「バカップルに20のお題」
〜新ゼロ〜

 

@おそろいは当たり前

 

「――おそろい?」

ジョーとフランソワーズは顔を見合わせた。お互いにちょこっと首を傾げて。
そうして、二人揃ってこちらを向くと、これまた同時に言い放った。

「そんなの、当たり前だけど?」

 

***

 

事の発端は、ジョーの誕生日だった。
もうすぐだから何かしようぜ――と、ジョーを除く全員が異様に盛り上がったのが昨夜のこと。
ギルモア邸深夜の酒席でのことだった。
欠席したのは博士とイワンとフランソワーズと当人であるジョー。
他のメンバーは全員が際限なく酒を飲み続け、際限なく馬鹿話で盛り上がった。
そこへ、ちょうどもうすぐジョーの誕生日だということになって。
彼は誕生会は嫌いなので、やらないことが暗黙の了解事項だったがいつまでもそれではつまらない。
と言い出したのは誰だったのか定かではない。
ともかく、そんな企画が立ち上がり、そうして今日こうしてピュンマがビデオを回しているのだった。

 

ソファに仲良く並んで座り、――しかもしっかり手を繋いで――テレビを見ていた二人は突然のピュンマの質問に揃ってきょとんと瞳を丸くした。

「なんだい、急に」

ジョーが必殺の甘い笑顔をピュンマに向ける。

――俺を誘惑してどうする気だコイツ。

内心、うんざりして視界からジョーを消し、フランソワーズだけを映すことにする。
きらきらした蒼い瞳と薄くピンクに染まった頬が可愛らしい。
こちらも笑顔でピュンマに迫る。

「どうしたの、突然」
「いや――」

ええと。

「その――当たり前、なのかい?おそろいなの、って」

いつもくっついているけど、ペアルック姿など見た事がないから、おそろいなんて持っていないのだろうと勝手にあたりをつけていたのだが。

「ええ。だって、仲良しだもの」

言って、ね?ジョーと隣のジョーに確認するかのように視線を飛ばす。ジョーは視線を受け止め、こっくりと頷いた。

「仲良しはおそろいを身につけるものなのよ。ピュンマも憶えてなくちゃダメよ」
「なんで」
「彼女と仲良しなら、おそろいにしなくちゃ」
「・・・僕のことはいいよ。それより、二人のおそろいって何だい?」
「――あら」

フランソワーズはびっくりしたというように瞬きをした。

「見た事あるでしょう。――ほら、登山用のパーカー」
「――ああ。ピンクと青の」
「そう、それ」
「・・・でもさ、それって・・・全員、同じタイプのだったと思うんだけど」

あれは全員お揃いなのだった。

「――そうだったかしら」
「うん。だから、他に何か――」
「ん・・・他に、ねぇ」

唇に指をあてて宙を見つめ、フランソワーズは何やら考え込んでいる。
そして、その横顔をじっと見守るジョー。

・・・見惚れすぎだぞ。

確かに可愛いけど、とピュンマは思いながら、ジョーのこの顔もけっこう笑えるとカメラを向けた。
映っているのは、じっと――うっとりとフランソワーズを見つめる褐色の瞳の男一名。

「――あ。そうだわ!ね、ジョー」

何か思いついたのか、フランソワーズが嬉しそうにジョーに向かう。
ジョーも嬉しそうににこにこ答える。

なんだか撮っているのがイヤになってきたピュンマだった。

「今、ほら・・・」
「――ああ。そうだね」

何のことやらわからないピュンマを見つめつつ、ジョーは立ち上がった。

「今ちょうどお揃いはいてるんだ。見る?」
「へ?」

ちょっと待て、はいてるって――何を?

とピュンマが言おうと口を開く間にジョーはジーパンに手をかけホックを外し――ちらりと下着を見せたのだった。

「これ。おそろいなんだ」

――おそろい、って・・・別に見せろとは言ってないんだけど?

「あ。フランソワーズのも見る?」

冗談だろ――と、カメラを下げ加速したかのように後退してゆくピュンマをにこにこ見送っていたジョーだったが、フランソワーズにいやというほど尻をつねられ飛び上がった。

「もうっ・・・ジョーのばか」

 

 

A黙っていても伝わるキモチ

 

「――また撮影?」

カメラを向けた途端、ジョーが露骨にイヤな顔をする。
こっちだって好きでやってるんじゃないぞ。

「一体、何に使うんだよ」
「何、って・・・そうだな。・・・ま、いずれ何かの時に役に立つだろう」

何かの時って何だよとブツブツ言うジョーからフランソワーズへカメラを振る。

「――あら」

カメラに気付くとフランソワーズは輝くような笑みを返してくる。
ジョーも見習え。

「どうしたの?ジェット。この前はピュンマだったけど、順番に何の撮影をしているの?」

二人の観察日記、もとい、フランソワーズの撮影をしてジョーにそのDVDをくれてやる――というのは極秘だった。

「うん?ま、いろいろとな」

適当に答えてフランソワーズの反応を待つ。が、元々そんなに興味がなかったらしく、フランソワーズは既に手元に視線を戻していた。

ここはキッチンである。
先刻から、フランソワーズは何かを作っており、ジョーはその邪魔をしているというわけだった。

「で?お姫様は何を作っているんだ?」
「やだ、ジェット。お姫様はこういうことはしないのよ」

くすくす笑うフランソワーズを隣でただぼーっと眺めているジョー。
――お前。何か手伝った方がいいんじゃないのか?

「おい、ジョー」

カメラでジョーの後頭部をつつく。

「何だよ。痛いぞ、やめろよ」
「お前さ。何か手伝うとかしてみてもいいんじゃねーか?」
「手伝う?」
「おうよ。ここでボーっとフランソワーズを眺めてるだけじゃなく」
「うーん・・・」

ジョーは「ボーっとフランソワーズを眺めてる」については突っ込んで来なかった。つまり、それは認めるらしい。

「手伝うよ、って言ったんだけどね」

微かに眉間にシワが寄る。

「全部言う前に断られた」
「何だよ、全部言う前って」

首を傾げる俺に、フランソワーズの声がかかった。

「それはね、ジェット」

指先の粉を軽く払って、フランソワーズはジョーの腕に巻きついた。

「私たちは仲良しだから、言わなくても何でもわかっちゃうのよ」

ホントかよ。

ねーっ。と顔を見合わせる仲良し二人組を前に、ちょっとだけ意地悪な気持ちになったとしても許されるだろう。
何しろ、これを撮り続けるというのはかなり・・・辛いものがある。ピュンマは偉いとつくづく思う。

「ほう、そうかい。じゃあ、ジョーはフランソワーズが何を作っているのか知ってるんだな?」
「え」

料理をしないコイツに、いま彼女が何を作っている途中なのかわかるわけがない。

「――言ってないんだろ、フランソワーズ」
「ええ、まあ」

ジョーにメニューを言ったらえらい騒ぎになるのだ。
あれは嫌い、これを作ってとまるで子供のようにごねる。そして、あろうことか――このお嬢さんは簡単に負けてしまうのだ。ったく、甘いカレーやら甘いハヤシライスを食わされるこちらの身にもなってくれ。・・・と、いうことで、ジョーには出来上がるまで何を作っているか教えてはいけないというルールが出来たのである。
つくづくメンドクサイ野郎だぜ。

「そんなこと言うけど、ジェット、きみはわかるのかい?」
「はは、残念だったな。俺は君らほど仲良しじゃないからわからんよ」

そう言うと、二人ともなんとも幸せそうに見つめ合った。
ちなみに、フランソワーズが今作っているのはどう見ても今日のおやつで、おそらくアップルパイだろう。
こんなもんは誰でも見ればわかりそうなもんだ。だから、ジョーにとってはラッキー問題というわけだ。

「よし。いいか、二人とも。いちにのさん、で何を作っているのか言うんだぞ」
「いいわ」
「わかった」

真剣な表情の二人。
それをカメラに収める俺。
しっかし、何故こんなくだらんことにつきあってやってるんだろう・・・?

「いちにの、さん」
「アップルパイ」
「ピザ」

 

・・・・・。

 

沈黙が怖い。

凍りつくふたりを置いて、俺はじりじりと後退し――同時に映像も二人をゆっくりとフェイドアウトした。

 

 

 

B何をお願いした?

 

この二人が何故そういう流れになったのか、全くわからなかった。
が、何かが二人をそうさせたのだろう。

ともかく、ハインリヒはカメラに録画されているものをただひたすら観ることしか出来なかった。

 

**

 

先日の酒席で決まった企画は、順番に、二人もしくはフランソワーズをカメラに収めるというものだった。
順番の回ってきたハインリヒは、当初フランソワーズだけを撮る予定だったが、よくよく考えてみると、実際にそれをすると傍目にはフランソワーズのストーカーもしくは怪しい盗撮野郎にしか見えなくもない。
それだけならまだいいが、万が一ジョーに見つかったらどんな難癖をつけられるのか考えたくもなかった。
そんなわけで、カメラを携えてウロウロするのは早々にやめて、ハインリヒは適当に――リビングに録画ボタンを押したまま放置するという定点撮影に踏み切ったのだった。
そして今、そのカメラを回収し何が映っているか見ていた所・・・なのだけれども。

 

**

 

突然、画面に踊りこんでくる二つの影。
何やらじゃれあいながらくすくす笑い合っている。
その姿はなんとも微笑ましいのだったが、事態は突然変わった。

ハインリヒは絞っていた音量を少し上げた。

 

**

 

「いい?勝ったほうの言うことを何でもきくのよ?」
「いいとも。ただし、1個だけだぞ。100個のお願いをきいてくれるお願いっていうのはダメだからな」
「わかってるわ」
「よし」
「じゃあ――いくぞ」
「せえの」

「じゃーんけーん、ぽんっ」

真剣な表情の二人。
一瞬の間。

「勝ったわ!」

歓声を上げたのはフランソワーズだった。
右手のチョキを高々と頭上に掲げている。

対するジョーは、開いた手を悔しそうに見つめ唇を噛んでいる。

「さっ!何でも言うことを聞くのよね?」
「待て。誰が一回勝負と言った?こういうものは三回勝負と決まっている」
「えーっ、ずるいわ、そんなの」
「ずるくない。じゃんけんの世界の常識だ」

一歩も譲らない形相のジョーを見つめ、フランソワーズは肩をすくめた。

「わかったわ。まぁ、どっちにしても私がもう一回勝ったら勝負あり、ね」
「そううまくいくかな?」

そして二回戦。
勝ったのはジョーだった。

「ホラ見ろ」
「ずるいわジョー、後出しよ」
「後出しなもんか、勝ちは勝ちだ」
「もうっ」

頬を膨らませ、不機嫌の極みのフランソワーズ。
一方のジョーといえば、勝ちを確信したかのように不敵な笑みを浮かべている。

「さあ、三回戦だ。泣いても笑ってもこれで決まりだ」

そう言って、両手を組み合わせその隙間から何かを見ているかのような謎のポーズ。

「・・・それ、何のおまじない?」
「うん?――きみが次に何を出すのかこれでわかるのさ」
「まさか、そんなわけないでしょ」
「いいや、わかる。じゃんけんの世界では常識だ」

呆れたように大袈裟に息をつくと、フランソワーズもジョーの真似をして両手を組み合わせその隙間から相手を見る――見えるのか?――ポーズをとる。

「あら、ほんとだわ。ジョーが次に何を出すのかわかったわ!」

――ホントかよ。

「じゃあ、――いいな?」
「ええ。いいわ」
「よし。・・・じゃーんけーん、」

 

**

 

「・・・・・」

無情にも、そこで録画は終了していた。

――おいおい。気になるじゃねーか。

勝負はついたのか。
そして、どちらが勝者となったのか。
更に言えば、勝者はどんなお願いを相手にしたのか。

気になる。

煙草を一本ゆっくりと吸い終わってもやっぱり気になった。
かといって、あの二人に直接尋ねるわけにはいかない。何しろ、本来ならばこれは、あの二人以外には誰もいないリビングでの出来事なのだ。それを第三者が知っているということは、つまり――盗撮していたことをばらすことになる。
そんなことはハインリヒのプライドが許さない。

俺は、あくまでも「企画」で撮影していただけであって、決して盗撮していたわけではない。

しかし、だとすればこの謎の勝負は永遠に結果がわからないということである。
それもすっきりしなかった。
だから――それとなく・・・様子をみながら話を誘導してみることにした。

 

***

 

一家団欒を絵に描いたようなギルモア邸の夕食時。ハインリヒは話を持っていくタイミングをはかっていた。
隣にはジョーとフランソワーズが向かい合って座り、両方同時に目の前のしょうゆに手を伸ばし、嬉しそうに「考えてることって一緒ね」と笑い合っている。お互いに譲り合ってしょうゆを使おうとしないから、ハインリヒは手を伸ばして二人の面前からしょうゆを奪った。

「あ、今使うところだったのに」
「使ってなかったじゃねーか」
「今まさに使おうとしてたんだよ。ね?フランソワーズ」
「いいじゃない、ジョー。ハインリヒの後でも。しょうゆは逃げないわ」
「うーん・・・フランソワーズがそう言うなら」
「ま、ジョーったら」

ハインリヒが胸やけを起こしそうになった所で、チャンスが巡ってきた。

「そういえばフランソワーズ、本当にあれで良かったのかい?」

と、ジョーが首をかしげつつフランソワーズに問うたのだ。
咄嗟に、これは例の「じゃんけんの勝者の願いを何でも叶える」というアレではないかとハインリヒはぴんときた。

「――ほら、しょうゆ。・・・いったい何の話だ?」
「ありがとう、ハインリヒ」

しょうゆを受けとって使いながら、フランソワーズはくすりと笑う。

「あのね。今日、ジョーとある勝負をしたの。勝ったほうが負けたほうのお願いを何でも聞くっていう」
「ほう」
「でね。どっちが勝ったのか、って言うと」

嬉しそうに笑うフランソワーズに、ハインリヒは答えた。

「――お前か」
「ふふっ。当たりー」
「勝負強いんだな」
「あら、ジョーが弱いのよ」
「ふん。わざと負けてやったんだ」

フランソワーズからしょうゆを奪い取り、ジョーが怒ったように言う。

「もー。ずっとああなのよ。どう思う、ハインリヒ」

しかし、この問いには答えない。
二人が繰り出してくるこの手の質問はスルーするのが一番なのだとメンバー全員が痛いくらい知っている。

「だけどさ、フランソワーズ。本当にあんなことで良かったのかい?」
「あんなこと、ってそんな言い方ないじゃない」
「だってさ。全然、トクベツなコトでもなんでもないじゃないか」
「いいの」
「どうせお願いするなら、普段絶対にできないこと、とかさ。色々あるだろ」
「あら。ジョーは何をお願いするつもりだったの?」
「えっ・・・」

それはだな、と口の中でモゴモゴ言うジョーを無視し、フランソワーズはハインリヒに話しかけた。

「どんなお願いしたのか、知りたい?」
「イヤ。別に知りたくない」

ここでピュンマだったらイヤイヤながらも聞いてやるんだろうな、と思いつつ、それでもハインリヒは断固として断った。

「ええっ、知りたくないの?」
「ああ。これっぽちも」
「じゃあ――あててみて?」
「知らん」
「ん、もう。ハインリヒのいけず」
「何だソレ」
「じゃあ、しょうがないから教えてあげるわ。本当は二人の秘密だったんだけど」

――だったら、二人の胸にしまっておけ。

と胸の裡で言ってから、半分観念して聞くことにした。
何しろ、フランソワーズが嬉しそうに笑うのは見ていて眼に心地良いのだ。
それは他の者もそうだったらしく、にわかに食卓が静かになり、全員が彼女の口元に注目した。

「あのね。ここから、抱っこして部屋までつれてってもらったの!!」

・・・・お前ら。それは別にトクベツでも何でもない、日常の風景だろうが。

 

 

 

C君の瞳は一万ボルト

 

ジョーは悩んでいた。

最初は自力でなんとか解決しようと目論んだらしい。が、しばらくしてそれは無理だと悟ったようで、そっち関係に詳しい人物の部屋を訪ねていた。

「・・・やあ。ちょっと、いいかい?」

ノックの音にドアを開けた部屋の主は答える代わりに身を引いて、ジョーを部屋に招き入れた。

「へぇ・・・片付いてるね」

ここへ来るのは珍しかったから、ジョーは思わず部屋をじろじろと眺めまわしてしまった。
何しろ、片付いている――というのはかなり控えめな表現であって、実際は何もないに等しいのだから。
必要最低限の家具しか置いていない。

ジョーはそんな殺風景な部屋の中で、しかし、壁一面の電子機器類を見つめ息を呑んだ。
家具は少ししかなかったが、趣味のもの――おそらく仕事も兼ねているのだろう――はふんだんにあったから。

「――凄いね」
「仕事だから」

ジェロニモはSEである。が、どうやらそれ以外の仕事も請け負っているようだった。
ピュンマと組んで色々なプログラムやゲームを開発してもいる。

「――で。ジョー、用は何だ」

改めて訊かれ、ジョーは少し頬を赤くした。

「ボルト、って電圧の単位だろう?」
「そうだな」
「瞳が一万ボルトってどういうことだと思う?」
「・・・は?」
「だから。瞳が一万ボルトなんだよ」

ジェロニモは意味がわからず、突然不可思議な話をしだしたジョーをコイツ大丈夫かと眺めるのみ。

「・・・一万ボルト。それ、何に使う」
「だから、そうじゃなくてさ。一万ボルトの瞳ってどんなのかって訊いてるんだよ」

――知らない。

ジェロニモが呆れつつそうシンプルに答えようとした途端、ノックの音と共に部屋に駆け込んできた人物に遮られた。

「ジョー!もう、いったい何してるのっ」
「あ。フランソワーズ」
「あ、じゃないわよ。どうしてたかが歌詞にそんなにこだわるのか教えて頂戴」
「たかが、って、だって瞳が一万ボルトって言うんだぞ。意味がわからないじゃないか」
「いいのよ、歌詞なんだから!」
「よくないよ。電圧が一万ボルトっていったら、凄い仕事量なんだぞ」
「知らないわよ、そんなの」
「君の瞳が一万ボルトあったらどうなると思う」
「知らない、って言ってるでしょう」

もう、何とかしてよジェロニモとすがるように見つめ、フランソワーズは彼の背後に身を隠し、顔だけ覗かせてジョーに舌を出した。

「歌詞なのに。意味なんかないのっ。バッカじゃない」
「あ。バカって言ったな。そんなの、言ったほうがバカなんだぞ、残念でした!」
「もう、イヤ。ジョーのばか」
「二回も言ったな。じゃあ、僕も言うぞ。フランソワーズの、ば」

バカ、と言おうとするが、じっと見つめるフランソワーズを見つめ、結局言えずにジョーは黙った。

「何よ。言ってみなさいよ」
「・・・・」

くっと唇を噛み締め、ジョーは握り拳を握る。

「ほーら。言えないくせにっ」
「なっ・・・何だと」
「ジョーの意気地なしっ」
「違う。大体、フランソワーズの悪口なんて言えるもんかっ」
「――え?」
「そんなの・・・誰かが言ったら僕がぶっ飛ばす」
「ジョーったら」

うふっと笑って、ジェロニモの背中から飛び出しジョーの腕の中に収まる。
そのまま二人の顔が近付いたところで――

「ウオッホン」

申し訳なさそうにジェロニモが咳払いをひとつした。
ふたりが揃って彼を見つめる。

「・・・ジェロニモ。どうしてここにいるんだ?」
「ここ、俺の部屋」
「――あ」

そうだったっけと頭をかくジョーに、そうよ忘れちゃだめじゃない、ジョーってバカねぇと彼の鼻をつつくフランソワーズ。
いつまでも続きそうなじゃれあいに、ジェロニモはうんざりしながらもう一度咳払いをした。
そして二人の視線が再度自分に集まった時に言った。

「ジョー。俺に訊きたかったことって、ボルトの話だったな」
「うん」
「瞳が一万ボルトというのは極端な表現だが――合っている」
「え、でも電圧の単位だろう、ボルトって」
「そうだ。が、つまりは1ワットの電力を消費する時の電圧が1ボルトということになるんだ」
「・・・ええと?」

ジョーが眉間にシワを寄せる。彼の胸の中に居るフランソワーズは、そもそもその話には全く興味がないようでジョーの顎を指先でなぞって遊んでいる。

「つまりこうだ。一万ボルトの瞳というのは一万ワットの瞳という意味だ。一万ワットというとかなり眩しいだろう」
「あ、なるほど!」
「つまり、直訳すれば、君の瞳はかなり眩しいということだ」

うんうんと頷くジェロニモに明るい笑顔を見せ、ジョーは腕の中のフランソワーズに勝ち誇ったように言った。

「ほら見ろ。君の瞳が眩しすぎるって意味なんだから、フランソワーズの瞳がそうだって言ってもおかしくないだろ?照度を現すならルクスじゃないとおかしいとか言ってる場合じゃないんだよ」
「そんなこと、私は言ってないわ。ジョーが勝手に悩んでいたんじゃない」
「――そうだっけ?」
「そうよ」

くすくす笑い合い、そうして二人の顔が再度近付いて――ジェロニモは再び咳払いをした。

 

一体、何しにやって来たのか不明な二人を部屋から追い出し、そうしてジェロニモは深く息をついた。
傍らには携帯タイプのビデオカメラがある。順番だと先刻ハインリヒが持って来た。
しかし、あんな二人を撮るのはちょっと――今のような光景を目の前で再び繰り返されるかと思うと心が重くなるのだった。

 

  

Dそれじゃ、僕も好き

 

「僕にとって君の瞳は太陽であり、星の輝きであり、」

真剣な表情のジョーに見つめられ、フランソワーズは胸の前で両手を組みうっとりと彼を見つめる。

「あるときは月光のように――」

ふとジョーの眉間にシワが寄る。

「月光のように・・・ええと」

眉間を押さえ、何かを思い出すかのように苦しげな声がジョーの唇から洩れる。

「・・・月光のように・・・」

そのまましばらく煩悶し、諦めたのか顔を起こすとこちらを向いた。

「次、なんだっけ?」

グレートは舌打ちをするとカメラを下ろした。

「ったく!どうしてこんな短い台詞を覚えられないのだ!俳優としてやってゆけんぞ」
「別に僕は俳優じゃないし」
「俳優じゃなくても、だ!男子たるもの、このくらいの台詞をさらっと恋人に言えなくてどうする」
「どうする、って・・・」

ジョーは困ったようにフランソワーズを見た。が、フランソワーズは頬を上気させたまま現実世界に戻って来ていない。

「ホラ。姫は大変気に入った御様子だぞ?」
「――姫、って」
「姫だろうが。我が家の紅一点。美しきプリマドンナ!」
「・・・はあ」
「何を気の抜けた声を出しておる!しゃっきりせんかい!」

しかし、ジョーは深くため息をつくばかりだった。

 

**

 

ここは張々湖飯店である。
バレエの帰り道、フランソワーズが中華を食べたいと言ったので二人揃ってやってきた。
ちょうど個室が開いていたので、そこでゆっくりしていたまではいいのだが、ビデオカメラを持ってグレートがやって来てから空気が変わった。
どうやら、またもや二人を撮影するらしい。
ジョーは、いったい最近何なんだと思いつつも、フランソワーズが映っているならDVDに焼いて貰えないものだろうかと秘かに思っていた。それを頼むのは一体誰に言えばいいのか皆目わからなかったけれども。しかも、おそらく頼む時はずいぶんからかわれるだろうと予想はできたけれども。
それでも、いつでもどこでもフランソワーズを見る事ができるというのは何ものにも替え難かった。

グレートは、しばらく二人の食事風景を黙って撮っていたが――食事が終わる頃になると、どうせ撮るなら芝居仕立てにしようと言い出した。
ジョーは渋面を作ったが、フランソワーズが目を輝かせ、俄然やる気になったので渋々つきあうことになった。
そして――冒頭の台詞である。既に、テイク幾つになるのかわからない。
最初は照れて途中で噴いてしまったし、後は台詞を噛んだり、忘れたり、途中を飛ばしたり・・・となかなか上手く行かない。
が、それでも、何度繰り返してもいいらしく、フランソワーズはずっとにこにこうっとりとジョーに見惚れ、その声に聞き惚れているのだった。
ちなみに、フランソワーズの台詞は無い。

「大体さ、どうしてフランソワーズには台詞が無いんだよ。ずるいよ、僕ばっかり」
「いや、それはだな」
「一人で喋ってるから忘れちゃうんだよ、きっと。相手がいればちゃんとやれると思うよ?」

と、今や「きちんと台詞を言って撮影を終わらせる」ことが目標となってしまっているジョーだった。既に、そもそも何故こういう撮影をすることになったのか――について尋ねることは忘れてしまっている。

「うーん。じゃあ、姫も何か台詞を言うか」
「えっ。私?」

潤んだ瞳のままフランソワーズがカメラを見つめる。思わずズームしてしまうグレートだった。

「アドリブでいいから、何かジョーに合わせて言ってやれ」
「・・・なんでもいいのね?」

わかったわ、とひとつ頷くと、再び視線はジョーに戻った。
ジョーは台詞の確認に余念がなく、既にココロのヨユウはない。
そんなジョーをうっとり見つめ、フランソワーズは言った。

「ねぇ、ジョー?」
「何?今ちょっと話しかけないでくれる」
「私ね、さっきの台詞、実はもう聞き飽きちゃったのよ」
「ふうん、そう」
「だから、ちょっと趣向を変えない?」
「えっ?」

ちょっと、今憶えたばかりなのに何を言い出すんだ――とジョーがフランソワーズを見つめ、それからグレートを見つめた。
その目は、台詞が変わってもいいのかい?と縋るように訴えている。
が、無情にもグレートはあっさりと承諾したのだった。

「ぐ、グレートっ」
「いいではないか。姫に合わせるのは得意だろう?」
「ん・・・」

それはどうだろう・・・と思っている間に、勝手に撮影が始まってしまった。

「――ねぇ、ジョー?」
「ん、何?」

潤んだ瞳で見つめられ、何だか胸の裡がざわつくジョーであった。こんな普通の会話みたいなのでもいいのかと思いつつ、とりあえずフランソワーズに応える。

「私のどこが好き?」

――えっ!?

公衆の面前で――と言っても今ここに居るのはグレートと先刻から見学している張々湖しかいなかったけれど――そんなことを訊かれるとは、まさに青天の霹靂だった。

「えっ、あ、ええと」
「私はね。ジョーのこの目が好きよ?」

この目、と言うと共に手が伸びて、ジョーの目尻にフランソワーズの指先が触れる。
元々、肩がくっつくくらい近付いて座っていたのでこんなことは容易だった。

「・・・フランソワーズ。もしかしてきみ、酔ってる?」
「酔ってないわ。――あとね。この鼻も好き」

言いながらジョーの鼻をつつく。

「・・・ええと、フランソワーズ?」
「しっ。黙って。・・・そうね。時々、ぶっきらぼうで意地悪も言うけど、でも・・・この唇も好きよ」

指先が唇を撫でてゆく。

「それから、この髪も――おでこも、好き」

前髪をかきあげて、現れた額を指先でつつく。

「――ねぇ、ジョーは?私ばっかりずるいわ」
「え、あ・・・うん――」
「私はジョーの全部が好きなのに、ひとつも言ってくれないなんて悲しいわ」
「え、う、うん・・・」
「私はジョーの全てが好きよ。ね、ジョーは?」
「うん。それじゃ・・・僕も好き」

ヨシ、うまくいった――と、ジョーが安心した途端、目の前のフランソワーズが豹変した。

「じゃあ、って何よ!じゃあ、って!」
「えっ」
「じゃあ好き、って何かすっきりしないわ!!」
「い、いや別に言葉のあやで」
「言葉のあやなんて知らないものっ!!」
「ええと、フランソワーズ、落ち着いて」
「酷いわ!ジョーったら、私が好きって言わなかったら言ってくれないのね?」
「え、そんなことないよ、いつも言ってるじゃないか」
「いつも言ってるから、手抜きなの?」
「何だよ手抜き、って」
「イヤよ、そんな熟年夫婦みたいなの!」
「大袈裟だなあ」
「ジョーが悪いんじゃない!私のことはついでなの?」
「そんなわけないだろう、落ち着けよフランソワーズ」
「知らないっ、もうっ、ジョーのばかっ、嫌いっ」
「じゃあ、僕も嫌い」

そうジョーが言った途端、フランソワーズの大騒ぎがぴたりと止まった。

「・・・・ジョー・・・本気?私のこと・・・嫌いなの?」

みるみる蒼い瞳が曇ってゆく。豪雨になりそうな雲行きだった。
が、まさに雨が降る寸前、

「バカだなあ。そんなわけないだろ」
「でも、いま嫌いって言った」
「そうだね。僕の気持ちを疑うフランソワーズは嫌いだな」
「・・・疑ってないわ!」
「ほんと?」
「ほんとよっ。ジョーは私のことが好きだって、知ってるもの!」
「うん。今のフランソワーズは好き」
「じゃあ、私も好きっ」
「あ。今、じゃあって言っただろ」
「言ってないわ」
「いいや、言ったね」

・・・・・。

延々繰り返されるふたりの遣り取りに、途中でカメラの電源が落ちた。

 

 

E恋は盲目

 

「――なあ、フランソワーズ。ちょっといいか」

その声に読んでいたファッション誌から顔を上げたフランソワーズの目に映ったのは、4名の「兄」たちの姿。
ピュンマ、ジェロニモ、ジェット、ハインリヒ。いずれも妙に真剣な顔をしている。これは何か――ミッションの話かとやや緊張し、彼らについて書斎のテーブルについた。が、ミッションにしてはジョーの姿がない。

「あの・・・ジョーは?」

訊いてみるが、「兄」たちは無言でお互いの顔を見るばかり。

「ええと」

咳払いをして口火を切ったのはピュンマだった。

「その、ジョーの事なんだが」
「ええ。・・・?」
「その・・・フランソワーズは奴のどこが気に入ってるんだ?」
「えっ?」

それって何かミッションに関係あるのだろうか・・・と微かに首を傾げ、フランソワーズは問うようにピュンマを見つめ返す。

「あ、イヤ、その・・・何だ。フランソワーズはまだ十分若いんだし、何も俺達の中から相手を選ばなくてもいいんじゃないかと」
「――どういう意味?」
「いやその、つまりだな」

蒼い双眸に鋭く見据えられ、しどろもどろになるピュンマの代わりにジェットが引き取った。

「ジョーじゃなくてもいいんじゃないか、って話だ」

 

***

 

フランソワーズの世界が揺れた。飴細工のように不規則な風景が見える。

「・・・フランソワーズ?」

目の前で手を振られ、フランソワーズの目の焦点が合った。

「おい、大丈夫か?」

大丈夫なわけがなかった。
なぜ、こんなことを言われるのかわからない。
しかも、4人の「兄」に囲まれて、まるで――相手を間違えていると責められているみたいに。

「・・・どうして」
「うん?」
「・・・どうして、そんな事言うの」

フランソワーズのものとは思えない、低い低い声。視線も手元に落ちたままである。
一瞬、「兄」たちは気まずそうに顔を見合わせた。

「あ、いや・・・責めてるわけじゃないんだ。ただ、俺たちはフランソワーズにはもっともっと世間というものを知った上でだな、相手を」
「どうしてジョーじゃダメなの」
「いや、ダメってわけじゃないんだが、その・・・選ぶ余地がなかった、とも言えるかもしれないと」
「――そんなことないわ。だって、・・・私はジョーを選んだんだから」
「だけどさ、フランソワーズ。客観的に見てだな。009の時は、まぁマシだが、普段は・・・拗ねるし泣くし、手に負えないだろうが」
「そうだよ、フランソワーズ。あんなメンドクサイ手のかかる男でいいのか?もっと簡単ないい男は世間に山ほどいるんだぞ。それを見てもいないで決めても・・・なぁ」
「・・・・・・・だもの」
「え?」
「・・・・・・だもの」

小さい小さいフランソワーズの声。
全員が、彼女の方へ耳を寄せる。

「――メンドクサイ手のかかる男がいい、って言ってるの!!」

耳を寄せたのを待っていたのかどうかわからないが、突然の大音量による叫びは効果的だった。
そこにいたフランソワーズ以外の4人が耳を押さえてのけぞった。

「お、おまっ・・・急に大声を出すな!」
「だって、ひどいわ!!私の趣味が悪いって、言いたいの?」
「いや、そんなことを言ってるわけじゃなくて」
「拗ねて泣かないジョーなんて、そんなのジョーじゃないわ!!そういうジョーがいいの!」
「いやだから、普通の成人男性はそんな簡単に泣いたり拗ねたりしないんだ、って」
「そうだよフランソワーズ。もっとこう・・・普通の男と付き合ってみてもいいんじゃないか?」
「僕達は別に意地悪してるんじゃなくて、心配してるんだよ?」
「余計なお世話だわっ!!」

両手をテーブルに叩きつけてフランソワーズは立ち上がった。反動で椅子が背後にひっくり返る。

「そんな普通の男なんか、興味ないの!!何よ、簡単ないい男って。そんなのぜーんぜん、興味ないわっ!!」
「興味ない、ってあのな」
「だって、面白くないもの!!」
「面白いとか面白いとかじゃなくてだな」
「ううむ。確かにジョーはそういう意味では面白いが」

更にフランソワーズが何か言い返そうと口を開いた瞬間、書斎のドアが勢い良く開いた。

「フランソワーズ!!」
「ジョー!!」

まるでドラマの一場面のように、眼前で熱い抱擁を交わすふたり。はからずも4人の「兄」は傍観せざるを得なくなった。
特に見たくもないのに、ドアの前で繰り広げられているから、脱出も叶わない。

「フランソワーズ、ここにいたんだね。探したよ」
「ごめんなさい。お買い物に一緒に行くの、約束してたのに」
「いいさ。・・・先に行ってしまったのかとちょっと心配したけど」
「まさか。あなたを置いていくわけないでしょう?」
「うん・・・。あれ、フランソワーズ。もしかして・・・泣いた?」

フランソワーズの目が潤んでいるのに気付いたジョーの声がやや険を帯びる。

「――ううん。大丈夫よ」
「しかし・・・」

じろりとジョーが4名の観客に目を向ける。それは平和的なものではなかった。

「何か――いじめられたんじゃないか」
「ううん。いじめられてないわ。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・私が、どんなにジョーを好きかって訊かれてたの」
「ふうん?」

訝しそうなジョーの声。

「だから、好きなところをひとつひとつ、教えてあげたのよ」
「ひとつひとつ?」
「そうよ。ひとつずつ、ぜーんぶ」
「・・・フランソワーズ。そんなの、他の人に言ったらダメだよ」
「あらどうして?」
「そういうのは、僕にだけ言えばいいんだ」
「ま。ジョーったら。でもね、どんなにジョーを好きなのかわかってもらいたくて」
「――なるほど」

ジョーは腕の中にフランソワーズを抱き締めたまま、くるりと視線を傍観者たちに向けた。
そうしてにっこり微笑んだ。

「じゃあ、次は――僕がどんなにフランソワーズを好きか、わかってもらう番だな」

ジョーの言葉に4名はうんざりしたように天を仰いだ。

 

 

Fナンパにやきもち

 

ふたりが買出しに向かったのは「買出し」とは少しニュアンスの異なる地だった。
いわゆる若者向けの洋服や雑貨の店が連なっている街のとある通りである。
実は、フランソワーズが先日読んでいたファッション誌で見かけ、行きたいとかねてよりジョーにねだっていたのだった。

が、しかし。

今は、そのショップへ行くのは二の次だった。
いまふたりがここに居るのは別の理由があった。買出しとは全く、金輪際関係がない。
――勝負のためであった。

 

***

 

この通りは別名「ナンパ通り」と呼ばれている。
数百メートル続くその通りを歩けば、ナンパされない者はいないという。
その噂の真偽は定かではない。何しろ、ナンパ師がたむろしているわけでもないのだから。
若者特有の同族意識、もしくは浮き立った空気が道行く人をナンパ師に変えてしまうのだろうか。ともかく、そんな不可思議な空間なのは間違いなかった。

その通りの端にジョーとフランソワーズは立っていた。

「いい?ジョー。この通りの終わりまで、よ」
「ああ。どっちがナンパされた数が多いか――だよね」
「ええ。お互いに妨害はナシよ」
「わかってる。きみこそ気をつけろよ」
「大丈夫よ」
「ふらふらついて行くなよ」
「行かないわよ。あなたこそ気をつけて」
「・・・心配だなあ」
「あら、それって私の不戦勝ってことかしら?」

ふふんと笑うフランソワーズに、ジョーは頬をぴくりと震わせた。

「・・・とにかく30分だ。いいね?」
「いいわ」

そうして勝負は始まった。

 

***

 

「かーのじょっ。時間ある?」
「すみません、いま何時ですか?」
「お嬢さん、ハンカチ落としましたよ」
「おお、久しぶりー!元気だった?」
「お茶しませんか」
「お姉さん、キレイだね。付き合わない?」
・・・
等々。

フランソワーズは、一言でナンパといってもその誘い文句のバリエーションの豊富さに内心感嘆していた。世の中には、異性の気を引くためにこんなにたくさんの言葉があるのだ。
そのいずれにも、微笑みをたたえ軽く手を振って退けながら――フランソワーズはいつしか通りの端に着いていた。
ジャスト30分。
腕時計で時間を確認し、さてジョーは、と振り返ろうとした時、隣にジョーが到着した。

 

***

 

「何人だった?」

お互いの戦果を聞く前に、近くのオープンカフェに腰を落ち着けた。ジョーはアイスコーヒー、フランソワーズはチョコレートパフェとホットコーヒー。
フランソワーズはジョーの声に、すくったチョコレートをひとくち食べてからにっこり笑んだ。

「ん・・・と、20人は超えていると思うわ。でも、途中でわからなくなっちゃったの。ジョーは?」
「うん。僕も大体同じだと思う。20を超えると数えるのがメンドクサイよね」

そうしてお互いに顔を見合わせ、笑い合った。
ちなみに補助脳において記憶する・・・というのは使っていない。真剣勝負とはいってもそこまで真剣なわけではないのだ。

「でも、それじゃあ勝負がつかないなぁ」
「あら、でも」

フランソワーズは生クリームをすくうとジョーの口元に運んだ。チョコレートパフェはふたりで半分こなのだ。

「きっとジョーの方が多いわ。だから、私の勝ちよ」
「いや、そんなことはない。絶対に」
「いいじゃない。認めたら?私の勝ち、って」
「――フランソワーズ。だったら、今度は僕が数えるから、もう一度歩いてみる?」
「ええっ・・・やあよ、そんなの」
「だってさ。――なんか、アヤシイんだよな」
「何が?」
「わざと少なく言ってない?」
「言ってないわよ?」
「だけど・・・おっかしいなぁ、そんなはずないのに」

ブツブツ言いながらジョーはコーヒーを飲み干すと、手を伸ばしてチョコレートパフェからポッキーを抜き取る。

「あ。それ、大事にとっておいたのに」

膨れるフランソワーズに取り合わず、ジョーは道行く人に視線を向けポッキーを齧る。

――絶対、おかしいよな。

納得がいかないのである。

「――フランソワーズ。やっぱり納得いかないよ」
「もう。しつこいわねぇ。いいじゃない、ジョーの負けで」
「いや、そんなはずがないんだ」
「あら、私はジョーが負けると思ってたわよ?」
「それは違うよフランソワーズ」
「違わなくないわよ。だって、ジョーってこんなにかっこいいんだもの!もてるに決まってるでしょう」
「それを言うならきみだってそうだよ。こんなに可愛いのにもてないわけがないだろう」
「ううん。この私が好きになったひとなのよ?も、絶対にものすごーくもてるに決まってるじゃない」
「だったらこっちだって。この僕が好きな子なんだぞ?それはもう完璧にキレイでものすごーく可愛いんだから、男が放っておくはずがない!」

お互い一歩も引かず、チョコレートパフェを間に見つめ合った。傍目にはただの熱々なカップルにしか映ってないが、本人たちは真剣だった。

「ジョーの方が多い。それでいいでしょ?」
「よくないよ。絶対、ズルしたんだ」
「私がそんなことするわけないでしょう」
「そうじゃないとおかしいんだ。フランソワーズがもてないわけがないじゃないか」
「だから。もう、前に言ったでしょう?私はジョーが思うほどもてないわ、って」
「嘘だね」
「本当よ?全然、もてないんだから。だから何にも心配しなくていいのに」
「だからそれが嘘だって言ってるんだ。僕のフランソワーズだぞ?何で声かけないんだ。納得いかない」

腕を組んでぷいっと視線を逸らすジョー。
フランソワーズはひとり、黙々とパフェを減らす。

今回の勝負は「どちらがもてるか」であった。
お互いに声を掛けられた回数を競い合い、多かった方の勝ち――という、ただそれだけのことだった。
しかし。

「・・・強情っぱり」

言って、チョコレートと共に飲み込むフランソワーズ。

「――ん。何か言った、フランソワーズ?」
「べ・つ・に」
「・・・その顔、可愛くないぞ」
「ええそうよ。だからジョーの方がもてるの」
「だーかーらー」

ジョーはため息をつくとフランソワーズの手からスプーンをもぎとり、アイスクリームをすくった。既に8割くらい減っている。

「どうして素直に認めないんだよ。自分のほうがもてるんだ、って」
「だって、ジョーのほうがもてるに決まってるでしょう?私の好きなひとなんだから」
「僕のフランソワーズのほうがもてるに決まってるだろ。ほら、あーんして」

 

***

 

結局、言い合ったまま会計をすませ店を後にしたふたり。
微妙に離れたままぶらぶらと歩き出す。

と。

「すみません。写真、いいですか」

カメラを向けられるジョー。

「えっ?」
「ハリケーンジョーですよね?私、大ファンなんです」
「ええと、よく間違えられるけど――別人ですよ?」
「えっ・・・でも」

ジョーはにっこり笑うとそのまま歩き出す。後ろにはカメラを構えたまま首を傾げる女性数名。

「ホラ。ジョーの方がもてるじゃない」
「今のは数に入らないよ」

どうだか、とブツブツ言うフランソワーズの目の前に男性が立った。

「すみません、道に迷ってしまって。ここってどこですか?」
「えっ?」

観光客だろうか。地図を持っている――が、どう見ても外国人の自分に道を尋ねる日本人など珍しい・・・とフランソワーズがぼんやり思っていると、物凄い勢いで手を引かれた。

「ほら!行くぞ」
「えっ、でも――」
「でもじゃない。ただのナンパだ」
「本当に迷子かもしれないじゃない」
「ナンパだ、って言ってるだろ!――ったく。だから放っておけないんだ」
全然、わかってないんだから――

おそらく、やっぱりこの勝負は僕の勝ちだ、とジョーは思う。
フランソワーズは何がナンパなのか、きっとちゃんとはわかっていないのだから。
「君のほうがもてる」「あなたの方がもてる」と言い争いになって、実際にやってみることになった。
ナンパされた数の多い方が勝ち。つまり、ジョーの方が多ければフランソワーズの勝ちとなるのだ。
が、ジョーは勝負の前に結果はわかっていたのだった。

僕のフランソワーズなんだぞ。誰よりももてるに決まってるじゃないか。

だから放っておけない――と、ジョーは繋いだ手に力をこめた。

 

 

G君のクセがうつったみたいだ

 

これはどういう因果律の乱れなのだろうか――と、ピュンマはカメラを構えてため息をついた。

ジョーの誕生日にフランソワーズの動画をプレゼントするという企画はいったいいつまで続くのか。
DVD一枚でもじゅうぶんだと思っていたのに、何故か既に4枚ある。撮影者は全員がその限度いっぱいまで録画したようだった。そして一切編集せずにそのままDVDに焼いた。・・・わからないでもない。あの映像を、撮る時と編集時の2回も観るなど拷問に等しいのだ。

・・・普通、4枚もあればもういいんじゃないか?

けれども、どういう因果律の乱れなのか再び順番が回ってきたのだ。いったい何巡すれば気が済むのだろう。

「ねぇ、ピュンマ。ちゃんと撮ってる?」

蒼い瞳が訝しそうにカメラを見つめ、ピュンマは再度ため息をつくと構え直した。ついでに――可愛かったので――ちょこっとズームしてみたりして。

「撮ってるよ、フランソワーズ。大丈夫」
「うふふ。ちゃーんと撮ってくれなくちゃ、イヤよ。こんなの普段絶対撮らせてもらえないんだから」

フランソワーズは幸せそうに手元に視線を落とした。

 

***

 

ソファに並んで座り――いつものように――恋愛ものの映画を観ていたのだった。
すっかり画面に釘付けだったフランソワーズは、映画が始まって数分後から欠伸を繰り返していたジョーに気付いてはいたものの時間の経過とともにすっかりその存在を忘れていた。
だから、当然のように自分の膝に頭を乗せて目を閉じているジョーに気付いた時はちょっとしたパニックになった。

――なんで気付かなかったのかしら??

映画とジョーと交互に見つめながら考える。

――ジョーの頭の重みに慣れちゃってるからかしら。

膝枕をするのは珍しいことではない。

・・・そうだわ。慣れてるんだわ。ジョーがこうするの。

そう思うとなんだかくすぐったいような嬉しさが胸に広がり、映画の事はどうでもよくなってしまった。
何しろ今は、映画よりも膝の上のジョーを観察する方が自分にとっては楽しいことなのだ。

目にかかっている前髪をそうっと除けてみる。すると閉じてはいるけれど両目が露わになった。
これはフランソワーズだけの特権だった。
ふだん見えない額。そこから続く鼻梁。両目。眉毛。
彼が寝ている時しかいっぺんに見られない。普段も見られたらいいのに。だってこの寝顔が凄く好きなんだもの・・・と思っていたフランソワーズは、そこへ苦い顔をしながらカメラと一緒に入って来たピュンマにおねだりをしたのだった。

 

***

 

「ね、ピュンマ。この角度でお願いっ」
「ん――それはちょっと難しいよ」
「大丈夫。私の肩越しに撮ってくれればいいのよ」
「んじゃ、ちょっと肩に載せるよ」
「ええ、いいわ。――撮れた?」
「・・・うん。大丈夫」

うんざりしながらもフランソワーズの指示に従うピュンマ。既に「ノルマ」を果たすことだけしか考えていない。
ともかく、「ふたり」を撮ればお役御免なのだ。

――ったく。何の因果で膝枕されてるジョーを撮らなくちゃならないんだ。

それも、フランソワーズの満面の笑顔つきである。それは可愛かったから、撮る分には異議はないが。
それにしても良く眠っている。殆ど熟睡と言ってもいいのではなかろうか。

「それより、いったい何を観てたんだい?」
「『美女と野獣』よ」

既に画面はブラックアウトしている。

「ふうん・・・実写?」
「ううん。アニメ。デ○ズニーの」
「・・・普通それで寝るかなあ」
「でしょう?ジョーは野獣の役なのに」
「・・・は?」
「一人ぼっちで寂しがりのくせにうまくお話できないところなんかそっくり」
「・・・あ、そ」

訊くんじゃなかった。
話が長くなりそうなイヤな予感がしたので、ピュンマは電池が終わったところで退散することにした。

「でもね、最後に野獣からいけめん王子になるところはちょっといただけないわ」

――何で。めでたしめでたしでいいじゃないか。

そう思ったものの、口には出さない。話が長くなるだけだからだ。
しかし、フランソワーズはピュンマの心の声が聞こえたのか、うっとりとジョーの髪を撫でながら続けた。
視線は先刻から一度もピュンマに向いていない。

「だって、ジョーは王子さまはイヤだって言うんですもの。だから野獣のままでいいの。・・・それにね。私も野獣の方に愛着があって、いけめん王子には何だか好意が持てなくて」
「――ふうん。俺は野獣か」

ぼそりと呟くように膝元から聞こえた声に、フランソワーズは約1センチは跳ねた。

「ヤダ、ジョー、起きてたの」
「うん」
「いつからっ?」
「ん・・・さあ?」
「酷いわ、盗み聞きするなんて。ジョーのエッチ」
「勝手に聞こえてきたんだよ」
「それにしたって、起きてるよーって意思表示してくれてもいいじゃない」

そう言うと、ジョーはニヤリと笑って下からまっすぐフランソワーズを見つめた。

「――狸寝入りが君だけのオハコと思ったら大間違いさ」
「私、狸寝入りなんてしたことないわ」
「ふふん、そうかな?」
「そうよ。そんなことしたことないもの」
「ふーん。・・・じゃあ、僕が朝キスしても全然起きないのは本当に気付いてないからって言いたいのかい?」
「イヤっ!ジョー!ピュンマの前でやめてっ!」

しかし賢明なピュンマはとっくのとうに撤収しているのだった。

「凄いよなぁ。あれで本当に眠ってるんだ?・・・ふうん」
「もうっ。ジョーの意地悪」
「だって、とても熟睡している相手にキスしていると思えないんですけど?お嬢さん」
「もうっ、やめてよジョー」
「――認める?狸寝入りしてる、っていうの」
「・・・だから私の真似したっていいたいの?」
「あ、それは違う」

言うとジョーは身体を起こし、大きく伸びをした。

「君のクセがうつったんだよ」

にっこり笑う邪気のない顔に、フランソワーズは頬が熱くなった。

「・・・もう。それは真似、って言うのよ」

こんなクセがうつるわけないじゃない。だって、・・・クセじゃないもの。
朝、ジョーがキスしてくるまでドキドキして待っている時間が好きなだけなの――

 

 

Hメールを終わらせたくなくて

 

ジョーからのメールはいつも用件のみの数行だった。しかも、字数も少ない。
そんな素っ気無いメールだったけれど、フランソワーズはそれでもジョーからメールがくると嬉しかった。
勿論、こちらからメールをしても返ってこないことも多い。それについては特に思うところはない。何故なら、彼はそうマメにメールチェックをするひとではないし、そもそもマメに長文のメールをしてくるような男のひとは苦手なのだ。
だから――素っ気無いくらいでちょうどいい。そう思っている。
ジョーからメールは殆ど来なかったけれど、自分から送ることは多かった。特にジョーが遠征している時は、ほぼ毎日と言ってもいい。とはいえ、大したことは打たない。打つのは、今日も元気でねとか無茶しないでねとか、返事の必要ない文面の短いものばかり。スクロールしなくても読める範囲のもの。そう決めていた。

 

***

 

「――あれ。メールだ」

ジーパンの後ろポケットにねじこんでいた携帯が振動し着信を知らせている。確認したらメールだった。
しかも――

「・・・フランソワーズ。――え、なんで」

自分はいまギルモア邸にいるのである。フランソワーズも確か――邸内にいるのではなかったか。
不思議だったけれど、ともかくメールを見てみることにした。
するとそこには

『今日のおやつは何がいい?』

「・・・なんだ、これ」

まるで子供に三時のおやつは何がいいのか訊くような感じである。

「・・・・」

ジョーは一瞬無視しようと携帯フラップを閉じかけた。が、ちょっと考え、返信することに決めた。
ほんの一言打って、そして携帯を畳む。
が、元通りポケットにしまう前に再び携帯が振動した。

「・・・早っ」

フランソワーズからのメールだった。返信の返信。

『本当にそれでいいの?』

質問系ということは返事をしなくてはならない。
ジョーはメンドクサイなあと思いながら返事を打った。大体、同じ邸内にいるのだし、ジョーは自室にいるのだからここへ直接来て訊けば事足りるのではないだろうか。
しかし。
たぶん――フランソワーズは今、ジョーとメールをしたい気分なのだろう。

・・・ったく。しょうがないなあ。

メンドクサイと思いながらも、フランソワーズがそれをしたいというのなら付き合うのは苦ではなかった。
と、思う間に再び振動する携帯。
いくら何でも早すぎだろう・・・と思いつつ着信を確認する。やっぱりフランソワーズだった。

『私は今どこにいるでしょう?』

「・・・は?」

なんだこれ。

ギルモア邸内にいるはずだった。朝食時に今日はやることがあるから、ずっと居ると言っていたのだから。
ただ、何を「やる」のかはわからなかった。手伝いが必要ならそう言うはずだし、特に言ってなかったということは必要ないということだし。むしろ逆に訊いて手伝いをしたいのだと思われるのもやっかいだった。
だから、実際には彼女がいまどこにいるのかは知らない。そういえば午後から行方不明だったのは確かだった。姿を見ていない。

ジョーが知らないと返信すると、更にまたすぐ携帯が着信を知らせた。見ると、やはりそれはフランソワーズであり――

『ヒント。暗くて寒いところ』

「――」

これってまさか。

ジョーが携帯を握り締めたまま固まっていると、すぐに次のメールがきた。それも見る。

『ヒント2。狭くて汚いところ』

さらに着信。

『ヒント3。重くて潰れそう』

「何だって?」

これって、あっちではなくて、そういうことなのか?

ジョーは判断に困った。が、ともかくフランソワーズが潰れては困るので探しに行くことにした。
フランソワーズからのメールは「私を探して」なのだった。そうはっきりと書いてはいなかったけれど、実は時々彼女はこういう事をするからジョーはよくわかっているのだった。
ともかく、暗くて寒くて狭くて汚くて・・・という場所はひとつしかない。重くて潰れそう、はあまり重視しない。勿論、放っておけばいずれ潰れるのだろうけれど、――主語がない。何が潰れそうなのかは不明なのだ。だから、それは当のフランソワーズかもしれないし、そうではない何かなのかもしれなかった。実際、フランソワーズはこうしてメールしてくる余裕があるのだからおそらく後者なのだろう。

ジョーは地下室へのドアが開け放しになっているのにくすりと笑い、わかりやすいなあと思いながら階段を下って行った。

 

***

 

「――フランソワーズ?」

開け放している貯蔵庫の戸口に立ち、声をかけてみる。が、返事はなかった。
覗いてみると真っ暗だった。電灯のスイッチを探り、オンにしてみるが明るくはならなかった。
軽く舌打ちをして一歩踏み込む。
電灯が点かなくてもとりあえず、何も見えないということはない。が――中は惨状だった。

「フランソワーズ?」

もっと早く気付くべきだった。
フランソワーズを探しにここへ向かう途中、あんなにきていたメールが一度も着信しなかったことに。

「フランソワーズ、どこだ?」

貯蔵棚がことごとく倒れ、中身が散乱している。その上に更に物がぶつかったらしく果物は散らばり潰れ、粉類も飛び散っている。
いったい何があったというのだろう。

「フランソワーズ!」

瓦礫をかき分けジョーは進む。
と、棚の下に白い脚が見えた。

潰れる、って――自分のことだったのか?

ジョーは半ばパニックになりながら、瓦礫を掴んで投げ捨てつつ進む。

メールなどせずに直接電話すればいいのに、何やってるんだ。

おそらく重傷を負っているだろう姿を思い浮かべ唇を噛む。

――呑気におやつの話をしてる場合か!

「・・・あら?・・・ジョー?」

瓦礫をかきわけ進むと――倒れた物と物の間のぽっかり空いた空間に、フランソワーズはちょこんと座っていた。倒壊したものに挟まれているように見えた脚も、押しつぶされているのではなくただの空間から覗いていただけだった。

「ヤダ。もう見つかっちゃったの?早すぎるわ」

唇を尖らせ再び携帯画面に向き合うフランソワーズに、ジョーは怒るべきなのか安心するべきなのかわからず立ち尽くしていた。

「・・・絵文字、ってどうやったらでるのかしら。んもう、全然わからないんだもの」
「――絵文字」
「ええ。いつものじゃなくてね、新しいのをダウンロードしたの。でも・・・」
「――フランソワーズ」
「なあに?・・・もう、ジョーったら迎えに来るのが早すぎるわ」
「・・・迎え?」
「だって重くて全部運べないんだもの」

見ると傍らにはカゴ一杯の野菜と果物が盛られていた。

「だったら最初から言えば」
「だって、メールしたかったんだもの」
「・・・は?」
「ジョーとメールってあんまりしたことなかったから、たまにはいいでしょう?」
「・・・だったら、時と場所を考えろ」
「あら、怖い顔。でも来て欲しかったのはほんとよ?つまづいて手をついたらドミノ倒しみたいに全部倒れちゃって。ここ、深いから上まで聞こえなかったでしょう?大変だったのよ。粉なんか頭からかぶっちゃうし。見て。ここ、擦りむいちゃったわ」

ジョーは深く息を吐き出すと、その場にしゃがみ込んだ。

「・・・全く。だったらどうして電話しないんだ」
「――怒らない?」
「ああ。もうすでにじゅうぶん怒ってるからな」
「・・・ハートマークつけたかったの」
「は?」
「だから。ハートマークよ」

そんなものはいつもイヤというほどついているのだった。これ以上、どんなハートを添付しようというのだろう?

「んーと、・・・・ほら、これ。天使がハートマークを持っているの。可愛いでしょう?」

携帯画面をこちらに向けられる。が、ジョーはろくに見もせずフランソワーズの腕をつかむとあっという間に抱き上げていた。

「そんなもの、どうでもいいよ」
「どうして?だって、ジョーにメールするならハートをたくさんつけたいもの」
「いいよ、つけなくて」
「イヤよ。だって――」
「要らない。今度そんなものつけたら怒るよ?」

そこでやっと――フランソワーズはジョーが真剣に怒っていることに気がついた。

「あの・・・ジョー?」
「何」
「・・・ごめんなさい」
「そうだな」
「今度からはちゃんと電話するわ」
「そうしてくれ」

何しろ、二人がお互いにあまりメールをしないのは、本当はメンドクサイからという理由ではなく――直接声を聞きたいからなのだ。

「でも――ハートはつけるわ」
「要らない」
「だって、愛情の証よ?」
「そんなものつけなくてもわかってる」
「そうかしら。だってジョーは一度もつけてくれてないわ」
「!」

ジョーはフランソワーズをその場に下ろすと、自分の携帯を取り出し画面をフランソワーズに向けた。

「――よく見ろ」

しかし、フランソワーズ宛のメール文に絵文字は見当たらない。

「・・・つけてるだろ、ちゃんと」

フランソワーズはジョーの手から彼の携帯を受け取り、じっと見つめた。そして――ふと気付いてスクロールしてみた。

「――ヤダ。ジョー、これ・・・」

そして膨れっ面だったフランソワーズは何とも嬉しそうに笑ったのだった。
なにしろ、そこには

『それでいいよ。                        ×××』

「もうっ・・・ジョーったら。こんなに間を空ける手間をかけるんなら、もうちょっと長いの書けるでしょう?」
「いいんだよ、それで」
「でも」
「ああもう、うるさいっ。いいんだって。それに俺は文章なんかじゃなく、本物の方が――」

そうしてジョーはフランソワーズを抱き寄せると唇を重ねていた。

「・・・もうっ。ジョーったら。おやつの時間にはまだ早いのに」

フランソワーズからの「おやつは何がいい?」に対するジョーの返事はただひとこと「きみ」だった。もちろん、「×」付きの。
(「×」はkissの意です)

 

Iいくら何でも、可愛いすぎだろ!

 

「――ほら、ちゃんとこっち向いて。・・・そうそう、いいぞ」

画面に映るのは海を背にしてにっこり笑うフランソワーズ。

「じゃあ、今度は追いかけるから逃げて」
「ええーっ。もういいじゃない」
「いいや、ダメだ。これは今日の僕の使命なんだからね」
「・・・もうっ」

カメラを構えて執拗にフランソワーズを追いかけるジョー。
最初は面白がって付き合っていたフランソワーズだったが、半日経ってもやめる気配のないジョーにちょっとうんざりしてきていた。

「ねぇ。今度は私に撮らせて」
「ダメだ。今日は僕の番なんだから」
「・・・私だってジョーを撮りたいのに」
「ふふん。そんな膨れっ面してると、ほーら。撮っちゃうぞー」
「ヤダ、ちょっとやめてよっ」

カメラから逃げ回るフランソワーズと、それを追いかけるジョー。
先刻から裸足で浜辺を走り回っている。くるくる回りながら。
そして目が回ってお互いに座り込むのも何度目だったろうか。
何がおかしいのか大笑いして。
最後には息が苦しくなって、何も喋れなくなって。

「――はーっ。もうっ、ジョーったら」
「なんだよ、きみが逃げるからだろっ」

息を整える間も笑い合う。

「そんなに笑うとシワができるぞ」
「ふーんだ。笑いシワならいいもんっ」
「・・・撮ってやる」
「やっ。もうっ、ジョーってば!」

カメラを向けるジョーをやめさせるべくそれを取り上げようと手を伸ばすフランソワーズ。除けるジョー。
そうしてそのまま砂地に倒れこんだ。
しばらく無言で、上下するジョーの胸に頭を預けたままのフランソワーズ。
倒れてもカメラを放さないジョー。

せっかく回ってきた順番だった。

 

***

 

今朝のことである。

「ほら、ジョー。今日はお前が撮る番だ」
「――えっ?」

朝食を食べている最中、テーブルの上に携帯ビデオカメラが置かれたのだった。
持って来たのはジェット。

「薄々気付いていただろう?俺達がフランソワーズを撮影していたって」
「・・・まあね」

正確には「二人を撮影していた」のだが、そこは都合よく省略する。

「順番に撮っていたんだけど、そろそろお前の出番ってわけだ」
「・・・ふうん」
「今日一日、これをお前に預ける。だから、しっかりフランソワーズを撮って来い。それが今日のお前の使命だ」
「――使命」
「ま、そんなわけでヨロシク」

肩を叩かれ、ジョーは一瞬むせた。
ジェットの後ろ姿に目をやり、その後卓上のカメラに目を移す。

「・・・」

実は、いったいいつ自分に順番が回ってくるのかと思っていたのだった。
まさか本当は順番が回ってくるわけがないことなど知る由もない。
今日は本来ジェットの番なのだが、前回の撮影でうんざりした彼は、画像を渡す当の本人であるジョーにその役を押し付けたというわけだった。

――どうせアイツが観るんだから、アイツの好きなように撮ればいいだろ。

一応、理にかなってはいる。
が、誕生日プレゼントを渡す本人にそのプレゼントの準備をさせることになるのだから、本末転倒といえば本末転倒でもあった。

そんな経緯を全く知らないジョーは、カメラを見つめ嬉しそうに微笑んだ。
何しろ、やっと――自分の好きなようにフランソワーズを撮れるのだ。これはもう、絶対、DVDに焼いてしまわなくては。
撮影後にこっそりそれをするのは簡単だろう。――よし。
俄然、気合がはいった。

最初は、キッチンで後片付け中のフランソワーズの後ろ姿を延々と撮っていた。途中、そこに突っ立っているなら手伝ってと叱られたが負けなかった。
何故、後ろ姿ばかりなのかというと、手伝わないなら入ってこないでと言われたので、キッチンの戸口から撮影したのである。まるで定点カメラのような構図だった。が、時々ちらちらとこちらの様子を窺うフランソワーズは可愛くて、実は秘かに彼の中の「フランソワーズランキング」では最近、上位にランクインしているのだった。

次はランドリールームだった。
こちらは横顔になる。しかもアップの。
ジョーはずっと隣にくっついてカメラを向けていた。当然、フランソワーズに何度も「邪魔よ、退いて」と言われ続けた。が、負けなかった。最後には怒ったフランソワーズに頭からシーツを被せられたけれども。

さすがに昼食の準備中は自粛した。これは他のメンバーに止められたためである。
フランソワーズを怒らせると作ってもらえないからというのが理由だった。

そして午後になり、浜辺での撮影もいいんじゃないかと言われ、二人揃って浜辺までやって来ていたというわけだった。
体よく邸を追い出されたのだが、二人ともそれには全く気付いていない。
いま、二人がさんざんはしゃぎまわっている間、ギルモア邸は静寂を取り戻しているのだった。

 

***

 

「ねぇ。これ、どうするの?」

フランソワーズがジョーの胸に頭を預けたまま問う。指でカメラを示しながら。

「うん?・・・そうだなぁ。DVDに落とすのがいいと思うけど」
「だって、私ばっかり映ってるのよ?」
「うん」
「そんなの、観たってつまらないじゃない」
「え。つまらなくないよ?」

何で?とジョーが身体を起こす。
フランソワーズも一緒に身体を起こした。二人とも頭から背中から、ともかく砂だらけである。

「だって、フランソワーズが映ってるんだよ?」
「ん・・・そんなの観て面白いかしら」
「面白いよ。色んな顔してるし」
「それは、ジョーが撮るからでしょっ!」

胸を拳でどつかれ、ジョーは大袈裟に身を折った。

「ヤメロ。そんな怪力で殴られると穴が開く」
「フーンだ。ちゃーんと手加減してますっ」

怒った顔。
膨れっ面。
照れた笑顔。
満面の笑み。
振り返るフランソワーズ。
背中。
あたまのてっぺん。
耳のかたち。
それから・・・・

――ああ、そうだ。肝心のものを撮ってないや。

ジョーのなかの「フランソワーズランキング」の不動の一位は「もうちょっとで泣くフランソワーズ」なのだ。
それを撮らなくては、と気持ちを引き締める。
が、しかし。
それを撮るには彼女を泣かせなくてはいけないのだった。

どうやって泣かせようか。

「・・・・」
「なあに?ジョー」

ただじっと見つめるジョーにちょこっと頬を染めるフランソワーズ。軽く首を傾げて。

「・・・うん。どうしようかなあって思ってさ」
「何が?」
「うん――」

どうすれば泣いてくれるだろうか?

――しかし。

くすりと笑んだジョーにフランソワーズは眉をひそめる。

「なあに?もうっ。変なジョー」
「いや、――」

やっぱり、一番好きな彼女は自分の胸だけにしまっておこう。映像に残して他人に見せるなんて勿体ない――

「なんでもないよっ」

そうしてジョーはフランソワーズを抱き締めた。