PC WORKS
MENU>     ISHIZUE INNER OUTER DESKTOP 主戦場は四畳和室

-ゲンショノトキ-

 ワタシが初めて『パソコン』と名の付くモノに触れたのは、小学校の3年の時だったと思う(定かではない)。その時触ったのはNEC製『PC-9801M2』、当時としてはかなり画期的なパソコンだったらしく、かなりのお値段だったらしい。ディスプレイ、プリンタ込みで70万くらいしたとか。(大学のある教授は、100万くらいのシステムで購入したと言っていた)


PC-9801M2 勿論、子どものワタシはそんな事とはつゆ知らず、とにかくそのパソコンで何をしていたかと言えばゲームしかしていなかった(笑)。そりゃあマァ、その内BASICの触りみたいなことくらいはやってみたが、如何せんまだ小さかった事もあって、それほどプログラミングには興味を持たず、ワープロ等もちと触ったくらいで、パソコン触る目的のほとんどはゲームだった。

 しかし今思えば、当時のパソコンの描画能力というのは640x400の解像度に、64色中8色表示、勿論音はビープ音のみ。こんなパソコンでよくゲームなんてしてたよなぁ…と思うが、その頃はそれで非常に満足していたし、そのゲームをとても楽しんでいたって思い出がある。色も少ないし音も悪い、ゲーム内容だって単純なシューティングとか程度だったと思うんだが、それでも楽しかった。そう考えると、やっぱりゲームってのは映像や音だけに左右されるモノではないと言うことが、実感として認識できる。(勿論多いに越したこたぁ無い。)

 その頃ハマったゲームと言えば…『ロードランナー』『スーパーマリオ』『フラッピー』『ザナドゥ』かなぁ。なんか、ザナドゥ以外はパチもんぽかったが(笑)。ロードランナーやフラッピーはハマったなぁ。ザナドゥは途中で二進も三進もいかなくなってやめた覚えがある。

 ちなみにその頃の記憶装置はと言えば、5inchFDD。ペラペラの、紙みたいなケースに入ってて、扱うときは自ずと緊張してしまった覚えがある。CPUなどもその当時のパソコンは貧弱だったので、FDD→FDDのコピーをするだけでも大変だった…高々1.2MBのコピーに、延々2時間。今からでは考えられないほどの時間がかかった。確か、文章入力に関しても、何文字以上は一括変換できないって制限(しかもかなり少ない文字数)ってのがあったんじゃ無かろうか。現在のパソコンから考えると、コストパフォーマンスも何もあったもんじゃないって製品だった。
 それでもその時は魅力的な『玩具』だったし、このパソコンに触れることで学んだことも多々あった。そういう意味では感謝したい。今ではもう動かなくなって、実家の倉庫にしまわれている。ホント御苦労様。小さかったオレが無茶な操作とかもしたと思うけど、よく頑張ってくれたと思う。有り難う。

 ただ。ワタシャ、コイツの存在の所為でファミコン買って貰えなかったんだ。
 友人達がそれぞれファミコンを買って貰ってだんだん広場に来なくなる中、ファミコン持ってない人間同士で缶蹴りしたり、時には一人でサッカーボール蹴ってたり…欲しかったんだ、ファミコン。時には友達の家で触る機会もあったけど、普段やり慣れてる人間との差は大きく、ついていけなくなる。それだけでレッテル貼られるような世界なんだよね、子どもの世界って。ホント欲しかったんだ、ファミコンは。でも、『パソコンがあるでしょ』その言葉が返ってくると、もう何も言えなくなった…控え目な子だったからね(笑)。大学時代はその反動が出た。或いは今もか。

 それでも、同じ様な境遇(パソコンがあるからファミコン買って貰えない)友達もでき、また中学入ってからは部活に打ち込んだりで、それほどパソコンのことは気にしなくなっていった。ま、その頃はアニメにハマってたってのもあるんだけどさ(笑)。

 でも、高校でまた、ワタシとパソコンは劇的な出会いをするのである…



 ハジマリノヒへ→


▲ topに戻る