「決戦は誕生日」

 

 

 

私はふわふわした気持ちのまま、ナインと手を繋いでギルモア邸へ続く坂道を上っていた。
お互いに急いではいなくて。
時々立ち止まって海を見たり、――キスしたり、していた。
ナインはさっきまでの不機嫌さはどこにもなくて、ずっと優しく微笑んでいた。
私もたぶん、ずっとにこにこしていたのだろうと思う。
だって・・・嬉しくて仕方なかったから。

「お誕生日まであと一週間ね」
「そうだね。――うーん。待ち遠しいなあ!」
「年をとるのが?」

いたずらっぽく言ったら、ナインはこら、と私のおでこを指先でつついた。

「そういう意味じゃないよ」

途端に真顔になるから、目のやり場に困る。
だって、・・・どういう顔をすればいいの?

「え、と・・・」

顔が近い。
でもナインはそのまま近付いてくるから、――またキスするつもり?もうっ。ここは外なのに、恥ずかしいわ――思わずぎゅっと目を閉じた。
予想通り、ナインはまたキスをしたのだけど――もう何度目だろう?――軽く唇を合わせただけですぐ離れた。ほっとしていいはずなのに、何だかちょっと物足りない思いになってしまったのはどうしてなんだろう?
そんな自分が恥ずかしくて、じっと見つめるナインに全部見透かされてしまっているようで、落ち着かない気分。

 

「――あとは来週までとっておこう」

 

え?

とっておく、って・・・?

 

ナインはにっこり笑うと再び私の手を引いて歩き出した。

 

――とっておく、って・・・何を?

 

でも訊いてはいけないような、・・・訊かないほうがいいような、もどかしい空気に何も言えなくて。
ただ、ナインの手をぎゅっと握り締めた。

「買い物、行くんだろ?」
「えっ?」

買い物、って?

「――ほら。今日行く予定だったろ?・・・しょうがないなあ、もう忘れちゃったのかい?」
「う、ううん。忘れてないわ」

でも、あんまりナインが見つめるから、――キスばかりするから、色んなことを忘れてしまいそうになる。
これ以上、ナインと一緒にいたら、私・・・世界のなかにナインしかいないようになってしまうかもしれない。
それは危険な兆候だったから、思わずナインの手を離しそうになった。
でも。
ナインは、手を引っ込めようとした私の指をぎゅうっと握ってつかまえた。

 

「ダメだよ。――もう、逃げられないよ」

 

えっ・・・それって、どういう意味?

 

「僕から逃げようったって、もう手遅れさ」

 

逃げるって、ナインから?

そんな――そんなことは。

 

「それに、僕だって」

 

僕だって・・・なに?

 

「――僕だって、もうきみから逃げられないんだから」

 

そう言ったナインの横顔は真剣で、いつもの冗談混じりの声とは全然違っていて。

 

「・・・私から逃げたいの?」
「えっ」
「――逃げてもいいわよ?」

 

今のうちなら。

 

「・・・フランソワーズ?」

 

びっくりした瞳のナインがじっと見つめる。
いったい何を言い出すのかと黒い瞳が問う。

 

そう――今ならまだ、逃げてもいい。私から。

 

 

逃がさないと言うナイン。

 

逃げてもいいと言う私。

 

本当に捕まえるのは――どっち?