〈6〉
もし、ジャレッドがいなかったらどうしよう。そんな自分の想像にドキドキする。電話一本入れればわかることだけれど、決定的な結論を知るのが怖かったから、ただ家に着くのを待っていた。
車を降りて、マンションを見上げる。自分の部屋の窓。
他の幾つもの窓に混じって、カーテンの隙間から温かな光がこぼれていたから、ジェンセンは、ほう、と深い安堵の息をついた。
あそこに、ジャレッドがいる。
手の中のケーキの箱を抱え直して、エレベーターに乗り込んだ。通りがかりに売れ残りのケーキを店頭販売しているスーパーがあったので、止まってもらって買ってみた。ありふれたスポンジにありふれた生クリーム、時間が経って、ちょっとツヤのないイチゴと、食べても特においしくはないサンタの人形が乗った、ありふれたケーキだ。しかも、すでに閉店間際で値引きされていたやつだ。
もちろん、プレゼントは別に用意してあるけれど、手ぶらで帰るのは気が引けた。こんなものしかなかったことを申し訳なく思い、けれど、ジャレッドならきっと、こんなものでも喜んでみせてくれるに違いないと思う。わあ、とえくぼを見せるジャレッドを想像して、ジェンセンは自分でも気づかないままにちいさく笑っていた。
ドアを開けても、いつもの「おかえり!」は聞こえなかった。それもそのはずで、ジャレッドは長い身体を半分はみださせながら、器用なバランスを保ってソファの上で眠っていた。テーブルの上には、ピザの箱が二つ、一つはすでにフタが開いているからジャレッドが食べてしまったのだろう。そばにはビールの空缶が二個と、チキンで有名なファーストフードの大きな紙袋がでん、と乗っている。その下にはスーパーの袋に入ったパーティーサイズの菓子類が色々。たぶん間違いなく、冷蔵庫の中にもあれこれ詰め込まれているはずだ。この部屋には二人の人間しかいないってことを、ジャレッドがいつか理解する日は来るんだろうか。
いつもの疑問を抱きながら、チキンの横にケーキの箱を慎重に置いて、ジェンセンはそっとジャレッドの足をゆすった。
「ジャレッド。起きろ。何も被らないで寝てたら風邪ひくぞ」
「……う……?」
不満そうに眉をしかめ、しかしジャレッドはすぐにここがどこかを思い出したらしい。がば、と落っこちそうな勢いで、上半身を跳ね上げた。くるくると巻いた毛先が四方に広がっているのは、いつものことだ。
「先生……! え、あれ、えっと、……今何時……?」
「12月25日の午後11時20分。──遅くなって悪かった」
「あ、ううん。先生こそ、仕事お疲れさま。ごめん、待ってるうちに、つい寝ちゃって…………あ、おかえりなさい」
外、寒かったでしょ、と両手を握られた。すぐそこまでタクシーだったのだから冷えてるはずはないのに、ジャレッドと触れ合ったところからじんわりとぬくもりが広がる。
「──ただいま」
初めて、そう言えた。照れくさいような気がしていたけれど、言ってみるとまるで馴染んだ言葉に思える。つないだ両手を中心にして上と下、目を合わせた二人は、いつもみたいに微笑み合おうとして、はたと今の自分たちの状況を思い出した。
たった二日だ。
その間、物理的に離れていたことではなく、心がすれ違っていたのが苦しかった。こうしていれば、嫌っていないことも、嫌われていないことも、簡単に知れる。それでも、先に言っておくべきことがあると思う。
「……先生、あの、」
「ジャレッド、俺……」
ごめん、という言葉は二人の口から同時に飛び出した。
「え、何で先生が、」
「お前が謝る必要は、」
「「………………」」
せわしなく相手をさえぎろうとするタイミングもぴったり同じで、彼らはしばし見詰め合った後、またもや同時に、けれど今度は盛大に吹き出した。何だろう、このタイミング。
ちゃんと謝らなくては、と思っていた。言うべきことや、聞くべきこともあって、これは二人できちんと話し合うべき事柄だろうと。
でも、こうして手をつないで笑いあったりしていると、そんなことは、もうどうでもいい気になる。過去に誰と何があったかより、今目の前にいる相手とこれからすべきこと、したいことのほうが重要だった。
笑いに身体を震わせながら、ジェンセンの身体が下りてくる。ジャレッドは長い腕を回して、隙間なく相手を抱きしめると、そっと下から伸び上がるように口づけた。誘うよりも先に、ジェンセンの唇がほどけてジャレッドの舌を受け入れる。
濡れた粘膜を擦り合わせながら、ジャレッドはジェンセンのコートをはいだ。堅苦しい上着も咽喉元を守るネクタイも奪って、一日分の仕事でだいぶくたびれたシャツの襟元をはだけさせると、白い首筋に吸い付いて紅色の痕を残した。
「あ……待て、シャワーも浴びてない……」
「いいよ、そんなの……後で……」
今すぐしたい、と熱っぽく囁かれて、ジェンセンは当てられたようにカッと頭が熱くなった。俺だって。疲れてもいたし、正直空腹でもあったけれど、今はそれを上回る切実な欲求を感じていた。
ジェンセンの答えも待たずにボタンを外している悪戯な指先を握りこむ。拒否されたのかとしょんぼり眉を落とした恋人に、ジェンセンは、こつりと額同士を打ち合わせた。
「ジャレ……ここじゃなくて、ベッド行こう……? 俺も、したい。ちゃんと、お前と」
あんな半端なセックスじゃなくて、ちゃんと身体をつなげたい。俺は男なのに、こんなことを思うのはおかしいんだろうか。抱きたい、じゃなくて、抱かれたい、なんて。
「先生……それは……」
「何だよ、イヤなのか」
「イヤじゃないよ、そんなわけない! ……でも、その……大丈夫なの……?」
「──たぶん、」
お前なら、とそれ以上はのぞむべくもない甘い答えを囁かれて、ジャレッドは幸福感にめまいさえ感じながら、愛おしい恋人の身体を抱き上げた。
ベッドの上で折り重なり、お互いの服を剥ぎ終えた頃には、ジャレッドのものはすでに興奮で限界近くまで昂ぶっていた。口づけて、身体に触れて、足を絡めあう。灯りは消すなとジェンセンが言うから、美しいラインを描く裸体のすみずみまでが見てとれて、その視覚からの刺激だけでさえ、ジャレッドはもう達してしまいそうだ。
「先、せ……ね、…………さ、触って……」
「いい、けど、でもお前、」
「一回イッとかないと、……ひどいこと、しそうなんだもん……」
生々しいことを言いながら、ジャレッドはしかける前に悪戯の見つかった子どもみたいな顔をする。
もはや我慢も限界のようで、手のひらに納めたそれを軽く扱いただけで、ジャレッドは喉の奥でうめき声をあげた。いつもは、お互いに高めあうから、ジャレッドの表情や声にまで意識を向けている余裕はない。
「ア、」
ぎゅっと目を閉じて、ジェンセンの与える刺激に顔を赤くしているジャレッドを見ていると、ひどく胸がざわついた。もっと気持ちよくしてやりたくて、のしかかる身体を押し返すと体勢を入れ替えた。
「せん、せ……っ」
嫌になるほどたくましく育った身体を、下へ辿る。そのままジャレッドの脚の間に入り込んで、天を衝くほどに育ったペニスを口に含んだ。
「う、そ……、……あ……っ!」
自分のものが、ジェンセンの温かい口腔に消えていく。あの柔らかな唇でジャレッドのものを受け入れて、堅くなったそれを舌で愛撫する。そんなシチュエーションは、自分の妄想の中でしかありえないと思っていたのに、一体。快感と驚きと喜びとが一気に押し寄せてきて、ジャレッドは硬直したまま、目の前の淫靡な光景に見とれていた。
ジェンセンの口淫は、お世辞にも巧みとは言えなかったが、視覚効果がものすごいのと、何よりその一途な感じがジャレッドを興奮させる。ときどき、ジャレッドが感じているかどうかを確かめるように、緑色の瞳が上を向くけれど、それが苦しさのあまりかちょっと潤んでいるのがたまらない。
「先生……も、離して……ヤバい、」
頂点はいつもより早くやってきた。かっこ悪くて申し訳ないが、この状況では仕方ないと思う。もう出るから、とジェンセンの頭をやんわり押しのけようとしたが、むずがるようにジェンセンが頭を振ったせいで、逆に強烈な刺激が与えられる形になった。
「うあ…………っ」
背筋を滑り降りる快楽に思わず声が出た。とっさにジェンセンを引き寄せたのは本能のせいだ。ジャレッドはジェンセンの頭を押さえつけたまま、彼の口の中に熱を放った。
「ん…………!」
初めて他人の体液を口の中で受け止めて、当然ながらすんなり飲み込むこともできず、ジェンセンは反射的に自分の手で口元を押さえた。……どうしよう、コレ……。
「あ、わ、先生!」
出すものを出して我に返ったジャレッドは、いそいでティッシュの箱を差し出した。
「出しちゃって、先生、早く!」
わさわさと乱暴にティッシュを引っ張り出しながら、ジャレッドが叫ぶ。ジェンセンは一瞬迷ったものの、素直に口の中のものを薄紙へと吐き出した。
「ご、ごめんね、大丈夫?」
不味かったでしょ、と言われても、何と返事をしたものかわからなくて、ジェンセンは困った顔で恋人を見上げた。──まあ確かにものすごく不味かったが。愛情と現実は別問題だ、とジェンセンはしみじみ思い知る。飲んで、とか強要されなくてよかった。AVだとしばしばお目にかかる行為だけれども、慣れたらあんなこともできるようになるんだろうか。
「……でも、びっくりした。まさか、先生が」
あんなこと、とジャレッドは赤い顔をしている。そんなに意外な行為だったろうか。ジェンセンは、ただそうしてやりたかっただけなのだけれど。
「──イヤだったか?」
「え、まさか! 違うよ、そうじゃなくて、あんなことしてくれるなんて……思わなくて……、イヤなわけないよ、全然」
嬉しかった、とぽつりとジャレッドが呟いた。長い脚の間にある雄は、抜いたばかりなのにもう力を取り戻し始めていて、若いな、と四歳の年齢差に憮然とする。いや単に自分は仕事の後だからで、逆にこいつは食欲も睡眠欲も満たされてるんだからこれくらいは当然だ、と思いなおした。
「……先生」
ジャレッドの大きな手が唇の端に触れる。残っていた白濁を拭い取ったのだと気づいて、ジェンセンは今さらのように赤くなった。
そうして色づいた目許や、耳たぶにジャレッドがやわらかく口づけを落とす。滑らかな頬を辿って、さっきの口淫のせいでいつもより赤味の増した唇にも。
「……舌は入れんなよ」
「え、何で?」
「お前……自分のアレを味わいたいのか?」
「先生の口に入ったんだったら平気」
「…………」
お前、その発言はちょっとばかり変態っぽい、と言う前に、ジャレッドに深くキスされて、ジェンセンは再びベッドに押し倒された。逆光で見るジャレッドは、いつもより男くさく見えて落ち着かない。でも、灯りを消す気にはなれなかった。暗いところでセックスするのは嫌だ。相手がジャレッドだとちゃんと確かめていたい。
さっきまでの行為の名残を奪い取るような激しい口づけに応えながら、ジェンセンは恋人の首に腕をからめた。ジャレッドの温かな手が、身体のかたちをなぞっていくのが気持ちいい。胸の飾りがジャレッドの手の中で育っていくのを感じる。ぷつりと立ち上がったそれに、もっと強く触れて欲しくて、ジェンセンはわずかばかり背をしならせた。望みを察して、ジャレッドが二本の指でちいさな乳首を挟みこむと、じわりと甘い感覚が腰へと落ちていく。
「…………っぁ、ジャレ、」
ぴったり隙間なく重なった身体で、ジェンセンの下腹の変化に気づいた。いつもなら、自分自身と触れ合わせて興奮を煽る。でも今日は。
「そこ、……引き出し、に、ジェル……」
一番下と言われて、ジャレッドは伸び上がるように枕もとの引き出しを引いた。中には鮮やかな色をしたジェルとゴムが入っていた。まだ一度も使われていないジェルは、間違いなくジェンセンが自分との関係のために手にいれておいてくれた物だと思う。ジェンセンがセックスを怖がっていたから、なかなか先に進めなくて、ジャレッド自身はそれほど気にはしていなかったのだけれど、それでも、ジェンセンがいつかはちゃんと抱き合いたいと思っていてくれたこと、こうして準備していてくれたことが嬉しかった。──実を言えば、ジャレッドのカバンの中にも同じような品が入っていたりするのだが、とりあえず、今晩のところは出番がなさそうだ。
チューブ状になってる容器のキャップを外すと、いかにも人工的な苺の香りがした。けばけばしいピンク色だから、香りもそれに合わせて苺なのだろうか。でもこれって。
「……子供の頃、こんな匂いの消しゴムがあった気がする……」
ジェンセンがそんなことを呟いた。言われて見れば、ジャレッドも記憶がある。苺だとかバナナだとかチョコレートだとか、食べ物の形をした消しゴムが流行ったことがあるからだ。でも、コトの最中にそんな思い出を連想させる時点で、セックスジェルとしては失敗だと思う。
「子供の頃の思い出話は、また今度にしてよ……」
手のひらいっぱいにピンク色を伸ばすと、ジャレッドはそっとジェンセンの脚の間、まだ触れたことのない一番奥の部分に指先をそわせた。
「……っ、ジャ……、」
ジェンセンが息を飲む。見開いた金緑の瞳に走ったのが恐怖だとわかっているから、ジャレッドはいきなり内部に触れるような性急な真似はしなかった。ぬめる手のひらで、ジェンセンの肌を撫でながら、キスと囁きを繰り返す。
嫌なら言って、ね、無理しなくていいから。
「…………ぅ、…………」
入り口を本当にそっと撫でるだけの動きに、ジェンセンはそろそろとつめていた息を吐き出した。
怖くない、と言えば嘘になる。でも、ジャレッドとなら大丈夫だと思う。確信はないけれど、でもジャレッドは、彼とは違う。暴力でしかなかったあの行為と、これから始まるセックスには天と地ほどの隔たりがある。何よりジェンセン自身がジャレッドのことを欲しかった。
「──ジャレ……いいから……大丈夫だから、……な、」
しよう、と熱の篭った声で囁いた。
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