春ある国に生まれ来て-11》
「おかわり?」
空の茶わんを手にして、考える様子を見せているゾロに声をかければ、うろうろと視線をさまよわせた後で、小さくうなずいた。
「腹痛くねェ?大丈夫?」
丸二日の絶食の後だから、となるべく消化しやすいように調理したつもりだが、いきなり沢山の食事を摂れば、胃がびっくりするかも知れない。
そう言われて、ゾロは神妙な顔で胃の辺りをなでていたが、「どうもねェ」と言った。
新たにご飯をよそって渡せば、ゾロは慎重な手つきで箸を握った。
どうやら遠近感がおかしいらしく、かつかつと皿の端をつついたり、みそ汁の椀に指を引っかけてこぼしそうになったりと、悪戦苦闘をしている。そのたびに、むっと眉を寄せてテーブルをのぞきこんでいるのが妙に生真面目でおかしかった。

「泊めてほしい」と言いだしたサンジに、ゾロは驚いたようだったが、「何故」と問うことはしなかった。拍子抜けするほど簡単に「いいけど」と言われ、今まで真剣に葛藤していた自分が道化のように思えてくる。
ゾロはためらうような小声で「仕事はいいのか」とだけ言った。
「ん、電話すりゃ平気」
ゼフの雷が落ちるのは目に見えていたが、サンジは何でもないことのようにうなずいた。連絡をとれば、案の定、携帯電話が壊れそうな勢いで怒鳴られたが、結局「お前なんぞいないほうが、仕事がはかどる」と、ゼフらしい言い方で許してもらった。
長くなった夜に、急に解放感が訪れたのを感じる。
目の前でもくもくと口を動かしている男と、それほどまでに離れたくなかったのかとサンジは自分を笑った。
「うまい?」と訊ねれば、こっくりと大きなうなずきが返ってくる。
和食とも言えない、家庭料理ばかりだったけれども、ゾロは並べられた皿に驚いた顔をし、どこかおずおずとした様子で食卓についた。いただきます、と礼儀正しく手を合わせれば、若い胃袋は欲求に正直で、どんどんと取り皿の料理がなくなっていくのをサンジは愉快な気持ちで見守った。
「……これ、何だ?」
小鉢の料理を指さして、ゾロが訊く。
ええ?とサンジは目を見開いた。
「お前のリクエストだろ?ブロッコリーのきんぴら」
「…………これが?」
不審そうな顔で小鉢をのぞき込んだゾロは、薄緑色の短冊を箸でつまんで「ブロッコリーじゃねェじゃん」と抗議した。
「何?房のとこも入れたほうが良かった?うちで作るときはいつも茎のとこ使ってたんだけど」
「茎……これ、ブロッコリーの茎か」
「房はそっちで胡麻和えになってるだろ」
小さな森のような房の部分は、別の小鉢の中で胡麻をまとって鎮座している。こういったものは、完全な家庭料理だから、コンビニやスーパーはもちろんのこと、総菜屋のようなところでも、まず見かけることはないだろう。豪勢ではないが、素材を無駄にしないという、言わば主婦の知恵的メニューである。
サンジの母親もブロッコリーを使うときには必ず茎の部分をきんぴらにしたり、煮物と一緒に煮込んだりしていた。
「……そっか、茎のとこ使うのか。ふーん」
「何だよ、お前。食ったことねェのにリクエストしたの?」
やけに感心したように呟いて、小鉢をぐるぐる回すから、サンジの方が不審になってそう訊いた。
「……ああ、うん。えーと……」
気まずそうに小鉢を置くと、ゾロは言葉を探すように視線を泳がせた。
「……ミホークが……」
「え?」
「そのう……ミホークが、お前んちでそういうの食ったって話をよくしてて……でも、調べてみたけど本にも載ってねェし、結局一度も作ってやれなくて……」
どういうものなのかを知りたかったのだとゾロは言った。
「はあ?何だよ、それっ」
思わず立ち上がったサンジの後ろで、椅子ががたりと大きな音を立てた。
自分に向って身を乗り出しているサンジに怒りを感じ取ったのだろう、ゾロは小さな声で「悪い」と呟いた。
「違う!お前じゃないだろう!お前が悪いんじゃないだろう!」
「サンジ?」
「何で?そんなの、失礼じゃねェか!そんなの……っ」
抑え難い衝動に駆られて、サンジは言葉を継いだ。
それはルール違反だろう、と思う。昔と今の恋人を比べるような真似は。
サンジの母親に対しても、ゾロに対しても、やってはいけないことのはずだ。
ましてや、ゾロとは普通の関係ではないのだから、もっと気を使ってしかるべきなんじゃないのか。
その無神経ぶりが腹立たしくてたまらない。
そんなことを享受しているゾロにまで怒りの矛先は向けられた。
「大体お前もお前だ。何でそんなこと言わしとくんだよ!ガツンと言ってやりゃいいだろ!」
まるで自分のことのように目元をつり上げて怒るサンジを、ゾロは目を丸くして見つめていた。
「あーもー、そういうの許せねェよ」
だからヤなんだよ、あいつ、と口の中で呟いて、サンジは胸ポケットをさぐった。きっと、タバコを探しているのだろう。
ひっきりなしに紫煙をくゆらせているサンジには、すっかりその香りが染みついていて、側にいるだけでその存在を主張している。それは、いつの間にか薄れていた、けれど決して忘れたわけではなかった感情をゆるゆると呼び起こした。
名前を付けるなら、思慕の念と呼ばれるだろう、柔らかな想いと、いくつかの諦め、それに伴う痛み、そして少しばかりの憧憬を。
「……でもサンジ」
「何だよ」
まだ怒りが収まらないのか、ぶっきらぼうな返事をよこしたサンジに、ゾロはひどく困ったような顔で笑ってみせた。

お前の言うことはわかるけれども。
──でも、サンジ。
それをする権利は、俺にはないんだ。
俺は。

「俺、ミホークの恋人でも何でもねェから」
「…………え?」
引っ張り出したはいいが、料理が並んだテーブルで吸うわけにもいかず、手持ちぶさたにもてあそんでいたタバコのケースが、乾いた音をたてて落ちた。
軽いはずのそれがやたらと耳についたのは、その場が静まり返っていたからだろう。
言葉は確かに届いていたのに、意味をつかみそこねて、サンジはまじまじとゾロの顔を見た。
何を聞き間違えたのだろう。
ゾロが彼の恋人じゃないなんて、そんなはずは。
「今……何て?」
ゾロの方は冷静だった。
まっすぐにサンジを見つめている。
「少なくとも、お前が思ってるような関係じゃねェ。俺はミホークと寝たことはねェから」

嘘だ、と思った。
だって、見ていればわかる。
ゾロは、ゾロの方は確かに彼に惹かれていて、相手だって、それがわかっていたから一緒に暮らしていたんじゃないのだろうか。
「ど……うして?」
どうして。
その時、自分はかなりテンパっていたのだと思う。
それを問うてもいいことかどうか、そんな当たり前のことを判断するだけの冷静さも欠いていた。
無神経だと他人を責めている場合じゃなかった。もう少し上手な訊き方もあったろうに。
ゾロは目を逸らそうとはしなかった。
ひたひたと満ちる水のように透明な視線がサンジの内側へ流れ込んでくる。
静かな声には優しささえ感じられて、そのことが却ってサンジを責めた。
「──お前がいたから」
「え?」
「お前と俺が同い年だったから」

だから。
お前の代わりに、俺は。

ぐらり、と目の前が揺れたような気がして、サンジはテーブルに手を突いた。タバコの箱が潰れる音がやけに大きく聞こえた。

back

next