バートリの秘法

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チェイテ・ビル7階
キーパー:翌日、時間になったらチェイテ・ビルへ向かうということで。
泰野教授:そうですね。バスとかが通っているのかな?
キーパー:学生向けの安いマンションがあったりするので、バスは通っているでしょう。そこから少し歩けば行ける距離ですね。チェイテ・ビルは7階建てのビルです。入り口にはビル名が掲げられていますが、「ェ」の部品が落ちてしまって「チ イテ・ビル」になってしまっています。入り口には「関係者以外立入禁止」の札が下がっています。
泰野教授:まぁ、そうだよね。大丈夫なのか?(笑) エレベーターとか動いているのかな? ……厳しいよね。階段を上がっていきますけど。
キーパー:最上階の7階に着くと、いくつか部屋があるのですが、その内の一室から弱いながらも蛍光灯の光が漏れています。他の部屋にはまったくひと気がありません。
泰野教授:7階まで階段を上がって来てゼェゼェ言いながらその部屋へ向かいます。
キーパー:そこは、おそらくかつてはフィットネス・ジムか何かが入っていたと思しき部屋です。壁に大きな鏡が張られていますが、その大半は割れ落ちてしまっています。当然、フィットネス・マシンなどはすべて撤去されてしまっていますが、部屋の真ん中に折り畳み式の会議テーブルが1つと、3脚のパイプ椅子が置かれています。蛍光灯が2つほど点灯していて、それはどうやら新しく取り付けられたものであるらしく、白い煌々とした光を放っています。
泰野教授:ここが彼女の動画が撮られた場所かな?
キーパー:その可能性が高いですね。さて、椅子の1つに女性が座っています。「泰野加代子先生ですか?」と言って立ち上がると、近づいてきて名刺を差し出してきます。
泰野教授:え? エリザじゃない?
羽場塚ありすキーパー:エリザではありません。名刺には「EBコスメティック社販売員 羽場塚ありす」と書かれています。
泰野教授:ああ、はいはいはい。こちらも名刺を出して交換します。
キーパー:(羽場塚)「本日は葉鳥エリザさんがこちらで配信用動画の撮影をするとのことですので、私の方で資材の提供をさせていただきます」 羽場塚の座っていた椅子のそばにはキャリーバッグが置かれています。
泰野教授:「なるほど、撮影のスタッフさんなんですね」
キーパー:(羽場塚)「スタッフと言っても、化粧品とドリンクの提供くらいしかすることはないのですが」
泰野教授:スポンサーさん的な人か。
キーパー:テーブルの上にはいくつかの化粧品の瓶と、ドリンクが入っていると思しき小さなポット、紙コップなどが置かれています。
泰野教授:葉鳥エリザ自身はいないんだ?
キーパー:まだいないですね。(羽場塚)「エリザさんが来るまで待ちましょう」と言って羽場塚は座っていた椅子に戻ります。しばらく二人きりの気詰まりな時間が流れます。
泰野教授:「……そういえば、こちらの商品ってどこで購入できる物なんですか? その辺を少し調べたのですが分からなくて」
キーパー:(羽場塚)「当社の製品は特別に選ばれた方のみにしか提供しておりません」
泰野教授:「紹介があった人オンリーってことですか?」
キーパー:(羽場塚)「これから規模が大きくなればCM等も打っていきたいと考えております」
泰野教授:厳密な意味での口コミのみ、業界人御用達みたいなものか。そういうブランディングもありなのかな? とっても割に合わない気はするけど、そこまで突っ込むのはやめておこう。「拝見して良いですか?」と言って置かれている化粧品を手に取ってみますけど。
キーパー:ブランドのイメージ・カラーが赤なのでしょう、ボトルはどれも暗い赤色をしています。
泰野教授:ほほう。化粧品で赤は割と珍しいかな? 「……お値段とか、どれくらいなんですか?」
キーパー:(羽場塚)「実は、意外とします。意外と」
泰野教授:どっちに“意外と”なんだ(笑)。「お高いイメージがあるんですけど……」
キーパー:(羽場塚)「お値段の方ははっきりとはまだ言えないんですけど、結構、意外と」(笑)
泰野教授:(笑)
キーパー:(羽場塚)「販路が確保できて、一般販売できる目途が立ったら、需要と供給のバランスを見て公表していく方針です。ですので、今言えるのは、まぁ、結構、意外と」
泰野教授:(笑)


エリザのガレージコスメ
キーパー:そんなこんなで、午後3時頃になってようやくエリザが姿を見せます。
泰野教授:遅っ!
キーパー:(エリザ)「先生、羽場塚さん、ゴメン! ちょっと遅れちゃった! 実は友達とランチしてたら盛り上がっちゃって、気がついたらこんな時間だった! 超ウケるんだけど!!」 タピオカミルクティー飲みながらそんな言い訳をします。
泰野教授:(苦笑)。「……とりあえず、いつから始めるの?」
キーパー:彼女は特に発表の資料などは持参している風もなく、自分のスマホを録画モードにするとテーブルの端にあるスタンドにセットしました。そして「じゃあ、始めますね」も言わずに「エリザのガレージコスメ~!」とタイトルコールをします。
泰野教授:お遊戯会か!
キーパー:(エリザ)「今日はゲストとして國史院大学民俗学部教授の泰野先生が来てくれていま~す! アシスタントはいつもの羽場塚さんがいま~す!」
泰野教授:「え! 私も出るの!?」 ちょっとキョドりながら。
キーパー:(エリザ)「もしアレなら、後で顔にモザイク入れるか、野獣先輩の顔をコラしておきますよ」
泰野教授:「……じゃあ、モザイクにしてちょうだい」
キーパー:既に「國史院大学の泰野教授」って言っちゃってるから意味ないですけどね(笑)
泰野教授:確かに(笑)
キーパー:(エリザ)「いつも通りアロマを焚きま~す。リラックス効果がありま~す。羽場塚さん、ドリンクの用意をお願いしま~す」 ドリンクは美容効果のあるプロテインだそうです。
泰野教授:ああ~。流行のやつ。
キーパー:(羽場塚)「フレーバーはどうしますか?」 紅茶とコーヒーとくさやがあるそうです。
泰野教授:「……じゃあ、くさやで」
キーパー:(羽場塚)「フレーバーは自分で入れてください」と言って、テーブルの上をシャーッと滑らせて容器を渡してきます(笑)。ちなみに、エリザはキャラメルコーヒーのフレーバーを選んでいます。(エリザ、羽場塚)「くさやとか……(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」と陰口叩かれてます(笑)
泰野教授:なるべく臭いが2人に届くようにフレーバーを入れます。
キーパー:(エリザ)「研究成果の実演はリラックス・タイムの後で~す。先生もリラックスしてくださいネ!」 準備が終わると、羽場塚ありすは窓際に椅子を持って行って、背景に少し映る程度に位置を変えます。
泰野教授:既にある動画にも羽場塚ありすは映っていた?
キーパー:そうですね。アシスタント的な存在がいるのは感知できていました。なるべく映らないようにするでもなく、かといって積極的に存在をアピールするでもなく、適当に見切れたり、手だけが画面端から映り込んできたりと、気を使っている様子はありません。
泰野教授:そうなのか。ユルいなぁ。
キーパー:エリザはバッグから本を取り出すと、椅子に座ってそれを読み始めます。
泰野教授:「え!? 商品の紹介とかしなくても良いの?」
キーパー:(羽場塚)「それもすべてリラックス・タイムが終わってからやりますので。先生も良かったら読書はいかがですか?」と言って、羽場塚が一冊の本を差し出してきます。本のタイトルは『行星史』
泰野教授:「はぁ……」(本を受け取る仕草)開いて見てみますけど。
キーパー:17世紀にドイツで刊行された天文学と占星術に関する書物の翻訳らしいですね。原題は『Die Geschichte den Planeten(ディー・ゲシヒテ・デン・プラネテン)』。著者はエーベルハルト・ケツァーという人物です。
泰野教授:個人的には非常に興味深い書物ではあるけれど……。ちなみにエリザは何を読んでいるの?
キーパー:エリザは『血の伯爵夫人』というタイトルの文庫を読んでいます。
泰野教授:それはリラックスできる本なのか!?(笑) まぁ、勧められたのでとりあえずは『行星史』を読んでみますけど。
キーパー:内容ですが「学術としてはちょっとエキセントリック過ぎない?」というものです。印象に残ったのは、以下の個所です。

 ヴェストファーレンに住んでいた兄弟が「神の御使い」によって眠らされ、同じ奇妙な夢を見た後に目を覚ますと、互いの両目と両手が入れ替わっていることに気づいた。兄弟は村の司祭にこの出来事を話して証明しようとしたが、両目は生まれつき同じ色だったので証明にはならない。しかし、兄は事故で指を一本失い、さらにもう一本の指の第一関節から先を失っていたが、その両手が完全なものに戻っていた。一方、弟は手に怪我をしたことなどないにもかかわらず、指一本と、もう一本の指の第一関節から先がなくなっていた。

泰野教授:……随分と変わった……17世紀の書物とはいえ、結構オカルト系の文献っぽいなぁ。
キーパー:その個所を切り取ってみれば、天文学と占星術というよりも、ギリギリ民俗学に近い記述だよなぁってのはあります。


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