For a long time

ご注意:これは、血メリ合同誌「天国の果実」に載せてもらった、拙作「To the ends of the earth」の、こぼれ話です。
99ページ下段の11行目と17行目の間にあるはずの、たくさんのエピソードの中のひとつ。
下のほうからおまけ文に飛べます。


「……どうしたんだ、それは」
珍しく、素直に驚いた表情を浮かべて、メリックは、夜中の来訪者を見つめた。
世界の恋人とすら言われる、ハンサムなハリウッドスターは、その看板であるべき秀麗な顔を赤く腫れさせていた。唇の端には、赤く、血液の凝固した痕があり、その周辺にはうっすらとアザまでできている。
彼はインタフォンも鳴らさずに、自分の鍵──すでに登録済みの静脈スキャン、という意味だけれど──を使って、自由に入ってきたから、モニタ確認もしなかった。
うかがうように傷口を見て、念のために、と一言訊いてみた。
「……メイクか?」
「あいにく、本物だ」
いてて、と口元をゆがませて、ブラッドは熱のある頬を撫でた。
「仕事で?」
「プライベート」
「ケンカでもしたのか」
冷静に質問を重ねながらも、ドクター・メリックは、手早くファーストキットを取りだした。
「傷を見せなさい。あとで、その頬も冷やしておこう」
「大丈夫だよ」
「君の商売道具だろう。痕を残してはまずいんじゃないか?」
とりあげたピンセットに、ブラッドが正直に嫌そうな顔をしたので、メリックはうっすら笑って「痛くないよ」と患者を安心させてやった。


「誰にやられた?」
冷却材を頬に当てながら、メリックは改めて訊ねた。
ブラッドは、けっして暴力的なたちではないはずだ。過去に、出演した映画の影響で、通りすがりの若者にからまれたことがある、と言っていた。それと類似のできごとなのだろうか。
否、それならば事故(あるいは事件)だ。プライベート、とは言わないだろう。
ブラッドは、無言のまま、薬指で傷口をそっと撫でている。
「──言いたくないのなら、無理に聞き出そうとは思わないが……」
困惑気味に語尾をにごして、メリックは眼を伏せた。
クランケ相手なら、秘密ごとを聞きだすのも、そう難しいことではない。穏やかな声と、同情に満ちた表情の裏で、冷静に計算しながら、心の裡を暴いていく。辛抱強く、真摯な聞き手になれるこの医師は、その秀麗な外見も手伝ってか、相手の警戒心を解き、好意を引き出す術に長けていた。
けれども、実のところ、メリックは人付き合いのいいタイプでもなければ、明朗な 性質 たち でもなく、「治療のため」という理由もなしに、他人の気持ちの中へ入り込むようなまねは、たいそう苦手だった。
「言いたくないってわけじゃないけど」
首の後ろをぽりぽりとかいて、ブラッドはすこしばかりきまずそうに目を逸らした。
「彼女にね」
「…………ああ」
そう、と、うなずきはしたものの、メリックはどんな顔をすればいいのかわからなくて、しかたなく、眼鏡の奥で、二、三度目をしばたかせた。
二人の間で、『彼女』とだけ言えば、それは、ただ一人の女性を指している。
メリックも一度会ったことのある、ブラッドの家族。
仕方がないと言いながらも、彼女の話をするときは、二人ともが後ろめたさを感じている。
メリックがブラッドと恋人の付き合いを始めたのは、彼女と出会う以前のことであるし、ブラッドが彼女と結婚をしたのは、メリックとのことを忘れていた間のことだから、彼らに全面的に非があるとは言えないかもしれないが、すくなくとも、彼女には負わされるべき責任は何もないからだ。そうして、口をつぐんで逢瀬を重ねる自分たちは卑怯だと、二人とも、言葉にはしなくても知っていた。
「……ずいぶんと、彼女は力があるんだな」
何を言おうか、と逡巡し、結局最初に思いついた疑問が口をついた。適切な言葉だったとは思わないが、ブラッドはおかしそうに、ふ、と息を吐いた。
「彼女が愛用してる、コスメティックのカタログで殴られた。来春発売のラインナップ一覧だったんだよ」
辞書みたいなやつ、と指先でその厚さを示して見せる。
コスメのカタログというものが、どういう強度を持っているのか、あいにくとメリックには判断がつかなかったけれども、それだけの厚みのある紙の束に殴られたのでは、たしかにだいぶんに威力がありそうだ。
「……君の唇のところのそれも、来春の新色なのか?」
「Yah. 一番人気のカラーらしいよ」
にやりとおどけた表情で笑って見せて、すぐに「痛て」と眉をしかめた。当然だ。
唇の端の傷は、深くはなくても、直りにくい場所である。話をしたり、何かを食べたり、笑ったり、あくびをしたり、とかく動かしている場所だからだ。
頬の打撲も、もしかすると、数時間後には鬱血するかもしれない。
メリックには、ブラッドが明日、人前に出なくていいのかどうか、その場合、こういった不名誉な痕跡をうまく隠せるだけのメイク技術がハリウッドにあるのかどうか(たぶん、あるのだろうとは想像したが)についての知識はなかった。
いったい、彼らは普段からこんな激しい夫婦喧嘩をしているのだろうか。どちらも身体(の美しさ)が資本なのだから、そんなことはないと思うのだが。
「──その……私にも、何か関係が?」
簡単に核心に触れようとしないのは、それだけの理由があるからだろうか、とメリックは恋人の表情をさぐる。ブラッドの性格上、メリックに関わりのないことが原因の喧嘩なら、かえってあっさりとそれを語るのではないか、という気がしたからだ。
「そうだと思う?」
「……たぶん」
確信はない。けれど、もしも、そうなら、自分にも聞く義務があると思った。
ブラッドは、ためらいをそのまま目線に乗せてあてもなくさまよわせた後、空いたほうの手でメリックの手をとった。指先にうながされるまま、隣に腰を下ろす。
こうして触れ合うことで、物理的のみならず、心理的な安定が得られるのだと、理論ではなく実感として学んだのは、ブラッドに出会ってからのことだ。基本的にメリックは、他人との接触はあまり好むほうではないのだけれど、例外なく自分より温かい指先を不快だと思ったことは、一度もなかった。
握りこまれた指に眼を落してから、メリックはおずおずと口を開いた。
「──それで……一体何が? 家族サービスが足りなくて、彼女に叱られた?」
最近のブラッドは、わずかなオフの時間も使って、かなりひんぱんにメリックの元を訪れている。もともと分単位のスケジュールに縛られるような生活だから、毎日毎週といった頻度ではないけれども、それにしても、こんな調子では家に帰る時間もないのではないか、と懸念していたところだ。
「違う。──いや、まあ、それも無関係とは言えないけど」
「……うん?」
言いづらそうに口ごもる恋人に、メリックは知らず息を詰めて、次の言葉を待った。
「彼女に、『別れて欲しい』って、言ったんだ」
「え?」
その台詞はきちんと耳まで届いていたが、にもかかわらず、問い返さずにはいられなかった。
「…………すまない。何を言ったって?」
「離婚して欲しいってことをさ」
本当は、もうずっと以前から考えていた。
一日も早くそう告げるべきだと、それが結局は彼女に対して一番誠実な態度だと、そう考えることは、都合のいい男の理屈なのだろうか。
「ブラッド」
「わかってるよ。俺、ひどいこと言ってる。最低だ」
彼女にとっては、青天の霹靂だ。
私たち、最近、顔を合わせる時間が減ったと思わない? と、訊ねてきた時、彼女は笑顔を浮かべてはいたけれども、夫の目を見ようとはしなかった。
歩み寄る余地のない話し合いは、誰かが傷つかなければ収まらず、それぞれが心と身体に傷を負ったところで、彼女が家を飛びだした。20分ののち、彼女の友達からコールが入り、今日はうちに泊めるから、と言われて、ひとまず今夜の協議は収束を迎えた。
「いつでも、話し合いには応じるつもりだから、って、伝えてもらった。落ち着いたら連絡くれって」
「……落ち着くと思うのか?」
突然、そんな話を持ち出されて。冷え切って、もう決裂も時間の問題だ、という間柄ならともかくも、彼女は確かに彼を愛しているのだろうに。
諭すような口調は、医師の習いだろうか。ブラッドはちらりと恋人を見上げたが、彼は相変わらず真面目な顔をしたままだった。
「……怒ってんの?」
「いや、怒ってるわけじゃ……」
ないんだが、とあやふやな口調で告げる。怒ってなどいない。そんな権利もないだろう。
ただ当惑しているだけだ。まさか、ブラッドがそんなことを言い出すとは思わなかったから。
「思わなかったって? 全然?」
まるでそれが意外だと言うように聞き返されて、メリックは目を丸くした。それでも正直に「ああ、全然」と答えれば、ブラッドは「ジーザス」と肩を落とした。まるで自分が彼を傷つけたかのようで、メリックは内心でおおいにうろたえた。
「あの……ブラッド……」
「普通はさあ、恋人に、決った相手がいたら、別れて欲しいと思うもんじゃねぇの」
「そ…………」
どうよ、とたたみかけられて、メリックは、いそぎ脳内でシュミレーションを展開してみた。
確かに、言われてみれば、そうなのかもしれない。──いや、そうなのだろう。
けれど。
「ブラッド、私は……私なら、いいんだ。気にしな──」
「よせよ」
妻との生活を続けながら、裏で恋人に会いに来るような。
そんな小器用な真似、俺にはできない、とブラッドは暗い顔で言った。そこまで無神経にはできていない。
「…………」
そういうつもりではなかったが、どう言えば正しく伝わるのかがわからなくて、メリックも口を閉じた。
ブラッドといると、わからないこと、推測できないこと、選択できないこと、が次々と出てきて、ひとつひとつの内容よりも、そのこと自体がメリックを混乱させる。メリックは、ずいぶんと幼い頃から、理解力と決断力には長けていた。言葉のひとつも選べずに途方にくれるなど、ほとんど経験したことがないと言うのに。
「ごめん、八つ当たりしたかったんじゃないんだ。たださ……やっぱり、これ以上一緒にはいられない」
「──ああ」
「あんたのことが好きだし」
「…………」
これ以上なくわかりやすい言葉を与え、ブラッドはすこし疲れた顔で、それでも笑った。
まだ手をつないだままだった、とメリックは、今さらのようにそれを気にした。
そうして、返せる答えを懸命に探す。I love you, too、とそう言えばいいだけだと、もちろん知ってはいたけれども、そうとあっさり言うことができるくらいなら、こんな場面で言葉につまったりはしない。
「その……やはり、さっきの意見は訂正する」
「……何を?」
「さっき、私が言ったことは……本当ではなかったかもしれない。君が……」
そう伝える相手が自分以外にはいないのだ、と知ることは。
「う…れしい……よう、な、気がする」
「──『気がする』って」
そこは断言するところだろう、とは思ったものの、どうにも心の裡を明かすことに抵抗のあるらしい恋人の、たどたどしい言葉と、大真面目な顔、眼鏡の向こうで落ちつきなくうごめいている瞳と、それから、今のブラッドよりも赤く染まった頬の色に、これ以上の意思表示を求めることは、強欲だろうかと思い直した。
黙り込んだブラッドに、メリックは、また何かを間違えただろうか、と不安げにまばたきを繰り返した。
「OK、ヘンリー。それでいいや。考えてみたら、あんたからそれだけ言ってもらえたんだから充分だ」
つないだ指先で、カフの裾からすこしだけ忍び入った。反射的に、メリックの腕が緊張するのを感じる。逃げられる前に、唇を捕らえた。
深いくちづけに、口元の傷が痛んだが、かまわず、届く限りのところまで舌を差し込んだ。
メリックは、ほんのわずか、苦しげに眉を寄せたけれど、抗うそぶりは見せなかった。
保冷材を投げ出した手で、恋人の肩を抱く。シャツ越しにもあからさまな指先の冷たさに、メリックが目を開けた。
「……ダメだ、もうすこし……、」
冷やしておかないと。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない。明日、腫れた顔では仕事に行けないだろう」
「顔が腫れてるから、仕事に行けないんだよ」
「……………」
ええと、そうなのだろうか、と、メリックは、うっかりまるめこまれて、気をそらした。
その隙に、両手指をからめとってひざを割る。
「え……?」
どこかうかつなドクターが、現状を認識したときには、すでに恋人は半分がところ、自分の上にのしかかっていた。
「ブラッド!」
「何」
「何、じゃなくて……」
「セックスもドクターストップなのか?」
「そ、そういう問題では……」
切れた唇や、暴力でもって熱をもった頬は、無償の同情心を誘うには軽傷だったけれど、それでも。
メリックは、強くは逆らいきれずに、ただ困りきった顔でブラッドを見上げた。
嫌ではない。すこしも。
ただ、メリックの立場としては、とまどわずにいることは不可能だ、とそういうことだ。
初めから自分が──逃げ出したりせずに──彼に真実を告げていれば、こんなややこしい立場に追い込むこともなかったのだろう。それとも、記憶を取り戻した彼を、そんなことは知らない、とつっぱねておけば。
「……なんかヤなこと考えてんじゃねぇの」
驚くべき聡さを見せて、ブラッドはメリックの考えを言い当てた。
「ヤなこと」
「全部自分が悪いんだ、とか、何か、そういう感じのこと」
「それは」
「なあ、もうそれやめて」
罪はある。罰も、あるのかもしれない。
けれど、それなら、架される荷は公平な重さであってほしい。
「俺さ……俺たち、身にしみて知ってるだろ? 人の時間なんてさ……あたりまえに続いてるようで、案外簡単に途切れちまうもんだってこと」
「ブラッド」
嫌だ、とメリックが首を振る。そんな話は聞きたくない。
「うん、俺もしたくない。でもさ……だからさ、過去のことなんかに、あんまりかかずらって、時間を浪費したくないんだ。わかるだろ?」
責任は誰にあるのか、なんて、そんなことは、もうどうでもいい。今と、これからの時間を共に過ごすことができるのなら。
ただ、彼女のことだけは。
「できるだけのことは、するつもりでいる。向こうの条件を、丸呑みしてもいい」
それ以外に、できることは何もない。ごめん、としか、言える言葉を持ってはおらず、そもそも何を言っても、ただの言い訳に聞こえるだろう。
「身一つで放り出されても、仕方ないと思ってるよ」
まあ現実問題として、そういうことはありえないだろうけれど。
結婚相手以外に恋をする人間は、それほど珍しくはないはずだ。それなのに、こんなにも負い目を感じているのは、たぶん、自分が一瞬たりとも迷わなかったからだろうと思う。
あの日、機内で倒れた後、運び込まれた病院で。目を覚まして思ったのは、一刻も早くメリックに会いに行こう、とただそればかりで、自分に付き添っていた彼女のことなど、かえりみもしなかった。
もちろん、記憶を取り戻したばかりで混乱していた、という言いわけも立とうけれど、そうでなくとも、結局は同じ結果だったに違いない。
「もし俺が文無しになっても、恋人でいてくれる?」
冗談半分の問いかけに、メリックはムッと眉根を寄せた。
「君は……私がそういうつもりで君と……つ、付き合っていると、そんなふうに思っているのか?」
「ヘンリー」
「金目当てだと?」
本気で機嫌をそこねたらしいメリックに、ブラッドは驚きながらも、口元が緩むのを止められなかった。
一体自分が何に怒っているのか、この優秀な博士はわかっているのだろうか。
「ごめん、ジョークだよ。そんなこと、思ってないって」
「私は、君の個人資産になど、すこしも興味はない」
「うん」
この医師は、金銭や名声に対する執着が驚くほど少ないのを知っている。その知能と技術に対しても、万人からの賞賛を必要とはしておらず、会社の発展をのぞむのも、ただ、収入が増えれば、それだけ自由に研究を続けることができるからにすぎない。
わかってるよ、とブラッドが言うより、メリックが口を開くのが先立った。
「二年前のあのときだって、私は君から治療費を取り立てたりしなかった」
「…………は…………?」
思いがけない単語を聞かされて、ブラッドはぽかん、と口を開けた。
「──治療費って、………えーと、あのときの……?」
もちろん、がん治療および移植手術、その後のリハビリに続く、一連の入院期間のことに違いない。
「そうだ」
「……………」
どうだ、これ以上の証明はないだろう、とばかりに、メリックは自信満々の顔をしている。
それは、確かに、あれだけの手間と設備、人員、技術、期間のその他もろもろを計算に入れれば、莫大な額にはなろうけれど。
「ああそう……だっけ……?」
それに関してはちっとも覚えてないのだが、それは、記憶の混乱うんぬんではなく、単に他の重大事にまぎれていたからである。
なるほど、請求書もまわってこなかったようだし。
でも……。
反論があるなら言ってみろ、とでもいうようなメリックの表情に、ブラッドは、もうそこで、どうにも我慢できずにふき出してしまった。
「ち……治療費……」
治療費って、と、ブラッドは身体を丸めて笑い転げている。はじめはそれを黙って見ていたメリックだったが、なかなかおさまりそうにない笑い声に、とうとう不審そうな顔をした。もちろん、この生真面目な医師には、自分がおかしなことを言ったという自覚は皆無だったから、突然躁病の発作でも起こしたのだろうかと心配になったのだ。
「ブラ……わ……っ……!」
大丈夫か、と顔を覗き込もうとしたメリックは、肩をつかまれて、今度こそ、完全にソファの上に引き倒された。
ブラッドの瞳の表面が潤んでいるのは、笑いすぎたせいだろう。まだ肩のあたりが、ひきつっている。
ふと、あんなに大声で笑ったりして、唇の傷は開いてないだろうか、と気になった。指を伸ばして、直接には触れないように、周囲をそっと押してみる。
流血はしてないようだが、と口元を凝視していたら、指先を取られた。そうしてブラッドは、子どもの悪戯をいさめるような顔で笑った。
メリックはきょとんとしたままだ。
自分のしぐさが、まるきり恋人を誘惑しているようだ、ということに、この鈍感な医師は、すこしも気づいていないのに違いない。
まったく。
「さっきの話だけど」
「え?」
「治療費の」
「……ああ……?」
「やっぱり、借りっぱなしってのはよくないと思うんだ」
そう言われて、メリックが表情を曇らせた。そんなつもりで言い出したのではないのに。
「ブラッド、私は……」
「だからさ、身体で返すよ」
「……は?」
身体で、とはどういう意味だろう、もう一体クローンを作ると言うことだろうか、でもあれは本人のものだからこそ価値があるわけで、余分に作ったって売れるものでもなし、いや待て、彼のクローンならば、欲しいと思う人間もいるのかもしれない、ああ、それなら精子バンクという手もあるわけだが、でもいったい、ブラッドは、そんなことを自分が許可するとでも思っているのか、と、一瞬の間にそこまで考えて不愉快になり、「NO」をつきつけようとしたところで。
キスをされた。
「……え?」
「え、って……あんた自分の状況わかってんの?」
この体勢で。
「ええと……『身体で返す』というのは……」
「こういうことに決ってんじゃん」
ひょい、と眼鏡を取り上げて、ネクタイに手をかける。ぼやけた視界に、反射的に目をすがめた。
「じゃあ、精………」
「せい? ……何?」
「いや、何でもない」
今自分が考えていたことを正直に話せば、また絶対に笑われる、とメリックは賢明にも口をつぐんだ。もっとも、また何か面白いこと考えてたんだな、とブラッドには見当がついていたけれど、今は追求するのはやめておくことにした。
頬を包み込むてのひらの温かさに、メリックが反射的にまぶたを閉じる。ふわりとキスが降りてきた。
唇を開く。今度は無理をさせないように、自分から舌を差し出した。からめとられて、メリックののどもとが震える。唇が離れるころには、吐息が微熱をはらんでいた。
「……ひとつ、問題がある」
「……何、……?」
「身体で支払うとなると、この先、たぶん、何年も何年もかかると思うんだけど」
もしかしたら、何十年も。
それでもいい?、と弛めた目元に、しばし考え込んだ後、メリックは、恋人の言いたいことをようやく察した。
それだけの時間を。
そばにいる、ということ。
落ちつきなく視線をさまよわせて、返すべき言葉を探す。そうして、やっと見つかった答えは、呟き半分ほどの頼りない声になった。
「──利息も、つくけど……?」
言いながらすでに後悔していたから、顔も身体も一息で熱を帯びる。ブラッドは、そうやって、腕の中で上昇する体温をいとおしんだ。
なるほど、それは確かにその通りだ。
「──それじゃ、……」
この先、一生かけなきゃ無理かもな、とまるで簡単なことのように言って、多額の負債を抱えることになったブラッドは、うすく血の色を浮かべている債権者の耳の先にくちづけた。

END

↑の話のおまけ二つ。どちらも血さんが微妙に不幸気味。
秋好さんバージョン 
吉野バージョン
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2006.02.13



血さん、記憶が戻ってから奥さんどうしたんですか、とお問合せいただいたので……。だいたい、こんな感じで(笑)。
不幸なひとなので、彼女に名前はつけませんでした。
でも、彼女は良くも悪くも女らしく、可愛く強い女性なので、また新しい恋をします。大丈夫。
血メリはお互いにお互いしかいないので、譲ってあげて、ということでひとつ…(笑)。