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J待ち合わせ?そもそも、一緒に家出るし。
「あれ?今日、出かけるのかい?」
ふわふわステップを踏んでいるみたいな鼻歌混じりのフランソワーズにピュンマが笑って声をかけた。
「うんっ。そうなの。ジョーとね、デートっ」
「デートお?」
「そうよ」
「デートって・・・」
ピュンマは腕を組み、首を傾げた。
――デートって、毎日顔を合わせてるじゃないか。
なのに、わざわざ・・・デート?
「買出しかい?」
「違うわよっ。デートですっ」
べーと舌を出してリビングを後にするフランソワーズ。その後ろ姿も鼻歌と一緒にゆらゆら揺れているのだった。
「・・・やれやれ」
毎日くっついているのに何が新鮮なんだかわからなかったけれど、こういうフランソワーズは見ていて心地良かったから、ギルモア邸の住人はともかく彼女が楽しくて幸せならいい――と思っているのだった。
逆にその反対の場合は、もちろん全員一丸となってジョーに仕置きをするのだけれども。
***
相変わらず鼻歌と共にふわふわしているフランソワーズが玄関で靴を履いていると、ジョーが隣で靴を履き始めた。
「――あ」
二人同時に言って顔を見合わせる。
「今、出るの?」
「うん。フランソワーズも?」
「ええ」
「・・・・・」
お互いに黙り込む。
「ジョー。遠回りして来てね」
「ええっ。何でだよ」
「だって、ジョーの方が早く着いちゃう」
「途中で道が混む時間帯だから大丈夫だよ。それよりきみだってバスの時間があるだろう」
「ええ。10分後にくるはずよ」
「10分って・・・ダメだよ、フランソワーズの方が先に着くじゃないか」
「いいわよ別に。待ってるから」
「嫌だね。バス一本遅らせろ」
「嫌よ。間に合うのに」
お互いに一歩も引かずに睨み合う。
「だったらやっぱり一緒に行こう」
「イヤ。待ち合わせしなくちゃデートにならないじゃない」
「何でだよ。いいじゃないか、同じ場所に行くんだし」
「当たり前でしょう、デートなんだから」
「だったらいいじゃないか、一緒に行けば」
「だから。デートっていうのは、まだかなーってどきどきして待っているのも込みじゃなくちゃダメなのよ」
「そんなの誰が決めたんだよ」
「そういう昔からのシキタリなの!もうっ。ジョーったらなーんにも知らないのねっ」
「そんなシキタリ聞いたことないぞ」
「不勉強」
「なんだと」
「あのさ。ちょっと退いてもらっていいかな。靴履きたいんだけど」
こめかみを掻きながら困ったように言うピュンマ。
内心、さっきからコイツらはここで何をしてるんだと思っている。が、顔には出さない。
モーゼが海を割ったように、二人がフンと顔をそむけて間を空けた。
ピュンマはアルカイックスマイルを浮かべたまま、二人の間でスニーカーを履く。
「――ん?これからデートなんだろ?」
「そうよ。でもね、聞いてよピュンマ。ジョーったら、酷いの!」
「・・・酷いって何が」
靴ヒモを結ぶのに集中しているフリをしながらこっそりため息をつく。
――ったく。やばい時に来てしまったようだ。
「だって。一緒に出ようって言うのよ?デートなのに」
「・・・デートだろ。一緒に出ればいいじゃないか」
「ほーら、フランソワーズ。ピュンマも同じこと言ってるだろ」
「ピュンマもシキタリを知らないんだわっ」
・・・シキタリって何だ?
しかし賢明なピュンマは質問しない。ともかく、一分でも一秒でも早くここを立ち去ることだけ考える。が、こういう時に限って靴ヒモが絡んでいたりする。
「デートってね。時計をみながらドキドキして、いつ来るかな、まだかな、て思いながら相手の姿を探すのが基本なのよ」
「だから、それがおかしいんだ、って。待たなくてすむのになんでわざわざ待ち合わせするんだよ」
「昨夜そう決めたでしょう?ジョーもいいよって言ったじゃない!」
「言ったけど、よくよく考えたら不自然だって言ってるんだ」
「約束したのにっ」
「してないだろ」
「ゆびきりげんまんしたじゃない」
「だから、してない、って」
「ジョーが寝てる時にしたものっ」
「俺に覚えがないんだから無効だっ」
頭の上でふたりにわあわあされてピュンマは頭がぐらぐらしてきた。
玄関ホールなので声が響いて何が何やらわからない。
「――あのさ」
「なあに、ピュンマ」
彼は絶対に自分の味方だと信じて疑わないフランソワーズが、加勢をされたと嬉しそうに答える。
対するジョーは渋面を作ったままだ。
「もし本当にゆびきりしたんだったら、ジョーは針千本呑まなくちゃいけないってことになるな」
「・・・・え?はりせんぼん?」
フランソワーズはきょとんと瞳を丸くした。
「何だ。知らなかったのか?ゆびきりっていうのは絶対なんだ。もし破ったらそういう罰を受けることと決まっている」
「・・・そうなの?」
「そう。だから、ジョーは直ちに針を千本呑まなくてはならない」
「・・・針を千本・・・」
フランソワーズは不安そうにピュンマとジョーを交互に見つめた。
「・・・そんなの、・・・呑んだらどうなっちゃうの」
「そうだねぇ。かなり痛いんじゃないかな。うまく垂直に通れば胃までまっすぐいけるだろうけど、ちょっとでも斜めになったら食道で引っかかるし、切り傷だってできるだろうね」
「・・・痛いわよね?」
「たぶんね。でも、ジョーなら案外大丈夫かもしれないよ」
「・・・・」
「やってみるなら、針を準備しないと」
どうする?と真剣な顔で見つめるピュンマに、フランソワーズは一歩退いた。
「それって・・・痛いだけじゃなくて、血もでるわよ・・・ね」
「それはそうだろうな」
「・・・・」
じいっとジョーの顔を見つめる。ジョーは渋面を作ったままフランソワーズを見ない。
「え、・・・と、ジョー?」
「なに」
「約束・・・」
「俺は覚えがないけど、一緒に出かけることが約束を破ることになるんだったら仕方ないな」
「だって、待ち合わせすればいいだけの話じゃない」
「フン。そんなの、する必要ないだろ。一緒に出かけるのに」
「・・・だって」
そういうの、してみたいんだもの。というフランソワーズの声は段々小さくなり、空気に溶けた。
「――で?どうする?」
「やっぱり針呑まなきゃいけないかなぁ。許してくれないみたいだし」
ジョーがちらり、とフランソワーズを見つめる。
フランソワーズは何やら考えこんでいたが――
「――約束なんて、してなかったわ!思い出した!」
「あれえ?さっきはしたって言ってたよね?」
「ううん。あれは気のせいよ。私、ゆびきりするのに指を間違えちゃってたの思い出したわ!」
「指?」
「ええ。だって、ゆびきりは小指でしょう?確か――違う指だったから、だから成立してないわ」
「ふうん」
「それに、よーく考えたら、一緒に住んでるんだもの、一緒に行けばいいのよね?」
「――そうだね」
「だから、針なんか呑んじゃダメっ!!」
そうしてフランソワーズがジョーの腕の中に収まった時には、既にピュンマは退散した後だった。
***
その後、どうなったのかというと。
ストレンジャーで一緒に出かけたふたりだったが、駐車場に着いて車を降りてから――建物をジョーは右から出てフランソワーズは左から出て、お互いに「待ち合わせ」をしたのだった。
もちろん、ジョーは少し遅く到着するように時間の調節をして。
だからフランソワーズは、まだかしら、もうジョーったら。という気分をじゅうぶん満喫することができたのだった。
待ち合わせ場所の少し手前の曲がり角で、5分間ただ身を隠して立ち尽くしたジョーは、いったい自分はどうしてこんなことをやってるんだろう・・・と思いつつ、5分後に満面の笑みで迎えてくれたフランソワーズを見て、まあ、たまにはやってみるのもいいかなと思うのだった。
K何を着ても素敵です
「ダメよ、ジョー。じっとして」
「いいよ、前と同じで」
「ダメよ、変わってるかもしれないじゃない」
「変わってない、って。絶対」
「あら、そんなのわからないわよ。測ってみなくちゃ」
「だーかーらー。僕たちはさいぼ」
「しっ。それは禁句っ」
「・・・いつ禁句になったんだ」
「今よ。い・ま」
ほら、おとなしくしてとフランソワーズに言われ、ジョーはしぶしぶ両手を広げた。
その脇にフランソワーズが入り込み、ジョーの胸にメジャーを巻きつけてゆく。
「・・・センチ5ミリ。ほーら。前より5ミリ増えてるわ」
「誤差だよ、そんなの」
「いいから、次はウエストよ」
うんざりした顔を隠そうともしないジョー。それに気付いているのか気付いていないのか、ともかくジョーを測り続けるフランソワーズ。
――まったく。僕以外の奴はみんな前と同じだからって測ってなんかいないのに。
「ん?ジョー、何か言った?」
「別にい」
「あら、何だか投げ遣りね」
「そうかあ?いつもと同じだよ」
ジョーに抱きつくように腕をいっぱいに回していたフランソワーズは、ちょっと黙って、そうしてジョーを見つめた。
「ね。ナゲヤリ、ってヤリナゲと何だか似てるわね」
「・・・・・・・似てねーよ」
ぼそり、と小さな声で答えるジョー。しかし、フランソワーズには全部ちゃんと聞こえるのだった。ジョーの声は特に。
「言葉遣いが悪いわよ、ジョー。不良みたい」
「不良だからしょーがねーじゃん」
「もうっ」
ぎゅうっとメジャーを絞めた途端、ジョーが苦しがるよりも先に――メジャーが切れた。
「きゃっ」
「あーあ」
「もうっ。ジョー、今身体に力を入れたでしょっ」
「入れてないよ。きみの怪力が出ただけじゃない」
「――何かおっしゃいました?」
「いいええ、なーんにも」
***
今日は防護服を新調するための測定が行われているのだった。但し、ジョーだけの。
他のメンツは「サイズが変わってるわけないだろう」と至極当然の結論にて誰も測定などしていない。
もちろん、ジョーもそのつもりだったが、なぜかフランソワーズが測る気まんまんで待ち構えていたのだった。
しかも、どこから持って来たのか――防護服の特殊繊維の見本まで用意して。
「――さてと」
測定値を記入した後で――いったい何に記入したのかジョーは知らない――フランソワーズはその特殊繊維の見本を取り出した。
「・・・なにそれ」
「これ?・・・ふふっ。イワンに提案してみたの。私たちって赤い色しか着てないでしょう?せっかく新調するのだから、別の色も欲しいわ、って」
「――なんで」
「だって、赤、よ?白とかピンクとか青でもいいじゃない」
「あのね、フランソワーズ」
ジョーはさりげなく見本を奪うと諭すようにフランソワーズに話しかけた。
「ヒーローが赤い色を着るというのは、統計学上貴重なデータに基づいて決まっていることなんだよ」
「そうなの?」
「うん。確か――玩具メーカーかどこかの誰かが、ちびっこたち・・・ええと、何千人だったか忘れたけど、ともかく統計を取ったんだ。好きな色の。で、一番多かったのが赤だったっていうわけさ」
「だから、なんとかレンジャーってリーダーは赤いのを着てるの?」
「そういうこと」
「・・・」
だから、他の色なんていいんだよ――と、見本を傍らに置いたジョーだったが、何やら考え込んでいたはずのフランソワーズが瞳をきらきらさせてこちらを見つめているのにぎょっとした。
「なっ、なに?」
「ダメよ。ジョーっったら、そんな事言って誤魔化しても」
「誤魔化してなんかっ・・・」
「いい?だったら、ナインはどうして白いのを着てるの?」
「・・・・え」
「それに、スリーはピンクだわ」
「・・・それは」
白黒だからだろう――と思うものの、敢えて口に出すのは控えた。代わりに
「でも、アイツのマフラーは赤だし」
と言った。が、既にフランソワーズは聞いていない。
傍らの箱に屈んで何かを出している。
「・・・ね、フランソワーズ」
この時にばっくれてれば良かったのかもしれない・・・と、後になってジョーは思ったのだったが、当然の如く後の祭りである。
「じゃーん!」
フランソワーズが取り出したのは、真っ白い生地で作った防護服だった。――男性用の。
「・・・なにそれ」
「イワンにトクベツに作ってもらったのよ」
「・・・イワン・・・」
――アイツ。
心の中で舌打ちする。
イワンは熱心なフランソワーズの信奉者であり、彼女のお願いならなんでも叶える気まんまんなのだ。
「ね。着てみてっ」
「・・・僕は赤でいいよ。きみだろう?他の色を着たがっていたの、って」
「ふふん。御心配なく。もちろん、私のもあるのよ、お揃いで」
***
「わあっ、ジョー、似合ううう」
「・・・そうかぁ。何だか落ち着かないぞ」
「ほら、赤いマフラーもして」
「うーん・・・。でもさ、フランソワーズ。二人で白いの着てるとなんていうか・・・医療関係者みたいじゃないか?」
「そお?」
「それに、カレーうどん食べたら大変なことに」
「あら、そうね。・・・パスタもあぶないわね」
「うん。蕎麦とか、麺類はアウトだろ」
洗濯担当としては、ちょっと悩むところだった。
「――これはまだやめておいた方がいいと思うよ?」
「でも、いずれ着ることになるんじゃない?」
「でも・・・今はまだ、いいよ」
「似合うのに」
「フランソワーズのほうが似合うよ。――うん」
「ほんと?」
「うん。・・・目の色と合ってて、・・・・可愛い」
「ヤダ、ジョーったら」
「ほんとだって」
「や、もう、じゃあ、私これにしようかしら」
「却下。ダメだよ。こんなの着られたらずっと見惚れちゃうだろ」
「もう・・・ジョーのばか」
「う。・・・これは、僕は着なくてもいいかい?」
「あら、可愛いのに?」
「僕は可愛くなくていいんだよ」
「でも・・・ほら、ピンクって可愛くない?」
どうやら気に入ったらしく、ピンクの防護服でジョーのまえてくるりと一回り。
「・・・・・・なんとかレンジャーみたいだ」
「あ。ひっどーい」
「な?二人で着たら、なんだか妙な気がしないか?」
「妙な、って?」
「ほら。ピンクをペアで着ているお笑いの」
「――あ!」
なっ、そうだろ?と笑いかけたジョーの顔はそのまま凍りついた。
両手を打ち合わせて得心したはずのフランソワーズは、どこからかビデオカメラを取り出したのだった。
「なななんだそれ」
「何ってカメラよ。あーあ、もっと早く気付けばよかった。撮り損ねちゃったわ。――ほら、ジョー。着てみて」
「だから、僕は着ない、って」
「えー。おそろいなのに」
「いいから。――ほら、僕が撮るから、フランソワーズ。ひとまわり」
「ん・・・」
ジョーにカメラを取り上げられ、しぶしぶながらくるりと一回転。
「・・・お揃いがいいのに」
ジョーが着てくれないなら、ピンクはダメね。とため息をついたフランソワーズだった。
結局、さんざんあれこれ試着させられたジョーだったが、最後はいつもの赤い防護服に落ち着いた。
ちなみに、サイズも前回と変わっていなかった。
「・・・ねえ、フランソワーズ」
「なあに?」
防護服を畳んで箱にしまいながら、フランソワーズは答える。
ジョーはというと手伝うでもなくその姿を眺めているだけ――でもなく、しっかりビデオカメラでフランソワーズを撮っているのだった。
「そういえば、きみのサイズ測ってなかったよね?」
「ええ。だって前と同じだもの」
「・・・違うと思うよ」
「同じはずよ?」
「そうかなあ」
「そうです」
「違うと思うんだけどなぁ・・・」
カメラを傍らのテーブルに置くと、ジョーはつと進んでフランソワーズの背から腕を回した。
「――たぶん、去年とは違ってると思うよ。――ここが」
「やだっ、どこ触ってるのよ、もうっ――ジョーのエッチ」
・・・・・。
カメラの録画ボタンは、迂闊にも押されたままだった。
しかも音声も同時に録音されていたことに彼らが気付くのは――ずいぶん後になってからのことだった。
L前から大好きだったけど
「私、前から大好きだったのよ」
「へえ。奇遇だね。僕もだよ」
そう額をつき合わせて言い合って、お互いの手を握り合って。
「ホント?ジョー」
「ホントだよ。フランソワーズ」
「だって、信じられない」
「信じてよ。僕のフランソワーズ」
「まあ。ジョーったら」
「君こそ、ホントに?フランソワーズ」
「本当よ。疑っちゃ嫌だわ」
「うん、でも・・・自信がないんだ」
「何に自信がないの?」
「君が思ってくれる自分自身に」
「ジョーったら。何回、好きって言ったらいいの私」
「何度でも言って」
「ん・・・好きよ、ジョー」
「うん」
「ジョーも言って」
「好きだよ、フランソワーズ。前から大好きだったけど、今はもっと」
***
「おいおいおいおい。何なんだコレは」
「何って何が」
「アイツらだよ!ココは一応、公共の場だぞ。部屋でやりゃあいいだろうに」
「――お前。だったらソレ言ってこい」
「イイッ?俺が?アイツらに?」
冗談じゃない――と、ジェットは慌てる。
「だろ?だったら我慢しろ。ここに居ると思うな。雑念を捨てろ」
「雑念って、オイ・・・」
見ると、リビングの隅では確かにジェロニモが座禅を組んでいるのだった。
ここはギルモア邸のリビング。
博士とイワンを除いた一同が集められていた。
何しろ、今日は年に一度の邸内清掃の日。全ての部屋をいま、清掃業者が清掃しているのである。それも本格的に。
事前に貴重品や電子機器類は地下へ持って行ってたし、他の家具類はここリビングと前庭に移されていた。
ちなみに、リビングとキッチンは一昨日既に清掃済みだった。今日は他の部屋――空き部屋も含めて、天井から何から隅々まで洗われるのだ。
誰より何より、自分たち自身が精密機械である彼らに対し、やはりホコリや雑菌などは可能な限り排除しておくべきだという博士の持論――親バカとも言う――の元に、年一回は行われるのである。
その間、地下室へ行く道筋はイワンがカムフラージュし、当の地下には博士とイワンが篭っている。
そんなわけで、一同はリビングに会しているのだったが。
トイレと称してジェットがだいぶ長く席を外していた間、いったい何があったのか。
戻ってきたジェットが見たのは、奥のソファに陣取ってお互いの気持ちを確かめ合っているジョーとフランソワーズ、少し離れたテーブルについているピュンマとハインリヒ。そして、隅で瞑想しているジェロニモだった。
「俺がトイレに行ってる間に、一体何があったんだ?」
ジェットがピュンマの隣に腰掛け、目で奥の若い二人を示す。
「いやあ・・・いつもの通りだったんだけどね」
苦笑するピュンマ。自然に視線の向いた先には、手を取り合い見つめ合う仲良し二人組の姿があった。
「最初は仲良くしりとりをしていたんだけどさ」
「しりとりぃ?」
「ああ。ヒマだから、だとさ」
「ああん?」
「俺たちも誘われたんだが、辞退させてもらった」
ハインリヒが手元の本に目を向けたまま静かに言う。
「――ふうん。・・・で?」
「うん。結局、二人で遊んでいたんだけどね」
確かに最初はただのしりとりだった。が、途中から雲行きが怪しくなってきたらしい。
「文章のしりとりになったんだよ」
「文章?」
「そう。――『き』。・・・『気がついたら好きだった』みたいな」
「・・・うげ」
ジェットはそれ以上言うなとピュンマに手のひらを向けて止めた。
「で、いつの間にかしりとりじゃなくなって、それで――」
「――ああいう状態というわけか。しっかし、フランソワーズならまだしも、ジョーのヤツ、よくあんなに恥ずかしげもなく言えるもんだな」
「二人の世界なんだろう」
「うーん・・・」
それは、ジェットにもわからないでもなかったから、しばし黙った。
目は何となく仲良し二人組を注視したまま。
と。
突然、椅子を蹴倒してジェットは立ち上がるとつかつかとその二人の元へ向かった。
「おい、お前ら!」
しかし二人とも答えない。
「チューはやめろ!」
背後ではピュンマが大きくため息をついて、気の毒そうにジェットを見つめ肩をすくめた。
ハインリヒは目を本に向けたまま。ジェロニモは瞑想している。
「正気にもどれっ・・・うわっ」
そうしてジェットはあっという間に後ずさりしてもとの場所へ戻った。顔が赤い。
「――オイ、ピュンマ」
「何」
「アイツらっ・・・」
「だから、放っておけ、って」
「いや、しかし」
「見ちゃダメだ」
「いや、だけどだな」
いつから人前でマジなキスをするようになったんだ?
Mケンカしててもバカップル(↑の続きです)
「もうっ・・・ジョーのばか!」
「なんだよっ。ばかって言う方がばかなんだよっ」
「いっつもそればっかり!」
ふんっ!!
仲良くキスしていたと思ったら、離れた途端のケンカだった。
くっついていた身体を離し、お互いにソファの端と端に離れて。
そうして、「フン」と同時に顔を背けた。
「・・・何やってんだ?アイツら」
「・・・さあ?」
なるべく見ないようにしていたジェットとピュンマだったが、静かになったと思った矢先の仲間割れに思わず二人を注視してしまった。ハインリヒも本から顔を上げており、ジェロニモも目を開いていた。
***
「酷いわ、ジョーったら」
フランソワーズの瞳に涙が滲んでくる。
「みんないるのに。いくらジョーでも許せないわ」
なんとなく耳を傾けていた「兄」たちは顔を見合わせた。
――俺たちがここに居るってのは、いちおうわかっていたんだ?
まるで世界で二人しかいないかのようないちゃいちゃっぷりだっただけに意外といえば意外だった。
――そうだよな。いくら何でもこれはないよな。恥ずかしいよなあ、フランソワーズ。
と、全てジョーが悪い、という思考の流れになったのだが。
指先で目尻を拭い、フランソワーズは頬を膨らませる。
「こういうのは、お部屋でゆっくりじゃなくちゃ嫌」
――え?
そこ?
フランソワーズ、怒ってるのはそこなのかい?
呆然として思わずフランソワーズを見てしまう兄たち。が、当の彼女は全くその視線には気付いていない。
「そんなこと言ったって。途中で調節できたら苦労しないさ!」
・・・おい、ジョー。お前・・・。
――若いなあ。
フランソワーズの言葉に呆然としていた兄たちは、ジョーの言葉に脱力してテーブルに突っ伏した。
ああ、早く掃除が終わらないかなぁ・・・。
まだまだ掃除は続く。
今日の午後いっぱいは続いているのだ。
そして、おそらくこの実のないケンカも。
***
「途中で調節できない、って、おかしいわ!あなた経験豊富なはずでしょう?」
「豊富、って、それはっ」
「知ってるもの。――でも、それはいいの。昔の事だから、いい」
「・・・フランソワーズ」
不潔、とか、女好き、とかとか言われずにすんだ・・・とほっとジョーは胸を撫で下ろした。
もちろん、今彼が思ったようなことをフランソワーズが言ったことは無い。おそらく、これからも言わないだろう。
これはジョーが自分自身の過去に対して勝手に思っている事なのだ。負い目――とは思わない。が、それでも――もし戻れるのなら、お前は将来フランソワーズに出会うんだからとひとこと言ってやりたかった。
もちろん、自分がそういう行動に出てしまっていた過去には、色々と原因があり、そうしていなければ生きてなどいなかった・・・ということなのだけれども。
それを思うたびに胸の奥が苦しくなるのは、フランソワーズと出会ってからだった。
だから。
「――いいよ。言えば?」
「えっ、ジョー?」
「きみが言って気が済むなら」
「・・・ジョー」
つい口が滑ってしまったことを後悔しても遅い。勢いで言ってしまったのだとしても。
そしておそらく、ジョーを傷つけてしまったのに違いないことは間違いなかったから、フランソワーズの気持ちは沈んだ。
しかし、なんと言えばいいのかわからない。
大体、ジョーの過去などもう関係ないのに。
ごめんなさいと言うのも違う。
気にしてないわと言うのも違うような気がして、結局何も言えずに黙った。
「僕はフランソワーズに会ってから、ずっと胸が苦しくていつも死ぬ思いをしているんだから、今さらそれが増えたってちっとも辛くないさ」
「・・・胸が苦しい、の?」
「うん」
「どうして?」
「・・・それを訊くの」
ジョーがすうっと目を細めた。
「――それは」
「もしかして、ジョー、あなた故障してるの?」
「え?」
ソファとソファの端と端に離れていた距離を、フランソワーズは一瞬で縮めた。
あっという間にジョーの腕の中に勝手に収まっている。そうして、彼の胸に耳をつけた。
「ん――そういう意味じゃ、ないんだけど」
なりゆき上、ジョーはフランソワーズの髪を撫でる。撫でながら、天を仰ぐ。
「うーん・・・でも、ある意味合ってるっていえば、合ってるのかな・・・?」
天を仰いだまま首を傾げる。
何かカッコイイ決め台詞を言おうとしていたのに、とんちんかんなフランソワーズの行動に恥ずかしいコトを言わずに済んだ・・・とほっとした反面、せっかくの決め台詞を封じられたような釈然としない理不尽な思いに包まれ、ジョーの心はちょっとだけ沈んだ。
――ああ、もう。
乱暴に自分の前髪をかきあげて、そうしてから、少し強引にフランソワーズを膝の上に抱き上げた。
「きゃ。ジョー、ちょっと・・・みんなが見てるわ」
「ふん。何を今さら」
「だって、恥ずかしいわ」
「あっそ」
「ジョーったら」
「嫌だったら逃げれば?」
「!?」
フランソワーズが驚いてジョーを見つめる。が、ジョーはふいっと横を向いた。
「本当に嫌だったら逃げればいいよ。僕は追わない」
「・・・ま。そんなこと言って。知ってるわよ、本気で思ってないってことくらい」
「何を言う。本気で思ってますよ?」
「嘘ばっかり。――逃げたら泣くくせに」
「泣きません」
「ううん、絶対、泣くわ」
「泣かないってば」
「泣くってば」
「泣きません」
「泣くでしょう?」
しばし一歩も譲らず見つめ合う。
「――じゃ、逃げてみようかしら。そんなに言うんだったら」
「・・・やってみたら?」
そのジョーの言葉が終わらないうちに、フランソワーズはするりとジョーの膝から降りた。あっけなく。
ジョーはまさか本当にフランソワーズが逃げると思わなかったから、彼女を抱いていた形のまま固まった。
「・・・あ、れ?」
フランソワーズはくるりと背を向ける。そうしてスキップするみたいに、ピュンマたちのいるテーブルまでやって来た。
「こっちの仲間に入れて」
「それはいいけど・・・ジョーはどうするんだ?」
「知らないわ。あんなヒト」
「それはあんまりじゃないかな」
「いいの。いまケンカ中なんだから」
「でもなぁ・・・」
ジェットはテーブルに突っ伏したまま無視を決め込んでいる。若い二人には金輪際付き合わないつもりらしい。あるいは、ただ単に眠くなっただけなのか。ともかく、ジェットはフランソワーズを完全無視していた。
ハインリヒは同じく本から目を上げず、こちらも我関せずの姿勢を保っている。
ジェロニモは――瞑想中だった。
ピュンマはため息をつくと、頬を膨らませたフランソワーズを見つめ、次に彼女の背後のジョーを見つめた。
そうして、今度は深い深いため息をついたのだった。
「・・・フランソワーズ。僕は知らないぞ」
「え、何が?」
「・・・あっち。見てみろ」
「嫌よ。ジョーなんか」
ふんっと鼻を鳴らすのを、まあまあとなだめすかしてピュンマはもう一度言う。
「いいから、ちょっとあっちを見てみろ、って」
「――もう。しつこいわね。ジョーを見たって・・・」
ちらり、と肩越しにジョーを振り返って見たフランソワーズは絶句した。
「ヤダ、ちょっと、ジョー」
フランソワーズの目に映ったのは、ソファではなく何故か床に座り込んでいるジョーの姿だった。
――たいく座りの。
Nかまっての合図
ジョーのたいく座り。
いわゆる、両膝を胸の前で抱えるように両腕で抱いて、更にその膝頭に額を押し付けるという座り方。日本では小学生になれば体育の時間にこの座り方を習うという。よって「体育座り」、略称「たいく座り」。
ジョーの、ある意味定番の姿であった。
フランソワーズは思わずため息をついていた。
あまりにも見慣れた彼のこの姿。
彼の、この姿を初めて見たのはいつのことだったろう?
思えば、出会ってすぐの頃に既にこの格好をしていたような気がする。
そう、確か――
彼のテストが終わるのと同時に自分達はブラックゴーストに反旗を翻した。わけもわからずついて来るはめになった009以外は、作戦が比較的うまくいってほっとしていた。そうして和やかな空気になり始めたのだったが、その矢先に001が勝手に彼の過去を話し始めてしまったのである。彼の許可もとらずに。
一番最後に仲間になった009を手っ取り早く理解するにはそれしかなかっただろう。が、プライベートな事をいきなり暴露された009は当然面白くない。
だから、彼は、彼を囲む全てのものを拒絶するかのように――この姿勢をとった。
そう――確かこの時、初めてこの姿を見たのだった。
最初はわからなかった。なぜこんな姿勢をとるのか。
しかし、呼んでも呼んでも返事をしない。周囲を無視して自分の殻に閉じこもっているのか、あるいは外界のもの全てを拒絶しているのか――ともかく、これではコンタクトがとれない。
仲間たちは呆れたように肩をすくめ、009はますます孤立していった。
もちろん、時間の経過とともに009はみんなに慣れて、心を開いてくれるようにはなったのだけれども。
未だに時々目にするこの姿。
――最初は、外界を遮断する、全てを拒否するためのポーズと思ったのだったわ。
フランソワーズは思う。
本当に、最初はそうとしか思えなかったのだ。
彼の出自を知れば知るほど。
しかし。
後に――それはいつのことだったか忘れてしまったけれど――そうではなく、これは彼が落ち込んでいたり寂しくなったりした時にとる姿勢なのだとわかった。
何故わかったか。
その時、彼は泣いていたから。
ひとりぽっちで生きてくるしかなかった彼。
信じては裏切られ、・・・裏切られ続けて誰も信じられなくなり、信じることをやめてしまった。
だから、頼るひとも心を許せるひともおらず、落ち込んでも泣いても助けてくれるひとはいなかった。
自分でどうにか折り合いをつけるしかなかったのだ。自分の気持ちに。
そんな時の、・・・自分を防護するための、姿勢。
要は防御姿勢なのだった。
「・・・もうっ」
ひとこと洩らすと、フランソワーズはつかつかとジョーの元へ戻り、そうしてしゃがみ込んだ。
「ジョー?」
「・・・」
「ね。ジョー」
「・・・」
顔を伏せたまま動かないジョー。
その髪をそうっと撫でて、フランソワーズは彼の耳元に唇をよせる。ジョーにしか聞こえないように。
「・・・ばかね。私があなたから逃げると思うの?」
「・・・だって、逃げた」
「本気なわけ、ないでしょう?」
「・・・ほんと?」
「本当よ。ほら。早く捕まえて頂戴」
ジョーが顔を上げる。が、その顔が見えないようにフランソワーズが彼の首筋にかじりつく。
「ほら。早く」
ジョーの両腕が膝を解き、のろのろと持ち上がりフランソワーズの身体に巻きつく。
「だめ。もっと、ぎゅーってしてくれなくちゃ」
ジョーが腕に力をこめる。が、
「もう。本気ださないと逃げちゃうわよ?」
フランソワーズがそう言った瞬間、ぎゅうっと抱き締めていた。
「うふっ。捕まっちゃった」
「・・・捕まえた」
「そう。捕まっちゃったわ」
「僕の」
僕のフランソワーズ。
「・・・だから言ったのに」
フランソワーズがジョーの鼻を指先でつんとつつきながら言う。
「逃げたら泣くわよ、って」
「・・・泣いてないよ」
「泣いてるじゃない」
「これは汗だ」
「だって目が濡れてるわ」
「汗が目に入っただけだよ」
軽く唇を尖らせ、拗ねたような甘えたような声で言うジョーにフランソワーズは思わず噴き出した。
「もうっ・・・ジョーったら!」
「なんだよ」
「本当に、素直じゃないんだから」
「だって本当に泣いてないんだから」
「あら。私がいなくなっても泣いてくれないの?」
じゃあ、また逃げてみようかしら――?
「ダメだ!!」
フランソワーズの声に、ジョーはもう一度彼女を抱き締めるのだった。
「絶対、許さないぞ」
***
「・・・早く掃除が終わんねーかなー」
ジェットがテーブルにだらしなく突っ伏しながら言う。
「聞かなきゃいいだろう」
「聞こえちまうんだよっ」
若い二人の会話は、どんなに無視しようとしても勝手に耳に入ってくる。何しろ、広いリビングとはいっても所詮は同じ部屋なのだ。せめて掃除の音がうるさいくらいしててくれればいいのに――と願ったところで叶わない。今は邸の裏の方の部屋を掃除しているのか、全く何も聞こえてこないのだから。
フランソワーズやジョーほどではないが、それなりに聴覚を強化されているのが今ではうらめしい。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し、だよ」
「んあー、わけわからんこと言うなよ。なんだ、呪文か?」
「――まあ、呪文だな」
そうしてピュンマもジェロニモ同様、印を結んで瞑想するのだった。
Oあなたしか見えない
「・・・ねえ、ピュンマ」
つんつん。と肩をつつかれ、瞑想していたピュンマは片目を開けた。
目の前には流れるような金色の髪とそれに縁取られた白い肌に蒼い瞳。
「――何?」
内心、げんなりしながら答える。ジョーのところにいりゃあいいのに、なんでこっちに来るんだと頭を抱える。が、表面上はあくまでもにこやかに。
「ね。ビデオカメラ、貸して」
「へ?」
「ビデオカメラよ!ほら、この前からみんなが撮っているでしょう?私の番、忘れてない?」
「――わ」
忘れてない。何しろ、そもそもフランソワーズは被写体なのだから、順番など組まれていないのだ。
しかし、目の前の頬を上気させ、わくわくした様子のフランソワーズの顔を見ると、とても「きみには撮影する順番なんか回ってこないよ」などとは言えないのだった。
だから、途中で言葉を変えた。
「わ・・・すれてた、ね。そうだった。そろそろきみの番だったね」
「でしょう!そうだと思ったわ!」
嬉しそうにぴょんとひとつ跳ねるフランソワーズにやれやれと肩をすくめ、傍らの棚より取り出して渡す。
いったい何を撮るんだい――と訊きかけてやめた。
あまりにも、わかりすぎるくらいわかっているではないか。これこそ藪をつついて蛇を出すである。
そんなピュンマをよそに、フランソワーズは電源を入れると嬉しそうに構えてみせたのだった。
「使い方、わかる?」
「ええ。なんとなくだけど」
「そこのボタンを押すと録画になるよ」
「ん・・・あ、これね」
「それで、ここをこうするとズームになるから」
「わかったわ」
にっこり笑んで早速ピュンマを撮影するフランソワーズ。
「えっ、僕はいいよ」
「試し撮りよ」
あっそう・・・
悪気のないさらりと言われた言葉に微妙に傷つくピュンマだった。
***
「ジョー!こっち向いて!」
フランソワーズが嬉しそうにカメラを構えてジョーの正面に立った。しかし、目の前にいるジョーはだらんとソファにもたれ、胡散臭そうにカメラを見つめている。まったくやる気がないのだ。
「もうっ。もっと愛想よくして頂戴」
しかし、ジョーは無言でだらだらしたまま動かない。
「ジョーってば」
「・・・うるさいなぁ」
大体、こういうものに撮られるのは大嫌いなのだ。普段は仕事だからと我慢しているけれど、今は何と言ってもプライベートタイムなのだ。こんなものに撮影される謂れはない。たとえ撮影者がフランソワーズであっても。
「ほおら。にっこり笑って」
「・・・」
ジョーはじっとりとカメラを見つめると、おもむろに大きな欠伸をした。
「――もうっ!ジョーったら!」
「・・・」
そうしてシャツの下に手を入れて胸を掻く。
「やーっ!もうっ、やめてよーっ!!」
「・・・ふん」
そうして今度は大きく伸びをすると耳に指を――
「いやっ!!耳をほじらない!あ、鼻も!!」
「目をこすらない!」
「お尻向けないで!」
「パンツ見せなくてもいいのっ!!」
「つむじなんかいらないっ」
「こっち見て、ってば!」
フランソワーズが嫌がれば嫌がるほど続けるジョー。彼が真面目に撮られているわけがないのだ。
しかし、口では嫌がっているのに、ジョーがどんな変な格好をしても録画ボタンを押しっぱなしのフランソワーズも物好きと言えば物好きといえるかもしれなかった。
「嫌だったら撮らなきゃいいだろっ」
ジョーが至極最もな意見を言う。
しかし。
「嫌よ。だって、全部ジョーだものっ」
そう言って嬉しそうに撮り続けるフランソワーズ。
ジョーは一瞬、眉間にシワを寄せたものの次の瞬間にはにやりと笑んでいた。
「ふうん・・・いつまで撮り続けられるかな?」
そうして今度はカメラをじっと凝視した。真剣な顔で。
「・・・やっ、ジョー。ちょっと、何・・・」
「・・・・」
レンズ越しにじっと見つめられるフランソワーズの頬が少しずつ朱に染まってゆく。
「ずるいわ、こんなの・・・」
「・・・」
でもジョーは視線を逸らさない。
「もうっ・・・」
でも負けないんだから。とひとつ小さく頷いて、フランソワーズはカメラを構え直す。
「ずっと撮るんだから!」
***
・・・あのさ、二人とも。
いつまで、って・・・電池がなくなるまで、だよ。
ピュンマは心の中でため息と共に言い、再び目を瞑った。
Pバカップル?照れちゃうよ
ギルモア邸の大掃除も無事に終わり、夕方には全員が揃って食卓を囲んでいた。
「それにしても、ほんっとお前らってバカップルだよなぁ。今日という今日は思い知らされたぜ」
ジェットがうんざりといった風情で言う。
博士以外のほかのメンツはいっせいに彼に同意したのだったが、若い二人からは抗議の声が上がった。
「なんだよそれ。納得できないなぁ」
ジョーが唇を尖らせる。
「なんなんだよ、バカップルって。僕達がそうだとでもいうのかい?」
「お前ら以外にどこにカップルがいるってんだよ」
けっ、と喉の奥で言ってから、ジェットは水を飲み干した。
「だけど、バカップルっていうのは違うわ。私たちは全然そうじゃないもの。――ね?ジョー」
「ああそうだよ、フランソワーズ。きみの言う通りだ」
真剣な顔で言い募るフランソワーズに、「兄」たちの視線は彼女に集まった。
それを平然と受け止め、フランソワーズは更に言う。
「いーい?バカップル、っていうのはね。バカみたいに仲良しなカップルって意味なのよ。わかる?バカみたいに仲良し、って。それはもうとってもとっても仲良しって言う意味なのよ。いわば、仲良しの最上級と言ってもいいくらい。だから、私たちがバカップルっていうのは違うのよ」
「・・・いいじゃないか。仲良しなんだろう」
ピュンマが言うのにフランソワーズはきっぱりと首を横に振る。
「私たちなんて、全然、よ!まだまだその域には達してないわ」
「・・・おいおい、域ってなんだよ域って」
「バカみたいに仲良しの域よ!」
「お前らバカみたいに仲良しだろうが」
「そんなの、まだまだ全然よ!」
「そうだよ、僕たちがそうだっていうなら、本当のバカップルに申し訳ないよ。ね?フランソワーズ」
「ええそうよ、ジョー」
対面に座っているふたりがお互いをじっと見つめ、うんうんと頷くのを目の端で見ながら、「兄」たちは食事をすすめてゆく。
誰か代わりに言ってくれないかなーと念じながら無言で食事をする。
そして、こういう場合の「誰か」とは、9割がたピュンマなのだった。
「・・・あのさ。ふたりとも」
口の中のものを飲み下してから、軽く咳払いをし、ピュンマはふたりを視界に入れた。
依然として若いふたりは箸を止めたままじいっと見つめあい微笑んでいる。
「ええと。・・・聞いてるかい?」
「ああ。聞こえてるよピュンマ」
「大丈夫よ」
「・・・そう。なら、よかった」
そうしてひとくち水を含んで、ピュンマは言った。
「あのさ。バカップルって、そういう意味じゃ・・・ないんだけど?」
「えっ?」
「え?」
褐色の瞳と蒼い瞳が同時にこちらを向き、ピュンマは一瞬心理的に後退した。
なにしろ真剣なのだ。この瞬間、ふたりはジョーとフランソワーズではなく009と003であった。
「つまり――」
「つまり?」
「・・・・」
・・・どうしてこんなことに真剣になるんだ。
バカップルというのは、おバカなカップルという意味で、要は他人にとってはどうでもいいことを二人だけの世界で独自の解釈をし周りの迷惑顧みず開陳するカップルということである。ギルモア邸のこのふたりはまさにそれに該当するのだったけれど。
「・・・あ。いや。うん。――フランソワーズの言うので合ってるよ。うん。そうだった」
「なんだ。おどかすなよ」
「そうよ。私たち、バカップルを目指しているのに」
「・・・目指してるんだ」
「そうよ。ね?ジョー」
「うん」
そうして仲良く頷き合ってから食事を再開するふたり。
それを視界にいれたまま、ピュンマはやれやれと息をついた。
――まあ、いいか。確かにお前たちは、バカみたいに仲良しなカップルであることに間違いはないんだから、な。
「ほら、な?やっぱりバカップルじゃねーか」
ジェットのうんざりした声に、ふたつの声がきっぱりと言い切った。
「違います!」
Q恋と愛って、どう違う?
「つまり、ジョーにはシタゴコロがあるっていうことよ」
「なんだよそれ」
唐突に言われ、ジョーは憮然として胸の前で腕を組んだ。
「だって。あなたは恋しているんでしょう?」
「う?――うん」
「でも私は愛してるもの」
「・・・それが?」
「良く見て頂戴」
そうしてフランソワーズは目の前にあったメモ用紙に文字を書き込んだ。
漢字の「恋」と「愛」。
「・・・漢字、書けるんだ」
「練習したもの。薔薇も漢字で書けるわよ」
「へえー・・・凄いな。そこらの日本人は大体書けないよ。見た目外国人の君が、ねぇ。もしかしたら、テレビに出れるかもしれないな」
「いいわよ別に。それでね、」
「うーん。でも、僕は君がテレビに出るのは反対だな。だってさ。いろんなところからスカウトがきたらどうすればいいんだい?独り占めできなくなるじゃないか」
そんなの、やだね!と憤然とするジョーに取り合わず、フランソワーズは紙を彼の目の前に差し出した。
「ね。そんな事言ってないでちょっと見て」
「字、きれいだね」
「ありがと。――そうじゃなくて。見るトコロはここよ」
「どこ?」
「ここ。ココロのところ」
「――ああ」
「いい?ジョーは「恋」でしょう?そうすると、ココロが下にあるの。だからシタゴコロ。でも「愛」はココロが上にあるのよ。つまりは高尚な気持ちってことになるんじゃない?」
「・・・僕がシタゴコロ満載で、君は高尚な愛を持っているっていうこと?」
「そうなるわね」
ジョーはにこにこしているフランソワーズにううんと唸り、
「だけど、ちょっと腑に落ちないんだけど」
「なにが?」
「どうして僕が「恋」のほうなんだい?逆ってこともあるじゃないか」
「だって、ジョーは私に恋してるんでしょう?」
「――え。・・・どうかな」
「どうかな、って何?」
「どうかな、は、どうかな、だよ――いてて」
フランソワーズがジョーのほっぺたをむにーっと引っ張ったので、ジョーは身を引いてついでにフランソワーズも膝の上に抱き上げた。
「いいじゃないか。恋愛の両方で、さ」
「だって、みんながずうっと前に言ってたじゃない。『009の恋と003の愛がコンピューターを打ち負かした』 って」
「・・・それって未来都市だろう?」
「そうね」
「僕たちにはその設定はなかったよ」
「いいじゃない。原作は常に共通よ?」
「・・・そう?」
「そうよ」
「じゃあ、凍った時間もあるわけ?」
途端に顔を歪ませたジョーに、フランソワーズは慌てて頬にキスをした。
「もうっ。大丈夫。それはさせないわ」
「・・・ほんと?」
「本当よ。あれは原作と平成版だけでいいの」
「・・・本当に大丈夫?」
「大丈夫よ。それにもし、そういうことになっても私も一緒にその時間軸に入るわ」
「・・・どうやって」
「ジョーにこうしてくっついていればいいじゃない」
お互いに至近距離でお互いの瞳を覗き込み。
そうして、どちらからともなく笑った。
「――そうだね。ずうっとこうして一緒にいればいいんだ」
「そうよ」
「だけどメンテナンスの時の話だよな、あれって」
「ええ」
「だとしたらやっぱり、一緒っていうのは無理じゃないかなあ」
「いいの。大丈夫。絶対、私が何とかするから」
「何とか、って・・・努力でどうにかなるもんかなぁ」
「どうにかなる、んじゃなくて、どうにかする、のよ」
「どうにかするんだ」
「するわ」
「・・・強いなぁ、フランソワーズは」
「だって、独りぼっちになるの、嫌でしょう?」
「・・・まあね」
「それに絶対泣くもの。あなたが泣いたら、私以外の誰が泣きやませることができるというの?だから、あなたが寂しくないように、泣かなくてもいいように、私はそばにいるの。わかった?」
「――うん」
こうしてみると、やっぱりフランソワーズは「愛」なんだなぁとジョーは思った。ゆっくり抱き締めながら、その温かさと柔らかさに目を閉じる。
このままでいい――と、思いつつも、やっぱりそれだけでは物足りなくなってしまった。
その辺が、自分はシタゴコロのある「恋」のほうなんだなと残念ながら、実感した。
「・・・でもさ、フランソワーズ」
ジョーはフランソワーズを抱き締めたその耳元で囁くように言う。
「なあに?」
髪にかかる吐息がくすぐったいのか、フランソワーズが少し身をよじる。が、逃がさない。
「シタゴコロがない、っていうのもツマラナイだろう?」
そうしてそのまま耳に唇をつけた。
「もうっ・・・ばか」
R君限定の味オンチ。
「ね。ジョー、これは?」
「・・・ん。美味しいよ」
「良かった。じゃあ、これは?」
「うん。美味い」
「じゃあ、これ」
「うん。美味しい」
「そしたら、これは?」
「うん。美味しいよ」
「じゃあ・・・これは?」
「うん。これも」
「・・・・」
フランソワーズはわざとらしく大きく深くため息をつくと、両手を腰にあててジョーをじろりと睨んだ。
「ジョー。あなた、何の役にも立たないわ」
「え。なぜ」
これも美味しい、こっちもだ――と、目の前の試作品の数々をちょっとずつ味わって満面の笑みのジョーは、フランソワーズの冷たい視線に顔を上げた。
そのきょとんとした褐色の瞳を見つめ、フランソワーズは彼が全く何にも考えていないことに気付き再度大きく息をついた。
「だって、これ全部試作品なのよ。ちょっとこれは、とか、こっちは塩加減がどうとか、何かこう・・・あなたの意見を聞きたいのに」
「何でさ。全部美味いのに」
「そんなことないわ。美味しくないのだってあるはずよ」
「ないね」
「あるわ」
二人の目の前のキッチンテーブルの上に並べられた数々の料理。それはどれも、フランソワーズがレパートリーを増やそうと秘かに練習してきたものだった。張々湖の手ほどきをうけて。
なぜそれを今日こうして復習しているのかというと、それもこれも明日のためなのだった。
バレエのレッスン後、ジョーが迎えに来ない時。張々湖飯店に寄って、閉店後に料理を習ってきた地道な努力の数々であった。
「ないってば。全部、美味しいって。ほんとだよ?」
そう真顔で言われてしまうと、確かにそれは彼の本心らしかったから、フランソワーズは複雑な思いを抱えつつも黙るしかなかった。何故なら、披露する相手が何を隠そうジョーなのである。その彼が美味しいというのなら、それでいいではないか。
「・・・もう。だからダメって言ったのに」
後悔とともに吐き出した言葉はジョーに聞こえているのかどうか。
約1時間前に、このキッチンでジョーに見つかったのが運のつきだった。
本当は試食してもらう相手はジョーではなくハインリヒの予定だった。が、今日は一日外出しているはずのジョーが帰宅し、水を飲もうとキッチンにやって来たのだ。そうして、彼女の料理を食べる権利が僕にはあるとごねてごねてごねまくり、ハインリヒを追い出して代わりにここにいすわったとうわけだった。
果たして、彼の批評は全くあてにならないものだった。何しろ彼は。
「いいじゃないか。僕はフランソワーズのごはんは全部好きなんだから」
ということなのだ。
彼のなかで「フランソワーズのごはん」というのは最上位にあるらしく、「フランソワーズのごはんの中で嫌いなもの」は、ごくごく僅かしか存在しない。
「・・・全部好きなら、シラス入りの卵焼きも食べられるようになってください」
「――え」
僅かしかない嫌いなもののひとつである。
「・・・ええと」
「どうして甘いのしかダメなの?栄養があるのに」
「・・・だって、卵に魚が入ってるなんて変だよ」
「変じゃないわ。それにネギが入っているのもダメでしょう、あなた」
これも僅かしかない嫌いなもののひとつである。
「――別に、卵にネギを入れなくてもいいじゃないか。別々だったら僕だって食べられるんだから」
「どこかにお出掛けした時、朝ごはんに出るかもしれないでしょう?恥ずかしいわよ、食べられないなんて」
「そういう時はちゃんと食べてるよ」
さらりと言ったジョーに目を見張ったのはフランソワーズだった。
「ジョー、あなた本当は食べられるの?」
「あ」
やばい、口が滑った・・・と言っても後の祭りである。
「ね。だったらどうしてうちでは食べないの。よそで食べられるなら大丈夫なはずでしょう?それとも、私の作ったのじゃ不味くて食べられないっていう意味?」
「ちっ、違うよ。そんなはずないだろう」
「でも」
「違うって」
ああもう、しょうがないなあ――とジョーは頭を掻いて、そうして改めてフランソワーズに向き直った。
「――そうじゃなくて、さ。ん・・・なんていったらいいかなあ」
徐々にジョーの頬が染まってゆく。
「その、・・・手伝ってくれるだろ。食べるの」
「え?」
「だから。・・・僕が食べられないっていうと、その」
食べられないときは、居残ってフランソワーズの監視のもと完食するまで解放してもらえないのだ。
そしてその時は、フランソワーズが彼の食べる手伝いをしてくれることがままあった。
だから――
「だから・・・何?」
「――だから。・・・・だけど」
ジョーは逡巡した結果、やはり言わないでおくことに決めた。
――だって、言ったら朝食後のふたりの時間が減ってしまうだろう?
S明日も、来月も来年も。
それは朝食の席だった。
いつものように寝坊して他の者よりだいぶ遅く食卓についたジョー。それと入れ違いに既に食べ終わって席を立ってゆく面々。そのうちのひとり、ハインリヒがひとつ咳払いをするとジョーのそばに立った。
「あ。おはよう、ハインリヒ。・・・何か用?」
「ああ。まあな」
ジョーの正面に座るフランソワーズも不審そうに見つめる。
二組のネツレツな視線を受け、いっしゅん言葉に詰まったものの、ハインリヒは頑張った。内心、昨夜のくじ引きを恨んでいたのだが、それは既に過去のこと。ともかく、くじ引きで決まったことなのだから、役目を果たさなくてはならなかった。
「――その、お前ら、この後は」
「うん。お昼前には向こうに行くけど?」
「ええ。・・・ふたりっきりで過ごすのよ。ねーっ」
首を傾けてにっこり笑い合う二人に回れ右をしそうになりながらも、ハインリヒは頑張った。
「そう・・・だよな、うん。それは結構。で、そのだな」
「あらダメよ。連れて行かないわよ。二人っきりなんだから!」
「・・・誰も連れて行けなんて言わないさ」
冗談じゃない。もし連行されたら、それは限りなく罰ゲームに近いぞ――とハインリヒは心の中で言ってから勇気を奮い起こした。
「そうじゃなくてだな。つまり、今日はジョーの誕生日だろう?」
「ええ、そうよ?」
にっこりフランソワーズが言うのと正反対に、ジョーは眉間にシワを寄せ興味を失ったように食事を再開した。
「で――俺らからジョーに」
「プレゼント!?」
フランソワーズの目が驚きに真ん丸くなる。何しろ、今までそういうものはなかったのだ。
ジョーの誕生日は本人の複雑な思いから、お祝いなどしないのが常だった。それが数年前から少しずつ軟化して、フランソワーズとふたりならば小さなお祝い事のような雰囲気も受け容れるようになったのだった。
だから、彼女以外からのプレゼントなどジョーにとっては晴天の霹靂、豚に真珠、猫に小判、暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏・・・というわけのわからない驚天動地の事態であった。
「んもう。ジョーったら、大袈裟ね」
箸をつけたままの形で固まったジョーをよそにフランソワーズはハインリヒの差し出した包みに目を向けた。
「・・・なあに、これ」
包みとはいっても薄いセロハン紙に包まれリボンがかけられただけの簡素なラッピングだったから、中身は丸見えだった。(ちなみにラッピングしたのはジェロニモである)
フランソワーズが問うまでもなく、それはDVDだと誰が見ても明らかだった。
「・・・DVD?」
「ああ。みんなから、だ」
受け取れ。とハインリヒはジョーの腕に押し付ける。
自失していたジョーは漸う意識を取り戻すと、ぎこちなくそれを受け取った。
「・・・ありがとう」
「いや。――まぁ、お楽しみに、ってトコロだ」
「なんのDVD?」
どう見ても市販されている仕様ではない。
「え――ああ。そうだな。ま、・・・ジョーひとりで見ろ」
「・・・ひとりで」
「そうだ。――できれば、ひっそりと、な」
「・・・」
ジョーはどこか思うところがあったのか、暫くしてこくんと頷いた。
ハインリヒはそんなジョーの様子を確認して満足そうにこちらも頷いた。
「もー。ふたりしてなんなの」
ジョーとハインリヒを交互に見つめ、フランソワーズが頬を膨らませる。
「ねえ、もしかしてエッチなのじゃないわよね?」
「えっ?」
「ああ?」
「だって、そんなの――どうしてジョーに渡すのよっ」
まなじりを決するフランソワーズにハインリヒは思わず噴き出した。
「違うよ、なんだったら一緒に観ればいい。が、ある意味――エッチなの、って言えばエッチなのかもしれないが」
「何よ、それっ。やあよ、そんなの」
「仕方ないよ。何しろ主演女優が」
「主演女優?」
やっぱりエッチなのじゃない!!
フランソワーズは席を立つとジョーからそれを奪おうとにじり寄った。が、ジョーは大事そうに抱えたまま隙を見せない。
「もうっ、ジョー。そんなエッチなの、観なくてもいいでしょっ」
「ヤダ。これは僕の」
「嫌よ。どうしてそんな事言うの」
「だってさ、・・・主演女優が」
ちら、と確認するかのようにハインリヒを見る。ハインリヒは肯定するように頷いた。
「・・・主演女優が凄いんだから」
「凄い、って何よ!」
「凄いから凄いんだよ」
「見た事ないくせに」
「あるよ。この女優のファンだから、みんなが僕にくれたんだ」
「エッチなのの女優のファンだっていうの!?」
「そうだよ?」
「そんなのってひどいわ」
「ひどくないよ、別に。僕にとっては当たり前で――う。わっ」
ジョーは中身を撒き散らしながら飛んできた醤油差しをマトモに胸に受けた。
「フランソワーズ!また醤油を無駄にしてっ――」
「知らないっ。ジョーのばか!」
そして飛んできたのは、ふたを外してあるソース。こちらはジョーの脳天にヒットした。
「あ、こらっ、フランソワーズ」
「知らないっ!ジョーのばか!エッチ!」
「エッチ、って男は誰だって――」
ケチャップの赤が視界を覆い、ジョーは戦意を喪失した。
それでも汚れないようにDVDをひしと胸に抱えていたのはさすが009と言うべきか。
しかし、その姿は更に003の怒りを買っただけだった。
「ジョーのばか!もう知らない!」
そのままダイニングを駆け出して行ってしまった。
「・・・あーあ」
ソースと醤油とケチャップにまみれたジョーをハインリヒが気の毒そうに見つめる。彼はさすがの無傷だった。
ジョーは慣れているのか、ひとつため息をついただけで食事を再開した。
「・・・お前ら」
本当に仲がいいよな――
放っておけば、明日も来月も来年も同じ光景が繰り返されそうな。そんな平和な空間だった。
でも、それでいい。
そんな二人がいるからこそ、自分たちにも普通の日常があるのだと――普通に日々を過ごすこともできるのだと――信じられるし、思い出すことができる。
でも、そう真面目に彼らに言うのは躊躇われたから、代わりにハインリヒはこう言った。
「本当にバカップルだよな」
ジョーは無言でこっくりと頷いた。
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