夏恋。2 〜冬の二人〜 3
   〈2〉

「チャド、チャド、なあなあ」
「うるせえな、何だよ」
 キャンパスは広い。同じ学部、同じ学科の生徒ですら、授業が重なってでもいなければ偶然会うことなど難しいというのに、この男は妙に強運に恵まれている、と思いながら、チャドは追いすがってくる友人を振り払うように、ずかずかと速足で歩き続けた。もっとも、これで諦めるような相手ではないと知ってはいたが。
「なあ相談乗ってくれよ、相談!」
「イヤだ」
「冷たっ!」
 誤解のないように言いそえるなら、チャドは本来、冷たくもなければ意地悪な性質でもなく、「他人になんか興味ないね、はっ(下目遣い)」と言うような傲慢さなど欠片も持ち合わせてはいない。むしろ、明るくて気さくで、友達思いの気のいい男だ。多少口は悪いけれども、それだってこの国に暮らす二十歳の男子としては、標準の域を超えるものではない。
 その彼が、旧友(何せ中学校入学式以来の付き合いだ)たるジャレッドを、どうしてこうも邪険に扱うかと言えば。
「どうせまた〈先生〉絡みだろ。お前の〈先生〉の話はもう聞き飽きた」
 先生がこう言っただとか、ああ言っただとか、何やらのお菓子をくれたとか、一緒にメシ食っただとか、祭りに行っただとか、笑ったとか怒られたとか、頼んでもないのに、毎日報告をしてよこしていたのが十五歳のころだ。
 最初のうちこそ、いいカテキョでよかったじゃん、なんて愛想のいいことを言ってやってたが、そのうち「あっ・そ」と二音節の返事をするのすら面倒になって来た。あたりまえだ。どれほど美人だかは知らないが、ノーマルな十五歳の少年は、四つも年上の男になんぞ興味は抱かない。R18指定のDVDに出て来る「あー、このヒトに教えてもらえるのって、セックスだけだな、間違いなく」みたいな、胸が重そうで頭が軽そうなお姉さんならともかく、だ。
 それでも、ジャレッドが高校に合格して、彼が「先生」ではなかった三年間は、あまり彼の話をきかなかった。なので、チャドとしては、もう「先生」のことなどまるで忘れていたし、実際、ジャレッドが夏のバイトから戻って来たとたん、「聞いてくれよ、チャド、俺先生と付き合ってるんだ!」などと満面の笑みで言い出さなければ、生涯忘れたままだっただろう。
 ──忘れたままで良かったのに。
 俺の平和な人生を返せ、こんちくしょう、と大声で主張したい。
 チャドは別にそういった事柄に偏見はないから、ジャレッドが好きになった相手なら、男でも女でも年上でも年下でも──犯罪にならない程度なら──いいと思う。何だかんだ言っても一番付き合いの長い友人だし、いい奴なのは確かだから、彼が傷つくようなことにならないといい、と、そう思うくらいの友達甲斐はあるつもりだ。
 これが先生、と頼んでもないのに見せられたケータイの待ち受け画面には、確かにびっくりするほどきれいな男が映っていた。はにかんだような顔は、いかにも「笑ってよ」と言われたから仕方なく笑顔を浮かべました、って感じだったが、それがちょっとした芸能人のグラビアよりキマッて見えるってのはどういうことだ、と問いただしたくなるくらいだ。ジャレッドも見栄えはいいから、並んで立てばずいぶん人目を引くだろう。世の女の子たちが「この二人がカップルって、資源の無駄遣いじゃないの!?」と理不尽な思いを抱くくらいには。
 でも、だからって、男同士のデートの首尾だとか、次のデートの計画だとか、恋人の可愛らしさだとかについて聞かされたって、どうリアクションしてやればいいのかわからない。てか、リアクションなんかしたくない。
 勝手にやってろ、と切り捨てたいのに、「チャド〜、頼むからさ〜」という情けない声にほだされた。──というか、根負けした。
 ここで逃げ切ったら、このでっかい幼馴染は、自宅にまで押し掛けてくるに違いない。外面が良くて、いかにも人懐こいジャレッドは、チャドの両親にすこぶる気に入られているので、まるきりフリーパスで入って来る。出て行けよ、などと言おうものなら、母親に追い出されるのはチャドのほうだ。
 世の中はかくも理不尽にできている。
 チャドは、なるべく不機嫌な顔つきを作りながら、そこここに設置されているベンチの一つに腰を降ろした。相談にのってやるからおごれ、とふんぞり返る。と言っても、しょせんは構内だから、たいしたものがあるわけでもなく、ジャレッドが自販機で買って来たチープな紙コップのコーヒーを手に、チャドは旧友の相談事に耳を貸してやることにした。
「ま、お前の話なんて、聞かなくてもわかる気がするけどな」
 十一月末のこの時期に相談と言うからには、クリスマスのことに違いない。チャド本人だって、ガールフレンドへのプレゼントは何がいいかな、なんて考えているところだ。
 他のイベントとしては、恋人の誕生日、という可能性があるけれども、ジャレッドの場合は当てはまらない。なぜなら「先生」は春生まれで、誕生日は三月一日だからだ。
 …………ってそんなこと、何で俺が知ってるかなあ!
 中学時代、延々繰り返し聞かされたせいで、サブリミナルのように染み付いている「先生情報」は、いまだチャドの記憶の中で健在だ。あの頃付き合ってた彼女の誕生日はもう覚えてないというのに、他人の恋人(しかも男)の誕生日を忘れてないなんて不毛すぎる。
 不幸な自分に同情しつつ、チャドは「先生へのプレゼントだろ」と相談事の中身を言い当ててやった。
「あー、と、……うん、そう」
「お前って、そういうとこ、すっごいわかりやすいよな。──何にするか、迷ってんの?」
「うん。何がいいと思う?」
「そりゃあ、アレだろ。指輪。恋人に贈るなら定番中の定番じゃねえ」
 何を悩むことがあるのか、とチャドは思う。もう五年も付き合って指輪なんてとっくに贈ったとでも言うならともかく、最初のクリスマスなんだから、基本を押さえておけばいいんじゃないのか。
「でも先生、男だし」
 今さら言わなくても、知ってるつの。
「……誰もダイヤのエンゲージリング贈れなんて言ってないだろ。ふつーのでいいんだよ、ふつーので!」
 ほら、こーゆーの! と、チャドは自分の右手を差し出した。もちろん、ダイヤはついてない。シルバーでちょっとごついデザインの男物だ。まあ、もしかするとこういうゴシック調なのは好き嫌いがあるかもしれないが、そのときはもっとシンプルなものを選べばいいだけの話だし。
「指輪かあ。やっぱ、そう思う?」
「思う。基本だろ」
「ベタすぎない?」
「いんだよ、こゆことはベタすぎるくらいで。塾の講師だっけ、お前、割のいいバイトしてんだろ? いっちょ奮発したら?」
 何と言ってもクリスマスだ。恋人たちにとっては、バレンタインや誕生日と同じくらい重要なイベントだ。最初なんだから、ガツンといっとけよ、とチャドがまるでケンカにでも赴くようなことを言うから、ジャレッドはつい笑ってしまった。
「そっかあ。じゃあやっぱりその路線で考えようかなー」
 百戦錬磨のチャドのアドバイスだしー、と皮肉なのか本気なのかわからないことを言って、ありがと、と立ち上がった。
「……お前、」
「ん?」
「話って、マジでそれだけ?」
「そうだよ? 何で?」
「いや、何か…………」
 チャドは、座っているせいでますます高く見える友人の顔を見上げ、何事かを言おうとして──結局は肩をすくめた。
「まあ、……いいさ……。お前がそう言うんなら、」
「チャド」
「ま、でも、困ったときは頼れよ親友。安っぽいコーヒー一杯で相談に乗ってやる」
 じゃあな、とひらりと手を振って、あっち行け、と指をさした。あまり言いつけないことを言ったから、恥ずかしいのに違いない。ジャレッドは照れる親友の姿にえくぼを作ると、サンキュ、と呟いてから背を向けた。
 気の毒なことに、チャドは自分で願ってるほどには「悪い男」が板についてない。それは彼の本質が優しいからだ。彼を好きだという女の子たちはみんな、彼のクールを気取ってるところじゃなくて、心根の優しいところに惹かれてるんだと思うけれど、本人は気づいてないふうなのが惜しまれる。
 チャドに相談したかったのは、ほんとにクリスマスのプレゼントについてだった。
 でも、そうだ、チャドが察した通り、ジェンセンのことで心配なのはそこじゃない。
 ──ごめんな。
 眠っている自分に与えられた言葉は、ひどく哀しい。あんなこと言われなければ、頬をひっぱるような無邪気な悪戯に、ひどいよ先生、何すんの、と抗議してやれたのに。
 彼が中途半端な性行為を気に病んでいるのは知っている。二人とも、聖人でもなければ枯れてもいなかったから、セックスは重要な問題だ。正直、ジャレッドもそうしたこと──ジェンセンの中に入ったときに感じるであろう快楽や、そのときの彼の表情や声や体温や、その他、まだジャレッドの知らない彼のすべて──を想像することはある。「ことはある」と言うか……、実はまあ結構頻繁に考えるし、考えてるうちに元気になってしまって、一人でスる、というのが最近のパターンになりつつあって、なんかちょっと気恥ずかしいっていうか、反省するっていうか……。若いから、しょうがないと思うけど。
 もちろん、想像じゃなくてちゃんとセックスしたいと思ってるし、その日が来るなら早いに越したことはないと思ってもいる。本音を言うなら、時々、力づくで彼を抱いてしまいたいという凶暴な欲求にのみ込まれそうになることもある。
 でも、その衝動に流されてしまうほどジャレッドは他人に対して無神経ではなかったし、何より、ジェンセンの負っている傷の深さを知っていた。彼がどんなにか傷ついていて、今もまだその痛みと闘っていることを、だ。 
 夏、ろうそくと懐中電灯だけの心もとない灯りの中で、二人で過ごした嵐の夜、ぽつぽつとジェンセンが語って聞かせた内容以外、あの事件についてジャレッドが知っていることはない。加害者の名前すら知らないままだ。調べることは簡単だったが、ジェンセンが知られたくないと思っているのがわかるから、しないでおこうと決めている。
 それに、きっと名前や顔が与えられて「加害者」という記号から、具体的な「個人」へと変わってしまえば、自分は今より一層、相手のことを憎むだろう。そうした変化はジェンセンに伝わってしまうだろうし、彼はそのことにも罪悪感を抱くに違いないから。
「指輪かあ」
 どうしようかな、とジャレッドは立ち止まって天を仰ぐ。もちろん、その選択肢は最初に考えた。どれくらいがチャドの言うところの「ガツン」なのかわからないが、ある程度なら余裕があるし、恋人に似合いそうなものを探す作業は楽しいだろう。
 ジャレッドのポケットの中には、彼からもらった合鍵が入っている。これをもらったときと同じくらい──は無理でも、せめて半分も喜んでもらえたらいいのに、と思っている。
 ただ、いかにも恋人向け、というプレゼントは、今のジェンセンには重く感じられないか、とジャレッドはそれを心配していた。
 わかりやすく、なおかつ、下品きわまりない言い方をするなら、突っ込めるか突っ込めないかなんてことは、本質じゃない。大事なことではあるけれど、そのせいでジェンセンを嫌いになるだなんて、そんなことは絶対ありえないんだから、気にしなくていいと思う。──なんて、そんなあからさますぎることを、ジェンセンに言うわけにはいかないけれども。
 俺は、とてもとてもあなたを大切にしたいんだよ、ということ。ただそれだけを、ちゃんとジェンセンに伝えたい。

 ──ジャレッドは、確かにそう思っていた。
 彼を傷つけたくないと、一番に願っていたのは自分だったはずなのに。
   
2010.12.25