春ある国に生まれ来て-9》
背中合わせの敷地は、歩いたって二分もなくて、背の高い門柱をくぐると、ゾロは身を固くした。
サンジは、このまま道場まで入って行く気なのだろうか。
別に悪いことをしているわけではないけれども、しかし。
そう思ったとき、つかまれていた腕が、不意に開放された。
「…………服」
「ふく?」
「服、着替えてくるんだろ」
投げ出すような物言いだが、口調は静かだった。
さりげなく反らされた眼は、己の行動を恥じているようにも見える。 唐突さに驚かされはしたけれども、別に、サンジの行動を不快に思った訳ではない。
ふらふらと頼りない自分を見かねてのことかとも思う。
だから、素直に礼を言ってみた。
サンジは何故か、くしゃくしゃと金髪をかきまわして、2、3度無意味に地面を蹴飛ばしてから、思いきったように顔を上げた。
「……待ってるから」
「ああ、すぐ出てくる」
からからと横引きの扉を開けながら、誰かが自分を待っている、という感覚は随分久しぶりだと思った。

道場へ足を踏み入れれば、すでに皆は解散していた。
中にいるのは師範と師範代、それに自主練習中の大人が数名である。
とはいえ、ゾロを待ってのことか、『問題児軍団』は私服に着替えて、軒先で人待ち顔で遊んでいた。
「やあ、ゾロ」
「師範」
「あっ、ゾロだ!」
コウシロウがゾロに気づくと同時に、子供たちがわっと縁側に身を乗り出した。
「傷縫ったのかー」
「痛くないの」
広い縁側の一ヶ所に子供たちが押し合いへし合いしている。
傷口を覆ったガーゼは白く目立って、幼な心に不安を生むのだろう。
「ちょっと切っただけだ。すぐにふさがる」
「悪かったなあ、ゾロ。よけきれなかった」
師範代が来て謝るのに、ゾロは慌てて手を振った。
「とんでもありません、俺の修練不足です。却ってご迷惑をおかけして……」
大したことはなかったから、と繰り返すゾロに、師範がおっとりとした顔を向けた。
「でもゾロ、それじゃ何をするにも不便じゃないかい?良かったら、うちに食事をしにこないかね?もちろん、サンジくんも一緒に」
「わー、やった!ゾロ先生、そうして!」
間髪入れない賛成の声は足下の愛娘からで、周りからは即座に「いいなー」「ずるいぞ、くいな」「おれも行く!おれも行く!」と騒ぎが持ち上がる。
コウシロウが「いいよ、みんなおいで」と言い出すより先に、ゾロがやんわりと断りを入れた。
「大丈夫です。……あの、サンジがいるんで」
「サンジくんが?」
「はい、メシも……作ってくれるって言ってるし……」
知らず左腕をさすりながら、ゾロは小さな声で言った。
えー、と子供たちからは不満の声が上がったが、コウシロウはにこにことうなずいた。
「そうか、お友達がいてくれるなら安心だね。じゃあ、サンジくんにまかせておくよ」
「──はい」
言われるままにサンジを受け入れている自分に、多少の違和感はある。
元々、他人と干渉しあうことは、あまり得意ではないのに、サンジがいることをわずらわしいとは思わなかった。
それは、サンジ自身の持つ雰囲気のせいなのか、ミホークの息子だという事実がゾロにそう思わせているのか、それとも、今はもう忘れかけていた懐かしい香りをサンジがまとっているせいなのか──。
そこまでつきつめて考える気にもなれず、ゾロは着替えのために更衣室へ向かった。

どうせ、今だけのことだ。
離れてしまえば、もう会うこともないだろうから。

一度家に寄って、荷物を縁側から放り込んだ。鍵などない。
不用心極まりないが、家の造りがそうなっているし、空き巣が狙うようなものなんかないから、とゾロは言った。

「商店街とか……ある?スーパーでもいいんだけど」
「大きい通りに出れば……。20分くらい、歩くけど」
「いいよ。お前は大丈夫か?何なら、オレ一人で行ってくるけど」
そんな風にに気を遣われて、ゾロはとっさに何と返したものかわからなかった。
「……これは、こんなのはかすり傷だから……」
どうってことはないのだと、口の中で呟いてみる。
「じゃ、行こう。どっち?」
「そこ出て左」
車がすれ違ったらどうするんだろう、と思うような狭い道を、肩を並べて歩く。
サンジが左側を選んだのは、ふさがった視界を気づかってのことだろうが、おかげでゾロにはサンジの足下しか見ることができない。
見えない分敏感になった皮膚が、サンジの気配を感じ取って、ゾロは落ち着きなく左腕をさすった。
「寒い?」
右目を捕らえるためにのぞき込んで訊ねれば、ゾロは目を見開いたまま、ふる、と首を振った。
知らない大人を警戒するようなその仕草は。
「お前、子供みてェ」
ぷ、と吹きだすと、ゾロが不機嫌そうに眉を寄せた。
それがますます子供じみていて、サンジの笑みが深くなる。
「笑うな」
「ごめん」
軽く片手を上げて謝罪しながら、もう一度その腕を取ったら、今度は振り払われるだろうか、と考える。

────それはまるで、出来たての恋人との距離を測っているようだ、と思った。

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