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| 「──全く、本当にバカなガキだね」 さも呆れたという口調でそう行ったのは、白衣の恐ろしく似合わない、ファンキーな格好をした女医だった。 キッチュなミニTにヘソピ、紫のカラージーンズ、額にはとどめのサングラス、とまるで女子高生だ。 そして、その正体は、と言えば。 「……おばあちゃん」 「情けない面してるんじゃないよ、チョッパー」 ──『チョッパーの祖母』だというのだから恐れ入る。 何が恐ろしいと言って、絶対に無理のあるそのファッションが、不思議にぴたりとハマっているところだろう。 泣きながら自分を呼びに来た孫をぴしゃりと叱っておいて、白衣に袖を通しながら出てきたくれはを見たとき、サンジは状況も忘れてぽかんと口を開けたものだった。 「今日は休診日だよ。アタシに時間外労働をさせるなんざ、いい度胸だよ。──ほら、手をどけな」 さっきから一言の反論もなく座っていた患者は、言われるままに顔を上げ、傷口を押さえた手を離した。 まだ止まりきらない紅い筋が、たらたらと細く左の頬を流れていく。 痛々しい様子に、サンジは顔を歪めた。 仕事柄、流血沙汰には縁が深いが、頭部の傷というのはインパクトが大きい。それに、傷口が目に近いのが気になっていた。 けれど、医者は何の感慨もないらしく、無造作に傷口に触れた。 「──ふん、何だ、まぶたを切っただけだね。眼球は無事、と。十兵衛になりそこなっちまったね、剣豪」 人の悪い笑顔を浮かべるくれはに、患者は──ゾロは、初めてイヤそうな声を出した。 「……それはジョークか?皮肉か?」 「皮肉に決まってるさね。目、閉じてなよ」 傷口を消毒する手つきには優しさは感じられなかったが、的確だった。 「何があったんだい?」 「……ちょっと手が滑った」 それは、一瞬のできごとだった。 それまで互角に打ちあっていたゾロと、師範代の剣先がぶれた。 理由はわからない。 ゾロが言うように、手が滑ったのかも知れない。 端で見ていたサンジには、ゾロが自分から切っ先に飛び込んだかに思えた。 師範代の持つ剣がゾロの顔面をかすめた、と思った次の瞬間に、ぱっと朱の華が散った。 風景も、人々も、全てがセピアがかった古い写真のような視界の中で、そこだけがインクを落としたように鮮やかだった。 子供たちは悲鳴を上げたが、師範を始め、大人たちはさすがに落ち着いたもので、すぐにチョッパーを伴って診療所へ向かうように告げた。 何のことはなく、チョッパーの祖母が主だという診療所は、道場の裏手にあった。 「どうせ怪我するのなら、いっそ本物の刃にしておきな。切り傷じゃない方が厄介だよ」 とても医者とは思えないセリフを吐いて、手早く傷を縫っていく。 「痛ェ」 「当たり前さ。痛くなくなるのはこれからだよ。言っとくけど、打撲もあるからね。明日からしばらくは、アイシャドウをつけて歩く羽目になるよ」 ぽんぽんと歯切れのいい祖母の言葉に、サンジと、半泣きだったチョッパーは顔を見合わせてくすりと笑った。 「チョッパー!ガーゼ!」 「はいっ!」 チョッパーはびくりと飛び上がると、ガーゼの入ったガラスの器を差し出した。 真っ白で清潔なガーゼは、傷口ごと、ゾロの左目をほとんど覆ってしまった。 「明後日、ガーゼの交換に来な。それまで取るんじゃないよ」 「これ、いらねェ。取ってくれ」 「イヤ何言ってんだ、おめェ!」 思わず絶妙のタイミングでツッコんでしまったサンジだったが、本人は何を言われたのかわからない、という表情で振り返った。 「何?」 「『何』、じゃねェよ。今、取るなって言われたとこだろうがよ」 「これじゃ運転できねェだろ」 「はあ!?」 (運転て!) 呑気すぎるゾロの言葉に、何言ってるんだ、と悲鳴のような声を上げる。 「運転なんかすんなよ!」 「だってお前を送ってかねェと」 真っすぐな、あどけないとすら言えそうな目を向けられて、サンジは絶句した。 この、男は。 一体、何を。 「お前、何言って……。そんな──そんなことはいいんだよ。そうだろ?だって……」 「そこの稲穂頭の言う通りだよ。医者の言うことが聞けない耳なら、今すぐそぎ落としてやろうか?ん?」 そう言いながら、くれははものすごく自然なしぐさでメスを取った。 (……目、目が笑ってねェし!) 稲穂頭、と呼ばれたことも気にならないほど、彼女の目が本気モードで怖い。 大体、メスというのはその辺りに転がっているものなのだろうか。 生まれつき頑健な性質で、病院なんて、ハシカかおたふく風邪の時くらいしか記憶にないけれど、診察室の机に常備されてるものではないような気がする。 「なあ、ゾロ、オレのことはどうにでもなるからさ、言うこと聞いとけよ。な」 とりなすようにそう言ったのは、ゾロに負担をかけたくない気持ち半分、早々にこの場を辞したい気持ち半分である。 サンジの隣では、チョッパーが一緒に青くなっている。 ゾロは、くれはとサンジの様子を交互に見やって、少し申し訳なさそうにうなずいた。 「悪ィ。……ども、お世話になりました」 のそりと頭を下げて、ゾロが立ち上がった。 「待ちな」 「あ?」 びくりと振り返ったのは、当人ではなく付添人たちの方で。 おどおどと自分を見上げるチョッパーを、くれはは手を振って部屋の外へ追いやった。 ぱたぱたと軽い足音が、ためらいがちに遠ざかるのを待って、医者はひどく怖い顔でゾロを見た。 「お前、今朝何を食べたか言ってみな」 「……何?」 「朝飯だよ。何を食べた?」 「…………今朝は、食ってねェ」 「じゃあ、昨日の夜は?昼は?」 たたみかけるように問われて、ゾロはきゅっと唇を結んだ。 答えたくない、と暗に主張する患者を、けれども医者は見逃してやるつもりはないらしかった。 「わかりやすく言ってやろうか。お前、最後に食事を摂ったのはいつなんだい?」 そんな薄い血の色をして、2日や3日は食べてないんだろう、と言われ、ゾロはしぶしぶと口を開いた。 「一昨日、の昼……」 「ここ2日だけじゃないね?ここのところ、ずっとそんなペースの食事を続けてたんだろう。そんなんじゃ、足下だってふらつくよ、この馬鹿」 馬鹿馬鹿、と容赦ない評価を下しながら、ゾロの眉間をぴしりと弾いた。 若作りの医者は視力の衰えもないらしく、見事に急所をクリティカルヒットだ。 「痛ェ……」 「似合いもしないことするんじゃないよ。後を追うつもりじゃないんだろう」 後を追う、という言葉にぎょっとする。 「お前……」 向けられたサンジの視線に、ゾロはバツが悪そうな顔をして、「違ェよ」と小声で答えた。 「──まだ、生活のペースが戻らねェんだ。なんか……いつ、何を食ったらいいのか、よくわかんねェ……」 さらされた右目だけが、ぽかりと開いて空を見ている。 まるで、自分の孤独を哀しむすべすらわからずに途方にくれる、幼い子供のように。 「ゾロ」 あの家は広すぎて、過去の気配に満ち過ぎている。 丁度、古くなって糖度の増した酒のように、ゆるゆるとゾロを侵食していく。 ──それはきっと、甘美な誘惑なのだ。 その気持ちは、理解できると思う。 サンジとて、母親を亡くしたときに多少なりとも同じような感覚を味わった。 あの時は、自分にとって大切なひとの時間が止まったのに、己の時間が止まらないのがひどく不思議だったし、そうできないことが薄情な気さえした。 けれど、過去を生きるにはまだ自分たちの経た時間は少なく、身体は温かく、生命活動は正しく行われている。 どれほど打ちひしがれていようと、時間が来れば腹が減り、疲れれば眠り、そうやって少しずつ、普段の生活を取り戻していくのだ。 ゾロは、今、そのきっかけを見失っている。 あの、独りには広すぎる家で、ただボンヤリと時間を過ごすゾロを思うと、つきりと心臓が縮んだ。 筋張ったゾロの手首にそっと手を這わせてみる。 親指の腹に、規則正しい脈動が伝わって来て、そのことにわずかばかり安堵した。 「サンジ?」 おとなしく腕を預けながらも、ゾロが困ったようにサンジを呼んだ。 それには答えず、サンジは医師の方を振り返った。 「先生、オレが責任持ってこいつに食わせます」 は?、と間抜けな返事をしたのはゾロで、当のくれはは 「おや、そうかい。じゃ、頼んだよ」 とあっさりうなずいて、器具の片づけを始めた。 「行こう、ゾロ」 「え、でも、サンジ……」 展開についていけないゾロは、腕を引張られながら、サンジとくれはを見比べた。 「しっかり食わせてもらいな。──いいかい?ちゃんと食べて、ちゃんと寝るんだ。お前みたいなタイプは、まず身体が動かないと、頭だって動きゃしないんだからね」 フルで働いたって大したことないんだから、とトドメの一言をくれて、ファンキーな医者はとっとと二人を追いだした。 外へ出ると、初春の風が緩やかに流れていた。 汗をかいたままの身体では、それを心地良いと感じる余裕はない。 体熱を奪われて、ゾロはぶるりと震えた。 ただ、縫ったばかりの傷口と、サンジに捕まれた左腕だけがずきずきと熱い。 心臓と同じリズムを刻むそれは、少しずつ早くなっていくようで、ゾロは戸惑いを覚えずにはいられなかった。 堅い横顔を見せたまま、サンジはこちらを見ようともせず、そっと引き抜こうとした腕は、引き止めるように強く握られた。 「サンジ」 「……………」 「────サンジ」 手を、と呟いたゾロの声を、サンジは聞こえないふりでやり過ごした。 |
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