片道切符
─2─

「…………で?」
 世にも珍しい目覚め方をしてから一時間。
 シャワーを浴びてもコーヒーを飲んでも、やっぱりそれはそこにいて、あまつさえ、ちゃんと触ることさえできるようだった。
 ……となると、自分の神経回路が一晩でものすごく変な接続の仕方をしてしまったのでない限り、この生物──もしかすると精巧なロボット、という可能性もないではないが──現実の存在であるらしい。
 その確信が深まったのは、この招かれざる客が、図々しくも、コーヒーの相伴を求めたときだったが、ブラッドはその非礼をとがめるほどの心の余裕はなかったので、言われるまま、ミルクピッチャーに淹れたてのコーヒーを注いでやった。それだって、「客」との比率で言えば、小型のバケツくらいのサイズはあるのだが。
 目測でいくと、身長はおおよそ四インチ、体重は不明。ワンピース様の裾の長い服を着ていたが、女の子用のそれではなく、どちらかと言えば、神官や巫者の衣装みたいだ。しかし、どこの神のものか、と言われるとさっぱりわからない。ヨーロッパふうのような、東洋めいているような、アラビアあたりでもあるような、どこかの民俗宗教っぽいような、支離滅裂なごちゃまぜ感だ。
 身体は小さいけれど、子どもではない。人外の年齢についてはよくわからないが、ブラッドと同じくらいか、やや年上ではないかと思われた。
 とは言え、そういう小さいサイズの生物が、ふー、ふー、と熱すぎる液体を冷まそうと懸命に頑張っている様子は、小動物めいていて妙に可愛らしい。
 だいたい、ブラッドは動物とか子どもとか、そういうものに弱いほうだ。女の子みたいに「かわいい〜」などとメロメロになるわけではないが、頭ごなしに強く出るのは気が引ける。それに、ここらへんになると、ブラッドはすっかり毒気を抜かれてしまい、とりあえず、相手の説明に耳を貸そうか、くらいの心境になっていた。
 ……人間の適応能力というのは、なかなかに侮れないものらしい。なにより、緊張や驚愕というのは、そう長時間は持続しないものだ。
「つまり、あんたは『神様』だっての?」
「そう呼ばれることもある、という話だ……熱っ、苦っ」
 くしゃっと顔をしかめて、二つ同時に苦情を申し立てるという器用な真似をしてのけた〈自称〉神様は、ちいさな舌を出して、はふはふと熱を逃がしている。
「……砂糖、ミルク?」
「……両方……」
 ミルクピッチャーに入れるにしては、かなり多量の砂糖と、スプーンの先から三滴分くらいのミルクを注いだコーヒーを満足そうに飲み終えると、『神様』は身振り手振りの熱演で、事の次第を説明し始めた。
 『神様』の名前は、ショーン。
 本当の名前は違うけど、と何やら長ったらしい名前を口にしたが、ブラッドの耳には小鳥のさえずりみたいにしか聞こえなかった。ブラッドの表情から察したのだろう、彼ら(ら、だ。ショーンのような存在は他にも複数いることが、後で判明した。世界というのは、人間が思っているより神秘に満ちているらしい)の言語を聞き取れる人間はめったにいないんだ、と言い、「ショーンでいい」と言った。何でも、かつて彼が願い事をかなえてやった少年がつけてくれた名前だそうで、なかなかいいだろう、とちょっと自慢そうに胸をはっていた。
 彼らは、はるか昔から、世界中に存在していて、時代により、 場所 ところ により、さまざまな呼び方をされていた。神だと呼ぶ人間もいたし、妖精だと言う人間もいた。精霊であり、妖怪でもあり、仙女、仙人、神仙などと呼ばれもした。時々は、怪物とか化物とか呼ばれることもある、とさらさらとした口調で付け足され、本人(人ではないが)は気にしたふうもないのに、ブラッドはわずかばかり申し訳ないような気持ちになった。
 彼らは、公式名称と同様に決まったかたちも持たず、ショーンのように人間の姿をしていたり、動物に似た姿だったり、植物に一番似ていたり、他にも器物のようなかたちや、人間にはわかりにくい姿をとるものもいるらしい。
「まあでも人間のかたちが一番多いかな。それだと、割と冷静に話を聞いてもらえるから」
 特に大人は、とショーンは首をかしげた。
 確かに、犬や花にいきなり声をかけられるよりは、ちいさくても人間のかたちをしたものとのほうが、話はしやすい。……たぶん。
「私たちは、人間の願いを叶えることが仕事なんだ。そういう話は人間たちの世界にもいくつも残っているだろう?」
「えーと、『アラジンと魔法のランプ』みたいなやつ?」
「そうだ。『シンデレラ』の仙女なんかも、たぶんそうだな」
「……なるほど」
 人外の存在から「シンデレラ」なんて単語が出てくるとは思わなかった。妙にシュールだ。
「悪魔は、魂と引き換えに願いを叶えるって言うけど」
「あれは別口だ。私たちとは関係ない」
「……へえ……」
 あーそう、と芸のない答えを返したが、他にどうリアクションしろと言うのだ。
 ショーンは、その代わり、自分の叶える願いには制限があるのだと言った。
 一つ、大きく時間軸をずらすようなことはできない、と言うこと。過去へ飛んだり、未来へ行ったり、そういうことは時間の流れを妨げるのだそうだ。
 ただし、「十分、十五分くらいの、他人が『勘違いかな』ですむようなことならなんとかなる」らしい。
 二つ、生物の生死に関わることは原則禁止。
「もっとも、これから生まれる生命についてなら、融通することもできるがな。死者を生き返らせて欲しい、という願いはどんな事情であれ、きくことはできない」
「今にも死にそうな病人とか、怪我人だったら?」
「……その相手の運命がまだ決定していないなら、永らえさせることはできる。でも、死神の名簿に名前が載ってるなら、無理だ」
 生命に優劣はないが長さはある、でもそれは、その人間の幸不幸とは関わりのないことだ、とショーンは気高いような口調で言った。長ければ幸せで短ければ不幸だというのは、人間のよく陥る錯覚だ、とも。
「……あー……と、その、死神もいんの」
「いる」
 当たり前だろう、とショーンは言った。
 あまりに自信を持って断言されると、だんだん自分の常識があやしくなって来る。俺は真剣に自分の正気を疑うべきなのかな、とブラッドは自問してみたくなった。
「それから当然、『誰かを殺して欲しい』と言うような願いもダメだ」
 キリキリと真剣な表情で警告する小さな生物には、確かに不似合いな要望だ。それこそ、それは悪魔の領域に属する願い事だろう。
 三つ、制限のない欲求。
「これから先の願い事を全部叶えろ、みたいなの?」
「そうだ。あとは、世界中の富を独り占めしたいだとか、全世界を支配したいだとか、そういうのもダメだ」
「けっこう条件厳しいね」
 おとぎ話とはちょっと違う、と言うと、ショーンは疲れたように肩をすくめた(幼児体型の割にはそういうしぐさが似合っている)。
「……昔は、こんなこといちいち言わなくても、暗黙の了解があって、人間たちも無茶苦茶なことは言わなかった。人間たちの欲が深くなるにつれ、事前の警告が増えたんだ」
「……ふーん。俺たちの世界でも、訴訟があるたびに、法律が作られたり、契約書の文章が長くなったり、説明書の注意書きが増えたりするけど、それに似てるね」
「そうなのか? 私にはよくわからないが……。まあ、そういう危ない願い事をする人間のところへ派遣されることはまずないからな、単なる確認だ」
「派遣? 派遣されてくんの? どこから?」
「……秘密」
 ぷいっ、とそっぽを向いてから、ショーンはちらりと悪戯っぽく舌を出した。神様の世界にも、何やら企業秘密があるらしい。ただ、漠然と考えていたより、彼らと自分たちの世界はかけ離れた存在ではないようだ。
「ん…………?」
 そこでブラッドは、突如として現れた正体不明の生物の言うことを、半ば事実として受け入れかけている自分に気づいて、ちょっとばかり愕然とした。
 しかしまあ、なんと言っても、目の前の存在が。どれほどの最新技術をもってしても、これほど精巧な人形(ロボット?)は作れないだろうし、触れるのだから、ホログラムの類でないのは確かだし。となれば、これを現実だと受け入れるか、彼をひっつかんで病院に走り、「俺の手の中に神様がいるんです」と、精神科医に訴えるか、の、どちらかしか選択肢はないように思われる。
 まっとうな社会人としては、そちらのほうが正しい答えであるような気がするが、まあ、これは最終手段にとっておいてもいいだろう。妄想だとしても、実害がありそうには思えない。
「あんたの言いたいことは大体わかった。たぶんね。それで?」
「それで、とは?」
「その『神様』が、一体俺に何の用なのか、ってことなんだけど」
 アラジンは、ランプをこすったし、シンデレラは舞踏会に行きたいと願った。その切なる願いに応えて彼らは現れた。
 けれど、ブラッドはことさら何かを祈った覚えはない。不幸な出来事が二つばかりあったが、どちらも日常生活の範囲内だ。神秘の存在に救いを求めるほど真剣になるべきことじゃない。
「何の用って、願い事があるのは君だろう」
「……いや、ないよ」
「何故ごまかすんだ」
「何であんたは、決めつけんだよ」
 書類がある、とショーンは胸を張った。
「書類」
 ……派遣元から支給された書類なんだろうか。
 『神様』とか『妖精』の概念がどんどん崩れていく気がする。この先、携帯電話とか取り出したらどうしたらいいんだろう、とブラッドは割と真剣に考えた。
 もぞもぞとポケット(か、どこか。ひだの多い服なのでよくわからない)から四つ折にした紙(だろう、たぶん)を取り出すと、慎重に広げて、ブラッドの前に突き出した。
「ほら、ここ! ウィリアム・ブレイディ・ピット、とちゃんと書いてある!」
 書いてある、と言われたって、ブラッドには見えない。何せ、手のひらサイズの人間用の書類だ。切手ていどの大きさしかないところへ、芥子粒以下の文字がびっしりと書き込まれている。高倍率の虫眼鏡か、下手をすれば顕微鏡でなければ解読できまい。
 しかし、ともあれ。
「……俺、ブラッドリーだけど」
「……………え?」
 マイネーム・イズ・ウィリアム・ブラッドリー・ピット、と、英語のお手本のように、クリアに、正確に発音した。
 そんなバカな! ともう一度書類に鼻先を突っ込むようにして読み返しているショーンを見ながら、ブラッドは、『神様』っていうのも道を間違えたりするんだなー、という斬新な事実に、ただ素直に感心していた。

 あまりに突飛で、変なところが現実的な邂逅は、結局ただの人違いだったことがわかった。神様とは言え──あるいは神様だからこそ──自分の失敗に耳まで真っ赤になったショーンは、改めて本来の依頼主(とは言わないだろうが)の「W・B・ピット氏」のところへ赴くことになった。
 色々と彼らの世界の決まりごとを知ってしまったことについては、特に口止めもされなかった。「しゃべったって、誰も信用しない」というのが、ショーン側の理由らしい。そりゃそうだ。こんなこと、真剣に主張すればするほど、ブラッドを見る目は痛ましいものになっていくだろう。そのうち、クリニックを紹介され、「ストレスですね、しばらく仕事を休んで休憩したら」などと言われるのがオチだ。
「そのう……すまなかった」
「いいよ、実害があったわけじゃなし、めったにない体験だったし。誰にも信じてもらえないとしてもね」
「コーヒー、ごちそうさま」
 礼儀正しくそう言って、神様は、しゅるん、と空気の渦に溶け込むように姿を消した。その滑らかな消失に、ほんとに人間でもロボットでもなかったんだ、と改めて驚いたりした。もう、彼がいた証しは、ミルクピッチャーに残るコーヒーの滴ばかり。
 生まれて初めて出会った神様は、神々しくもなければ威厳もない、でもそのぶん、どうにも憎めない愛すべきキャラクターだった。
 さて、ブレイディ氏は彼に一体何を願ったのだろう、と穏やかに想像しながら、ブラッドは自分のカップと一緒に、ミルクピッチャーを、シンクの水に沈めた。



 ──それで、話は終ったはずだった。すくなくともブラッドにとっては。
 けれど。
 
2013.11.27再録