「フランソワーズ、ほらそこ空けて」
ナインの声にスリーは身を除け場所を空けた。
彼の手には土鍋があり、目的の場所はコタツの上だった。
既にテーブルセッティングは済んでいる。
カセットコンロの上に土鍋を置くと火をつけ、ナインはコタツに潜り込んだ。
「――さて、と」
改めてスリーの顔を見て、ビールを注いであったコップを持ち上げた。
「お誕生日、おめでとう」
スリーのコップの縁と触れあい、小さな音が響く。
「ありがとう、ジョー」
ここはナインのマンションの一室。毎年、部屋にはコタツが登場している。
今日はそこでふたりでスリーの誕生日を祝う予定であった。
「……それにしても、ジョーがお料理できるなんて知らなかったわ」
「まぁな。料理といっても鍋だけど」
「でも凄いわ」
今日の昼に一緒に買い物に行った。てっきり自分が作るものと思っていたスリーは、マンションに戻ってからキッチンから追い出されとても驚いたのだった。
「……食材を切っただけだし。水炊きだし」
「ううん。そんなことないわ。私、なんにもしてないのよ?食器を並べただけだもの」
「そりゃそうさ。きみは主役なんだから。――誕生日だろ」
「ええ。……ふふ。ありがとう、ジョー」
しばし鍋の煮える音だけが響く。
ナインはビールを飲みながら、自分が作った軽いおつまみを食べる。
スリーはそんな彼と鍋を交互に眺めながら、ただじっと鍋が煮えていくのを待っている。
平和だった。
普通なら、ただ沈黙が続くのは苦痛であろう。が、ふたりにとってそれは何も問題にはならない。
時折、「ビールばっかり飲んだらだめよ」とスリーの声が響くくらいであとは静かだ。
ナインはビールを飲みながら、そのコップの影からスリーを見る。
鍋を見つめるスリーの横顔。
それをただじっと見ている。
スリーはというと、鍋を見る時間よりナインを見ているほうが多かった。
食べる前にビールばかり飲むのが気になるのと、こうして静かにゆっくり彼を見ていられるのが嬉しいのと両方だった。
互いに互いを見ているから、時々お互いの視線がぶつかる。
「……」
「!」
曖昧な笑みを浮かべて視線を逸らすのはいつもスリーのほうだった。
ナインはそんな彼女をただじっと――見つめている。
「あ。そろそろかしら」
「うん?……どうかな」
鍋の蓋を外し、ナインが様子をみる。
「――そうだな。頃合だ」
「え、と、私が取って」
「取ってやるよ、どれが」
同時に言って目が合った。
「いいよ、取ってやるから」
「ううん。私が取るからジョーは座ってて」
「いや、いいって。主役だろ。誕生日の」
「だって私何にもしてないもの。このくらいさせて」
「大丈夫だ、気にするな」
「え、でも」
取り分ける菜箸を手にしているのはナイン。
その手を抑えるスリー。
「あ」
一瞬、互いに手を引く。
「だってジョー、上手に取れないでしょう」
「そんなことないぞ」
「嘘よ。いつも下手くそだもの」
「む。失礼な。僕を誰だと思ってる」
「ゼロゼロナインでしょう。正義の味方の」
菜箸争奪戦は互いに一歩も引かなかった。が、スリーがそういった瞬間、ナインの手が止まった。
「――それは違うな」
その声がいつもと違っていて、スリーははっとして彼の顔を見た。
「え……?」
ナインは一瞬だけスリーを見たが、すぐに視線を鍋に移した。
さっさとスリーの好きそうなものを器に取り分ける。
「……今日はただの島村ジョーさ。……カノジョの誕生日を祝う」
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