
キーパー:数日後、多賀さんから電話がかかってきます。「香炉の件、いかがでしょうか?」
泰野教授:「OKが出ています。そちらもご多忙でしょうから、日程についてはこちらである程度ご要望に応えられると思います」
キーパー:(多賀)「そうですか! 恐れ入ります。それでは、えーと……」電話の向こうから古式ゆかしく手帳をめくる音が聞こえてきます。「なにぶん北始が一刻も早く見たいと言っておりますので……明後日ではいかがでしょうか?」
泰野教授:ずいぶん急だな!「ま、まあ、大丈夫だと思います」
キーパー:約束の日になりました。事務所に来訪したのは5人です。村雨先生はさすがに写真で見たことがありますので、誰が北始成武かは一目で分かります。
村雨:(小声で)「……右から3人目ですよ!」
泰野教授:(笑)
キーパー:やって来たうちの1人が紋付袴、恰幅が良く貫禄がある禿頭の老人で、「この中で会長といえばこの人だよな」と思います。紋付には陰陽六つ星の紋がついています。北始成武は杖をついてはいますけど、それに縋るような様子はありません。精力が漲っているのが見て取れます。
村雨:例の薬をキメているという噂は本当かもしれませんな。
泰野教授:なるほどね。丁重にお迎えします。
キーパー:同行者が4人いますが、会長のお側に仕えるのは分かりやすく大男と小男です。小柄な中年男性の方が会長第1秘書の多賀紋治で、大柄な方が第2秘書の増井永吉です。秘書たちの後ろにいるスーツ姿の初老の男性が北始製薬の広瀬杢造社長です。もう1人の青年が持田邦光副社長です。
佐山:社長と副社長は存在感が薄そうですね(笑)
泰野教授:同族経営じゃないのか。
宇乃:すごいね。会長が死んじゃったらどうするんだろう?
村雨:だから、“死なない”んじゃないですか?(笑)
キーパー:一通りの挨拶が済むと、「では、早速……」と多賀が促して香炉を見せることになります。
泰野教授:「こちらになります」といって恭しく手渡します。
キーパー:それを見ると北始成武は「フーム!」と声を上げつつ息を飲み、食い入るように香炉を見つめます。彼からは興奮している自分を抑え込もうとしている様子がうかがえます。その後、「ふぅーーーーー……」と息を吐くと、「どうやら、こちらの協会のスポンサーとなる必要があるようだ。ずいぶんと長い間、儂はこれを探していた。実は、若かりし頃、儂はこれを見たことがある」と言います。
泰野教授:「え!? そ、それはどちらで?」
キーパー:(北始成武)「忘れもしない、あれは上海でのことだった。とある裕福な中国人が所持していたのを見せてもらったことがある。その時に儂はこの香炉の美しさに魅せられたのだ」
宇乃:上海租界の時代ですかね?
村雨:長寿の噂が本当なら、その可能性もありますね。
キーパー:(北始成武)「それから間もなく上海は戦火に巻き込まれ、香炉の所有者も戦禍で亡くなり、家財は散り散りになってしまった。儂はそれ以来、戦火に失われてしまったかもしれないその香炉を、一縷の望みをかけて、ずっと探し求めてきたのだ。そして探し求める過程でこの香炉について調べ、それが道教のある宗派が儀礼に用いる祭祀用具であることを突き止めた」
泰野教授:「そうですか。香炉が入っていた桐箱には“陽勝香炉”と書かれていたのですが、それについては何か心当たりがおありですか?」
キーパー:(北始成武)「ほう。それについては分からんが、少なくとも儂が知る限り、これは“極星香炉”と呼ばれているもののはず」
泰野教授:じゃあ、桐箱は後世に設えられたものってことか。
宇乃:そういうことか!
キーパー:(北始成武)「上海で見たあの香炉が、なぜこのような桐箱に入って、持ち主不明の行李の中から見つかったのか、その経緯については儂も興味がある」
北始成武は最初の興奮から覚めると、広瀬社長と持田副社長に合図して、北始製薬がSPHFのスポンサーとなる契約書を交わすよう指示します。契約関連は名もなき事務員に任せて、探索者たちは北始成武と話を続けます。
泰野教授:「上海で香炉を見たのはいつ頃でしたか? 1930年代?」
キーパー:(北始成武)「正確にはいつ頃だったか。幼い頃、10歳になるか、ならないかの時分に見た香炉の強烈な印象と、場所が上海だったということだけは間違いないのだが……」
宇乃:そうなると、1930年代として、確実に100歳は超えているよね。日中戦争が始まる前だと思うので。
北始成武が前述した“とある道教の宗派”とは、現在は途絶えてしまった“終南派”という宗派で、そこでは香炉のことを“極星香炉”と呼んでいました。終南派は“終南真人”という存在を御本尊としており、「本尊と相対することができれば、天地と等しい寿命を得ることができる(=不老長寿)」と説き、これは“羽化登仙(人間に羽が生えて仙人となり、仙人が住む仙界に行くという中国の神仙思想)”といいます。
村雨:羽化登仙って陽勝の話とほぼ同じですよね。そういうこともあって、日本では“陽勝香炉”って名づけられたのかもしれないですね。
泰野教授:“伝”って書いてあったしね。
キーパー:そうこうしている内にスポンサー契約は滞りなく結ばれて、最後に北始成武は多賀に目配せして茶色の封筒を泰野先生に差し出させます。
泰野教授:「! いえいえ、新たなスポンサーとしてこれからご支援いただきますので、これは受け取れません」(チラッチラッ)
キーパー:(北始成武)「いや、これは儂個人からの寸志だ。本日は眼福だった。皆さんにも何かうまいものでも食ってもらいたい。それに、近々香炉の貸出をお願いすることがあるやもしれん。帰って再度調べてみなければならないのだが、この香炉を使った儀礼の再現を試してみたいのだ。もちろん、儀礼を行なう際には、ぜひ、皆さんにも立ち会っていただきたい」
宇乃:まあ、貸出自体は博覧会とかでやっていそうだしね。
泰野教授:まあ、そうね。そうだよね。
キーパー:儀礼をやってみれば、香炉の使い道みたいなことは分かると思うので、調査の一環にはなりますね。
一同:確かに。
キーパー:茶封筒を握らせると、北始成武とお付きの人たちは帰っていきます。
泰野教授:茶封筒の中身は、え~っと……。
キーパー:新札で50万入っています。
一同:おお!!
この後、50万円の取り分や使い道で揉めましたが割愛します。
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