アクアリウム 1
親愛なるドクター

彼の症状はずいぶん進行したようです。痛みを堪えるために、彼が消費する薬の量は見るのが恐ろしいほどです。
どうしても我慢できないときのために、モルヒネの錠剤を少しばかり手に入れました。どこで、と言うのは内緒ですが。
僕たちはいいとしても、相手に迷惑がかかるかもしれませんから。
驚くのは、そうした薬を手に入れるのが思っていたよりはるかに簡単だ、と言うことです。僕が言うことでもないですけど。
トムはこの間はテレビを見ている時、突然昏倒しました。
幸いすぐに気がつきましたが、次は目を覚まさないのではないかと恐れています。
本当は、彼を病院に連れていきたい。逮捕されることになっても、適切な治療を受けさせて、可能な限り彼に生きていて欲しいと思っています。
でも、彼は僕から引き離されれば、結局生きてはいられない──そう書いても、あなたなら僕を自惚れ屋だと笑いはしないでしょう──から、考えても無駄なことです。
……正直に言えば、離れていられないのは、僕の方も同じなのかも知れません。その気になれば、彼を騙してでも医者に見せられるのに、もしかするとそのほうが彼のためかも知れないのに、どうしてもそうする気にはなれずにいます。
彼が、僕の裏切りに傷ついたり、僕のいないところで僕を探したりするだろうことを想像すると、とても耐えられません。
僕たちは、心臓がひとつしかない結合双生児みたいだと思うことがあります。相手がいなくては生きていられない。
あなたなら、こんな状態を何か適切な言葉で表現することができるのかもしれませんね。
──トミーが笑いながら僕を揺すって邪魔しています。僕を手紙にとられると思っているんでしょう。
ドクター宛の手紙だよ、と言うと、ちょっとだけ大人しくなりました。
彼もあなたには感謝しているようです。もちろん、僕も。
ドクターの存在にはどれだけ助けられたことか。こうして一方的にであれ、話を聞いてもらえる相手がいる、というのは心の支えになるものですね。

もしかすると、次の手紙が最後になるかもしれません。
たとえそうだとしても、僕たちはどちらも自分を不幸だと感じてはいませんから、心配しないでください。

感謝をこめて。
クレイ
 その電話が鳴ったとき、ドクター・ビーヴァーはちょうど彼からの手紙を読み返していたところだった。すでに何度も何度も読んで、内容を半ば暗記するほどに馴染んだ手紙だ。
 その都度感じているのは後悔とやるせなさ。どうにか出来たのではないかと言う気持ちと、誰にもどうにもできなかったのだと自分を納得させる気持ちが相半ばしている。そして、正直に言えばわずかばかりの安堵も混じっていた。
 これで彼らはもう追われることはないし、逃げる必要もない。彼らは人の手には裁けないところにいるのだろう。こうして電話がかかってきたということは、間違いなくそういうことなのだ。
 コロロロロ……、と土鈴のような軽い呼び出し音が続いている。ビーヴァー医師はよいしょ、と椅子から立ち上がった。ベルの音をことさら明るいものに設定してあるのは、彼のところへかかってくる電話は、不幸な内容であることが多かったからだ。まだジム・ビーヴァーが現役の医師だったころ、彼の運営するメンタルクリニックは、通常の診療の他にFBIの嘱託医、という仕事も請け負っていた。それゆえに彼の元にかかる電話はことさら深刻な悲劇に見舞われた人々からのものである割合が高かった。目の前で子どもを殺された母親。遺体で発見された妻を確認せねばならなかった夫。家族の中で、たった一人生き残った少年。後一歩で殺されてしまうところだった少女。
 あるいは逆に、どうしても近隣の人間を殺さねばならないと言い張る男や、通りすがりの女性を辱めては殺して捨てた青年、幼い少女とその母親を殺したのは自分の身を守るためだったと信じている少年、死体の一部を保管し、毎夜「戦利品」に囲まれて悦に入る殺人者たちに会うこともある。
 加害者であれ被害者であれ、彼らは共に、心のどこかに傷を負っている。その傷を見つけること、可能ならばふさいでいくための手助けをすること。何故こうした事件を起こすことになったか、その理由を知ること。それが彼の仕事だった。
 ドクター・ビーヴァーは良い医者だ。それは彼の患者や、FBI、警察等のメンバーたちの多くが認めるところである。ジムは献身的に患者を支え、捜査に協力した。患者に頼られ、司法に携わる人々に信頼され、ゆえにこそ彼がリタイアを決めたときには、周囲の人間は一様にまだ早いじゃないか、と惜しんだものだ。しかし彼は、疲れたんだよ、と首を振り、引き止める声に耳をふさいだ。
 まだ若かった頃、事故で妻と二人の子どもを一息に奪われた彼は、他人の苦悩を癒すことはできても、彼自身が抱いた悩みや疲労を分かち合ってくれる相手に恵まれなかった。再婚を勧める人間もいたけれど、忙しさにとりまぎれているうちに、結局独り身のままできてしまった。引退した今なら自由な時間も持てたけれど、もう新しい家族を欲しがるには年を重ねすぎている、とドクターは苦笑した。
 以来四年の間、ジムの家の電話は以前に比べれば使用頻度はうんと減り、同時にその伝えてくる内容もずいぶん平和になっていた。
 しかし、今日ばかりは不幸を先触れるカラスの鳴き声のようだった以前のベルに戻ったらしい。
 表示されているナンバーを見て、ジムは受話器をとる前にひとつ息をつき、これから耳にするであろう悪いニュースに心構えをした。
『ようジム』
「やあ、ジェフ。久しぶりだな。変わりはないか?」
『久しぶりだって? あんたが俺に電話してきたのはほんの昨日のことじゃないか。くそっ、いいか、あんたとの絶交宣言はまだ続いてるんだぞ』
 電話の相手は、こんちくしょうめ、と彼らしくない悪態を繰り返した。
 ジェフリー・モーガン。ジムとは長い付き合いのFBI捜査官だ。放ったらかしのヒゲに覆われた容貌は実年齢より十やそこらは年上に見える。仕事の内容が内容だから、貫禄はいくらあってもかまわないのだが、ときどき幼い子どもに怯えられることがあるのが悩みの種でもある、と同僚たちはみんな知っていた。元来心優しい男だから、そのたびにおろおろしながら子どものご機嫌をとっているのは実に微笑ましい光景だ。近頃、そういうときのために簡単な手品を幾つか覚えたらしい。タフで明るく、頭もいい。辛いことも多いこの仕事に長く携わっていながら、人間的魅力を損なわずにいられるところにジムは素直に感心している。
 ただし、彼の言ったとおり、ジムは去年の暮れ頃に絶交宣言を突きつけられた。彼が本気で怒ったのも無理はないと思う。以来、彼のほうから連絡があったのはこれが初めてのことだ。
「わかってるさ。だが期間延長の確認に電話をしてきたわけじゃないんだろう」
『……奴らが見つかった。あんたの言ったとおりだったよ。すでに二人とも死んでた。死因は今現在調査中だ』
「──そうか」
 調べるまでもなく、ジムには見当がついている。片方は病死、片方は自殺で間違いない。そんな方法で彼らは共に逝ったのだ。他に選べる道がなかったから。
『「そうか」? いいか、ジム、あんたがあの時通報してれば……』
「彼を逮捕することができた、か? もうその件に関しては、さんざん俺を責めたじゃないか。その挙句に、金輪際絶交だと言って来たのはお前だろう。それとも、また一からケンカをやり直すか?」
『ハニガーは凶悪犯だ! ミラーはその逃亡を幇助した。彼らは捕まえるべき人間だったんだ!』
 ああ、その通り。それでこそ正しい法の執行官だ。そうしたたわみない真っ当さもジェフの長所の一つで、絶交を言い渡された後でも、その評価は変わらない。
 しかし、ジムにはジムの意見があった。世間一般から見れば正しくはないかもしれない。だが、『正しさ』ばかりが世の秤のすべてではあるまい。彼らに会い、彼らを見た人間でなければわからないことがある。この件に関して、自分とジェフはこの世の終わりまで語り合っても分かりあえる日は来ないだろう。来なくてもいいと思う。ジムとて、リタイアしていたからこそできた判断だった。何よりも、彼ら自身が理解されたいなどと望んではいないだろう。
 彼らがお互いをどんなに必要としていたか。それはすでに依存症状に近いほど強烈な欲求のようだった。二人が助力を求めてジムの元にやって来た日、まるで少しでも離れればジムがクレイを盗ってしまうのではないか、とそんな疑いをありありと浮かべてクレイにひっついていたトムの顔を思い出す。もちろん、クレイとジムの間柄を邪推して、というわけではなく(されても困る)、彼が精神科医などと言うものに少しの信頼も置いてない結果だ。
 あいつらは(と彼は言った)、小難しい理屈を並べ立ててやたらあれはこれの象徴だの、これはそれの分類だの、何とか言う本の第何版のどこそこの章にある事例がどうだとかこうだとか言うばかりで、俺たちを閉じ込めておくか薬漬けにしておくことしかできない、というのがトムの主張だった。ずいぶん一方的かつ偏った意見だ。しかし、彼が過去に通ったクリニックがそうした類の、公平に言ってやる気に欠ける施設だったのは確かなようで、後から取り寄せた資料でそれを知り、ジムはそのことをつくづくと惜しんだ。彼が最初にちゃんとした治療を受けていれば、もしかするとその後の悲劇は防ぎ得たかも知れない。彼の起こした事件の被害者もおらず、クレイとだって、逃亡生活の中でお互いを支えあうような真似はしないですんだと思う。
 ──むろん、こんな仮定に意味はない。むしろ改善されていた可能性が高ければ高いほど、空しいだけだ。もしも、違う道を通っていれば。ドアのチェーンさえかけてあれば。たった五分早く家に帰り着いていれば。一本電話を入れておけば。ジムがこれまで経験してきた事件の中には、ほんのわずかのタイミングで被害を逃れられただろうケースも多かった。そしてその事実は遺族に悲しみを与えこそすれ、救いになることはまずありえない。
 と同時に、FBIが関わるような凶悪事件の犯人は、そういった重大事件を起こす前に、もっと軽度の犯罪で逮捕されたり病院に収容されている場合が多い。あの時釈放を、あるいは退院を許可しなければ、と医師や司法関係者が臍をかむこともしばしばで、だからこそジェフの怒りもそこにある。
 危険な人間を放置して、もし新たな被害者が一人でも出ていたらどうするつもりだったんだ、と、そういうことだ。
 彼の懸念も無理はない。結局ジムとても、彼らを完全に見逃すことはできなかった。四十八時間経ったら、君たちのことを知り合いの捜査官に話さなけりゃならない、と言ったジムに、トムもクレイも傷ついた顔はしなかった。それどころか、ありがとう、と感謝さえ向けられ、相変わらず彼にひっついたままのトムも、ちょっと気まずいような顔をして、悪かった、と、もごもご口の中で呟いた。
「お前たちが二人を捕まえてたら、トム・ハニガーはとうに生きてなかったはずだ。──本当はわかってるんだろう、ジェフ。彼はクレイと出会って以来、一件の殺人も犯してはいない。落ち着いてたんだよ。安定してたんだ。逮捕されてクレイと引き離されたら、きっと自暴自棄になって、手当たり次第に周囲の人間を傷つけただろう。もちろん、自分も含めてな」
『それは結果論だ。あんたこそわかってるくせに。ジム、奴は過去に罪を犯した。罪のない人たちを何人も殺したんだ。その原因が病気であれなんであれ、それは彼が背負うべき咎だ。彼には償う義務がある。いいか、大事なのは、法廷で裁きを受けられるかどうかじゃない。あの現場は、素人が見たって半分イッちまってる奴の仕業だとわかるからな。責任能力が認められるかどうかは微妙だろう』
 さばかれたニワトリみたいに露出した肋骨、チョコレートの上に残された心臓、被害者の血で書かれた愛のメッセージ、ぬいぐるみのように乾燥機の中で回り続ける死体。悪意を持ってコピーされた、バレンタイン・デイのまがい物たち。周囲の裏をかいて行動するだけの巧妙さを持ちながら、痕跡を隠そうという努力さえしていないアンバランスさは、彼の二面性を顕著に表している。調査に当たったプロファイラーは、トム・ハニガーを秩序型と無秩序型の複合タイプだと言った。境界性人格障害か解離性同一性障害を発症している可能性が高い、とも。
 実際彼は、土壇場まで一連の事件は、他人──ハリー・ウォーデンか、それを装ったアクセル・パーマー──の仕業だと信じていたようだった、とパーマー夫妻も証言した。彼の診療記録によれば、統合失調症という診断が下されていたようだ。ただし、トムを診察した医者は、彼の治療を中断したことについて自分に責任はない、と、その言い訳のほうに懸命だった。「殺人鬼を野に放った」と非難されるのが怖いのだろう、病識が低いのがこの病気の特徴のひとつであり、通院してこなくなったのは患者の判断であって、自分は彼が完治したなどと認めたことはないのだ、とくどくど何度も繰り返していた。
 トムが逮捕されて裁判にかけられれば、弁護士は間違いなくその事実をついてくるだろうし、彼の病気は誰の目にも明らかだ。
『だからこそ、だジム。彼は自分の罪を認めて、後悔しなきゃいけないんだ。そうできるだけの理性があるならな。せめてそれくらい……それくらいしなけりゃ、殺された人たちは救われない』
 ──昔、ジェフリーにそう言ったのは、他ならぬこの医者だった。あれはいつの夜のことだったか。氷が溶けて水っぽくなった酒のグラスを見つめながら、ジムはぽつりぽつりと独り言のように呟いていた。
 事件であれ事故であれ、犯人が逮捕されることで、被害者や遺族が救われるわけではない。むろん、捕まらないよりは捕まったほうがいいに決まっているが、仮にどんな刑が科せられたところで、失われた人間は帰って来はしない。亡くなった者は安息の眠りにつき、遺された者たちは永遠に帰らないひとを思ってただ寂しくなるばかりだ。
 それでもなあ、とビーヴァー医師は遠い目をすると、残った酒を一息に飲み干して言った。
 それでも、犯人が自分の罪に気づき、後悔するなら、ほんの少しくらいは慰められる気がするんだよ、と。
 ジムの家族をまとめて奪ったのは、ドラッグに悪酔いして、妄想の中の化け物から逃げようと無茶苦茶に車を走らせていた十七歳の少年だった。少年の車はスーパーの駐車場に乗り入れ、あちらにぶつかっては弾かれ、こちらにぶつかってはスピンし、を繰り返した挙句、まだようやく独り歩きのできるようになったばかりの長男と、人目をひく美女ではなかったが、ふっくらとよく笑う明るい妻、そして彼女の胎内で育ちつつあった頼りない生命──女の子だったそうだ──をはね飛ばした。
 ジェフリーがジムと知り合った頃には、既に彼は一人だったから、その事故がどんなふうに処理されたのかについては知らない。犯人は彼の罪を悔いたのか、悔いなかったのか。それを知るのは、彼本人とジムだけだ。周りにいる人間は、せめて前者であってくれますように、と祈るくらいのことしかできない。
 いずれにせよ、おそらく、あの夜のアルコールは彼の摂取量の限界をやや越えていて、きっと素面に戻った後で、そう言ったことを後悔するだろう、とそれくらいはわかったから、ジェフリーは一度もそれを口にしたことはない。けれど、そのひと言は痛みのない棘のようにジェフの心に刺さったまま、今では捜査官としての彼の指針となっている。
 それなのに。
『……どうして、その義務を放棄させた……?』
 ジムにとって、トム・ハニガーとクレイ・ミラーは、いったい何が特別だったのだろう。
『……あんたがクリスタル・レイク事件の後、ミラーのカウンセリングを行ってたのは知ってるよ、ジム。その後、彼と個人的に親しくなったことも』
 患者にとって、医師は施療者であり、相談者であり、一番の理解者でもある。そうあってくれるのが良い医師であり、ドクター・ビーヴァーはまぎれもなく良い医者だった。ゆえに、患者には慕われていて、治療が終わった後でも、彼を頼る人間は少なくない。
 クレイは捜査陣に充分協力的ではあったが、彼自身へのフォローについてはまるで無頓着だった。彼のような立場に置かれた人間にはよくあることで、大事な存在を奪われたことへの怒りが他者へ向くと犯人や、あるいは警察、国家、神までを憎むようになり、自分に向くと無気力になる。救われなくてもいい、から救われたくない、へと移行する前に、彼にはプロの援助が必要だと判断された。クレイは学歴こそ高くはないが頭のいい青年で、だから半端な医師にまかせると却って抑うつ状態を増進させかねない。すでに引退を決意していたジムのメンタルクリニックが紹介されたのは、そういう事情があったからだ。 
 クレイは実質、ジムの最後の患者だった。辛抱強く思いやり深い医師は、やがてクレイに信頼されるようになり、ジムもまた、治療の範疇を越えてクレイと会うことを喜んだ。
『──俺は、ひょっとしてあんたが……ミラーに亡くなった息子の面影を重ねてたんじゃないかと……』
「俺が? あの子とクレイを?」
年齢 とし も大体同じくらいだ。あり得るだろ?』
「なるほどな」
 そういえば、生まれた年は近かったかも知れない、とジムはむしろ、今初めてそのことに気づいた。そうか、あの子が生きていればあのくらいになるのか。
 自分たちは年齢の離れた友人だと思っていたが、父親を亡くした彼と、子供を失った自分は、無意識に、そうした欠損部分を補い合っていたのかもしれない。
「それは新しい見解だ。だが、息子は明らかに母親似だった。彼女は小柄だったからね、ああまで大きくは育たなかったろうと思うよ」
『外れか』
「いや、意外と本質をついているかもしれん」
『精神科医の内面を探るのは難しいな』
 ジェフはようやく少しだけ笑った。ジムも電話の向こうで面白そうな声をたてた。
 絶交だ、と言い捨てたのも任務に忠実だからであって、ジム個人を嫌いになったわけではない。友人としての本音を言えば、何か事情があるんだろうとわかっていた。
 彼の追うべき被疑者たちが死亡した今なら、話せること、聞けることがあるんじゃないかと思っている。
「ジェフ、もうひとつ外れてることがある」
『これ以上何があったかな』
「俺はトムに、お前の言う『義務』を放棄させたわけじゃない。彼は彼なりに自分の罪について考えていたし、後悔もしていた」
『何でそれをあんたが知ってるんだ。毎週日曜日にハニガーが懺悔に来てたのか?』
 ミシガン湖の周辺で二人が見つかるはずだ、ただし、かなりの可能性ですでに死亡している疑いがある、とジムから連絡が入ったのが昨日のことだ。
 何故知っている、と問いただすジェフリーに手紙が来た、とジムは言った。聞けばクレイから時折、ジム宛ての手紙が送られて来ていたらしい。電話やeメールを避けたのは、居場所を特定されやすいからだろう。投函場所はアメリカ中で、彼らはあちこち移動しながら捜査の目をくらましているらしかった。その件でジムとジェフは、そういう手がかりがあるならどうして教えないんだ、とまたひとしきりケンカになったのだ。
「今朝、俺宛に荷物が届いたんだよ。クレイからだ。死ぬ前に発送したんだろう」
『中身は』
「日記……みたいなもんだな。クレイが見たトムと、トム自身が自分の心理状態について書いたものと。あとは私物が何点かと、そうした遺品の処分を俺に任せるという委任状だな」
『何だと? おい、それは一級の捜査資料だぞ!』
「提出して欲しいか? それとも徴発するか?」
 あからさまにからかいを含んで、ジムはひらひらと委任状をはためかせた。むろん、ジェフリーにはそんな仕草は見えなかったが、昔なじみが見慣れた表情でニヤリと笑っている気配は十分に感じ取れた。
『……自発的な協力を要請する』
「要請しておいて自発的も何もないと思うが。今夜こっちへ帰って来られるか? 資料を整理しておいてやるよ。──たぶん、彼らのためにもそうするのが一番いいだろう」
 凶悪殺人犯と事後従犯。被害者から、あるいは周りから見れば、二人はそうした存在でしかない。それはそれで真実のひとつだ。彼らの罪は裁かれねばならない。
 けれど、傷ついた人間同士が寄り添って、二人の小さな世界の中でどんなにかお互いを慈しんでいたかを、そのささやかな幸福までを否定することは誰にもできないし、してはならないはずだった。
   
2012.4.13