域)」

  「ヒ・ツイ」、HI-TUI(hi=raise,rise,make a hissing noise;tui=pierce,lace,sew)、「(奇岩怪石がある場所を)縫いながら・音を立てて流れる(峡谷)」

  「イア・オツ」、IA-OTU(ia=current,indeed;otu=the part of the figurehead or stern-post of a canoe which prevents water from coming into a canoe)、「実に・カヌーの舳先の守護神像の取付け場所のような(川の上流部と下流部の結節点である水運上重要な。場所)」

  「クロ・テ」、KULO-TE((Hawaii)kulo=kuloihi=to wait a long time,to stand long;te=crack)、「(船が来るのを)長時間待つ・川の割れ目(の場所。河港)」または「(材木を筏に組むために)長時間待機する・川の割れ目(の場所。河港)」

  「ニチ・コリ」、NITI-KORI(niti=toy dart;kori=native oven,small basket or net,move,wriggle)、「投げ矢(のように川を下る木材)を・(一時貯留する)籠のような(場所。または木材が・もがく(筏に組まれる)場所)」

  「アパ」、APA(company of workman or slaves,seek,fold,layer)、「(材木を)筏に組む人(その人々が作業する場所)」

  「タカ・ホ(ン)ギ」、TAKA-HONGI(taka=heap,lie in a heap;hongi=smell,sniff,salute by pressing noses together)、「(木曾川をはさんで)鼻と鼻を突き合わせて挨拶をしているような・高み(山がある。地域)」(「ホ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ホギ」となった)

  「(ン)ガウ・プ」、NGAU-PU(ngau=bite,hurt,attack;pu=tribe,bunch,heap)、「(木曾川の流れに)浸食された・山」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)

の転訛と解します。

 

(17)可兒(かに)郡

 

a可兒(かに)郡

 古代からの郡名で、県の東南部、北ほ木曾川が西流し、北西部に平地があるほかは大半が丘陵地帯で、おおむね現在の可児(かに)市、多治見(たじみ)市、可兒郡、加茂郡八百津町の一部(木曾川南岸の区域)の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、当地を開拓した可兒氏による、「カミ(神)」の転、「カイ(峡)」の転、「カネ(曲)」の転で木曾川や支流可兒川が蛇行する意、「カニ(土器。埴、粘土)」から、「カニモリ(掃守部)」の約などとする説があります。

 この「かに」は、

  「カニ」、KANI(rub backwards and forwards,saw)、「鋸のような(地形がある。日本ラインの景勝地がある。地域)」

の転訛と解します。

 

b可児(かに)市広見(ひろみ)・多治見(たじみ)・蛙目(がえろめ)粘土・木節(きぶし)粘土

 可児(かに)市は木曾川南岸にある市で、中心地はJR太多線、名鉄広見線が通る広見(ひろみ)地区です。

 多治見(たじみ)市は、県南東部、木曾川の支流土岐川が多治見盆地を南西流します。蛙目(がえろめ)粘土・木節(きぶし)粘土と呼ばれる良質の粘土を産し、古くからの美濃焼の産地です。市名は、反正天皇(古典篇(その八)の218A瑞歯別尊の項を参照してください。)の養育に当たった多治比(たじひ)部が置かれたことによるとの説があります。

 この「ひろみ」、「たじみ」、「がえろめ」、「きぶし」は、

  「ヒロウ・ミ」、HIROU-MI(hirou=rake,net for dredging shellfish;mi=stream,river)、「川(木曾川)が・底引き網で根こそぎに流し去った(場所)」(「ヒロウ」の語尾のU音が脱落して「ヒロ」となった)

  「タチ・ミ」、TAHA-TI-MI(taha=side,margin,edge;ti=throw,cast,overcome;mi=stream,river)、「川(土岐川)の・岸に・置かれている(場所)」

  「(ン)ガイ・エロ・メ」、NGAI-ERO-ME(ngai=tribe,clan;ero=putrid,thin,decrease;me=as if,like)、「まるで・腐っているような(軟らかい)・部類に属する(粘土)」(「(ン)ガイ」のNG音がG音に変化して「ガイ」となり、その語尾のI音と「エロ」の語頭のE音が連結して「ガエロ」となった)

  「キ・プチ」、KI-PUTI(ki=full,very;puti=dried up,cross-grained or tough of timber)、「木の節(ふし)のような・十分に(固い。粘土)」

の転訛と解します。

 

(18)土岐(とき)郡

 

a土岐(とき)郡

 古代からの郡名で、県の東南部、東美濃高原の一部の丘陵地帯で、北東の郡境を木曾川が西流、北東から南西に土岐川が流れ、瑞浪、土岐津、多治見などの諸盆地を形成している地域で、おおむね土岐(とき)市、瑞浪(みずなみ)市、土岐郡の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、古代から中世にかけて当郡を本拠として支配した美濃源氏土岐氏にちなむ、「トキ(研ぎ)」または「ソギ(削ぎ)」の転で「崖地」の意、「木を削って杵を作った地」、「桔梗」の意などの説があります。

 この「とき」は、

  「トキ」、TOKI(axe)、「斧(をもった戦士の部族が居住した。地域)」または「ト・キ」、TO-KI(to=drag,carry the wooden weapon at the trail;ki=full,very)、「武器の棍棒を携えた戦士が・多数いる(地域。その地域を流れる川)」

の転訛と解します。

 

b妻木(つまぎ)川・大湫(おおくて)・細久手(ほそくて)

 土岐市(とき)市は、北部を土岐川が、南部を妻木(つまぎ)川が流れます。

 瑞浪(みずなみ)市は、土岐郷があった土岐氏の発祥地で、市名は明治30(1897)年瑞浪町成立の際「瑞穂が波打つ町」の意で命名されました。近世には北部に中山道が通じ、大湫(おおくて)、細久手(ほそくて)の両宿が置かれました。

 この「つまぎ」、「おおくて」、「ほそくて」は、

  「ツ・マ(ン)ギ」、TU-MANGI(tu=fight with,energetic;mangi=floating,unsettled,quick)、「勢い良く・流れる(川)」(「マ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「マギ」となった)

  「オホ・ク・テ」、OHO-KU-TE(oho=wake up,arise;ku=silent;te=crack)、「高いところにある・静かな・(街道の)割れ目(宿場がある。土地)」

  「ホト・ク・テ」、HOTO-KU-TE(hoto=wooden spade,spike on the tail of a sting-ray;ku=silent;te=crack)、「(赤エイの)針のような(細い)・静かな・(街道の)割れ目(宿場がある。土地)」

の転訛と解します。

 

(19)恵奈(えな)郡

 

a恵奈(えな)郡

 古代からの郡名で、県の南東部、中央を木曾川が西流し、北部は木曾檜などの国有林がある山林地帯で、南部は木曽山脈が東西に延び、中山道が西へ走っています。古くは長野県木曾地方は当郡の所属でしたが、元禄15(1702)年に信濃国筑摩郡に編入されました。(地名篇(その16)の長野県の(4)筑摩郡の項を参照してください。)おおむね現在の恵那(えな)市、中津川(なかつがわ)市、瑞浪(みずなみ)市の南部の一部、恵那郡の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。天照大神の胞(えな)を納めた山である恵那(えな)山の山名による(『恵那郡史』)、長野県伊那(いな)と同じ、荏名(えな)で荏胡麻を栽培した所、「イナ(砂。または稲)」の転、江名で「水の国」の意、「彫(え)る」から「刻まれた谷」の意などの説があります。

 なお、恵那山名説については、舟覆(ふなぶせ)山、横長(よなが)岳、遠山などと呼ばれていたのが近世に郡名から恵那嶽と呼ばれるようになったとの説があります。この恵那(えな)山(2,189メートル)は、木曽山脈最南端に位置し、岐阜県中津川市と長野県下伊那郡阿智村の境にそびえる山で、恵那山地の主峰をなし、全山が白亜紀の濃飛流紋岩からなり、崩れやすい地質で、中津川市街地をはじめ全域にわたって山崩れが多発しています。

 この「えな」は、

  「エ(ン)ガ」、ENGA(anxiety)、「(山崩れが)心配な(地域。その地域にある主たる山)」(NG音がN音に変化して「エナ」となった)

の転訛と解します。

 

b加子母(かしも)村・舞台(ぶたい)峠・付知(つけち)町・苗木(なえぎ)・阿木(あぎ)川・上矢作(かみやはぎ)町・明智(あけち)町・へぼ飯

 郡の北端、裏木曾県立自然公園に属する加子母(かしも)村は、飛騨川の支流白川上流(加子母川)に位置する山村で、下呂町との境の舞台(ぶたい)峠付近にある加子母の大杉は、天然記念物に指定されています。

 その南の付知(つけち)町は、木曾川の支流付知川流域の町で、町のほとんどを占める山地は良質な東濃檜の産地として有名です。

 中津川(なかつがわ)市は、県の南東端に近く、木曾谷の入り口にある市です。北部を木曾川が西流し、木曽川と付知川が合流する地点の木曾川右岸と付知川左岸の河岸段丘の上に近世の苗木藩遠山氏の城下町であった苗木(なえぎ)地区があります。南部の山間にひょうたん状の扇状地を形成して阿木(あぎ)川が流れます。

 県の南東端にある上矢作(かみやはぎ)町は、矢作(やはぎ)川の最上流域にある町です。明智(あけち)町は、矢作川支流の明智(あけち)川が流れる小盆地にあり、戦国武将明智光秀の生地という説があります。

 恵那郡および長野県伊那郡などの山村には地蜂の幼虫を佃煮のように煮てご飯に混ぜて食べる「へぼ飯」という郷土食があります。

 この「かしも」、「ぶたい」、「つけち」、「なえぎ」、「あぎ」、「やはぎ」、「あけち」、「へぼ」は、

  「カチ・マウ」、KATI-MAU(kati=leave off,block up,closed of a passage,boundary,bite;mau=fixed,continuing,established)、「辺境の地に・取り残された(土地。そこを流れる川)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)

  「プタヒ」、PUTAHI(join,meet as two paths or streams running one into the other)、「二つの道が合する場所(峠)」(H音が脱落して「プタイ」から「ブタイ」となった)

  「ツケ・チ」、TUKE-TI(tuke=elbow,angle;ti=throw,cast,overcome)、「曲げた腕を・投げ出しているような(奥三界山から南西に延びた三界山からさらに北西に山が延びている。地域)」

  「ナ・ヘ(ン)ギ」、NA-HENGI(na=by,belonging to,satisfied;hengi=blow gently(whakahengi=move stealthily))、「満足して・ゆったりと流れる(川のそばの場所)」(「ヘ(ン)ギ」のH音が脱落し、NG音がG音に変化して「エギ」となった)

  「ア(ン)ギ」、ANGI(free,move freely,float)、「(昔はしばしば)流路を変えた(蛇行した川。その川の流域の地域)」(NG音がG音に変化して「アギ」となった)

  「イア・ハ(ン)ギ」、IA-HANGI(ia=current,indeed;hangi=earth-oven,scarf)、「蒸焼き穴のような小盆地を連ねて・流れる(川)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」となった)

  「アカ・イチ」、AKA-ITI(aka=clean off,scrape away;iti=small)、「(洪水で)押し流された・小さい(盆地。そこを流れる川)」(「アカ」の語尾のA音と「イチ」の語頭のI音が連結してE音に変化して「アケチ」となった)

  「ヘ・ポ」、HE-PO(he=troublous,difficulty;po,popo=smoulder)、「(地中の地蜂の巣を)煙で燻して幼虫を取るのが・なかなか難しい(地蜂。その幼虫の料理)」

の転訛と解します。

 

 

(20)飛騨(ひだ)国

 

 飛騨(ひだ)国は、岐阜県北部に位置し、北は越中国、東は信濃国、南は美濃国、西は加賀国に接しています。はじめは斐太、斐陀と表記しましたが、和銅元(708)年ころに飛騨と公定されました。はじめは古川盆地以北の荒城郡と高山盆地以南の大野郡の2郡でしたが、貞観12(870)年12月大野郡南部を分けて益田郡が建てられました。

 飛騨国は、山国で気温が低く耕地が乏しい国ですが、木材資源に恵まれ、律令体制下で調・庸が免除され、代わりに里ごとに匠丁(いわゆる飛騨工(ひだのたくみ))10人を中央へ貢進する全国唯一の負担が課されていました。

 『和名抄』は、「比太(ひた)」と訓じます。郡名は、「道(東山道)のひだり」から、「山ひだが多い国」から、天を高く見る「日高見の国」から、「挽板(ひきいた)」から、「樋田」から、「杣」の意、「大津に(天智天皇の)王宮を造ったとき、良材を駄に負わせて大津に飛ぶがごとく運んだので飛駄の国と称した」(『倭漢三才図会』に引く風土記逸文)ことによる、アイヌ語の「ピタ・イ・カ・モイ(小森林のあるところ)」から、アイヌ語「ピタ・カ(小石のある盆地)」からなどの諸説があります。

 この「ひた」は、

  「ヒ・タ」、HI-TA(hi=rise,arise;ta=dash,beat,overcome,lay)、「高いところに・位置している(地域。国)」

の転訛と解します。

 なお、ちなみに「たくみ」は、

  「タ・ハク・ミ」、TA-HAKU-MI(ta=the;haku=complain of,find fault with;mi=urine,to void urine)、「(仕事についての)不満を・空(から)にした(非の打ち所がない。完璧な仕事をする)・工人」(「タ」のA音と、「ハク」のH音が脱落した後の語頭のA音が連結して「タク」となった)

の転訛と解します。

 

(21)大野(おほの)郡

 

a大野(おほの)郡

 古代からの郡名で、県の北部、東は飛騨山脈、南は川上岳、大日ケ岳の分水嶺に囲まれた地域で、中央を宮川が、西側を庄川が流れます。はじめは高山盆地以南の地域でしたが、貞観12(870)年12月大野郡南部の飛騨川流域を分けて、益田郡が建てられました。おおむね現在の高山(たかやま)市、大野(おおの)郡(久々野町、朝日村、高根村の区域を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「於保乃(おほの)」と訓じます。郡名は、「オホ(美称)・ノ(野。傾斜地)」で「人手の入らない原野」の意とする説があります。

 この「おほの」は、

  「オホ・ノホ」、OHO-NOHO(oho=wake up,arise;noho=sit,stay,settle)、「高く引き上げられて・居る(地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」から「ノ」となった)(前出美濃国の(7)大野郡の項および地名篇(その十五)の福井県の(6)大野郡の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

b天神(てんじん)山・多賀(たが)山・宮(みや)川・江名子(えなこ)川・大八賀(おおはちが)川・川上(かおれ)川・白川(しらかわ)村・御母衣(みほろ)ダム

 高山(たかやま)市は飛騨地方の中心都市で、小京都と称され、その市名は永正年間(1504年から1521年)にこの地の天神(てんじん)山に城を構えた高山外記の姓にちなむとも、天神山の別名多賀(たが)山の転訛との説があります。盆地の東側を宮(みや)川が流れ、東から江名子(えなこ)川、大八賀(おおはちが)川が流入し、西からは川上(かおれ)川などが流入しています。

 郡の西部は、庄(しょう)川(地名篇(その十五)の富山県の(2)礪波郡のb庄川の項を参照してください。)の上流域で、荘川(しょうかわ)村とその南の白川(しらかわ)村は、白川郷と呼ばれ、今も合掌造りの民家が残ります。白川村には日本における最初の本格的ロックフィルダムの御母衣(みほろ)ダムがあります。

 この「てんじん」、「たが」、「みや」、「えなこ」、「はちが」、「かおれ」、「しらかわ」、「みほろ」は、

  「テ(ン)ガ・チノ」、TENGA-TINO(tenga=Adam's apple,goitre;tino=main,essentiality,exact)、「主要な・喉ぼとけのように膨らんでいる(山)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」となった)

  「タ(ン)ガ」、TANGA(be assembled,row,division)、「(峰が)寄り集まっている(山)」(NG音がG音に変化して「タガ」となった)

  「ミ・イア」、MI-IA(mi=stream,river;ia=current,indeed)、「実に(川らしい)・川」または「ミヒ・イア」、MIHI-IA(mihi=greet,admire;ia=current,indeed)、「尊崇すべき(または尊崇すべき神社(飛騨一ノ宮の水無瀬神社)の傍らを流れる)・川」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「エ(ン)ガ・コ」、ENGA-KO(enga=anxiety;ko=a wooden implement for digging or planting)、「鍬で掘り進む(洪水を起こす)ことが・心配な(川)」(「エ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「エナ」となった)

  「パチ・(ン)ガ」、PATI-NGA(pati=shallow water,ooze,splash;nga=satisfied,breathe)、「満足して(ゆったりと)流れる・浅瀬の(川)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「カオレ」、KAORE(=kahore=on the contrary,no)、「(高山盆地の東側を流れる宮川の)反対側にある(盆地の西側を流れる。川)」

  「チラ・カワ」、TIRA-KAWA(tira=fish-fin;kawa=heap,channel)、「魚の鰭(のような合掌造りの屋根をもつ家)が・水路(の流れに沿うよう)に並んでいる(場所)」

  「ミ・ホロ」、MI-HORO(mi=stream,river;horo=fall in fragment,landslip,run,escape,quick)、「急流の・川(その川が流れる場所。地域)」もしくは「山崩れを引き起こす・川(その川が流れる場所。地域)」または「ミホ・ロ」、MIHO-RO((Hawaii)miho=to pile up,place in a pile;ro=roto=inside)、「山が積み重なっている・奥地(の場所。地域)」

の転訛と解します。

 

(22)益田(ました)郡

 

a益田(ました)郡

 古代からの郡名で、県の中東部、飛騨地方の南端に位置し、中央を益田川(飛騨川)が流れます。はじめは大野郡に属しましたが、貞観12(870)年12月大野郡南部の益田川(飛騨川)流域を分けて、益田郡が建てられました。おおむね現在の益田(ました)郡(金山町の区域を除く)、大野(おおの)郡久々野町、朝日村、高根村の地域です。天正15(1587)年郡上郡から馬瀬郷(馬瀬村)が編入され、明治30年郡上郡、武儀郡の一部を編入し、久々野町、朝日村、高根村を大野郡へ編入しています。

 『和名抄』は、「万之多(ました)」と訓じます。郡名は、「マシ(マサゴ。真砂子の約)・タ(処)」で「砂地」の意、「マシ(増し)・タ(処)」で「高地」の意、「マシ(交じ)・タ(処)」で「川、谷筋などの交点」の意とする説があります。

 この「ました」は、

  「マチ・タ」、MATI-TA(mati=surfeited;ta=dash,beat,lay)、「(豊富な湯量を誇る下呂)温泉の湯をたらふく飲み込んで・勢いよく流れる(川。その川の流域の土地)」

の転訛と解します。

 

b久々野(くぐの)町・無数河(むすご)川・小坂(おさか)町・濁河(にごりご)温泉・下呂(げろ)温泉・中山七里(なかやましちり)・馬瀬(まぜ)川

 益田川(飛騨川)は、郡の東端から西流し、久々野(くぐの)町の中心集落の無数河(むすご)で無数河(むすご)川を合流し、南へ向きを変えて流れます。

 小坂(おさか)町には、御嶽山登山口として有名で、濁河(にごりご)温泉などの温泉に富んでいます。

 益田川中流の河岸段丘上にある下呂(げろ)温泉は、天暦年間(947年から957年)に発見されたと伝えられ、中世から飛騨街道の宿場町、湯治場として発展し、江戸時代には林羅山が有馬、草津とともに日本三名湯の一つにあげています。

 (「下呂」の地名については、『和名抄』には、益田、秋秀の2郷名がみえ、『延喜式』兵部省式には上留(かみつとまり)駅、下留(しもつとまり)駅の2駅名がみえ、中世の資料には上呂(じょうろ)、中呂(ちゅうろ)、下呂(げろ)の郷名がみえるところから、下呂は下留(しもつとまり)からの転字転音とする説があります。この「とまり」については、地名篇(その十二)の鳥取県の(9)気多郡のb夏泊(なつどまり)の項を参照してください。また、「呂(ろ)」という地名呼称が別にあったとしますと、この「ろ」は「ロアウ」、ROAU(rail in a fence)、「垣根の横棒(欄干がある。街道の途中の要所。宿場)」(AU音がO音に変化して「ロオ」から「ロ」となった)の転訛と解することができます。)

 温泉街から下流の金山町までの益田川の峡谷は、中山七里(なかやましちり)と称される景勝地です。

 馬瀬(まぜ)村の中央を流れる益田川の支流馬瀬(まぜ)川は、鮎の多い清流で知られます。

 この「くぐの」、「むすご」、「おさか」、「にごりご」、「げろ」、「なかやましちり」、「まぜ」は、

  「クク・ノホ」、KUKU-NOHO(kuku=nip,draw together,close;noho=sit,stay)、「(山と山に)挟まれて狭くなっているところに・位置している(土地。地域)」

  「ムツ・(ン)ガウ」、MUTU-NGAU(mutu=finished,having the end cut off;ngau=bite,hurt,attack)、「(山間を流れてきた川が平地へ出て)浸食が・終わりになった(場所。そこを流れる川)」(「ムツ」が「ムス」に、「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)

  「オ・タカ」、O-TAKA(o=the place of;taka=heap,lie in a heap)、「高いところの・場所(土地)」

  「ヌイ・(ン)ゴリ・(ン)ガウ」、NUI-NGORI-NGAU(nui=large,many;ngori=weak,listless;ngau=bite,hurt,attack)、「非常に・(肌への)刺激が・弱い(泉質の。温泉)」

  「(ン)ゲロ」、NGERO(very many)、「(湯量が)豊富な(温泉)」または「極めて多数の(人々が入浴する。温泉)」

  「ナカ・イア・マ・チチ・リ」、NAKA-IA-MA-TITI-RI(naka=move in a certain direction;ia=current,indeed;ma=white,clear;titi=peg,comb for sticking in the hair,adorn by sticking feathers;ri=screen,protect,bind)、「ずっと続く・川の流れで・清らかな・周囲を(美しい)羽根で飾ったような・衝立(岩壁)がある(景勝地)」

  「マ・テ」、MA-TE(ma=white,clear;te=crack)、「清らかな・割れ目(の川。その川が流れる谷)」

の転訛と解します。

 

(23)荒城(あらき)郡

 

a荒城(あらき)郡

 古代からの郡名で、県の北端、東は飛騨山脈、西部を宮川(神通川上流)が北流し、富山県との境で中央を北流する高原川と合流する山間地帯で、おおむね現在の吉城(よしき)郡の地域です。室町期または鎌倉期に「荒」を嫌って吉城(よしき)郡とも呼ばれるようになり、江戸期に吉城(よしき)郡と統一されました。

 『和名抄』は、「阿良木(あらき)」と訓じます。郡名は、「新開地」の意、「新たに来て住み着いたところ」の意などの説があります。

 この「あらき」は、

  「ア・ラキ」、A-RAKI(a=collar-bone,the...of,belonging to;raki=north)、「(飛騨国の)北にある・鎖骨のような(宮川と高原川が八の字に合流する=八の字をした山脈がある。地域)」または「ア・ラハキ」、A-RAHAKI(a=collar-bone,the...of,belonging to;rahaki=one side,situation out of the way)、「(東山道から)離れた場所にある・鎖骨のような(地形の。地域)」(「ラハキ」のH音が脱落して「ラキ」となった)

の転訛と解します。

 

b古川(ふるかわ)町・数河(すごう)高原・神岡(かみおか)町・流葉(ながれは)山・高原(たかはら)川・平湯(ひらゆ)・福地(ふくじ)

 飛騨高地の北部の古川(ふるかわ)町は、古川盆地の中央にあり、町名は中世以来の郷名によりますが、宮川の古い河原の跡にできた意とされます。古川町の北東部には数河(すごう)高原があり、その北東の神岡(かみおか)町の流葉(ながれは)山(1,423メートル)をふくむ一帯が奥飛騨数河流葉(すごうながれは)県立自然公園となっています。

 神岡(かみおか)町は、養老年間(717年から724年)に金を産して朝廷に献上したという歴史をもつ神岡鉱山の町です。

 上宝(かみたから)村は、神通川支流高原(たかはら)川上流にあり、村名は平安末期からみえる高原郷内の「上高原」にあたり、これに「上宝」の字を当てたものです。東部の乗鞍岳や奥穂高岳(地名篇(その十六)の長野県の(5)安曇郡のb乗鞍岳、穂高岳の項を参照してください。)の麓には、平湯(ひらゆ)、福地(ふくじ)など奥飛騨温泉郷の温泉やスキー場があります。

 この「ふるかわ」、「すごう」、「かみおか」、「ながれは」、「たかはら」、「ひらゆ」、「ふくじ」は、

  「フル・カハ」、HURU-KAHA(huru=hair,feather,contract,gird on as the belt;kaha=strong,strength,rope,noose)、「(山々に)圧縮されている・縄のような(川。その川の流れる盆地。その地域)」

  「ツ・(ン)ガウ」、TU-NGAU(tu=fight with,energetic;ngau=bite,hurt,attack)、「荒々しく・浸食された(土地。地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がOU音に変化して「ゴウ」となった)

  「(ン)ガ(ン)ガレヘ」、NGANGAREHE(forest)、「(鬱蒼とした)森林(の山)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に、語尾のE音がA音に変化して「ナガレハ」となった)

  「カミ・アウカハ」、KAMI-AUKAHA(kami=eat;aukaha=lash the bulwark to the body of a canoe)、「塁壁を巡らしたような岡(切り立った山)が・食べられている(採掘されている。鉱山。その鉱山のある地域)」(「アウカハ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オカ」となった)

  「タカ・パラ」、TAKA-PARA(taka=heap,lie in a heap;para=cut down bush)、「藪を切り開いた原がある・高み(場所。地域)」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

  「ヒラ・イ・ウ」、HIRA-I-U(hira=numerous,great,important,widespread;i=frement,past tense,beside;u=be fixed,reach its limit,breast of a female)、「恒常的に・湯が湧き出している・重要な(場所。その温泉)」または「ヒラ・イ・フ」、HIRA-I-HU(hira=numerous,great,important,widespread;i=frement,past tense,beside;hu=hill,promontory)、「岬のような山の・傍らを通る・長く延びた(または重要な(高山と松本を結ぶ)。峠)」(「フ」のH音が脱落して「ウ」となった)

  「フク・チ」、HUKU-TI(huku=hiku=tail,tip,headwaters of a river;ti=throw,cast)、「水源地に・放り出されている(場所。温泉)」

の転訛と解します。

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22 静岡県の地名

 

 

(1)遠江(とほとうみ)国

 

 静岡県は、古くは遠江(とほとうみ)国、駿河(するが)国および伊豆(いず)国でした。

 遠江国は、静岡県の西部、大井川以西の地で、西は三河国、北は信濃国、東は駿河国に接し、南は遠州灘(太平洋)に面します。銅鐸文化圏の東限の地域で、『国造本紀』にみえる遠淡海(とおつおうみ)、久努(くぬ)、素賀(すが)の3国造が支配する領域が7世紀の中葉に合併して遠淡海国となり、和銅6年に遠江国の表記となりました。はじめは濱名、敷智、引佐、麁玉、長田、磐田、周智、佐益(のちに佐野)、城飼、秦原の10郡でしたが、郡及び郡域の移動が激しく、和銅2(709)年長田郡が長上、長下郡に、養老6(722)年に佐益郡から山名郡が分かれ、元慶5(881)年に磐田郡から山香郡が分かれ、『和名抄』のころ磐田郡の全域または殆どの地域が豊田郡となったようです。のち戦国時代に長下郡は長上郡に編入され、戦国時代から近世初頭に山香郡は豊田郡、そして周智郡に編入され、江戸期には、以上の14郡(見附宿のみを郡域とする磐田郡を含む)から長下、山香郡を除く12郡となっています。

 『和名抄』は、「止保太阿不三(とほたあふみ)」と訓じます。国名は、都から見て遠くにある淡水の海(湖)(とほつあふみ。浜名湖)がある国とされます。

 この「とほたあふみ」は、

  「ト・ホタ・ア・フミ」、TO-HOTA-A-HUMI(to=drag,open or shut a door or a window;hota=press on(hohota=persist);a=the...of,belonging to;humi=abundant)、「往来(交通)を・阻害している・大きな海のような湖・がある(地域。浜名湖がある国)」(琵琶湖が東山道、北陸道などの交通の近道として重用されているのに反し、浜名湖は殆ど利用されない特徴を表現した国名と解します。地名篇(その三)の滋賀県の(1)近江国の項を参照してください。)

の転訛と解します

 

(2)濱名(はまな)郡

 

a濱名(はまな)郡

 古代からの郡名で、はじめは浜名湖西部から北西部一帯の地域でしたが、中世には南部が敷智郡に編入され、近世以降は郡の南西部のみ(おおむね現在の湖西市の南部の一部)となり、明治24年以降再び郡域が拡大しました。はじめの郡域は、おおむね現在の湖西市、浜名郡新居町、引佐郡三ケ日町の地域です。なお、当郡は敷智郡から分かれたものとする説があります。

 『和名抄』は、「波万奈(はまな)」と訓じます。郡名は、「ハマ(浜)・ナ(場所)」の意とする説があります。

 この「はまな」は、

  「ハマ(ン)ガ」、HAMANGA(not full)、「(浜名湖周辺の)一部にすぎない(地域。その地域にある湖)」(NG音がN音に変化して「ハマナ」となった)

の転訛と解します。

 

b猪鼻(いのはな)湖・三ヶ日(みっかび)町・新居(あらい)関・鷲津(わしづ)

 浜名湖は、日本で第10位の面積をもつ汽水湖で、周囲は屈曲に富み、湖の北西部の大崎半島によって分かたれる猪鼻(いのはな)湖があり、その北には三ヶ日ミカンで著名な三ヶ日(みっかび)町があります。

 浜名湖は、三方原、高師原、天伯原などの洪積台地の浸食谷が沈降や海面の上昇によって沈水したのち湾口を天竜川からの漂砂による砂州によって塞がれたもので、外海とは浜名川によって通じ、川には浜名橋が架かっていましたが、明応7(1498)年の地震津波によつて砂州が破壊され、今切口の開口部が生じ、この間は渡し船に頼ることとなり、幕府は新居(あらい)関を設けました。

 浜名湖の西岸には、豊田佐吉の出身地湖西(こさい)市鷲津(わしづ)の港があります。

 この「いのはな」、「みっかび」、「あらい」、「わしづ」は、

  「イ・(ン)ガウ・パナ」、I-NGAU-PANA(i=past tense,beside;ngau=bite,hurt,attack;pana=thrust or drive away.expel)、「奥に入り込んで・(土地を)奪っ・た(湖)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「パナ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハナ」となった)

  「ミ・カピ」、MI-KAPI(mi=stream,river;kapi=be covered of a surface,occupied)、「(谷が)水で・満たされた(地域。猪鼻湖がある地域)」

  「アライ」、ARAI(screen,block up)、「(交通を)遮断する(関所。その関所のある場所)」

  「ワチ・ツ」、WHATI-TU(whati=be broken off,break of the sea;tu=stand,settle)、「海が割れた(入り江がある)場所に・位置している(土地。地域)」

の転訛と解します。

 

(3)敷智(ふち)郡

 

a敷智(ふち)郡

 古代から明治29年までの郡名で、浜名湖の東部一帯、天竜川が古くは麁玉(あらたま)川といっていた時代に流れていた流路とされる現在の馬込川以西に位置し、南は遠州灘に面し、中世以降は浜名湖西南部をも含みました。おおむね現在の浜松(はままつ)市の西部(馬込川西岸)、浜名郡舞阪(まいさか)町、雄踏(ゆうとう)町の地域です。

 『和名抄』は、「渕(ふち)」と訓じます。郡名は、「川の渕」の意、「(湖の)縁」の意とする説があります。

 この「ふち」は、

  「フ・ウチ」、HU-UTI(hu=hill,deep swamp,hollow;uti=bite)、「食いちぎられた(周囲に出入りが多い)・穴(浜名湖)または台地(三方原)がある(地域)」(「フ」のU音と「ウチ」の語頭のU音が連結して「フチ」となった)

の転訛と解します。

 

b浜松(はままつ)市・引間(ひくま)・三方原(みかたはら)・雄踏(ゆうとう。おふみ)・舞沢(まいさわ)・前坂(まえさか)

 浜名湖の東岸に位置する浜松(はままつ)市の市名は、『和名抄』の敷智郡に浜松(浜津)郷があり、中世には浜松荘がみえますが、戦国時代以降は宿駅名でもあった引間(ひくま)といっていたのを元亀元(1570)年に徳川家康が居城を岡崎から三方原(みかたはら)台地の南東端の引馬城に移して浜松と改めたことによります。三方原(みかたはら)台地の東縁には三方原古墳群があります。

 浜名湖の東岸の雄踏(ゆうとう)町の町名は、古来の郷村名である雄踏(おふみ。尾踏、小文とも)にちなみます。また、南岸の舞阪(まいさか)町の町名は、中世には舞沢(まいさわ)と呼ばれていましたが、明応7(1498)年の地震津波によつて今切口ができ、舞沢が海中に没したので、東の前坂(まえさか)に集落が移動して舞沢の舞と前坂の坂を合わせて舞坂(まいさか)と呼ばれ、江戸期には宿場となっていたのを明治22年町制施行の際舞阪とあらためたものです。

 この「はままつ」、「ひくま」、「みかたはら」、「おふみ」、「まいさわ」、「まえさか」は、

  「ハママ・ツ」、HAMAMA-TU(hamama=open,gaping,vacant;tu=stand,settle)、「(海へ向かって)開けた場所に・位置している(地域)」

  「ヒク・マ」、HIKU-MA(hiku=tail of a fish,point;ma=white,clear)、「魚の尾のような(台地に谷が入り込んでいる)地形の・清らかな場所(地域)」

  「ミカ・タ・ハラ」、MIKA-TA-HARA((Hawaii)mika=to press,crush;ta=dash,beat,lay;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「粉々になった(火山灰の)土が・堆積している・(首長を埋葬した)原」

  「オフ・ミ」、OHU-MI(ohu=stoop;mi=stream,river)、「水(湖)が・腰をかがめている(湖岸が屈曲して入り江が入り込んでいる。地域)」

  「マイ・タワ」、MAI-TAWHA(mai=hither,to indicate direction or motion towards;taha=tawha=calabash)、「瓢箪(のような形の湖面)が・そこに延びている(地域)」

  「マエ・タカ」、MAE-TAKA(mae=languid,listless;taka=heap,lie in a heap)、「弱々しい(なだらかな)・丘がある(地域)」

の転訛と解します。

 

(4)豊田(とよた)郡

 

a豊田(とよた)郡

 古代から明治12年までの郡名で、『和名抄』の国郡部には当郡が国府所在地として記されますが、郡郷部には磐田郡の記載はありますが当郡の記載がなく、10世紀のころ磐田郡の全域または殆どの地域が豊田郡と改称されたようです。明治29年当郡は山名郡とともに磐田郡に編入されました。郡域は、天竜川に沿っており、おおむね現在の天竜市(北東部の一部(気田川流域)の区域を除く)、浜北市の東部(馬込川東岸)、磐田市、浜松市の東部の一部、磐田郡(水窪町、福田町、浅羽町を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「止与太(とよた)」と訓じます。郡名は、「豊かな土地」の意とする説があります。

 この「とよた」は、

  「ト・イオ・タ」、TO-IO-TA(to=drag;io=muscle,line;ta=dash,beat,lay)、「(強い力で)引っ張る・綱(のような川。天竜川)が・横たわっている(地域)」(地名篇(その十三)の広島県の(23)沙田郡(豊田郡)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

b天竜(てんりゅう)川・佐久間(さくま)ダム・秋葉(あきは)山・船明(ふなぎら)・榑木(くれき)・掛塚(かけつか)・池田(いけだ)宿

 天竜(てんりゅう)川は、長野県諏訪湖を源に発し、上流部は木曽山脈と赤石山脈の間を流れ、飯田市以南は赤石山脈を斜交し、静岡県佐久間(さくま)町で中央構造線と交わって大きく蛇行し、水窪(みさくぼ)川、気田(けた)川などを合流して南流します。

 佐久間町には日本第3位の高さを誇る佐久間ダムが建設されています。

 その下流龍山(たつやま)村の左岸には、秋葉信仰の山で、火祭りで著名な秋葉(あきは)山(866メートル)があり、各地から秋葉街道が通じていました。

 天竜市船明(ふなぎら)は、江戸時代に幕府の榑木(くれき)役所が置かれ、伊那谷からバラで流送された榑木をここで陸揚げし、役所の検査を受けて、筏に組んで天竜川河口の木材積出港として栄えた竜洋(りゅうよう)町掛塚(かけつか)まで送られていました。

 豊田町池田(いけだ)は、謡曲『熊野』で名高い中世の宿駅で松尾神社領池田荘があり、江戸時代は東海道の天竜川渡船場で、池田宿はもと西岸にあったのが河道の変化によって東岸に移りました。

 この「てんりゅう」、「さくま」、「あきは」、「ふなぎら」、「くれき」、「かけつか」、「いけだ」は、

  「テノ・リウ」、TENO-RIU(teno=notched;riu=valley,bilge of a canoe)、「ぎざぎざの(激しく蛇行する)・渓谷(の川)」(「テノ」が「テン」となった)

  「タク・マ」、TAKU-MA(taku=edge,gunwale,hollow;ma=white,clear)、「船縁のような(見上げるような急峻な谷がある)・清らかな(地域)」

  「ア・キハ」、A-KIHA(a=the...of,belonging to;kiha=pant,gasp)、「(そこへ参詣したいと人々が)切望して・いる(山)」

  「フ(ン)ガ・(ン)ギラ」、HUNGA-NGIRA(hunga=company of persons,down,light-coloured;ngira,ngirangira=hand)、「(長時間水中で作業するので)手が・蒼白になる(場所)」(「フ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「フナ」と、「(ン)ギラ」のNG音がG音に変化して「ギラ」となった)

  「クレヘ」、KUREHE(folded,wrinkled)、「折り畳んだ(何枚も重ねて揃えて縛った。木の板材)」(H音が脱落して「クレ」となった)

  「カケ・ツカ」、KAKE-TUKA(kake=ascend,climb upon;tuka,tukatuka=start up,proceed forward)、「(材木を川から)荷揚げして・(目的地へ)発送する(場所)」

  「イケ・タ」、IKE-TA(ike=high,strike with a hammer;ta=dash,beat,lay)、「(天竜川が)金槌で殴るように激しく襲ってくる・場所に位置する(土地。荘園)」

の転訛と解します。

 

(5)引佐(いなさ)郡

 

a引佐(いなさ)郡

 古代からの郡名で、浜名湖北部から北東部に位置し、おおむね現在の浜松市の北部の一部、引佐郡(三ヶ日町を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「伊奈佐(いなさ)」と訓じます。郡名は、「イナ(砂地)・サ(接尾語)」とする説があります。

 この「いなさ」は、

  「ヒ(ン)ガ・タ」、HINGA-TA(hinga=fall from errect position,lean;ta=dash,beat,lay)、「(海へ向かって)傾斜している・場所に位置する(地域)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となった)

の転訛と解します。

 

b寸座(すんざ)岬・都田(みやこだ)川・引佐細江(いなさほそえ)・気賀(きが)

 浜名湖北東部ある寸座(すんざ)岬と浜名湖東岸にはさまれた、都田(みやこだ)川が流れ込む入り江である引佐細江(いなさほそえ)は、『万葉集』にも出てくる景勝地です。細江町の中心地、都田川河口の気賀(きが)は、江戸時代の浜名湖舟運の拠点で、東海道の脇往還、姫街道の関所が置かれていました。

 この「すんざ」、「みやこだ」、「ほそえ」、「きが」は、

  「ツ(ン)ガ・タ」、TUNGA-TA(tunga=decayed tooth,worn-eaten of timber;ta=dash,beat,lay)、「虫歯(または腐った材木)が・置いてあるような(岬)」(「ツ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ツナ」から「スン」となった)

  「ミ・イア・コタ」、MI-IA-KOTA(mi=stream,river;ia=indeed,current;kota=open,crack,cockle shell)、「実に・(河口部が)大きく口を開いている(入り江となっている)・川」

  「ハウ・トエ」、HAU-TOE(hau=famous,illustrious;toe=split,divide)、「世に名高い・入り江」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」となった)

  「キ(ン)ガ」、KINGA(act of speaking,saying)、「物を言う(申し立て、質問に答え、申し開きをする。関所がある場所)」

の転訛と解します。

 

(6)麁玉(あらたま)郡

 

 古代から明治29年までの郡名で、天竜川下流の西側、浜名湖の北東に位置し、おおむね現在の浜北市の西部(馬込川西岸(南部の一部を除く)の区域)の地域です。

 『和名抄』は、「阿良多末(あらたま)」と訓じ、「今有玉(ありたま)と称す」とします。郡名は、「アラ(荒。または新)・タマ(撓(たわ)むの転。川の屈曲点)」の意とする説があります。

 この「あらたま」、「ありたま」は、

  「アラ・タハ・マ」、ARA-TAHA-MA(ara=way,means of conveyance,rise,raise;taha=side,edge,pass on one side;ma=white,clear)、「(旧天竜川の)片方の岸にある・高い・清らかな(地域)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」となった)

  「アリ・タハ・マ」、ARI-TAHA-MA(ari=clear,appearance,fence;taha=side,edge,pass on one side;ma=white,clear)、「(旧天竜川の)片方の岸にある・垣根のような・清らかな(地域)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)長上(ながのかみ)郡

 

 古代から明治29年までの郡名で、天竜川下流の西側、麁玉(あらたま)郡の南に位置し、おおむね現在の浜北市の南西部(馬込川西岸の南部の区域)、浜松市の東部(馬込川西岸)の一部(南部を除く)の地域です。長上郡に長田(ながた)郷があり、長上(ながのかみ)郡および長下(ながのしも)郡の郡名はこの郷名によるとする説があります。

 『和名抄』は、「長乃加美(ながのかみ)」と訓じます。この郷名は、「ナガ(長い砂丘、海岸線などが続く地形)・タ(処)」の意とする説があります。

 この「ながた」は、

  「(ン)ガ(ン)ガ・タ」、NGANGA-TA(nganga=breathe heavily or with difficulty;ta=dash,beat,lay)、「咳き込むように・襲う(洪水が突然・襲う。地域)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

の転訛と解します。

 

(8)長下(ながのしも)郡

 

 古代から中世の郡名で、天竜川下流の西側、長上(ながのかみ)郡の南に位置し、おおむね現在の浜松市の東南部(馬込川西岸)の一部の地域です。長上郡に長田(ながた)郷があり、長上(ながのかみ)郡および長下(ながのしも)郡の郡名はこの郷名によるとする説があります。

 『和名抄』は、「上(長上(ながのかみ)郡)に準ず」とします。前出(7)長上(ながのかみ)郡の項を参照してください。

 

(9)磐田(いわた)郡

 

a磐田(いわた)郡

 古代からの郡名で、『和名抄』の国郡部には豊田郡が国府所在地として記されるものの、郡郷部には磐田郡の記載はありますが豊田郡の記載がなく、10世紀のころ磐田郡の全域または殆どの地域が豊田郡と改称されたようです。はじめの郡域は、天竜川に沿っており、おおむね現在の天竜市(北東部の一部(気田川流域)の区域を除く)、浜北市の東部、磐田市、浜松市の東部(馬込川東岸)の一部、磐田郡(水窪町を除く)の地域です。近世では東海道見附(みつけ)宿のみが磐田郡として記録されています。明治29年豊田郡および山名郡は磐田郡に編入されました。

 『和名抄』は、「伊波太(いはた)」と訓じます。郡名は、「イワ(岩)・タ(処)」で岩石のあるところの意とする説があります。

 この「いはた」は、

  「イ・ワタ」、I-WATA(i=past tense,beside;wata,watawata=having many interstices,perforated,full of holes)、「たくさんの隙間(河谷)や穴(窪地)があるところの・一帯(磐田原(いわたはら)台地がある一帯。地域)」

の転訛と解します。

 

b見附(みつけ)・矢奈(やな)比売神社

 はじめの磐田郡には国府、国分寺が置かれましたが、その中心であった見附(みつけ)の北には、天竜川と太田川にはさまれた洪積台地の磐田原(いわたはら)台地が広がります。この台地は天竜川西岸の三方原台地とほぼ同時期に形成された一続きの台地が天竜川によって切断されたもので、台地面は川による浅い溝状の谷が発達し、坂、久保、原などの地名が多く、ローム質の表層土壌の下に天竜川が運んだ厚い礫層があって透水性が高く、地下水位が高いため、昔は天水に頼ってきた地帯です。台地周辺には多数の古墳が分布します。

 見附は、江戸時代東海道の宿場として栄えました。見附天神と呼ばれる式内社の矢奈(やな)比売神社では、天下の奇祭とされる旧暦8月10日に腰簑をつけた男子が御輿をかつぐ裸祭りが行われます。

 この「みつけ」、「やな」は、

  「ミ・ツ・フケ」、MI-TU-HUKE(mi=stream,river;tu=stand,settle;huke=dig up,excavate)、「(大地を)掘って湧き出してきた・水が・ある(湧き水や井戸水に頼っている。土地)」(「ツ」のU音と、「フケ」のH音が脱落して「ウケ」となった語頭のU音が連結して「ツケ」となった)

  「イア・ナハ」、IA-NAHA(ia=indeed,current;naha,nahanaha=well arranged,in good order)、「実に・秩序を正しくした(古来からのしきたりを重んじた。姫。その姫を祀る神社)」(「ナハ」のH音が脱落して「ナ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)山香(やまか)郡

 

a山香(やまか)郡

 古代から中世までの郡名で、元慶5(881)年に磐田郡から山香郡が分かれており、おおむね現在の磐田郡龍山村の一部および周智郡春野町の一部の地域(気田(けた)川の下流域の一部)です。中世に広域の山香荘が成立したのち、戦国時代には豊田郡に、天正年間以降は周知郡に編入されたようです。

 『和名抄』は、「也末加(やまか)」と訓じます。郡名は、「ヤマ(山)・ガ(処)」で「山のある地方」の意、「ヤマガタ」の下略形で同意とする説などがあります。

 この「やまか」は、

  「イア・マカ」、IA-MAKA(ia=current,indeed;maka=fish-hook)、「釣り針のような(形の)・川が流れる(地域)」(天竜川と気田川の合流点あたりの地形を指したもの、または気田川を釣り糸とし、その左岸に次々に石切川、杉川、熊切川などが合流するのを釣り針と見立てたものかも知れません。)

の転訛と解します。

 

b気田(けた)川

 気田川は、天竜川の支流で、磐田郡水窪町の前黒法師(まえくろぼうし)山(1,782メートル)東斜面に源を発し、蛇行しながら南流して春野町で左岸を流れる石切川、杉川、熊切川などを併せ、天竜市北部で天竜川に合流します。

 この「けた」は、

  「カイタ」、KAITA(large,of superior quality)、「大きな(川)」

の転訛と解します。

 

(11)周智(すち)郡

 

a周智(すち)郡

 古代からの郡名で、天竜川東部に位置し、おおむね現在の周智(しゅうち)郡、磐田郡水窪(みさくぼ)町の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「渕(ふち)の転」、「ス(州)・チ(土など場所、方向を示す接尾語)」で「州になったところ」の意とする説があります。

 この「すち」は、

  「ツ・ウチ」、TU-UTI(tu=stand,settle,fight with,energetic;uti=bite)、「(川が)しきりに・浸食する(地域)」

の転訛と解します。

 

b森(もり)町・春野(はるの)町・水窪(みさくぼ)町

 森(もり)町は、古く遠江国一宮の小国(おぐに)神社が鎮座し、江戸時代には信州街道(秋葉街道)の宿場町、物資の集散地として栄えました。

 春野(はるの)町は、天竜川の支流気田川が流れ、水窪(みさくぼ)町は天竜川の支流水窪川が流れるいずれも山間地帯です。

 この「もり」、「はるの」、「みさくぼ」は、

  「モリ」、MORI(fondle,care)、「(一宮または旅行者の)世話をする(集落。その地域)」

  「ハルア・(ン)ガウ」、HARUA-NGAU(harua=depression,valley;ngau=bite,hurt,attack)、「谷が・浸食される(地域。山)」(「ハルア」の語尾のA音が脱落して「ハル」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「ミ・タク・ポ」、MI-TAKU-PO(mi=stream,river;taku=edge,gunwale,hollow;po,popo=crowd round,throng)、「船縁のように険しい谷が・集まった場所を・流れる川(その川が流れる場所。地域)」または「ミ・タハクプ」、MI-TAHAKUPU(mi=stream,river;tahakupu=high-water line)、「高いところを・流れる川(その川が流れる場所。地域)」(「タハクプ」のH音が脱落し、語尾のU音がO音に変化して「タクポ」から「サクボ」となった)

の転訛と解します。

 

(12)山名(やまな)郡

 

a山名(やまな)郡

 古代から明治29年までの郡名で、天竜川の東部、周知郡の南部に位置し、おおむね現在の袋井市、磐田郡福田(ふくで)町、浅羽(あさば)町の地域です。

 『和名抄』は、「也末奈(やまな)」と訓じます。郡名は、「山(河岸段丘、自然堤防を含む)のある土地」の意、「山寄りの土地」の意とする説があります。

 この「やまな」は、

  「イア・マ(ン)ガ」、IA-MANGA(ia=current,indeed;manga=branch of a tree or a river etc.)、「支流(細流)の・川が流れる(地域)」(「マ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「マナ」となった)

の転訛と解します。

 

b袋井(ふくろい)市・原野谷(はらのや)川・浅羽(あさば)町・弁財天(べんざいてん)川

 袋井(ふくろい)市は、主として太田川とその支流原野谷(はらのや)川の形成した平野にあり、東海道の袋井宿は原野谷川と  川の合流点の北にあります。ここには縄文時代からの多くの横穴墓群があります。

 浅羽(あさば)町は、太田川、弁財天(べんざいてん)川が流れ、遠州灘に面する町で、町名は中世の荘園名によります。

 この「ふくろい」、「はらのや」、「あさば」、「べんざいてん」は、

  「フク・ロイ」、HUKU-ROI(huku=tail,point;roi=tied,knot,bond)、「(川と川が)合流した・その突端に位置する(土地。地域)」

  「ハラ・(ン)ガウ・イア」、HARA-NGAU-IA(hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place;ngau=bite,hurt,attack;ia=current,indeed)、「(首長を葬った)原を・浸食する・流れ(川)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「アタ・パ」、ATA-PA(ata=gentry,clearly,openly;pa=stockade)、「清らかな・集落(その地域)」

  「ペヌ・タイ・テ(ン)ガ」、PENU-TAI-TENGA(penu=quite,completely;tai=the sea,the coat,tide,wave;tenga=Adam's apple,goitre)、「完璧に・波の形をしている・喉ぼとけのように膨らんだ(丘陵。その横を流れる川)」(「ペヌ」が「ベン」と、「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」となった)

の転訛と解します。

 

(13)佐野(さや。さの)郡

 

a佐野(さや。さの)郡

 古代から明治29年までの郡名で、周智郡の南に位置し、おおむね現在の掛川(かけがわ)市の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「さや」については「サ(接頭語)・ヤ(ヤツ・ヤチと同じく「湿地」)」の意、「サヤ(騒(さや)ぐ)」から「川瀬などの音がする土地」の意、「サヤ(障(さや)ぐ)」から「崖などの障害物のある土地」の意とする説があり、「さの」については「サ(美称)・ノ(野)」の意とする説があります。

 この「さや(さの)」は、

  「タイア」、TAIA(neap of the tide,outer palisade of a stockade)、「(遠江国の中心から離れた)外側の柵がある(地域)」

  または「タ(ン)ゴ」、TANGO(take up,take in hand,remove(tangotango=handle,rail of a fence))、「柵の柱(のような機能を果たす。地域)」(NG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」となった)

の転訛と解します。

 

b掛川(かけがわ)宿・逆(さか)川・小夜(さよ)ノ中山

 掛川市の市名は、中世以来の宿名によります。掛川(かけがわ)宿は、東海道の要地として発達し、戦国期には城が築かれて軍事拠点となりました。市街地は、太田川の支流逆(さか)川に沿っています。東隣の金山町との間の峠、小夜(さよ)ノ中山は、歌枕として知られます。

 この「かけがわ」、「さか」、「さよ」は、

  「カケ・カハ」、KAKE-KAHA(kake=ascend,climb upon;kaha=strong,rope,noose)、「(山へ)登ってゆく・縄のような(川)」または「カケ・カワ」、KAKE-KAWHA(kake=ascend,climb upon;kawa=channel,passage between rocks and shoals)、「(山へ)登ってゆく・水路(川)」

  「タカ」、TAKA(fall off,fall away)、「(高いところから)落ちてくる(川)」

  「タ・イオ」、TAIO(lock of hair)、「髷(まげ)のような(形をした。山)」 

の転訛と解します。

 

(14)城飼(きこう)郡

 

a城飼(きこう)郡

 古代から明治29年までの郡名で、平安後期には城東(きとう)郡の呼称が一般となり、明治29年小笠(おがさ)郡となりました。佐野郡の南に位置し、遠州灘に面し、中央を菊(きく)川が流れ、西端には小笠(おがさ)山丘陵、東端には牧ノ原(まきのはら)台地があります。おおむね現在の小笠(おがさ)郡、榛原郡御前崎(おまえざき)町の地域です。

 『和名抄』は、「伺または飼」とし、「支加布(きかふ)」と訓じます。郡名は、「蝦夷を柵に閉じこめ養ったところ」、「馬を飼った牧」の意、「キカフ(傾く)」で「傾斜地、崖地」の意とする説があります。

 この「きかふ」は、

  「キ・カフ」、KI-KAHU(ki=full,very;kahu=hawk,chief,kite)、「鷹が・多い(土地。地域)」もしくは「凧揚げが・盛んな(土地。地域)」(「カフ」のH音が脱落し、AU音がOU音に変化して「コウ」となった)

  または「キ・コウ」、KI-KOU(ki=full,very;kou=knob,stump)、「丘陵が・たくさんある(地域)」

の転訛と解します。

 

b菊(きく)川・小笠(おがさ)山・鶴翁(かくおう)山・高天神(たかてんじん)城跡・牧ノ原(まきのはら)台地・御前崎(おまえざき)

 郡の中央を菊(きく)川が流れ、西端には小笠(おがさ)山(221メートル)を主峰とする小笠山丘陵があり、その東端には戦国時代に徳川氏と武田氏の争奪の舞台となった、三方を切り立つた崖に囲まれた鶴翁(かくおう)山(130メートル)に築かれた高天神(たかてんじん)城跡があります。

 郡の東端には周辺を樹枝状の浸食谷に刻まれた牧ノ原(まきのはら)台地があります。

 台地の先端には、遠州灘と駿河湾を分ける御前崎(おまえざき)があります。岬の近くには天然記念物の風食礫(三稜石)があり、また岬の周辺には多くの暗礁があって海の難所となっています。

 この「きく」、「おがさ」、「かくおう」、「たかてんじん」、「まきのはら」、「おまえ」は、

  「キヒ・ク」、KIHI-KU(kihi=cut off,destroy completely;ku=silent)、「静かに・押し流して行く(川)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)

  「オ・(ン)ガタ」、O-NGATA(o=the...of;ngata=satisfied,dry)、「乾燥して・いる(山)」

  「カク・オフ」、KAKU-OHU(kaku=scrape up,bruise;ohu=surround)、「削られた岩壁が・周囲を取り巻いている(山)」

  「タカ・テ(ン)ガ・チノ」、TAKA-TENGA-TINO(taka=heap,lie in a heap;tenga=Adam's apple,goitre;tino=main,essentiality)、「主要な・喉ぼとけのように膨らんだ・山の上にある(城)」

  「マキ・(ン)ガウ・パラ」、MAKI-NGAU-PARA(maki=a prefix giving the force that an action is done spontaneously on impulse;ngau=bite,hurt,attack;para=cut down bush,clear)、「気ままに(無計画に)・食いちぎられた(川が浸食した)・灌木を切り開いた原」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

  「オ・マヘ」、O-MAHE(o=the...of;mahe=sinker for a fishing line)、「釣り糸につけた錘り(海中に隠れた暗礁)が・ある場所(岬)」(「マヘ」のH音が脱落して「マエ」となった)または「オ・マエ」、O-MAE(o=the...of;mae=languid,withered)、「しなびて・いる(風食によって摩滅した三稜石で・覆われている。岬)」

の転訛と解します。

 

(15)秦原(はいはら)郡

 

a秦原(はいはら)郡

 古代からの郡名で、大井川西岸に位置し、駿河国と境を接しており、おおむね現在の島田市の南部の一部(大井川右岸)、榛原(はいばら)郡本川根町(東南部の一部(大井川左岸)を除く)、中川根町の西部(大井川右岸)、川根町の西部(大井川右岸)の地域です。

 『和名抄』は、「秦(正しくは草冠に秦)」(通常「榛」を用います)とし、「波伊波良(はいはら)」と訓じます。郡名は、「秦は萩のこと」、「秦はハジカミと関係する」、「秦はハンノキ」、「ハイ(ハキの転。崖地の意)」から、「ハイ(ハリ(墾)の転。開墾地の意)」からとする説があります。

 この「はいはら」は、

  「ハイ・パラ」、HAI-PARA((Hawaii)hai=to break as a stick,broken;para=cut down bush,clear)、「折れた(不規則に曲がっている。樹枝状の谷に浸食された)丘陵で・灌木を切り開いた原(牧ノ原)がある(地域)」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)(前出(14)城飼(きこう)郡のb牧ノ原(まきのはら)台地の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

b大井(おおい)川・接阻(せっそ)峡・寸又(すまた)峡・金谷(かなや)宿・相良(さがら)町・萩間(はぎま)川

 郡の東縁を流れる大井(おおい)川は、静岡・山梨県境の赤石山脈北東部の間(あい)ノ岳(3,189メートル)(地名篇(その十六)の山梨県の(4)巨麻郡のb間ノ岳の項を参照してください。)の南斜面に源を発し、静岡市井川の下流から駿河・遠江の国境となって南流し、大井川平野の南西端で駿河湾に注ぎます。幹線流路延長が長いのに流域面積は狭く、日本屈指の急流です。上流部は険阻な渓谷に富み、井川下流の接阻(せっそ)峡、寸又(すまた)川の寸又峡は特に有名です。

 大井川は、「箱根8里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄われる東海道の難所とされ、江戸初期以降橋、船による渡河が禁止され、渡河は川越人足に頼ることとなり、水深により川越料金が上下し、通常の水深2尺5寸が4尺5寸以上になると川留めとされ、しばしば長期にわたり川留めとなって西岸の金谷(かなや)宿、東岸の島田(しまだ)宿は繁忙を極めました。明治に入って一時渡し船となり、橋が架けられたのは明治15(1882)年のことです。

 牧ノ原台地の南東部に位置する相良(さがら)町の町名は、古代からの郷名により、江戸中期以降は田沼意次の築いた相良城の城下町、萩間(はぎま)川河口の港町として栄えました。

 この「おおい」、「せっそ」、「すまた」、「かなや」、「さがら」、「はぎま」は、

  「オ・ハウ・ウイ」、O-HAU-UI(o=the...of;hau=vitality of man,vital essence of land,eager,famous;ui=disentangle,loosen a noose)、「活気が・溢れている・解けた輪縄のような(蛇行する。川)」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」と、「ウイ」が「ヰ」となった)

  「テ・ツ・トウ」、TE-TU-TOU(te=crack;tu=stand,settle;tou=anus,posteriors)、「お尻のような(山に挟まれた狭い)場所に・ある・割れ目(谷。渓谷)」

  「ツ・マタ」、TU-MATA(tu=stand,settle;mata=face,eye,edge)、「(山間に)目玉のような平地が・ある(渓谷)」

  「カナ・イア」、KANA-IA(kana=stare wildly,bewitch;ia=current,indeed)、「川の流れ(流れの早さ、水量・水深など)を・じっと目を凝らして見る(場所。大井川を渡る場所)」(金谷は、中世の郷名により、金山彦命を祀る鋳物師が住み、屋号を金屋としたことによるとされます。「カナ・イア」は、別解として、「実に・じっと目を凝らして(溶鉱炉の火を)見る(場所)」と解することもできますが、ここの郷名の由来となるほど多数の鋳物師が住んでいたのか疑問です。地名篇(その十)の千葉県の(14)天羽郡のb金谷の項を参照してください。)

  「タ(ン)ガラ」、TANGARA(loose,slack,unencumbered)、「たるんでいる(土地。地域)」(NG音がG音に変化して「タガラ」から「サガラ」となった)

  「ハ(ン)ギ・マ」、HANGI-MA(hangi=earth-oven;ma=white,clear)、「大地に掘った蒸し焼き穴のような(盆地のような)・清らかな(場所を流れる。川)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」となった)

の転訛と解します。

 

 

(16)駿河(するが)国

 

 駿河(するが)国は、静岡県の大井川以東、狩野川以西に位置し、西は遠江国、北は信濃国、甲斐国、東は相模国、南は伊豆国および駿河湾に接します。古くは伊豆国を含み、珠流河国造、廬原(いおはら)国造および伊豆国造が治めていた地域と考えられます。はじめは9郡でしたが、天武9(680)年田方、賀茂の2郡を分けて伊豆国が建てられ、志太、益頭、有度、安倍、廬原、冨士、駿河の7郡となりました。国府ははじめ駿河郡(現沼津市)にありましたが、伊豆国分置に伴い安倍郡(現静岡市)に移されました。

 『和名抄』は、「須流加(するか)」と訓じます。国名は、古くは珠流河、須流加、州流加、薦河、尖河、尖蛾、仙河などとも書き、その由来は「富士川の流れが川辺をゆする河(『駿河名義』)、「富士川の流れが速くするどい川と(尖河(するとかわ)の転)」(『諸国名義考』)、「滑所(しると。沼沢)の転」(『駿河国新風土記』)、「州寄処(すよか)で波が押し寄せる国」(同上)、「州処(スカ。砂州のあるところ)の転で須賀と同義」(吉田東伍)、「富士山・愛鷹山麓に自生するヤマトリカブトのアイヌ語名「スルグラ」から」などの諸説があります。(なお、インドネシア語の「スルガ、SURGA(heaven)、天国・楽園」とする説については、地名篇(その九)の第3の1駿河国の項を参照してください。)

 この「するか」は、

  「ツ・ル(ン)ガ」、TU-RUNGA(tu=stand,settle;runga=the top,upwards,the south)、「最も高い山(富士山)が・ある(地域。国)」または「(富士山の)南に・位置する(地域。国)」(「ル(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ルガ」となった)(地名篇(その十五)の福井県の(2)敦賀郡の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

(17)志太(した)郡

 

a志太(した)郡

 古代からの郡名で、大井川東岸に位置し、おおむね現在の島田市(南部の一部(大井川右岸)を除く)、藤枝市、焼津市の南部(瀬戸川以南)、志太(しだ)郡、榛原郡本川根町の東南部の一部(大井川左岸)、中川根町の東部(大井川左岸)、川根町の東部(大井川左岸)の地域です。明治29年に益頭郡を編入しました。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「シダ(羊歯)が多くあった」から、「シダ(垂。長く垂れ下がる)」で「傾斜地・崖」などの意とする説があります。

 この「した」は、

  「チヒ・タ」、TIHI-TA(tihi=summit,top,lie in a heap;ta=dash,beat,lay)、「高いところにあって・(大井川に)浸食されている(地域)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となった)

の転訛と解します。

 

b島田(しまだ)宿・藤枝(ふじえだ)・岡部(おかべ)宿・宇津ノ谷(うつのや)峠

 島田(しまだ)市は、大井川下流東岸の扇状地にあり、集落は自然堤防や中州の微高地に発達し、ています。島田宿は、多い川西岸の金谷宿と並んで川越の宿場町として栄えました。

 藤枝(ふじえだ)市は、大井川の扇状地の志太平野にあり、近世には東海道の宿場町、城下町として栄えました。

 岡部(おかべ)町は、中世から宿場町として栄え、東の丸子(まりこ)宿との間、静岡市との境に難所として知られる宇津ノ谷(うつのや)峠(地名篇(その九)の第3の7宇津ノ谷峠の項を参照してください。)があり、付近には在原業平の『伊勢物語』に記された「蔦の細道」があります。「蔦の細道」は河竹黙阿弥の世話物『蔦紅葉宇都谷峠』の舞台です。

 この「しまだ」、「ふじえだ」、「おかべ」、「うつのや」は、

  「チマ・タ」、TIMA-TA(tima=a wooden implement for cultivating the soil;ta=dash,beat,lay)、「掘り棒で掘るように・(川が)浸食する(土地。地域)」

  「フチ・エタヒ」、HUTI-ETAHI(huti=pull up,fish with a line;etahi=some,how great!)、「(島田宿に比較して)少々・高いところにある(土地。地域)」(「エタヒ」の語尾が脱落して「エタ」となった)

  「オ・カペ」、O-KAPE(o=the...of;kape=eyebrow,eye socket)、「眼のくぼみ・のような場所(地域)」

  「ウツ・ノイ・イア」、UTU-NOI-IA(utu=spur of a hill,front part of a house;noi=elevated,on high,errected;ia=indeed,current)、「実に・高い・屋根の庇のような(険しい場所。峠)」(「ノイ」のI音が「イア」のI音と連結して「ノヤ」となった)

の転訛と解します。

 

(18)益頭(ましつ)郡

 

a益頭(ましつ)郡

 古代から明治29年までの郡名で、志太郡の南、高草(たかくさ)山地の南麓から焼津港を中心とする駿河湾に面した地域で、おおむね現在の焼津(やいづ)市の北部(瀬戸川以北)の地域です。明治29年に志太郡に編入されました。

 『和名抄』は、「末志豆(ましつ)」と訓じます。郡名は、『古事記』の「焼津の原」にあたり「ヤキ」に「益」をあてた、「マシ(高地。川や谷筋の交点)」からとする説があります。

 この「ましつ」は、

  「マチ・ツ」、MATI-TU(mati,matimati=toe,finger;tu=stand,settle)、「指(をもつ山。指のように尾根が分かれている高草山地)が・ある(地域)」

の転訛と解します。

 

b高草(たかくさ)山・焼津(やいづ)市・小川(こがわ)湊・石花海(せのうみ)

 郡の北部に高草(たかくさ)山(501メートル)があり、駿河湾にせり出した山地をJR東海道本線、東海道新幹線、東名高速道が日本坂トンネルを穿つて貫き、断崖となっている海岸部は大崩海岸と呼ばれています。

 焼津(やいづ)市の市名は、日本武尊が野火の難に遭い、天叢雲剣で草を薙いで向かい火を付けて賊を討つたという『日本書紀』の記事に由来します。古くは『延喜式』に記される東海道の駅は焼津の小川(こがわ)で、日本坂越えでしたが、平安中期以降は国道1号線のやや南の「蔦の細道」から宇都ノ谷峠経由となり、小川湊は海上交通の要所として発展し、焼津港は最近では日本有数の遠洋漁業基地となっています。

 駿河湾湾口中央よりやや西よりに「石花海(せのうみ)」と呼ぶ南北二つの浅堆があり、重要な漁場となっています。この海域名は、「浅瀬(あさせ)の海」が「瀬の海」に転じたと解されています。(この石花は、通常はサンゴの意と解されていますが、『出雲国風土記』嶋根郡の条では石花を海産物と記し、『和名抄』はこれを「せ」と訓じ、「亀の手」とも呼ばれる海岸の岩に付着する節足動物の称とされていますので、浅瀬の瀬でもサンゴでもなく、単に「せ」の音に宛てた宛字と解すべきであると考えます。)

 この「たかくさ」、「やいづ」、「こがわ」、「せの」は、

  「タカ・クタ」、TAKA-KUTA(taka=heap,lie in a heap;kuta=encumbrance)、「(通行の)邪魔になっている・高み(山)」

  「イ・アヒ・ツ」、I-AHI-TU(i=past tense,beside;ahi=fire;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「野火が・燃えさかる・(事件が)あった(土地。地域)」(「イ」のIと「アヒ」の語頭のA音が連結し、H音が脱落して「ヤイ」となった)または「イ・アイツア」、I-AITUA(i=past tense,beside;aitua=unlucky,unfortunate,in trouble)、「(日本武尊が野火の)災難に・遭った(土地。地域)」(「イ」のIと「アイツア」の語頭のA音が連結し、語尾のA音が脱落して「ヤイツ」となった)(地名篇(その九)の第3の8焼津の項を参照してください。)

  「コ・(ン)ガワ」、KO-NGAWHA(ko=a wooden implement for digging or planting;ngawha=burst open,split of timber,overflow banks)、「鍬で掘ったような・(駿河湾に向かって)口を開いている(場所。港)」

  「テ・ノ」、TE-NO(te=crack;no=of)、「(南北二つに)分かれて・いる(海。漁場)(「テノ」から「セノ」となった)

の転訛と解します。

 

(19)有度(うと)郡

 

a有度(うと)郡

 古代から明治29年までの郡名で、益頭郡の東、安倍郡の南の海岸部に位置し、西の境界には高草山地が、東には有度(うど)丘陵が海に落ち込んでおり、おおむね現在の静岡市の南部の海岸部、清水市の南部の海岸部の地域です。明治29年に安倍郡に編入されました。

 『和名抄』は、「宇止(うと)」と訓じます。郡名は、古くから三保の松原の裏に入り江(折戸湾)があったことから「海門(うなと)」に由来する、日本平(にほんだいら)北側の静岡ー清水を結ぶ構造谷を「ウト」と呼んだことによるとする説があります。

 この「うと」は、

  「ウト」、UTO(revenge,enemy)、「仇を討ったような(首を切り落としたような断崖(有度丘陵・高草山地が海に落ち込む急崖)がある。または激情に駆られて削った断崖がある。場所。その地域)」

の転訛と解します。

(なお、宮崎県日南市鵜戸(うど)の地名も、鵜戸山地が日向灘に突き出たところが断崖となって海に落ち込んでいるところから、この「ウト」と同語源と解されます。しかし、同所にある鵜戸(うど)神宮の「うど」の語源は、海岸の洞窟内に社殿があるところからすると、この「ウト」ではなく「ウ・トウ」の約と解されます。「ウ・トウ」については、地名篇(その十六)の長野県の(4)筑摩郡のb善知鳥(うとう)峠の項を参照してください。)

 

b三保(みほ)の松原・日本平(にほんだいら)・久能(くのう)山・根古屋(ねこや)・登呂(とろ)・丸子(まりこ)・日本坂(にほんざか)

 清水市と静岡市にまたがってドーム状丘陵の有度(うど)丘陵があります。最高峰は有度(うど)山(308メートル)で、頂上は平坦、富士山や三保(みほ)の松原の好展望地で、日本武尊にあやかって日本平(にほんだいら)と呼ばれています。その南側は海食崖で、徳川家康を祀る東照宮がある久能(くのう)山(216メートル)の独立峰が屹立しています。その海岸沿いの根古屋(ねこや)地区では、石垣イチゴの栽培が盛んです。

 有度丘陵の西、安倍川扇状地の末端に弥生時代中期から末期にかけての水田跡、住居跡の遺構で有名な登呂(とろ)遺跡があります。

 その西にはとろろ汁で有名な丸子(まりこ)の宿があります。

 益頭郡との境には高草山地の日本坂(にほんざか)があり、大崩海岸があります。

 この「みほ」、「にほんだいら」、「くのう」、「ねこや」、「とろ」、「まりこ」、「にほんざか」は、

  「ミホ」、MIHO((Hawaii)to pile up,place in a pile)、「(砂が前方へ)積み重なっている(場所。砂州)」または「ミ・ホウ」、MI-HOU(mi=stream,river;hou=bind,force downwards(houhou=dig up))、「潮流が・(久能山に)くっつけた(砂州)」または「潮流が・掘り上げた(砂州)」

  「ヌイ・ホ(ン)ガ・タイラ(ン)ガ」、NUI-HONGA-TAIRANGA(nui=large,many;honga=tilt,make to lean on one side;tairanga=be raised up)、「一方に傾斜している・大きな・高まり」(「ホ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ホナ」から「ホン」と、「タイラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「タイラ」となった)

  「クフ・(ン)ガウ」、KUHU-NGAU(kuhu=thrust in,insert;ngau=bite,hurt,attack)、「中に入り込んで・浸食されている(山)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がOU音に変化して「ノウ」となった)

  「ネコ・イア」、NEKO-IA(neko,nekoneko=fancy border of a cloak;ia=indeed,current)、「実に・(山の)縁を飾っているような(縁に付着している。土地、集落。その地域)」

  「トロ」、TORO(stretch forth,extend,survey)、「(耕地が海へ向かって)ずつと延びている(場所。その集落)」

  「マ・リコ」、MA-RIKO(ma=white,clear;riko=wane,a large eel)、「清らかな・ウナギのような(細長い場所。集落)」

  「ヌイ・ホ(ン)ガ・タカ」、NUI-HONGA-TAKA(nui=large,many;honga=tilt,make to lean on one side;taka=heap, lie in a heap)、「一方に傾斜している・大きな・高まり」(「ホ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ホナ」から「ホン」となった)

の転訛と解します。

 

(20)安倍(あべ)郡

 

a安倍(あべ)郡

 古代からの郡名で、大井川の上流域ならびに安倍(あべ)川および藁科(わらしな)川流域に位置し、おおむね現在の静岡市(南部の海岸部を除く)の地域です。明治29年に有度郡(北部を除く)を編入し、同44年に静岡市にすべて編入されて郡名はなくなりました。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「低湿地」の意、「朝廷の饗宴をつかさどる饗(あえ)の遺名」から、「アバ(崩崖)」の意とする説があります。

 この「あべ」は、

  「ア・ペ」、A-PE(a=the...of,collar-bone,drive;pe=crushed,soft)、「鎖骨(安倍川と藁科川が合流する場所)が・砕かれている(平野になっている。地域。そこを流れる川)」

の転訛と解します。

 

b藁科(わらしな)川・賤機(しずはた)山

 安倍(あべ)川は、下流で藁科(わらしな)川と合流して扇状地の静岡平野を形成します。

 静岡市は、古代から駿河国の国府所在地で、駿府(すんぷ)または府中と呼ばれていましたが、明治2年に府中は「不忠」に通ずるとして、賤機(しずはた)山南の丘陵賤(しず)ケ丘にちなんで静岡(しずおか)と改称しました。

 この「わらしな」、「しずはた」は、

  「ワラ・チナ」、WHARA-TINA(whara=a plant(to make rope,caulking,etc.) ;tina=fixed,firm,constipated)、「(水漏れを止める)コーキングが・してある(通常は流量が少ないが時々大きな出水がある。川)」

  「チ・ツパタ」、TI-TUPATA(ti=throw,cast,lay;tupata=thick-leaved edible seaweed)、「(長い)昆布が・投げ出されているような(山)」(「チ」が「シ」と、「ツパタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ツハタ」から「ズハタ」となった)

の転訛と解します。

 

(21)廬原(いほはら)郡

 

a廬原(いほはら)郡

 古代からの郡名で、安倍郡の東、富士川以西に位置し、おおむね現在の清水市(南部の海岸部を除く)、庵原(いはら)郡、富士郡芝川町の南部(富士川右岸)の地域です。明治29年に有度郡の北部を編入しています。

 『和名抄』は、「伊保波良(いほはら)」と訓じます。中世以降は「いはら」と呼称されます。郡名は、「原が多く五百原と称された」から、「庵を建てた原」とする説、「イホ」は「ウエ」に通じ「高所の原」の意とする説があります。

 この「いほはら」は、

  「イ・ホハ・アラ」、I-HOHA-ARA(i=past tense,beside;hoha=wearied with expectation or anxiety,wearisome;ara=way,path)、「(険しい)道路に・疲れ果てる・場所一帯(地域)」(「ホハ」の語尾のA音と「アラ」の語頭のA音が連結して「ホハラ」となった)または「イホ・ハラ」、IHO-HARA(iho=heart,kernel,lock of hair;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「(首長を葬った)原がある・髷(のような山地がある。地域)」

の転訛と解します。

 

b江尻(えじり)・興津(おきつ)・薩陲(さった)山・由比(ゆい)・蒲原(かんばら)

 清水市の江尻(えじり)宿は古くからの港町でしたが、蛇行する巴川の河口の南下に伴い、慶長6(1601)年東海道の宿駅に指定されてからは港町と分離して発展しました。

 古代にその山下に清見関をおいた清見寺山と東海道の難所薩陲峠のある薩陲(さった)山(244メートル)の間に興津(おきつ)宿があります。

 薩陲山は海へ向かい一気に落ち込んでいるため、古くは海沿いの道は「東海道の親不知」と恐れられ、明暦年間に朝鮮通信使の通行のため薩陲山の中腹(90メートル)が開削され、薩陲(さった)峠が使われるようになりましたが、安政元(1854)年の地震で海岸が隆起し、一部陸化したため、以後街道は海岸経由となり、峠道はさびれました。山名は、坂の上に地蔵菩薩を祀ったことによるという説があります。

 由比(ゆい)宿、蒲原(かんばら)宿も、急峻な崖が駿河湾に迫る狭い場所を街道が通ります。

 この「えじり」、「おきつ」、「さった」、「ゆい」、「かんばら」は、

  「エチ・リ」、ETI-RI(eti=shrink,recoil;ri=screen,protect,bind)、「(土地を守る堤の)海岸線が・後退する(内陸に入つてゆく土地。そこの湊)」

  「オキ・ツ」、OKI-TU((Hawaii)oki=divide,separate;tu=stand,settle)、「(清見寺山と薩陲山を)切離して・いる(場所。そこを流れる川。そこにある湊)」

  「タ・ツタ」、TA-TUTA(ta=dash,beat,lay;tuta=back of the neck)、「後頭部のような絶壁が・せり出している(山。その山の峠)」

  「イ・ウイ」、I-UWHI(i=past tense,beside;uwhi,uwhiuwhi=sprinkle)、「(波が海岸の岩に砕けて)波しぶきを上げる海岸の・あたり一帯(地域)」(共同作業の「結(ゆい)」については、地名篇(その九)の第3の4由比の項を参照してください。)

  「カ(ン)ガ・パラ」、KANGA-PARA(kanga=ka=take fire,be lighted,burn;para=cut down bush,clear)、「藪を切り開いた・居住地(地域)」

の転訛と解します。

 

(22)冨士(ふじ)郡

 

a冨士(ふじ)郡

 古代からの郡名で、富士山西南麓に位置し、西は富士川、南は駿河湾に面し、おおむね現在の冨士市、富士宮(ふじのみや)市、富士郡芝川(しばかわ)町(富士川右岸を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「浮志(ふし)」と訓じます。郡名は日本一の霊峰冨士(ふじ)山(3,775メートル)の山名により、その語源は、「ホデ(火出)」の転、「ケフリ(煙)・シゲシ(繁)」の略、「フジナ(吹息穴)」の略、「フ(ヒ(火)の転)・チ(霊)」から、「フケ地(湿地)」(富士郡の土地)の転、アイヌ語の「フチ(老婆。火の神)」から、アイヌ語の「プッシュ(噴火する)」から、マレー語の「プジ(素晴らしい)」からなどの諸説があります。

 この「ふし」は、

  「フチ」、HUTI(pull up,fish with a line)、「(神が海中から)引っ張り上げた(山(富士山)。その山のある地域)」

の転訛と解します。(地名篇(その九)の第2の1「富士山」の語源の項を参照してください。)

 

b田子ノ浦(たごのうら)・吹上(ふきあげ)ノ浜・潤井(うるい)川・吉原(よしわら)

 田子ノ浦(たごのうら)は、古来富士山の眺望に優れた地として有名です。広義では沼津市の狩野川河口から富士川河口右岸の吹上(ふきあげ)ノ浜にかけての海岸をいい、狭義では吹上ノ浜から東の潤井(うるい)川河口までをいいます。この地帯の後背地は、かつて浮島の点在する池沼地帯で、「浮島ケ原」とも「冨士沼」とも呼ばれており、治承4(1180)年10月の富士川の合戦の舞台となりました。歌枕としては富士川河口西方の蒲原、由比あたりの海岸を指します。

 吉原(よしわら)宿は、鎌倉時代からその名がみえる東海道の宿駅で、潤井(うるい)川と沼川が合流する河口付近にあった吉原湊が重要な流通拠点となっていましたが、津波や漂砂などの影響で今井の元吉原から逐次移転して現在地に移りました。

 この「たごのうら」、「ふきあげ」、「うるい」、「よしわら」は、

  「タ・ア(ン)ゴ」、TA-ANGO(ta=the...of,dash,beat,lay;ango=gape,be open)、「あの(富士川の河口と潤井川の河口の間の)・入り江(湿地帯)が口を開けている(浦)」(「タ」のA音と、「ア(ン)ゴ」の語頭のA音が連結し、NG音がG音に変化して「タゴ」となった)

  「フキ・ア(ン)ガイ」、HUKI-ANGAI(huki=spit,stick in as feathers in the hair,avenge death;angai=north-north-west wind,on the west coast)、「鳥の羽根で飾ったような(美しい)・(富士山の)西の浜」(「ア(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「アゲ」となった)

  「ウル・ウイ」、URU-UI(uru=head,hair of the head,enter,arrive,west;ui=disentangle,loosen a noose)、「(富士山の)西を流れる・ほどけた輪縄のような(蛇行する。川)」

  「イオ・チ・ワラ」、IO-TI-WHARA(io=muscle,line;ti=throw,cast,overcome,lay;whara=a plant,floor mat,burial cave,mouth of shell-trumpet)、「ほら貝の吹き口(のような入り江)が・(河口に)放り出されている・川(潤井川。その場所)」

の転訛と解します。

 

(23)駿河(するが)郡

 

a駿河(するが)郡

 古代から中世の郡名で、南は駿河湾、西に愛鷹山、東に箱根山があり、中央を黄瀬川、鮎沢川が流れ、大化前代の珠流河(するが)国の中心であった地域で、おおむね現在の沼津市(清水町、江浦湾中央部以南の区域を除く)、裾野市、御殿場市、駿東郡の地域です。中世(時期不明)に駿東(すんとう)郡と改称されました。

 『和名抄』は、「国名と同じ」とします。(前出(16)駿河国の項を参照してください。)

 

b沼津(ぬまづ)市・愛鷹(あしたか)山・黄瀬(きせ)川・我入道(がにゅうどう)

 沼津(ぬまづ)市は、愛鷹(あしたか)山(1,188メートル)の山麓の、伊豆半島の中央部を流れる狩野川、富士山と箱根山地の間を流れる黄瀬(きせ)川の形成した平野にあり、古く戦国時代には海上交通の要所としては沼津が、陸上交通の拠点としては黄瀬川宿が著名で、沼津宿は近世に入ってから栄えたようです。沼津の市名は、中世の郷名により、狩野川河口付近の沼沢地をさすという説があります。黄瀬川を合流した狩野川が駿河湾に注ぐ河口左岸を我入道(がにゅうどう)と呼んでいます。

 この「ぬまづ」、「あしたか」、「きせ」、「がにゅうどう」は、

  「ヌムア・ツ」、NUMUA-TU(numua=pass by(numi,numia,numanga=bend,pass behind,disappearance);tu=stand,settle(tua=back))、「(古い足柄道または東海道の)後ろ側を通る場所に・位置している(地域)」(「ヌムア」のUA音がA音に変化して「ヌマ」となった)(地名篇(その九)の第3の2沼津の項を参照してください。)または「ヌイ・マツ」、NUI-MATU(nui=big,many;matu=ma atu=go,come)、「多数の人々が・行き来する(場所)」(「ヌイ」が「ヌ」となった)

  「アチ・タカ」、ATI-TAKA(ati=descendant;taka=fasten a fish-hook to a line,fall down,heap,lie in a heap)、「(富士山を釣り上げるための)釣り針を引っかけた(または釣り落とした)・痕跡(の山)」(地名篇(その九)の第2の3の(1)愛鷹山の項を参照してください。)

  「キヒ・テ」、KIHI-TE(kihi=cut off,strip of branches;te=crack)、「木の枝のような(左右両岸に順次支流の川を合流する)・割れ目(川)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)

  「(ン)ガ・ニウ・トウ」、NGA-NIU-TOU(nga=satisfied,breathe;niu=move along,glide,dress timber with an axe;tou=anus,posterior,tail of anything,dip into a liquid)、「(潮の干満とともに川水が)呼吸するように・行き来する・(狩野川の)河口」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

の転訛と解します。

 

(24)伊豆(いづ)国

 

 伊豆(いづ)国は、県の東端、東は相模国に接し、西は駿河湾、東は相模湾に接する伊豆半島と伊豆諸島を国域とし、古くは駿河国に含まれ伊豆国造が治めていた地域で、天武9(680)年7月に田方、賀茂の2郡を分けて伊豆国が建てられ、早い時期に那賀郡が分かれて3郡と、江戸時代には君沢郡が分かれて4郡となっています。おおむね現在の沼津市の一部(清水町、江浦湾中央部以南の区域)、三島市、熱海市、伊東市、下田市、田方郡、賀茂郡、東京都伊豆諸島の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。国名は、「イヅ(出)」で「海へ突き出した土地」の意、「イヅ(湯出)」で「温泉の湧く地」の意、「イツ(厳)」で「崖、岩場の発達した険しい地形」の意とする説があります。

 この「いつ」は、

  「イツ」、ITU(side)、「(富士山の)傍らにある(地域)」

の転訛と解します。

 

(25)田方(たかた)郡

 

a田方(たかた)郡

 古代からの郡名で、伊豆半島中央部(狩野(かの)川流域)から北部にかけての地域で、中世に郡域東部が加茂郡に、近世には北西部が君沢(きみさわ)郡に編入されました。おおむね現在の沼津市の一部(清水町、江浦湾中央部以南の区域)、三島市、熱海市、伊東市、田方郡の地域です。

 『和名抄』は、「多加太(たかた)」と訓じます。郡名は、狩野川流域に平地が開け田があるので「田の方」から、「タカ(高)・カタ(方)」の約とする説があります。

 この「たかた」は、

  「タ・カタ」、TA-KATA(ta=dash,beat,lay;kata=opening of shellfish)、「貝が口を開いたような場所(平野)が・ある(地域)」

の転訛と解します。

 

b狩野(かの)川・万三郎(ばんざぶろう)岳・天城(あまぎ)山地・浄蓮(じようれん)ノ滝・韮山(にらやま)町・三島(みしま)市・熱海(あたみ)市・伊東(いとう)市

 狩野(かの)川は、万三郎(ばんざぶろう)岳(1,406メートル)を最高峰とする天城(あまぎ)山地北西部に源を発し、上流で浄蓮(じようれん)ノ滝を形成して郡の中央を北流し、沼津市で黄瀬川を合流して駿河湾に注ぎます。(「狩野(かの)」川の語源を記紀の「軽野(かるの)」船に求める説がありますが、これについては入門篇(その三)の3の(3)枯野(軽野)船の項を参照してください。)

 韮山(にらやま)町の町名は、北条早雲が城を築いて拠点とした山名によります。

 古代に伊豆国府が置かれ、三嶋大社が鎮座する三島(みしま)は、東の境川、西の黄瀬川の間の扇状地にあり、近世には箱根山を背後にした東海道の宿場町として栄えました。

 熱海(あたみ)市は、北から南にかけてかつての多賀(熱海)火山の火口壁をなす山々に囲まれ、東は相模灘に面する古くからの湯治場で、市名は海中に湧出して海を熱くする大湯間欠泉に由来するとされます。

 伊東(いとう)市は、伊豆半島東海岸にあり、海食崖の川奈崎から城ケ崎海岸があり、市名は中世の荘名によりまます。

 この「かの」、「ばんざぶろう」、「あまぎ」、「じようれん」、「にら」、「みしま」、「あたみ」、「いとう」は、

  「カハ・(ン)ガウ」、KAHA-NGAU(kaha=strong,rope,noose;ngau=bite,hurt,attack)、「力強く・浸食する(川)」または「浸食する・縄のような(川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「パ(ン)ガ・タプ・ロ」、PANGA-TAPU-RO(panga=throw,place;tapu=under religious or superstitious restriction,sacred;ro=roto=inside)、「(山の)奥に・(立ち入ってはならないなどの)禁忌が・置かれている(山)」(「パ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「パナ」から「バン」と、「タプ」が「ザブ」となった)

  「ア・マ(ン)ギ」、A-MANGI(a=the...of;mangi=floating,drifting,distressed by grief)、「(多雨地帯の中にあって)水の中に漂って・いるような(山塊)」(「マ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「マギ」となった)

  「チオ・レ(ン)ガ」、TIO-RENGA(tio=cry,rock-oyster;renga=overflow,be full)、「岩牡蠣から・水が溢れ出しているような(滝)」(「レ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「レナ」から「レン」となった)

  「ニヒ・ラ」、NIHI-RA(nihi=steep;ra=wed)、「険しい(山が)・連なっている(山)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」となった)

  「ミ・チマ」、MI-TIMA(mi=stream,river;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「川(境川と黄瀬川)が・掘り棒で掘ったように浸食した(場所。地域)」

  「ア・タミ」、A-TAMI(a=the...of,collar-bone;tami=press down,suppress)、「鎖骨のような(V字形の)山脈に・圧縮されている(場所。地域。そこの温泉)」

  「イト・フ」、ITO-HU(ito=object of revenge,enemy;hu=promontory,hill)、「仇を討ったような(首を切り落としたような)断崖をもつ・岬がある(川奈崎から城ケ崎海岸がある。場所。その地域)」(「フ」のH音が脱落して「ウ」となった)

の転訛と解します。

 

(26)那賀(なか)郡

 

a那賀(なか)郡

 古代から明治29年までの郡名で、伊豆国分立後まもなく賀茂郡から分かれたものかと考えられます。伊豆半島西部に位置し、駿河湾に面する地域で、おおむね現在の賀茂郡南伊豆町の西部の一部、松崎町、西伊豆町、賀茂村、土肥(とい)町、戸田(へた)村の地域です。明治29年賀茂郡に編入されました。

 『和名抄』は、「奈加(なか)」と訓じます。郡名は、田方・賀茂両郡に挟まれた中にあるからとする説があります。

 この「なか」は、

  「ナ・アカ」、NA-AKA(na=satisfied,belonging to;aka=clean off,scrape away)、「きれいに・(表面が)拭われている(地域)」(「ナ」のA音と「アカ」の語頭のA音が連結して「ナカ」となった)

の転訛と解します。

 

b松崎(まつざき)町・堂ケ島(どうがしま)海岸・トンボロ・土肥(とい)町・戸田(へだ)村

 松崎(まつざき)町は、那賀川河口の港町で、古くから海上交通の要所でした。

 西伊豆町の堂ケ島(どうがしま)海岸は、海食崖、海食洞や奇岩が連なる景勝地で、干潮時に島が陸続きになるトンボロなどがあります。

 土肥(とい)町は、北・東・南の三方を山に囲まれ、北部と南部を二つの川が西流して駿河湾に注ぎます。江戸初期に土肥金山から温泉が湧き、「まぶの湯」と呼ばれました。(「まぶ」については地名篇(その四)の兵庫県の(1)川辺郡のc多田銀山の項を参照してください。)

 戸田(へだ)村は、三方を山に囲まれ、西は駿河湾に面し、砂嘴の御浜崎で囲まれた戸田湾の奥に漁港があります。

 この「まつざき」、「どうがしま」、「トンボロ」、「とい」、「へだ」は、

  「マ・ツタキ」、MA-TUTAKI(ma=white,clear;tutaki=meet,junction)、「清らかな・人が集まる(場所。または物資の輸送中継地。その地域)」

  「タウ(ン)ガ・チマ」、TAUNGA-TIMA(taunga=resting place,anchorage for canoes,fishing ground;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘ったような・休息地(海岸)」(「タウ(ン)ガ」のAU音がOU音に、NG音がG音に変化して「トウガ」から「ドウガ」となった)

  「トヌ・ポロ」、TONU-PORO(tonu=continually,just,immediately;poro=piece of anything cut or broken off short,finished)、「(潮が満ちてくると)たちどころに・(島が陸地と)切り離される(場所)」(「トヌ」が「トン」と、「ポロ」が「ボロ」となった)

  「トヒ」、TOHI(divide,separate)、「(北と南を流れる二つの川によって)二つに分かれている(土地。地域)」(H音が脱落して「トイ」となった)

  「ヘイ・タ」、HEI-TA(hei=tie round the neck,an ornament for the neck;ta=dash,beat,lay)、「首飾り(のような山と砂嘴)が・(湾を)囲んでいる(場所。地域)」(「ヘイ」のI音が脱落して「ヘ」となった)

の転訛と解します。

 

(27)賀茂(かも)郡

 

a賀茂(かも)郡

 古代からの郡名で、伊豆国分立後まもなく賀茂郡を分けたものかと考えられます。伊豆半島南部から南東部に位置し、中世以降は伊豆半島東部も占めたようです。おおむね現在の下田市、賀茂郡東伊豆町、河津町、南伊豆町(西部の一部を除く)の地域です。明治29年那賀郡を編入しました。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「鳥の鴨にちなむ」、「神事を司る賀茂氏またはその賀茂神社にちなむ」などの説があります。

 この「かも」は、

  「カモ」、KAMO(eye,etelash,eyelid)、「まぶたのような(地形の。U字形に連なる天城山脈の外側の。地域)」

の転訛と解します。

 

b下田(しもだ)市・稲生沢(いなうざわ)川・石廊(いろう)崎・河津七滝(かわづななだる)・稲取(いなとり)・熱川(あたがわ)

 下田(しもだ)市は、伊豆半島南東部にあり、稲生沢(いのうざわ)川が下田湾奥の西側に注ぐ河口にある下田港は、江戸と大阪を結ぶ航路の風待港、避難港として重視され、幕末にはペリーが来航して開港場となったことで有名です。市名は、稲生沢の下(しも)手にあり、低田の意味からとする説があります。

 伊豆半島の先端には、高さ100メートルに達する海食崖で囲まれた石廊(いろう)崎があり、「岩群(いわむれ。いわむろ)」からとする説があります。

 伊豆半島東岸の河津(かわづ)町は、中央部を南東流する河津川の上流の天城峠近くに、大小の滝が連続する河津七滝(かわづななだる)があります。

 河津町の北の東伊豆町には、急崖をもつ稲取(いなとり)岬があり、その北には熱川(あたがわ)温泉があります。

 この「しもだ」、「いのうざわ」、「いろう」、「かわづななだる」、「いなとり」、「あたがわ」は、

  「チ・モタハ」、TI-MOTAHA(ti=throw,cast,lay;motaha=be left on one side)、「(下田湾の)一方の側(西側)に・放り出されている(土地。または河口のある場所。その地域)」(「モタハ」のH音が脱落して「モタ」から「モダ」となった)

  「イ・(ン)ガウ・タハ」、I-NGAU-TAHA(i=past tense,beside;ngau=bite,hurt,attack;taha=calabash with a narrow mouth)、「浸食・された・口細の瓢箪のような(平地がある)沢(をもつ。川)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がOU音に変化して「ノウ」と、「タハ」が「サハ」、「サワ」となった)

  「イ・ロウ」、I-ROU(i=past tense,beside;rou=dredge for shellfish,a long stick)、「熊手で貝を掘り・採ったような(岬)」

  「カワ・ツ/ナナ・タ・アル」、KAWA-TU-NANA-TA-ARU(kawa=reef of rocks,channel,passage between rocks and shoals;tu=stand,settle;nana=belonging to;ta=dash,beat,lay;aru=follow,pursue)、「(岩と浅瀬が連続した)川が・流れる(地域)/(その川の)どちらかといえば・勢い良く岩をかみ・次々に渕を形成する(川瀬。河津七滝)」(「タ」のA音と「アル」の語頭のA音が連結して「タル」から「ダル」となった)

  「ヒ(ン)ガ・トリ」、HINGA-TORI(hinga=fall from an errect position,lean;tori=cut)、「切り取られて・絶壁が(海に)落ち込んでいる(岬。その岬がある土地。そこの温泉)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となった)

  「アタ(ン)ガ・ワ」、ATANGA-WA(atanga=beautiful,adorn;wa=definite space,area)、「美しい・場所(地域。そこの温泉)」(「アタ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アタガ」となった)

の転訛と解します。

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23 愛知県の地名

 

(1)尾張(おわり)国

 

 愛知県は、古くは尾張(おわり)国および三河(みかわ)国でした。

 尾張国は、西は伊勢国、西から北は美濃国、東は三河国、南は伊勢湾に臨み、西は木曾川を境として広い沖積平野があり、東はおおむね境川を境として山地・丘陵地です。古くはこの地方最大の規模をもつ熱田の断夫山古墳を造成した尾張国造が統治した地域で、『和名抄』は海部、中嶋、葉栗、丹羽、春部、山田、愛智、智多の8郡を記します。国府・国分寺は中嶋郡(現在の稲沢市)に置かれました。

 『和名抄』は、「乎波里(をはり)」と訓じます。国名は、「大蛇の尾から出た「尾羽張剣(草薙剣)」が奉納された地」とする説、「大和の葛城山は尾根が発達した山で「尾張」と呼ばれており、葛城高尾張邑を本貫としていた尾張連が移住したことによる」とする説、「尾張」は「小治・小墾」で「ヲ(接頭語)・ハリ(開墾地)」の意とする説などがあります。

 この「をはり」は、

  「オワ・リ」、OWHA-RI(owha=oha=great,abundant;ri=screen,protect,bind)、「広い・(交通を)阻害する土地(湿地帯がある。国。地域)」

  または「オ・ハ・リ」、O-HA-RI(o=the place of;ha=breathe;ri=bind)、「呼吸をする(潮の干満に応じて川や湿地帯の水位が上下する)・(交通を)阻害する土地(国。地域)」

の転訛と解します。

 

(2)海部(あま)郡

 

a海部(あま)郡

 古代からの郡名で、平安末期に海東、海西の両郡に分かれ、大正2年に再び海部郡となりました。県の南西部、西は木曾川、北は中島郡・西春日井郡、東は庄内川・福田川を境とし、南は伊勢湾に臨みます。おおむね現在の津島(つしま)市、名古屋市の西部の一部(庄内川右岸)、海部郡の地域です。

 『和名抄』は、「阿末(あま)」と訓じます。郡名は、漁業・航海を中心とした職業的品部に由来するとする説があります。

 この「あま」は、

  「ア・マハ」、A-MAHA(a=the...of,belonging to;(Hawaii)maha=temple,side of the head,gill plate of a fish)、「魚のえらに・あたる(潮の干満によって海水が出入りする。地域)」(「マハ」のH音が脱落して「マ」となった)

の転訛と解します。

 

b津島(つしま)市・巻藁(まきわら)船・車楽(だんじり)船・神守(かもり)町・佐屋(さや)宿・蟹江(かにえ)町

 この地域は、木曾川河口の水路が交錯した低湿地でした。津島(つしま)市は、平安時代末から津島神社の門前町、また伊勢桑名と結ぶ港町として栄えました。

 津島神社の天王祭の宵祭には多くの提灯を飾つた巻藁(まきわら)船5艘が津島楽を奏しながら川を渡御し、翌日の朝祭には屋台に能人形を飾った車楽(だんじり)船6艘が川を渡御することで有名です。

 市東部の神守(かもり)町は、江戸時代宮宿(熱田)と佐屋(さや)宿を結ぶ佐屋(さや)路(宮宿と桑名宿の間の七里渡の海上が荒れたときの迂回路(佐屋川に臨む海部郡佐屋から佐屋川、木曾川を経て桑名までは水上三里渡)の宿場町でした。

 名古屋市に接する蟹江(かにえ)町は、全域が標高0メートル地帯の河川・沼地の多い水郷地帯で、町名はかつて海岸であったころ多くの蟹がいたことによるとされます。

 この「つしま」、「まきわら」、「だんじり」、「かもり」、「さや」、「かにえ」は、

  「ツ・チマ」、TU-TIMA(tu=stand,settle;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘ったような(地形の)場所に・位置している(地域)」

  「マキハ・ラ」、MAKIHA-RA(makiha=insipid;ra=wed)、「風情がない(提灯だけでつまらない)ものが・連なっている(川船)」

  「タ(ン)ギ・チリ」、TANGI-TIRI(tangi=sound,cry;tiri=throw or place one by one,scatter,offering to a god)、「叫び声を・次から次へと上げる(または「声を上げて・神に願い事をする」から転じて「神事として神に奉納する芸能を演じる(天王祭では芸能を演じる代わりに能人形を飾る)」)(山車・川船)」(「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タニ」から「ダン」となった)

  「カ・モリ」、KA-MORI(ka=take fire,be lighted,burn;mori=fondle,caress)、「(旅人を)親切に世話をする・集落(宿場)」

  「タイア」、TAIA(neap of the tide,outer palisade of a stockade)、「海水面すれすれの低い場所(にある宿)」

  「カニ・ヘイ」、KANI-HEI(kani=rub backwards and forwards,saw;hei=go towards,turn towards)、「そこへ向かって・鋸で挽くように(潮の干満によって)海水が出入りする(地域)」(「ヘイ」のH音とI音が脱落して「エ」となった)

の転訛と解します。

 

(3)中嶋(なかしま)郡

 

a中嶋(なかしま)郡

 古代からの郡名で、県北西部、木曾川中流左岸にあり、濃尾平野のほぼ中央に位置し、国府・国分寺が置かれました。対岸は岐阜県羽島市(旧美濃国中島郡)で、おおむね現在の稲沢市、尾西市、一宮市(東部および北部の一部を除く)、中島郡の地域です。

 『和名抄』は、「奈加之万(なかしま)」と訓じます。郡名は、「ナカ(中)・シマ(周囲を水などで囲まれた地)」の意とする説、天正14(1586)年の大洪水によって木曾川がほぼ現在の流路となる前、鵜沼川の支流が二つに分かれ、下流でまた落ち合い、その間の地を中島といっていたことによるとする説があります。

 この「なかしま」は、

  「ナ・アカ・チマ」、NA-AKA-TIMA(na=satisfied,belonging to;aka=clean off,scrape away;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「」

の転訛と解します。

 

b稲沢市稲葉(いなば)・儺追(なお)い祭・起(おこし)町・真清田(ますみだ)神社・祖父江(そぶえ)町

 稲沢(いなざわ)市は、濃尾平野のほぼ中央に位置し、国府・国分寺が置かれました。市名は、美濃路の宿場町であった稲葉(いなば)村と小沢村の合併による合成地名です。国府宮(こうのみや)の大国霊(おおくにたま)神社の厄年の裸の男達がもみあう儺追(なおい)祭が有名です。

 尾西市は、美濃路の渡船場であった起(おこし)町と朝日町が合併した市です。

 一宮市は、真清田(ますみだ)に鎮座する尾張国一宮の真清田(ますみだ)神社の門前町として発展しました。神社には、古代から歴代天皇の尊崇を得、崇峻天皇、白河天皇の御病気を癒したと伝えられる神水があり、庶民の信仰を広く集めていました。

 祖父江(そぶえ)町は、江戸時代に伊勢・美濃と結ぶ渡船場があった場所で、町名は「そぶ水」と呼ばれる赤褐色の水がよどむ入り江が多かったことにちなむという説があります。

 この「いなば」、「なおい」、「おこし」、「ますみだ」、「そぶえ」は、

  「ヒ(ン)ガ・パ」、HINGA-PA(hinga=fall from an errect position,lean,be overcome with astonishment or fear;pa=block up,assault,stockade)、「(洪水で)押し流された・集落(宿場)」

  「ナ・オイ」、NA-OI(na=satisfied,belonging to;oi=shout,shudder,agitate,move continuously as the sea)、「喜んで・(儺追人に触れて厄を落とそうと)もみあう(祭)」

  「オ・コチ」、O-KOTI(o=the place of;koti,kokoti=divide,separate,ambuscade)、「(川によって)切り離された(または渡船が客待ちをしている)・場所」

  「マツ・ミ・タ」、MATU-MI-TA(matu=ma atu=go,come;mi=stream,river;ta=dash,beat,lay)、「(人々が)集散する・・(素晴らしい)飲料水が(湧き出る)・場所がある(土地。地域。そこの神社)」(「マツ」が「マス」と、「タ」が「ダ」となった)

  「トプ・ヘイ」、TOPU-HEI(topu=pair,couple,assembled;hei=go towards,turn towards)、「(起の渡船場と)並んで・(伊勢・美濃へ)向かっていた(渡船場)」

の転訛と解します。

 

(4)葉栗(はくり)郡

 

 古代からの郡名で、県北西部、木曾川中流左岸、中島郡の北にあり、おおむね現在の一宮市の北部、江南市の北西部、葉栗(はぐり)郡木曾川(きそがわ)町の地域です。

 『和名抄』は、「波久利(はくり)」と訓じます。郡名は、「ハ(端)・クリ(川の蛇行)」の意、「ハグ(剥)・リ(接尾語)」で「浸食されやすい自然堤防」の意、「早生の栗が生える地」、「地味の越えた地」などの説があります。

 この「はくり」は、

  「ハ・クリ」、HA-KURI(ha=breathe,sound;(Hawaii)kuli=knee)、「(潮の干満に応じて)水位が上下する・膝頭にあたる(木曾川がこのあたりで西から南へ大きく方向を変える場所。地域)」

の転訛と解します。

 

(5)丹羽(には)郡

 

a丹羽(には)郡

 古代からの郡名で、県の北西部、尾張国の北部に位置し、北は木曾川に臨み、東は山地・丘陵地帯で、おおむね現在の江南市(北部の一部を除く)、一宮市の東部、岩倉市、犬山市、丹羽(にわ)郡の地域です。

 『和名抄』は、「迩波(には)」と訓じます。郡名は、日本武尊の後裔爾波県君が統治したことに由来する、「赤土・粘土」の意、「ニハ(庭)」で「平坦地」の意とする説があります。

 この「には」は、

  「ニワ」、NIWHA(fierce,bravery)、「(山間部を抜けた木曽川の水が)荒々しく襲う(地域)」または「勇敢な(部族が住む。地域)」

の転訛と解します。

 

b犬山(いぬやま)市・小弓(おゆみ)荘・入鹿(いるか)池・江南市古知野(こちの)

 犬山(いぬやま)市は、濃尾平野の北東、木曾川が山岳地帯から平野部に出る渓口にあり、尾張藩の家老成瀬氏の城下町で、木曾川を見下ろす丘上に国宝の犬山(いぬやま)城がそびえます。この地域は、中世の小弓(おゆみ)荘に属しました。市の南東には寛永5(1628)年にそこにあった入鹿村を移転して築いた潅漑用貯水池の入鹿(いるか)池があり、その池畔には明治村ができています。

 江南市の中心の古知野(こちの)は、養蚕と織物業が盛んでした。

 この「いぬ(やま)」、「おゆみ」、「いるか」、「こちの」は、

  「イヌ」、INU(drink)、「水を飲んでいる(山)」

  「オ・イフ・ミ」、O-IHU-MI(o=the place of;ihu=nose,bow of a canoe;mi=stream,river)、「川(木曾川)に・鼻を突き出している・場所(そこの荘園)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユ」となった)

  「イ・ルカ」、I-RUKA(i=past tense,beside;ruka,rukaruka=utterly)、「完璧な(きっぱりと行動する)・性格習慣があった(集落。その集落が完全に移転した跡に造られた池)」

  「コチ・ノホ」、KOTI-NOHO(koti=divide,separate;noho=sit,settle)、「(洪水によって)引き離された・ところに位置している(場所。地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

(6)春部(かすかべ)郡

 

a春部(かすかべ)郡(春日井(かすがい)郡)

 古代から中世の郡名で、県の北部、南西部は庄内川・勝川・五条川・新川の自然堤防と後背湿地からなる平野部、東北部は尾張丘陵に位置し、おおむね現在の小牧市、春日井市、西春日井郡の地域です。古くから春日部郡、日部郡の表記も見られ、中世には春日部郡、春日井(かすがい)郡の表記が並んで行われ、中世末期には山田郡の北部を編入して、近世には春日井(かすがい)郡となり、明治13年には東春日井郡、西春日井郡に分かれています。

 『和名抄』は、「加須我倍(かすかべ)」と訓じます。郡名は、雄略天皇の春日大娘皇女(のちの仁賢天皇皇后)、または仁賢天皇の春日山田皇女(のちの安閑天皇の皇后)の御名代部である春日部が置かれたことによる、「春日(かすが)」地名から(地名篇(その五)の奈良県の(3)奈良のb春日の項を参照してください。)とする説があります。

 この「かすかべ」、「かすがい」は、

  「カ・ツ・カペ」、KATUA-KAPE(ka=take fire,be lighted,burn;tu=stand,settle;kape=pass by,reject,pick out,eyebrow,eyesocket)、「窪地がある(起伏に富む)・居住地が・分布する(地域)」

  「カ・ツ・(ン)ガイ」、KA-TU-NGAI(ka=take fire,be lighted,burn;tu=stand,settle;ngai=dried leaves of flax,tow)、「(麻の下の枯葉のような)山裾にある・居住地が・分布する(地域)」(「(ン)ガイ」のNG音がG音に変化して「ガイ」となった)

の転訛と解します。

 

b小牧(こまき)市・田県(たがた)神社・清洲(きよす)町・五条(ごじょう)川・西枇杷島(にしびわじま)町・小田井(おたい)

 小牧(こまき)市は、名古屋市の衛星都市で、市名は、古代にこのあたりまで入り込んでいた海上で船が帆を巻いたので帆巻(ほまき)といったのが転じた、中世に馬市が開かれたので駒来(こまき)からとする説があります。戦国時代、永禄6(1563)年に織田信長が美濃の斉藤氏攻めの拠点として小牧山城と城下町を築きましたが、翌年岐阜城を攻略した後廃城となり、上街道の宿場町として栄えました。天正12(1584)年には豊臣秀吉と織田信雄(のぶかつ)・徳川家康の小牧・長久手(ながくて)の古戦場となりました。(長久手については、後出の(7)山田(やまた)郡のb長久手の項を参照してください。)

 小牧市の田県(たがた)神社には、大きな陽物を付けた人形の御輿を担ぐ豊年祭が行われることで有名です。

 清洲(きよす)町は、中央を五条(ごじょう)川が流れ、かつて織田信長の清洲城があつた町で、東海道熱田宿と中山道垂井宿を結ぶ美濃路の宿場でした。

 西枇杷島(にしびわじま)町は、庄内川を挟んで名古屋市に接する町で、古くは小田井(おたい)といい、戦国時代には織田氏の小田井(おたい)城があり、慶長19(1614)年に枇杷島青物市が開設され、以来昭和30(1955)年に名古屋市に移転するまで中部日本最大の青果市場として発展してきた町です。

 この「こまき」、「たがた」、「きよす」、「ごじょう」、「びわじま」、「おたい」は、

  「コマ・キ」、KOMA-KI(koma=a kind of stone,spark;ki=full,very)、「正にその・石(田県神社のご神体である石棒がある。地域)」または「石(武器としての石棒(その伝統が「棒の手」となった))が・たくさんある(地域)」または「カウマハキ」、KAUMAHAKI(brace,temporary supports during cobstruction for the horizontal battens in the roof of a house)、「(岐阜城攻めのために築いた)臨時の支柱のような(城および城下町。その土地)」(AU音がO音に変化し、H音が脱落して「コマキ」となった)

  「タ(ン)ガタ」、TANGATA(man)、「男性(男性の象徴を崇める。神社)」(NG音がG音に変化して「タガタ」となった)

  「(ン)ガウ・チホウ」、NGAU-TIHOU(ngau=bite,hurt,attack;tihou=an implement used for cultivating)、「鍬で・掘り進む(川)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ジョウ」なった)

  「キ・イオ・ツ」、KI-IO-TU(ki=full,very;io=muscle,line;tu=stand,settle,fight with,energetic,girdle)、「正に・激しい・川の流れ(がある。場所)」

  「ピハ・チマ」、PIHA-TIMA(piha=yawn,gills of a fish,ripple at the bow or stem of a moving canoe;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「魚のえらのような(潮の干満に応じて海水が出入りする)・掘り棒で(周囲を)掘ったような(地形の土地。地域)」(「ピハ」が「ビワ」となった)

  「オ・タ・ウイ」、O-TA-UI(o=the place of;ta=dash,beat,lay;ui=disentangle,loosen a noose)、「ほどけた輪縄(蛇行する川)が・襲ってくる・場所(地域)」(「ウイ」が「ヰ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)山田(やまた)郡

 

a山田(やまた)郡

 古代から中世の郡名で、尾張国の北東部、春部郡の南、愛智郡の北、東部の山地、丘陵地から流れる庄内川、矢田川、天白川が狭い氾濫平野、池沼と自然堤防を形成している地域で、おおむね現在の瀬戸市、尾張旭市、名古屋市の北部および東部の一部、日進市(南部を除く)、愛知郡長久手町、東郷町の北部の地域です。中世末期には廃郡となり、北部は春日井郡に、南部は愛智郡に編入されました。

 『和名抄』は、「夜万太(やまた)」と訓じます。

 この「やまた」は、

  「イア・マタ」、IA-MATA(ia=current,inceec;mata=deep swamp)、「実に・深い低湿地(地域)」

の転訛と解します。

 

b瀬戸(せと)市・棒の手(ぼうのて)・長久手(ながくて)町・岩作(やざこ)・天白(てんぱく)川・矢田(やた)川・牧野(まきの)池

 瀬戸(せと)市は、名古屋市の北東に位置する古い歴史をもつ窯業都市で、市域の大半をしめる丘陵地から陶土やケイ砂が採掘されます。

 尾張旭(おわりあさひ)市とその周辺および三河国加茂郡などには、古来から自衛のための棒を使う武術である「棒の手(ぼうのて)」が芸能として受け継がれ、無形民俗文化財に指定されています。

 長久手(ながくて)町は、名古屋市に接する尾張丘陵にあり、中心の長湫(ながくて)、岩作(やざこ)地区では、天正12(1584)年に豊臣秀吉と織田信雄(のぶかつ)・徳川家康の小牧・長久手(ながくて)の戦いが行われています。

 日進(にっしん)市から東郷(とうごう)町、名古屋市名東区、天白(てんぱく)区にかけての地域は、天白(てんぱく)川、矢田(やた)川の流域で、牧野(まきの)池、愛知池など多くの池沼がある古くは低湿地であった地域です。

 この「せと」、「ぼうのて」、「ながくて」、「やざこ」、「てんぱく」、「やた」、「まきの」は、

  「タイ・タウ」、TAI-TAU(tai=the coast,tide,wave;tau=ridge of a hill,come to rest,float)、「波のようにうねっている・丘陵(がある。地域)」または「うねる波の・上に漂っている(ような地域)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」から「セ」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「ポウ・(ン)ゴテ」、POU-NGOTE(pou=pole,stake;ngote=suck)、「棒(棒術)を・飲み込む(会得する。修行)」(「(ン)ゴテ」のNG音がN音に変化して「ノテ」となった)

  「(ン)ガ(ン)ガ・クテ」、NGANGA-KUTE(nganga=breathe heavily or difficulty,make a hoarse;kute,kutekute=lazy,confused)、「(地形が)入り乱れて(起伏が激しくて)・息が苦しくなる(場所)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

  「イア・タカウ」、IA-TAKAU(ia=current,indeed;takau=sloping abruptly,steep)、「実に・険しい(場所)」(「タカウ」のAU音がO音に変化して「タコ」から「ザコ」となった)

  「テネ・パク」、TENE-PAKU(tene=be importunate;paku=make a sudden sound,extend,beat)、「しつこく・叩く(洪水を起こす。川)」

  「イア・タ」、IA-TA(ia=current,indeed;ta=dash,beat,lay)、「襲ってくる・川」

  「マキノ」、MA-KINO(ma=for,by way of,in consequence of;kino=bad,ugly,badly behaved))、「嫌がられる振舞い(しょっちゅう洪水を起こす)が・目立つ(池)」

の転訛と解します。

 

(8)愛智(あいち)郡

 

a愛智(あいち)郡

 古代からの郡名で、尾張国東部、伊勢湾に面する地域で、おおむね現在の名古屋(なごや)市(西部から北部の一部(庄内川右岸)、東部の一部(矢田川右岸および天白川流域の北部)を除く)、日進(にっしん)市の南部、豊明(とよあけ)市(南部の一部を除く)、愛知(あいち)郡東郷町の南部、三好町の地域です。中世末期には山田郡は廃郡となり、日進市の北部、長久手町、東郷町の北部の地域は愛智郡に編入されました。

 古くは「あゆち」といい、和銅6年の好字令によって「愛智」の字が用いられるようになったとされます。『和名抄』は、「阿伊知(あいち)」と訓じます。郡名の由来は、「あゆ」は湧き出る意で「湧き水の多いところ」とする説、東風を「あゆ」と訓む(『万葉集』)ところから「めでたいものをもたらす風」の意などとする諸説があります。

 この「あいち」、「あゆち」は、

  「アイ・チ」、AI-TI(ai=beget,procreate;ti=throw,cast,overcome)、「子供を産んで・捨ててある(支流が分かれている。または川の途中に川と連結した池沼がある。地域)」または「アイ・イチ」、AI-ITI(ai=beget,procreate;iti=small,diminutive)、「ほんの小さな・子供を産んでいる(小さな支流が分かれている。または川の途中に川と連結した小さな池沼がある。地域)」(「アイ」のI音と「イチ」の語頭のI音が連結して「アイチ」となった)

  「ア・イフ・チ」、A-IHU-TI(a=the...of,belonging to;ihu=nose,bow of a canoe;ti=throw,cast,overcome)、「あの・鼻(断夫山古墳)が・放り出されている(地域)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユ」となった)

の転訛と解します。

 

b名古屋(なごや)市・熱田(あつた)・蓬莱(ほうらい)島・蓬左(ほうさ)・断夫(だんぷ)山古墳・白鳥(しらとり)古墳(御材木場)・藤前(ふじまえ)干潟

 名古屋(なごや)市は、首都圏、近畿圏に次ぐ中京圏の中心の愛知県の県庁所在市で、市名は、中世の那古屋(なごや)荘の荘園名により、「台地や入り江のなごやかな土地」から、山城に対して麓に置かれた集落を指す「根小屋(ねごや)」の転などの説があります。「なごや」は、熱田(あつた)の別名「蓬莱(ほうらい)島」の左にあることから、別名「蓬左(ほうさ)」とも呼ばれたといいます。

 江戸時代東海道の宿場として栄えた熱田(あつた)には、草薙剣を祀る熱田神宮があり、その傍らに日本武尊の后宮簀姫を葬ったと伝える愛知県最大の全長151メートルの断夫(だんぷ)山古墳があります。

 熱田区白鳥(しらとり)には、全長約70メートルで前方部先端を道路が切り取り、後円部の一部を寺の敷地として切り取った白鳥(しらとり)こふんがあり、またかつては尾張藩の白鳥(しらとり)御材木場があって木曾材の集散地となっていました。

 名古屋港の庄内川と日光川の河口の合流点を藤前(ふじまえ)といい、その地先の藤前(ふじまえ)干潟の干拓計画を巡って自然環境保全を求める民間団体が反対運動を繰り広げています。

 この「なごや」、「あつた」、「ほうらい」、「ほうさ」、「だんぷ」、「しらとり」、「ふじまえ」は、

  「(ン)ガ(ン)ガウ・イア」、NGANGAU-IA(ngangau=disturbance,noise,quarrel;ia=current,indeed)、「川が・障壁になっている(場所。そこに築かれた城)」(「(ン)ガ(ン)ガウ」の最初のNG音がN音に、NG音がG音に、AU音がO音に変化して「ナゴ」となった)

  「アツ・ウタ」、ATU-UTA(atu=to indicate a direction or motion towards,away,forth,to indicate reciprocated action;uta=put persons or goods on board a canoe)、「船着き場に・向かっている(面している。場所。地域)」(「アツ」の語尾のU音と「ウタ」の語頭のU音が連結して「アツタ」となった)

  「ホウ・ラヒ」、HOU-RAHI(hou=tail feather,bind,enter,dedicate a person;rahi=great,abundant)、「羽根が・たくさん(挿してある。美しい。場所)」または「巨大な・(首長を)葬った(古墳がある。地域)」(「ラヒ」のH音が脱落して「ライ」となった)

  「ホウ・タ」、HOU-TA(hou=tail feather,bind,enter,dedicate a person;ta=dash,beat,lay)、「羽根が・挿してある(美しい。場所)」または「(首長を)葬った・(古墳が)置いてある(地域)」

  「タ(ン)ガ・プ」、TANGA-PU(tanga=be assembled;pu=bunch,heap,stack)、「(段のある)丘が・組み合わされた(前方後円の。古墳)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「ダン」となった)

  「チラ・トリ」、TIRA-TORI(tira=file of men,row,lying open;tori=cut)、「(そのの端が)切られていることが・露わになっている(古墳)」または「(材木を定尺に)切って・積み上げる(材木集積場)」

  「フチ・マエ」、HUTI-MAE(huti=pull up;mae=languid,listless,withered)、「高くなった・軟らかい(土質の場所。その地先の干潟)」

の転訛と解します。

 

(9)智多(ちた)郡

 

a智多(ちた)郡

 古代からの郡名で、尾張国の東南部、東部丘陵から南に延びる半島部に位置し、おおむね現在の名古屋市緑区の南部の一部、豊明市の南部の一部、大府市、東海市、知多市、常滑(とこなめ)市、半田市、知多(ちた)郡の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「チ(ツ(港)の転)」から、「ツタ(伝う)の転」で「水が流れ落ちる地、崖」の意とする説があります。

 この「ちた」は、

  「チタハ」、TITAHA(lean to one side,pass on one side)、「(先が)曲がっている(半島)」(H音が脱落して「チタ」となった)

の転訛と解します。

 

b桶狭間(おけはざま)・阿久比(あぐい)町・半田(はんだ)市・衣浦(きぬうら)湾・常滑(とこなめ)市・篠(しの)島・日間賀(ひまか)島

 旧桶狭間(おけはざま)村(現在の名古屋市緑区有松町・豊明市大脇町あたりという伝説が残ります)は、永禄3(1560)年5月19日に織田信長が今川義元を激しい風雨の中で奇襲して敗死させた桶狭間の戦の古戦場です。

 半島の中部東側の阿久比(あぐい)町は、丘陵を貫いて阿久比川が南流します。

 半田(はんだ)市は、衣浦(きぬうら)湾に面して良港があり、海運の拠点となって商工業が発展しました。現在は重要港湾衣浦港の中核をなしています。

 常滑(とこなめ)市は、半島西岸中央部の窯業都市で、丘陵部には古窯跡群が残ります。

 半島の先端、三河湾の入り口に「東海の松島」といわれる篠(しの)島、日間賀(ひまか)島が浮かびますが、これらの島は古代は三河国、中世は伊勢国に属し、近世に入つて尾張国に編入されました。

 この「おけはざま」、「あぐい」、「はんだ」、「きぬうら」、「とこなめ」、「しの」、「ひまか」は、

  「オケ・ハタタ・マ」、OKE-HATATA-MA(oke=struggle,be eager,earth-oven;hatata=blustering;ma=for,by way of,in consequence of)、「風雨を・利しての・戦い(の古戦場。場所)」(「ハタタ」の反復語尾が脱落して「ハタ」から「ハザ」となった)または「オ・ケハ・タマ」、O-KEHA-TAMA(o=the place of,belonging to;keha=pale,stagger;tama=son,child,man)、「(奇襲を受けて)顔面蒼白となった・殿様の・いた場所(古戦場)」(「タマ」が「ザマ」となった)

  「ア・クヒ」、A-KUHI(a=the...of,belonging to;kuhi=thrust in,insert)、「(丘陵の中へ)突き刺している・ような(川。その川の流れる地域)」

  「ハ(ン)ギ・タ」、HANGI-TA(hangi=earth-oven;ta=dash,beat,lay)、「蒸し焼き穴のような窪みに・位置している(港。その港がある地域)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ハニ」から「ハン」となった)

  「キヒ・ヌイ・ウラ(ン)ガ」、KIHI-NUI-URANGA(kihi=cut off,destroy completely,strip of branches etc.;nui=large,many;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「大きく・切れ込んでいる・船着き場(海岸)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」と、「ヌイ」が「ヌ」と、「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウラ」となった)

  「トカウ・ナ・アマイ」、TOKAU-NA-AMAI(tokau=plain,devoid ornament;na=the...of,belonging to;amai=swell on the sea,giddy,dizzy)、「どちらかといえば・膨らんでいて・何も飾りがない(土地。地域)」(「トカウ」のAU音がO音に変化して「トコ」と、「ナ」のA音と「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」なった語頭のA音が連結して「ナメ」となった)

  「チ(ン)ゴ(ン)ゴ」、TINGONGO(cause to shrink,shrivel)、「縮んでいる(島)」(NG音がN音に変化し、反復語尾が脱落して「チノ」から「シノ」となった)

  「アヒ・マカ」、AHI-MAKA(ahi=fire;maka=throw,cast)、「たいまつを・(海に)投げる(大漁を龍神に祈願する竜宮祭の風習がある。島)」(「アヒ」が「ヒ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)参河(みかわ)国

 

 参河(みかわ)国は、愛知県の東半を占め、西は尾張国、北は美濃国、信濃国、東は遠江国に接し、南は三河湾、太平洋に面します。古くは西三河の碧海郡(現安城市付近)を中心とする三河国造および東三河の宝飯郡(現豊川市付近)を中心とする穂(ほ)国造が統治していた地域で、当初の国府は宝飯郡(現豊川市国府町)に置かれました。郡は、はじめ碧海、賀茂、額田、幡豆、宝飫(ほお)、八名、渥美の7郡で、延喜3(903)年宝飫郡の北東部を分けて設楽郡が置かれました。

 『和名抄』は、「三加波(みかは)」と訓じます。国名は、西三河を流れる矢作川を「御河(みかは)」と呼んだことによる、「堺川、矢作川、豊川の三川」から、「ミ(美称)・カハ(川)」で「川のある場所」の意、「ミ(廻)・カハ(川)」で「蛇行した川」の意などの説があります。

 この「みかは」は、

  「ミ・カハ」、MI-KAHA(mi=stream,river;kaha=strong,strength,rope,noose)、「綱のような・川(その川の流れる地域)」

の転訛と解します。

 

(11)碧海(あをみ)郡

 

a碧海(あをみ)郡

 古代からの近代までの郡名で、県のほぼ中央部、境川左岸、矢作(やはぎ)川下流右岸の概して平坦な台地に位置し、南は三河湾に臨みます。近世以降は「へきかい」、「へっかい」と呼ばれました。戦後すべて市域に編入され、郡名は消失しました。おおむね現在の刈谷市、豊田市の南西部、知立市、安城市、高浜市、碧南市、岡崎市の西部の一部の地域です。

 『和名抄』は、「阿乎美(あをみ)」と訓じます。郡名は、「海が深く湾入していたから」、「アヲ(湿地、湖沼、海面、水面)・ミ(ペ(辺。あたり)の転)」の意とする説があります。

 この「あをみ」は、

  「アホ・ミ」、AHO-MI(aho=line,cross threads of a mat,open space;mi=stream,river)、「(縦糸をなす矢作川・境川の間に)横糸をなす・川(が流れる場所。境川の支流が網状に流れる台地。地域)」(「アホ」のH音が脱落して「アオ」となった)

の転訛と解します。

 

b矢作(やはぎ)川・境(さかい)川・刈谷(かりや)市・知立(ちりゅう)市・八つ橋(やつはし)・安城(あんじょう)市

 矢作(やはぎ)川は、木曽山脈南部、恵那郡の阿(あずま)岳に源を発し、愛知県の中央部を南流して、西三河平野を形成し、三河高原を西流する巴川、乙川などの支流を合わせて、三河湾に注ぎます。現在の矢作川下流は、慶長10(1605)年に開削された人工河川です。

 境(さかい)川は、西加茂郡三好町の丘陵に源を発し、尾張国と三河国の境界を流れます。

 刈谷(かりや)市の市名は、亀(かめ)村と呼ばれたこの地に平安時代に移り住んだ狩谷出雲守にちなむ、仮小屋、旅の宿泊所があったからなどの説があります。

 知立(ちりゅう)市は、『和名抄』に「智立」郷がみえ、江戸時代には「池鯉鮒」と書いた交通の要地で、東海道の宿場町として栄えました。市名は、知立神社を建てた伊知理生(いちりゅう)命にちなむという説が有力とされます。『伊勢物語』に出てくる東部のカキツバタの名所八つ橋(やつはし)は、歌枕として知られています。

 安城(あんじょう)市は、矢作川北西岸の洪積台地の中央に位置し、古くは安城ケ原と呼ばれる不毛の台地でしたが、幕末からの計画が実を結んで明治13年に完成した明治用水によって発展しました。市名は、中世の安祥城や、安祥寺荘園によるという説があります。

 この「やはぎ」、「さかい」、「かりや」、「ちりゅう」、「やつはし」、「あんじょう」は、

  「イア・ハ(ン)ギ」、IA-HANGI(ia=current,indeed;hangi=earth-oven,scarf)、「蒸し焼き穴のような場所(窪地、小盆地)を・流れる川」(「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」となった)

  「タカイ」、TAKAI(wrap up,wrap round)、「(地域を)包み込む(ように流れる。地域と地域の境をなす。川)」

  「カリ・イア」、KARI-IA(kari=dig,wound,rush along violently;ia=current,indeed)、「川が・掘るように流れる(場所。地域)」

  「チリ・フ」、TIRI-HU(tiri=throw or place one by one,scatter,offering to a god;hu=swamp,hill)、「沼が・散在している(土地。地域)」

  「イア・ツ・パチ」、IA-TU-PATI(ia=indeed,current;tu=stand,settle;pati=shallow water,shoal,ooze)、「実に・浅い水が・ある(場所)」

  「ア(ン)ガ・チホウ」、ANGA-TIHOU(anga=driving force,thing driven;tihou=an implement used for cultivating)、「鍬を・追い払う(不毛の。台地)」(「ア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「アナ」から「アン」と、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ジョウ」となった)

の転訛と解します。

 

(12)賀茂(かも)郡

 

a賀茂(かも)郡

 古代からの郡名で、県の東北部、矢作川中流に位置する地域で、おおむね現在の豊田(とよた)市(南部の一部を除く)、東加茂郡、西加茂郡の地域です。近世以降は加茂郡と記され、明治13年東加茂郡、西加茂郡に分かれました。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、三河の西北に位置して上の方にあることから上郡の「カミ」が転じた、地形が鴨が翼を張って飛ぶ形に似る、古く大鴨積命が当地を管理していたことによる、郡内の賀茂神社にちなむ、矢作川の川面(かはも)に立地することから「カハモ」が転じたなどの説があります。

 この「かも」は、

  「カモ」、KAMO(eye,eyelid,eyelash)、「まぶたのような(地形の。山田郡との境の猿投山から美濃国との境の山を経て設楽郡との境の寧比曽岳から南へのびる山脈は半月形をなし、その南西のまぶたにあたる。地域)」

の転訛と解します。

 

b挙母(ころも)町・論地(ろんぢ)ケ原・猿投(さなげ)山・足助(あすけ)町・巴(ともえ)川・寧比曽(ねびそ)岳

 豊田(とよた)市は、昭和26(1951)年に挙母(ころも)町が市制を施行し、昭和34年にトヨタ自動車の社名をとって改称したものです。挙母は、江戸時代には矢作川の舟運、中馬の中継地、三河木綿の集散地として栄えた挙母藩の城下町でした。トヨタ自動車は、昭和8年に豊田喜一郎が現在のトヨタ町となる論地(ろんぢ)ケ原を買収して工場建設に着手したのに始まります。

 市の北西の境に猿投(さなげ)山(629メートル)があり、山麓には三河三宮で、武神、農業神として崇拝される猿投神社が鎮座します。この山の中腹には天然記念物の菊石があるほか、陶土となるサバ土(雑楽篇(その二)の901さば(砂婆)の項を参照してください。)が採掘されます。

 足助(あすけ)町は、三河高原に位置し、足助川と巴(ともえ)川の合流点にある足助が中心地で、近世では名古屋と飯田を結ぶ飯田街道と岡崎に至る足助街道の分岐点でした。

 町の東端には、愛知高原国定公園に属する寧比曽(ねびそ)岳(1,121メートル)がそびえます。

 この「ころも」、「ろんぢ」、「さなげ」、「あすけ」、「ともえ」、「ねびそ」は、

  「コロモカ」、KOROMOKA(muzzel,gag)、「(矢作川(の水運)に)口輪(を嵌めたような。地域)」(語尾の「カ」が脱落して「コロモ」となった)

  「ロ(ン)ゴ・チ」、RONGO-TI(rongo=hear,report,fame;ti=throw,cast.overcome)、「(悪い)噂が・流れている(不毛の。原野)」(「ロ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「ロノ」が「ロン」となった)

  「タ(ン)ガ・(ン)ゲ」、TANGA-NGE(tanga=be assembled,row,tier,company of persons;nge=thicket,noise)、「鬱蒼とした・茂み(のある。山)」または「うるさい音をたてる(武術修行をする、または神宮寺でお経を上げる)・人の群れ(がいる。山)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サナ」と、「(ン)ゲ」のNG音がG音に変化して「ゲ」となった)

  「ア・ツケ」、A-TUKE(a=the...of,belonging to;tuke=elbow,angle,nudge)、「肘で突かれている・ような場所(足助川に巴(ともえ)川が真横からぶつかるように合流する。地域)」

  「トモ・ヘイ」、TOMO-HEI(tomo=pass in,enter,assault;hei=at,for,go towards,turn towards)、「(一端後ろへ動いた後)戻ってきて・ぶつかってくる(川。その川の源が発する山)」

  「ネヘ・ピト」、NEHE-PITO(nehe=rafter of a house;pito=end,extremity,navel,at first)、「家のたる木の・最上部のような(尾根が集まった頂点の。山)」(「ネヘ」のH音が脱落して「ネ」となった)

の転訛と解します。

 

(13)額田(ぬかた)郡

 

a額田(ぬかた)郡

 古代からの郡名で、県の中央部に位置し、西は矢作川をはさんで碧海郡、北は郡界川をはさんで賀茂郡、東は設楽郡、南は宝飯郡、幡豆郡と接します。おおむね現在の岡崎(おかざき)市(西部の一部の区域(矢作川右岸)を除く)、額田郡(幸田町の西部の一部の区域を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「奴加太(ぬかた)」と訓じます。郡名は、成務天皇の治世にはじめて郡造となった額田部柱津連にちなむ、水分が一定している田「奴枳(ぬき)田」による、「ヌカ(湿地、沼地)・タ(処)」の意とする説があります。

 この「ぬかた」は、

  「ヌイ・カタ」、NUI-KATA(nui=large,many;kata=opening of shellfish)、「大きな・貝が口を開けたような場所(岡崎平野)がある(地域)」(「ヌイ」の語尾のI音が脱落して「ヌ」となった)

の転訛と解します。

 

b乙(おと)川・男(おと)川・本宮(ほんぐう)山・闇苅(くらがり)渓谷・岡崎(おかざき)市・藤(ふじ)川宿

 郡の中央を巴(ともえ)山水系の乙(おと)川と本宮(ほんぐう)山(789メートル)水系の男(おと)川が流れ、矢作川に合流し、その合流部に複合扇状地である岡崎平野を形成します。(「巴(ともえ)山については、前出の(12)賀茂(かも)郡のb巴(ともえ)川の項を参照してください。)本宮山の北面の男(おと)川の上流は闇苅(くらがり)渓谷の景勝地となっています。

 岡崎(おかざき)市は、岡崎平野の中心に位置し、西三河の経済・文化・交通の中心です。岡崎の名は、三河高原の山地の末端が甲山となって市街地に延びる岡の先端にあることに由来するとされます。古くは矢作(やはぎ)宿(「やはぎ」については、前出の(11)碧海(あをみ)郡のb矢作川の項を参照してください。)と呼ばれ、東海道の宿場町及び矢作川水運の基地として栄えました。藤(ふじ)川宿は、岡崎宿と赤坂宿の間の三河高原の山地の末端を越える坂の上にある静かな宿場町です。

 この「おと(乙・男)」、「ほんぐう」、「くらがり」、「おかざき」、「ふじかは」は、

  「アウト」、AUTO(trailing behind,slow,drag out,protract)、「ゆっくりと流れる(川)」(AU音がO音に変化して「オト」となった)

  「ホ(ン)ゴイ」、HONGOI(brace,stay)、「支柱で支えている(南面に頂上に向かって三つの谷が入り、二本の支柱があるように見える。山)」(OI音がU音に変化して「ホング」から「ホングウ」となった)

  「クラ・(ン)ガリ」、KURA-NGARI(kura=red,ornament with feathers,precious,treasure;ngari=disturbance,greatness,power)、「雄大な(または人の交通を妨げる)・羽根飾りを付けた(美しい。渓谷)」(「(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「ガリ」となった)

  「アウカハ・タキ」、AUKAHA-TAKI(aukaha=lash the bulwark to the body of a canoe;taki=take to one side,track,lead)、「周囲に塁壁を巡らしたような岡(岡崎城が築かれた矢作川と乙川の合流点の岡)の・付近を巡る(土地。地域。そこの宿場)」(「アウカハ」のAU音がO音に、H音が脱落して「オカ」」となった)

  「フチ・カハ」、HUTI-KAHA(huti=pull up,fish with a line;kaha=calabash)、「(標高が)高くなっている・口細の瓢箪のような(地形の。土地。そこの宿場)」

の転訛と解します。

 

(14)幡豆(はず)郡

 

a幡豆(はず)郡

 古代からの郡名で、県の南部、西・北端は矢作川を境とし、東端は木曾山系の支脈、幡豆山塊の丘陵が北から南に連なり、南は三河湾に臨みます。おおむね現在の西尾(にしお)市、幡豆郡、額田郡幸田町の西部の一部の区域の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、式内社幡頭(はず)神社にちなむ、『和名抄』の礒泊(しはと)郷から「ハト」、「ハズ」に転じた、「外れの地」、「停泊地」、「ハツリ(削り)」の転で「崖地」の意などの説があります。

 この「はず」は、

  「ハ・ツ」、HA-TU(ha=breath;tu=stand,settle)、「呼吸する土地(潮の干満によって海水が出入する河口の低湿地)に・位置する(地域)」

  または「パツ」、PATU(screen,wall)、「衝立(のような山。三ケ根(さんがね)山)がある(地域)」(P音がF音を経てH音に変化して「ハツ」から「ハズ」となった)

の転訛と解します。

 

b西尾(にしお)市・平坂(へいさか)・一色(いしき。いっしき)町・吉良(きら)町・饗庭(あえば)・三ケ根(さんがね)山

 西尾(にしお)市は、岡崎平野の南部、矢作川下流左岸に位置し、江戸時代は西尾藩の城下町として栄え、岡崎、吉田(現在の豊橋市)とともに三河三都と称されました。平坂(へいさか)は矢作川水運の拠点でした。

 一色(いしき。いっしき)町の町名は、公事を免除され年貢だけを負担する中世の一色田制度によるとされます。

 吉良(きら)町の町名は、雲母(きらら)の産地であったからとされます。饗庭(あえば)塩の産地として知られる『忠臣蔵』で有名な吉良上野守義央の領地です。

 郡の東南には、眺望の良い三ケ根(さんがね)山(326メートル)があります。

 この「にしお」、「へいさか」、「いしき。いっしき」、「きら」、「あえば」、「さんがね」は、

  「ヌイ・チオ」、NUI-TIO(nui=large,many;tio=rock-oyster)、「巨大な・岩牡蠣のような(土地。地域)」(「ヌイ」のUI音がI音に変化して「ニ」となった)

  「ヘイ・タカ」、HEI-TAKA(hei=at,for,go towards,turn towards;taka=fall off,fall away,turn on a pivot,go or pass round)、「(荷物を)下ろして・戻る(場所。船着き場)」

  「イ・チキ」、I-TIKI(i=past tense,beside;tiki=a post to mark a place which was TAPU,a flat grotesque figure of greenstone worn on a string round the neck)、「(立入り、漁猟等が禁止される)禁忌の場所・一帯(地域)」または「(年貢以外の課役の徴収が)禁止される場所・一帯(地域)」

  「キ・ラハ」、KI-RAHA(ki=full,very;raha=open,extend)、「十分に・開けた(土地。地域)」(「ラハ」のH音が脱落して「ラ」となった)(なお、「きらら(雲母)」は、「キ・ララ」、KI-RARA(kifull,very;rara=be scattered,stampede,effect,repercussion)、「たくさん・光りを反射する(鉱物。雲母)」と解します。)

  「アヘイ・パ」、AHEI-PA(ahei=able,collar-bone,a method of holding the spear against the collar-bone as a guard;pa=stockade)、「(番兵が)槍を交差して警備をしている・(柵を巡らした)集落(警備の厳重な・集落。その集落のある地域。そこで生産された塩)」(「アヘイ」のH音が脱落し、EI音がE音に変化して「アエ」となった)

  「タ(ン)ガ・ネヘ」、TANGA-NEHE(tanga=be assembled;nehe=rafter of a house)、「たる木を・集めて組み合わせたような(山)」(「タ(ン)ガ」が「サンガ」と、「ネヘ」のH音が脱落して「ネ」となった)

の転訛と解します。

 

(15)寶飯(ほい)郡

 

a寶飯(ほい)郡

 古代からの郡名で、県の南東部、西は三河山地によって幡豆郡、額田郡、北は設楽郡に接し、東は豊川によって八名郡、渥美郡と隔てられ、南は渥美湾に面しています。おおむね現在の豊川市、蒲郡市、豊橋市の北西部の一部の区域、宝飯郡の地域です。穂(ほ)の国名から、はじめ宝飫(ほお)郡と称し、延喜3(903)年宝飫郡の北東部を分けて設楽郡が置かれ、のち「飫」字の誤記から宝飯(ほい)郡と称されるようになったといいます。

 『和名抄』は、「穂(ほ)」と訓じます。郡名は、「ホ(秀)」で「すぐれた国」の意からとする説があります。

 この「ほ」、「ほい」は、

  「ホホ」、HOHO(standing out,prominent)、「卓越した(地位にある。国府が所在する。地域)」(語尾のH音が脱落して「ホオ」から「ホ」となった)

  「ホイ」、HOI(lobe of the ear)、「耳たぶ(のような形をした遠望峰(とおね)宮路山県立自然公園)がある(地域)」

の転訛と解します。

 

b豊川(とよかわ)・御油(ごゆ)・一宮(いちのみや)町・砥鹿(とが)神社・遠望峰(とおね)山・宮路(みやじ)山・旧蒲形(がまがた)村

 豊川(とよかわ)市は、東三河の中心地で、豊川右岸の洪積台地東部に位置し、市名は豊川に由来します。豊川地区は豊川稲荷の門前町、御油(ごゆ)は東海道と姫街道(本坂街道)の分岐点の宿場町として栄えました。

 一宮(いちのみや)町の町名は、本宮(ほんぐう)山山頂(前出の(13)額田(ぬかた)郡のb本宮山の項を参照してください。)に奥宮を残して701年に山麓に遷座した三河国一宮の砥鹿(とが)神社に由来します。 蒲郡(がまごおり)市は、背後を三河高原末端部の遠望峰(とおね)山(412メートル)、宮路(みやじ)山(362メートル)などの山地に囲まれ、明治21(1888)年の東海道線開通を契機に工業が発展し、鉄道唱歌に海岸の美しさが歌われ、港が国際貿易港となって観光・港湾都市として発展しました。その市名は、明治11(1878)年に西郡(にしのこおり)村と蒲形(がまかた)村が合併して蒲郡村となり、昭和29(1954)年に周辺町村と合併して市制を施行したことによります。

 この「とよかわ」、「ごゆ」、「とが」、「とおね」、「みやじ」、「がまがた」は、

  「ト・イオ・カハ」、TO-IO-KAHA(to=drag;io=muscle,line;kaha=strong,strength,rope,noose)、「(強い力で)引っ張る・綱のような・川(その川が流れる地域)」

  「(ン)ガウ・イフ」、NGAU-IHU(ngau=bite,hurt,attack;ihu=nose)、「鼻(のような丘)が・食いちぎられている(場所)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「イフ」のH音が脱落して「ユ」となった)

  「ト(ン)ガ」、TONGA(south,blemish on the skin,wart)、「(本宮山の)南にある(神社)」(「」の音が音に変化して「」となった)

  「タウホネホネ」、TAUHONEHONE(snatch or pull from one another)、「他の(一列に並んだ)山からこの山だけ一つが引き離されている(山)」(AU音がO音に変化し、反復語尾の「ホネ」が脱落して「トホネ」となった)

  「ミヒ・イア・チ」、MIHI-IA-TI(mihi=greet,show itself;ia=indeed,current;ti=throw,cast,overcome)、「実に・自分を見せつける(誇示する、目立たせる)ように・放り出されている(山)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「(ン)ガ・マ(ン)ガ・タ」、NGA-MANGA-TA(nga=the,satisfied;manga=branch of a tree or a river;ta=dash,beat,lay)、「満足している(ゆったりとしている)・(本村から)分村して・居着いた(集落。村)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」と、「マ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「マガ」となった)

の転訛と解します。

 

(16)設楽(したら)郡

 

a設楽(したら)郡

 古代からの郡名で、県の北東部に位置し、西は賀茂郡、額田郡、北は美濃国、信濃国、東は八名郡、南は宝飯郡に接しています。おおむね現在の新城市の北西部(豊川右岸)、南設楽郡(鳳来町の南東部(豊川左岸)を除く)、北設楽郡の地域です。明治11年に南設楽郡、北設楽郡に分かれています。

 『和名抄』は、「志太良(したら)」と訓じます。郡名は、「穂の垂(しだ)る郡」から、この地が豊穣で万事充足している「シ(発語)・タル(足る)」から、新羅(しんら)人が住んでいたので「シンラ」の転、羊歯(しだ)が生い茂っていた「シダ原」から、麻織物の古語「シトリ(シドリ)」の転、「シダ(垂る)・ラ(接尾語)」で「崖地」の意とする説があります。

 この「したら」は、

  「チ・タラ」、TI-TARA(ti=throw,cast,overcome;tara=point,peak of a mountain,wane of the moon)、「峰々(山地)が・(乱雑に)放り出されている(地域)」

  または「チタラ」、TITARA(a framework of sticks for supporting bundles of fern root,etc.)、「檻(おり)のような(または檻に詰め込まれた山々がある。地域)」

の転訛と解します。

 

b段戸(だんど)山・宇連(うれ)川・茶臼(ちゃうす)山・鳳来寺(ほうらいじ)山・寒沙(かんさ)川・長篠(ながしの)

 北設楽郡設楽町西部の段戸(だんど)山(1,152メートル)は、900メートル級の峰20近くを集めた山塊の主峰で、その東面からは豊川が源を発し、南流して三河湾に注ぎます。豊川の中・下流とその支流宇連(うれ)川は、中央構造線に沿う断層線谷です。また西面からは矢作川が源を発しています。

 北設楽郡豊根(とよね)村の茶臼(ちゃうす)山(1,415メートル)の山麓には天竜奥三河国定公園の茶臼山高原が広がります。

 南設楽郡鳳来(ほうらい)町の町名は、鳳来寺(ほうらいじ)山(684メートル)にちなみます。宇連川と寒沙(かんさ)川の合流点の長篠(ながしの)は、天正3(1575)年に武田軍と織田・徳川連合軍の長篠の戦いの古戦場です。

 この「だんど」、「うれ」、「ちゃうす」、「ほうらいじ」、「かんさ」、「ながしの」は、

  「タ(ン)ガ・ト」、TANGA-TO(tanga=be assembled;to=drag)、「引っ張る(源を発する)川が・集まっている(豊川・矢作川などの水源地帯となっている。山)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「ダン」となった)または「タ・(ン)ゴト」、TA-NGOTO(ta=dash,beat,lay;ngoto=head)、「浸食された・頭のような(山)」(「(ン)ゴト」のNG音がN音に変化して「ノト」から「ンド」となった)

  「ウレ」、URE(man,male,courage)、「男性的な(川)」

  「チア・ウツ」、TIA-UTU(tia=peg,adorn by sticking feathers,abdomen;utu=spur of a hill,front part of a house)、「羽根で飾った(美しい)・山の峰」

  「ホウ・ラヒ・チ」、HOU-RAHI-TI(hou=tail feather,dedicate or initiate a person,make an offering of hair for above purpose;rahi=great,abundant,numerous;ti=throw,cast,overcome)、「多数の・羽根で飾られた(非常に・美しい)・放り出されている(山)」

  「カ(ン)ガ・タ」、KANGA-TA(kanga=curse,abuse;ta=dash,beat,lay)、「呪うように・襲ってくる(川)」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」から「カン」となった)

  「(ン)ガ(ン)ガ・チノ」、NGANGA-TINO(nganga=breathe heavily or with difficulty,make a hoarse noise;tino=main,essentiality)、「(川が)うるさい音を立てる・(その地域の)中心の(場所。地域)」

の転訛と解します。

 

(17)八名(やな)郡

 

a八名(やな)郡

 古代から近代の郡名で、県の東部、西は豊川、東は赤石山脈、南は朝倉川に囲まれた南北に細長い地域です。おおむね現在の新城市(北部の一部(豊川右岸)を除く)、豊橋市の北東部(朝倉川右岸)、宝飯郡一宮町の東部の一部(豊川左岸)、南設楽郡鳳来町の東南部(豊川左岸)の地域です。明治11年に南設楽郡、北設楽郡に分かれ、その後郡域の町村の市・他郡町村との合併で昭和31年に八名郡は消滅しました。

 『和名抄』は、「也奈(やな)」と訓じます。郡名は、「八名部」という部民の居住地、「簗(やな)場」からとする説があります。

 この「やな」は、

  「イアナ」、IANA((Hawaii)owl)、「梟(ふくろう)が棲息する(地域)」(鳳来寺山に棲息するコノハヅク(ブッポウソウ)は、古くはこのあたり一帯に多数棲息していたものでしょう。)

の転訛と解します。

 

b多米(ため)峠・本坂(ほんざか)峠・宇利(うり)峠・瓶割(かめわり)峠

 当郡は、遠江国とは多米(ため)峠、本坂(ほんざか)峠(姫街道)、宇利(うり)峠、瓶割(かめわり)峠などで結んでいました。

 この「ため」、「ほんざか」、「うり」、「かめわり」は、

  「タ・アマイ」、TA-AMAI(ta=dash,beat,lay;amai=swell on the sea)、「海のうねりが・崩れたような(地形の場所にある。峠)」(「タ」のA音と、「アマイ」の語頭のA音が連結し、AI音がE音に変化して「タメ」となった)

  「ホ(ン)ガ・タカ」、HONGA-TAKA(honga=tilt,make to lean on one side;taka=heap,lie in a heap)、「一方に向かって傾斜している・高い(場所にある。峠)」(「ホ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ホナ」から「ホン」となった)

  「ウリ」、URI(dark,deep in colour)、「(昼も)暗い(峠)」

  「カメ・ワリ」、KAME-WARI(kame=eat,food;wari=watery)、「(喉が渇いて)水気のあるものを・食べずにはいられない(峠)」

の転訛と解します。

 

(18)渥美(あつみ)郡

 

a渥美(あつみ)郡

 古代からの郡名で、県の南東端、渥美半島と豊川河口部の沖積平野(朝倉川左岸)に位置します。おおむね現在の豊橋市(北東部(朝倉川右岸)を除く)、渥美郡の地域です。

 『和名抄』は、「阿豆美(あつみ)」と訓じます。郡名は、阿曇(あずみ)連に由来する、「アツ・アヅ(崖)・ミ(辺、あたり)」の意とする説があります。

 この「あつみ」は、

  「アツ・ミ」、ATU-MI(atu=to indicate a direction or motion onwards,away,forth,to indicate reciprocated motion;mi=stream,river)、「川(豊川)の流れが目指していた・方向に延びている(地域)」

の転訛と解します。

 

b飽海(あくみ)・吉田(よしだ)・高師(たかし)原・天伯(てんぱく)原・田原(たはら)町・赤羽根(あかばね)町・伊良湖(いらご)岬

 豊橋(とよはし)市は、愛知県の東端で、市名は市内を流れる豊川にかかる豊橋によります。古代は飽海(あくみ)、中世は今橋(いまはし)、近世以降は吉田(よしだ)と呼ばれていました。市の南部には、高師(たかし)原、天伯(てんぱく)原の洪積台地が広がり、数十米の海食崖によって遠州灘に面しています。

 半島西側中央には江戸時代田原藩の城下町であった田原(たはら)町があり、東側には片浜十三里といわれる断崖の続く海岸をもつ赤羽根(あかばね)町があり、半島の先端には伊良湖(いらご)岬があります。

 この「あくみ」、「よしだ」、「たかし」、「てんぱく」、「たはら」、「あかばね」、「いらご」は、

  「アク・ミ」、AKU-MI(aku=scrape out,cleanse;mi=stream,river)、「川が・洗い流した(場所。地域)」

  「イオ・チタハ」、IO-TITAHA(io=muscle,line;titaha=lean to one side,pass on one side)、「縄(のような川)が・脇を流れている(場所。地域)」

  「タ・カチ」、TA-KATI(ta=dash,beat,lay;kati=leave off,be left in statu quo)、「叩かれて(浸食されて)・放置されている(原野)」

  「テネ・パク」、TENE-PAKU(tene=be importunate;paku=make a sudden sound,extend,beat)、「しつこく・叩かれた(浸食された。原野)」(前出(7)山田郡のb天白(てんぱく)川の項を参照してください。)

  「タハ・ラ」、TAHA-RA(taha=calabash with a narrow mouth;ra=wed)、「口細の瓢箪(のような平地)が・繋がっている(土地。地域)」

  「ア・カパ・ネイ」、A-KAPA-NEI(a=the...of,belonging to;kapa=rank,row,stand in a row or rank;nei=to denote proximity,to indicate continuance of action)、「(砂丘が)列をなして・ずっと・延びている(地域)」

  「イ・ラ(ン)ゴ」、I-RANGO(i=past tense,beside;rango=roller upon which a heavy body is dragged)、「重いローラーをかけるような(力強いゆっくりとした)潮流が流れる・(場所。海峡の)そばにある(岬)」(「ラ(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「ラゴ」となった)

の転訛と解します。

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<修正経緯>

1 平成14年9月15日 岐阜県の(9)席田(むしろた)郡の解釈を修正しました。

2 平成15年1月1日  岐阜県の(19)のbに「阿木(あぎ)川」を追加しました。

3 平成15年8月1日  愛知県の(9)のbの「桶狭間」の解釈を一部追加しました。

4 平成16年12月1日

 岐阜県の(4)不破郡の伊吹山の別解釈を追加、(7)大野郡の谷汲町の解釈を一部修正、(9)席田郡の解釈を修正、(14)武儀郡の板取川およびヒンココ祭りの解釈を修正、(15)郡上郡の毘沙門岳の解釈を補充、(22)益田郡の解釈を修正し、

 静岡県の(23)駿河郡の沼津の別解釈を追加し、

 愛知県の(5)丹羽郡の別解釈を追加、(6)春部郡の小牧の別解釈を追加、(13)額田郡の暗苅渓谷の解釈の一部を修正、「きらら(雲母)」の解釈を追加しました。

5 平成17年6月1日 

 愛知県の(1)尾張国の解釈を修正しました。

6 平成17年10月1日

 岐阜県の(14)武義郡の板取川の項中の虎杖の解釈の一部を修正、静岡県の(18)益頭郡の小川湊の読み(おがわ→こがわ)と解釈および石花海の解釈を修正しました。

7 平成17年12月25日

 岐阜県の(17)の可児市の項中JR大多線を太多線に訂正しました。

8 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

9 平成19年6月1日 

 岐阜県の(21)大野郡のbの白川村の解釈を一部修正しました。

10 平成22年12月1日

 岐阜県の(2)多芸郡のb養老の滝の解釈の一部を修正しました。

11 平成24年10月1日

 愛知県の(14)幡豆郡のb西尾市の項の吉良町の注の「きらら(雲母)」の解釈を修正しました。

12 平成26年8月1日

 愛知県の(3)中島郡のbの真清田神社の解釈を修正しました。

13 平成27年8月5日

 岐阜県の(1)美濃国の解釈を修正しました。

地名篇(その十七)終り


U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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