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ゾロの運転する車に乗って20分。
彼の──彼らの住む家は、高速を使って南へ1時間半ほど行ったところにあるらしい。
出発してすぐ、場所を訊ねたサンジにゾロがそう答えて。
──以来、車内にあるのは沈黙だけである。
ハンドルを握るゾロはもちろんのこと、助手席のサンジも、無意味に熱心に窓から外を見つめていた。
それでいながら、どちらもお互いを強く意識していることに気付いている。
そもそも、サンジは沈黙するのもされるのも苦手なのだ。
あと1時間もの間、こんな無言の行を強いられるのかと思うとぞっとする。
バラティエでの態度を見る限り、決して取っ付きにくい相手ではなさそうだし、これからしばらくは、行動を共にしなくてはならないのだ。
ここは一つ、早い内に友好的な関係を築いておきますか、とサンジは口を開こうとした。
しかし、父の愛人(恋人?)だった相手に──しかも女性ならともかく、同年輩の男では──さすがの副料理長も何の話題を持ち出せばいいのかわからない。
えーと、えーと、と幾つかの言葉を取捨選択した挙句、口をついて出たのは一番無難そうな台詞だった。
「あの……年齢、訊いてもいい?」
「え?」
突然かけられた声に、ゾロは少しだけ頭をこちらへ向けた。
誰の趣味なのか、左耳だけに3つもつけられたピアスが、微かな音をたてた。
「……ああ……俺の?」
質問の主旨を理解した、というようにゾロは顎を引く。
ぴんと伸びた背筋はわずかな歪みもなく、そこには正しさと健やかさだけが満ちているように見えた。
同性愛者としての、だけではなく、おおよそこのくらいの年齢の男が身に付けて然るべき、『健全な不健全さ』がまるで感じ取れない。
幼いとか、成長してないとかではなく。
もっと相応しい言葉があるはずだ、とサンジは頭の中で単語帳を探っていた。
「……同い年です。サンジさんと同じ、23歳」
「え?」
「23」
年齢を訊き返したと思ったのか、ゾロははっきりとした声で言い直した。
「ああ……」
同年代だと思ったのは当たっていたようだ。
けれど。
「オレの年……知ってんだ」
「──聞いてたんで」
誰に、と反射的に言いかけて、質問の馬鹿らしさに気付いてやめた。
二人の間に立つ人間は1人しかおらず、当然サンジのデータはその人物からもたらされたものに違いない。
(てゆか、よくオレの年なんか覚えてたよなー)
20年。 生まれたての乳児が成人を迎えるまで。
自分と父親を隔てているのは、それと同じ長さの年月だ。
サンジの年齢どころか、その存在すら忘れていてもおかしくないと思っていた。
「誕生日も知ってますよ。3月2日でしょう」
「うん。──それも聞いたの?よく覚えてるね」
全然関係ない人間の誕生日なんて。
好意を持った女の子の誕生日は忘れないサンジだが、さすがにその家族の誕生日まではフォローしていない。
「……ええ。覚えやすいし」
「あー、そう、そうなんだよなー。3月2日生まれで『サンジ』ってどうよって感じだよなー?発案者はともかく、周りの人間誰か止めろって思わねェ?」
発想がストレートすぎてもう笑うしかない、とサンジは常々思っている。
これが5日生まれなら「サンゴ」で女の子みたいだし、4日生まれなら「サンシ」で落語家だ。
「誕生日を忘れないように、だと聞きました」
「──へ?」
「あい……ミホーク、が。人の誕生日なんて覚えられないから、名前を聞いただけで誕生日を思いだせるようにした、って」
「そ………なん?」
「あ……」
しゃべりすぎた、とその横顔が伝えてきた。
案の定、ゾロは「すみません」と小さく謝った。
「や、いいけど……」
恐縮したように少しだけ首を落としたゾロを不思議な気持ちで見る。
サンジ自身についての、サンジの知らない話を、サンジの父親から聞いてこの青年が知っている。
普通なら、不快になるべきところかと思う。
けれど、不思議とそんな感情は全くわいて来なかった。
それだけ、サンジと父親との距離があいている、ということでもあるだろうし、隣で気まずげに唇を結んでいる青年が、知ったかぶりをしたかったわけではない、ということがサンジにもはっきりとわかったからだろう。
「本当に……どうも……」
サンジの沈黙を不機嫌だととらえたのか、ゾロはもう一度謝罪した。
「いや、いいよ、ホントに。全然気にならねェからさ。それよか、その敬語、やめてくんねェ?タメなんだし」
落ち着かない、と殊更明るい声で告げれば、相手はやっと安心したように緊張を解いた。
「あのさ……サンジ」
「んあ?」
サンジ、という聞き慣れた名前がひどく新鮮に聞こえたのは、さっきの話を聞いたからか、それとも、この青年の独特の響きを持った静かな声のせいなのか。
間抜けな返事をしながら、とっさにそんなことを考えた自分に狼狽える。そして、狼狽えたことに驚いて、なおさら狼狽えた。
「いや、あの、えーと、何?」
けれど、真面目に前を向いたゾロには、サンジの動揺は伝わっていないらしくて、ホッとした。
「お前、煙草吸うんじゃねェ?我慢しなくていいからな?」
「あー……ごめん。んなに匂う?」
ズバリと指摘されて、サンジは苦笑いを浮かべた。
その通り、サンジは料理人のくせにかなりなヘビースモーカーで、常に煙草をふかしていないと気がすまない。
自分ではわからないが、吸っていなくても、服にも髪にもその匂いは染み付いてしまっているだろう。
反対に、ゾロは本人の服や持ち物、なによりこの車から煙草臭が感じられなかったから、喫煙の習慣はないらしいとふんで、遠慮していたのである。
「あー……オレ、かーなーり、ヘビーに吸うんだよね。嫌んなったら、正直に言ってくれよな?」
そういいながらもいそいそと煙草を取り出し、「窓開けた方がいい?寒い?」とサンジは訊ねた。
「平気だ。慣れてっから」
「え?あんた吸うの?」
「や、俺は吸わねェけど」
「……ああ」
同居人が吸っていた、ということなのだろう。
その割に、ゾロの周囲に煙草の気配がないのは、病みついていた期間がそれだけ長かった、ということなのだ。
父親が煙草を吸うとは知らなかった。
少なくとも、母親から聞いたことはない。
別れた後吸い始めたのか、父親の話を喜ばなかった自分が聞きそびれたのか。
まあどうでもいいか、と細く窓を下ろして、サンジは煙草に火をつけた。
ちりちりと紙が焼ける音がする。
最初の一口を深く吸込んで、サンジは満足そうに煙を吐き出した。
車内に強い香りが充満する。
「あ」
「え?」
隣で上がった声に驚いて、慌てて煙草を離した。
「な、何?」
「いや……」
ゾロは、何かを逡巡するように2、3度唇を震わせて、思い切ったように言った。
「意外と──強いの吸うんだな、と……思ったんだ……」
「あ、ゴメン。やっぱダメ?」
軽くふかしているように見えて、サンジの好む煙草は香りもニコチンもかなりキツイ。
吸わないひとにはやっぱり辛いか、とアッシュトレイを引き出したサンジを、ゾロは強い調子で止めた。
「いい。大丈夫だ。──その匂い、嫌いじゃねェから」
運転をしている以上、サンジからはゾロの横顔しか見ることはできない。
けれど、それでもその表情に込められた感情を読み取ることは至極簡単だった。
ほんの少しだけ眇められた瞳は柔らかく緩み、懐かしさだけをたたえている。
ああ……、と、また思った。
皮肉なものだ。 20年の時間で隔てられた自分と父親が、同じ銘柄の煙草で繋がっているなんて。
とはいえ、割とメジャーな煙草だから、そんな偶然もさして確率の低い出来事ではないと思う。
だから、別にそのこと自体に何かしらの意味を持たせるつもりはない。
──ただ。
どこか遠くを見るような視線で、彼の父親を思いだしているらしいゾロの常緑樹の瞳を、やっぱり綺麗だと思った。
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