私は凄く驚いて――咄嗟には何も言えなかった。

だって、

だって、

――だって。

 

 

「でも――うん。いま、気持ちを整理したから大丈夫。外せない大事な予定なんだろう?ま、誕生日なんてものは毎年やってくるものだし、大したことないよな」
「う、ん、そうね。・・・良かったわ、大事な予定だったから」

大事な予定、って言った時、ナインの頬がぴくんと痙攣するみたいに動いた。

「じゃ――気をつけて行けよ。僕はほら、ちゃんと帰るから」

片手を上げて。
そうして踵を返して坂を上ってゆく。

 

ナイン。

 

ねえ。

大事な予定って何だ、って・・・訊いてくれないの?
すぐに気持ちを整理してしまえる程度のものなの?

 

私はただナインの後ろ姿をぼーっと見ていた。

そして。

 

考えるより先に、足が勝手に動いていた。
ナインを追いかけて走って。

そうして、勝手に腕が動いて――ナインを捉まえていた。

 

「わっ。何だよ、フランソワーズ。驚くじゃないか」

 

今でも、大胆だったと思う。ナインに背中から抱きつくなんて。
そんなこと、今までしたことなかったのに。
でもその時は、そんなこと全然思ってなくて、ただ――ナインを引き止めることしか考えていなかった。

 

「なに?どうしたの」
「大事な予定って、お誕生日なの!」
「えっ?なに?」

背中におしつけたおでこ。
背中越しの声は、ナインの耳にちゃんとは届かないようだった。

「――なんだって?」
「だから。・・・大事な予定って、ジョーのお誕生日のことだものっ!」
「えっ、なんだって、ちょっ・・・フランソワーズ!」

ナインは無理無理私の腕を解くと、正面から向き合った。
今度は目を逸らさない。じいっと見つめてくる。
逸らしているのは私。

「・・・なんだって?フランソワーズ。もう一度言って」
「・・・だから、」
「だから?」
「その、大事な予定っていうのは・・・」
「うん?」
「・・・ジョーのお誕生日のコト・・・なんだけど」

私は恥ずかしいのか悲しいのか悔しいのか、自分の気持ちがぐちゃぐちゃだった。
だって、・・・はらはらするのはナインのはずだったのに。なのに、私のほうが困ってるっておかしいよ。
変だよ。
ナインだって、いつものナインの真似しただけなのに、どうしてすぐわかってくれないの。

すると、一瞬の間を置いてナインはくすくす笑い出した。

 

「――そんなの、最初っからわかってたよ!」

 

――えっ?

 

「まったく、素直じゃないんだからなぁ」

 

えっ、じゃあ、落ち込んでるって言ってたのは・・・?

 

「僕の真似をしようだなんて100万年早い」

「ずっ・・・ずるいわ、ジョー!!騙したのねっ」
「人聞き悪いコト言うなよ」

ナインは大笑いして、そして私を胸に抱き締めた。ぎゅうっと。

「――バカだなぁ。自分で言って心配になるなら、言わなきゃいいのに」

だって。

いつも私ばかりがどきどきして、悔しかったんだもの。

「・・・フランソワーズ。プレゼントなんか要らないよ」
「えっ、でもっ・・・」
「僕もきみと同じがいい」

 

――え?

それって・・・

 

「一緒にいたい」

 

ナインの顔を見ようとしたけれど、ナインの胸に押さえつけられて身動きがとれなかった。

・・・でも。

平気そうな声と、どきんどきんって大きな胸の音がアンバランスで。

 

「――だめ?」

 

ちょっとためらうように訊かれた。
だから――見なくてもわかる。いま、ナインがどんな顔をしているのか。

 

「ねえ、フランソワーズ」

 

ねだるような鼻にかかった声。

私は胸の奥が温かくなって、それが全身に広がってゆくのがわかった。
だって――ナインが甘えてくれるの、って初めてだったんだもの。

ナインの、おねだり。

ナインが私におねだりしてくれてるの。

一緒にいよう、って。

私は嬉しくて嬉しくて、でも、それが彼にわかってしまうのが恥ずかしくて。

 

声に出さずに小さく頷いた。

彼の腕のなかで。

 

 

 

 

ナインのお誕生日。
今年はずうっと一緒に過ごすの。

 

だって――ナインがそうして欲しい、っておねだりしたから。