To the ends of the earth

■ 6 ■


「相変わらず、あんたの部屋には色気がないな」
黒、白、グレイ、せいぜいブルー。
ひょっとして色弱なのかと疑うほどだ。
心理学的に、あるいは色彩学的には、中間色のほうがリラックス効果が高い、ということになっているけれども、誰にでも好みがある。
ただ、家具の配置はおおむね低位置で、それが視覚に余裕のある空間を作り出していた。何より、部屋の中の様子がほとんど変わっていない、ということがブラッドの気持ちにいくらかの安堵を与える。
とは言え、空白期間は長い。
寝室に入ったとたんに、強く拘束されて、メリックは息を飲んだ。
「ブラッド……ブラッド! 待て、そんな……」
言いかけた抗議の言葉は、呼吸ごとキスにふさがれて消えた。くちづけは、始めから深く、あまりにも意図は明確で、メリックは焦って身をよじる。なのに、ブラッドの両手は、はやばやとウエストからシャツを引きだして、じかに素肌に触れようとしていた。
「ブラッド!」
「誰かにこうされたか?」
「な…に?」
「俺を忘れたふりして、その間、誰かにこうされた?」
「あ……っ、ブラッド……っ!」
まだベッドにも辿り着かないうちに、ボタンは全部外されて、ずいぶんと情けない格好にされてしまった。こんなふうな振る舞いをする男だっただろうか。待て、と繰り返す言葉は、ひとつたりとて、ブラッドの耳には届いていないらしい。
足を止めれば、そこで続きが始まってしまうのではないか、とそんな恐ろしい想像すらしてしまい、遠慮なしに触れてくるブラッドの手を、何とかいなしながら、ようよう寝台にまで辿り着いた。
もっとも、すかさず馬乗りにのしかかられて、助かった、とはとても思えなかったが。
まっすぐ見下ろしてくるブルーアイズは、笑っているようで、ひどく真摯な光を帯びていた。
「なあ、言えよ。あんたに触ったのは誰? 何人? 男? 女?」
今、自分に繋ぎ止められている、この身体の上を、幾人が通って行ったのか、と、そんなことは、想像するだけで胸が焼き付いてしまいそうになる。
「だ……れも……っ」
誰も、いない、とメリックは上ずった声で途切れ途切れに訴えた。
信じない、というように、凶暴な唇がやわらかな首筋の皮膚を吸い上げた。強く、痕が残るように。
「あ……、嘘、じゃない……ブラッド……! しょ……」
証拠が、とか細い声をあげ、メリックは震える指先を伸ばした。
そんなものが? と、そのゆくすえを目で追う。
メリックの手は、ベッドヘッドの浅い引き出しを開けた。音もさせずに開いたそこには、二つの品物しか入っていない。
場所柄当然というべきか、こういったシチュエーションにふさわしく、かつ必要なもの。
つまるところが、ラバーとローションで、そのどちらもにブラッドは見覚えがあった。以前──可能な限りの時間を使ってここを訊ねていたころ──に、自分が持ち込んだものだ。
いまだにそれが残っているということは、ほんとうにこの三年間、ここを使った他人はいない、ということだ。
「……ヘンリー」
「私、は……こう、こういう……、こういう、行為に、あまり、意味を見出せない。その……嫌、ではないが……必要だとも思わない。──君が……」
君がいないなら、それは無意味なことなのだ、と。
恥じて消え入りそうになりながら、メリックは告げた。
ああ、それはほんとうだ、とブラッドは思った。
これほどに優秀な頭脳を与えられながら、メリックは駆け引きを知らない。恋慕の衝動におぼれかけている男の心理をも。
なぜならば、もし、すこしでもわかっているのなら、こんなにも無防備な隙を見せるはずがない、からだ。

は、は、と短いインターバルで荒い呼吸をしながら、それと同じリズムで、両手の中の白い身体に腰を打ち付ける。
そのたびにこぼれる声は、苦痛ではなく、確かに快楽を訴えていて、だからブラッドは少しの呵責もしなかった。
どちらの身体も汗に濡れていて、雫は肌を伝い、シーツにも染みをつくる。
ずいぶんと長い間こうしていたように思うのだけれど、それでもまだ足りない、と貪欲に思う自分がいた。
「あ……ぁ、ブラ……ッ、ん、あっ、あぁ……っ……」
ブラッドの位置からでは、背中しか見えない。短い金髪がぺたりと頭皮にはりついて、折りたたまれた腕の下で、指先がシーツを握りこんでいた。
記憶が欠如している間、こんな夜を思いだすことはなく、それは、まったく、何という僥倖であったことか、とブラッドはたいそう真面目に考えた。一夜でも、こんな夢を見ていた日には。周囲の人間からどんな目で見られたところで〈オム・ファタル〉を探さずにいられなかっただろうと思うからだ。
始めのうちこそ、固い表情をしていたメリックだったけれども、それも、長い時間ではなかった。
困惑したように、眉を寄せながら、それでも、促す指先に抗うことはしない。日に当らない肌は白く、面白いほど簡単に しるし を刻むことができて、二の腕の内側、腰骨の上、脚の付け根にまで、気がつけば、まるで花びらに埋っているかのようなありさまになった。
「……ぁ、は、……っ、あぁ……」
とろとろと、蕩けゆく身体は潤いをあふれさせ、ぴたりとブラッドを受け入れる。
止まらない涙が気になって、指でぬぐうたびに、大丈夫、と桜色に染まった唇がふわりと緩んだ。
「ヘンリー……」
「……ぅ、ん……っ……」
丸みのある肩に力がこもり、そろそろ臨界点を超えようとしているのだと知れた。
腹側に手を伸ばして、張りつめた猛りに触れる。ふあ、と泣きそうな声がこぼれた。二極の快楽、それを制御する権利は、どちらも本人の手を離れ、恋人の元にある。
ブラッド、とすがるように名を呼ばれ、キスをひとつ落した後で、一息に解放を促してやった。

***

額に落ちかかる髪を梳くしぐさに、メリックはふっと目を開けた。
「あ…悪い。起こした?」
「いや……寝てるつもりはなかった」
そもそも、自分が『眠った』のか『意識を飛ばした』のかすらもはっきりしない。一体何度、と思い、後半辺りの記憶が途切れ途切れになっていることに赤面する。
「ごめん……無理させたよな」
「大丈夫だ。──いや、大丈夫じゃないかもしれないが、その……平気だ」
泥のように疲れの残る身体は、けれども、けっして一方的にブラッドに責任があるわけではなかったので、メリックは頬を染めながらも、言葉少なに答えた。
顔の半分を枕に埋めて、片目だけで、恋人を見上げる。気遣いをこめて覗き込んでくる表情は以前とすこしも変わっていなくて、あのときから時間は普通につながっているかのようだ。
のろのろと重い腕を伸ばして、滑らかな頬に触れてみた。温かいこと、つまりはちゃんと生命活動が行われているということに、静かに感動する。たとえそれが、神の祝福を受けてはいなかったとしても、だ。
「〈身体〉の具合はどうなんだい?」
「いいよ。いい、と思う。『手術の後、むしろ若返った』って言われた」
入院なんて言って、エステに通ってたのか、と口さがない友人には言われたものだ。
「ああ、うん、そうだろうね。肉体年齢は実質的には若くなってるから」
平均で五歳から十歳、クライアントの年齢が高ければ、二十歳、ということもある。
「なんで? クライアントに合わせて成人に作り上げる、ってのがメリック社の売りだろ?」
「だって、生まれてくるまで、クローンは培養液の中で育つんだぞ。年齢はクライアントそのままでも、外界刺激を一切受けてないんだ。紫外線も、ニコチンも、ジャンクフードも、化学合成物質も、何もね。肌も髪も内臓も歯も、オリジナルよりずっと健康なんだから」
そうして、だからこそ、彼らには商品価値があるのだ。健康な肌、健康な内臓、健康な手足。
複雑そうな顔で黙り込んだブラッドに、メリックはうっすらと笑った。
「わかってる。君、本当はこういうの、嫌いだろう?」
潔く生きているひとだった。クローン体を作ることにも、臓器移植をしようと言ったときも、二つ返事で許可を出したわけではない。だからこそ、それが負い目だった。
自分のエゴで、彼の望まない方法で引き止めてしまったのだろうかと。
「ヘンリー」
「──君になら、責められても仕方がないと思う。『いつか、お前には神の鉄槌が下る』と」
「そのときは、俺だって一緒だよ、ヘンリー」
生きてられて良かったと、ほんとに思うよ。
腕の中に恋人を抱き込んで、すっかりくしゃくしゃになってしまった髪の毛に鼻先を埋める。
「愛してるよ」
「──うん」
次は忘れんなよ、と言われ、忘れたのは君だ、と言い返した。
そういやそうか、と、ブラッドは存外真剣にうなずいた。
 
2009.6.15再録