〈3〉
閉店半時間前、すでにティータイムというには遅すぎる時間だったが、店内はまだ充分賑わっていた。八割方は女性陣だ。ドアベルが鳴った途端、店中の客の目が集まった気がして、ジェンセンは気まずくなった。
「いらっしゃ、……あ!」
思わずそこで立ちすくんでいると、ふりむいたジャレッドが、彼の姿を認めて、ぱっと顔を輝かせた。
「来てくれたんだ」
「……働いてるとこ、見ておこうかと思って。邪魔でないなら、いいんだが」
「嬉しいよ。あっち、ね、ひとつ席空いてるよ、カウンターだけど、どうぞ」
「あ、うん」
ジャレッド、ジャレッド、そのひとだあれ、ジャレッドの友達? うふふ、とっても素敵ね、紹介はしてくれないの?
常連客なのだろうか、四方八方からそんな笑い含みの声が聞こえる。ジェンセンに聞かせよう、という意図のある大きさだ。困った顔のまま身動きがとれずにいるジェンセンをさし招いて、ジャレッドはカウンターの隅の席に座らせた。そうして、彼の肩に手を置いて興味津々の女性達を振り返ると、にこっといつもの人懐こい顔で笑った。そっとしといてね、というサインは、あやまたず伝わったようで、それきり彼女たちは、ジェンセンには興味を失ったように、自分たちの会話に熱中しはじめた。
ほっと息をついたジェンセンに、ジャレッドが、彼だけに聞こえるようにちいさく笑った。
「メニューをどうぞ。決まったら呼んでね」
「あ、いや、コーヒーだけで……」
「そう? でも、何か食べた方がよさそうな顔色してるよ」
何かあったの、とひそめた声で訊かれ、慌てて首を振った。
「何も、……別に」
「そういう感じじゃないけど。ちょっと待っててね」
そう言い残すと、大きな身体が厨房に消えた。ぼんやりとその後姿を目で追いながら、ジェンセンは、半ば無意識に自分の頬を撫でた。
ひと目でわかるほど様子がおかしいのかと気になった。
何かが──あったわけではない。はっきりと言えるようなことは何もなかった。
ただ。
今日の午後、スーパーで買物をしているときだ。ひどくぶしつけな視線を感じて振り向くと、そこに二人組みの女性が立っていた。どちらも、けっこう年配で、見るからに金のかかったような格好をしていた。ただし、似合っていたとは言いがたい。ジェンセンと目が合ってもそらすこともせず、値踏みするかのようなあからさまさで、彼のことを見た。そして、隣の女性に何かささやきかけると、ふいっと出て行ってしまった。
知らないひとだったので、何だろう、と首をかしげた後で、向こうは自分を知っているのかもしれない、と思い当たった。
一年前の事件を知っていて、──だから、あんな非難がましい目をしていたのかもしれない。ジェンセンが関わっていたことを知るひとは少ないが、まったくの秘密というわけではない。ジェンセンの顔を知ってるひともいるだろう。彼女が、ひどく嫌なものを見たかのような顔をしたのは、そのせいだったかも。
そう思うと、ジェンセンは、あまりのいたたまれなさに、その場にとどまることができなかった。買物途中のカートを放り出して、スーパーを飛び出す。一度はコテージに逃げ帰ったけれど、すこしも落ち着くことができなくて、いつもみたいに寝室に閉じこもって、部屋中の鍵という鍵を何度も確かめて、でもそれでも落ちつかなくて、近頃は安定してきたと思っていただけに、コントロールできない感情に、不安感が増大する。
「た、」
助けて、と言いそうになって、唇をかんだ。それはダメだ。言ってしまうと、パニックが止められないと知っている。
どうすればいい。
誰か。
──誰か。
「ジャレ、………ド」
ジャレッドに会いたい。
彼のあの笑顔を見れば落ち着ける気がした。「大丈夫」と言ってもらえば、本当に大丈夫になるように思う。
携帯を取り出しかけたところで、まだ彼はバイト中だと気がついた。店は六時まで、でもその後片付けや何かで一時間くらいかかる、と言っていた。
さっきの今で、他人のいるところ、それも女性のたくさんいるだろうところへ行くのは勇気がいった。けれど、ジャレッドのバイトが終わるまで、とても待てる気がしない。
そうして、さんざんためらった挙句、彼のバイト先まで来てしまった。
「どうぞ」
「……何だ、これ」
「コーヒーと、ピーナツバターバナナサンド、です。先生顔色悪いからね、スペシャルサービス。糖分とったほうがよさそうだよ」
「ピーナツバターなんて、子どもみたいだ」
「何だよー、俺好物なのに」
口なんか尖らせて変な顔、でも、救われた気がして、ジェンセンはちょっとだけ笑った。
立ち上がった客がいて、ジャレッドはレジへと飛んでいく。おいしかった、ごちそうさま、と声をかけられて、ありがとうございました、またどうぞ、と満面の笑みで応えた。
水の入ったポットを手に、テーブルの隙間をくぐり抜けていく。オーダーストップですけどよろしいですか、と訊いている。大きな身体でくるくると働き、合間に愛想を乗せるジャレッドは、女性たちの人気者のようだ。追加の注文をする客はいなかったが、彼を呼び止めて、ひと言ふた言、会話をしているテーブルもあった。
無理してカッコつけようとか、そういうふうには見られない。だから女性にも好かれるのだろう。いつものように、自然体で動き回っているジャレッドを見たら、ささくれ立っていた気持ちが落ち着くのを感じた。
ピーナツバターサンドもコーヒーも、きれいに空にするとジェンセンは静かに立ち上がった。
ジャレッドが驚いた顔で寄って来る。
「え、帰っちゃうの?」
「ああ。仕事の邪魔して悪かったな」
「邪魔とかじゃないけど……何か用があったんじゃないの? もう終わるよ、ここで待っててくれればいいよ」
「いや、マジで顔見に来ただけだから。いくら?」
伝票がないのでそう訊いた。
「いいよ、俺のおごり。……でも、ほんとに? 何て言うか……大丈夫?」
「何が?」
「わかんないけど、心配」
言葉通り、深い懸念を滲ませて、ジャレッドはそんなことを言った。動物的な勘の良さに驚いたが、顔には出さず、考え過ぎだ、と軽くいなした。
「じゃあ、今日はおごってもらうな。サンキュ」
「うん、じゃあまた明日、ね」
ちゃんと笑えていたはずなのに、何が心配なのかジャレッドは店の外まで見送りに来た。帰れよ、と犬を追い払うような仕草をすると、見るからに不承不承という感じで店に戻った。
ジャレッドが入った途端、女性達の笑い声が聞こえたのは、どういう理由だったのだろうか。
見上げた空では、恐ろしい勢いで雲が流れていくのが見えた。
嵐が来るのか、と絶望な思いに身震いした。
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