春ある国に生まれ来て-7》
「おう、ゾロ、出てきたのか」

からりと扉の開いた音に振り向くよりも早く、通りの良い声がゾロを呼んだ。
何事かとそちらを見やれば、入り口をふさぐように体格のいい男が立っている。
「師範代」
「今日出てくるとは聞いてなかったが……お前達、無理を言ったんじゃないのか?」
後の言葉は子供たちに向けたものだ。
『生え抜き軍団』は一斉にくいなを見、くいなは気まずそうに笑って見せた。
男は「やっぱりなー」と苦笑し、つかつかとコウシロウの元へやって来た。
「師範、遅くなりまして。──お客様ですか?」
ピシリと動作の決まった大男に見つめられ、サンジは少したじろいだ。
荒くれ男には事欠かない『バラティエ』だが、こういう根っからの武人タイプにはあまりお目にかかったことがない。
「ええ、ゾロのお友達でね、サンジくん。見学にいらしたんだよ。サンジくん、うちの師範代です」
「…どうも、サンジです」
ひょこりと頭を下げると、師範代といわれた男は深々と礼を返した。
「ようこそ。師範代とは名ばかりで、ゾロの方が腕はたちますが」
ははは、と磊落に笑う。
腹筋を鍛えてある、深みのある声だった。
コウシロウが柔和で細身なのに対して、師範代はいかにも、といったいかつい面立ちだ。
だがよく見ればその瞳は師範と同じく、静かな光を浮かべていた。
弱い犬ほどよく吼える、という。
武道もある域を越えて極めれば、こんな風に穏やかになるのかもしれない。

「師範代」
子供たちに素振りをさせておいて、ゾロが近づいて来る。
傍らに膝をついた弟弟子に、師範代は振り返って笑みを見せた。
「おう、ゾロ。久しぶりだな」
強面と言っていい顔立ちだが、そうすると目じりにしわが入って、親しげな表情になった。
「ご無沙汰して……ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、俺はちっともかまわんよ。だがまず良かった。子供たちが喜ぶ」
ゾロのいない間、主に子供たちの指導にあたっていたのが彼だという。
土地柄、子供を道場に通わせる親は多い。なので、以前から幼少の練習生は少なくはなかったが、ゾロがここに住み着いてからは、子供たちの指導員はずっと彼だった。
それだけに、代稽古はつける側も受ける側も少々ぎこちないのは仕方ない。
とはいえ、元からはねかえりの集まりだ。
ゾロはいなくなったわけではなく、いずれ戻ってくると知り、また師範代の稽古に慣れたこともあって、近ごろでは『問題児軍団』を先頭に、相変わらずの跳びっぷりを披露していたらしい。
「──いやいや、実際のところ、かつてないほどの強敵だった」
師範代は、四角いあごに手を当てると、ひどく真剣な面持ちでそう言った。
「……………………」
くっ、とゾロののどが鳴る。それが呼び水になって、その場にいた大人全員が吹き出した。
稽古中の大きな笑い声に、子供たちが不思議そうに彼らを見やり、その様子が可愛いと、またひとしきり笑い声があがる。
確かにあの「問題児軍団」は手ごわそうだ、と一緒になって笑いながら、サンジはふと、屈託ないゾロの笑顔を見るのは初めてだと気がついた。
出会ってからこっち、困ったように笑う様は、何度も目にしたのだけれども。
やがて規定数を終えたのか、ゾロが素振りを止めるように指示して立ちあがった。
「じゃ、二人組みになって。組討ちに入ろう」
いつもの稽古なのだろう、子供たちはすんなりと二人組みに分かれてゆく。
防具を取りに走るはね駒たちの中、くいなとルフィは竹刀だけを手に向かい合った。
「今日こそはおれが勝つぞ!」
「やれるもんならやってみなさい!」
不敵に笑って一歩下がると、くいなはぴたりと構えをとった。
やあっ!という気合いと共に、ルフィの竹刀が振り下ろされる。
下からはね上げるようにして、くいながそれを受け止める。
竹刀がぶつかり合う鋭い音に、サンジは思わず腰を浮かした。
「うわ……っ」
「どうしました?」
「あの、あの二人防具もなしで……」
アワを食ったサンジに、師範代がははは、と笑って「あの二人はいつもああですよ」と言った。
「え……そ、そうなんですか」
コウシロウに目を向けると、彼もおっとりとうなずいた。
「元々、うちは防具は使用しないんです。ただ、子供たちや慣れない人には危険ですからね、私が許可を出すまでは防具をつけるように指導しています」
「……はー……」
その間にも、ルフィとくいなの攻防は続いている。
子供とは思えない激しい剣の応酬に、サンジはやっと腰を下ろした。
「すみません、びっくりしてしまって……」
「いいえ、見慣れない方は驚かれるでしょう」
「おや、サンジさんは剣をなさってるのではないんですか」
ゾロの友人だからと、何の疑問もなくそう思っていたのだろう、師範代が意外そうに言った。
「ええ、剣道も知らなくて……。ゾロが竹刀を持ってるのも初めて見るんです。──すみません」
のこのこと上座に席を占めておきながら、何も知らないというのが申し訳ない気がして、謝罪の言葉を付け加える。
「いやいや、私こそ失礼しました。申し訳ない」
謝られて、師範代が慌てたように顔の前で手を振った。
「しかしそれでは、子供の相手だけをさせておくのでは、いささか役不足では?」
それは、師範に向けての言葉だったようだ。
コウシロウは穏やかな笑顔のまま、師範代を振り返った。
「そうだねえ……」
「どうです?型の演武でもさせてみては。子供たちの手本にもなります」
「ゾロは型稽古は嫌ってるようだけれど」
ニコニコとした表情は変わらなかったが、そこには多少いたずらっぽいニュアンスが含まれているような気がする。
師範代もそれくらいは承知の上らしい。
「だったらなおさらですな。ゾロにとってもいい刺激になるでしょう」
「あ、あの、オレのことならお気遣いなく……」
「ゾロ!」
サンジの遅まきながらの遠慮の言葉は、師範代のよく通る声にかき消されてしまった。
ゾロは少し驚いた顔で子供たちの中を抜けてきた。
「何かご用ですか?」
「お前、何でもいいから型の演武を御披露しなさい」
「え」
完璧に不意打ちだ、という表情でゾロは固まった。
目を見開いた様は隙だらけで、ひどく子供めいて見える。
「あ、あの……」
「わざわざ来てくださったお客人に、子供の練習だけしか見せないつもりか?」
「いえ、そういうわけでは………でも、俺の剣は基本的に我流ですから、型稽古は──」
苦手だと続けたいのか、嫌いだと続けたいのか。
だが師からも兄弟子からも、救いの手は伸ばされない。
途方に暮れた視線が自分のものとかち合って、サンジは反射的に居住まいを正した。
「あ、あの…………」
「──サンジ」
無理しなくていい、と言えばよかった。
気を遣わなくていいから、と。
けれども、気持ちが焦るばかりで、どうしても声が出てこない。
それは、きっとサンジ自身が見たいと思っているからだ。
──何故、こんなに興味を引かれるのだろう?
父親の想い人だったから?
……父親の想い人だったのに?
整理のつかない感情は、言葉と一緒にサンジの中で四方八方に散らばっていく。
結局、何一つ言葉にできないまま、サンジはゾロと見つめあっていた。
──ゾロがそれをどう受け取ったかはわからない。
彼の逡巡は短く、師範代を振り返った時にはもう、ゾロの表情は意志を取り戻していた。
「──わかりました。それならどうか、一手御指南下さい」
「俺とか?」
「はい、その方が」
「ふうむ」
考えるときのクセなのか、師範代は顎に手を当てて、二、三度左右にさすった。
一手、というのが囲碁や将棋のことでないのはサンジにだってわかる。
要するに自分と手合わせを、ということなのだろう。
小さな目を天井に向けてしばし考え込んだ後、兄弟子はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「つまりお前は、俺をノして、お客人の前で恥をかかせようというわけだな?」
「え?ち、違います、そんなつもりなんか……」
からかわれていることに気づかなかったのか、ゾロは本気で慌てている。
どうやら師範代は、見た目に反して案外と茶目っ気のあるタイプらしかった。
「まあ、俺はいいが……よろしいですか、師範?」
おもむろに様子を改めると、彼は師に判断を仰いだ。
「……それはもちろん構わないけれど……大丈夫かい、ゾロ?」
気遣わし気な師匠の問いに、ゾロはただ黙って頭を下げた。




────空気が痛い。 目に見えない粒子が流出して、皮膚を刺しているようだとサンジは思った。
自分ですらそうなのだから、日々鍛練を欠かさない門下生にはなおさら強く感じられるのだろう。
子供たちも、一言も漏らさずにまっすぐ前を見ていた。
その視線の先には粒子の元、二人の男が立っている。
揃いの黒の袴に、汗止めなのか、鉢巻きを巻いたのみで、防具らしきものは何一つない。
構えているのは、白く光をはね返す鉄の刃。
刃は潰してある、とコウシロウは言ったけれど、サンジには、本物とどう違うのかわからない。
例え切れないにせよ、あれで打たれれば相当ひどい打撲症になるだろうし、切っ先が触れれば皮膚も裂けると思う。
それでも、当然彼らの間には怯えなどみじんもなく、あるのはこの場を圧倒しそうな闘争心だけだった。


だだん、と床を蹴る音が体を震わせ、金属の噛み合う神経質な音が道場に響く。
春と言っても暦の上だけで、まだ空気は冷んやりとしたまま、時折春の気配を運んでくるに過ぎない。
けれど、二人の頭に巻いた鉢巻きは、たちまちその色を変えた。
短く気合いを込める声に、彼らの粗い息遣いが混じる。
打ち合い、斬り結び、引き、攻め、目まぐるしく体を入れ代え、彼らは何合となく刃を合わせた。
門外漢の自分にも、二人の伎倆が卓越しているのはわかる。
けれど、だからこそ、ためらいのない剣先が怖い。まるで本気で相手を倒そうとしているのではないかと──そんなことは有り得ないとわかっていても──思わずにいられない。
──ゾロは。 父ともこんな風に剣を交わしたのだろうか。
まるで、自分の全てを刃に乗せてさらけ出すようにして。
サンジは自分の呼吸まで苦しくなったような気がして、胸に手を当てる。
輪の中心では、二人が同時に剣を引いたところだった。
蒸気が立ちそうなほど身体を火照らせて、がっきとにらみ合っている。
「──心配なの?」
「え?」
傍らから聞こえた声に驚いて顔を向ければ、そこにはちょこり、と子供が立っていた。
空気を乱さないよう、吐息のような小声で問いを繰り返す。
「ゾロ先生が、心配なの?」
「……ええっと……」
チョッパー、と言っただろうか?
『問題児軍団』の中でも一番幼く、おとなしそうな少年だ。
よたよたと覚束ない様子で、それでも一生懸命竹刀を振っていた。
近くで見ると、くりくりと動く黒目がちの瞳が愛らしい。
サンジが目元を緩めると、チョッパーもにこりと微笑んだ。
「……うん、ちょっと心配。チョッパーは怖くないの?」
「おれは怖いけど……でも先生たちは大丈夫なんだ。ふたりとも、とっても上手だから」
そう言った顔は憧れと誇らしさに満ちていた。
「──そっか。そうだね」
「うん!そうなんだ!」
こっくりと深くうなずくさまは、確信というよりも、サンジを安心させる意図があってのことらしかった。
自分はそんなに心配そうに見えたかとおかしかったが、幼い心遣いが嬉しくて、サンジはチョッパーの頭をそっとなでた。
────もやもやとしてはっきりしない己の胸の内も、いっそ一刀両断してくれればいいのに、と思いながら。

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