夏恋。2 〜冬の二人〜 5
   〈4〉

「ケンカしたあ?」
 しょんぼり、と背景に書いてありそうな声でジャレッドが電話してきたのは、クリスマス直前のことだった。デート中だったチャドは、初め、コールを無視していたのだけれど、五分置きに五回、着メロが鳴ったのでキレかけ半分で通話ボタンを押したのだった。しかし、「馬に蹴られて死んじまえ!」などと怒鳴るより先に「チャド〜」という情けない声が聞こえてきてタイミングを逃した。
 確かに、「困ったときは頼れ」とは言ったが、デート中は遠慮するのがマナーじゃないのか、親友! 四回コールを無視された時点で、察しろよ、そこは。
 ──という、チャドのある意味当然の抗議は、しかし、ジャレッドにはまるで聞こえてないらしい。先生が、先生が、とべそべそ呟いている。
 こうなったらしょうがない。さっさと相談事を解決し続きに戻るのが一番の早道だ。ごめん、とガールフレンドに片手を挙げれば、ぷく、と頬を膨らませながらも、しょうがないわね、というゼスチャーをしてくれた。よくできた彼女だ。電話の向こうでぶつぶつ言ってる親友とは大違いだ。
「で? ケンカの原因は何だよ」
「ケンカっていうか……怒らせたっていうか……」
「心当たりは?」
「それが……昨日、先生と一緒にいたときに、アレックに会って……」
「アレック? って、あのアレック?」
「そう」
 もともと、ジャレッドがアレックに出会ったのは、チャドに連れられて行ったクラブでだった。大学生になったんだし、こういうところにも慣れないと! なんて、よく分からない理由で引っ張り出された。ただし、酔っぱらったときに「お前がいると女の子が寄って来るしー」などとほざいていたので、本音はそっちだったのかもしれない。
 もちろん、ジャレッド自身もそうした場所には興味があったし、受験からの解放感も手伝ってそれなりに楽しかったので一時はけっこう遊び歩いた。だからと言って、チャドみたいに、毎回毎回女の子を見つけて口説いて運が良ければお持ち帰り、みたいなマネはできなかったけれども。
 ──念のために言い添えるなら、男の子ならお持ち帰りできる、という意味ではない。ジャレッドは女の子も普通に好きだし、高校の頃には二人、付き合った子がいる。いつも自然体でいるように見られるジャレッドだけれども、その頃はまだ自分の感情に絶対の自信があったわけではなかった。誰に指摘されなくても、ジェンセンへの思いは、一時的な気の迷いではないかと悩んでいて、だから、告白されたのをきっかけに恋人らしい関係になった。ただし、どっちもたいして続かなかったが。
 一人目は、ジャレッド本人でなく、彼の「入学生総代」という肩書きが気に入ってのアプローチだったことがわかったので、すぐ別れた。二人目はお互い勉強が忙しくなって自然消滅だった。その後も、何度か告白されたりしたけれども、結局自分は、ジェンセンのことが好きなのだ、と自覚が増しただけだった。最初から遊びと割り切った付き合いも、まるきり経験しなかったわけではないけれども、頻度はごく少ない。チャドに言わせると「お前の身体はハリボテか!」ということになるのだが、当人にしてみればまったくもって余計なお世話である。
 アレックも、どちらかと言えばチャド系だ。相手は一人のことも数人のこともあったけれど、いつも女の子と一緒だったから、彼をちゃんと見たのはジャレッドがその店に行き始めてから、しばらく後のことだった。
 遠くにいたときは気づかなかった。ドリンクを受け取るためにたまたま隣に立ったとき、初めて彼を間近で見て、ジャレッドは驚いた。
 ──似てる。
 ずっと忘れられずにいるひとに、だ。
 具体的にどこが、というわけでもなく、ただちょっとした表情のはしばしや、声の響きにジェンセンを思った。同じ色合いの瞳や長いまつげ、やわらかそうな髪も、彼を彷彿とさせて、だからジャレッドはどうやら、初対面の人間にするにはぶしつけなほど長い間アレックを見つめていたらしい。
 アレックは、揺れる天秤を見つめているように視線を左右に泳がせた後、「お前のそれは、新手のアプローチなのか?」と笑った。
「え?」
「俺に見とれてたんじゃねえの」
「え……、あ……っ!」
 言われて初めて自分が相手の顔を凝視していたことに気づいて、ジャレッドは真っ赤になった。
「ご、ごめん、あの……」
 知り合いに似てて、なんて、それこそチープすぎる口説き文句だ。とても言えない。
 あわあわしているジャレッドが面白かったのか、アレックはきゅ、と唇の端を持ち上げて大きな金緑色の目でジャレッドの顔をのぞき込んだ。
「そういや、見たことある顔だな。何回かここに来てただろ? でっかいから目立ってた」
「え、と、うん、友達がこの店好きで……。俺も、君を知ってる。いつも女の子に囲まれてたよね」
 こんなにきれいな顔立ちならモテるのも当たり前だろう、とそう思っただけで、深い意味を込めたわけではなかった。しかし、アレックは、すっと目を細めると、ちょっとだけ背伸びをして、「女だけじゃないぜ」とジャレッドの耳元に囁いた。甘く、まるで睦言のような声で。
 今思い出しても、あの時グラスを落とさなかったのは奇跡だと思う。それほどに衝撃を受け、ジャレッドはただ呆然と立ちすくんだ。帰ってこない友人を心配したチャドが迎えに来た頃には、グラスの中身はとっくに温くなっていた。
「でももう付き合ってないんだろ? てか、あの頃だって、別に付き合ってたわけじゃないもんな、お前ら」
 もてあそばれただけだもんな、とひどいことをさらりと言って、しかも同意を求めてくる辺り、古い友人だけに遠慮がない。
「も、もてあそばれたとか……そういうんじゃ……」
「つまみ食い?」
「違うってば」
 それは確かに、彼との付き合いは二ヶ月にも満たなかったけれど。
 アレックともう一度会えるまでに、二度の夜が必要だった。一人きりの彼を見るのは初めてで、ジャレッドが彼を見つけて傍に寄るまでの間にさえ、誰かしらがひっきりなしに声をかけていた。ひらひらと指を振って彼らを追い払っていたアレックは、すこしばかりためらいがちに歩いてくるジャレッドを見つけると、機嫌よく喉を鳴らす猫みたいにゆったりと目を細めた。
「あれは──俺が悪かったんだよ」
 ほとんど初対面の相手とその日のうちに寝てしまうなんて、ジャレッドにとっては初めてで、しかも自分が求めているのは彼ではなく、彼によく似た別の人だとわかっていたから、ひどく後ろめたかった。
 そういう気持ちは簡単に伝わる。肌を合わせているならなおさらだ。ジャレッドはジャレッドなりにアレックを大切に扱ったし、お前のそういう変に紳士的なところ嫌いじゃないけどさ、とアレックはクスクス笑っていたけれど、きっと最初からわかっていたのだろう。
 お前って、好きな奴いるんだな、と言われたのは三回目に会った後だったろうか。「いるんじゃないのか」でも、「いるんだろ」でもなく、「いるんだな」と彼は言った。答えられないジャレッドをアレックは責めなかった。その後も何一つ態度を変えないまま、中途半端な恋人同士のような付き合いを続けていたが、ある日突然、お前みたいな真面目ちゃんもう飽きた、と一方的に別れを告げられた。半月後のことだ。アレックの言葉にどこまで本音が混じっていたのか、今でもジャレッドはわからずにいる。ひどい言われようではあったが、たぶん、傷つけたのは自分のほうだ。
 だから、あの程度の悪戯はされても仕方ないのかも知れない。アレックは何につけ執念深い性質ではなくて、だから、彼にしてみれば、あれはちょっとしたおふざけに過ぎないはずだ。
 ただし、ジョークが笑い話として成立するのは、受け手がそれをジョークと認識した場合に限られる。そうして、ジャレッドの恋人は基本的に真面目な性質なのだ。
「──もういいよ、そのことは。大事なのは、それで先生が怒っちゃってることなんだよ、チャド!」
「妬いてんだ?」
 そんならいいじゃん、とチャドは気楽なものだ。今現在の浮気というわけでもないのだし、先生のほうだって、過去の恋愛をどうこう言うほど子どもではあるまいに。
「妬いてもらってるってことは、そんだけ好かれてるってことだろ」
「妬いてるのかどうかわかんないって! ただ呆れてるだけかもしんないし……俺のこと、イヤになったかも……。どうしよう〜、チャド、どうしたらいいと思う? 俺、先生に捨てられたら生きてけないよ!」
 大げさな、とは思ったが、ジャレッドが「先生」にどれだけぞっこんか知っているだけに、鼻先で笑うのも気が引けた。
 ともあれ、こんな場合に有効な手段は一つだけだ。チャドは自身の経験から得た教訓を厳かに伝授してやった。
「謝れ。とにかく、相手の気がすむまで謝れ。余計な言い訳はすんなよ。逆効果だからな」
「う、うん」
「言いたいことは全部言わせて、それ全部聞いて、神妙にしおたれて、──ああ、二、三発殴られるくらいは甘んじて受けろよ──そんで、向こうが息切れしたら、」
「したら?」
「愛してるって言っとけよ」
「……チャド」
「あ?」
「お前と付き合って八年になるけど、今ほどお前を尊敬したことはないよ」
 チャドのアドバイスにいたく感銘を受けたジャレッドは、混じりけなしの本音で友人を称賛した。
「……ああそう」
 誉められたほうは全然嬉しくなかったが。
「ま、とにかく頑張れ。俺もこれから彼女に謝り倒さなきゃならないんだから、もう邪魔すんなよ」
「あ……ごめん……。俺からも謝ってたって言っといて」
「他の男からの伝言なんか受け付けません」
 そうして、許してもらえたら報告しろ、許してもらえなかったら泣きついて来い、と言ってチャドは電話を切った。
 ジャレッドは、ほんのちょっと笑い──それから、友人の気遣いに深く感謝をささげた。
   
2010.12.25