−子供部屋−
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)


2月29日        今日の当番:フランソワーズ&ジョー

(先に「ピュンマ様部屋」を読んでくださいね〜)
「・・・あぶなかった」
そーっとキッチンに入ってきたジョーを振り返り、満面の笑みを浮かべるフランソワーズ。
「持って行ってくれた?――ありがとう。・・・どうかした?」
「うん。向こうのチームにスカウトされかけた」
「あら」
「なんとか無事に生還したけどね」
「別に向こうのチームに行っても私は構わないけど?あとはケーキだけだし」
「・・・いいよ。手伝うよ」
「だって、もう手伝ってもらうこともないもの」
既に洗い物も済んでいるのだった。
「ジョーがずっと手伝ってくれていたから、効率よくたくさん作れて助かったわ」
フランソワーズの助手として、彼女と一緒にキッチンに篭りっきりだったのだった。
労働量としては向こうのチームに行ったほうがよっぽど軽かったに違いない。
「疲れたでしょ?座ってお茶でも飲んでて」

言われるままに座ったものの、さっきまで並んであれこれ手伝っていたのに、後ろ姿を見るだけというのは何だか寂しくなってくるのだった。

「やっぱり何か手伝うよ」
「大丈夫よ。それにケーキをジョーに手伝ってもらったら、返って仕事が増えちゃうわ」
くるりと振り返る。
拗ねた顔のジョーを見つめ、ちょこっと肩をすくめる。
「・・・デコレーションの時に手伝ってもらうから、それまで待ってて」
ね?と言ってジョーの頬にキスをひとつ。
「――うん・・・」
それでも何故か浮かない顔のジョー。
「やっぱり疲れたでしょう?無理しなくていいのよ」
「ん・・・あの」
「なぁに?」
「その・・・邪魔はしないから、隣で見ててもいいかな」
その真意がつかめないものの、何やら寂しげな風情のジョーに頷く。
「いいわよ。でも絶対、邪魔しちゃいやよ」
「うん。しないよ」

フランソワーズの後ろ姿も可愛いけど、横顔の方がずぅっと可愛いし――何より、顔を見られないのは嫌なんだ。だって一生懸命な君って本当に・・・・

フランソワーズの隣で何をするでもなく、ただ彼女の手元を眺め、彼女の横顔を見つめ。
時折、そうっと手を伸ばして腰を抱こうか肩を抱こうか画策するものの、一生懸命我慢する。
以前、彼女の料理を邪魔してばかりいた頃、数日全く口をきいてもらえなかったという過去を持つジョーなのだった。



2月27日          今日の当番:フランソワーズ&ジョー

ジョーの言っている意味がわからない。

「ジョー?」
「フランソワーズが本命とか本命じゃないとか、なんなんだよそれ」
「あの・・・?」
「――そんなんじゃないっ」

どうしてジョーが急に激昂したのかわからなかった。

私、何か間違った事を言った?

「フランソワーズは『本命』なんかじゃない。違う」

本命なんかじゃない。だったら、なんなの?

「・・・ジョー?」
「だってフランソワーズは」

私は?

 

***

 

フランソワーズは「本命」なんかじゃない。断じて、違う。
もちろん、「一番」なんかでもない。全然違う。

だってそうだろう?
「本命」があるということは、「大穴」があるわけで、「一番」があるということは「二番」があるということだ。
――冗談じゃない。

どうしてフランソワーズを「誰か」と比較して順位をつけなくちゃいけないんだ。
そんなこと、一度だってしたことがないし考えたこともない。
順位をつける必要なんてない。
だって、僕のなかには君しかいないんだから。

一番好きなのは君。二番目も君、三番目も君。100番目だって君だし、1000番目だって君。
永遠に君しかいない。
本命が君なら、大穴だって君だ。
ぜんぶ、君。
ぜんぶ、フランソワーズ。
それだけなのに。

なのにわからないなんてどうしてだよ?

何度も何度も言っているのに。僕が好きなのは君だよ、って。君以外なんて好きにならない。って。
君がいなくなったら、僕のなかはからっぽになってしまう。僕の世界は終わる。
そんなの、とっくに知っているよね?

例えば
君は時々――僕がいなくなっても平気だよ、って顔をする。
もしも僕が君以外のひとと行ってしまっても、それが僕の望むことならそうしていいと、平気な顔してそんなことを言う。
けれど僕は――もし、誰かとどこかへ行っても――すぐに気付くに決まっている。
君がそばにいないと僕の世界は終わってしまう、っていうことに。

君が言う通り、僕の事を好きだと思ってくれるひとがもし何人いたとしても、僕のなかには君しかいない。
他の誰かが入る余地なんて、最初から無い。そんな隙間があるなんて、まさか本当に思っていないよね?
何も心配する必要なんてないのに。
それは「君が本命だから」とか「君が一番だから」なんていう陳腐なものではなく、僕のなかに君しかいないというのは僕にとって「当たり前のこと」なんだから。

冗談じゃない、何が本命だよ。何が一番だよ。
君を誰とどんな風に比較しろっていうんだよ?

――ふん。

だったら、してやるよ。

順位をつけてやるからな。

一番は、「ちょっと困った顔をして振り返ったフランソワーズ」だ。「笑顔のフランソワーズ」が一番目だと思っただろうけれど、そんなの当たり前すぎて僕は選ばない。フランソワーズ通は、それよりもっとレアものを選ぶのさ。そして二番は、「しょうがないわね、って言って僕の胸に顔を埋めるフランソワーズ」。これはやっぱり外せない。僕の中では時には一番にランクインしてくる勢いだ。そして三番目は「もうちょっとで泣きそうなフランソワーズ」。泣くほんの数秒前っていうのがポイントで、本当にすっごく可愛いんだ。だからこの時のフランソワーズには僕はいつも負ける。絶対に勝てない。必ずなぜか「ごめん」って謝ってしまう。もしかしたらこれは君の武器なのかもしれない。そして四番目は・・・・

・・・・ほらみろ。きりがないじゃないか。

 

***

 

「・・・・ああもうっ」

いったんフランソワーズから腕を離したものの、それはほんの一瞬で、次の瞬間には再びがっちりと腕を回していた。
フランソワーズの髪に顔を埋める。

「どうしてそんなこと言うんだよ・・・っ」
「だって」
「だっても何もないよ。ひどいよフランソワーズ」
「・・・ひどいのはジョーでしょう?」

え、とフランソワーズの顔を覗きこむ。泣いてはいない。けれど、笑ってもいない。

「何よ、本命じゃない。って。だったら私はあなたのなんなの?」
「何、って」
「・・・言ってよ。ちゃんと」
「えっ・・・・と」
「じゃないと――あなたはやっぱり女王様のことがわすれ」
「フランソワーズっ!!」

思わず本気で抱き締めてしまった。勢いで奥歯の加速スイッチを噛まなかっただけでも自分を褒めたいジョーだった。

「何度言ったらわかるんだよ」
「何度もなんて言ってくれてないじゃない。そもそも何の事を言ってるのかもわからない」
「嘘だよ、言ってるよ」
「言ってない」
「言ってるってば」
「聞いたことないもの」
「嘘だね」
「ほんとよ?あなたが言ったつもりになってるだけ」
「絶対、言ってるってば」
「じゃあ、試しに言ってみて?」
「そ」
そんなこと、もののついでのように言えるもんか。
「ほら、言えないじゃない」
・・・今日のフランソワーズは何だか意地悪だ。言えるものなら言ってみろって目が言っている。

だったら――言ってやろうじゃないかっ

「僕にはフランソワーズしかいない」
「・・・・あら」
ほらみろ。何度も聞いて知ってるだろ?

そうっとフランソワーズの様子を窺う。
フランソワーズといえば、蒼い瞳を一瞬見開いて――そのあと、ポツリと言ったのだった。

「そんなこと、ずうっと前から知ってたわ」

・・・だから僕はバレンタインデーというやつが嫌いなんだ。日本では、女子が男子に告白する日だというのに、他の国ではそんなの関係ないから、って毎年毎年・・・・

 

***

 

すっかり脱力したジョーの腕を解いて、改めてジョーに向き合う。そうしてそうっと彼を抱き締め、背中を撫でる。

――ゴメンね。でも、不安だったんだもの。
不安で不安でしょうがなかったの。
いくら、あなたが心配して迎えに来てくれても。それとこれとは別だと思っていたから。

彼女のことを『キャシー』って平気で呼ぶし。それを聞くたびに落ち着かなくなっていた。親しげな呼び名はあなたと彼女の距離が近いということを暗に示しているような気がしていた。
だけど、いまわかった。
むしろ、『キャシー』って呼ばなくなっていたら、そっちの方こそ危なかった、って。
彼女があなたのなかで『キャシー』でいる限り、彼女とあなたは「過去」でしかない。
数年前の、あの時のふたりでしかない。――もちろん、あの時のことを思い出すのは嫌。だけど、もう過ぎたことだもの。いくら彼女がまだあなたのことを好きでも関係ない。そう信じたかったの。
だから・・・ゴメンね。ちょっと意地悪だった。

「・・・ゴメンね?」

声をかけても返事はない。

「ジョー?」

髪を撫でてみる。・・・反応なし。

「・・・怒ってる?」
まさか「拗ねてるの?」とは訊けないのだった。

「――今日だってちゃんと迎えに行ったのに」
「だから、ごめんね、ってば」

再び、黙るジョー。

「だって、女王様からジョーにバレンタインプレゼントとラブレターが届いてたからつい」
「・・・・ラブレター?」

ジョーが身体を起こし、さっき机の上に放り投げた封書を手に取る。

「読んで」
「だめよ。あなた宛なのに」
「ラブレターかどうかフランソワーズが見て」
「ジョーってば・・・」

しぶしぶ受け取り、目を通す。

「あら。・・・ねぇジョー。これって」
ラブレターじゃないじゃない。

それは。

CM第2弾の企画書だった。

「だから言っただろ?企画書とか契約書の類だ、って」
「でも私信のはずなのに・・・」

そんなの、いやがらせに決まってるだろ。とは、さすがに声に出しては言えなかった。
モナミ公国に滞在していた時の女王の態度は、周囲のひとたちに、まるで自分とジョーとは昔の恋人同士ですって言っているようなものだった。
けれど。
そんなのは問題ではなく、彼女の狙いはもっと他のところにある。と信じて疑わなかったジョーなのだった。
まるで「意味のあるプレゼント」のように、14日という日に合わせて送りつけてくるあたり・・・

いったい、キャシーの狙いはなんなんだ?



2月26日          今日の当番:ジョー

――女の子ってメンドクサイな。

黙り込んでいるフランソワーズを胸に抱き締めつつ苦笑する。

・・・まぁ、相手がフランソワーズならそうでもないけど。

何しろ「オトメゴコロ」というのが一度でもわかったためしがないのだった。昔から。
それこそ、色々なタイプの女の子何人と一緒に居ても全然わからない。
だから既にわかろうとする努力をやめてしまっていた。
結果、あまりにもメンドクサイ事を言う子とは付き合わない。メンドクサクなったら別れる。を繰り返していた。それが悪いこととは思わずに。むしろ、一時的にでも「誰かと一緒に居られた」ことがジョーにとっては重要であり、それだけのために付き合っていたのだから。

僕はイワンみたいな超能力者じゃないんだからさ。ちゃんと話してくれなくちゃわからないよ?

「――フランソワーズ。僕が彼女のことを『キャシー』って呼ぶのがそんなに気になる?」
「えっ・・・」
黙る。
けれど、それが肯定を意味するであろうことはなんとなくわかった。

「本当に深い意味はないんだよ?わかるよね」
「・・・ええ」
「でも嫌なんだ?」
「・・・うん」
「どうして?」
「だって・・・他の誰も彼女をそう呼んでないから、それはあなたが彼女にとって」
「トクベツだから?」
「ええ」
「で、そのトクベツっていうのは僕が言っている意味とは違うんだよね?」
「・・・そうよ」

ため息をつく。
――やっぱりメンドクサイなぁ。たかが呼び方ひとつでどうしてそんなに・・・

「・・・ごめんなさい」
「えっ?」
「あなたが誰のことをどう呼んでもそれはあなたの自由よね。・・・ごめんなさい」
「えっ・・・」

それはフランソワーズの言う通りだったけれども。
笑顔でそう言われてしまうと、それはそれでなんだか落ち着かない気分になった。

「ごめんね。なんでもない。――ごめんなさい」

何度もごめんを繰り返すフランソワーズ。

「ちょっと心配になっただけ。私は――」
あなたの『本命の彼女』なのにね。ヨユウがないのって駄目ね。

小さく言う。

『本命の彼女』?

「本命、って・・・」
「今日、バレエ教室のお友達に言われたの。フランソワーズのカレシはもてそうだから、たくさんチョコを貰ってきただろうけれど、あなたは本命の彼女なんだからどーんと構えてなくちゃ駄目よ、って」
「――ふーん」
「ヨユウでいなくちゃ、って」
「・・・ヨユウ」
「本当に彼女の言う通りだわ。・・・ごめんね、変なやきもち妬いて」
「・・・別にいいけど」

とりあえず、何か納得して自己完結したふうのフランソワーズ。
けれどもジョーは反対に何かが心に引っかかったのだった。

・・・本命の、彼女。
本命って、つまり・・・「一番」好き、っていう意味なのか?

フランソワーズを抱き締めていた腕を緩める。

「・・・フランソワーズ。本命って・・・本当にそう思ってる?」
「え?」
訝しそうに見返してくる。
「だって・・・そうじゃない・・・の?」
「うん。違う」

だって、ひどいじゃないか。
何なんだよ「本命」って。

そんなの、違うに決まってるだろう?

「フランソワーズが『本命』だなんて、全然、違うよ」
冗談じゃない。何なんだよ。
フランソワーズにそう思われていたことが何よりショックだった。

なんだよ、それっ・・・!



2月23日           今日の当番:ジョー

どうして「キャシー」と呼ぶのかって?
そんなの・・・それこそ、どうしてそんなことが気になるんだい?

他愛もない会話のひとつだろうと思っていたら、意外と真剣な眼差しでこちらを見つめている。

「ね。どうして?」
重ねて訊かれる。
自分の表情を一瞬でも見逃すまいと、ひたっと見据えてくる蒼い瞳。

「どうして、って言われても」
「だって、ジョーだけでしょう?女王様のことをそう呼ぶの、って」
「・・・そうだっけ?」
「そうよ」

・・・そう、だったかな・・・?

しばし考える。

自分が誰をどう呼んでいるのかなんて、気にしてなかったし、深く考えたこともなかった。ひとりを除いて。

「別に意味なんてないよ。――そう、あれかな。最初に会った時にそう自己紹介してたから」
「――最初に会った時・・・」
「うん」

何やら考え込んでしまうフランソワーズ。その真意を測りかねてひとり沈黙を持て余すジョー。

なんでそんなこと気にするんだろう?
本当に深い意味なんてないし。あるわけもないし。
大体、僕が「呼び方」を悩んだのって、君以外にはいないのに。

ずーっと前、君と一緒に買い出しに行った時、はじめて君のことを名前で呼んだ。
それまでは「003」としか呼んだことがなくて、だけど人前で「003」と呼ぶわけにもいかなくて。
みんなは最初から「フランソワーズ」って呼んでいたけれど、女の子の名前を呼び捨てにするのには抵抗があった。
もちろん、今まで女の子の名前を呼び捨てにしたことがないわけじゃない。
だけど、そういうのとは違う気がしていて。――君は、そんな簡単に呼んではいけない気がしていた。
それに僕は日本人だから、よほど親しくないと名前で呼ぶべきではないような気もしていて・・・だから、最初は「アルヌール」って呼ぶべきかと迷った。
でもさ。それも苗字の呼び捨てになるだろう?例えば、僕の場合だったら「島村」って呼ばれるのと同じだ。
それって、けっこう失礼じゃないだろうか。しかも、相手は君なのに。
男同士だったら、「ジェット」とか「グレート」とか、別に名前で呼ぶのに抵抗はないし、もちろん深い意味もない。
だけど、君は・・・女の子だし。
綺麗で可愛くて、・・・たぶん、同じサイボーグになってなかったら僕なんかとは世界が違う人で。
そんな君を何て呼んだらいいのか、本当に真剣に悩んでいたんだよ。

一日、一緒に買い物をして一緒にお茶を飲んで。
そうしてやっと・・・「フランソワーズ」って呼んでもいいのかな。という気持ちになった。
だって君は、僕が君に話しかける心の中ではいつでも「003」ではなく「フランソワーズ」だったから。

可愛いフランソワーズ。
僕の大切なフランソワーズ。

フランソワーズ。

そう呼びたくて仕方なかった。
僕なんかが名前を呼んでもいいのだろうか?嫌がらないだろうか?失礼に思われないだろうか?
けれども実際は、いつも心の中で呼んでいるようにするりと言葉が出てきていた。
フランソワーズ、って呼べば振り返ってくれたのが嬉しかった。君が微笑んでくれるのは、僕が「仲間」だからとわかっていても嬉しかった。

フランソワーズ。

僕にとって、「呼び方に意味がある」とすればそれは君以外にはいない。

「フランソワーズ?」
呼んでみた。
いったい何をそんなに考え込んでいるの?

「ジョー、あのね」
「ん?なに、フランソワーズ」
「・・・あの」
「フランソワーズ?」
「その、呼び方が」
「呼び方がなに?フランソワーズ」
ちょっと黙ってまた考え込んでいる。その顔も可愛い。
いったい何が気になるっていうんだろう?

「ほんとうに、意味はないの?『キャシー』って呼ぶの」
「ないよ」
「だけど、愛称って・・・トクベツな相手にしか呼ばせたりなんてしないと思う」
「そうかな」
「だから彼女にとって、ジョーはトクベツな相手で・・・」

だんだん語尾が小さくなってゆく。

「トクベツ、ねぇ・・・そりゃまぁ、僕は広告塔でもあるわけだし。むこうは出資してくれるオーナーでもあるわけだし。そういう意味ならトクベツと言えないこともないけど」
「そういう意味じゃないわ」
だったらどんな意味だというのだろう?

再び黙ってしまうフランソワーズ。

いったい何を言いたいんだろう?はっきり言わないのなんて君らしくないよ。



2月22日           今日の当番:フランソワーズ

どうして愛称で呼ぶの?

――とは、怖くて訊けなかった。

ジョーの机の上に置かれているF1マシンのフィギュア。組み立ても彩色も完璧で、まるで本物のよう。
そのフィギュアと一緒に入っていた、一通の封書。
女王印が押してあり、見れば「私信」であると誰でもすぐにわかる。

・・・何が書いてあるんだろう?

さすがに私の前では読まないわよね。

そっとジョーの腕から逃れようとする。・・・が、ジョーはフランソワーズの胸の下で組んだ腕を解こうとはしなかった。

「ジョー、離して」
「どうして」
「だって、これ・・・」
これから読むのでしょう?

けれどもジョーは、うーんと唸って封書を無造作に机の上に戻した。

――ほら。さすがに私がいると読めないでしょう?だから部屋に戻る、って言ってるのに。

「・・・どうかした?」
「だって・・・」
「中身が気になる?」
「それは・・・」
「気になるなら、読んでいいよ」
「え?」
「僕は別に読む気ないし、どうでもいい」
「どうでもいい、って、そんなの」
「どうせ契約書とか、それ関係のものだろ」
違うと思う。だって、明らかに「私信」なのに。
けれど。
どうして読まないの?とは訊けなかった。

だって、読む気がない・・・ってことは、本当は中身が何なのか簡単に想像がつく、ということでもあって・・・
私が他人の手紙を読むわけがないと知っているから、わざと読んでいいよなんて言う。逆説的に、本当に「どうでもいい内容の手紙」と信じ込ませるために。
とはいえ。
――ジョーがそんな手の込んだことをするはずも――できるはずもなく。
だったら、裏をかいて読んでしまおうか?
でも。

そんな自分は嫌いだった。

けれども、この不安はどうしようもない。
数年前の苦い思い出が甦ってくる。ジョーの気持ちが離れた時のこと。

やっぱりまだ終わってない。少なくとも、キャサリンはジョーのことを――

「やだなぁ。もうちょっと僕を信じてよ?」
耳元で言われる。少し拗ねたような、怒ったような声音。
「僕は彼女のことは仕事相手としか思ってないよ。そんなの、わかってるだろう?」
わかってる――わかって、いた。けれど。

再会して再燃した・・・ってこともあるわよね?

そう思った自分に嫌気がさす。

嫌な子ね、フランソワーズ。ジョーが違うって言ってるのに、どうして信じてあげないの?

年末に記者会見のため急遽帰国したジョー。自分も続いて帰国して、しばらくジョーの自宅に一緒に居た。
その時に、モナミ公国での事や女王キャサリンの事もちゃんと話してもらっている。
更には、数年前の一件でお互いにお互いから離れるのがどんなに辛いかじゅうぶん知っているはずだった。

――もう、あんな思いはしたくないのに。

この温かい腕や優しい褐色の瞳が、誰か他の人を抱き締め見つめているのを見るのは嫌だった。
任務中なら、まだわかる。でも、プライベートでは。

「フランソワーズ?聞いてる?」
「えっ、何を?」
「だからさ――」
言い指してやめる。
「・・・ジョー?」

『僕が愛しているのはフランソワーズだけだ』と啖呵を切って出てきたとは言えないのだった。

「だから、僕はちゃんと言ってきたし」
「何て?」
「だから・・・モナミ公国には仕事以外では行きません。って」

でも、相手は一国の女王様だ。その気になればジョーひとりなぞ、どうとでもできるはず・・・

やだ。行っちゃいや。

と、既に言っている(注:年末の帰国直後に)だけにもう一度は言えないのだった。

だったらどうして『キャシー』って愛称で呼ぶの?
そんな呼ばれ方、きっとあなた以外には許してないはず。それがどういう事を意味するのか、わかってる?

「・・・フランソワーズ。お願いだから、やめようよ」
ジョーがぐったりとフランソワーズの肩に顔を埋める。
「なんにもないって。本当に。仕事相手。ただそれだけ。わかってよ」

わかりたい・・・けれど。

ジョーが「モナミ公国には行かない」と公言するのも、なんだか保険をかけられているような気もした。
そう公言しておけば、行きたくなっても(彼女に会いたくなっても)自分の言葉がストッパーになる。
むしろ、そう言っておかなければ会いに行ってしまう可能性もあるという事ではないだろうか。

もうやだ。どうして素直にジョーの言葉を信じないの?

ジョーの「昔の恋人」とは違う。マユミさんは、ジョーにとって「過去のひと」だった。
でも、キャサリンは違う。彼女は、自分がジョーの恋人になってから現れたひとだった。
そしてジョーも、もしもフランソワーズがいなかったらきっと――

それとも・・・私が身を引いて、ジョーを彼女に渡してしまえばいいのだろうか?
それが、そのほうが、ジョーは幸せになれる?

いま、ジョーの胸に抱き締められているのに不安だった。
本当に彼の気持ちは自分から離れてはいないのか、わからなかった。自信もなかった。

もっと、自分に自信が持てればいいのに。

『自分の愛を信じろ』

過去にそう教えてくれたひとがいた。まず自分の愛を信じて、自分の愛したひとを信じる。
あの時自分は、そうできたはずだったのに。少なくとも、「自分の愛」を確認できた・・・そう、思っていた。
でも。

結局、私は全然変わってない。ジョーを撃った自分を責めて、けれども許してくれたジョーの言葉を全然聞こうとしてなかった頃と。
あの時、ジョーを信じようって決めたのに。

いま、私が一番不安に思っていることはなに?
どうしてジョーの言葉が信じきれないの?
信じ切れないわけがあるの?

あるとすれば、それはただひとつ。
だったらそれがなくなれば、ジョーの言葉を信じることができて、何も不安に思うこともなくなるはず。

――訊いてしまえ。たったひとことだもの。

「・・・ジョー?」
「うん?」
「どうして『キャシー』って呼ぶの?」



2月21日             今日の当番:キャシー

諦めなくてはいけないのだろうか?

あの日からずっと考えている。
あの日――彼が私の元から去った日。日本へ帰った日。それから随分経ったけれど。

成田空港での彼の会見も観た。
歯切れの悪い受け答えで、明言は避けていた。

***

『この雑誌に載っているのはあなたで間違いないんですよね?』
『・・・はい』
『その隣にいるのは、フランソワーズ・アルヌールさんというバレリーナですよね?』
『・・・・・』
『とても親密な雰囲気ですけれど、ここに書いてある記事の通り、いまお付き合いなさっている女性で間違いないんですね?』
『・・・・・』
『真剣交際ということですが?』
『・・・・・』
『島村さん。本命の彼女というのはアルヌールさんで間違いないということですね?』
『・・・・・そうです』
いっせいにフラッシュが焚かれる。
『結婚のご予定はあるんですか?』
『遠距離恋愛ということですよね?』
矢継ぎ早に放たれる質問。けれども仏頂面をしたジョーは無言のままである。

***

フランソワーズ・アルヌール。・・・とこかで聞いたような気がする。

バレリーナ・・・アルヌール・・・ジゼル・・・そうだわ!

確か「ジゼル」を観に行った時だった。そう、公務の一環で。
バレエなんて全然興味がなかったのに、目が離せなかった。それが・・・フランソワーズ・アルヌールというバレリーナ。パンフレットで名前を確認したのを憶えている。

でも。

だって、まさか。

あれが・・・あの彼女が「003」?そんな事ってあるの?
他人の空似でなくて?

本人?

だって私、彼女と話をしたのに。
公演後の懇親会で。

今まで「003」と「バレリーナのアルヌール」を同一人物と結びつけて考えたことは一度もなかった。
だって、まさか。

――確かに彼女は可愛かったし綺麗だった。それにその頃は、私は009は覚えていたけれど他のサイボーグなんて顔も覚えていなかった。何人いたのかすら知らない。興味がなかった。
だから、ああ、そういえば女性もひとりいたわね・・・確か003というナンバーだったはず。という曖昧な記憶しかなくて。
だから咄嗟にはわからなかった。

そう。・・・あのアルヌール・・・バレリーナが003で、009・・・島村ジョー・・・ハリケーン・ジョーの、恋人。

・・・・・・・・。

・・・・ずるいわ。

だって、たまたま「同じサイボーグ」というだけで、それだけで彼のそばに居られる。何の努力をしなくても彼のそばに居ることが許されて、彼と一緒に行動できて、彼をひとりじめできるなんて。
そんなの「恋人」っていえるの?
お互いに、それこそ勘違いしているだけではないの?
選択肢がないから、そうなるしかなかっただけというのに気付いていないだけで、例えば003が彼女ではなくても、ジョーは003を愛したかもしれない。
「003」を。
中身が誰でも関係なく。

それは「愛」なの?

ただの「仲間意識」が変異したものではないの?

ジョーはわかっているのかしら。
あの、日本で二人で過ごした日。あの日はお互いに「何者でもない自分」を望んでいたと。
「何者でもない」。つまり、私は王女ではなくただの女で、彼はサイボーグではなくただの男で。
そんな二人で居たかったからこそ、出会ったのだということを。
もし、彼の隣に003が居たら。あなたは自分がサイボーグであるということを一時だって忘れることはできない。なぜなら、あなたの隣に居るのもサイボーグだから。
逃れられないのよ。
自分がサイボーグであることを忌避したくてもできない。彼女「003」がそばに居ると。

だったら。

私はいまも圧倒的に有利な立場にある。

 

 

*******
えーっと・・・年末にうやむやになっていた「もうひとつの王女編」のようなもの、ですが・・・
「泥沼」には絶対になりませんのでご安心ください。ええ、絶対になりません(断言)。修羅場にすらなりません。



2月18日            今日の当番:・・・誰でしょう?

その時私は、ただ呆然とするしかなかった。
どうして?
何故?
あなたは・・・私を愛していたのではなかったの?

 

***

 

子供のような恋だった。
ただ、勘違いして。
本当は「自分が一番好き」で「自分が一番大事」だったのに、この人とずーっと一緒に居たい、そうすれば私は幸せ。と思っていた。一緒に居たいと思うのは・・・そうすれば「自分が幸せ」だったから。
相手の意思なんてどうでもよかった。
だから、それを知った時――それに気付いた時。恋は終わった。

それでも私は彼に会いたかった。
子供の恋は終わったけれど、・・・そう、ただ、会いたかった。
テレビの放送で観たり、DVDで観たり。何度も何度も。
あなたに会うためなら何でもした。自分の権限で、できる限りのことを。本当の目的を悟られないように大義名分でくるんで、議会も通過させた。あくまでも「国益」のためだと言って。
即位した時から、国民は私の支持者だったから簡単だった。
そうして出来上がったサーキット。そして、F1グランプリの誘致。
どのチームを中心にするのかは私の思惑通りに進んでいった。当然といえば、当然の帰結だった。
「最速の男」を有するチーム、つまり「ハリケーン・ジョー」を獲得することは。

即位以来だった。
あんなに間近に見たのは。

我が国の新設サーキットを視察してもらうという名目で、チームまるごと招待するのはとても簡単だった。
そして、車のCM出演を快諾させるのも容易だった。

何年ぶりだっただろう?
あの優しい褐色の瞳を見つめる事ができたのは。
思い出の中の彼と寸分違わぬ姿。変わらずに憂いを秘めた瞳。

――子供のような恋だったけれど、それでも日本での楽しかった日のことは忘れていない。
再会した船上パーティの時の事も。
あの時、安易に別れを告げるなんて私はなんて子供だったのだろう。
即位して、国務に追われて、そして・・・落ち着いてから気がついた。
私は彼に焦がれていると。
どうしてももう一度会いたいと。
だけど、自分の立場上勝手な事はできない。もちろん、プライベートでさえ管理されている。
昔、日本で起こした自分の行動が今になって我が身に跳ね返ってきた。

だから。

「公務」として彼と堂々と会えた時は胸が詰まった。
でも、精一杯の虚勢を張ってしまった。私はあなたには「懐かしさ」しか感じていないのよ?って。
それでも、会いたくて会いたくて仕方なかったから、ずっとずっと彼を見つめていた。
そして・・・気がついたらそばに行っていた。
サーキットでも。CM撮影のときも。それ以外のときも。
数年前の日本での件を知っている側近たちは黙認してくれた。私が彼にどんなに会いたかったのか知っていたから。
彼の腕に自分の腕を絡めて歩く・・・たとえそこがサーキットであっても、私は幸せだった。
たとえ彼が「義務」としてそうしてくれているのがわかっていても。

「あなたには決まった方がいらっしゃるの?」
そう思わず聞いてしまった時も、そっけなく「別に」と答えた。
「だったら私にもチャンスがある、って事よね?」
「えっ?」
そうして、やっと私の顔を見た。少し困った瞳のあなたはとても愛おしかった。
「あなたが望めば・・・この国はあなたのものになるのよ?」
「それって、どういう・・・」
「意味は・・・わかるでしょう?」
一瞬、彼の瞳によぎった色を私は読みきれなかった。
私に対する懐かしさと・・・あの時の事を、あの時の気持ちを思い出してくれたのに違いないと読み違えた。
確かに、子供の恋だった。
けれども、それでもあれは「恋」だった。
彼は私を愛してくれた。
私も彼を愛した。
だけど、お互いにどうすればずっと一緒にいられるのかわからなかった。

でも、今は違う。
彼がいったいどういうひとなのかも知っているしわかっている。お互いに、「何者でもないふたり」では既になかった。けれど、だからこそ。どうすればいいのか知っている。

我が国に滞在中の彼は優しかった。
いいえ。
優しい・・・なんてものじゃ、なかった。
ずっと彼の視線に守られているのは幸せだった。手を伸ばせばそこに腕があって。その腕は、いつも私のために在った。
いつまでも、こうしていられればいいのに。
「もう日本に帰らないで。ここに居て」
彼の腕を抱き締め、肩に頬を寄せてそう言った時、確かに彼は受け容れてくれていた。

なのに。

突然の帰国準備。

慌てて向かった彼の部屋は、まさに出発しようとするところで・・・。
そうして告げられたのだった。

「ごめん。君の気持ちには応えられない」
と。

「なぜ?だって、あなたは・・・」
混乱した。訳がわからなかった。だって、あなたは私の気持ちをとうに受け容れてくれてたはずで・・・。
そんな私に、彼は更に続けた。
「僕にはとても大事なひとがいる。・・・知ってるよね?」
「聞いてないわ」
「言ったはずだよ?・・・いや。知ってるはずだ。即位の時に君も会っている」
会ってる?あの時に?
混乱したまま、記憶を辿る。
――あの時。ネオブラックゴーストに国ごと征服されるところだった。でも、それを阻止して助けてくれたのがあなたたちで・・・・。
待って。
「もしかして・・・003?」
彼女の事は微かに覚えている。こんなに可愛くて綺麗なのに造り物なんだ・・・かわいそうに。って思ったから。造り物。そう言ってしまえば、確かに目の前に居る彼もそうだった。でも、深く考えなかった。
『003』と言った瞬間、彼の顔が曇った。
「――その呼び方はやめてくれ」
だって。本当に彼女なの?あなたの大切なひと、って。だって・・・それは「仲間」だからでしょう?
男の中に女がひとり。他に選ぶ対象がいないから、彼女があなたをトクベツに思ってもあなたはそれを不思議に思わない。ただそれだけの事でしょう?
「でも、それがあなたの帰国とどういう関係があるというの?――まだ契約は完了していないのに」
「すまないが・・・状況が変わったんだ」
僕は彼女を守らなくてはいけないから。
「あなたが彼女を守る?どうして?だって彼女は003でしょう?自分の事は自分で守れるのではないの?別にあなたが行かなくても」
「――キャシー。今度そう言ったら、僕は二度とこの国には来ない。例え、グランプリ優勝が懸かっているレースでも」
一体何が彼を怒らせたのか、訳がわからなかった。
その時、側近が差し出したのは・・・彼の、ジョーの熱愛報道記事のファックスだった。
「これ・・・!」
「だから僕は帰らなくちゃいけない」
「だって。待って。だってあなたは」
部屋を出る彼の背中に思わず言ってしまった。
「あなたは私のことを愛しているのでしょう?」
ここ数日の間に私はそう思っていた――思うのに不思議はないくらい、あなたは優しかったから。
私に触れる指も。私を呼ぶ声も。見つめる瞳も。
でも。

「僕が愛しているのはフランソワーズだけだ」

フランソワーズ?

フランソワーズって・・・誰?

呆然としている私を残し、あなたは去っていった。
フランソワーズ?

――003の、名前?



2月17日          今日の当番:フランソワーズ

ジョーはいったいどうするんだろう?モナミ公国からの贈り物を。
そんな疑問が胸に渦巻く。
今日、ジョーの部屋で偶然見つけた時、そのまま彼の机の上に置いてきてしまった。だから絶対に気付くはず。
本当は元通りに紙袋の中に入れておこうかとも思ったけれど・・・ジョーはどうするんだろう?それが知りたくて、わざと置いた。
我ながらやきもち妬きで意地悪で自分で自分が嫌になる。
でも。
どうしようもなかったの。

ジョーは甘い物があまり得意じゃないから、毎年チョコレートを大量にもらっても殆どは駄目にしてしまう。
でも私は絶対に手伝ってはあげない。
だって、彼への気持ちがこもっているチョコレートだもの。当人が食べるのが当然の礼儀でしょ?
ただ・・・「必ず食べてくれる」のが数個ある。ひとつは私からのもの。これはもう、一番初めに口にしてくれる。
それから、仕事関係のひとや友人からのもの。この辺は・・・「あのチョコ美味しかったでしょ?」という質問に答えるため。あとは殆ど手をつけない。
だから。
女王様からの贈り物はどうするんだろう?って気になった。もちろん、中身はチョコレートではない可能性が高い。でも、だったら何を贈られたのかが気になる。
――やっぱり私、ヨユウないかな。

坂道を上る間、無言でいた私をずっと抱き寄せてくれてたジョー。私の腰を抱いたまま、当然のように自分の部屋へ向かう。

気付くだろうか。机の上にある物に。

ドアを開けて、電気を点けて、そうして・・・視線は隣にいる私に向けられた。
「ジョー?」
「寒かったね。大丈夫?」
「え、う・うん。大丈夫」
「やっぱり電車は駄目だな」
もう、気が気じゃなかったよ。と言って私を抱き締める。
「一人で乗らないで。頼むから」
でもそれじゃ、私はどこにも行けないわ。
「僕が車を出すから。そうじゃなかったら、せめてラッシュアワーだけは避けてくれ」
ね?わかったね?と、何度も何度も念をおす。
「・・・わかったわ」
「約束して」
「約束するわ」
「ほんとだよ?」
でもね。あなたがシーズンインしたら、結局私は電車を使うしかないと思うのよ?・・・と思ったけれど、言うとややこしくなりそうなのでやめた。
そうして、やっと安心したのか私から離れると
「・・・あれ?」
机の上の物に気がついた。
「出かける時はなかったよね?フランソワーズがここに置いたの?」
そう。私以外にはいないのだ。ジョーが留守の時に勝手に部屋に入ってもいいのは私だけだから。(そうじゃないと掃除もできない)
「ええ・・・実はね、」
紙袋を倒しちゃって、それで・・・と続けようとしたけれど、ジョーがさっさと手にとって差出人を確認したから言えずにそのまま固まった。
「・・・モナミ公国の印があるけど・・・これって王室印かなぁ。――キャシー?」
『キャシー』
そのひとことにびくっとする。
――まだ、愛称で呼んでいるんだ?
「何だろう?撮影の時に忘れ物でもしたかな?」
いったん机の上に戻す。
「・・・開けないの?」
私がいると邪魔?
私に中を見られたら困るもの?
ジョーとは微妙な距離を保ったまま、私は動けずにいた。
そんな私を、ジョーは苦笑して見つめる。
「・・・コートくらい脱いだら」
でも、もう部屋に戻るから。
「フランソワーズ?」
顔を覗きこむと、そっと私のコートのボタンに手をかけてするっと脱がせてしまう。
「おいで」
そのまま手を掴んで、机の前の椅子に座りその膝の上に私を抱き上げた。
そうして、私の目の前で包みを開けた。

「・・・え。これ・・・?」
私の頭の中は疑問符だらけ。
だって「バレンタインデー」でしょ?その日に間に合うように出されているんだから、当然、それを意識した物のはずでしょ?なのにどうして?
「ああ、やっぱり。これ、待ってたんだよね」
待ってた、って・・・?
「ん?そんなに不思議そうな顔しなくてもいいじゃないか」
言って、私の額にキスをする。
「だって・・・。てっきりバレンタインデーの贈りものかと思ったのに」
「まさか。そんなの、僕に贈る理由なんかないだろ」
そうかしら。
「これね、撮影の時に条件をつけたうちのひとつなんだよ」
「条件?」
「そう。――まさか、僕があのCM撮影を喜んで引き受けたとか思ってないよね?」
思ってる。
「僕は全然、知らされてなかったから、さっさと帰国しようと本気で考えたんだよ。だけど、スポンサーだし、事務所の事情もあるしで出来なくて。だから、CM撮りは受けるけど条件を提示させてもらった」
「それが、これ?」
だって。
これは・・・F1マシンの何分の一かの精巧なフィギュア。
「デザインが変わるから、それに合わせて作ってもらったんだ」
・・・・これが、「条件」?
ジョー。あなたいくつ?
そう聞くとかすかに赤くなって、慌てていい訳を始めた。
「いやだって、咄嗟に浮かばなかったし、でも何か条件を提示しないことには腹の虫がおさまらなかったし」
「・・・ジョーったら」
あんなに不安になっていたのに、気がぬけてほっとして・・・思わず深いため息をついた。
「何か心配してた?」
「え?してないわよ」
「そうかなぁ。私は心配です。って顔に書いてあったけど?」
「・・・知らない」
「素直じゃないな」
「あなたに言われたくない」
ジョーが私を抱き締め、頬に顔を寄せた。
「――でも、妬かれるのは・・・」
耳元で小さく聞こえたけれど、その後のキスでうやむやになってしまった。

私の胸にひとつの疑問を残して。
『キャシー』
どうして愛称で呼ぶの?



2月16日         今日の当番:フランソワーズ

「・・・何よその格好」
小さい声で言ったのに聞こえてしまった。
「変装」
変装ですって?余計に目立っているのに?

サングラスをかけた柄の悪いひとが私のカレシだと知ってびっくりしていた彼は、それでも笑顔で「今日は残念だったけど、また今度!フランソワーズが来るとみんな喜ぶからさ」と元気良く手を振って去って行った。
その後姿に手を振っていたら、ジョーに強引に腕を引っ張られた。
「ホラ。帰るぞ」
帰るぞ、って・・・。
大体、どうしてここに居るの?今日は迎えに来られないんじゃなかったの?
「・・・何?」
視線を感じたのか、ちらっと私の方を見る。
「だって・・・どうしてここに居るの?」
「迎えに来たに決まってるだろ」
「だって」
今日は来れない、って言ってたのに。
半ば強引に引っ張られながら考える。
だって、なんだか変。来れないって言ってたのに。それにその格好。まるで・・・
「・・・ちょい悪オヤジ」
「何か言った?」
「別にっ」
だってね。革のブルゾンにジーパン。御丁寧にウォレットチェーンまでつけちゃって。しかも、ブルゾンの下には赤いシャツに白いスカーフをしてるのって、いったいどうなのよ?
ちょい悪オヤジ。っていうほうがむしろ褒め言葉みたいになってる。そう、有り体に言えばチンピラだった。
歩行者みんなが私たちを避けて行く。自然に道が開けてゆく。・・・当たり前よね。むしろおまわりさんを呼ばれない事の方が不思議なくらい。だってジョーと私の姿はきっと、チンピラに拉致されてゆく外国人、としか映ってないはずで。

「ジョー、待って」
「名前を呼ぶな」
もお。そりゃ、アナタは有名人ですから名前を呼んではいけないでしょーけれども。だったら何て呼べばいいのよ?
「もうちょっとゆっくり歩いて」
「やだ」
今日のジョーってば何だか変。大体、どこに行こうとしてるのかわからない。――車で来たんじゃないの?
「どこに行くの?」
「駅」
駅??どうして?
「車じゃないの?」
「うん」
・・・朝、出る時はストレンジャーだったはず。ということは、いったん帰って車を置いてきたってことかしら。
どうしてまたそんな手間を・・・。
「あのね、もし電車に乗るならサングラスは外したほうがいいと思う」
「何で」
「だって、返って目立ってるもの。・・・それから、ブルゾンの前も閉めた方がいいわ」
そうすれば色合いのミスマッチ感は消えて、いちおう・・・チンピラ風には見えなくなるから。

電車は昨日と同じくらいの混み具合だった。
私の身体の両脇に腕を回してしっかりガードしているジョー。ちょっとくらい押されてもびくともしない。
「・・・混んでるね」
「昨日と同じくらいよ」
「ふーん」
生返事で周囲に視線を飛ばしている(さすがにサングラスは外してくれていた)。
こういう時のジョーの目って・・・「009」として、「リーダー」として「挑む」時の顔をしていて、それは何度も見て知っている・・・はずなんだけど。
今日のジョーはそのなかのどれでもなくて、見た事のない表情をしていた。
なんだかちょっと怖い。
と。
私のナナメ右側の男のひとがちょっと動いた。どうやらジョーと目が合ったらしい・・・けど。
なんだか急に顔色が悪くなって、汗をかいている。とっても具合が悪そう。思わず声をかけようとしたらジョーに肩を掴まれた。
「放っておけ」
「だって」
「――自業自得だ」
なにが?と見上げたジョーの顔は・・・
怖かった。凄く。冷たい瞳。この目は、この目は・・・ユリさんのアルバムにいた少年の瞳と同じだった。
――ううん。もっと怖くなっている。まだあの写真のジョーの方が数倍も可愛らしいくらい。
「ねぇ」
名前を呼ぶわけにはいかないので、彼の袖を引っ張る。
「なに?」
けれども、こちらを見つめたジョーの瞳は見慣れた優しい褐色に戻っていた。
「ん?」
「・・・ううん。なんでもない」
今のは見間違いだったのかな。
急に電車が揺れた。気を抜いていた私は転びそうになり・・・でもしっかりとジョーが支えてくれた。
「大丈夫?」
「ええ・・・ごめんなさい」
「いいよ。フランソワーズは僕につかまってて」
「でも・・・」
「大丈夫だよ。僕を信じろって」
――え?
ジョー、その言葉って・・・。

考える間もなく電車が停止して更に人が乗ってくる。押されて、私は成り行き上ジョーの腕の中にすっぽり収まってしまっていた。
こんなの、誰が見ても「満員電車をいいことにくっついている恋人同士」にしか見えない・・・わよね?
客観的なその光景が頭の中に広がり、急に体温が上がった。
やだわ、そんなの「人前でも関係なくいちゃいちゃしてる無神経な恋人同士」でしかなくて。
ここは日本なのに。
パリなら全然平気なのに、日本だとやっぱり恥ずかしい。だって周りの人たちが見慣れてないもの。
すると、ふっとジョーの腕が緩んだ。気のせいか周りの空気も今までのひといきれから少し涼しくなっている。
・・・ちょっと空いてきたのかしら。
そーっと辺りを見渡すと、信じられない光景が展開していた。
だって。
私とジョーの半径1メートル以内に誰もいない、ってどういうことよ?
まるでバリアーがしてあるかのように人が入ってこない。私と目が合うとすぐに逸らす。誰も敢えてこちらを見ようともしない。
なにがおこってるの?

 

***

 

――まったく。
何が「ひとりで帰れるから大丈夫」だよ。人の気も知らないで。

僕が、今日は電車で一緒に帰ろうと決めたのは昨夜の君のセリフを聞いてからだった。
どう考えたって、君は意地を張って言っているのに違いなくて。
まったく、素直じゃないんだから。
君は自分のことを全然わかってない。僕が何を心配しているのかもわかってない。
ひとりで電車に乗る、しかもラッシュアワーに。・・・日本の痴漢の多さを知らないから平気でいられるんだよ。
僕がこうして君をガードしているにもかかわらず、ヨコシマな視線は飛んでくるし。
まったく、忙しいったらありゃしない。
何度、マジで睨みつけたのか数えたくもない。
いいかい、フランソワーズ。
僕にこんな・・・昔に身につけたワザを繰り出させるのは君だけなんだからな。それがどんな意味かわかってる?
僕らを指差してひそひそ話す高校生男子グループだって許さない。君の事をあれこれ噂するのだって我慢できない。

それに、だ。
――さっきの男。
同じ建物から出てきたってことは、同じバレエ団の人物のはずだよね?
僕が姿を見せた一瞬、君は彼の腕に抱きついていた。すぐ僕を確認して離れたけれど。
どうして僕以外の男に。
・・・友人だというのはわかっている。きっと何の心配も要らないはずで・・・。
と、理性ではわかっているけれど、仲良さそうに笑い合っているのを見てからずっと、僕の心の中は真っ黒に塗りつぶされていった。

――フランソワーズ。

僕は、君が僕以外の誰かと一緒にいるのは見たくないんだ。
今までは、カノジョがそうしているのを見た途端冷めたし、どうでもよくなっていた。そっちがいいなら勝手にいけばいい。――カノジョが欲しい?ならやるよ。と。
でも、君は違う。
冷めたりなんてしないしどうでもよかったりなんてしない。

嫌だ。

それだけが心を占める。
だけどそれを君に告げるわけにはいかない。
僕がどんなに君を思っているか、君が知ったらきっと・・・君は僕から去ってしまう。こんな妄執、君を怖がらせるだけだ。
だから、絶対に言わないけれど。

ねぇ、フランソワーズ。
僕は・・・

 

***

 

電車を降りてからわかった。さっきの車内での出来事が。
だって。
はっきり聞こえたんだもの。私たちが降りた途端、ほっとしたように息を吐き出したひとたちの声が。
――怖かったな。――絶対、カタギじゃないよな。――俺、目が合ったときに殺されるかと思ったマジで。

・・・ジョー。
あなたいったい何をしたの?

相変わらず歩調を緩めず、私の腕を掴んで引っ張って行く。
小走りになりながら、見上げるジョーの横顔。
今は怖くない。いつものあなたに戻っている。でも何も言わない。無言のまま。

バスに乗り換えてからも無言だった。
私から話しかけなかったし、ジョーも何も言わなかった。ただ、私の腕を離してはくれなかった。
バスを降りると、あとはギルモア邸まで坂を延々と上っていくことになる。
右手には海。左手は切り通し。街灯はなくて、道は真っ暗。
この道を通る時はいつも昼間で・・・夜になるとこんなに真っ暗だなんて気がつかなかった。

・・・だからジョーはいつも迎えに来てくれるの?

海風は容赦なく吹きつけ、体温を奪っていく。
「さむーい」
思わず言うと、ジョーが腰に腕を回して抱き寄せてくれた。
――誰も見てないもん、恥ずかしくない。
だからジョーに甘えてしまう。
「・・・ねぇ、ジョー?」
「ん?」
帰ったらあっためてね?と言おうとして思い出した。
ジョーの部屋にはモナミ公国からの贈り物がある。王室印がついているから贈り主は彼女に違いなくて。
「フランソワーズ?」
「・・・なんでもない」

なんだかとっても寒かった。



2月15日         今日の当番:フランソワーズ

ジョーが出勤していった後で、とんでもないものを見つけてしまった。

ほんの偶然だったのよ。ほんとよ?ジョーの部屋を捜索したり透視したりなんてしない。断じて。
昨夜、ジョーの部屋に置き忘れてしまった腕時計を取りに部屋に入っただけ。
ジョーの机の上に置きっ放しにしてて・・・そして、未整理だったチョコの入った紙袋を謝って倒してしまった。
昨夜はジョーの部屋で彼が貰ってきたチョコレートを整理していたのだけど、紙袋ひとつぶんを残して中断してしまっていたのだった。
慌てて元に戻そうとして、手が止まった。
だって、これ・・・「ファンの集い」で貰ったチョコじゃないんだもの。
おそらく、事務所にきていた分を事務所のひとが持って来てくれていたのに違いなくて。ジョーはただそれを受け取って帰ってきただけ。きっと中身は全然見てない。
もちろん、事務所付けでファンからチョコが送られてくる分も入っているけれど、でも・・・明らかに「外国のもの」とわかる外観。
これってもしかして・・・モナミ公国?
・・・・・・・。
確かに、コマーシャルで共演もしているし・・・レースの開催国でもあるし・・・・。
だから、御挨拶代わりに送られてきても、全然おかしくない。
うん。
そうよね?
おかしくないわよね。
それに彼女は「レーサー・島村ジョー」のファンだって公言していたし。
だったら「いちファンからの贈り物」であって、他のひとと同じはずで。
別に私が動揺するような事じゃない。
だけど・・・。

なんだか急に落ち着かない気分になった。

 

バレエのレッスン中も、ついつい考えてしまって随分先生に叱られた。全然、集中できなかった。
「いったいどうしたのよ、フランソワーズ」
レッスン後の更衣室で声をかけられる。
「うん・・・なんでもない」
「なんでもなくはないでしょ?・・・もしかして、昨日のバレンタインに何かあった?」
「ううん」
「フランソワーズのカレシ、もてそうだもんねー。チョコとかたくさん貰って来たんじゃないの?」
「それでやきもち妬いてるんだ?」
「フランソワーズ、そこは『本命の彼女』としてどーんと構えてなくちゃだめよ」
口々に言われる。
「・・・『本命の彼女』?」
「そーよ。他にどんなに綺麗で可愛いコが寄ってきたって、平然としてなくちゃ。――ヨユウ、ってやつ?」
・・・ヨユウ・・・・。
余裕ないかしら、私。
「今日だって迎えに来るんでしょ?いいなー。私もアイツに迎えに来いって言おうかしら」
「無理無理。だって車持ってないじゃん」
「いいじゃん、言ってみただけよ」
「――来ないの。今日は」
「えっ?それって珍しくない?」
「何があったの?」
「昨夜・・・ちょっとあって、ね」
ジョーが心配しなくても、ひとりで帰れるわ。って言った手前、「ごめん、明日は迎えに行くのが少し遅れるかもしれない」と言われた時に「じゃあ、明日はひとりで帰るわね」と言うしかなかった。
「やっぱりケンカしたんだ?」
「そんなんじゃないけど・・・」
ケンカした訳じゃない。だけど・・・改めて「今日はジョーは来ないんだ」と思ったら、なんだか凄く寂しくなった。
きのう、「どうして遅れるの?」って訊けば良かった。
でも、私はジョーのことを詮索したりはしないのよ、って見栄をはってしまった。
ジョーは私の事を凄く気にしているけれど、私はあなたを束縛はしないから安心してね。って。
どうしてそんな見栄をはっちゃったんだろう。
モナミ公国からの贈り物や今日はどうしてジョーは来れないんだろうと思ったりで頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。
だって。
不安なんだもの。
朝から「贈り物」を見つけて。
今日はジョーは「仕事だよ」って出て行ったけれど、本当にそうなのかな。って。
どうして今日に限って「遅れるかもしれな」かったんだろう。って。
――なんだか、まっすぐ帰るのが嫌だな。
わざとぐずぐず着替える。
でも、今日に限って誰も食事に誘ってくれないし、飲みに行こうとかお茶しようとも言ってくれない。
寄り道しようかな・・・

考えながら階段を降りていたら、後ろから声をかけられた。
「フランソワーズ、今日空いてる?」
「えっ」
彼は何度も共演してて、ほとんど「私のパートナー」と言ってもいい間柄だった。
「・・・空いてる、ケド」
「じゃあさ、メシ食いに行かない?」
二人で?
「あ、二人っきりじゃないよ?他にもいるから安心して?」
私、そんな不安そうな顔をしてたかしら。
「・・・行こうかな」
「やった。みんな昨日のチョコのお礼もしたいって話しててさ。ホワイトデーにはまだ早いけど」
そう言いながら建物の外に出る。
「わー。寒いね」
「ほんと」
思わず首をすくめる。
「あ、店はあっちなんだ」
慣れた風に私の肘をとり、エスコートしてくれる。実際、共演しているからそういう行為は何とも思わなかった。
けれど。

目の前にサングラスをかけた柄の悪いひとが立ち塞がったので、思わず彼の腕にしがみついてしまった。
「君、なんだい?何か用?」
果敢にも立ち向かってくれている・・・けれど。
私は深く深くため息をついて、しがみついている腕を放した。
「ごめんなさい。やっぱり今日行けないわ」
「えっ?でも・・・」
私とサングラスをかけた柄の悪いひとを交互に見つめる。
「・・・知り合い?」
「・・・カレシなの」
「カレシー??」
この柄の悪いのが?と、声には出さないけれど表情が物語っている。さすがダンサーね。表現力があるわ・・・と感心している場合ではなくて。

どうしてここにジョーがいるの?
それに、その格好はいったい何のつもりなの?



2月14日         今日の当番:ジョー

今日はバレンタインデー。
日本では「年に一度、女性が男性に愛を告白できる日」で、その思いをチョコレートに託して渡す。
そんな訳で、今日は随分たくさんの女性から「愛」を頂いてきた僕だった。
(注:ハリケーンジョーによる「ファンの集い」です。抽選で300人限定。全員と握手。)

フランソワーズはといえば、この行事には慣れているから妬いたりはしない。
むしろ、どんなチョコレートを貰ってくるのかを楽しみにしてて・・・今も、ひとつひとつ紙袋から丁寧に取り出して並べている。
それは、既成のチョコと手作りのチョコを分けるためと(手作りチョコは食べないようにと事務所からきつく言われている)、添えられているカードや手紙を「確実に僕に渡す」ためだった。特に手紙やカードの類は、僕がちゃんと目を通さないと次のチョコへはいかないという徹底ぶりだ。
「はい次。ちゃんと読んでね」
小さなカードを渡される。ので、読む。
「読んだ?そのカードの人からのチョコはこれよ?だめ、ちゃんと見て」
見た。
「わ。これ高そう。凄いわねー」
「・・・そうだね」
「ちゃんと食べるのよ」
そうなのだ。
僕がどんなチョコを貰ってくるのかを「楽しみ」にしているだけで、絶対に食べない。必ず全部、僕に食べさせる。
「トクベツでスペシャルなチョコを食べるから今日は無理」
「あら、割らないで食べてくれるの?」
3センチの厚さのある不思議な板チョコを作成したフランソワーズ。意味がわからない。いや。トクベツでスペシャルなチョコ・・・か。
「あのさ」
「なーに?」
「どうして板チョコなの?」
「ん?」
「ひとくちサイズにするとか、いろいろあるだろう?」
そうすれば食べやすいのに。
「んー。本当はハート形にしようと思ってたのよ?でも、みんなの前でそういうの貰ったらジョーが照れて困るかなーって思って」
・・・そりゃどうも。
「板チョコじゃ嫌だった?」
「そんなことはないよ」
「そう?」
ちらりと僕を見つめ、口元に笑みを浮かべつつ再び区分け作業に戻る。
そんなフランソワーズを見つめながら、僕は「ある事」について考えていた。
つまり。
今日は「女性が男性に愛を告白する日」なんだよな?
でも世間では、「義理チョコ」やら「世話チョコ」(お世話になったひとにあげるという意味らしい)、「友チョコ」(友達にあげるチョコ)やら、あれこれ種類があって。
――フランソワーズは僕の他に誰にあげたんだろう?
もちろん、仲間全員プラス博士。というのは知ってる。今朝、みんなにチョコレートケーキを出していたから。
だけど、その後僕は外出していたから、今日一日彼女がどう過ごしていたのかなんて知らない。
もしかしたら、誰かにチョコを渡しに行っていたのかもしれなくて・・・。

どうして僕がそんなことを考えているのかというと、それは昨夜キッチンで尋常ではない量のチョコを見たからだった。フランソワーズ曰く、「トクベツでスペシャルなチョコ」を作るための材料であり、全部「僕用」ということだったけど・・・本当に?そう疑わせるのに十分なくらいの量だったんだ。
全然、話に出ないけど、普通バレエって・・・男性もいる。(だから僕は彼女の公演には行かない)
だけどフランソワーズはそういう話を全然しないから、何人くらい所属しているのかも僕は知らない。
(注:「だって話題になっただけでもジョーは機嫌が悪くなるもの」(お嬢さん談)
バレエ団の「仲間」だろ?・・・あげない訳、ないよな。
「――ねえフランソワーズ」
彼女の髪を指先でくるくるしながら声を掛ける。
「なーに?」
「僕の他には誰にチョコをあげたの」
「博士と他のみんなよ?知ってるでしょ?」
そうじゃなくて。そういう意味じゃなくて。
「ほら、世間では「トモダチ」にもあげるらしいから・・・」
トモダチ、というところを強調してみる。
「んー。・・・全員の名前を言うのは大変だわ」
――え?
頬に指をあてて軽く首を傾げるフランソワーズ。
「まず、院長先生でしょ(注:SS「お歳暮」参照)、それから商店街の・・・えーと・・・」
ずらーっと店の名前をあげていく。
「・・・・で、あとはバレエ団のひとたち」
出た。
「わざわざ行ったんだ?」
「ええ。行ったわよ?」
今日はレッスンの日じゃないのに。いったい、誰に送ってもらったんだろう。
「他に買いたいものもあったし」
――くそっ。フランソワーズと二人っきりになった幸運な奴は誰だ。そうだ、バレエの団員全員で撮った写真を見せてもらってさりげなく教えてもらって、それで、
「なんだか今日は電車が混んでいて大変だったわ」
そう、それで今度ソイツを見かけたら――え?
電車?
「――電車に乗ったの?」
「ええ」
「ひとりで?」
「そうよ?」
きょとんと蒼い瞳で見つめてくるフランソワーズ。
「・・・なんでひとりで電車に乗ったりしたんだ」
「だって、あなたはいなかったし」
「僕じゃなくても、ジェットとかピュンマとか・・・車を出してくれそうな奴はいくらでもいるじゃないか」
「やーよ。わざわざ頼むの、申し訳ないわ」
「申し訳ない、って、そんなこと言ってる場合じゃ」
「もー。大丈夫よ。日本には長いんだし、電車くらいひとりで乗れるわ」
「いやだから、そういう意味じゃなくて」
「大丈夫だってば。ジョーったら心配性ね」
だからそうじゃなくて。
「あ、そうそう。今日は3人だったわ」
・・・ほらみろ。
「でもちゃんと『未遂』で見つけたから大丈夫よ?」
大丈夫よ、って・・・
「私だって『003』ですからね。そんなに簡単に襲われたりなんてしないのよっ」
――もう、いいよっ!!

背中からぎゅーっと抱き締める。
「なに?どうしたのジョー」
どうもこうもないよ、フランソワーズ。
「・・・ジョー?」
うるさい。質問するな。何も言うな。
「・・・ねぇ。動けないんですけど」

フランソワーズを抱き締めながら、僕は軽い自己嫌悪に陥っていた。
――僕はフランソワーズをどうしたいんだろう?
今日一日何をしてどこに行っていたのか、全部訊かないと駄目なのか?誰と一緒に車に乗ろうが、ひとりで電車に乗ろうが、彼女だってひとりの大人なんだし何にも心配する必要なんてないじゃないか。
しかも、自分の事を「003」とまで言わせて。
――ごめん。
ごめんね、フランソワーズ。

だけど。

だけど僕は君を・・・

「しょうがないわねえ、ジョーは」
フランソワーズがそっと僕の頬を撫でる。
「大丈夫よ」
そうだよな。大人なんだし・・・この日本でそうそう危険な目に遭うわけでもない。それに、彼女が男性の目を惹くのは彼女のせいではないのだし。
と納得しかけ――彼女の言う「大丈夫」の意味はそういう事ではないかもしれない。となんとなく思う。
「私ね。そういうジョーが好きだから」
だから心配しなくてもいいのよ?
小さくそう言うと、僕の手に手を重ねた。
「何にも訊いてくれなくなったら死んじゃうわ」

君は何でも見抜いてしまう。
僕が君を束縛しているのも。そしてそんな自分を嫌悪していることも。

それでも、君は全部赦してくれている。

――ごめん。
ごめんね、フランソワーズ。

だけど僕は君を・・・

束縛するのはやめないよ?

そうして彼女を抱く腕に力を込めた。(そして痛いと怒られた)



2月13日       今日の当番:ジョー

「・・・本当に良かったの?送っていかなくて」
「いいんだ」

ギルモア邸を後にするタクシーを並んで見送っている。

「・・・ごめんね、ジョー」
「なにが?」
「私ばっかりユリさんを独り占めしちゃって・・・ジョーだって、もっとユリさんとお話したかったでしょ?」
「全然」

ユリさんと僕とは「昔の知り合い」で、だからといっていま現在積極的に会いたいかと訊かれれば答えは当然NOだった。
会ったからといって、何かが変わる訳でもない。「過去は過去」いまはいまだった。
それに、どうせ僕はコドモ扱いされるだけなんだ。彼女にとって、僕は「いつまでたっても手のかかる弟」でしかなくて・・・。(前に彼女にそう言ったら、「ホントね。全く、手がかかったわ」と意味ありげに言われた――ので、それ以来、彼女と面と向かって話すのはなんだか気まずかった)

「ほんとに?」
「本当だよ」
「・・・我慢してない?」
「してる」
「えっ?」

びっくりして目を見開いているフランソワーズを抱き締める。

「だってさ。ずーっと君をユリさんにとられてしまってて・・・僕が平気でいられると思う?」
「だってユリさんはおんなのひとよ?」
「それでも、君は僕のほうをちらっとも見ないしさー。どうせユリさんばっかり見てて、眼中になかったんだろ?」
「え、そんなこと・・・」
実はジョーの存在をすっかり忘れていた。とは口が裂けても言えない。

「ユリさんと何を話してたの」
「そんなの、女同士の秘密よ」
「えーっ」
「教えない。言ったらジョーが傷つくもの」
「・・・・え」
一体何を話していたというのだろう?――まさかユリさん・・・・

「だってジョーの悪口だもん」
「悪口?」
「そ。洗濯物をちゃんと出してくれないし、お手伝いもあんまりしてくれないわよねーって」
してるじゃないか・・・時々だけど。
口の中でもごもご言うジョーに構わず続ける。
「あとはね、ジョーの昔の話。ケンカばっかりしてた、って言ってた」
「・・・ばっかり、ってことはないんだけどなぁ・・・」
「でもね」
少しうつむいて、おでこをジョーの胸にくっつける。
「ジョーがね、大乱闘になった時に、ユリさんを庇って・・・」
『ジョー!?大丈夫?』『心配するなって!まかせろ!』『でも!私もいまそっちに』『来なくていい!絶対に助けるから!』『助けになんか来なくていい!』『大丈夫だから!!信じろ!』
乱闘の中でお互いを心配し合う姿が目に浮かぶ。
ユリさんの話は、そんな思い出話だった。もちろん彼女は「昔の話よ」と軽く言っていたけれど。
「すごくかっこよかったって。あなたに任せて大丈夫なんだ、って安心したって言ってたの」
そうっとジョーに腕を回す。
「・・・私、ジョーにそう言ってもらったことなんてない」

一瞬、間。

「あるだろ??」
「ないわよ」
「ある、ってば」
「ない」
「あったよ」
「なかったもん」

しばしの間。
ジョーはフランソワーズを抱き締めたまま天を見上げていた。

「心配するな、って言ったことあるよね?」
「うん」
「まかせろ、も言ったよね?」
「言った」
「絶対に助けるから、っていつも言ってるよね?」
「うん。言ってる」
「大丈夫だから、とも言ってるよね?」
「・・・たぶん」
「じゃあ全部、いつも言ってるじゃないか」
ほらみろ。と言いたげなジョーの顔を見上げる。
「ひとつだけ言ってもらってない」
「え?」
「『信じろ』って・・・」
思わずフランソワーズの顔を見る。
泣きべそ顔で、そして・・・やきもちを妬いている。

「・・・ばかだなぁ」
そっと額にキスをしてから改めて抱き締める。
――そんなの。君に言う必要がないから言わないんだよ。

「フランソワーズは僕を信じてないの?」
「信じてるわ」
「いつも?」
「ええ」
「どんな時も?」
「当たり前でしょ?」
「だったら言う必要ないじゃないか」
はっとして顔を上げるフランソワーズ。頬がかすかに赤くなっている。
「あ・・・そうね」
「そうだよ」
「・・・そっか」
「そう」
ヤダ、私ったら。と小さく呟く。
そうだよ、フランソワーズ。君はちゃんと僕を信じてくれているし、もちろん僕だって君を信じている。
だから言わなくてもいいんだよ。だってそれは「当たり前のこと」なんだから。
お互いを信じているのは大気の中に空気が在るように「当然」の事だから、確認し合わなくてもいいんだよ。

「昨夜はフランソワーズがいなかったから、よく眠れなかったんだぞ」
「嘘ばっかり」
「本当だって」
だって昨夜はピュンマとジェロニモと一緒に夜通しゲームをしてたって聞いたもの。
「フランソワーズ。信じてくれよ」

あ。いま言われた。



2月12日        今日の当番:フランソワーズ

夜になって、やっぱり雪が降り始めた。

「ね?お泊りにして良かったでしょ?」

窓にぶつかる雪を見て、フランソワーズは嬉しそうに言って振り返った。
今夜はゲストルームに二人一緒に休むことにしたのだった。ツインベッドになっているので、お互いにパジャマに着替えて思い思いに寛いで。

「本当ね。それにゆっくりお話もできるし」
そう言うユリににっこり微笑み、
「でも・・・このアルバム、本当にもらってしまっていいの?」
胸に抱き締めているのは最前まで閲覧していたアルバム。ジョーの少年時代が写っている写真がある。
「ええ。それはやっぱり、フランソワーズが持っていたほうがいいと思うの」
「でも・・・」
ユリさん、寂しくない?
と訊いてみたいけれど訊くに訊けない。
逡巡しているフランソワーズを見つめ、苦笑まじりに言う。
「大丈夫よ。二人で写っているのはちゃんと持っているから」
もちろん嘘である。ジョーがユリとツーショット写真なんて撮らせるわけがない。
「そうなの?じゃあ・・・遠慮なく」
嬉しそうにもう一度ページを繰るフランソワーズを優しく見つめる。

ジョー、あなたの選択は確かよ。フランソワーズは可愛くて素直で・・・そばにいると優しい気持ちになれる。
だから、あなたは彼女を離しては駄目よ。もしそんなことがあったら私はあなたを許さないから。

「あ、そうだ」
アルバムを見つめていたフランソワーズが顔を上げる。
「私ね、ユリさんに渡そうと思っていたものがあるの」
「アラ、なーに?」
「あのね」
テーブルに置いていたバッグから一枚のカードを取り出す。
「これ・・・ジョーのカードなんだけど」
「お仕事中なのね」
「洗剤を買ったらもらえるの。で、私、おんなじのを2枚持っているからこれ・・・よかったら」
「いただけるの?」
こっくり頷くフランソワーズに微笑む。
「ありがとう。そう・・・こういうのもあったのね」
「・・・え?」
「私が持っているのは・・・ええとなんだったかしら・・・ジョーが優勝カップにキスしてるカード」
「シークレットカード?」
「ああ、それそれ。それしか持っていなかったから嬉しいわ」

ユリさん、持ってたんだ。シークレットカードを。

一瞬、ヤキモチを妬きかけ、いやいやユリさんはそんなんじゃないんだから、と打ち消す。

「あの、ユリさん?」
「なーに?」
「他にも持ってる・・・?ジョーのカード」
「ううん。一枚しか種類はないと思っていたから」

それがシークレットカードだったとは。

やっぱり昔の彼女はそういうのを引き当てる運命にあるのかしら。
だったら私は?――だめよフランソワーズ。そんな変なヤキモチ妬いてもしょうがないじゃない。
ジョーの過去にヤキモチを妬いたって、時間を戻せるわけじゃないんだから。

だけど実は今夜、ユリさんと同じ部屋で寝るというのは・・・ちょっぴり不安だったからなのだった。
ジョーがユリさんと夜中にこっそり会ったりなんてしないように。

だってジョーには前科があるもん。



2月11日       今日の当番:ジョー?

ユリが着いてからは、フランソワーズの視線がジョーに向けられる事はなかった。
玄関に迎えに出て軽く抱き合い、ユリの手を引いてリビングへ連れてゆくフランソワーズ。
そして、ユリの隣に座り、ずーっと仲良く話し込んでいる。
お茶を出すのも忘れているようで、結局、お茶と茶菓子を運んだのはピュンマだった。
ジョーはといえば、彼女たちの向かいのソファに座ったものの、話の輪に入るわけにもゆかず――話している内容もよくわからないのだった――所在なく紅茶を飲み、なんとなく菓子を口にいれ。ただ二人を見ているしかなかった。

「そうだわ、アルバムを持ってきたんだった」
ユリがぱんと手を打って立ち上がる。そしてバッグから大判のアルバムを一冊取り出したのだった。
「あ、それってもしかして――」
「そ。電話で話してた例のものよ」
「わー。楽しみにしてたのっ」
「でしょ?絶対、見たがると思って」
「でもなんだか見たいような見ないほうがいいような変な気分」
「大丈夫よ。・・・まぁ、ちょっとびっくりはするかもしれないけど」
ちら、とジョーを見つめる。
そのユリの視線にびくっとするジョー。

なんだ一体。・・・確か、昔の写真がどうとか、ってフランソワーズが言ってたけど・・・

そーっと首を伸ばしてみるが、あいにく表紙しか見えなかった。
ので、静かに彼女たちの背後に回った。
彼女たちの背後には、なぜか既にピュンマとジェロニモも立っており、開かれたページに見入っていた。

「え?これ・・・」
フランソワーズが思わず指差す。
「これってもしかして・・・・」
「もしかしなくても、ジョーよ」
「えええーっ」
がば、っとアルバムを両手に持ち、じーっと見つめる一枚の写真。
「この男の子が、ジョー・・・・」
ふっと視線を前方に飛ばす。が、ジョーは既にそこにはいないのだった。なので、背後に首を回す。
が、そこに居たのはピュンマとジェロニモだった。
「・・・ジョーは?」
二人に訊くと、ジェロニモが無言で部屋の隅を指差した。
そこには、壁に手をついてうなだれているジョーの姿があった。なぜか背中が小さく見える。

「ジョー?」
どうしてそんな隅っこに。
フランソワーズの声に、一瞬びくりと背中が揺れ、そーっとこちらの様子を窺うように振り返った。
「ヤダ。ジョーったら!」
とたんに笑い出すフランソワーズ。
「なんて顔してるのよ」
「・・・うるせーな、ほっとけよ・・・」
低く、小さい声で言ったものの、ある人物はそれを聞き逃しはしなかった。
「ジョー!いま何て言ったの?」
厳しい声の主はユリ。
「そんな汚い言葉を遣うなんて駄目よ!」
きりりとまなじりを上げて凛とした声で言い放つ。
フランソワーズは未だ笑い続けている。
なにしろ、ジョーの顔といえば。
真っ赤になっているくせに、ちょっと拗ねたような唇と泣きそうな潤んだ瞳をしていたから。

だから、ヤだったんだよっユリさんがうちに来るのはっ!

いくらオトナぶっても彼女にかかればジョーはいつまでも「デキの悪い弟」レベルなのだった。

「あ。これって学生服?」
フランソワーズの声に、ユリの視線は再びアルバムに戻る。
「ええ、そうよ。日本では、中学校・高校と制服というのがあるの」
「・・・でもなんだか・・・」
「そうなのよね。だらしなーく着てるでしょ?」
こくこく頷くフランソワーズ。
「本当は似合うくせに、わざとこういう風に着てたのよ」
「どうしてかしら」
「さあ・・・どうしてかしらね、ジョー?」

ユリの声に一瞬何か言ってやろうと思ったのだが、また叱られるような気がして結局黙ったままのジョー。
今は部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいる。

「・・・あんまりユリさんは一緒に写ってないのね?」
しばらくページを繰った後にフランソワーズが不思議そうに聞いた。
「どうして?――恋人同士だったのに」

――え!?

我関せずを決め込んでいたジョーだったが、あまりにもさらりと言われた事実にびっくりした。

なんで??
フランソワーズはそんな事・・・知ってたっけ??

「うーん・・・写真自体が少ないでしょ?ジョーは写真に撮られるのが嫌いで、殆ど盗撮みたいなもんだし」
殆ど、というより全部だった。
「だから一緒に写っているのは、仲間たち全員と撮ったのしかないの」
ツーショットなんてないのよ、とユリは笑った。
「大体ね。恋人同士といっても・・・人前で手をつなぐこともしなかったし、並んで歩くことだってしなかったのよ。コドモ同士のオママゴトみたいなもので。――ね?ジョー」

――オママゴト。な訳ないだろーがっ。

さらりと嘘を言われて、肯定すべきか否定すべきか一瞬考え・・・どちらを言っても窮地に陥りそうな気がして結局黙る。

「そう・・・」
「ええ。ね、こっちの写真見て」
「あ・・・」
「ジョーはね、いつもこんな瞳をしていたのよ」
怖いでしょ?
と苦笑気味に言うユリの声をどこか遠くで聞いているフランソワーズ。

ジョーは・・・確かに出会った頃はこういう瞳をしていたような・・・気がする。

「全然、笑わないし。話すことといえば、世の中を否定したことばかり。・・・ううん。世の中だけでなく、自分自身も否定してたわね」

怒っているような哀しいような・・・瞳。

でも何故か目を離せなかった。

今はこういう顔はしないわ。・・・いつも穏やかで優しくて、強い瞳で。

「今は、こういう顔しないでしょう?」
少し哀しげな声のユリにはっと我に返るフランソワーズ。
「それは、あなたがそばにいるからよ」
「えっ」
思わず頬が熱くなる。
「そうよね、ジョー?」

――俺のことは放っておいてくれ。

ジョーは頭を抱えたまま撃沈していた。



2月10日       今日の当番:ジョー

ユリさんは相変わらず綺麗だった。

ロータリーでジョーの車を見つけ、手を振った彼女を見てそう思った。
自分は既に生身の身体ではないと彼女に知られてしまっているけれど、会えばやはり「過去の記憶」が甦り・・・生身だった頃の自分を思い出す。
それらは全てが「良い思い出」などではなく、できればそのままずっと忘れていたい類のものばかりだった。
一体、どうしてあの頃はあんなに荒れていたのだろうか。

ギルモア邸に向かう車内でも、何を話せばいいのやら全く見当がつかなかった。
なので、黙る。

「・・・元気そうね」
「うん」
「他のみなさんも元気でいる?」
「うん」

これでは会話にならない。
ということに気付き、こちらからも何とか話を振ってみる。

「その・・・博士はどうしている?」
「元気でいるわ」
「・・・そう」

やはり話が続かない。
田辺博士を話題にしたことがいけなかったのだろうか。
ジョーは自身の思いに沈んでいった。

まだ博士には何にも恩返しができていない。
昔の分と・・・世界平和会議の時の分も。
むしろ、自分と知り合いだったというせいで迷惑をかけてしまった。

「・・・ジョー?」
心配そうにユリが見つめている。

いつもはフランソワーズが占めるナビシート。
別の女性が座っているというのはどうにも落ち着かなかった。
何しろジョーにとって、その場所は既にフランソワーズ以外の誰のものでもなかったから。

――ストレンジャーで来るんじゃなかったな。

心の中で舌打ちする。
いくら天候が荒れそうだからといって、何もストレンジャーを出すこともなかったはずだった。
普通の乗用車はたくさんあるというのに。

「なんでもない。――それより、普段からフランソワーズとは良く電話しているみたいだけど」
「ええ。例の件がきっかけで仲良くなったのよ」

いったい何を話してるんだろう?

と思ったジョーの胸の裡を見透かしたかのようにユリがふっと微笑んだ。

「フランソワーズとは色んな事を話すけど・・・一番多いのが、恋愛相談、かな」
「・・・へぇ。そうなんだ」
「だって、彼女の周りにいるのは男の子ばかりでしょ?それに肉親もお兄様だし・・・。バレエ教室のお友達には言えない事もあるみたいだし」

確かに「サイボーグである」とは言えない。

「だから、・・・うーん、お姉さんみたいなものかな?」
「ふぅん」
「気になる?」
「何が」
「恋愛相談の内容」
「・・・別に」
「アラ、そう?」

からかうような声に内心動揺する。

恋愛相談、って一体何なんだよ?――フランソワーズが何を悩むっていうんだ?だったら僕に直接訊けばいいじゃないかっ。

「そうねぇ・・・ジョーにはわからないかもね。オンナゴコロって」

余裕な声に、そんな事はないと否定したいものの、真実わからないのはオンナゴコロだったので何も言えない。

「何年経っても、そういうトコロは変わらないのね・・・ジョーは」

でも、随分と明るくなって・・・瞳の色も優しくなった。

軽くジョーをからかいつつ、感慨に浸るユリだった。



2月9日        今日の当番:ジョー

ユリさんが遊びに来る。
どうしてそんな話の流れになったんだろう?

そもそもユリさんとフランソワーズの接点といえば・・・世界平和会議のミッションで知り合っただけで、そう親しくなるほどの時間もなかったはずだった。
しかも、フランソワーズはずっと一人で索敵していなければならず、田辺邸兼研究所にはあまり居なかった。

女同士で何か話したのかな・・・

ぼんやりと思う。

ジョーは怪我を負ったから、その後の事は詳しくは知らない。
みんながどうしていたのか。
フランソワーズはどうしていたのか。そして、ユリさんは。

そういえばメンテナンスルームを出た時もフランソワーズの姿はそこにはなくて、ジョーはかなり寂しい思いをしたのだった。いつもは、ちょっとの怪我でも心配顔の彼女が迎えていてくれたから、その顔を見て温かい気持ちになって、やっと身体の傷だけでなく・・・全てが癒されるのだった。

あの時、フランソワーズに会ったのは夜になってからだった。

それまで何をしていたのかは知らない。
だからもし、彼女とユリさんが親しくなっていたとしても、どの程度なのか、何がきっかけなのかは全然わからなかった。(「島村ジョー」自身が「きっかけ」なのだとは思いもつかないジョーなのである)

そもそも、電話やメールで遣り取りが続いていたとも知らなかった。

――僕はユリさんとはあの時以来会っていないのに。・・・まぁ、別に改めて会う理由もなかったし、積極的に会いたいとも思ってはいなかったけれど。

いや。

半分本当で、半分は嘘である。
ジョーは自分の気持ちをちゃんと見るのが嫌で、考えないようにしている。
ユリさんのことを思い出すことは、荒れていたころの自分を思い出すことで・・・その時、自分が何をしていたのか。どんな思いで過ごしてきたのか。
それは改めて思い出したい記憶ではなく、できるものならこのままずっと気付かずに心の底に留めておきたいのだった。
それに。

フランソワーズに知られるのは嫌だ。

今の自分と過去の自分は・・・たぶん、「違う」。
果たして「過去の自分」をフランソワーズが知って、・・・それでも彼女は自分の事を嫌いにならずにいてくれるだろうか。自信がなかった。
「荒れていた過去の自分」とはいっても、そんなに酷い事をしてきた訳ではない・・・はずだった。
どちらかといえば、行動ではなく思想の面で「全てを諦め」ていたから、周囲のものがどうでもよく、結果的に周りのひとを傷つけ、それ以上に自分も傷ついていた。
そんな自分の「孤独」を見抜いたのがユリさんだった。

――だから、僕にとって彼女は。

会いたいけれど会いたくない。
そんな不安定な微妙な存在。

だから、会ったところで何を話せばいいのかもわからなかった。

自分の気持ちの整理をできないまま、ストレンジャーはユリさんが待っているであろう駅のロータリーに入って行った。



2月8日        今日の当番:ジョー

「ユリさんが来るのって明日だっけ?」
「そうよ」
「ふーん・・・明日、雪が降るみたいだけど」
「そうなの?」
「うん」

夕食前のリビングで天気予報を見ていたジョー。その声につられて隣で一緒にテレビを見るフランソワーズ。

「だからユリさんが来るのは延期にした方がいいんじゃないかなぁ」
「アラ、どうして?」
「だって雪が降ったら交通機関が使えなくなるかもしれないだろう?帰れなくなるじゃないか」
ね?だから、天気の良さそうな別の日にしたほうがいいんじゃない?

と、親切な風を装って言ってみる。もちろん、真意は「半永久的に延期にすればいい」なのだった。
けれどもフランソワーズは事も無げに言い放つのである。

「大丈夫よ。そうなったら泊まっていってもらえばいいじゃない」
「――え」
「お部屋だって余ってるんだし。そうすれば遅くなっても心配要らないでしょ?」
最初からそうしておけばよかったわ、と軽やかに言いつつ電話をかけに行くフランソワーズの後姿をただ見つめるしかできないジョーだった。

「――もしもし、ユリさん?――フランソワーズです。明日のことなんですけれど・・・ええ、雪が降るみたいで。良かったら泊まる準備をして来ていただけますか?エエもちろん、大丈夫です。私もジョーも、そのほうが嬉しいし」

僕は嬉しいなんてひとっことも言ってないぞ。

ユリさんはいったい何を話すつもりなんだろう・・・・

ジョーの脳裏には、荒れていた頃の自分を優しく諌めた当時の彼女の姿が甦っていた。
綺麗で優しかったユリ――さん。



2月5日       今日の当番:ジョー??

「・・・ええっ!!本当ですか!?」

リビングで家の電話回線を使っていたフランソワーズが急に大声を出したので、同じくリビングで新聞を読んでいたジョーは何事かと彼女を注視した。

「・・・はい。はいっ。わかりましたっ。お待ちしております」

電話を切って、なにやらカレンダーに○印を書き込んでいる。

「――フランソワーズ?何かあったの?」
「んー・・・・うふっ」
にこにこ、というよりもにやにや笑いが止まらないフランソワーズ。なんだか妙に嬉しそうだ。
「・・・どうかしたの」
気持ち退き気味のジョー。
「んー・・・どうしようっかなぁ・・・言おうかなー、やめとこうかなー」
「じゃ、やめとけば?」
言って新聞に戻るジョー。
「ジョーの意地悪っ」
「・・・はいはい。――で?何があったの」
新聞のスポーツ欄から目を上げて、改めてフランソワーズを見つめる。
「あのね」
「うん」
「今度の土曜日にユリさんが来るの」
「――ユリ、さん?」

――って。

「あれ?・・・ジョーはもちろん覚えているわよね?・・・ホラ、田辺博士の娘さん、よ」
「う・うん・・・知ってる、ケド」

電話で話すくらいフランソワーズと仲が良かったとは知らなかった。

「でね、今度の土曜日に遊びに来るの。ジョーはもちろん、居るわよね?」
出掛ける、とは言えない雰囲気だった。

「う・ウン・・・居る、ケド」
「でね。その時にアルバムを持ってきてくれる、っていうの」
「・・・アルバム」
「そう。――昔のアナタの写真っ」

――嘘だろ?

愕然として新聞を取り落とした事にも気付かないジョーと、こちらもそんなジョーなど眼中にないフランソワーズ。

「中学生時代のあなたってどんな感じだったのかしら?楽しみだわ」
両手を胸の前で組合せ、目線はあさっての方を向いている。
「え・・・と。フランソワーズ?」
「なぁに?」
「中学時代って、その、僕は」
「不良だったんでしょ?知ってるわよ」
何を今さら、という顔をするフランソワーズ。
「だったら、そんなの見たって何にも面白くないと思う・・・よ?」
「アラ、どうして?」
「どうして、って・・・」

だって、ユリさんが持ってるって事は、荒れてる頃の自分が映っているのに間違いなく、しかもユリさんも一緒に映っているわけで・・・

――それに、ユリさんは。

「・・・ジョー?」
訝しげなフランソワーズの瞳から逃げるように目を逸らす。

――だって、ユリさんは僕の・・・

「お姉さん的存在なのでしょ?」
知ってるわよ。と微笑む。
「ジョーってば。また私がヤキモチ妬いたと思ってるんでしょー?ユリさんには妬きません」
「・・・妬いてたくせに」
ポツリと呟いた一言に瞳をきらりん、とさせるフランソワーズ。
「アラ。だってあの時はあなたがいけないのよ。私がひとりでずーっとずーっと頑張って、たくさんの人の体の中を透視して、精神的にも疲れていたのに、あなたってばユリさんと遊んでいたんだもの」
「遊んでいたわけじゃないよ」
「でも、仕事してなかったじゃない」
フランソワーズにしてみれば、自分が「サイボーグの仕事」をしていたのに、ユリさんの「歩く練習」に付き合っていたジョーは「遊んでいた」としか思えなかったのだった。
「だから、あれは」
「もういいってば。そんなに一生懸命言わなくても、もう怒ってないわ」
そうかな・・・とそおっと顔色を窺う。
「本当よ?妬いてないし、怒ってない」
じーっとジョーの瞳を見つめる。

「だって、ユリさんはお姉さんなのよね?」

――お姉さんといえば、お姉さんだけど・・・



2月2日         今日の当番:フランソワーズ

お昼に全員でジェットのお誕生日会をした。もちろん、博士もイワンも一緒に。
そうして、午後5時を過ぎるとジョーを除いた男性チームは楽しそうに出掛けて行った。

急にしんと静まり返る邸内。
イワンは寝ているし、博士は研究所に行っているし。
ジョーは・・・どこにいるのかしら?姿が見えない。

私はキッチンでため息をついていた。
リベンジしたい気持ちと、もういいやっていう気持ちが半々。
だって。
初めて挑戦したブランデーケーキは大失敗だったのだから。
もちろん、それでも誰一人残すことなく食べてくれたのだけど・・・そんな気持ちが嬉しいから、余計に申し訳なく思ってしまう。
ブランデーケーキ。
ブランデーの量が多すぎて、張大人はまるで余興のように火を吹いた。

だけど、ちょっとだけ言い訳させて欲しい。
全部、ジョーのせいなのよ。って。

だって、昨夜・・・ケーキを作っている時。
初挑戦のケーキを作るから、それはもう分量を量って間違えないように何度も確認して、集中していたのに。
なのに、ジョーがずうっとキッチンに居て、そして・・・ずうっと私の一挙手一投足を見つめているから。
いくらケーキ作りが珍しくて見ていたいからといっても、あんなにじーっと見つめられたら平気でいられるわけがない。
ジョーの方を見ないように、手元だけに意識を集中させていたのに、やっぱりそんなの無理だった。
別にジョーは何も邪魔してこなかったし、何を話しかけてくるのでもなかったけれど、キッチンのテーブルに肘をついて頬を乗せてじっと見つめる眼差しは優しくて、温かくて。
・・・平気でいられるほうが変よ。

だから、ケーキを失敗したのはぜーんぶジョーのせいなの。

彼の場合、そこに居るだけで邪魔してることになるの。

ケーキを味見させて、なんて言って、何をしたのかといえば・・・
・・・もう。ジョーのばか。

でも、好き。



2月1日         今日の当番:ジョー

邸内が甘い香りに包まれている。
お風呂上りのジョーがその香りを辿っていくと、発生元はキッチンだった。
「・・・フランソワーズ。何してるんだい?」
「何って」
もう日付が変わろうかという深夜。にもかかわらず、何やら製作中なのだった。
「ケーキよ?」
「ケーキ?・・・何でこんな夜中に」
「それはね」

実は明日はジェットの誕生日なのである。当然、それはジョーも知っていたけれどそれがフランソワーズが夜中にケーキを焼く事と、どうつながるのかわからなかった。

「明日にすればいいのに」
「そうはいかないのよ。だって食べるのはお昼だもの」
「だったら朝作れば」
「午前中にそんな暇はないわ。他にもすることがたくさんあるし」
「・・・ふうん?でも、誕生日パーティっていつも夜だろう?」
「あら。夜は男性チームだけでお出かけなんでしょう?私は留守番」
「――え」
きょとんとするジョーを見つめ、アラ、と口元を押さえる。
「もしかして・・・ジョーは誘われてない?」
「・・・ウン」
余計な事を言っちゃったわ。
小さくため息をつく。
ジェットったら。ジョーは誘ってないって言ってくれればいいのに。てっきり、全員で行くものだとばかり思っていたから・・・
無言でペリエを飲むジョーを見つめる。
――どうしてジョーは誘われてないのかしら。

「それで、お昼に誕生日パーティをするわけ?」
「ええ。そうなんだけど・・・」
「そうか。だったら午前中は忙しいね。僕に何か手伝える事があったら言って?」
「ううん。大丈夫」
あなたに手伝ってもらったら余計に時間がかかっちゃうわ。
「・・・ちょっとここに居てもいい?」
「いいけど・・・」
「ケーキを作るところ、見ていたい」
椅子を引いて座り、もの珍しそうにテーブルの上の道具を見ている。
「何ケーキ?」
「ブランデーが入ってるケーキ」
「ブランデー?」
「お酒が入ってないと甘くて食えたもんじゃないんですって」
もう、初めて作るわそんなの。毎年、イチゴのケーキでいいって言ってたくせに。
と、ブツブツ言いながら、本とにらめっこしているフランソワーズを見つめる。

――やっぱり、こうしている時の方が可愛い。
エプロン姿も可愛いし、髪を束ねているのも可愛い。袖をまくって一生懸命なのも可愛い。
・・・防護服のときよりも、何倍も。



1月25日        今日の当番:フランソワーズ

「ジョー、スピードだしすぎっ」
「平気平気」
「平気じゃないわよっ」

いつも丁寧な運転のジョー。
今日だって丁寧ではあるのだけど・・・スピードの出しすぎ。
「もうっ・・・これじゃあ、岬の上に行くまでに崖から落ちちゃうわ」
「なーに言ってるんだよっ僕はプロだぜ?」
「それはコースでの話でしょ?一般道じゃないのよ」

言いつつ、コーナーを回る。
ひとつ間違えば海の底である。
視界がめまぐるしく変化して、フランソワーズは眩暈がした。

「ほら大丈夫だった」
「・・・そんな事言って・・・」

確かに「プロ」だった。スピードに乗ったまま車体もぶれずに走ってゆく。抜群のコーナーリング。

「・・・もうっ」
諦めてシートに身を預け、目を瞑る。

毎年こうなんだからっ・・・!

ぎりぎりにチェックアウトをしてぎりぎり博士のパーティに滑り込む。
フランソワーズとしては、もっと余裕を持って帰りたいのに。

・・・ジョーのばか。



1月24日        今日の当番:フランソワーズ

今日は朝から忙しい。
ジョーをさっさと起こし(おはようのチューは無し!)イワンにミルクをあげて、博士の血圧を測って(毎朝の日課なの)そして。
昨夜から準備はしていたけれど、今日何を着て行くのかはまだ決まっていなかったのだ。

ああもう、どうしよう??

大方は決まっているんだけど、改めて着てみるとどれも違うような気がして決まらない。
この服だとこのバッグになって、靴もあれになるし、かといってこっちの服にするとバッグはやっぱりあっちの方がいいし、そうすると靴はこれがいいし・・・
ああ、決まらないっ

「フランソワーズ?そろそろ行くよ?」
ドアの向こうからジョーの声がした。
やん、もうそんな時間?
「待って。もうちょっと」
「階下にいるから」
「わかったわ」

ジョーとデートというのはトクベツな事ではないのだけど・・・だけどやっぱり「綺麗だね」とか「可愛いね」とかちょっとでもいいから、彼に思って欲しい。口に出して言って欲しいなんて贅沢は言わないから。
少しでも彼の目に「いつもより」綺麗で可愛く映っていたい。
だって今日は一日、ずーっと一緒なんだもの。いつでもどんなときでも、ジョーが隣に居るのよ!
そんなの、ミッションであれば別に珍しい事ではないけれど、日常ではとっても貴重なんだもの。
邸内は誰かしら居るし、そうそうくっついているわけにもいかないし(第一、恥ずかしいし)。
でも、今日は一日ずーっと一緒。
だから、ずっと私だけ見ていて欲しいの。
だから、何を着て行こうかさっきから迷っているわけで・・・

ジョーはたぶん、私の行きたい所に連れて行ってくれるはずで(毎年そうだから)、そうすると夜の食事の時も着替える時間なんて多分ないはずで・・・困ってしまう。

結局、選んだのはキャミソールタイプのワンピース(カシミヤ混だからたぶんそんなに寒くないと思う)に、同じ素材のボレロを羽織って。ブーツはやめてヒールの細いパンプスにした。
髪はそのまま。カチューシャはジョーから貰ったものをつけた。

コートとマフラー、バッグを手にかけて部屋を出る。

「フランソワーズ。準備はできたかい?」

ああん、もお。せっかちなんだから。・・・と思いつつ時計をみると、さっきジョーが声をかけたときから20分が過ぎていた。きゃー、こんなに待たせちゃってたなんて。ごめんね、ジョー。

「いま行くわ」

そおっと階下を覗くと、ジョーと目が合った。
・・・怒ってない。
良かった。
階段を降りる私に張り付いたままのジョーの視線。
・・・そんなに見つめられたら緊張してしまう。私、どこか変かな?おかしな格好してる?
階下に着いたら、コートとバッグをジョーに持っていかれて、そして髪にキスされた。
「駄目よ。ジョーったら」
言っても全然聞いてない。
だけど、これって・・・「いつもより綺麗で可愛いよ」って言われたの、かな?・・・って、思ってもいい?
何にも言ってくれないけれど、いつもよりも優しいあなたに嬉しくなる。
うん。さっきのキスはそういう意味だと勝手に決めちゃおう。

「今日は君の好きにしていいよ。なんでも言う通りにするから」

・・・ほんとに?



1月23日        今日の当番:フランソワーズ

「ジョー、起きてっ」

風のように部屋に入ってきたその人は、カーテンを引くと窓を全開にした。
ギルモア邸は岬の突端に立っており、全ての部屋から海が見える。

「ほらっ早く早くっ」

弾んだ声が耳に心地良いが、いかんせん寒い。
上掛けを引っ張り、更に奥へ潜り込む。

「ジョーってば」

いきなり上掛けが消失した。・・・寒い。
そして
「・・・眠い」
「もー。起きてよぉ」
「だって、眠いよ」
「早く寝ないのが悪いんでしょ?いったい何をしていたの?」
「何って・・・」
ピュンマとゲームをしていたのだった。

「ほら、起ーきーてー」
「さっき寝たばかりなんだよ」
まだ目が開かない。
「・・・もぉ」

フランソワーズはちょっと考えて、おもむろにジョーの顔に屈み。

「・・・ほら。ね?起きられるでしょ?」

確かに、目が覚めた。
いきなり唇に触れた、温かいもの。

いつもはコレを巡ってひと悶着あるのだが、今日はあっさりと――さっさと――すませてしまった。
と、いうことは、よっぽどジョーに起きて欲しいらしい。

・・・しょうがないな。一体、今日は何だろう?

ふわぁと欠伸をしつつ、眠い目をなんとかこじ開ける。
ぼんやりとした視界に映るのは、嬉しそうに外を見ているフランソワーズの姿。

この寒いのに、何をしてるんだ?窓まで開けて。

さほど寒さを感じないように出来ているとはいえ、そこはそれ、多少はやっぱり寒いものは寒いのだった。

「ジョー、こっちこっち」

フランソワーズがジョーの手を引っ張り窓際に連れてゆく。
「ホラ。見て!」

指差す方を見ると、そこにあったのは

海に降る雪

だった。
昨夜からフランソワーズが見れたらいいなーとしきりに言っていた。

「・・・へぇ。降ったんだね」
「ええ。・・・綺麗ねぇ」
「そうだね」
「ジョーと一緒に見られて嬉しいっ」
ぎゅっとジョーの腕を掴み、頬を寄せる。

・・・でもやっぱり、フランソワーズの方が綺麗だな

と思うジョー島村なのだった。

 

***
そういうわけで、こちらも今朝は雪が降っておりましたのです。



1月22日       今日の当番:ジョー

「・・・寒いわねぇ」
「寒いね」

二人並んで暗い夜の海を見つめているバルコニー(はい。原作でよくみる「あの」光景です)は、冷たく寒かった。お互いに寒い寒いと連呼するわりにはどちらも移動しようとしない。何しろ、お互いにくっついていれば多少は温かいし、くっついている理由にもなる訳で・・・

「明日は雪かもしれないんですって」

寒いはずである。しかも「明日」といっても、時刻はすでに「今日」であるのだった。

「きっと綺麗よねぇ・・・海に降る雪、って」
「そうだね」
「見てみたいわ。この辺って降っても積もらないし」
「海があるぶん温かいしね」
「ジョーは見たことある?海に降る雪」
「ないね」
「・・・じゃあ、明日降ったら一緒に見られるわね?」
嬉しそうに微笑むフランソワーズを見つめ、君のほうが綺麗だよ。と言いかけ・・・ふと頭に浮かんだのは

そう言った 君のほうが綺麗だよ

おお。なんか俳句っぽい!凄いぞ、自分!
でも待てよ。これじゃあ季語が入ってないな。

そう言う君が 降る雪よりも綺麗だよ

・・・字あまり。だけどいい出来だな。

うんうん、とひとりにまにま頷いているジョー島村。

「ジョー?どうしたの?」
思い出し笑い?と不審そうなフランソワーズを抱き締める。
「なんでもないっ」
「変なジョー」
「・・・もう寒いから中に入ろう」
「そうね・・・ねぇ、ジョー?」
「なに?」
「雪、降ったらいいわね」
「そうだね」
だって、あなたもまだ見たことがない景色をふたりで一緒に見られるかもしれないもの。
そういうのって、大切なことよね?
と、言うかわりにそっとジョーの胸にもたれたりするフランソワーズ。

僕は降っても降らなくてもどっちでも別にいいんだけど、君が喜ぶなら雪が降ってくれればいいと思うよ。
でもこっちの地方は暖かいから、たぶん降らない。

・・・どこか、雪が降るところに連れて行こうかな。

「ジョー、何か言った?」
「いや別に。・・・ほら、もう入ろう?」

果たして明日は雪が降るのでしょうか??



1月21日       今日の当番:フランソワーズ

「あのね、いまいい?・・・ちょっとお願いがあるんだけど」

レッスン終了後、フランソワーズは彼女に声をかけていた。彼女――例のシークレットカードを持っているその人である。

「なぁに?どしたの」
「うん。・・・あのね。この間のカード、もう一回見せてもらえないかなと思って」
「いいわよ」

更衣室に向かい、ロッカーを開けてバッグから取り出す。
「はい、どうぞ」

着替え始めた彼女をそのままに、フランソワーズは練習着姿のまま例のカードをしみじみと見つめた。

――やっぱり、どう見てもキスしてる時の顔よね。・・・私はちゃんと見たことがないけれど・・・。そっか、目を開けていればいいんだ?でもそんなの、ジョーに見つかったら恥ずかしいし・・・。ああ、だけどだけど、全国で何人か――もしかしたら何百人かがこのカードを持っていて、ジョーのこの顔を見てるんだわ・・・!なんだかもう、やっぱり嫌。ジョーのばかばか。そりゃ、もちろん、ジョーのせいじゃないのはわかってるわ。だけど、だけど感情が納得してくれないのよ。もうっ。ジョーのばか。

「そんなに好きなの?島村ジョーが」
いきなり肩越しに声をかけられ、うっかりカードを取り落としそうになる。
「あーあ、真っ赤になっちゃってー。ふぅん、実はやっぱりファンなんだ?」
「ちが、そんなんじゃ」
「ハイハイ。いいっていいって。わかるから」
――わかる、って何が?
もしかしてばれた?と、咄嗟に頬を引き締める。いけないわ。ジョーに迷惑がかかってしまう・・・!

「だって、カレシに似てるもんねー?そしたらついつい見ちゃうよね」
・・・え?
「わかるわかる。私だって自分の彼がタレントに似てたらファンになっちゃうかもしれないもん」
よく言うよ、全然タレントって感じじゃないじゃん、と外野から野次が飛ぶ。
「るさいな。・・・ね、フランソワーズ。そんなに気に入ったなら、それあげようか?」
「えっ」
「たまたまそのカードが当たったけれど、私は別に彼のファンじゃないしさー」
「でも、洗剤10本買ったんでしょ?」
「うーん。うちの会社が箱買いしたから手に入っただけで、別に努力したわけじゃないんだよね」
「・・・そうなんだ」
「うん。だから、いいよ。あげる。それにフランソワーズ、もうすぐお誕生日だったでしょ?だから」
「・・・ありがとう」
頬を染めたフランソワーズを見つめ、やれやれと肩をすくめる。
「でもさ。それ、カレシに見つからないようにした方がいいかもよ?」
「あら、どうして?」
「だって、妬いちゃうかもよ?」
「・・・妬かないわよ」
「いーや。絶対、妬くって」
だって、本人なのに?

 

***

 

そんな訳で、全く意図せずシークレットカードが手に入ったフランソワーズ。
いつもの待ち合わせの場所に着いて、ジョーがまだ来ていないのを確認し、そっとバッグからカードを取り出して見つめる。

ジョーのばか。こんなところを写真に撮られちゃうなんて、もうっ。・・・でも、着替えてるところとかじゃなくて良かった・・・って、違うわよ、フランソワーズのばかばか。そんな姿が出回ったら、ジョー、死んじゃうわ。
そうじゃなくて・・・。
・・・うん。やっぱり、ジョーのこの顔好き。できれば独り占めしたかったけれど、しょうがないわよね。そうよね。うん。それに私は、他にもたくさんのジョーのプライヴェートを知っているし、独り占めしているのだから、それ以上っていうのは贅沢な話よね?
だったら、ちょっとだけ我慢して・・・うふ、でも、このジョーの顔って好き。可愛い。嬉しそうだし。私にキスしてくれるときも、こういう顔してるのかな。同じように嬉しそうだったらいいな・・・

「フランソワーズ?」

いきなり耳元で甘い声がして、カードを落としてしまった。
どうもこのカードを見ている時は、周囲への注意がおろそかになるらしい。

「なに見てたの?」

と、言いつつジョーがかがんでカードを拾う。

「あ、だめっ」

フランソワーズがその手に飛びつくより早く頭上に掲げられるカード。009の身体能力にかなうわけがないのだった。返して返してとジョーの腕に抱きつき、手を伸ばすフランソワーズであったが、全く届かない。
あっけなく反対の手にカードがパスされてしまう。

「どれどれ。これがもしや噂の例のカード?」
「見ちゃだめ」

ジョーの目を手で目隠ししようとするけれども、あっけなくかわされる。

ああもう、たまにはジョーのトレーニングに付き合ってみれば良かったわ。そうすれば今頃こんな目には遭ってなかったかもしれない。

と、次の防砂林でのジョーの謎のトレーニング(注:あ、これって「原作」でしたね)に一緒に行くことを固く心に誓うのであった。

「うわ。なんだよこれ」

ジョーが口元を歪める。

「もー、返してってば」

ジョーの隙をついてカード奪取に成功したフランソワーズは、二度と取られないように両手で胸にかき抱いた。

「ひどいなァ。そんな写真が出回ってるなんて知らなかったよ」
ああ、恥ずかしいと赤くなっている。
「あら、別に恥ずかしい写真じゃないじゃない」
「恥ずかしいよ」
「そうかしら。・・・良い写真だと思うわよ」
「よく言うよ。なんだか怒っていたじゃないか」
「だって、それは」
ジョーの顔が。
「うわー。それってかなり出回っているのかなぁ。・・・参ったな」
「大丈夫よ。ホームページにも公開されてなかったみたいだもの」
「でも・・・うわー、参ったな」
「・・・もう一回見る?」
「いや、いい。見たくない」
「良い写真なのに」
「いい。遠慮する」
「そーお?」
だって、表情はともかく――私はそこが一番気になるところではあるのだけれども――ジョーの感情が素直に出ている良い写真だと思うのよ?

「ねぇ、ジョー?」
「・・・なに?」
「この時、どんなことを考えていたの?」
「え」
そりゃー・・・今までのレースのこととか、スタッフと頑張ってきたこととか、そういうことだよ。なんたって、今までの集大成なんだし。
と、大真面目な顔で語るジョーに、そうよね。やっぱりそういうことを思い出すわよね。と、これまた大真面目に納得しているフランソワーズ。
けれども。

もうすぐフランソワーズに会えるなぁ・・・とも思っていたとは絶対に言えないジョーなのであった。

車の置いてある所まで並んで歩きながら。

私にキスするときもこういう顔してるのかな・・・優勝カップを受け取ったこの時と同じくらい、嬉しい気持ちでいてくれたらいいな・・・とは、絶対に言えないフランソワーズなのだった。

どちらからともなく、そうっと手を繋いで。お互いに「秘密」を胸に抱き締めながら。

「・・・ねぇ、ジョー?あとでここにサインしてね?」
「ぜっっっっったい、しない!」

 

***
「シークレットカード」のお話なので、93ふたりにもそれぞれ「シークレット」があるということで。お粗末さまでございました。
水無月さん、本当にありがとうございました。(あと4枚のカードも楽しみにお待ちしております←嘘ですよー(汗))



1月20日     今日の当番:ジョー

「・・・キスしているの」

呆然。
そう、驚くというよりただ呆然としていた。
いま、フランソワーズは何て言った?

言うだけ言うと、さっきまで頑なに車を降りなかったフランソワーズだったのに、あっさりとドアを開け車から降りていった。あとには、ただ呆然としているジョーだけが残された。

キキキキキスしてるって??俺が?
―――誰と!?????

という謎と

100歩譲って、まぁ俺が誰かとそういう行為をしてたとしても、だ。
なんでそれが「カード」なんぞになって出回っているんだ???

という謎に包まれて。

でも。
と、頭の中が謎でぐるぐるしながらも何とか筋道をたてて考えようと頑張る。
でも、おかしい。
だったら今日のフランソワーズの行動が理解できない。
怒っているとか妬いているとか泣くとか、ともかくそういう感情の発露は見られず、ただただ目をつむってみろだの、キスしてくれだの言っていた。

俺が、誰かとその・・・そういう行為をしていたのなら、彼女が平静でいられるわけがない。・・・たぶん。
それともこれって、希望的観測だろうか?
そうなのであれば、そうして欲しいという。

・・・ううむ。

わからない。

とりあえず車から降りてフランソワーズに訊いてみようと姿を探したが、ジョーが車の中で固まっている隙にさっさと邸内に入ったようだった。

なんでこんなときは素早いんだ。

 

***

 

部屋に向かいながらも、部屋に入って着替えてからも、ずーっと考えていた。

大体、事務所がそんな写真を一般に出すだろうか?むしろストップかけるのではないだろうか?
―――だよな。
でも、じゃあフランソワーズが見たカードというのは一体・・・?
俺がキスしてる、って・・・誰と?

しばし回想してみる。

・・・・・・・・フランソワーズ以外とキスしたのって、何年前だ?

つまり、ここ数年は彼女以外とそういう行為をしたことはないわけで・・・。
んんっ?つまり、そのカードというのは、「フランソワーズとキスしてる写真」ってことなのか??

そういえば、最近スクープされたばかりだった。

だから「シークレットカード」なのか?
そういう意味か!?

だからフランソワーズは特に妬くでもなく暴れるでもなく・・・ただ「妙な」行動をしていたのだろうか?
なんとなく納得がいった。
ような気がした。

 

***

 

ドアを開けたフランソワーズはちょっと驚いた顔をして、けれどもいつものように部屋に通してくれた。

「どうしたの?」
「どうしたの、って・・・」

今日の帰りの出来事をすっかり忘れたかのような彼女の表情に、なんだか酷く疲れたような気になり、ベッドに腰を降ろしてしまう。

「・・・どうもこうもないだろ?言うだけ言っておしまいなんてずるいよ」
「だっておしまいだもの」
「どんなカードだったのか言ってない」
「言ったじゃない。ジョーがキスしてる、って」
「・・・誰と」
「『誰』?」
微かに含まれた険に思わずジョーは顔を上げた。
「ふうん?ジョーは誰とキスしたのか覚えてないくらい、いろんな人とそういう事をしているのね?」
「・・・フランソワーズ」

やっぱり何だか疲れてきた。・・・もう、今日は早く寝よう。

自分の隣を指し示し、ここに座るように言う。
ちょこんと自分の隣に腰掛けたフランソワーズをじっと見つめる。

・・・・どうしてこういう意地悪を時々言うんだろうなぁ。こんな可愛い顔して、さ。

「・・・俺が――僕が、君以外とそういうコトをするなんて本当は思ってないよね」
「ええ。思ってないわ」

ほらやっぱり。

「じゃあ・・・その、シークレットカードとやらの話も嘘?」
「ううん。本当よ?」
「でも、違う図柄なんだろう?」
「ううん。言ったとおりよ?ジョーがキスしてるの」
「・・・本当に?」
「本当よ?・・・だから、ヤなんだもん。そのカードを持ってる人は・・・ジョーがキスしてる時の表情を知ってることになっちゃうのよ?」

・・・なるほど。
だから、目をつむってみろだの、キスしろだの言っていたわけか。

ひとつの謎には納得がいったけれども、それでもまだまだ謎は満載なのだった。

「・・・その、相手はフランソワーズだよね?」
僕にはそれしか思い浮かばない。が、それならそれで問題ではある。
「違うわよ?」

――なんか、おかしい。
フランソワーズ以外とキスしたのなんて本当に何年も前で、だからそんなところを写真に撮られるはずもなく。
大体、フランソワーズは僕が「誰と」キスしてるのか、は別にどうでもいいらしく、それより「キスしてるときのかお」を不特定多数に見られてしまっているというのが気になっているようだ。

――なんか、変だ。

数年前の、キャシーとのキス未遂事件を最後に、本当にフランソワーズ以外とそういうコトはしていないのに。



1月19日     今日の当番:ジョー

さっきから右頬に痛いくらいに視線を感じる。

赤信号になったので、そうっと目だけ動かして右側のシートを見る。

―――フランソワーズ。

心の中でため息をついた。
さっきから――それこそ、彼女を車に乗せてからずっとこの調子だった。
それはもう、穴が開くのではないかというくらいの注視。ただただじっと見つめている。無言で。
その雰囲気に押されて、こちらから話し掛けるのも何だか違うような気がしてこれまたずっと無言を通していた。
いつもなら、レッスンの話や今日はジョーは何をしていただの、今夜のごはんは誰が当番だったかなどなど、話題に事欠くことはなく、和やかな空気で満たされている車内なのに。
なんだか今日は空気が重い。

「・・・フランソワーズ?」
車を発進させつつ話し掛けてみる。
「今日、何かあった?」
「別にないわよ?どうして?」
声音も抑揚もいつもと同じだった。特に怒っているとか悲しんでいるとかいうマイナスの感情は見当たらない―――とりあえず、今のところは。

「うん・・・練習、きつかった?」
そうだ。もしかしたら、単に疲れているだけなのかもしれない。
「ううん。いつもと一緒よ?」
そういうわけではないらしい。

再び沈黙。

「もうすぐ着くけど・・・どうする?どこか寄って行く?」
時々、おいしいお茶を飲みたいとかちょっと買いたいものがあるのとか言って遠回りすることもあるのだった。
「・・・ううん。いい」

例えば、声に怒気が含まれている、とか、語尾が涙声になっている、とかであれば、ジョーだって対処の仕方くらいわかるようにはなっているのだが今日のように感情が全くわからないというケースは滅多になく、彼女が何を考え・・・あるいは、何が起こったのか、などは考えようもないのだった。
なので、ただ困惑するのみ、だった。


***


ギルモア邸の玄関前に着いた。
が、フランソワーズは降りなかった。
いつもは玄関前で彼女を降ろし、自分はそのままガレージに向かうのだった。
停めたまま、しばらく無言で待ってみる。
けれども、隣のシートの彼女は身じろぎせず降りようという素振りもみせない。

降りないのかな?

降りる気配がないのだから、降りないのに違いないけれども、だったらガレージに用事があるのかと思いつつ車をガレージ方向に回しながら、だけどいったい彼女がガレージ方面にどんな用事があるのかジョーは全く思いつけずにいた。

ガレージに着いた。
降りない。

車を入れた。
降りない。

エンジンを切ってキーを抜く。
・・・降りない。

「・・・フランソワーズ、降りるよ?」
「うん」
と、言いつつもじーっとジョーの右頬を見つめたまま動かない。
諦めて、そのままシートにもたれる。

しばし、間。

「・・・あのさ。何かあった?」
謎の沈黙に耐え切れず、言葉を発する。身体ごと彼女の方を向いて正面から顔を見る。
「ううん。ないわ・・・ねぇ、ジョー」
「なに?」
「ちょっと目をつむってみて?」
「・・・は?」
訳がわからないけれども、そうっと目をつむってみる。

しばし、間。

「あの・・・フランソワーズ?」
片目をそうっと開けて、様子を窺う。
すると何やら考え込んでいる風のフランソワーズ。
「・・・やっぱり、ちょっと違うわ・・・」
ひとりブツブツ呟いている。
「違うって何が」
「・・・じゃあ、やっぱりあれしかないんだわ・・・!」
あれって何?
と、訊こうと口を開いた時。
「ねぇ、ジョー。ちょっとキスしてみてくれない?」

・・・・は?
なに?
何だって?

少し照れたような顔のフランソワーズをじっと見つめ、いったい彼女に何があったのだろうと思い巡らせる。
もちろん、彼女がキスをねだるのは別に珍しい事ではない。が、いつもはもっと甘えているというか・・・もっと言い方が違うし、もっと至近距離に居る時だし・・・何しろこんなに脈絡がないのは初めてだった。

かといって、ただこうして見つめ合ってるだけっていうのも何だか変だよな。

とりあえず、彼女の言う通りにしてみることにした。

が。

彼女に到達する前に止められた。
「やっぱり、そうだわ・・・!」
目を開けると、頬を紅潮させているフランソワーズ。

「フランソワーズ、いったい・・・」
「いいの。ジョーは気にしなくて」
「気になるよ」

大体、車に乗せてからずっと、今日は訳がわからないんだ。このままひとり納得しておしまい、ってそれはないだろう?キスをねだっておきながら、させてくれないのも意味がわからない。

「・・・だって。ジョーのカードが」
「カードってなに」
「洗剤の応募券10枚でもらえるの」
そういえば、そんな企画もあったな。
「それが?」
「私は1種類しか持ってなくて知らなかったんだけど、本当は5種類あって、更にもう一枚シークレットカードというのがあったの」
「・・・ふぅん?」
そんなの僕も知らなかったよ。
「で、今日、そのシークレットカードを見せてもらったんだけど・・・」
口ごもる。
「その、ジョーが」

僕が何だって?



1月18日     今日の当番:フランソワーズ

「島村ジョー」
という名前が聞こえて、思わず耳をすましてしまった。
ここはバレエ教室の更衣室。いつものようにレッスンを終えて着替えている時のことだった。
いつもと同じ喧騒。いつもと同じように。
だったのだけど。

「・・・のカードでしょ?全員がもらえるという太っ腹な企画の」
―――なんだ。カードの話か。
幾分ほっとして着替えをすませてしまう。
ロッカーの扉を閉める。
と、また同じ一角で歓声が上がった。

「ちょっとこれっ・・・!シークレットカードじゃない??」

シークレットカード??

意味がわからないまま、そおっと話の輪に加わる。

「そーなのよ。普通に応募券を送って、で、届いたのを開けてみたら、なーんか違うような気がしたのよね」
「だって、公式ページに載ってるじゃない。全部で5枚」
「しかも、どれが送られてくるかはわからないでしょ?―――私なんか洗剤30本も買ったのに、3枚ともぜーんぶ同じカードだったのよー!」
一瞬、全員が気の毒そうに彼女を見つめる。
「それでね、公式ページを見たんだけど、どれとも違ってた、ってわけ」
えっへんと自慢そうに胸を張る。
「マボロシの6枚目のカードなのよっ!」
話の成り行き上、全員が手元を見つめ「マボロシ」のシークレットカードとやらに注目することとなった。
なので、流れでフランソワーズも覗き込んだ。

―――わっ。

「ね、ちょっと見せてもらってもいい?」

思わず訊いていた。
「いいけど、フランソワーズ、F1なんて興味ある人だったっけ?」
「ううん。あんまり見ないけど・・・」
「ふぅん?島村ジョーのファンなんだ?」
「そんな訳じゃ」
他人から『島村ジョー』と呼ばれているのを聞くのは何だか不思議な気分だった。
「イケメンだもんねー。好きなんだー?」
肩をつんつんされる。
「やだ、そんなんじゃ」
「フランソワーズったら真っ赤よ」
「正直よねー。あ、そういえば」
フランソワーズにカードを渡しながら、ちょっと考え。
「フランソワーズのカレシって、ちょっと似ているよね?」

だって、本人だもん。
とは、さすがに言えず。
「ふうん?こういうのが好みなんだ?」
答えず、曖昧に笑ってごまかす。
目の前にカードを持って来て、半ば顔を隠すようにしてじっと見つめる。

―――え。これって・・・!

「やだ、このこったら真っ赤になってる!!」
「えっ」
思わず頬に手を当てると、確かに熱かった。
「そーんなに刺激的だったかなー、このカード」

だって、このカードは持ってないんだもの。
こんなカードがあるなんてことも、ジョーは言ってなくて・・・(それを言えば、ほかのカードについても彼は何にも知らないのだったけれども)
知ってたら、もっと頑張って買ったのに。(注:すでにギルモア邸に10本、ジョーの自宅に10本、洗剤が貯蔵されているのでした)
私が持っているのは2枚とも同じものだったから、てっきり一種類しかないものだと思っていたのに違うんだ?
―――それにしても、このカード。

他の誰かも見ているのね。しかも「持って」いるんだ・・・

なんとなく胸の奥がざわつく。見知らぬ誰か、それも複数人がこのカードを持っている。シークレットというくらいだから、枚数は格段に少ないとしても、それでも確実に持っているひとがいる。

ジョーのこんな表情を知っているひとが他にもいる。

落ち着かない。

ひとり呆然としていたら、「私にも見せて」とカードを隣の人に持っていかれた。
それをきっかけに話の輪はほどけ、話題も違うものに遷移していった。

ざわつく胸を抱えつつ、フランソワーズはジョーが迎えに来ているはずの約束の場所に向かった。

 

***
ここに出てくるカードは「洗剤についているシールを10枚集めて送ればもれなく全員にプレゼント」というハリケーン・ジョーのカードです。彼がCM出演している製品の企画なのです。
・・・というお話は「すきっぷそうち」にあります→
 そして、フランソワーズが現在持っているカードはこちら

さて、「シークレットカード」とは一体?そして「ハリケーン・ジョー」のどんな姿が映っていたのでしょうか??それは後日判明予定っ。



1月15日     今日の当番:フランソワーズ

(注:日付は15日ですが、ここでは昨日のローズデーの続きです)

ふふっ♪
びっくりしてくれたかなー?

足取りも軽くエレベーターを降り、ジョーの部屋まであとちょっと。
我ながらうまい作戦だと思うのよ?
ジョーの自宅にお花を届けてもらうように手配して、ジョーを自宅に帰らせる。で、そうすればギルモア邸に届くお花をジョーに見せなくてもすむし(絶対、気にしてない風を装いつつすごーく気にするから説明するのがメンドウなのよ)そして、まさか私からこちらに花が届くとは思ってないジョーは花が届いて驚く。という、一度で二つの効果を期待できるわけ。
しかもっ。
こっちに来ればジョーとふたりっきりで過ごせるんだもんっ。
みんなと一緒に居るのは楽しいけれど、たまには二人っきりで過ごす時間も欲しいんだもん。・・・でもそんなの、ジョーに言うのは恥ずかしいし・・・さすがに仲間の前では、あんまりジョーとくっついてるわけにもいかないし。一応、考えているのよ私だって。(注:と、お嬢さんは言ってますが周囲から見れば常にくっついているようにしか見えないわけですが)

あれこれ思いつつ、ジョーの部屋のドアを開ける。(もちろん、鍵は持ってるのよ)

たぶん、もうお花は届いているはずなんだけど・・・・
「・・・ジョー?」
そおっとリビングに踏み込む。ジョーの姿はない。
「・・・あれ?」
いない?そんな訳は・・・

「ジョー?」

***

 

なんでフランソワーズから花が届いたのかわからないけれど、とりあえず今日は「そういう日」らしい。点けたテレビのアナウンサーがそんなような事を言っていた。なんだっけ、大切なひとにバラを贈りましょう。・・・だったっけ?花屋のキャンペーンの一環なんだろうか。
真紅のバラの花束。何本あるのかわからないけれど、ともかくこれ・・・このままにしていたら駄目だよな。
洗面所に水を張ってそのまま漬ける。とりあえずはこれでいいはずだ。第一、うちに花瓶などというしゃれたものはない。フランソワーズはいったいこれをどうするつもりなんだろうか。僕に花を贈ってくれても、持て余すだけっていうのは知ってるだろうに。

なんとなく煙草が喫いたくなって灰皿を探す。ソファに座って煙草に火を点けようとして思い出す。
そうだった。煙草は外で喫うようにと言われていたんだった。
そのまま灰皿を掴んでベランダに出る。
・・・大体、おかしいよな。なんで自分のうちなのに外で喫わなくちゃいけないのか。
そういえば、パリでもジャン兄と並んでベランダで喫ったのだった。ジャン兄にとってはそれこそ自分の家なのに。「フランソワーズがうるさいんだよ。・・・ま、しょうがないからあいつがいる間くらいは守るさ」と言って笑っていたけれど。僕が「なんで喫煙にああうるさいんでしょーね」と呟くと、なんだか意味ありげににやりと笑って「さーな」と言った。どうもあの兄妹は僕に隠し事をするのが好きらしい。・・・ふん。フランソワーズの隠し事なんて僕にはすぐわかるけどね。
二本目に火を点ける。
煙を吐き出しそれを目で追いながら、ぼんやりと彼女の事を思う。
フランソワーズ。・・・バラの花、か。
そういえばずーっと前に花がどうこう、って言っていたような気がするけれどあれは何の話をしている時だったっけ?
公演にバラの花を持って来い、って話だったかな?
・・・・いや。それならもう行ったぞ。とりあえず。・・・・大変だったんだからな。色々と。グレートは俺が花を見立ててやるといってきかなかったし(そして結局最後までついて来たんだった)アルベルトはそれなりの格好をしていけとうるさかったし。そしてピュンマは真顔で、今夜はふたりとも帰って来ないと思ってたのに早かったななんて言うし。・・・・だったらそれとなくそう言ってくれればよかったのにさ。ジェットはずーっとにやにやしてたし。
まぁ、フランソワーズが凄く喜んでいたから、・・・うん。こんなに喜ぶんだったら、また行ってもいいかなって思ったんだよな。思っただけで実行してはいないけど。
そうか、今日はそのバラの花を大事なひとに贈る日なんだな。
フランソワーズも欲しがるだろうか?
三本目に火を点けようとしたところで、背後に人の気配を感じて振り返る。

「・・・フランソワーズ」

なんでここに居るんだろう?

***

 

「まぁ。煙草すってたの?」
呆れた。こんな寒い中、上着も着ないで外に居るなんて。

「い、いや、すってないよ?」
どうしてそんなミエミエの嘘をつくのかしら。灰皿には吸殻が二本あるのに。

「それより、どうしてここに」
「あら。私がここに来ちゃいけない?」
「いや、そんなことは」
「だって、だったらどうしてそんなに慌ててるの?」
索敵する時みたいに、静かにぐるーっと目と耳を巡らせようとしたら、ジョーが私の頭の上に手を乗せてそのまま肩に抱き寄せた。
「ほら。そんな力は使わない。それに、探したって何にもでてこないよ」
「ジョー。煙草くさい」
じたばた。
ジョーの腕から逃れようともがくと、わざと煙草くさい息を吹きかけてくる。もうっ。煙草のにおいは嫌いって言ってるのに。
「・・・もう。煙草くさいの嫌いっ」
「しょうがないだろ?すってたんだから」
「臭いがとれるまでくっつかないで」
「とれないよ。そんな簡単にはね」
煙草くさいまま髪にキスしてくる。ジョーのばか。
「やだっ煙草くさいってば」
でも離してくれない。
「・・・まぁ、別に今闘いの最中ってわけでもないんだし。そんなに暴れなくたっていいだろう?」
「やーよ。だって、煙草を点ける時の臭いって、なんだか・・・」
硝煙の臭いと似ている気がするんだもの。
ポツリとそう言ったら、「そうか」って小さく言ってそっと私を離した。
そのままベランダの手すりにもたれて虚空を見つめている。眼下の景色を見るわけでもなく、空を見上げるわけでもなく。
「・・・ごめん。気がつかなかった」
あんまり静かに言うから。
「そんな、私そんなつもりで言ったんじゃ・・・」
さっきまでの浮かれ気分が、一瞬でずどーんと落ち込んだ。もう、フランソワーズのばかばか。ジョーを落ち込ませてどうするの?そんなつもりじゃないのに。そんなつもりじゃなかったのに。私はただ、ジョーと一緒に居たくて、ふたりっきりになりたくて、ただそれだけで・・・・・

「フランソワーズ?」
視界が褐色の瞳に変わる。やだ。そんな近くで見ないで。
「・・・ばかだなぁ」
にやっと笑ってそうっとおでこをくっつける。両手で私の目尻に浮かんだ涙を拭って。
「せっかくふたりっきりになれたのに泣くなよ」
「・・・・うん」
でも、ジョーは煙草くさい。
「あ、そうか」
ジョーは身体を離すと私の手を引いて中に入った。
「こんなの、風呂に入れば消えるよ。一緒にはいる?」
・・・そんなことするわけないでしょ。

ジョーのばか。

***

 

「ところで、今日って何の日か知ってる?」
花を生けながらフランソワーズが問う。どこかから花瓶を見つけ出したらしい。(以前、彼女が持ってきたのだと言っていた)
「知ってるよ。バラを贈る日」
「誰が誰に贈るのか知ってる?」
「・・・大切な人に贈るってテレビの人が言ってたな」
「きっとジョーの事務所は大変なコトになってるわね。バラで埋まっちゃってるわよ」
にこにことそんな事を言う。
「ふぅん。妬かないんだ?」
「どうして?」
どうして、って・・・
「妬いたほうがいいの?」
いや、そんな意味じゃなくて。
「妬かないといけないようなわけでもあるの?」
そんなもの、あるわけがない。
「・・・ジョーは?」
「え?」
「誰かに贈ったの?お花」
まじまじと彼女を見つめる。冗談かと思ったら何だか目が真剣だった。
「・・・別に」
目を逸らす。
すると、彼女がこちらにやって来た。花を生けた花瓶をソファテーブルの上に置いて、そのなかからバラを一本抜き出す。
「・・・はい」
「え?」
「これ持って」
言われるままに受け取る。いったいなんだっていうんだ?
「それでね。ジョーはそれを私にくれる?」
「え?」
「ほら、早く」
「え、あ、・・・はい」
言われるままにフランソワーズに差し出す。
「ありがとう」
嬉しそうににっこり笑う。けど、意味がわからない。
「これは、私がジョーから貰ったバラ」
そう言うと、キッチンに行ってコップにバラを挿して持ってきた。(さすがにもう花瓶はないらしい)
そしてさっきの花瓶の隣にそっと置いた。
僕はというと
さっきにっこり微笑んだフランソワーズの方が綺麗だったなぁ・・・なんてぼんやり思っていた。



1月14日    今日の当番:ジョー

今日はナントカデーといって、花を貰う日らしい。・・・成人式というだけじゃなかったのか?
どうも最近の祝日とかってよくわからない。
ともかく、朝早くにフランソワーズに叩き起こされ(文字通り叩き起こされたんだぞ)自宅の方に花が届いているかもしれないから行って来いという。不在の時は宅配ボックスに入れてもらえるから問題ないよと言うと、花みたいな生ものは入れられないの、配達のひとが困ってるわ。と、本当に困った顔で言うので、仕方なくいま車を自宅に向けて走らせている。
街に出ると振袖姿の女性が目に留まる。・・・なるほど。綺麗なもんだな。
と見惚れていたら後ろの車にクラクションを鳴らされた。慌てて発進する。

自宅マンションに着き、メールボックスを探ると不在配達伝票が出てきた。今朝早くに届けにあがったが不在だったので持ち帰ったという。
携帯電話で受け取り可能な旨を伝えつつ部屋に向かう。

部屋は、以前フランソワーズと居た時のままだった。でもやっぱり閑散としている。何か肌寒いというか。
暖房のスイッチを入れて、上着をソファに脱ぎ捨てる。
あーあ。
大体、早く行って来いと言われて追い出されたわけだけど、僕はいったいいつまでここに居ればいいんだ?
届け物があるかもしれないから、って事は・・・まさか今日一日、下手すると今夜一晩ここに居なくちゃいけないのか?
途端にうんざりした気持ちになって、ソファにごろんと横になる。
届け物、ねえ・・・。ここにそういうものが届く確率って何パーセントだ?
何しろ、ここの住所を知っている者は限られていて、会社と事務所の人間とあとはギルモア邸の仲間。それだけだ。しかも、会社と事務所の人間といっても両手の指で足りる程度だし。そのなかの誰かが花を贈って来るなんてしゃれたことを思いつくだろうか?野郎ばっかりなのに。
そんな事をつらつら思っていたら携帯が鳴った。
「もしもし」
「ジョーか?お前宛に来た花の山でこっちは埋もれそうだぞ」
事務所の人間だった。
「・・・じゃあ、花屋でも何でも開いててください」
「わかった。・・・って、そうじゃないだろ。どうするこれ。お前のところに届けさせるか?」
冗談じゃない。
「欲しい人がいたらあげてください。その・・・バイトの子とか」
「あのな。そんなんで済む量じゃねーんだよ」
「・・・わかりました。明日行きます」
「おう。頼んだぞ」
携帯を閉じてため息をつく。
いったいどのくらいの量が届いているのか見当もつかないけれど、明日全部ひきとってこなければならないようだった。大体、普通はそういうのって事務所が処理してくれるもんじゃないのか?けれども、うちの事務所はそういうのはいっさいやらない方針だった。だから、チョコレートとか誕生日プレゼントとかクリスマスプレゼントとか・・・諸々、自分で引き取りに行かなければいけなくて・・・・
・・・あ。クリスマス関係も引き取りに行ってないや。
あの事務所がしてくれることといえば、貰ったすべてのものの住所氏名を控えておいて、もれなく返事を出すことくらいだった。僕の写真とサインが入った葉書で。・・・まぁ、それも偉いことだとは思うけれど。

チャイムが鳴って花が届いた。
やはりバラだった。・・・何本くらいだろう?差出人は・・・
フランソワーズ??
なんで??



1月13日       今日の当番:フランソワーズ&ジョー

・・・だんだん、気持ちが落ち着いてきた。

落ち着いて、よーく考えてみればジョーは別に何にもしてない。ただ「仕事」でモナミ公国へ行って、アレコレ予定をこなしてきただけで・・・「特別に」女王様と仲良くしてたわけじゃない。
って、帰国してすぐ言ってくれたもの。
そうよね、ジョー?

だから私は何にも不安になることはない。・・・はずなのに。
だめね。何度もおんなじことを繰り返してしまう。
ジョーが接する全てのおんなのこにいちいちやきもち妬いてたら、私の身体がもたないのに。
それに・・・

ジョーが好きなのは、この私だもん!!

・・・・・・・・・って、ちゃんと自信を持って言えたらいいのだけれど。

大好きなジョーの背中に頬を寄せて、こうしているとなんだか安心して眠くなってきてしまう。
誰にも見せてあげないもん。ジョーの背中は私のだもん(もちろん、腕の中だってそうよ?)。

私が実はこんなにやきもち妬きで、独占欲が強いんだ・・・なんて、きっとジョーは知らない。
たぶん、ジョーに好きなひとができて、「フランソワーズ、悪いけど・・・」なんて言ったとしても、「そう。じゃあ仕方ないわね」って笑顔で言うんだろうと思ってるのに決まってる。
もちろん、きっとそうするだろうとは思うのよ?だって、泣いて縋るのなんてかっこ悪いし。第一、そんな事をしたってジョーを困らせるだけで、何の解決にもならない。だから、しない。
しないけれど、たぶん、ジョーが去った後でいっぱい泣く。ジョーの姿が見えなくなってから。

ジョーに回した腕に力を込める。
いつかそういう日が来るのだとしても、今は。
今、ジョーを独り占めしてるのは私だもん。

 

****

 

「・・・フランソワーズ?」

そろそろ動いてもいいかなぁ。
背後の気配を窺いつつ、ゆっくりと身体を動かす。
すると、自分の身体に回されていた腕がはらりとほどけて、彼女が恥ずかしそうに背後から顔を覗かせた。

何でか知らないけど、彼女がこうやって背中にくっつくのは実は今日が初めてではない。
前からたびたび(さすがに戦闘中はないけれど)背中に隠れてみたり、背後に回ってみたり、僕の視界から消えることがあった。日常生活では別に危険なんてそうそうないから、彼女を背後に庇うという積極的な「守り」体勢をとったりはしないのだけど、彼女はなぜか「僕の背後にいる」ことが結構気に入っているらしいのだった。
戦闘中に背後に庇うことが多いから、その弊害なのかなぁなんて見当をつけているけれど、本当のところどうなのかは訊いた事がないから知らない。

こういう時の彼女は何もしゃべらない。ただ、まるで子猫のようにおっきな瞳でじーっと見つめて、そうして僕の腕のなかで丸くなる。
彼女の必殺技のうちのひとつ。
これをされると、僕は何にも追及する気がなくなってしまうのだった。なんかもう、どうでもいいかなーって思ってしまう。そんなことより、いま腕の中にいる彼女の方がずっとずっと大切で・・・

「ジョー?」
「なに?」
「怒ってる?」
「え?何を?」
意味がわからない。僕は何か怒っていたっけ?
「怒ってたのはフランソワーズだろう?」
「怒ってないわよ」
「怒ってたよ。僕の背中がどうこう、って」
「やだ。憶えてるんじゃないっ」
ばかばか、と僕の胸を拳で軽く叩く。
「・・・ジョーのばか」
そう言って、そのまま胸に顔を埋めてしまう。ずるいぞフランソワーズ。そんなふうにされたら、やっぱり・・・どうでもよくなってしまうじゃないか。
「教えてよ」
「やーよ」
「だって気になるよ」
「じゃあ、気にしてて」
「えーっ」
「うそ。でも言わない」
「どうして」
「内緒っ」

 

・・・内緒かよっ。

 



1月12日 雨     今日の当番:ジョー

あんまりフランソワーズが可愛いから、ついついからかってしまった。
・・・というのは半分嘘で、さっきのお返しが半分混じっている。
だってさ。あんまりだと思うよ?僕が・・・俺がどんなに君のことを好きなのか何回言っても(確かにそんなには言ってないけれど、言わなくたってわかるだろう?そのくらい)わかってくれない。
モナミ公国に居たときだって、毎日毎日君の事ばかり考えてて、そんななかで君からのメールや電話がどんなに嬉しかったかなんて絶対にわかってない。
女王と俺がどうにかなるわけなんてないだろ?なんでそんな事を言って心配させるんだよ・・・本当に。

だからちょっと意地悪をした。
だって、だったらどうしてそんなに俺を避けるの?おかしいよ、フランソワーズ。
そんな真っ赤な顔をして・・・ほら、今度はなんだか泣きそうになってるし。そんな顔してたらぎゅってしちゃうぞ。

と、思考がアヤシゲな方向に行きかけた時、フランソワーズがポツリと言った。

「・・・向こうを向いてくれない?」
「え?」
「こっち見ないで」

なんだかわからないけれど、顔を見られたくないのかな?・・・などなど思いつつ、彼女に背を向ける。
床に胡坐をかいて座り込んでいる俺と、壁際に追い詰められた形になっている彼女。
改めて考察すると変な光景だよな。
・・・そういえば、みんなはどこに行ったんだろう?気配がない。今晩は久しぶりにみんなで呑むかって話をしてたのに。

と、意識をあらぬほうに飛ばしていたら、背中に熱源がくっついた。
「な」
なんだなんだ・・・フランソワーズ??

肩越しに背中を見るけれど、彼女の頭がかすかに見えるだけ。
肩甲骨の下くらいにぴったりと・・・頬をくっつけているのかな・・・?両脇から腹に回された腕がくすぐったい。

「なに?どうした?」
「どうもしないっ」
「だけど」
「いいの。しばらくちょっと黙ってて」

・・・・なので、黙る。
なんだろうなー。今日の彼女はかなり不可解な存在だ。

数分経過。

彼女はまだ身動きしない。
俺はいつまで黙っていればいいんだろうか?

更に数分経過。

もしかして、寝てないか?

そーっと身体を動かすと叱られた。
「動いちゃだめっ」
・・・はいはい。

小さく息をついて天井を仰ぐ。
いつまでこうしてればいいんだろうなー。
でもまぁ・・・とことん付き合いますよ?君の気が済むまで。全然、意味がわからないけれど。



1月11日 晴れ     今日の当番:フランソワーズ

・・・言わなきゃ良かった。

隣に居るジョーから目を逸らし、心の中で呟く。

だって、こんな言い方したら絶対にジョーはしつこく訊いてくるもの。いったい何のこと?って。
そうしたら、わけを言わなくちゃいけなくなる。
・・・ああ、もう!私ってば。

思わず両手で頬を押さえ、俯いてしまう。

やっぱり頬が熱い。・・・いっつも、そう。ついうっかり口を滑らせて、そして困った事態になる。

「・・・俺の背中が何だって?」

地を這うような低音が耳に響く。
・・・もう。ジョーってば。自分のことを「俺」って言ってるわ。

ちら、とジョーの様子を窺うと、ちょうど彼も前髪の下からこちらを見ていた。やだもう。どうしてこうタイミングが悪いのよっ。

内心の動揺を悟られてはいけない。ので、目を逸らすことができない。
しかも、それこそ全てを見透かそうとしているかのようにじぃーっとただひたすら見つめてくる褐色の瞳。
自分の意思に反してどんどん熱くなってくる頬。・・・もぉっ。ジョーのばか。

「ねぇ、フランソワーズ?」

ああもう。ジョーの声のトーンでわかる。形勢が逆転したってことが。

「ね、フランソワーズ。僕が何だって?」

ほら。一人称が「俺」から「僕」に戻ってる。
ジョーから目を逸らしたら負けなのに、思わず俯いてしまう。彼の視線を避けるように別の方を向いたりして。

「ねぇ、フランソワーズ?」

・・・からかわれてる。ジョーのばか。どうしてそういう声と口調で訊くの。どうして嬉しそうなの。
私が・・・何かあなたにとって嬉しいことを言うんじゃないかって確信してるみたいに。
そんなの、違うかもしれないのに。どうして「言ってごらん?」って顔するの。

「・・・ヤダ。言いたくない」

ポツリと床に向かって言ったのに、ジョーは聞き流してくれない。

「どうして?」

わ。びびびっくりした。
いきなり声が近づいたから、ジョーの甘い声が鼓膜を直撃した。思わず反射的に後ずさってしまう。

「なんで逃げるの」

近づくジョー。
逃げる私。

やーん、もぉ。放っておいてよっ。

「フランソワーズ?」

ヤダヤダ、このままじゃすぐにジョーに捕まっちゃう。そして、抱き締められたら・・・彼の腕の中で全部話さなくちゃいけなくなってしまう。だって私は彼の腕の中では何にも隠し事なんてできないんだもの。

でもジョーは、絶妙な距離を保ったままそれ以上は近づいてこない。なんだか余裕すら感じられて悔しい。

・・・もう。フランソワーズのばか。どうしてさっき言ってしまったの?
ジョーには言いたくないのに。
だって、言ったら絶対嬉しそうな顔をする。
そりゃ・・・彼の嬉しい顔を見るのは好きよ。でも、それとこれとは違うの。意味が違うのよ。
だって・・・私がどんなにジョーを好きか、ばれてしまう。・・・ばれて困るってわけでもないんだけど、だけどやっぱり知られるのは恥ずかしいのよ。

ジョーの背中をずっと見つめていたのは私だった。それはもう、ずーっとずーっと長い間。
だから、今でも彼の背中・・・後姿を見るのは好きなの。
頼りになる。安心できる。声を掛ければ・・・ううん、掛けなくてもきっとすぐに気付いてくれる。
「どうしたの、フランソワーズ?」って。優しく言って振り返ってくれる。
その、振り返ってくれるまでの間はどきどきするけれども私にとってはとても大事な優しい時間。
時には、その背中が寂しそうで胸が締め付けられそうに辛い気持ちになるときもあるけれど、でもそういう時でも彼は私を拒絶はしていない。それがわかるから。

ジョーの後姿を、背中を、独り占めしていたのは私だったのに。私だけの特権だったのに。
なのに、公共の電波にのって全国展開されてしまった。
きっとこの映像を観たら、誰でもジョーの事を好きになってしまうわ。どんなおんなのこでも絶対。
絶対、絶対、好きになっちゃうもん!!
そしてその中に、ジョーの「本当の運命のひと」が居たりしたら・・・あっという間にジョーは私から離れていってしまう。そんなの、絶対にイヤ。

いつかそんな日が来る。ってわかってはいるけれど、いざその日が来てしまったら私・・・どうなってしまうのかわからない。
ああもう。考えたくなかったのに「その日の自分」を思ったら、なんだか涙が滲んできた。
だってジョーは、私の事なんてきっとすぐに忘れる。
一緒に過ごした日々、一緒に行った場所、たくさんの会話。ぜんぶをすぐに忘れてしまう。
・・・そんなのイヤ。
ううん、それでいい。
自分がサイボーグであることを思い出させない相手と幸せな日常を過ごせるなら、きっとジョーは幸せ。
だったら私はそれでいい・・・はず。
そして任務のときだけ、彼女からジョーをちょっとだけ「借りる」。そうして、彼を守ってまた彼女に「返す」。
その繰り返しをするだけ。
・・・きっと、ジョーにはそういうのが似合う。優しくて可愛くて、何より「生身の人間」のおんなのこ。

ここにジョーと一緒に映っている女王様のような。

・・・・・・・あれ?

私、やっぱり気にしてるのかな。女王様のこと。

だけど、もしジョーの「運命のひと」が彼女だったとしたら、私にはもうどうしようもできない。
ただ黙って・・・ジョーが去っていくのを見送るだけ。
きっと最後の時まで彼は優しいわ。けれど、もうその優しい声や優しい瞳は・・・私のものじゃ、ない。

やっぱり、ジョーの「運命のひと」って彼女だったのかな。だって、ジョーも彼女の事を好きだったもの。
ううん。
違う。
過去形じゃない。
もしかしたら・・・ううん、きっと・・・ジョーは今でも彼女の事が好きなのかもしれない。

だからさっき、私がからかっただけなのにあんなに焦って、一生懸命弁解しようとしたのかもしれない。
私が言った事が本当の事だったから。

 

****
お嬢さん、暴走してますー(T-T)混乱してます。悪魔のような三段論法なのです。そして・・・やっぱりキャの人の件は触れてはイケナイ事だったのかもしれません・・・



1月10日 晴れ   今日の当番:ジョー

「ほんと・・・ひどいわ、ジョー」

更に言われて、僕は心の中に「ごめん」を用意してフランソワーズの顔を覗き込んだ。
泣いてないかな。大丈夫かな・・・

え?

フランソワーズは、泣いていなかった。

怒っていた。

頬を紅潮させ、瞳は怒りのためかキラキラと輝いており唇は彼女の怒ったときの癖なのかツンと尖らせている。
「え?ふらんそわーず・・?」

思わず洩れた僕の言葉は気の抜けた発泡酒のようになっていた。
そんな僕にお構いなしに、キッと睨みつけてくる蒼い双眸。

「ひどいわ!こんなのって、駄目よ!」
いや・・・今更駄目と言われても。この通り、公共電波に乗ってしまっているのだし。
「ホラ、あくまでも『仕事』だし、その、なんだ、ラストのシーンのアレは僕の意思ではなく・・・」
もごもごと弁明を続ける僕の話を全く聞かずに彼女は更に言い募る。
「駄目よ。イヤ。我慢できないもの。ひどいわ、ジョー」
「イヤ、だから、うん、そうだね。君に言わなかった僕が悪い。ごめん」
「そんな事を言ってるんじゃないの!」
「あ、そっか。そうだよね。・・・その、あのシーンは監督がそうしろと言っただけで・・・」
うーむ。なんだか他人のせいにしているみたいで何とも格好が悪い。彼女が僕を責めているのなら、大人しく謝ってしまえばいいとも思うのだけど・・・思うのだけど、あのシーンに僕の意思は絡んでないと納得して欲しかった。変な誤解をして欲しくなかった。だって、僕は。

「違うってば。そんなのどうでもいいのっ」
・・・え?
『そんなの』??
「もうっ。あなたが誰かと仲良さそうにしてるのなんてどうでもいいんだってば」
・・・フランソワーズ?ついさっきまで言っていた事と違うんだけど?それとも僕が聞き間違えたのか?
混乱する僕の耳に響くのは・・・響くのは、怒っているというより残念がっているような声。・・・残念?何が?

そんな僕の顔をしみじみと見つめ、フランソワーズは一瞬頬を緩ませた。
「・・・もう。ばかね。『仕事』でしょ?いちいち妬いてたら身がもちません」
「え、でもさっき」
「だってジョーが随分、動揺してたから。・・・ちょっとからかっただけよ」
「・・・フランソワーズ・・・」
がっくりと膝を着く。思いっきり脱力した。なんだよー、すっげ心配したんだぜ、俺。
「ジョー?」
今度はフランソワーズがこちらの顔を覗く番。
「ごめんね?」
彼女の指が俺の前髪を分け、そうして蒼い瞳が見つめてくる。でも目を逸らす。
「ジョー。怒った?」
怒ってない。たぶん。たぶん・・・そう、ちょっと疲れただけだ。ああ、煙草が喫いたいなー。普段はフランソワーズが嫌がるので喫わなかったけれど、そう、こんな風に理不尽に疲れると無性に喫いたくなるのだった。
「怒ってない。だけど、だったらフランソワーズは何に怒ってるわけ」
そうだ。そこなんだよ。別にラストシーンの「恋人同士っぽく見える二人の映像」なんてどうでもいいなら、先刻からの「ひどいわ」は何に向けられているというんだ?

「だって。あなたの後姿をあんな風に映してしまうのなんて、絶対に駄目よ!」

・・・・・・・・・・え?
なに?
後姿??
それが何だって?

「なのに。あんなにあっさりとジョーの背中を映しちゃうなんて・・・」
声に残念そうな響きが混じる。
でも。その『残念』な思いの対象になっているのって、俺の背中??意味わかんないぞ。

 

*****
「ジョーのCM」のお話なのですが、文体がコロコロ変わってます・・・(なぜかこうなってしまったのです・・・)
お時間のある方は「収納庫」の昨年のお話のうち「もうひとつの王女編」「スクープされちゃった」あたりを再読いただけるとお話が繋がっているのがわかる・・・はずです。多分。いちおう、整合性はあるつもりなのですが、どうだろう・・・?(いえ、単に自分で読んで「なるほどー!」と勝手に楽しんでいるだけなのですが)



1月9日 晴れ    今日の当番:ジョー

――そうなんだ。僕は、モナミ公国に行った経緯や何があったのかは帰国してからフランソワーズにちゃんと話した。
でも、意図的にCM撮影の話は割愛した。
なぜかというと、それは・・・

テレビの前から動かないフランソワーズ。そして彼女の目の前には、これでもかというくらい繰り返される映像。
・・・フランソワーズ?
顔を見るのが怖かった。
かといって、肩を抱き寄せようにも拒絶されたらと思うと怖くてそれも出来ない。
だったら髪を撫でてみるとか?・・・と思っても、手が震えて触れない。

そんな僕におかまいなしに、繰り広げられる「夕陽を一緒に見ているカップル」の図。
・・・ねぇ、フランソワーズ。わかってるよね?「仕事」なんだよ、これは。僕の意思は全く反映されてないんだ。
最後のシーンだけどさ、彼女が僕の肩に頭をもたせかけてきたのだって僕はそんなの聞いてなかったから、凄く驚いたんだよ?だけど「仕事」だったし、スポンサーだから無下にするわけにもいかないじゃないか。
わかるよね?大丈夫だよね?

「急に決まった仕事ってこれだったんだ?」

ポツリと置かれる言葉。抑揚は全く無い。

「う、うん。・・・言ってなかった・・・よね?」
疑問形で訊いてみたものの、言ってなかったのは確かだった。
「・・・ひどいわ。どうして黙ってたの」
「イヤ、だって。僕だって向こうに行って初めて知ったんだし」
これは本当の事だった。だから僕は向こうではめられたのではないかと怪しんで怪しんで、いっそのこと帰国してしまおうかと思ってたんだから。
「・・・ふぅん。・・・まぁ、そうよね。あなたが私に報告する義務なんてないもの」
なんでそういう言い方するかなぁ。フランソワーズ。
「でも・・・言ってくれても良かったんじゃないかしら。どうせこうやって目にする日がくるのだから」
それはそうだった。ので、何も言えない。
「ねぇ、ジョー?返って内緒にされているほうが疑ってしまうものよ?・・・あなたと、このひとの間に何かあったんじゃないのかしら?って」
「何言って」
「だって、撮影は一日か二日か・・・もしくはそれ以上かかっているわけでしょう?その間、ずーっと一緒に居たはずよね?・・・女王様と」
「!」
女王様、って・・・後ろ姿だけなのにわかるのか?(当たり前ですよ、ジョー島村っ!!)
「それも、こんなに仲良さそうで・・・まるで」
一瞬、間。
「・・・まるで、恋人同士みたいに」

「フランソワーズっ!!」
一体何を言い出すんだ君は!!
僕は思わず彼女を抱き締めようとして・・・思い留まった。そんなんでうやむやにしては駄目だ。あの時みたいになってしまう。それは断固として避けたかった。
そうっと横から彼女の顔を覗きこむ。・・・泣いてるかな?大丈夫かな?と、どきどきしながら。



1月8日 晴れ    今日の当番:ジョー

結局、七草粥を5杯も食べて(ジョー曰く「普通のゴハンだったら2杯分くらいだよ」)機嫌の良いジョー島村。
後片付けなんて後でいいからさ、とフランソワーズの手を引いてリビングに向かいました。
パリから戻って以来、フランソワーズと手を繋いでいることが多くなったなーと頭の隅で考えつつ。・・・頭の隅で考えてはいるものの、さして気にはなっていないのです。なんだかそれは当たり前の事のようにも思えて。
なので、今日もいつものように手を繋いでリビングに来たのですが・・・

テレビの前に集っている面々。
――何してるんだろ?
と、ちらっと思い、その時隙間から見えた映像に一瞬で血の気が引いたのでした。

・・・これは、まずい。

そっとフランソワーズの手を引いて意識をこちらに戻そうとするのですが、既に彼女の耳にはピュンマの言葉が届いていたのでした。即ち、「ジョーの車のCM」をみんなで見ているところだという。

だめだよっピュンマ。フランソワーズには言ってないんだから!

と「眼」で語ってみたところで、彼の必殺タラシ光線(ってなんなのー。自分で書いていて「そんな表現イヤ」と思う私・・・)は男性には無効なのでした。

・・・・・・・やばい。

なぜか汗が出てきます。勝手に。そしてそれは手のひらにも言えることであり・・・案の定、不審げなまなざしはジョーにも向けられてしまうのです。

「ジョー?何か隠してる?」

隠してないよ。
と、言いたいのに何故か声がでません。フランソワーズに嘘をつくというのはとっても下手なのです。何しろ蒼い双眸に見つめられると「ああもう、全部僕が悪かった」という気持ちになってしまい、心理的に降参してしまうからなのです。従って、今も精神的にはすっかり負けてしまっているジョーなのです。

「CMなんていつ撮影したの?・・・これ、最近よね?」

追求の手は緩められません。
でも、ぎりぎりまで「その時」を引き延ばしたいジョーなので・・・黙秘を続けるしかないのです。何しろ何を言ったところで「嘘」というのはバレバレになってしまうのは必至ですし。

「パリに行く前くらい・・・?」

と、いうことは。

――と、いうことは!?さて、彼がパリに行く直前に「突然出かけた」トコロといえばどこだったでしょう!!



1月7日 雨     今日の当番:フランソワーズ

・・・そんな訳で、あれこれ喧嘩もどきをしたり泣いたりしながらパリでの休暇は終わったのでした。
やっと日本に帰ってきています。

「やっぱり日本はいいなぁ」

迂闊にもこんなセリフを言ってしまうジョー島村!(ばか!)
案の定、お嬢さんの瞳が「きらりん☆」と光ります。

「それってどういう意味かしら?」

にっこり。

怒られるよりも笑顔の方が怖いのです・・・が、全く気付いていないジョー島村。なんだかパリから帰って以来、こういう「心の機微」とかそういうものに若干疎くなったような気がします(元々そうだったかもしれませんが)。

「んー?だってさ」

お粥を食べている手を止めて、きょとんとお嬢さんを見つめるのです。

「パリにいたら七草粥なんて食べられないだろ?」

こちらもにっこり。

一見、とっても和やかに見える夕食の風景なのです。
そうです。今日は1月7日、七草粥の日なのでした。それを食べながらの会話なのです。

「・・・ふぅん?じゃあジョーは七草を全部言えるのね?」
当然よね、日本人なんだから。

と付け加えて、笑顔のままじーっとジョーの顔を見つめてます。

「えっ・・・七草・・・」

言葉に詰まるのを、お粥を食べる事でごまかしたりして。

「・・・そんなの、知らなくたって生きていけるよ」

小さく呟いてお粥と一緒に飲み込んで。
が、それを聞き逃したりする003ではないのでした。(でも耳のスイッチはいま入れてません)

「ま。そんな事言って。だめよ、ちゃんと言えなくちゃ」
「いいよ、おかわり」
「・・・3杯目よ?食べすぎじゃない」
「そうかな」
「しょうがないわねえ」

食べているジョーをじっと見つめて、自然に微笑むのです。

・・・まぁ、いいわ。許してあげる。

―――という「みんなで夕ごはん」なのに、勝手に「二人の世界」を作っている二人をそのまま放っておく面々。
いい加減慣れているのです。慣れないと、ここで一緒に暮らすのは辛いのです。

食卓に二人を残し、リビングに来た一同。
ピュンマ様が淹れたコーヒーを飲んでいます。それぞれ適当に寛ぎつつ。
何気なくジェロニモがテレビをつけたのですが・・・

「・・・あれ?ジョーがいる」

車のCMなのですが、ジョーが出ているのです・・・・?

「これ聞いてないよな?」
とジェットが言えば「ああ」とアル様も返します。
彼がCMに出るというのはちっとも珍しくはないのですが、車のCMだけは全員の興味が一致するところであり、そのあたりのジョーの予定はいつもチェックを怠らないのです。(何故なら、大抵「CMしたその車」をジョーが貰ってくるからなのです。それぞれ「日本で自分が乗る車」が欲しいなーと思っているのでした)



1月4日 晴れ     今日の当番:フランソワーズ

ジョーは来ない。

こういう場合、少女漫画やドラマでは必ず彼氏が迎えに来てくれることになっている。もしくは、すぐに後を追ってくれるとか。
期待して振り返ってみるけれど、ジョーの姿は見えなかった。
ジョーはおろか、誰もいない。
当然よね。こんな寒い夜に外にいる物好きなんているわけがない。・・・私以外に。

・・・さむい。

えぇと・・・彼氏が迎えに来ない場合、案外意外なトコロで彼が待っていたりして意表を衝かれたりするのよね。
ドラマでの王道のひとつ。
だとすれば・・・定番なのは、家の前。外で待ってる。
なので、仮説を確かめに帰ってみることにした。
いい?私が帰るのは、あくまでも仮説を確かめるためであって、ジョーに会いたいからじゃない。そこのところ、間違えないように。いいわね、フランソワーズ?
わかってるわ。大丈夫よ。
などと頭の中であれこれ考えながら家路につく。

でも。
アパルトマンの前には人影なんて見えなかった。

ジョーはいない。

・・・そうよね。ドラマはあくまで作り物であって、現実なんてこんなもの。

おそらく、彼はずっと部屋にいて、私のことなんてこれっぽっちも心配していない。きっと本当に買い物に行ったと思ってる。そして、私が部屋を出てから随分経っていることにも気付いていない。

私、どうしてパリでひとりこんな寒くて寂しい思いをしてるんだろう?
私がひとりだけ考え過ぎているだけなのかな。たかが百人一首のなかの好きな一首を選んだというだけの話で、未来まで考えるのっておかしいかな。
でも。
他の誰でもない、ジョーの言葉なんだもの。ひとことひとことに何か意味があるんじゃないか、って全身で考えてしまう。ぜんぶ受け止めてしまう。
だって、言葉の端々までもが大切で・・・それが、彼がいま何を考えているかの手がかりになるのなら、どんな言葉だって私の頭を素通りなんてしない。いちいち、考えてしまう。いま彼が何を考えているのか。全てを知りたいから。
それってやっぱりおかしい?

とぼとぼと階段を昇る。

ジョーに会ったら何て言おう?買い物に出たのに手ぶらな私を見てなんて思うんだろう?
適当な言い訳を考え付く前に部屋の前に着いてしまった。

「・・・ただいま」
そっと言ってドアを開ける。
「おう。おかえり。遅かったな」
そう応えたのは、にやにや笑いを顔に貼り付けた兄。
「買い物に行ったとばかり思ってたよ」
手ぶらなのを目聡く見つけ、嬉しそうにそこを指摘する。
「・・・お財布、忘れちゃって」
兄の顔を見ないようにして適当に答える。
「ふぅん?」
声にからかう響きが混じっている。
リビングには兄しかいなかった。それはとっくに気付いていたのだけど、ジョーは?と訊くのはしゃくだった。ので、敢えて訊かない。きっともう部屋で寝てたりしてるのよ。
「お前、ほんとーにドジだな。買い物に財布を忘れていく奴があるか」
「悪かったわね」
「しかも、ずうっと日本にいるから、忘れてただろ。パリでは遅くまで開いてる店なんてないってこと」
知ってたもん。
「お前が出て行ってから、ジョーの奴財布を掴んで後を追ったんだぞ」
「えっ?」
ぽかんと兄の顔を見る。だって、ジョーの姿なんてちらっとも見ていないもの。
「・・・擦れ違いか?」
擦れ違い?
「いくらパリには慣れてるっていってもなぁ・・・道に迷ったかな」
まさか。ジョーに限ってそんなことは・・・
「・・・ちょっと見てくる」
言って、そのまま後戻りする。痴話喧嘩もほどほどにしろよ、という兄の声を背に受けながら。
そんなんじゃないもん。

玄関のドアを開けるとき、少し慌てていたかもしれない。
だから、すぐ外にいるひとに気付かず、そのまま出たら。
「・・・どこに行くの?」
慣れた胸のなかに抱きとめられていた。慣れた匂い、慣れた声、慣れた胸の温かさ・・・温かく、ない。
その身体はすっかり冷え切っていて冷たかった。
「こんなに冷えてるのに、また外に行くつもり?」
しょうがないなぁ、という声が振ってくる。
「・・・ジョー?」
見上げると、苦笑いな彼の顔。
「あなたこそ、どこに行ってたの?」
「うん?・・・まぁ、ちょっと散歩に」
「嘘。コートも着ないで?」
「・・・僕は多少の寒さは平気だよ」
低い声で言われる。だからちょっと悲しくなった。
「そんな事言わないで」
「うん。そうだね」
ごめんね。って耳元で言われ、ぎゅうっと抱き締められていた。
「・・・頼むから。いきなりどこかへ行くっていうのはナシにしてくれ」
「ちゃんと言ったわよ?買い物へ行くって」
「そんなの嘘だってわからない僕だと思う?」
思ってた。
「・・・寒いからすぐに帰ると思ったのに、川まで行ったときはさすがに声をかけようかと思ったよ」
川のそばって寒いんだぞ、と怒ったように言われる。ちょっと待って。どうして私が川まで行ったって知ってるの?
だって、ジョーは近くにいなかったじゃない。影も形も見えなかったし気配だってしなかった。
「僕が知ってるのが不思議?」
私の頭を撫でながら、更に自分の胸に私を押し付けるジョー。だから、彼の顔が見えなくて・・・いまどんな表情をしてるのかわからなかった。
「ばかだなぁ。僕が君をこんな夜遅くにひとりで外に出すと思ってた?」
思ってた。
「そんな訳ないだろう?君に何かあったらどうするんだよ。僕は自分を一生許さないね」
このまま、ジョーが勝手に喋るのを聞いているのも、それはそれで楽しかったかもしれない。でもやっぱり気になって訊いてしまう。
「だって、ジョーはどこにもいなかったじゃない」
「いたさ」
「嘘よ。どこにも見えなかったのに」
「・・・僕を探してたんだ?」
ばか。どうして嬉しそうに言うの。
「でもね。君、ひとりになりたかったのかなーって思ったから・・・」
敢えて声をかけずにいた。と、ジョーは続けた。


***


部屋でココアを飲んで温まってから、改めて隣にいるジョーの顔を見つめる。
私が思っているより、ジョーはずうっと大人だった。私がひとりで勝手に怒っていただけで・・・
ジョーの腕は私の腰に回されている。なので、そのまま彼の胸に寄りかかってしまう。
「・・・百人一首でね。『逢いみての 後の心にくらぶれば・・・』というのがあるでしょう?あれって、なんだか私たちのことみたいね」
「そうかぁ?」
「そうよ。だって、出会ってからの気持ちに比べたら昔は大した事を思ってなかったっていう意味でしょう?」
「うー・・・ん・・・・ちょっと違うと思うよ?」
思わずジョーの顔を見上げると、なんだか不思議な表情の彼がいた。口をへの字にしててしかめているかと思いきや、そうではなく、なんだか・・・そう。言いづらいことを言うよという感じかしら。
「出会ってからのほうが悩みが深い、って意味だと思うよ?」
そうなの?
「・・・うん」


***


僕は、君に百人一首はまだ早いと思うんだ。

フランソワーズを抱き寄せながらひとり思う。

だってさ。意味を全然わかってないし。僕の勝手な解釈も簡単に納得してしまう。
ねぇ、フランソワーズ。さっきの一首の意味はね。僕が言ったような解釈もあるけれど、少しだけ違うんだよ。
『逢う』というのは「会う」ではなくて・・・そうじゃなくて、その、つまり・・・男女の関係になってから、という解釈もあるんだ。だから、それでいえば「そういう関係になった後のほうが悩みは深い」という意味で・・・。
・・・確かに、悩みは深くなっているかもしれない。僕たちに幸せな未来なんてないのだから、本当はそんなふうに君と接するのではなく、一定の距離を保っていたほうが良かったのかもしれない。
だけど。

ねぇ、フランソワーズ。
僕は君の後を追って・・・つまり、ずっと尾行してたわけだけど(気配を絶つなんて僕には簡単なことさ)もし君が泣いたら、すぐにそばに行くつもりでいたんだよ?
だって、このパリで君を泣かせるわけにはいかない。あの時みたいに泣く君なんて見たくない。

ずうっと前、君とふたりでパリに来たとき、僕があの橋で君を待ちながら何を考えていたかわかる?
君をここに置いていこうと思ってたんだよ。
そのほうが君が幸せになれるのなら、それでいいと思って。・・・本当だよ?

君はいま幸せなのかな。
ここに、こうして僕と一緒にいることが。
僕は、こうしていることで・・・君が幸せになることを邪魔してないだろうか。



1月2日 くもり     今日の当番:フランソワーズ

コートくらい持って出れば良かった。
寒空の下、部屋着の上にマフラーをしているだけ。空は今にも雪か雨が降ってきそうなのに。石畳から冷気が立ち上って容赦なく身体を冷やしていく。
あーあ。
空を仰いでため息をつく。
・・・ジョーのばか。

きっかけはささいなことだった。
日本ではお正月にカルタをするのよねという話になって。実は百人一首というものに興味を持ち始めていたので、ジョーがその解説を書いた本を日本から持って来てくれていたのだった。
だから二人で一緒に読みながら、この解釈はいろいろあって、とか、そんな会話をしていた。
私は「来ぬひとを・・・」の一首が好きで、でもジョーは待たせないでね。と言っていたら、ジョーが僕は「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の・・・」が好きだな、なんて言い出した。
それってお別れしてもいつかまた会えることを信じようっていう一首だけど、だけど「別れる」のが前提なのよね?そんなの私イヤだわ。そういうこと平気で言わないで。と言ったら、だって僕たちはいつそうなるかわからないじゃないかって言い返された。
ジョーのばか。
本当にそうでも、嘘でもいいから「そうだね。僕たちは別れるのが前提ってことはないよね」とか言って欲しかったのに。
・・・いつも、そう。
本当はそんなの自分だってイヤなくせに。でも避けられない事だと言いたげに。
そんなの、わかってる。果てる時まで一緒にいられたらと思うけれど、でもきっとそうはなれないってこと。
きっと私たちはバラバラに、お互いが近くにいないときに逝ってしまう。
心の奥底ではそんなのわかってる。だけど、敢えて言って欲しくはない。そういうの、どうしてわかってくれないんだろう。
いつまでたってもオンナゴコロをわかってくれないひと。
なんだか悲しくなって、寂しくなって、ジョーと一緒にいたくなかった。だって一緒にいても、気持ちは遥か遠くにあったから。ジョーの気持ちが近くにないのに一緒にいるのは辛かった。
だから唐突に買い物に行ってくると適当な事を言って外へ出た。・・・お店なんてこんな時間にはもう閉まっているのに、それも気付いてない。日本では遅くまで営業しているのが普通だけど、フランスでは午後9時にはどんなお店だって閉まってしまっているというのをジョーは忘れてる。
もしジョーの気持ちが近くにあったなら、買い物に行くなんて言い出した私を止めるもの。
なのに、しなかった。
きっと彼は目の前の私ではなく、遠い・・・遠い、闘いの終結するであろう未来を見ていたのに違いない。そして、その未来には私はジョーの隣にはおそらく立っていない。
別れても最後には会いましょう・・・って、それって不確定未来の約束でしょう?そんな不安定な約束なんてしたくないもの。ジョーのそばを離れるのなんてイヤだもの。ジョーになじられたって、怒鳴られたって、絶対に一緒に行くもの。
なのにジョーはわかってない。きっとそういう局面に遭ったら絶対に私を置いていく。
だから、あの一首を好きだなんて言う。・・・別れたら、生きて会えないのがわかっているくせに。
そんなのイヤだもの。ジョーのばか。
息が白い。寒い。もう。寒いわよ。ジョーのばか。嫌い。嘘よ、好き。だけど今は嫌い・・・ちょっとだけ。

自分でも何を言いたいのかわからなくなってきた。
外は容赦なく寒かった。そして暗かった。あれこれ考えながら足の向くまま歩いてきてしまったので、ここが川辺ということに気付いたのは橋の上に立ってから。
ここは・・・前にジョーと待ち合わせをした場所。あのときジョーはひとりで待っていてくれた。私が来るのを。
私は、もう二度とパリに戻ることはないだろうと最後のお別れをしていた。
あの時、ジョーは何を考えていたのかしら。私がジョーを呼ぶ前に、歩き出そうとしていたような気がしていたけれど・・・。
あの時は、パリに来たのが嬉しくて、そして悲しかった。元の身体に戻りたいと無理を言って、泣いて、ジョーを困らせた。でもジョーはただ黙って聞いててくれた。そうして優しく抱き締めてくれて・・・。
・・・ジョーのばか。どうして迎えに来てくれないのよ。急に出て行った私をちょっとでも心配なら、探しに来てくれたっていいじゃない。寒いのに。寂しいのに。ジョーに会いたいのに。
だったら帰ればいいじゃない。
そう、頭の隅でもうひとりの自分が言っていたけれど無視した。だってそんなの悔しいもの。

ゆらゆらと街灯を映す川面を見つめ、またため息をつく。
でも・・・仕方ないのかな。別れてもまた会えるから、って明るく言って、そして別れたほうがいいのかもしれない。戦地では。それがどんなに嘘だと思っても。・・・そうでもしないと戦えない。
・・・だけど。

ずうっと前、決戦前夜にジョーと海辺を散歩した。たぶん、重い空気の中で沈んでいる私を見かねて外に誘ってくれたんだろうと思う。だけど、何を話すということもなく、ふたりただただ無言で浜辺を歩いた。
黒い海と、ぽっかり浮かんだ月。私たちでなければ歩けやしないくらいの漆黒の闇のなか。
ジョーは何も言わない。背を向けたままどんどん歩いてた。
私も何も言わなかった。ただ、ジョーの背中を見つめて歩いていた。
あの頃は、ジョーも私を好きでいてくれたなんて思ってもいなかった。だから、彼の背中を見て歩くのが精一杯だった。
今日は何だかあの時を思い出してしまう。
ジョーの心が見えなかったとき。未来が見えなくて、不安だったとき。

でも、あの時はそれでもジョーはすぐ近くにいた。それだけで嬉しかった。触れ合えなくても、お互いの距離が遠くても、手を伸ばせばきっと届くであろうくらい近くにいるだけで安心してた。

だけど、今夜は違う。いまここにジョーはいない。
「来ぬひとをまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ・・・なんてね」
いまの私にぴったり。違うのは、焼かれるのではなく凍えているということ。

ジョーは来ない。



1月1日 晴れ    今日の当番:ジョー&フランソワーズ

「ジョー、準備はいい?」
「ああ。大丈夫」
「駄目よ、ネクタイが曲がってる」
そっとジョーのネクタイを直してから。改めて手を繋いで、新年の御挨拶なのです。

「昨年、9月3日にサイトをオープンして以来本当にたくさんの方にお越し頂き、また、嬉しいお話や御感想を頂きました。本当にありがとうございます。最初は『自己満足のサイトだから誰も来なくても』と思ってはいたのですが、やはり御感想を頂くと本当に嬉しく励みになりました。たくさんの書き込み・メール、ありがとうございます。
これからもやっぱり『自分の好きな方向』に進んでいくことと思いますが、ゼロナイへの秘かな愛は貫きますのでどうぞ宜しくお願い致します」

「・・・言えた」
ほうっと息をつくジョー。
隣ではらはらしていたフランソワーズもほっとしてジョーを見つめました。
前回、1万ヒットの御挨拶の時は収拾がつかなくなったので心配していたのです。
「ともかく、これで『任務』は終了だな」
そうね、と頷きかけてはっと思い出しました。
そうだった、私はまだ言わなくちゃいけないことがあるんだったわ。
「ジョー、ちょっと待って」
手を引いて帰ろうとするジョーを引き戻します。

「あの、それから・・・たぶん憶えているひとはいないと思うのですが、以前、『年末になったら』アップするお話についてあれこれ言っていたのですが、すみません。延期です。どうもまだ文献を読破していないようで・・・
代わりに『V2作戦』のSSのアップも考えていたようなのですが、挫けたらしいんです。申し訳ありません。
『子供部屋』が日々連載のような体裁をとってますのでご容赦頂きたく思います。その代わり『子供部屋』は私たちの日常生活ですので、どんどん続きます」

「終わったわ」
もう、言いにくいことは私に割り振るんだから、と頬を膨らませつつ(はぁ・・・すみませんお嬢さん)ジョーの手を引き「行きましょ」と言うと、ジョーはにやりと笑ってちょっと待ってと言うのです。
「なに?」
「うん。更新していってるのはそれだけじゃないだろう?」
「えっ・・・だけど、あっちは、その・・・」
頬を染めてジョーの肩に顔を埋めてしまうのです。
「・・・いいじゃない。あっちはあっち、よ」
「そう?」
「そうよ」
「・・・そんなに恥ずかしい?」
「恥ずかしいわよ」
「そう?」
「そうよっ・・・ジョーのばか」

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