春ある国に生まれ来て-12》
くいなの持参してくれた草もちを二つ、位牌の前に並べてゾロは手を合わせた。
サンジは落ち着かない気分でその後ろ姿を見ていた。
後でちゃんと話すから、と言われ、結局詳しいことは何も聞かせてもらえなかった。父親に向けた怒りも中途半端に逸らされたまま、ただゾロの言葉を待っていた。
文机の上には綺麗に洗った灰皿がある。サンジのためにゾロが出してくれたものだ。引き出しの奥にしまわれていたのはもう長いこと使われていなかったからだろうが、それでも捨てることはしなかったのだ。────使い主がいなくなった後も。
「やっぱ、すげェ懐かしい」
振り返ったゾロが、ねじれた吸い殻の散らばる灰皿を見て少し微笑んだ。
「……あいつがタバコ吸ってたなんて、オレは知らなかったな」
責める口調にならないよう、そっと言ってみた。サンジの中では父親の記憶とタバコの香りはつながっていない。
「え?そうなのか」
「あ、オレが知らないだけかもしれねェけど……」
よほど意外だったのか、目を丸くして驚くゾロに、サンジは慌てて付け足した。
「ああ、いや、うん、昔は吸ってなかったのかも知れねェ。やめろって言ってたんだけど……」
ゾロの方も慌てたようにそう言って────二人して黙り込んだ。
やっぱり落ち着かない。
お互いに気を遣いあって、相手の出方をうかがっている。所在なくて、サンジは落とした視線で畳の目を追った。膝に置かれたゾロの手が見える。節くれ立った指は、荒れてはいたが長く、まっすぐに伸びていた。
「……別に……わざわざ話すほどのことは何もねェんだけど」
唐突にゾロが口火を切った。のろのろと顔を上げると、ゾロも視線を落としていた。それとも、見ていたのは畳ではなくて、そこにあった過去だろうか。
「俺たちが会ったのは、5……4年前か、俺が19の時で……。噂を聞いたんだ。すげェ強い奴がいるって」
その話を持ってきたのは、何度か剣を合わせたことのある相手だった。やたらと対抗意識の強い男だったが、何度闘っても勝てないことにとうとう業を煮やしたのだろうか、「お前なんかより、ずっと強い奴がいる、いい気になるな」と負け惜しみのように言い捨てたきり、姿を見なくなった。
「その頃、俺は仕合すんのが楽しくて仕方なかった。誰と仕合っても負けたことなくて……あれだ、天狗になってたんだな」
いなくなった男には興味がなかった。弱い相手はどうでもよかった。
強い男がいるのなら闘ってみたかったし、闘っても負けるつもりなどなかった。
けれども。
「……負けたんだ?」
今は年齢より落ち着いて見えるゾロの、子供めいた行動がおかしくて、サンジはからかうように言った。
「負けた、負けた」
勝負にもならなかった、とゾロも笑いながら答えた。
そして、今は笑ってるけど、その時は悔しくて悔しくて泣いたんだぜ、と付け足した。
はは、と笑いながら、サンジにはその気持ちが理解できるような気がした。その頃のサンジも、似たようなものだったと思う。自己の能力を過信しては世間の壁にぶつかって(サンジの場合、その壁は「ゼフ」と言う名だった)悔し泣きをした。
鼻持ちならないほど傲慢で、愚かしいほど純粋だった、あの頃。
──きっと、多分、ゾロも。
「悔しくて悔しくて、何度も突っかかっていって、でもその度にあしらわれて」
最後にはゾロは押しかけるようにしてミホークの家に居座ってしまったのだと言う。今思えば、信じられないほどバカなんだけど、とゾロは四年前の自分に向けて苦笑した。
ミホークは居ろとは言わなかったが、出ていけとも言わなかった。ゾロが仕合を望めば気まぐれのように受けて立った。
そうして、全てがうやむやのままに、二人での生活が『日常』になり始めたころ。ゾロはミホークのもう一つの『噂』を聞いた。
悪意から出た揶揄まみれの話をゾロに聞かせた男は、「剣じゃ勝てねェからカラダ使って取り入ったのか」と下卑た笑いを浮かべた。そして、その代償に前歯を四本失ったそうだ。
「あごの骨、砕いてやってもよかったんだけどな」
さらりと怖いことを言ってゾロは不敵に笑った。
「──恐くなかったのか?」
「負けねェよ」
「違う。あいつの、噂。普通、嫌だとか、きしょいとか、思うだろ」
「ああ」
そっちな、とゾロは位牌へ目を向けた。
「……うん、何か、別に。ちっと驚いたけどな。まァいっか、って」
俺、多分、何かちょっと足りてねェんだ。
頭かな、と言ってゾロは笑った。
「あいつと一緒にいると、そういうの感じねェから、気楽だったつうか……うまく言えねェんだけど」
だから、別によかったんだけど、とゾロが言ったのは、『そういう関係』になっても構わなかったのだ、ということなのだろう。
「好き、だったんだろ……?」
「わかんねェ。そりゃ、嫌いな奴と一緒にはいねェけど、お前が言ってんのはそうじゃないんだろ」
区別がよくわかんねェよ、ともう一度ゾロは言った。
おそらく理由など考えたこともないのだろう。一生懸命考え込んでは、ぽつりぽつりと言葉を選んで、サンジに伝えようとしてきた。
「何でもいいから側にいたかった……んかな。多分」
だから、ミホークがそうしたいなら、それでも良かった。側にいる理由としては、一番簡単で、確実なように思われたから。
その一途さは、恋愛のというより、雛が親鳥を求めるような、と言ったほうが近かったかもしれない。
でも、それは適わなかった。
ゾロが――――サンジと同い年だったから。
ただ、それだけの理由で。

「……何でお前が泣くんだよ」
ゾロが驚いた声を上げる。言われて初めて、サンジは自分が泣いていることに気が付いた。きゅ、と一度強く目元をこすったが、潤んだ視界は元には戻らなかった。
「だって……ひでェ。お前の」
お前の気持ちはどうなるんだよ、と言われ、ゾロは困ったように首を傾げた。
「別に、そんなあからさまに身代わりにされてたわけじゃねェよ」
お前何でもややこしく考えすぎ、と言われ、サンジはぱちりと瞬きをして視線を上げた。
出会って間もない頃、何かの拍子に歳を訊かれ、19だと答えた。
まだ子供だとか何とか言われるのかと思ったが、ミホークは「そうか、俺の息子と同い年だな」とだけ言い――それがそのまま二人の関係を決定づけた。
「そんときは、子供いんのか、ってびっくりしただけだったけど」

例えば、ふと視線が合ったり、肌が触れ合ったり、という何気ない瞬間に、そうした雰囲気にならないわけではなかった。けれどもミホークの言葉は、それ以上のことをためらわせるだけの呪力を持って、二人の間に壁を作った。
「詰め寄ればどうにかなったかも知んねェけど、そんなことしたくねェし。それに俺、代わりでも何でも、家族みたいにされんの、嫌いじゃなかったし」
恋人だったら……自分が一番じゃないと嫌だろう。でも、家族なら。
「お前のことや、あの親爺さんのことや、お前の――あの、お前の、母さんのことや、そういうの、聞いても嫌じゃなかった」
多分、自分じゃ覚えてないような小さい頃のお前の話、たくさん知ってるぜ、とゾロは笑った。
ええ?敵わねェなあ、とサンジが少し情けない顔をして笑い返す。
どちらも言葉数の少ない二人が、自分の幼少時代を肴にどんな会話を交わしていたのだろうか。
まるで子供の頃に失くした宝箱を、誰かが大事にしまっておいて、いきなり目の前に広げて見せてくれたかのようだ。そこに詰まっているのは何の価値もないガラクタばかりなのに、きらきらと眩しくて、やけに甘い。
閉じたまぶたの裏で、反射光が踊った。

ゾロ。

……ゾロ。

「――――ゾロ」

オレは、あいつじゃないけど。
お前の家族になら、なれるかもしれない。
幾許かの時間や体験を共有して、それに一緒に笑ったり泣いたり怒ったり、逆に独りのときに体験した、楽しい時間や出来事を次は分かち合いたいと思ったり、それから、日常の些細なことで遠慮なくぶつかりあって喧嘩をしたり、でも結局いつの間にか有耶無耶になって仲直りしたり、そういうことをする相手なら。

「今度はオレが身代わりでもいいから」
「……あいつの代わりはいねェよ」

お前の代わりも。

ふさがれたままの左側と一緒に、右目も閉じる。
慣れ親しんだ、けれど、結局一度も知ることのなかった煙草の香りに唇をふさがれた。

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