帰りの新幹線では散々な目にあった。 「バラの花束っ」 きゃーーー。と、車内の他の乗客から苦情がこないのがおかしいくらいの騒ぎよう。 それもこれも、全てフランソワーズが大事に大事に抱えているバラの花束のせいだった。 「それ、上にあげちゃえばいいのに」 ことごとく丁重にお断わりして、ずうっと大切に抱えている。 「でも、手が疲れるでしょ?」 周囲が気を遣っているのは、それは「花束」というのにはあまりにも非常識な量の花であり、持っているのも大変だろうという大きさのせいだった。 「でも、そんなにずっと持ってたら、体温であったまって萎れちゃうんじゃない?」 からかいついでに言ってみたら 「えっ!?」 と絶句し、みるみる瞳に涙がたまってきたので―― 「ああ、ゴメン、うそうそ。嘘だってば、大丈夫よフランソワーズ」 すぐに白旗をあげてしまうのだった。 「――全く。そんなに心配なら、時々水に漬けてあげたほうがいいんじゃない?」 そう言ってデッキに向かうフランソワーズの後ろ姿を見つめ、ほぼ全員が深い深いため息をついた。 「――まったく。おちおちからかってもいられないわよ。すぐ泣くんだから」 横を通り過ぎようとしたフランソワーズのペアである彼を席に引っ張り込む。 「なに?」 ばさっと目の前をバラの花に遮られ、二の句が継げなくなる。 「お待たせ。・・・なんの話?」 その間に捕虜となっていた彼はさっさと逃げ出した。 席についたフランソワーズは、再び膝の上に花を置いて嬉しそうに覗き込んでいる。 「――そんなに見てて、飽きないの?」 あ、そ。と小さく呟いてから改めて訊く。 「で、熱烈なちゅーをしたっていうじゃない」 「――フランソワーズ?」 目の前に手をひらひらされて我に返った。 「・・・まったく。まぁいいわ。ずーっとそうゆう顔してなさい」 そうゆう顔、って・・・?? ――やだわ、もうっ そこには嬉しそうに笑っている自分がいた。 *** 「ただいまー」 「お帰り」 声とともに覗いた顔を見つめ、玄関先に呆然と立ち尽くした。 「うそ・・・なんで?」 「・・・・ジョー・・・・っ」 さっきまでそれはもう大事に抱えていたバラの花束をあっさり放り出し、そのままジョーの胸に飛び込んだ。 「――わっ」 聞く耳持たない。ので、仕方なく抱き上げた。後で掃除するのは、多分自分だよなーと思いながら。 「フランソワーズ、わかったから。――荷物は?」 会話にならない。 「・・・なんで僕の名前しか言わないの」 リビングに入ると、ヤレヤレと言いたげなピュンマとジェロニモが目に入った。 「――お姫様の帰宅ってわけね」 その声のした方をちらりと見つめる蒼い瞳。 「あれっ?一緒にお茶でも飲もうって・・・」 蒼い瞳の目力は絶大な効果があるのだった。つまり ――邪魔しないでね、いい?邪魔したらその時は・・・・ 既に、玄関に放置されたバラの花束の存在などどーでも良くなっているのだった。 当たり前でしょ?バラの花よりそれを贈ってくれた人のほうがずーっとずーーーっと大事だもん。 とはいえ。 公演は地方公演だった。 邸から遠く離れた地、広島で計3回行われることになっている。 それを話した時、グレートは本当に残念そうに言ったものだった。 そういう訳で、仲間は誰も観に来ない公演となったのだった。 ――子供じゃないんだから。 送り出される時の、みんなの心配そうな顔を思い出す。 ・・・誰も観に来てくれないからって泣いたりしないわよ。 軽く頬を膨らませる。 大体、バレエ団のみんなだって――家族がこんな遠くまで来たりなんてしてないし。 それに。 観に来てくださる人のために、私は精一杯踊るだけよ。 携帯の画面を見つめ、ちょっと微笑むと電源を落としバッグにしまう。 今日は最終日。 レッスンが始まった。 それはもう、普段よりも厳しく課題も多かった。 今日も遅くなった。 ジョーがいない時は、うんと遅くならない限りは電車で帰る。 いつもの、ジョーとの待ち合わせ場所の近くにある公園に寄り道した。 そこをひとり、歩く。 練習後の疲れた身体に、微かな風が心地良い。 ――ジョーと一緒に見たかったな。 風に舞う花びらを目で追いながら思う。 こんなに綺麗なのに。 ひとりで見ているのが勿体なかった。 だって、私たちは――来年も、その先も、こうしていられるかどうかわからないから。 当たり前に思い描く未来が自分たちには無い。 ――ううん。ダメよフランソワーズ。忘れちゃ、ダメ。 先週末の彼のレースを思い出す。 ジョーは最後の最後まで決して諦めなかった。 表彰台とその後のインタビュー映像を思い出す。 彼の声。 次の第3戦までは約2週間空いているけれども、マシンのセッティングやテスト等で自由になる時間はないという話だった。 それも仕方のないことだった。 満開の桜。 けれどもいつしか彼女の目には――それらは映っていたものの――何も見えていなかった。 思い浮かぶのは褐色の瞳で優しく笑う彼の顔だった。 ・・・もうっ。しっかりしなくちゃ。 いまここに、彼はいない。 *** 「・・・ジョー。そろそろ起きた方がいいんじゃないかしら」 隣で爆睡しているジョーの肩を揺する。 「・・・ねぇ」 けれども、びくともしない。 ――死んだように。 そういえば、なんだか息もしていないような気がしてきたのだった。 「・・・ジョー?」 反応なし。 「・・・・・・・ジョー?」 いやだ、まさか本当に・・・・?! 「――っ、ジョー!?」 思わず、彼の肩を強く揺すった。 *** ここはモナミ公国にあるホテルの一室。 あれから、成り行き上ジョーを泊めることになってしまったのだ。 何しろ、ジョーは手ぶらで部屋を出てきており、鍵も何も持っていない。 「やだ。戻りたくない」 と、まずジョーが駄々をこねた。 そして 「駄目よ。言うこと聞いて?」 とジョーを説得するフランソワーズ。 「わかった。じゃあ、戻るよ」 「やっぱりイヤ。行っちゃだめっ」 そう言って、彼のシャツの裾を握り締め泣いたのはフランソワーズだった。 そんな訳で、お互いに離れる気持ちには全くなれず――フランソワーズのとった部屋に落ち着くことになったのだった。元々、ツインのシングルユースだったので全く問題はない。翌日朝早くにジョーは戻ることで話は決まった。 そうしていま、朝を迎えている。 *** 同じベッドに寝ていたわけではなかった。 レース後であり、そのあとのあれこれで疲労しきったジョーと、旅行疲れと到着後のあれこれで疲れきったフランソワーズがすぐに眠ってしまったのは当たり前といえば当たり前のことだった。 そしていま、アラームの音で起きたのはフランソワーズだけだった。 ジョーは昨夜と殆ど同じ格好のまま動かない。 「ジョーっ!?」 彼の身体に何か起こったのではと、半ばパニックになりかける。 どこか故障した? あれこれ、嫌な想像が頭を駆け巡る。 ――落ち着くのよ。 深呼吸する。 ――こういう時は、落ち着いて・・・ 彼の身体をスキャンしなければならない。そう、博士とイワンに言われている。 *** その瞬間、いきなり視界が真っ白になった。 「――?!」 何が起きたのか咄嗟にはわからない。 聞こえてくるのは、ジョーの笑い声。 「ごめんごめん。びっくりした?」 耳元でジョーの声が響いた。 ――そう。先刻まで、もしや死んだのかもと疑うくらい微動だにせずシーツにくるまっていたジョーが、フランソワーズが彼をスキャンしようとしたまさに絶妙のタイミングで彼女を組み伏せたのだった。 「ジョーっ!」 彼の腕から逃れようとじたばたもがく。 「心配したのにっ」 フランソワーズの鼻をつんとつつく。 「さっきから起きてたの?」 もうっ!と言ってジョーの頬を―― *** お互い目を覚ましてはいたものの、起きたくはなかったのだった。 「飛行機、キャンセルして一緒にマレーシアに行っちゃおうよ」 フランソワーズの髪を撫でながら。 「――うーん・・・・。一週間後にまた会うっていうのはどう?」 さて、どうしよう? その前に―― やっぱり離れ難いのだった。 *** なんか・・・怖い。 どう見ても、彼が怒っているのは明らかだった。 「・・・ごめんなさい」 だから、謝った。 いくら混乱していたとはいえ、彼女の言うことを勝手に曲解したのは私だわ。 女王が言った「ジョーとの約束」について、てっきり「ふたりがデートの約束」でもしていたのかと思っていた。でも、もしそうではなく――本当に「仕事」だとすれば。 やだ、私ったら。 けれども、結果的にそうなってしまった事は事実だった。 ジョーが怒るのは当たり前だわ。 泣いている場合じゃない。泣いたからといって許されるわけでもない。むしろ、泣いて許してもらおうと思っていると思われたくはなかった。 「あの、ジョー」 「ったく。酷いよなぁ」 お互いの言葉がかぶった。 「えっ?」 更にかぶる。 そしてお互いに黙る。 ――酷い。って、何だろう?・・・私のこと? やっぱり彼が怒っているのは私に対してなんだ・・・と思うと気持ちが挫けそうになった。 「・・・ごめ」 再び謝ろうとしたフランソワーズの言葉は、ジョーの言葉に遮られた。 「大体、君をSPみたいに使うっていうのが気に入らない。しかも使いの者みたいに扱ってただろう?なんなんだよそれ。フランソワーズは彼女の部下でもなんでもないだろうが。他に何か言ってなかったか?」 ジョーの怒りの矛先は、どうやら自分ではないらしい。 「・・・他に、って」 ――え。 「なんだかしょんぼりしてて・・・辛そうだった」 確かあの時、ジョーは歩道ばかり見つめていたはず・・・?? するとジョーはふっと微笑み、と同時にフランソワーズの腕を引いて再び抱き締めた。 「――気付かないわけないだろう?」 でも嬉しかったよ、と言いながら彼女の髪にキスをする。 「それより、何か彼女に意地悪されなかった?」 私が意地悪されるような何かがあるというのだろうか。 「あー・・・うん、まぁ、ちょっとね」 目を合わせない。 「それより、何を言われた?」 聞いたら絶対にジョーも傷つく。だから言えない。 「駄目だよ。何でも言う約束だろう?」 そんな約束をした覚えはなかった。 「やなこと言われたんだったら話して?僕も一緒にやな気持ちになって、一緒に落ち込むから」 「そんなの、俺に言って忘れてしまえ」 俺。という彼の一人称にはいつもドキドキしてしまう。 「・・・ほんとうよ?大した事じゃないの。心配性ね、ジョーは」 なんだか嬉しくなって、ジョーの胸に寄りかかった。 「あの時元気がないように見えたのなら、それはきっと疲れていたからよ。でも、いまジョーに会えたから元気になったわ」 ジョーが唸る。 「なんだかすっきりしないけど・・・まぁ、いいか」 そう言って、そうっとフランソワーズを胸に抱き締める。 ――言わないわ。ジョーには絶対。だってほんとうに大した事じゃないもの。 『盾になるくらい、できるでしょう?撃たれても刺されても、死なないのよね?――サイボーグなんだから』 傷つくのは私だけでいい。 そんな事は、ジョーが本気で自分のことを心配してくれたことに比べたらあまりにも些細でつまらない事に思えた。それに、あの時実は気付いてくれていた事も嬉しかった。 「・・・やっぱり、ジョーね」 「うん?」 ともかく、ジョーには会えた。当初の計画とは随分と離れてしまったけれど。 「そうだわ。今日のレースはどうだったの?」 顔を上げて改めて訊く。 「うん。ハードなレースだったけど何とか入賞したよ。無事完走」 そう言って、フランソワーズにくちづけた。 そう。良かったわ――という彼女の言葉は直接彼のなかに飲み込まれた。 ――来て良かった。 初めてそう思った。 やっぱり、遠くで見守ってるだけなんていや。会いたくなったら、会いに行かなくちゃ。 世界を翔ける、ジョーのストーカーだもん! そう、ウチのお嬢さんは「王子様を待ってるだけのお姫様」ではなく、むしろ「迎えに行ってしまうお姫様」なのです。王子様が来ないなら、自力で脱出し王子に会いに行くのです。高い塔でぼんやり待ってなんかいないのでした。 *** 走って逃げ込んだ先は海浜公園だった。 しばらく何も言えず――けれども繋いだ手は離さず――息を整えることに専念する。 「・・・フランソワーズ、・・・どうしてここにいるんだい」 何を措いてもまず先にこれを訊かなければと、まだ切れ切れの息遣いのなかジョーが切り出した。 「え」 繋いだフランソワーズの手が揺れた。 ――どうしよう。ジョーに説明したら、私が「世界を翔けるストーカー」だってばれちゃう・・・! もし、それがジョーにばれたら。 嫌われちゃうかもしれないっ。 それは絶対に嫌だった。 ううん。それだけじゃなく、きっと物凄く怒るわ。勝手なことをするな、って。そもそも、一緒に行こうって誘っていたのにそれを断ったくせに、って。なのにこうして来て、もしかしたらジョーの仕事の邪魔をしているのかもしれなくて―― そう思うとなんだか涙が滲んできてしまうのだった。 ――だって。そんなつもりじゃなかったのに・・・。 思えば長い一日だった。 もう。なんだか・・・ けれども、ここで泣いたら今まで我慢してきた様々な感情が噴出してしまいそうだった。 けれども。 そう思ってはいたけれど、実際には勝手に言葉が口からこぼれてしまっていた。 「――ジョーに会いたかったの」 *** え? それだけのために、ここまで来たのか? フランソワーズの言葉に、まじまじと彼女を見つめる。 ――可愛いなぁ・・・ ジョーは彼女のこの表情には弱いのだ。それはもう、絶対的に彼女が悪くても――そんなことはあまりなかったが――100%、ジョーが謝ることになってしまうのだった。そして、それを全く苦に感じてもいなかった。 ああもうっ。食べちゃいたいくらい可愛いぞっ。 そう思うけれども、まさかここで「いただきます」する訳にもゆかず――そんな事をしようもんなら、間違いなくフランソワーズに回し蹴りをくらうことは過去の経験から知っていた。 「――僕も会いたかったよ。来てくれて嬉しい」 「・・・ほんと?」 フランソワーズの髪に顔を埋めていたジョーは思わずフランソワーズに向き直った。 「――何?いま何て」 徐々に語尾が小さくなる。 「・・・彼女がそう言ってたもの。約束したのに、って」 その言葉を聞いて、一瞬ジョーの瞳を冷たいものがよぎった。 「――他には?」 ジョーの声の様子が変わったのを不審に思い、見上げると。 「あの・・・もしかしてジョー、怒ってる・・・?」 今の彼は「妙な変装」をまだ解いておらず、従って「いつもの顔」では全然なかった。 *** ――まじかよ。 もう一度言う。今度は心の中で。 ジェットはこちらに向かってやって来る二人連れを認め――軽いパニックに陥った。 ここでジョーを引き渡すわけにはいかない。 何しろ、そうなってしまったら先刻までの自分の任務が意味をなさなくなってしまう。 そして、ふたつめ。 女王とフランソワーズが出会ったのは、イレギュラー以外の何者でもない。 つまり、「計算になかった」ことである。 以上を突き詰めて考えれば、最善の策は―― 「・・なるほど」 今度は声に出して言い、ジョーを見つめにやりと笑った。 ジョーから少し離れて、彼の今の姿を検分する。 ――悪くないぞ。これなら大丈夫だ。 二人連れを横目で捉えながら、素早くジョーに耳打ちする。 「あのな。向こうに女王が来ている」 サイボーグのリーダーかたなしである。 「それでだな。オマエはここに来ちゃいけないことになってるのはわかってるな?」 なんとも頼りない返事である。 「それでだ。こうやって・・・もうちょっと帽子を深くかぶれ。で、サングラスは要らねーな。――よし。それで、この上着をこうやって――」 「あとは、そうだな・・・ジョー、ちょこっと昔を思い出してみろ」 言いつつ、既に言葉が戻っている。 「よし。これでまぁ・・・オマエと認識できるかどうかは、あとは個人の問題だな。いいか、何も喋るなよ」 普段の甘い声で喋られたら変装も何も台無しだったのだが、すっかり昔を思い出しているジョーの声は地を這うように低かった。これならますます――この人物がジョーだと認識できるのは個人の問題になった。 あとは―― ――頼むぜ、フランソワーズ。打ち合わせも何もしてねーけどな。 察してくれ。 *** 「いない?――どうして!?」 女王の声がフロアに響く。 女王さまなのにこんな声をあげるなんて・・・ ぼんやりと思っていたフランソワーズは、視線を感じて我に返った。 「――あなた。003。ジョーはどこにいるの?知っているんでしょう?」 睨みつけてくる顔は、女王ではなくひとりの女性だった。 「隠しても無駄よ。それに、彼のためにはならないわ。彼のことを思うのなら――」 お互いに見つめ合う。 沈黙を破ったのは女王のほうだった。 「――そう。あなたも彼に逃げられた、ってわけね」 最初から約束なぞしていないので、女王が言うのは誤解だったのだけれども言葉を差し挟む猶予を与えられず黙っているしかなかった。 「つまり、立場は一緒。ということね・・・なるほど」 一瞬、口をつぐみ。 「いいこと考えたわ。――これからジョーの所へ行きましょう。一緒に」 言われるがままにエレベーターに乗り込む。 「あの、心あたり、って・・・」 ひとことそう言ったきり黙る。 女王キャサリンが言う「心当たり」の場所とは、ジョー以外の彼のチームメンバーが飲み食いしているあのレストランに他ならなかった。 ――ジョーは連れて行かないというのが前提だったというのに。 彼女の目的は、おそらく仲間と共に食事をしているであろうジョーの奪還と、それ以外の人物へ請求書を回す手筈を整えることだった。 ――このままで終わらすものですか。 ちらりと横目で蒼い瞳のサイボーグを見つめる。 私と彼がどのように思い合っているのかを、その目で見届けるが良いわ。 自分が会いに行けば、ジョーは必ず一緒に来ると信じて疑わないのだった。 一方、フランソワーズは ・・・このひとがキャサリン――キャシー。どうして・・・どうしてジョーの名前を呼び捨てにするのかしら。 混乱していた。 駄目よ。絶対、嘘なんだから。騙されちゃ駄目。だってジョーは出発前にも何度も何度も繰り返していたじゃない。「僕を信じて」って。 「まったく・・・ジョーも困ったひとね」 暫くの沈黙のあと、おもむろにキャサリンが口を開く。 「約束していたのを忘れてしまうなんて。――あのひと、いつもこうなのかしら」 それはフランソワーズへの質問のようで、そうではなく――まるで恋人の悪い癖を語っているかのようだった。唇には笑みを浮かべ、優しい声で続ける。 「レースの後だから仕方ないけれど・・・ねぇ、サイボーグの仕事のときもそうなの?」 サイボーグの仕事。 ――そうだった。このひとは、私たちの体のことを知っているんだったわ・・・ エレベーターが地上に着き、ロビーにふたりが下りた途端にSPが周りを取り囲む。 「・・・もう。今日は放っておいて、って言ってたのに・・・。いいわ。ついて来てもいいから、その代わり私から最低3メートルは離れててちょうだい。――大丈夫よ。ホラ、彼女は武術の達人だから。――ええそう、だから大丈夫」 武術の達人って・・・私のこと? フランソワーズが状況について行けず、女王の言うままに一緒に歩き出したところへその耳元に小さく女王が囁いた。 「いいわよね?あなたは003なんだから――いざというときは私のことを守れるわよね?」 喉が詰まる。 「盾になるくらい、できるでしょう?撃たれても刺されても、死なないのよね?――サイボーグなんだから」 サイボーグだって――死ぬわ。 ただ、そう思った。 *** いまのところ、順調に進んでいるわ。 エレベーターの中でひとり笑みを洩らす。 ジョーのチームスタッフ全てを「無料で」食事に招待する。それも、この国最高峰の店の。しかも、何をどれだけ食べても会計はスポンサー持ち。どこのどんな知人を同伴しても良い――なんて、我ながらうまい事を考えたものだわ。 たったひとつの条件。 彼だけは、誘わない。 たったそれだけの条件で、その権利を得られる。 ――もちろん、チームの絆は強固であり、本当ならそんな簡単な条件さえ拒否されても不思議ではない。 だから・・・ いま、ここにジョーはひとりで居る。仲間に置いていかれたとも全く知らずに、無防備に。 周りの目を気にして、私を無視する必要も無い。 そんな状況なら・・・ エレベーターがフロアに着いて、自分のとめどない思いが中断された。 けれどもフロアに一歩進んだ時、そこに居た意外な人物に顔が強張った。 ――003? ――まさか、ジョーが? 幸せな思いでいっぱいだった胸が瞬時に真っ黒に塗りつぶされてゆく。 どうして003がここにいるの? *** 「ジェット。僕の救出作戦っていったいなんなんだよ」 前を歩くジェットの背に、何度目かの同じ問いを放つ。 「んー?まぁ、それは後でいいじゃねーか」 と、突然足を止めたジェットがくるりと180度回頭した。 「わっ。ば、急に止まるなよっ」 背後に親指を向ける。 「レストランでどんちゃん騒ぎの最中さ」 どんちゃん騒ぎ。という言葉がこれほど似合わない建物もないだろう。 「――え。でも・・・」 いまひとつ状況がつかめていないジョー。 「まったくイロオトコは大変だな。感謝しろよ?本当は救出してやる義理なんざないんだからな」 ぎりぎりと首筋を締め付ける。 「大体、お前を救出しようもんなら契約違反で食事代は全て自腹になってしまうんだしな」 そうなのだった。 「――だったら、僕がここに来たらまずいんじゃ・・・」 よく聞く声とともに、背中が派手な音をたてた。 いつものチームスタッフの面々がいた。 「よぉ。イロオトコ。貞操は守られたってわけだ」 口々に言いながら、ジョーの姿を各々の体の影に隠しつつさてどうしたものかと思案する。 「――ジェット。どうする?」 ジョーを救出はしたものの、その後のことは全く決まっていなかったのだった。 「ともかく、外にずっといるのも変だぜ」 口々に言って店に戻ってゆく。 「――なんだ、その格好」 ジェットが呆れて言うのも当然だった。 「・・・しょうがねーな。お前の場合、変装っていうとだなー・・・」 帽子を取り、ジョーの前髪をかきあげて帽子の中にたくしこんでしまう。 「――ほぅら。既に誰なのかわかりゃしねーよ」 両目が見える彼は、ちょっと見には「島村ジョー」とはわかりにくいのだった。遠目からとなれば尚更であり――風呂上りの彼を見たことがない者には、それはもう近くで会ってもジョーだとはわからない。 「どんなに熱烈なファンだってわかりゃしねーな。女王だって絶対にわかんねーぞ」 不機嫌である。 「まぁ、怒るな、って。いいじゃねーか。女王なんかお前のそーゆーカッコ見た事ないから絶対に安全だぞ」 いったいなんなんだよ? 「だから睨むなよ。ともかくその姿なら正体がばれないし」 間。 不自然に途切れたジェットの声に、不審そうにジョーが彼を見つめる。 「――まじかよ」 *** ――嘘っ。なにこれ・・・! 思わず手で触れる。 全然、視えなかった。・・・どうして・・・? ジョーが居る階を探す時、このゲートは目に映らなかった。全く気配もわからなかったのだ。 いくら要人警護のためといっても・・・大袈裟すぎない? 戦闘機械である自分は、戦うために創られた。その自分の能力を凌駕するということはつまり、国家機密レベルでの軍事力を有しており、そのための開発もかなりのレベルまで進んでいるということになる。 だけど、いちホテルの施設にそんな機密を使う? 何かおかしい。 このゲートの向こうにはいったい、何があるというのだろう。 自分にはこのゲートの向こう側に行く術はない。 ――とりあえず、このゲートはどうでもいいわ。 問題は、いまジョーがここにいるのかどうかだった。 ゲート自体はその存在を悟られずにいたが、そのゲートが守る先は容易に見通せた。 えー・・・・と、ジョーの部屋は・・・ 視た。 ・・・え? ゲートに手を触れたまま、額もくっつける。 なんなのっ。 *** 「お前、ちょっと退いていろ」 舌打ちをしそうな雰囲気。 ジェットはためつすがめつゲートを見て――その向こう側に居る人物の同定をするつもりらしい。 「・・・あのさ、ジェット。無理だと思うよ?」 ゲートの隙間から向こうが見渡せないかと頑張っている。 「――くそ。アリの子一匹入る隙間もないぜ」 ジェットが止める間もあればこそ。 ゲートが開く。 「ああっ!!やっぱり女じゃねーかっ」 ジェットの声が響く。 ――女? *** ゲートに額をくっつけて悶々と悩んでいると、エレベーターの到着した音がした。 ・・・この階のひとということは・・・ 瞬時に考える。 まぁ!フランソワーズったら、超ラッキー。ゲートが開いたら一緒に中に入ってしまえばいいのよ。 いまその先にある部屋にジョーはいない。ということはすっかり忘れていた。 慌ててゲートから身を離す。 ――うそ。 やはりこの国との相性は最悪だったらしい。 どうして女王がここに来るの? 降りてきたのは、女王・キャサリンそのひとだった。 *** ゲートの外に居たのは女性だった。 「――ああ、すみません」 ジェットが慌てて挨拶をする。 「・・・ったく、ジョー、お前も運のいい奴だな。もしこれが・・・だったら、アウトだったぜ」 そのままエレベーターに飛び乗る。(エグゼクティブフロア専用のエレベーターが一基あり、ゲートが開けばいつでも乗れるようにできているのである) 下ってゆく。 「・・・ともかくミッション成功」 *** かなりラフな格好をしているが、そのひとはキャサリン女王に間違いなかった。何しろ今日この国に着いてからというもの、嫌というほどその顔をあちこちで見ているのだ。見間違えるわけがない。 女王・・・よね?どうしてSPのひとりもいないのかしら? しみじみと見つめる。 このフロアのひとに何か用事があるのかしら? まぁ、エグゼクティブフロアだしね。と勝手に納得する。こんなにラフな格好でSPも連れていないとなると、お忍びなのかしら。とも思ったりする。 「――あなた、もしかして・・・」 女王が口を開く。 「――003?」 いきなりゼロゼロナンバーを呼ばれ、顔が強張った。 「003でしょう?」 重ねて訊かれる。 「――何か、事件でも・・・?」 女王の貌が曇る。 「あ、はい、イイエそういう訳ではないんです。今日は・・・」 慌てて答える。一国の君主に余計な心配をさせるわけにはいかない。 「そう。なら良かったわ」 説明しようとしたフランソワーズの言葉を最後まできかず、女王は言葉を継ぐ。 「でも奇遇ね。今日はプライヴェートなのかしら。我が国を楽しんでいってくださいね?」 それっきり会話が続かない。 女王はちらりとフランソワーズを見遣り――それはまるで、アナタ邪魔よと言っているようだった――インターホンを取った。 「――私よ。島村ジョーを呼んで」 ――えっ? 思わず女王を見ると、女王はその反応を楽しんでいるかのように唇に笑みを浮かべたまま彼女を見つめていた。 「――ええそう。さっき説明した通り。もちろん、彼も知っているわ――待ちかねているはずよ」 そうしてひとつ頷くとインターホンを戻した。 「――何か?」 インターホンを指差す。 「――いえ、私は」 後ずさりする。 *** ホテルのロビーに入ってからは、もう躊躇しなかった。 だって私は自分のカレシをストーキングする女だもん。 そう開き直ってみると、何にも怖いものはなかった。 まるで自分がこのホテルの滞在者であるかのように、迷わずまっすぐエレベーターに向かう。 目的階でエレベーターを降りる。 ――途方に暮れた。 *** 次の瞬間、開いたドアを必死で閉めようとした――が、刹那遅かった。 「お前、それはないだろーが」 ドアに手をかけたまま、こちらも一歩も譲らない。 「大体なー、居るんなら電話ぐらい出ろっつーの」 ドアを挟んでの攻防戦だった。 「なんでここにいるんだよっ」 そう。元F1レーサーのジェットだった。 「どうして、って。そりゃレースがあるからに決まってるだろ?」 ドアを閉める力が緩む。 「冷たいなぁ。俺のレースに興味がなくてもいいけどよ」 ジェットは今季からインディーズのレーサーなのだった。 「いや、そんなことは・・・」 ドアを開放しても入る気配はなかった。 「出かけるぞ。着替えろ」 ジョーの格好を上から下までチェックし、まぁいいかと合格点を出す。彼のセンスからすれば、ジョーのような格好で外に出るなどと噴飯ものではあったのだが、まぁジョーの事だしな。と、合格ラインを引き下げた。 「ほら。ぼけっとすんな」 そのままジョーを引っ張り出す。 「――あ」 ドアが閉まり、ロックがかかる音に慌てて振り返るものの時既に遅し。 「どうした?――あぁ、そうか」 ジョーは手ぶらだった。当然、ルームキーも財布も携帯も、何にも持っていない。靴を脱がずにベッドに倒れこんでいたのだけがせめてもだった。 「悪い。でもまぁ、何とかなるだろーよ」 ほら行くぞ。とばかりに背を向けるジェットに思い出したように言う。 「だめだ。このあとミーティングがあるんだ」 肩越しに振り返るジェットに続ける。 「夕ごはんのあとミーティングがあって――」 呆然。 「ホラ。ゆっくりしてられないんだ。――行くぞ」 強引に腕を掴み、引き摺るようにして進む。 「いない、ってどうして・・・だってミーティングだって言ってたのに」 仲間はずれ。 「アホ。子供かお前は」 ジェットがジョーの頭を軽く小突く。 「違うって。そうじゃなくてだなー・・・うーん・・・話すと長くなるから後で言うよ。ともかくここを出るのが先決だ」 エレベーターホールに出る最後のゲートが見えてきた。 相変わらずジョーを引っ張りながら歩くジェットは、ゲートの向こう側の人影に眉を寄せた。 「・・・遅かったか?」 その緊張を含んだ声にジョーも同じ方向を見た。 遅かった、って何が? *** 思わずドアを開けて――そのまま声もなく立ち尽くした。 先刻まで夢と現実世界を彷徨っていたので、いまひとつ思考が進まない。 唾を飲み込み、喉を湿らせ何とか発声する。 「ど――どうして、ここに?」 我ながら、起き抜けの変な声だ――と、ジョーは思った。 *** ジョーが泊まっているホテルはすぐにわかった。 が。 なんとなく、後ろめたかった。 ――いいわよ、もう。 陽が傾いてきたので、暑さがやわらぐかと思いきやますます上がる気温にうんざりしつつ歩く。 ――はいはい。私は世界を翔けるストーカーです。 自嘲気味に思う。 だって、私の「ちから」って・・・・その気になれば、史上最強のストーカーになれると思うのよ? 捕まる前に、自分の身に危険が迫っている事すら視えてしまうし聞こえてしまう。サイボーグとしての戦いよりも、現実世界はずうっと容易かった。 ホテルの一室であれこれ考えてみたものの、「こうしたい」という積極的な気持ちは見つからなかった。 だって、私ばっかり・・・・そんなの悔しいもの。 寂しいのは私だけなのかなと思い、ちょこっと悲しくなる。いつもはそんな事でこんな思いをしたりはしないのだけれど、この地が地だけにややセンチメンタルになっていた。 ――あ、でも・・・・ 昨年の日本グランプリの前にジョーが日本に戻ってきたときのことを思い出す。 そういえば、あの時は私の公演があって・・・ ジョーと入れ違いに遠征することになったのだった。 ・・・そうよね。ジョーだって、寂しかったはずよね? 軽く頬に赤みが増す。 ここにジョーが居る。 ***
3月31日
何しろ、
「目の前でキスっ???」
「いいの」
「こっちの足元に置こうか?」
「大丈夫」
「平気」
「お茶も飲めないじゃない。大体、フランソワーズ、前が見えてるの?」
「うん」
「お弁当食べるときくらい置けばいいのに」
「イヤ」
が、フランソワーズは全く意に介さず、絶対に離さない。
(というか、一体どのくらいの量なのかとうさうさ的にも気になるのでした)
「洗面所あるから、行ってくれば?」
「――ん。そうする」
「意地悪言うからでしょ?」
「だってさー・・・花束持ってやって来て、キスして帰っちゃうなんて・・・アナタ何者っ?て話よ」
「いいじゃない。フランソワーズはそれでいいみたいだし」
「だけど、だったら舞台も見ていけって話」
「んー・・・まぁ、ね。でも色々と事情があるんじゃないの。――あ、ちょっと」
「生ちゅー見たんでしょ?」
「そんなビールみたいに言わなくても」
「どうだった?」
「どう、って・・・別に。普通」
「普通??だったらアンタもそういうことするの?」
「え。しない――と思う・・・けど」
「やっぱりこう、熱烈な――」
「フランソワーズの生ちゅーの話」
「・・・ふぅん?」
「うん。飽きないわよ?」
「してないわよ」
「そんな照れなくても」
「だって、全然――」
熱烈なちゅーなんかじゃなかったもの。ちょこ、っと唇が触れただけで、全然本気じゃないキスで、敢えて言えば、お疲れ様、とか、おやすみ、みたいな挨拶のキスで、大体ジョーが本気を出したらあんなもんじゃないし、それに
窓に映る自分の顔を見つめる。ちょうどトンネルに入ったので、それはまるで鏡のようで。
「調整が予定より早く終わったから、ちょっと戻った」
「聞いてないわ」
「うん、さっき帰ったばかりだから。――フランソワーズ?」
「ジョー、ジョー、ジョーっ」
「フランソワーズ、土足っ・・・」
「ジョーっ」
「靴、履いたままっ」
「ジョーっ」
自分の首筋にかじりついてくるフランソワーズを持て余しながら、リビングに向かう。
「だって、ずーっと呼べなかったんだもんっ」
「・・・なるほど」
・・・無言の圧力。
ピュンマとジェロニモは一瞬身震いし、そーっと部屋をでることにした。
「ジョーよ。俺達に構うな」
「そうそう。お姫様に呪い殺されたくないからね」
「?」
ねっ?ジョー。
後で可哀想な目にあった花束を見つめ、フランソワーズが泣くことは明らかだったので・・・
離れたくないと駄々をこねる彼女をソファに座らせ、脱がせた靴を持って玄関に行き、花束を救出したジョーなのだった。
3月30日
「近くならなぁ絶対に観に行くのに」
広島までは、さすがに来られるはずもない。
チケットは3日分とも完売なのだった。
――頑張るから。
そうして控え室を後にした。
3月28日
練習量もそれに伴い増えていくわけであり、フランソワーズも含め団員は居残ってレッスンしていくのが常となっていた。
かなり遅くなった時だけは――邸にいる誰かが迎えに来ることになっていた。
が、その連絡をするのも何だか申し訳がなく、大抵は電車とバスを使うようにしていた。
なにしろ、いま邸にいる者といえば、ピュンマとジェロニモだけだったのだ。
ジェットは自分のレースで遠征中。
アルベルトは自国での仕事のため、帰省している。
張大人はお店、グレートは舞台。
残っているのはSEのふたり、ピュンマとジェロニモだった。
けれども、4月からのプログラム変更やメンテナンスが重なり――ふたりとも、帰宅できた時は殆ど部屋で死んでいるのだった。
そこを推して迎えに来て貰うというのは非常に言い辛く、したがって今ではどんなに遅くなっても自力で帰るようにしていた。
遅い時間だったけれども、夜桜のライトアップには間に合った。
ここは住宅街が近く、普段は静かな公園だったが、この時期だけは近くの人々が花見に繰り出しており、昼夜を問わず賑やかだった。
レーサーである彼は、毎年この時期には日本にいない。だから、実は一度も一緒に桜を見た事がなかった。
というよりも、ふたりで一緒に見たかった。そして、思い出を共有したかった。
だからこそ「いま」この時を大切にしていくしかなかった。
しかし、だからといってお互いを束縛しあう生き方は選ばなかった。
ずっとふたりでいるという選択肢はあったけれども――お互いが相手に寄りかかりそれを許容するというのは、どちらかがダメになった時にひとりでは立っていられない。
それでは駄目なのだ。
お互いを尊重するからこそ生まれる信頼。そして愛情。
それこそが何よりも大切だった。
だから、ふたりはお互いにそれぞれのやりたい事、過ごし方を束縛しないことを選んだ。
それは、ずうっと一緒に居られるわけではなかったし、実際、寂しくて仕方なくなることも多かったが、いま彼が彼女が自分の一度は失われた夢に向かって頑張っていることが、自分も頑張る原動力になっていた。
お互いに頑張る、って決めたんだから。ジョーも今頃頑張ってるんだから。
グランプリ第2戦。
予選アタックで思うようにタイムが残せず、結局、グリッドは後方になった。
けれども本戦ではピットインのタイミングやタイヤの選択もうまくいき、彼本来の走りも出来た。
その結果、3位という成績を残すことができた。
だから、今度は私が頑張るの。ジョーが頑張ったんだから、私だって。
彼の、褐色の瞳。
だから、帰国するのは無理。
そのまま調整に入るという。
シーズンインしてしまえば、結局は――フランソワーズが会いに行かない限り、会えないのだ。
舞う、花びら。
先週会ったばかりなのに、もう会いたかった。
第2戦は流しました(汗)じゃないと、あれこれ・・・間に合わないんですものっ。お嬢さん、しばらくひとりで頑張ってください。きっとジョーも頑張ってるはずですから。ええ、それはもう!
3月26日
死んだように眠っている。
フランソワーズの部屋だった。
もちろん、彼の部屋はエグゼクティブフロアなので、フロアスタッフに連絡をすればすぐに部屋へ通してもらえる。
けれども。
女王から無事に逃げる事が出来たつもりではいるけれども、いつまた彼女がやって来るのかわかったものではない。そうなれば、せっかくのジェットの「ジョー救出作戦」も無駄になってしまうし、何より――
いまホテルに帰ったところで、チームの人間はみんな飲みに出てしまっており誰もいないのは確実であるし、ひとりぼっちになるのは必至。せっかくフランソワーズと会えたのに、それを振り切ってひとりきりでホテルの部屋に居なければならない理由も意味もわからなかった。
けれども実は、理性ではジョーを帰さなければとわかっていても、感情が納得してはいなかった。
それはただのワガママだったので、とりあえず表面上でだけでも平静を装い、ホテルに戻るよう促した。
けれども。
とジョーが言った途端、
やはり、今日一日に彼女が受けたダメージは大きかった。彼女としては、それはもうかなり頑張ったのだ。
ぴったりくっつけて置いてあるふたつのベッドにそれぞれ潜り込み――手を繋いで眠りについた。
むしろ、眠る前にアラームのセットをしておいたフランソワーズが偉いというべきか。
ジョーなぞは、夕ごはんを食べてシャワーを浴びたあと倒れるようにベッドに入り――そのまま意識を失ったのだった。
上掛けの上にうつ伏せになったまま動かなくなった最強のサイボーグを寝かしつけるのは、更に多大な労力を要した。何しろ、重い。弛緩しきった他人の身体を動かすのはとてつもなく重かった。押しても引いても駄目。結局、上掛けを彼の下から引っ張り出し、そのまま彼の身体をくるむことで手を打った。
そうしてから、自分も隣のベッドに潜り込み、手を伸ばして――彼の手を握り締め眠ったのだった。
不具合が起こってる??
おもむろに目のスイッチを入れて、ジョーの頭部からスキャンを始め――
自分の目がショートしたのかと思いかけ、すぐにそうではないと気がついた。
なぜならば。
全く無防備だった彼女は簡単に彼の術中に嵌り――つまり、あっという間に彼のベッドに引き込まれていた。
目の前にはシーツの白が広がっている。
そして。
力強い腕に絡め取られていた。
「オハヨ」
「おはよ、じゃないわよ、もうっ!!」
「――何が?」
「あんまり静かだから、何か起こったのかと思って――」
「何かってなに?」
「・・・あちらの世界にいってしまったのかと」
「コラ」
「さっきは寝てた。いま起きた」
「寝たふりしてたわけじゃないのね?」
「・・・さあ?」
何故なら、起きること即ち別れることだったから。
ジョーは第2戦の地へ。
フランソワーズは日本へ。
もちろん、次の第2戦が終われば第3戦まで少し間が空くので、ジョーが帰国することは可能だったのだが――実はちょうどその時期にフランソワーズのバレエの公演があるのだった。
従って、今日までがぎりぎり遊んでいられる期間であり(だから、滞在時間最短でジョーの開幕戦を観ることに決めたのである)帰国してからはレッスン漬けの日々が待っている。
そんな訳で、なかなか予定が合わないふたりだった。
「そんな訳にいかないわ。公演も近いし、練習しないと」
「――うーん・・・」
「一週間もこっちにいるのは無理よ」
「そうだよなぁ・・・」
「そんなの」
無理ってわかってるでしょう?とは言えず。
否。
言いたくなかった。
何しろ、本音は
「・・・観に来てもいいの?」
やっぱり会いたいのだった。
そろそろ出ないと、仲間に置いていかれますよ島村さん!
終わったはずのお話なのにー・・・・もういいや。はい。続きます。なんとなーく続きます。だって「日常」は細切れじゃないもの。
3月25日
いつものジョーじゃない。
「009」でもない。「レーサー」でもない。
これが・・・「島村ジョー」?
そして、その怒りの矛先は――先刻までの会話を元に考えれば、「女王との約束を邪魔してしまった自分」に対して向けられているのに違いなかった。
何しろ、どんな思惑があるにせよ、女王は彼のスポンサーという「仕事上での関係者」なのだから。
だから、ジョーと女王がどんな約束をしていたとしても、それは「仕事」の範囲内であり――そして、自分はおそらくそうとは知らないうちに「仕事上での付き合い」の邪魔をしてしまっていたのかもしれなかった。
その可能性は大だった。
何しろ彼の仕事の邪魔をする気は毛頭無く、いま落ち着いてよく考えてみれば、女王がジョーを探していたのは当然の事であり、自分の邪推が全ての間違いの元だった。
勝手にこんなところまで来ておいて、ジョーの仕事の邪魔をしてる。
・・・そんなつもりなんかないのに。
ジョーに迷惑をかけるつもりなんてなかったのに。
だから、まっすぐ顔を上げて彼の目を見つめた。どんなに怖くても逸らさない。誠心誠意、謝罪するしかないのだから。
「なに?」
任務の時以外で、こんなに怒っているジョーを見るのは初めてだった。
「彼女、いったい君に何を言った?」
「レストランの前に来た時、元気がなかった」
「・・・見てたの?」
「だって、ジョーは一度も顔を上げなかったのに」
「ちらっと見ればすぐわかるよ。――どうしてここにいるのか、驚いたけどね」
「・・・どうして?」
去年、女王に『自分が愛しているのはフランソワーズだけだ』ときっぱり言い放ってこの国を去った。とは言えないのだった。
「・・・大した事じゃないわ」
「だめよそんなの」
「だってそうじゃないと一人でたくさん考えるだろう、フランソワーズは」
そんなのやなんだよ。と続ける。
「素の自分」「ただの島村ジョー」の時にしか使わない、彼の一人称が「俺」だった。
「・・・ほんとうに?」
「ほんとうよ?」
「ほんとうのほんとうにほんと?」
「ほんとうのほんとうにほんと」
ほんの数日離れていただけなのに、随分久しぶりに会ったような気がするのは何故だろう。
なんだかとても懐かしかった。
それに、もう忘れる――忘れた、わ。
私の。
「なんでもないっ」
ジョーはその心配そうな顔を見つめ、そして
だって私は・・・
そんな訳で、ジョーの開幕戦は終わりました。(長かった・・・)さて次は第2戦のお話っ!!(え)短くいきます!
3月24日
ジョーが場所を知っていて誘導したのか、ただの偶然なのかは定かではない。
ともかく、お互いに息が切れて――もう一歩も走れないくらい走り続けだったのだった。
何しろ、元々の目的はジョーには会わずに開幕戦を観ることだった。そしてそれが叶わなかった今は、ともかく手ぶらでは帰れないから、せめてジョーの顔だけでも見て帰ろうとそれしか考えていなかったわけで・・・どうしてここに居るのかなどという根本的な理由を説明しなければならない状況は想定していなかった。
そして。
もうちょっとで着くところを飛行機が遅延し、せっかく来たのにレースにはまったく間に合わず――タクシーも途中で降ろされ炎天下を歩き、ジョーの顔を見るのだって一度は断念したのだ。
けれども、このまま帰るのではあまりにも自分が不憫だと感じ、勇気を奮い起こしてジョーに会おうと決心した。そうして向かったジョーのホテルだったけれども彼はそこに居らず、何故か宿敵・キャサリン女王とガチンコするはめになった。
状況が掴めないまま、何故か女王と行動を共にすることになり――しかも、「サイボーグ」と蔑みの目で見られ、自分でも悔しいのか悲しいのかわからない感情に囚われ・・・
そうしてやっと会えた愛しいひとはなぜか妙な変装をしており――
異国の地で号泣するのは避けたかった。しかも、大嫌いな国で醜態を晒すのは耐え難い屈辱でもあった。
だから何も言わずに黙っていることに決めた。
うっかり何か言おうものなら、きっと泣いてしまいそうだったから。
困ったような顔をして――涙を溜めて、でも泣くもんかと頑張っている。赤く染まった頬は走ったためか、泣くのを我慢しているためなのかわからない。
もはや、自分が彼女に何を質問し、彼女が何て答えたのかも忘却の彼方だった。
ほんの数秒前の出来事にも拘らず、そんなことは彼にとって既にどーでもいいことだったのだ。
なので、そうっと手を引いてフランソワーズを引き寄せるにとどめた。最大限の注意を払って。
「うん。本当」
「迷惑じゃなかった?」
「どうして」
「だって・・・女王さまとデートする約束だったんでしょう?」
「――え?」
「だから。キャサリンとデートするはずだったんでしょう?って」
「――まさか」
「だけど、邪魔しちゃった、から・・・」
「えっ」
「他に何か言われた?」
「いいや。ぜんぜん怒ってない」
「嘘。だったらどうしてそういう顔するの」
「別に。いつもこんな顔だよ」
むしろ、両目が見えているだけに怒った時の怖さも倍増していた。
たぶん、明日で終わるはずです(予定)それはともかく、とうとう第2戦までに間に合わなかった〜(T-T)マレーシアグランプリな内容も書きたかったのにー。
3月22日 その2
混乱する理由はふたつ。
ひとつは、なぜ女王がここにやってきたのか。
ふたつめは、なぜここにフランソワーズがいるのか。
まず、ひとつめ。
女王は、ジョーがここに居るということは知らないはずである。救出作戦中、それらしい人には会っていないし、じゅうぶん注意もしてきたつもりだった。と、いうことは――女王がここに来たのは全くの偶然、もしくは――ジョーを探しにやって来た。というのが妥当なところか。
と、いうことはつまり――
「ジョーの救出作戦・失敗」
という汚点は、自分史に刻むには耐え難い屈辱だった。
望んで救出作戦の執行者になった訳ではないが、なったからには絶対に成功させなくては気がすまないのだった。
大体、フランソワーズもこの国に来ているとは知らされていなかった。が、今までのジョーの様子をみる限りでは――どうやらジョーも知らなかったと思って良いようだ。
ということはつまり――
この場合の計算施行者とは、もちろん女王キャサリンである。
フランソワーズの存在は、彼女の脚本には書かれていなかったはずである。
幸い、ジョーはまだ連れ立ってこちらにやってくる二人の女性の姿を捉えていない。
ただ、問題があるとすればそれはおそらく――ジョー自身だった。
「えっ」
「ば。見るなよ。意識するな」
「あ、う、うん」
「う?うん・・・」
肩半分をずり下げる。何ともだらしのない格好の出来上がりだった。
「昔?」
「オマエがあれこれ悪さしていた頃のことだ」
「悪さ、って・・・ひどいなぁ。大したことしてねーよ」
まったく俺に何をやらせるんだよとブツブツ言いながらヤンキー座りをする。
「――なんで」
「お?それならいいぜ。喋っても」
佳境です(たぶん・・・)。それにしても、主役はジェット??93しか書けないと思っていたけど、意外とジェットが頑張ってます。
いちばん影が薄いひとはおそらくジョー島村・・・。
3月22日
「え・・・私は」
「教えなさい」
「隠してなんかいません。私もジョーがどこにいるのかなんて知らないわ」
「――本当に?」
「ええ」
どちらも視線を外さない。
蒼い瞳とエメラルドグリーンの瞳。無言の対峙。
「ちが」
「黙りなさい。違うわけないでしょう?実際に、あなたがここに居て、ジョーはここに居ない事がその証拠」
そしてすぐに笑みを浮かべる。
「え。でも」
「心当たりがありますの。・・・さ、早くなさい」
「ついて来ればわかるわ」
見てなさい。
ジョーが居るのをこの目で見て、然るべきペナルティを――
いったい、何のためにこれまで準備してきたというの。
しかも、私の目の前で。
――わざと?
わざとなのかしら?
私がジョーの恋人だって知っていて、それで・・・わざと言ってるのかしら。――宣戦布告のつもり?
・・・まさかね。
だってそんな勝ち目のない試合を女王さまがするわけないわ。
でも、だったらどうして・・・
なぜ、彼女がこの場所に現れたのか。
なぜ、ジョーを呼び出したのか。それも、ひとりで。こんなラフな格好で。
まさかジョーとキャサリンが「会う約束」をしていたなどと、考えたくはなかった。
だから・・・信じる。
遠いこの地で、ジョーと彼女が会う約束なんてしていない。ジョーがそんなことするわけがない。
そうよね、ジョー?
はっきりと「サイボーグ」と言われたことに動揺する。
それをうるさそうに手で払う女王。
でも、何も言わなかった。
否。
言葉にできなかった。
ただ、「サイボーグ」と聞いて普通のひとが思い浮かべるのは、彼女が言った通りのことなのかもしれない。と漠然と考えていた。
今まで面と向かって言われたことがなかっただけに、フランソワーズの気持ちは重く沈んだ。
実はジョーは過去に数度、しかも知り合いからそう言われたことがあるのをフランソワーズは知らなかった。
ただ黙って女王と共に歩く。
自分はいったいここで何をしてるんだろうと思いながら。
ジョーは「砂漠」であの女にそう言われてました(ええい、思い出しても腹立つわ)。
3月21日
レース終了後なら、開放的になっていて――それこそ、色々な人たちが入り乱れて集って飲んで騒いで健闘を讃えあう。そういう場が、主催国から提供される。
誰もがたったひとつの条件さえ呑めば。
それは
『島村ジョーには言わないこと』
彼にだけは、この話をしない。
けれど。
これが、「レース後」なら。
そして、「レース後のおふざけの一環」という位置づけならば。
それはもう簡単に、誰もがこの条件を呑む。ただの「冗談」であり、「お遊び」として。
昔のふたりに戻っても――誰も見ている者はいない。
さあ。
いよいよ正念場よ。キャシー。
私のことを『キャシー』と呼ぶ愛しいひとの甘い声を、近くで聞くことができる。
笑みを浮かべ、期待に胸をふくらませ、エレベーターを降りる。
どうしてここに――
ううん、そんなこと――でも――
「よくないよ。全然、意味がわからない」
「フーン」
慌てて止まるジョーの目の前には、彼の長い鼻。
「ジョー。お前さ。全然、危機感がないみたいだから言っておくがな――」
「――うん?」
「あのまま部屋で寝てたら、襲われてたぜ」
「え?」
「女王さまに」
「・・・まさか」
「ほんとだって。だから、全員ホテルから出されてそこの――」
なにしろそこは、モナミ公国きっての由緒あるレストランだったのだから。
門構えも重厚であり、ドアの前にはボーイが控えている。――が、開け放たれた窓からは賑やか過ぎる声が聞こえてくるのだった。
ジェットは大きく息をつくと、ジョーの首筋にがっちりと腕を回した。
この勅令は、ジョーにばれた時点で「飲み食いしたぶんは全て自腹で払うこと」というペナルティが課せられているのだった。
「お前、俺達をみくびるなよ?」
痛さに顔をしかめつつ、周囲を見回すとそこには――
しかも、違うチームの輩も混じっている。
いつの間にか店のドアが大きく開いており、中から人がこちらに溢れてきていたのだった。
「ジェット、ご苦労さん」
「ほら、こんなとこにいないでさっさと中に入れ。見つからないうちに」
「そりゃ無理だろう。店の人間が見てるんだから」
「うーん。どうすっかなぁ・・・」
ともかく、今回の「女王の勅命」は魅力的ではあったけれども――誰もが「ジョーをイケニエにしてまで」従う義理はないと思っていた。だから、勅令を受けたフリをして全員が移動し、その後改めてジェットがジョーを連れてくる。という算段をした。
そしてそれはうまくいったのだったが。
何しろ、「ジョーが来た」もしくは「ジョーにばれた」と公国側の人間に知られてしまったら、その時点で全てが自腹になるのだ。
そのくらい、大した額ではない。が――こんな馬鹿馬鹿しい出費はゴメンこうむりたいのだった。
「――だな。とりあえず戻るか」
「ジョー、これ使っとけ」
「これもやる」
「これもだ」
ジョーに各々の持ち物を与えて。
サングラス。
帽子。
怪しい色柄の上着。
それらを何にも考えずに身につけてゆくジョー。
まったく彼に合ってないサイズに似合わない色合いのものばかり。
実際に、以前ジョーの前髪が短くなった時などジェットは至近距離で彼に会っても毎回敵と間違えていたくらいなのだった。
「・・・・そりゃどうも」
勝手にサングラスをかけられたり、上着を着せられたり・・・果てはジェットに髪をいじられて。
説明は聞いたものの、いまひとつ現状を把握していないジョーにとって、これらの仕打ちはただのいじめとしか受け取れないのだった。いじめ――たちの悪いおふざけ。レース後の酔っ払い集団による恒例の。
「安全、って・・・・」
「・・・・ばれるよきっと」
「大丈夫だって。お前のその顔みてお前だとわかる奴なんて――」
ジェットの視線はさっき自分たちが来た方角に向いていた。
終わりません・・・・。
3月20日 その2
硬質のそれは、どう見ても触ってもガラスに間違いなかった。
なのに。
私に視えないなんて・・・
そんなの変。
どこか、変だ。
「島村ジョー」に用があるといってもアポイントがないという時点ではねられるのは明らかだった。
かといって、本人に直接電話をするのもはばかられた。第一、何と言えばいいというのだろう。いまホテルにいるんだけど出てこれない?などとは、いくら自称・世界を翔けるストーカーでもできない相談だった。
何しろ、いま彼女は日本にいることになっているのだから。
先程感じた違和感は、それもあった。
大事なのはゲートの先なのではないか?なのにどうしてそこから先は全く問題なく視えるのだろうか。
とりあえず、その疑問は棚上げした。あとでゆっくり考えることにしても罰は当たらない。
が、そこはもぬけの殻だった。
いないの?
――今日の私は呪われてる。やっぱり、この国との相性が最悪なのよ・・・・っ!
「えっ?」
「いいから」
仕方なくジョーは数歩、脇に寄った。
「ああん?どうしてだよ」
「だって君はそういう機能は持ってないし」
「今はそういう場合じゃないんだよ」
「・・・?」
「何しろ、ここで鉢合わせしたら俺様が来た意味がなくなっちまうしな・・・」
「あのさ。よくわからないけど・・・普通に出ればいいんじゃないか?」
「おい、待てよっ。だからだな、俺様が心配しているのはもし向こうに居るのが――」
ジョーは全く普通にゲートの前に立ち、外に出ようとした。
そうして、いったいどんな人物が来たのかとエレベーターの方を見つめ――固まった。
何しろ、降りてきたのは・・・いま一番会いたくない人物だったのだから。
が、見知らぬひとだった。
「そうなのか?」
「ああ。まぁとにかく急げ」
「ミッションてなんの」
「お前の救出作戦」
「・・・なにそれ」
「後でゆっくり話してやるよ。とりあえず、みんながいるところに行くぞ」
しかし。
「あ、はい。ありがとうございます」
「あ、いえ・・・」
「あなたも約束の方と連絡をとらなくてよろしいの?私はもう済んだからどうぞ」
そのままエレベーターに向かう・・・つもりが、足が動かなかった。
ガチンコです〜。初対決!???ですが、泥沼にはなりませんし、もちろん修羅場にもならないのでご安心ください。
それにしても、なぜこういう展開になったのか謎です。当初の予定では、ここで93が無事に再会するはずだったんだけどなー。
3月20日
彼女を止めるものはなにもない。
ジョーが居る階もわかっていた。やだやだと言いながらも、自らの大義名分で自分をくるみ――必要な情報は全て入手済みだった。
そうして――
「寝てたんだよ」
「なら、もう起きただろ」
「やだ。寝る」
闖入者を防ごうと防戦一方なのは、本日のレースで入賞したレーサー。
そして、突破口を開こうと力まかせにドアを引くのは・・・
「いいじゃねーか。入賞祝いだ」
「要らないっ。疲れてるんだ。僕は寝るっ」
「まだそんな時間じゃないだろーが。いいから開けろ」
「嫌だっ・・・だいたいどうしてここにいるんだよ、ジェット!」
「レース?」
「明日、インディーズのレースがここであるんだよ――知らないのか?」
「・・・知らなかった」
「インディーズ」とは何か?F1の格下の、賞金稼ぎが集うサバイバルレースである。荒い走りをする者ばかりだが、度胸とテクニックがある者は一度は挑戦するカテゴリーだった。ちなみにジョーもずうっと昔はそこで自分のテクニックを試していたものだった。
今季、ジェットが移ったのはもちろん賞金稼ぎのため――などではなく、すっかり大人しくなってしまったように感じる自らの走りを改善するためだった。以前の自分の走りを思い出し、更に磨きをかけるため。
「いいっていいって。ま、お邪魔するぜ・・・と言いたいところだが」
「?出かける?」
「ああ――ま、いいか。そのまんまで」
腕を引かれたまま、数歩廊下に踏み出したジョーの背後でドアがゆっくりと閉まっていった。
「ミーティング?」
「んなもん、ないぞ。たぶん」
「――え?」
「もぬけのカラ。お前のチームの奴らはどこにもいない」
「――なんだって?」
廊下に突っ立ったままのジョーを苦笑して見つめる。
「だから、ミーティングは中止になったんだろーよ。今頃みんな食事に行ってるぜ」
「食事?なんで。だったら声をかけてくるはずで」
「だーかーらー。それはだな、お前を連れて行くわけがないんだよ」
「・・・なんで」
という嫌な言葉がジョーの脳裏に浮かぶ。
半透明のそのゲートは、このフロアを守る砦だった。
エグゼクティブフロア。
その中でもセキュリティの高いこの階は、関係者でない限り絶対に中に入れない仕組みになっている。
エレベーターを降りると左右にあるゲートを通らない限り、どの部屋にも行けないのだ。
もちろん、傍らにある電話で同じ階にあるスタッフルームに来訪目的と氏素性を明らかにすればいいのだが、それでも前もって約束があるかどうかによりゲートが開くかどうかは違ってくるのだった。
更に、そこを通過できても次に待つのはスタッフルームであり、来訪目的及び滞在者との関係を明らかにしなければならない。そこでスタッフが滞在者に連絡を取り、心当たりがないということであれば即刻速やかに外に出されるのだった。
そのゲートも中から外に出るのは何の問題もない。
確かにゲートの前に人影があった。
しかし。
今日はどんどんいきます(たぶん)。いい加減、自分で書いていてもじれったいのですよー。つくづく、連載体質ではない私・・・。
3月19日 その2
しかも、声を出そうにも喉が乾いていて途中でひっかかってしまっていた。
何しろ「目」を使ってしまったのだから。
しかも、絶対に捕まらないし。
ジョーの姿を観たかったけれど、それは「会いたかった」というのとは別物だった。
何しろ、寂しがるにはまだ早い。つい数日前に離れたばかりなのだから。
いま、彼女を動かしているのは「はるばるここまで来て、手ぶらで帰るのは何だか悔しい」という思いだった。いくぶん、打算的な考えかもしれなかったが――とはいえ、それが自分に対する大義名分なのだということも実はちゃんとわかっていた。何しろ、どんなキレイ事を並べて自分をごまかしても、結局はジョーに会いたいというただそれだけが全てだったのだから。
でも、悔しいので認めない。
だいたいジョーはいっつも、あっさり「じゃあ行ってくるよ」ってかるーく言って出かけちゃうけど、実際には数ヶ月会えないことだってあるのに。
その朝、ジョーは帰ってくるなりフランソワーズのことをなかなか離してはくれなかった。
その日のことを思い出し、幸せな笑みを洩らし――うっかり行き過ぎそうになって慌てて後戻りする。
そしてホテルを見上げる。
日本グランプリのときの話は「いつでもLoving」という新ゼロオリジナルにあるお話です。が、これはいまお嬢さんが勝手に回想しているだけで何にも関係ありません。それにしても、最近はふたりがなかなか会えないのばっかり書いているような気がします・・・
ホテルにチェックインし、シャワーを浴びて着替えたら少しスッキリした。そうして改めて考えてみる。 ・・・私ったら、ばかみたい。何してるんだろう・・・ 予定では、空港からサーキットに直行し、レースを観るはずだった。もちろん、フォーメーションラップには到底間に合わない。けれども、何週目かから観られればそれで良かった。ジョーが途中でマシンを降りるなどとは最初から想像すらしていない。レースの大詰めと、彼がチェッカーを受けるところが観られればいいと思っていたのだった。 日本を経ってから十数時間が経過している。移動に次ぐ移動で殆ど休んでいない。何しろ空港に着いてからは、レースの進行がどうなっているのか気が気ではなく、気持ちにも余裕がなかった。 だって、ジョーは私がこの国にいるなんて知らない。言ってないもの。なのに、急に私がジョーのホテルに訪ねて行ったら・・・ 思わず顔を両手で覆う。 だめよ。 私って物凄いストーカーみたいじゃない!! 日本とモナミ公国をまたにかけるストーカー。それが私。 そんなの、やだ!! ベッドに転がり、足をばたばたさせる。シーツに突っ伏して、小さくやだやだと繰り返す。 だって、私はジョーに会いに来たわけじゃないもん!! しばらく心ゆくまで悶絶してから、改めて起き上がり、手のなかにある携帯電話のフラップを開ける。 ・・・ジョー。 見つめる画面の上に大粒の涙が降ってゆく。 だって、勢いでこんな遠くまで来ちゃって――なのに、あなたのレースも観れなくて。 ジョーの仕事中に彼のそばに行ったことは今まで一度もなかった。それが、日本グランプリであっても。 だってジョーはレーサーの顔になったら、レースの事しか考えない。レースが終わってからもチームスタッフとの打ち合わせが続くから、しばらくは私の事なんて思い出さない。 そして、未だに電話は沈黙を守り続けている。 待ちうけ画面に降った自分の涙を指で拭う。 こうして泣いてたって仕方ないわ。 とはいえ、ジョーがどこに泊まっているのかも知らないのだった。 |
一体、この国はどうなっているのか? という疑問は何度目だっただろうか。
***
――全くもう。 ただでさえイライラしている上に、先刻からどこを向いてもキャサリン女王の顔が目に入り、更に不快指数が増していく。 この国が嫌いだったのだ。 なのに、どうしてここにいるのかしら私。 カートを引く歩みもいつしか速度が落ちていた。最初は怒りにまかせてずんずん歩いていたものの、落ち着いてくると――外気の熱さと荷物の重さと旅の疲れの三重苦に襲われた。気分は最悪だった。 もうぜっっっっっっっっっっっっっったいに来るもんかと思ってたんだから。 軽く拳を握る。 大体、ひとのカレシに手を出すなんておかしくない? 呪文のように唱えながら炎天下をひたすら歩く。 ――それに、なんなのこの天候っ。 その悔しさを思い出すと涙が滲んでくる。 今まで開幕戦のときは公演が重なって、観たくても観られなかった。だから、公演先のテレビニュースだけが頼りだった。でも、今年は運よく重ならなくて、観に行こうと思えば行ける日程だった。 だって・・・ただでさえ、モナミ公国での試合っていうのでピリピリしてたもの。行けば必ず女王と会わなくちゃいけないし。もし私が行く、って言っていたら更にナーバスになって・・・ああもう、想像したくもないわ。 予選は諦めて――どうせジョーは通過するのに決まっているので――決勝だけを楽しみにやって来たのだった。 なのに、なんにも観られなかったなんて。 悔しさに再び視界が滲んでくる。 飛行機が遅れた結果、開幕戦はとっくに終わっており街は試合後の喧騒に包まれていた。 それもこれも、みーんな女王のせいなのよっ。 それは半分、言いがかりだったのだが今の彼女には何を言っても無駄だった。 嫌い嫌い嫌いっ。 目尻に涙が浮かんでくる。 ジョーのばか。
*** |
モナミ公国での開幕戦は炎天下のなか行われた。 今季はちょっと厳しいなぁ・・・ 入賞は果たしたものの、改めて「勝つことの難しさ」を痛感するジョーなのだった。 昨日のタイムアタックではいい数字が出ていたのに。 そう思うと悔しさが募る。 ともかく、無事にゴールできたということだけでもヨシとするか・・・。 軽いミーティングのあと、着替えて車に乗り込む。 仲間と談笑しつつ、投宿しているホテルに戻る。 さすがに疲れた。 ベッドに座り込み、携帯を取り出す。 ――ほんと、大変だったんだよ。何しろ、女王が観に来ているわけだろ?いつも通りってわけにはいかなくてさ。・・・しかもウチのチームは特に。――まぁ、確かに女王はキレイで可愛かったよ。それは認める。それに、今回は節度ある態度で接してくれたし。・・・そういうことなら、こっちとしても邪険にする理由はないから、会話だってするさ。・・・いつまでそうなのかはわからないけれど。 ――それにさ。『あら。フランソワーズさんはご一緒ではなかったの?』って訊かれちゃったんだぜ。 レーサー・島村ジョーになると、一切の事は忘れレースに集中するのが常だった。 ――どう思う? ・・・これは全て、ジョー島村の心の声である。どういう訳か、レース後のちょっとした時間にはこうして携帯待ちうけ画面を見つめて心のうちを語ってしまうのである。だったら、待ちうけ画面の相手と直接電話でもすればいいものを、それはしない。常に時差のことを考えているのだ。そして、こうして――待ちうけ画面の相手には絶対に言ったりはしないことも――心の中で語ったりするのが彼なりのストレス発散でもあるのだった。 ――君を一緒に連れて来ていれば、「ええ。もちろん一緒ですよ」って答えることができたのになぁ・・・ そうして携帯画面に軽くキスをすると携帯を閉じた。 数分後、彼の携帯が振動した。 更に数分後。 ――なんだろう?今日の反省会かな。 それはいつも夕食後のはずだったが。 「――誰?」 いちおうドア越しに声をかけてみる。メンドクサイので魚眼レンズで確認はしない。チームクルーは何かとイタズラを施し、見えないようにするか変な顔をしてみせるか・・・あれこれ意表を衝いた演出をしてくれるので反応するのが嫌なのである。 「ジョー?」 聞き覚えのある声だった。一気に意識が覚醒した。
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ジョーはしばし呆然と立ち尽くした。あまりのことに声も出ない。 「・・・ジョー?」 「どうしたのよ、いったい」 「・・・・・・・・・・動いてない」 動かないジョーから視線を外し、近くのビルのウインドウに飾られている春物の洋服に目を遣っていたフランソワーズは、ぼそりと言われたジョーの言葉に再び意識を彼に向ける。 「・・・・・・・・・・・・・・エレベーター」 こっくり頷く彼の視線を辿った先には・・・ 『悪天候のため展望エレベーターは運転を中止中』 ここは「横浜みなとみらい」地区。 天気予報では夜半から雨だということだったので大丈夫だろうとフランソワーズとふたり、横浜デートに来たのだった。けれども、予報よりも早く昼前には土砂降りの雨になってしまっていた。 「・・・・・・・・・フランソワーズが夜景を見たがってたから」 「ね。クイーンズスクエアの方に行ってみましょ?春物のお洋服とか見たいわ」 フランソワーズに引かれるままに歩を進めるジョー。 「ジョー。もっと本気で歩いてよぉ。重いー」 どうしてこんなに落ち込んでいるんだろう?・・・・という理由は知っているので訊かない。 「昨日、約束したのに」 まだひとりブツブツ言っている。 「別にランドマークタワーは関係ないじゃない」 立ち止まり、いたずらっぽく笑むとジョーの耳元に小さく囁いた。 「ランドマークタワーの展望室に行って夜景を見たカップルは別れちゃうんだって。知ってた?」 「――えっ!!」 そのあとジョーの機嫌が直ったのは言うまでもない。
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「――そういえば、フランソワーズっていつも同じだよな」 食後のコーヒーを皆で飲んでいる時、突然ジェットが言った。 「何よ、急に?同じって何が?」 フランソワーズがジョーの膝に手をついたまま聞き返す。二人は仲良く並んでソファに座り、ジョーの膝の上でお互いの手を握り合っていた。(当然、周囲は黙殺している) 「いや、ホラ」 「あら。時々、まとめているわよ?お料理のときとか」 見つめ合っている二人を微笑ましく――もしくは、全く意に介さず、会話は進んでゆく。 「でさ。闘いの時もそのまんまだろ?邪魔じゃねーか?」
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確かにフランソワーズの言った事は正しかった。 が、しかし。 男性全員の「単に違う髪をした彼女を見たかっただけ」というのが真意であるかのような提案は、即時却下されたのだった。 と、いうのは。 フランソワーズが索敵のため、四方に視線を飛ばし、遠方に意識を集中させているとき――突然振り向いたり、突然顔の向きを変えるのだが・・・その時、彼女の至近距離にいた人物は、全員が例外なく彼女の「髪」にひっぱたかれたのだった。
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「だから言ったのに」 ひとり怒っているのはフランソワーズ。 「そんなに怒るなよ。みんな君が髪を変えたらどのくらい可愛いんだろうって期待してたんだから」 「・・・ジョー?」 「・・・自分の部屋で着替えればいいのに」
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傘に当たる雨の音。 さっきまで気付かなかったけれど、結構降っていたんだな・・・ ぼんやり思いかけ。 ――傘? そういえば、自分は傘なんて持っていなかったことを思い出す。顔を上げると、透明のビニール傘がさしかけられていた。その傘を辿ってゆく。柄を持つ白い指先。そして、雨に濡れる亜麻色の髪。 「・・・フランソワーズ」 ジョーに傘を持たせ、自分は彼の髪や顔をタオルで拭ってゆく。 「ごめんね、他の着替えと一緒にしてたからちょっと汗くさいかもしれないけど我慢してね?」 そう言いながら、ジョーの肩も拭く。 「いつもタオルは2枚持ち歩いているんだけど、今日はうっかり使ったのと一緒にしちゃってて」 「――うん・・・。雨が降ってるの、気がつかなかった」 フランソワーズが目を見開き、ジョーを見つめる。 「・・・ごめん。遅くなって」 そんなことないわよ――なんて、嘘っぽいわ。だって私はたくさん待ったもの。心配もしたし。 「そうよ。遅いわよ、ジョー」 少し膨れてみせる。 うなだれていたジョーは、どこか茶化すようなフランソワーズの声に顔を上げた。 「なに?100字以内って」 軽く腕組みをして、ひとりブツブツ言っているジョーを見つめる。 ――ほんと。素直っていうか、ばかっていうか・・・ 「えーっと・・・け・い・た・い・の・で・ん・ち・が・き・れ・て・・・12、れ・ん・ら・く・が・で・き・な・か・っ・た・ん・だ。・・・これで25。――あっ、フランソワーズ、句読点も入れるの?」 腕組みを解いて、指を折って文字数を数えていたジョーの腕に手をかける。 「なによそれっ。ふらふら、って」 至近距離でジョーの瞳を捉える。 「――なんてね。嘘」 対するジョーは、いたずらっぽく微笑み舌を出した。 「そんなわけないだろう?――全くもう。信用してくれ、って何度も言ってるのに」 そう言うと、そうっと腕を回してフランソワーズを抱き締めた。 「――遅れて本当にごめん」 それだけ言って黙る。言い訳はしない。フランソワーズを探している間、色々な「遅れた理由」を捻り出していたものの、結局、何も言わない事に決めたのだった。 言い訳したって、僕が遅れたことは事実。連絡がつかなくなってしまったのも僕のミスだ。 フランソワーズに「ごめん」だけを繰り返す。それ以外をする気は全く無かった。 「――電池が切れちゃったのね?」 一瞬、フランソワーズが黙る。 ジョーは次にくるべき質問に心理的に身構えた。「そもそもどうして遅れることになったの?」という。 その話は、今ここではしたくなかった。 「――どうして傘もさしてなかったの?」 「――え?」 予想していたのと全く違うことを訊かれ、思わずフランソワーズを自分の胸から離し、まじまじと見つめた。 「駄目でしょ?車にちゃんと置いてあるのに。忘れてたら意味がないわ」 「それから、こんなびしょ濡れのまま雨に打たれてるのも感心しないわ。風邪ひいたら看病するのは私なんですからね?」 「それから・・・この場所から動いちゃってごめんね。せっかく来ても私がいなかったら・・・意味がないもんね」ごめんね。と小さく言い、もしかして私のこと探してた?と重ねて小さく訊いてくる。 「・・・ちょっとだけ」 ジョーに回していた腕をほどき、先刻からずっと大事に握り締めていた紙袋を振ってみせる。 「これ。見つけたの。博士とジョーが好きな豆大福っ。ちょうど駅ビルに一時的に出店しててね、それで・・・ジョー?」 ジョーの頬にそっと手をあてる。そうして自分の方を向かせると、そのまま彼の首を抱き寄せ、自分の肩に引き寄せた。 「――しょうがないわねぇ。会えたんだから、泣かないのよ?」 それは僕のセリフだよ。 というジョーの声は雨音に消されてしまった。
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――こういう時、映画やドラマなら・・・「お嬢さん、お困りですか」って声をかけられて、傘をさしかけられるんだわ。それから、一緒にお茶を飲んで、食事をして・・・恋やロマンスが始まったりする。 なんてね。 そんなこと、実際に起こるわけがないのに。 一向にやまない雨空を見つめ、ぼーっとそんなことを考えたりしていた。 全く。映画やドラマのようなことなんて――それこそ絵空事。そんなシチュエーションなんて有り得ない。 軽く息をつくと、今度はもう少し建設的な事を考えてみた。 ともかく、どこかで傘を買わなくちゃ。そして、お茶が飲める所に移動しよう。 冷え切った手をさすり、握ったり開いたりする。 ・・・よし。 ひとつ大きく頷くと、雨の中に踏み出した。大丈夫、さっきより小降りになってるわと自分に言い聞かせて。
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いったい、ジョーはどこで何をしているのか。こちらに向かっているのか。自分はこのまま待っていたほうがいいのか。だとすれば、いったいあとどのくらい待てばジョーに会えるのか。 ――帰っちゃおうかな。 時間を確かめ、駅方面を見つめる。 こんなに遅れているんだもの、私が帰ってしまっていてもジョーは怒らないわ。 コンビニで傘を調達し、近くの自販機で缶コーヒーを買い指を暖めながら。 ――もし、本当に「何か事件が」起こっているのなら。 あと、考えられるのは・・・ ・・・・・。 何も無かった。 自分が思いつく限りの回答は出尽くした。 駅に着いた。 傘をたたんで、バッグからカードを取り出す。 そして改札口に向かって歩き出した。
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私って、バカなのかもしれない。 駅を背にして向かうのは、ジョーとの待ち合わせのいつもの場所。 改札口の前まで来て、そうして――帰るのをやめた。 ――いいもん。 雨は先刻より激しくなっていた。 ・・・だって。もしジョーが来ていて、そこに私がいなかったら絶対心配するもん。 我ながら馬鹿だとはわかっていた。何しろ、彼を待つにしても――「本当に」彼が約束を忘れていないのかというと、それは定かではない上に、これから更に何時間待てば彼が来るのかも全くわからないのだから。 ――いいの。それでも待つのよ私は。 ふっと口元に笑みが浮かぶ。 だって・・・ジョーに会いたいもん。 ジョーの事をね、「かっこいい」って言う女の子はたくさんいる。そして、彼がそういう女の子たちを守っている時は、確かに凄くかっこいい。強くて頼りになるし、そんなひとに大事に守られたら、彼を好きにならないわけがないしずうっと一緒にいたい、って思ってしまう。 ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・だめ。教えてあげない。 だってそれは、私だけの秘密だから。かっこ悪いジョーの方が好き、なんて誰にも絶対に教えない。 あの闘いではこうだった、その時ジョーはこう言った、あの時だってジョーはそう言っていた・・・と、ジョーの姿を思い浮かべた。 だから、向かう先にジョーの姿を見つけた時――現実との境界が曖昧で・・・それと認識するのに少しだけ時間が要った。 「・・・・っ」 走り出そうとして思い留まった。ふうっと眉間に皺が寄る。 ・・・なんだか様子が変。 ・・・どうしてびしょ濡れなの?車の中に傘があるのに・・・ そして。 ――もしかして・・・やだ、泣いてる?? |
駅ビルの中の全てのショップを見て回った。 どこにもいない。 思いついて、彼女のバレエ教室があるビルまで行ってみた。が、共用エントランスは既に閉ざされていた。 ・・・フランソワーズ。 公衆電話が目に入ったが、ジョーにはそれを使うことができなかった。 せめて君の番号くらい憶えておけばよかった。 砂を噛むような後悔も今は虚しい。 ひとりでギルモア邸に帰ったのだろうか?電車に乗って。 ・・・フランソワーズ・・・。 うなだれた彼の首筋を流れるのが雨なのか汗なのかわからない。ジョーにとってはどうでもいいことだった。 ゆっくりと、いつも待ち合わせしている所――ストレンジャーを停めた場所へ戻る。 ともかく、どこの店にもいないのだから・・・もしかしたら、やっぱりいつもの場所に居るのかもしれない。 あまり期待はせずに歩く足取りは重い。 何しろ、当初の待ち合わせ時刻よりも3時間が経過しているのだ。 ・・・長すぎる。 屋外で人を待つには2時間というのは長い。 ――フランソワーズ。ごめん。 まさか携帯の電池が切れているとは思わなかった。 あれこれ言い訳してみるものの、どれも嘘くさく、うわべだけ取り繕っているように思えた。 ・・・こっちに来る直前に、仕事仲間の子の送別会に誘われて、それであっという間に時間が経って・・・。 半分、真実を混ぜてみたが、それではまるで「フランソワーズのことをすっかり忘れていた」と言っているのに他ならないことに気がついた。 違う。 ――ただ、あの場を去れなかっただけだ。 ・・・仕事仲間の子に、今日づけで辞めるからどうしても一緒にお茶をしてくれと言われ、断れる状況ではなかった。少し話すだけのはずが、気付いたらあれこれ悩み相談になって、それで・・・・。 駄目だ、こんなの。 ・・・だけど。 彼女の話を聞きながらも僕は――君にずっと心の中で謝っていた。ごめん、って。 どうにかストレンジャーに辿り着く。 ・・・フランソワーズ・・・。 力なく車に手をかける。 だから、いつの間にか自分の周りだけ雨が降っていないことにもすぐには気付かなかった。 |
フランソワーズがいない。 約束の時間からかなり遅れていつもの待ち合わせ場所に着いたジョー。 カフェまでは徒歩数分だったので、ストレンジャーを降りて走ってきたのだった。当然、傘もさしていない。 フランソワーズ。 思いかけ、腰のポケットから携帯を取り出す。 ――え。嘘だろっ・・・・ 携帯の液晶画面は真っ黒だった。ウンともスンとも言わない。何度電源ボタンを押しても反応なし。 マジかよ。 電池切れ。それを理解した途端、ジョーの頭のなかはパニックになった。 だから、フランソワーズから何にも連絡がこなかったのか? まだなのかとか先に帰るわねとか、あれこれ・・・電話もしくはメールが何にもないのはおかしい、と頭の片隅では思っていたのだが、彼女のことだから呆れつつも待っているに違いないと決め付けていたのも事実。 ――だってフランソワーズはそういう子だ。 では、いま彼女はいったいどこにいるのか? 居るとすれば・・・駅ビルとか。かな。 以前、彼女と一緒に行った場所を思い浮かべる。そのなかでも駅ビルの登場率は高かった。 ![]() (C)空・海さま
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駅ビルで春物コートを見たり、可愛いサンダルを試してみたり。 そろそろ連絡がくるかしら。 時間を確認し、再び待ち合わせ場所へ向かった。 とりあえず、近くのビルの軒先へ駆け込んだ。 まだ着いてないのかな。 到着していれば電話がくるはずで、それがまだないということは・・・まだ渋滞中なのかしら。とちょっと首を傾げ。けれども、いつも通る道はそんなに渋滞はしないはずだった。ラッシュアワーにもまだ少し早い。 雨は強くなるばかりで一向にやむ気配はなかった。近くにコンビニでもあれば傘を買うこともできるのだが、あいにく約500メートル先に一軒あるきりだった。そこまで行く間にかなり濡れてしまうだろう。 きっとそのうちジョーから連絡がくるから、そのまま迎えに来てもらえばいいし。 右手に提げた紙袋が濡れていないことを確かめ、満足そうに頷くとそっと空を見つめた。
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ジョー、遅いな。 本当に何かあったのかしら。 雨が降り出してきてから気温が下がり、微かに息が白く見える。 もしも運転中だったら、電話なんかすればジョーが困る。メールだって・・・運転中だったら見て貰えないから同じことだわ。 だから、ジョーからの連絡を待つしかなかったけれども。 ――ちょっとずるしちゃおうかな。いいわよね。非常事態だもの。 普段の生活で「ちから」を使うことは極力しないようにしていた。それが「日常生活」であり、何よりも大切な「普通の日々」だったから。 ・・・こっちに向かっているんじゃなかったの? 自分との約束を忘れたわけではないことは、ちゃんと遅れる旨をメールで知らせてくれたことでわかっている。が、そのメールから既に約2時間が経過していた。その間に彼に何があったのかは知る由もないが、「何か」が起こり――約束そのものをすっかり忘れてしまっているという可能性も捨て切れなかった。 一度なんて、ルーレット対決を見ててすっかり夢中になって。私がホールドアップされているのを見て、あっ忘れてたという顔をしたんだから。 その時のことを思い出し、ちょっと膨れる。 ひどいわよね。あの時、私はジェットの秘書で(ジェットはどこかの大企業の御曹司という設定だったのよね)ジョーは運転手で・・・二手に分かれて捜査をしているはずが結果的には私ひとりだけが真面目に捜査してたんだから!大体、どうして私を忘れちゃうのよ? そんなことを思い出していたら、やっぱり彼は約束自体を忘れてしまったのではないかと不安になった。 |
3月は別れの季節というけれど・・・。 時間が気になるけれども、腕時計を見るわけにもいかずジョーは途方に暮れていた。 ――フランソワーズ、ごめん。
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ジョーから「ごめん。少し遅れる」とメールがきたのが5分前。 『ごめん。一時間くらいかかるかもしれない』 一時間も? 一時間の遅れというのは尋常ではない。まさか彼の身に何かあったのかと彼の電話番号を呼び出し――かけて、やめた。 ・・・渋滞してるのかしら? 考えられる無難な答えはそれしか思い浮かばなかった。 「・・・あら」 いつものカフェは貸切だった。
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話は数時間前に遡る。 ジョーはシーズンイン前のスタッフミーティングに出席していた。 「あれ?どうしたの?」 彼女はジョーのチームのキャンペーンガールのひとりだった。 「あの・・・」 対する彼女はうつむきがちで、言葉も消え入りそうに小さい。 「ん?なに?」 ジョーのストレンジャーの前に居たということは、彼を待っていたのに違いない。が、ジョーを認めてもなかなか用件を切り出す様子がみえない。 「――ごめん。ちょっと急いでるんだ」 運転席に向かうジョーに、慌てて顔を上げた。 「待って。お話したいことがあるんです」 ――困ったな。本当にぎりぎりなんだけど。 けれども、目の前の女の子の切羽詰った必死な様子に、ともかく話だけは聞こうと思うのだった。 「あの、私・・・今日づけで辞めるんです」 キャンペーンガールというのは、一見華やかに見えるけれども実は過酷な仕事だった。 「・・・そう。寂しくなるね」 彼女はよく、ジョーのレースの際にひとこと「がんばってください」と言ってくれたものだった。 「それで、・・・もう、島村さんにも会えなくなってしまうし」 ジョーのひとことに勇気を得たのか、頬を染め、目には涙を溜めながらもじっとジョーの顔を見つめて続ける。 「最後に、・・・一緒にお茶を飲んでもらえませんか?」 お茶なんて、事務所でしょっちゅう一緒に飲んでいたはずだけど? ジョーの心中を読んだのか、更に続ける。 まずい。 迂闊な自分に心の中で舌打ちをする。 「あの、僕は」 ジョーの言葉を遮るように言われる。 「・・・知ってます。島村さんに決まったひとがいるのは。週刊誌も記者会見も見ました。でも」 ジョーが何かを言う隙を作らぬよう、早口で続ける。 「でも、私、せめて最後に一緒にお茶を飲んでいただけたら、それでいいんです。何にも期待してません。その、・・・思い出に、それだけでいいんです。だから」 必死な様子にそっと天を仰ぐ。 ――フランソワーズ、ごめん。 「――わかった。いいよ。どこに行く?」 それは確かに本心だった。 |
「――いいよ、フランソワーズ。自分でできるよ」 おひな祭りといえば、五目ちらし寿司。と言いたいところだったけれど、うちは各国の人が集っているため食べられるもの・食べられないものが様々である。なので、折衷案として思いついたのが手巻き寿司。 最初は、各自好きな具をのせて巻いて食べていたのだけど・・・。 ジョーはどこか不器用で、さっきからごはんをこぼしたりノリが途中で分解したりと危なっかしい。 「ジョー、次はどれにする?」
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「さようなら」 ・・・え? 「・・・ごめんね」 何が? 呆然としていた。
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全く普通の一日のはずだった。 こういう日がずうっと続いたら僕たちは幸せなのに。 けれども、残念ながらこんな日が永遠に続くわけもないということも知っている。 そうして、一時間くらいぶらぶらと公園に行ったり商店街を覗いたりしながらギルモア邸の前の浜辺に来た。いつも散歩の最終コースはここに決まっている。 手を繋いで歩いていた君が、突然足を止めた。 そうして君の唇が「さようなら」という言葉を紡ぎだしたのだった。
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「ごめん、って何が?」 わけがわからない。 けれどもフランソワーズは屈託なく、いつものように微笑んでいるだけだった。 サヨウナラ・・・って何が? それらのふたつの言葉は意味をなさず、ただ頭の中にこだました。 ――そういえば、前にもこういうことがあったっけ・・・ 僕はぼんやりと思い出していた。去年の9月14日のことを。 今日も、あの日みたいな意味が何かあるのだろうか? そう、フランソワーズが本気でそういう別れの言葉を口にするなんて考えてもいなかったんだ。
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「――ジョー?」 訝しげな蒼い瞳が僕を見つめている。 「どうかした?」 どう、って――それはこっちのセリフだ。 「急に立ち止まるからびっくりしたわ。――目にごみでも入った?」 「ジョー?やっぱり変。どうしたの?」 再び言われる。 「――フランソワーズ。いま何か言ったよね?」 けれども見つめる蒼い瞳は揺れもせず、まっすぐに僕を見返している。 「何にも言ってないけど・・・そういえば、ジョーが何か言ってたような気がするけれど」 海風は容赦なく吹き付けてくる。フランソワーズの髪も風でめちゃくちゃになっていた。 「ああもう、髪がぐしゃぐしゃ。もう帰りましょう。砂も飛んできてざらざらだわ」 そうして手を繋いだまま、ギルモア邸までの道程を歩く。 ――さっきのあれは・・・空耳だったのだろうか? 僕は握り締めた彼女の手に思わず力をこめていた。
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――気のせいよね。 手を繋いで歩きながら、そうっと隣のひとの横顔を見つめる。 『さようなら』 何も言えなかった。ただ、胸が詰まって一瞬息が止まった。意味もわからなかった。 ううん。 それは、こんなふうに突然聞かされることではないはず。 ――と、思っていたけれど。 おそらく金縛りにあっていたのはほんの数秒だったのだろう。次の瞬間には、どこか寂しそうな瞳のジョーが目の前にいたから。 ジョーは何も言ってないという。だったら、きっとそうなのだろう。 けれども。 いつかはこの人と別れなければいけない日がくる。 だけど、もう少しだけ。 もうちょっとでいいから。 繋いだ手に伝わる温かさを確認するかのように、そうっと手を握り締めた。
*** 冒頭から「なにごと??」と、ドキドキした方、すみません〜〜〜。 |