未来視
破片ひとつ残さずに
一瞬とはいえ、「未来」を視てしまった003は、以来、その言葉に囚われている時間が多くなった。
否。
もしかしたら、「一瞬の未来」という意味そのものについて考える事が多くなったと言うべきか。
あれは本当に「私たちの未来」なのかしら。
あまりにも鮮明な映像、鮮明な記憶。
自分だけに課せられた「特命」。
無残な姿の仲間達。
その命が果てている事を確認する自分・・・
ああ、いや。
眼を閉じて頭を振ってみるが、そうしたところで「視なかった事」にできるはずもなく。
誰かに話したら。
そうしたら、楽になるかしら。
誰か。
・・・誰、に?
009に話す。というのは、一番先に浮かんだが、即座に却下した。
駄目。
彼は私たちのリーダーだもの。
ネオ・ブラック・ゴーストの存在を知ってからというもの、001と博士と3人であれこれ対策を練る時間が格段に増えている。
たまに部屋にやって来ても、疲労が色濃く残り、話している最中に眠ってしまうことが殆どだった。
とても彼には相談できない。
こんな・・・「未来が視えた」かもしれない。「未来を視た」ような気がする。などという曖昧な事。
そんなの、気のせいだよ。と、一笑に付されても文句は言えない。
ならば誰に話すのが適任か。
002は?・・・やはり、気のせいだよのひと言で終わってしまうだろう。
008は?・・・おそらく、科学的に分析してくれるだろうけれど、だからといって何がわかる訳でもなく。
004は?
・・・004?
彼なら。
もしかしたら。
聞くだけ、聞いてくれるかもしれない。
こんな闘い、いつまで続くんだろうな?
ひとり、胸のなかで問いかける。
これは自分ひとり生き残ってしまった罰なのか。
首から下げた指輪を握り締める。
なぜあの時、ブラックゴーストは俺だけを運んだんだ?
お前は瀕死だったけれど、彼らの科学力をもってすれば助かったであろう可能性は否定できない。
・・・馬鹿か、俺は。
一緒に連れていかれていたら、間違いなく彼女もサイボーグになってしまっているはずだろう?
そんな事、望んでいるのか?
長くため息をつく。
誰かが言ってたな。
人前で煙草を吸うのは、おおっぴらにため息をつけるからだ。と。
・・・別にここは人前じゃないけれど。
紫煙を吐くと、ため息もいくぶん軽くなったように錯誤できる。
どうかしてる。
どうして最近、彼女のことばかり思い出すのだろう?
しかも、出会った頃の事ばかり。
ふたりで何をしても何をみてもどこへ行ってもただ楽しかった頃。
・・・あいつらの、せいか?
009と003。
あのふたりを見ていると、自分の過去がフラッシュバックしてしまう。
あいつら。
唇の端でふっと嗤う。
俺達のようにはなるなよ。
こんな思いを知っているのは、俺だけでたくさんだ。
いざとなったら。
・・・いざとなったら、その時は。
俺があのふたりを守る。
004の部屋の前。
ノックをしようとしたまさにその瞬間。
手首を掴まれた。
はっと見ると、そこには。
「009・・・」
「004に、何の用?こんな時間に」
・・・こんな時間?
慌てて時計を見ると、午前1時を示していた。
「あ、私・・・」
すっかり時間を失念していた。
「・・・・」
手首を掴んだまま、009が歩き出す。ので、半ば引っ張られるように歩を進める003。
「ちょっ・・・ジョー?どこに・・・」
甲板に出た。
今日は月も星も見えない。
暗い海。暗い空。
漆黒の闇。
「最近、何かずっと考え込んでいるみたいだけど」
知ってたの?
「僕には言えないこと?」
「そういう訳じゃ」
「じゃあ、何?」
手首を掴まれたまま問われる。
「・・・手を、離して」
「イヤだ」
思わず顔を見る。
漆黒の闇が支配しているけれど、幸か不幸か、私には全く関係ない。
私を見つめる009の瞳。
いつもは優しい色を湛えているのに、今日は・・・なんて瞳をしているの?
「ジョー?・・・どうか、した・・・?」
掴まれていない方の手をそっと伸ばす。
そのまま、彼の頬に触れて。
「・・・別に。どうもしないよ」
声は厳しいけれども、私の手を拒否はしなかった。とりあえず今のところは。
「どうかしているのは君のほうじゃないのか」
「私?」
「最近、なんだか全部が上の空だ。誰が話しかけても生返事だし」
言葉に詰まる。
「今がどんな時か、わかってるよね?」
責められている訳ではない。
あくまでも、口調は穏やかだ。
けれど、声はやはり厳しいままで、瞳は・・・。
「君がそんな調子だったら、有事にはとてもじゃないけど連れては行けない」
「!そんな」
「今の状態で索敵ができるのか?」
「・・・それは・・・やるわ」
「無理だ」
冷酷と思えるほどきっぱりと切り捨てる009。
「適当に索敵をされても迷惑だ。・・・こちらは命を懸けているんだからな」
その言葉に、ふと先日の件が甦る。
このひとは・・・もしかして。
私の事を、非難している?
あの時。私の機能が意味をなさなかったから。
思わず手を離す。彼の頬から。
「・・・ひどいわ。あの夜、私を責めなかったのに、今頃になってそんな事を言うの?」
「何の話だ」
「この前のことよ。イワンが起きたから助かったけれど、危うくあなたと私は」
「いま話してるのはそんな事じゃない」
「じゃあ何なの?あの時以来、私の機能に不安があるって言いたいのでしょ?」
「・・・そうじゃないよ」
ふ、と009の瞳が優しくなる。
「そんな事は言っていない」
掴んでいた003の手首をゆっくりと離す。
「僕が訊いているのは・・・君が何を考え込んでいるのか、だ」
君が考え込んでいる事。
あの夜。
突然、君が僕の胸の中で泣きじゃくった事と何か関係があるのではないのか?
それ以来、心ここに在らずの君だったから。
それに、とやや自嘲気味につけ加える。
まさか、004に相談しようとするとは。
久しぶりに君とゆっくり話したくなって・・・いや。違う。
僕はただ・・・君のそばで、君の優しい声を聞きたかった。それだけだった。
君の部屋に向かう途中、004の部屋の前に立っている君をみつけた。
全身の血が逆流した。
なぜこんな時間に、君が彼の部屋を訪ねる?
気付いたら、手首を掴んでここに連れて来ていた。
・・・こんなの、ただの嫉妬だ。
みっともないな、009。
彼女が誰を相談相手に選んだって、僕がとやかく言う事ではないはずだ。
落ち着け。
ちゃんと彼女の話を聞くんだ。
彼女がいったい、何をずっと考えているのか。
自分に相談してくれないなんて、そんな子供っぽい理由で怒るな009。
ちゃんと彼女の眼を見るんだ。
視線を逸らすな。
彼女を信じろ。
009に掴まれていた手首をそっとさする。
きっと痣になっているなと思いながら。
いったい、何が彼をそうさせたのか?
考えるまでもない。
私が・・・彼に遠慮したから、だわ。
彼が忙しいから。
疲れているから。
だから、相談しては彼の邪魔になる。
って、勝手に決めて。
そんな遠慮は彼にとっては・・・ただの、無視と同じこと。
そのことに早く気付くべきだった。
彼の生い立ちを考えれば、すぐにわかったはず。
彼に遠慮してはいけない。
隠し事をしてはいけない。と。
・・・普通に育った男の子なら。
両親がいて、家庭があって。
そんな環境ならば、言わないことや隠し事があったとしても。
相手を疑うとか、好意を疑うとか、そういう事はそもそも思いつかない。
でも。
信じた相手に裏切られるのが日常茶飯事だった場合は。
ちょっとの隠し事、ちょっとした遠慮・・・が、疑心暗鬼を呼び起こしてしまう危険性がある。
ごめんなさい。
余計な心配をかけた。
ううん。
・・・不安にさせて、ごめんなさい。
だって。
今のあなたの瞳。
初めて会った頃のような、寂しいような何かを渇望しているような、それでいて・・・全てを諦めているような、そんな瞳をしている。
そんな瞳をさせてしまったのは、ほかでもないこの私。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
今からでも・・・間に合う?
あなたは私を信じてくれる?
一歩、前に出る。
ちゃんと彼女の瞳を見るんだ、009。
一歩、前に出る。
ちゃんと彼の瞳を見るのよ、003。
お互いの距離が一歩ずつ近づいて。
お互いがお互いの瞳をじっと見つめる。
「009・・・ジョー・・・、ごめんなさい」
「・・・何が?」
応えた009の瞳の色が変わっていく。
「僕もちゃんと君の話を聞いてなかったね。ずっと。・・・いつも眠っちゃってて」
「ううん」
頭を振る。
「疲れているんだもの。仕方ないわ。それに」
「・・・それに?」
003の口元に、くす、と笑みが浮かぶ。
そんな003の表情を見て、009も緊張を解いた。
「私と話してて眠っちゃうのも、嫌じゃないのよ。嬉しいの」
「え」
「だって、・・・私も少しは、あなたをリラックスさせることができているのかなって・・・思うから」
リラックス。
君のそばでリラックスできなくて、他のどこで安らげるというんだい?
お互いのおでことおでこをくっつけて。
「・・・馬鹿だな、僕は」
くすくす笑う。
そんなあなたの瞳は、既に優しい色になっていて。
・・・私は、あなたの瞳がいつもこの色でいて欲しいと心から願うわ。
穏やかに。静かに。深く・・・優しく。
「心配かけてごめんなさい」
君の瞳は深い蒼だった。
穏やかに。
僕の不安を一掃する。
この澄んだ蒼を守るためなら。
僕はどんな事でもするだろう。できるだろう。