「くだらない喧嘩」
〜お題もの「恋にありがちな20の出来事・くだらない喧嘩」より〜
「ケンカ?そんなのするわけないさ」 それは何だか違うような気がしたけれど、セブンは黙っていた。 セブンはぶるっと身を震わせると、口を開いた。 「あのさ。アニキ」 昨夜からスリーの元気がないのだ。 これは由々しき事態である。 がしかし、ナインは平然とその事実を受け止め、自分でコーヒーを淹れて勝手に飲んで帰って行った。 「だからケンカなんかしてないって」 ナインは言葉に詰まった。 「いやあ、だから僕たちは別にケンカをしているわけじゃなく」 ナインは迫るセブンを避けるようにふいっと背を向けた。 「別に何もしてないさ」 スリーは勝手に怒ってるだけだ――そう小さく言ってみる。が、なんだか心もとなく響くのだった。 「――あら、ジョー。来てたの」 振り返ったセブンとナインの目に映ったのは、いつもと変わらない姿のスリーだった。 白々しいなあというナインの声はもちろん黙殺された。 「セブン、今日のゆうごはんはカレーにするわね。寒いからあったまるわよ」 にっこり笑って軽く首を傾げるスリー。 セブンはゆっくりとナインを振り返った。 「・・・アニキ」 うんざりといった表情。 「やっぱり謝ったほうがいいと思うよ」 小さく言ってみるが、ナインに聞こえたのかどうか。 「ゆうごはんを食べに来たのさ、もちろん」 胸の前で腕を組むと、スリーは目を細めてナインを見つめた。 「――気が変わったんだ」 我慢の限界に達したのか、ナインが物凄い剣幕で言い放ち、そしてその勢いのまま数歩でスリーに到達した。 やっぱりケンカなんじゃないかとわざとらしく大きな声で言ってみたが、目の前のふたりには聞こえていないようだった。 スリーを抱き締め鼻をすりよせるナインは、誰が見ても本人の言葉通り彼女を崇拝してやまない男だった。
セブンの問いにナインは大威張りで胸を張った。
「いいかい?ケンカっていうのは、そもそも違う環境で育ち異なった躾をされた者がお互いの考え方が異なるのにも拘らず、自分と同じ考え方や価値観を相手に押し付けたときに起こるものだ。この僕がそんなことをするわけがない」
「じゃあ、アニキはスリーのことをちゃんと尊重してるっていうの?」
「もちろんさ。僕は誰よりもスリーのことを崇拝している」
「崇拝・・・」
今日は10月にしては異常に寒い日だった。
ギルモア邸は朝から暖房をいれて、生身の博士をいたわっていたのだけれどなぜかここリビングは寒々しかった。
もちろん、リビングにも暖房は入っている。が、空気が寒いのだ。
「なんだい?」
「・・・そのう・・・やっぱりアニキから謝ったほうがいいと思うよ?」
「謝る?なぜ?」
「だって、ケンカしているんだろ?」
しかも、今朝ナインがいつものようにやって来ても部屋から出て来ずコーヒーを淹れることもしなかった。
二階にいるはずのスリーに言及することもなく。
これは何かが起きているに違いないとセブンは思ったのだけど、昼ごはんの時にもスリーに訊けずにいた。
もちろん博士もスリーの様子がいつもと違うことに気付いていたが、同じく何も言えずにいたのだった。
そして夕方になって、ちゃっかりとゆうごはんを食べにやってきたナインにセブンが意を決して尋ねたというわけだった。
「そんなのオイラは信じないよ。だってさ、どうしてアニキが来ているのにスリーが姿を見せないんだよ。そんなの変じゃないか。それともアニキは変だと思わないのかい?」
「う・・・」
必死の様子のセブンに迫られ、なんとなく逃げ腰になる。
「アニキ。スリーが勝手に怒ってるだけだなんて言うつもりじゃないだろうね?」
「う・・・」
「もし怒ってるとしたら、絶対その原因はアニキにあるのに決まってるだろ!アニキが来てもここに来ないんだからさ。何か怒らせるようなことをしたんだろ?」
「――別に」
緊迫した寒々しいリビングに明るいスリーの声が響いた。
「・・・来てたの、って知ってたくせに」
「う、うん」
「で?ジョーは何しに来たの」
それはいつもだったらとても可愛らしく見惚れてしまうような仕草なのだけれど。
今日はリビングの気温が数度下がったように感じたのはナインだけではなかった。
ナインは一瞬片頬を引きつらせたものの、努めて穏やかな声で答えた。
「あらそう。でもそういうことは先に言ってくれないと困るわ。こちらにも準備ってものがあるのよ」
「――呼んだのはきみだろう」
「それは昨夜の話でしょう。しかも、だったら行くもんかって啖呵を切ったのはあなた」
「――それは」
「それにカレーは食べたくないんじゃなかったの」
「あらそう。ハヤシライスじゃなくてもいいのね」
「今日はカレーの気分なんだ」
「ふうん。ハヤシライスのケチャップ味を愛してると熱く語ったのはどなたでしたっけ」
「さあ誰だろうな」
「私のハヤシライスはデミグラスソースがベースなの知らないはずはないわよね。いったい誰の作ったハヤシライスがお好きなのかしら」
「いやだからそれは」
「別にいいのよ。無理して好きでもないカレーを食べてくれなくても」
「無理してないよ」
「じゃあ、妥協かしら」
「妥協じゃないよ、本当に今日はカレーが食べたいんだっ」
「――誰の作ったカレーがお目当てなのかしら」
「フランソワーズのに決まってるだろっ!!」
まさかスリーに暴力をふるうわけじゃないだろうねと慌てたセブンであったが、次の瞬間目にした光景に歩みを止めた。
「・・・ったく、なんだよもう」
「僕が全く料理をしないのは知ってるだろう?間違えただけなんだ、本当だよ」
おまけ/昨夜の出来事 「ふふっ、じゃあ、明日のゆうごはんは食べに来るのね?」 嬉しそうなスリーの声にナインの声も弾んだ。 「ねぇ、何が食べたい?」 急にテンションの下がったスリーの声に気付かず、上機嫌にナインは続けた。 ――私、ハヤシライスにケチャップなんて使ってない。 もちろん使っていなくはないのだが、ハヤシライスとくればデミグラスソースだった。少なくともスリーの作るのはそうだった。 ジョーが言っているのは別のひとの作ったハヤシライス・・・? そう思った途端、スリーの心は重くなった。 「・・・ジョー?」 一方、ナインは急に冷静な声になったスリーに違和感を感じていた。 ナインは全く料理をしないひとだった。 しかし、悲しいことにスリーにその熱意はまっすぐに伝わりはしなかった。 「そう。だったらケチャップ味のハヤシライスを作ってくれるひとのところに行ったらいいんだわ!」 ナインにとってそれはもちろんスリーのことなのだ。 「あらそう!おやすみなさい!」 スリーにとってナインの返事は、彼女以外に彼にごはんを作ってくれるひとがいるという意味に他ならなかった。 「・・・なんだよ、いったい」 一方的に電話を切られて、ナインはちょっと首を傾げた。
「うん」
デートのあと、帰ってきたばかりでまだ上着も脱いでいない。ナインが自分の部屋に到着するのを待っていたかのように鳴った携帯電話。スリーからのおやすみなさいコールのはずだったのが、お互いの声がきけるのが嬉しくてついつい長電話になってしまった。
くすくす笑い合う。
「そうだなあ・・・やっぱりハヤシライスかな」
「まあ。ジョーったら。私は他のものも作れるの知らないの?」
「知ってるよ。でもきみのハヤシライスが一番好きなんだよなぁ。あのケチャップ味がいい」
「・・・ケチャップ?」
「うん。なんていうのかな、僕はあの味が好きなんだ」
が、その声はスリーにはもはや聞こえていなかった。
と、いうことは・・・
嬉しそうに、ハヤシライスとくればケチャップだよねと語るナインの声も聞きたくなかった。
「うん?なんだい?」
「そんなにケチャップ味が好きなの?」
「え?――うん、そうだけど・・・」
いったいどうしたというのだろう。
自分は彼女の作ったハヤシライスがどれほど好きかを語っているだけなのに。
だから、ハヤシライスの紅い色はイコールケチャップとしか思いつかなかったのだった。だから適当にそう言った。
断じて、誰か他の女性の作ったものを想定して語ったわけではない。
従ってナインに全く他意はなく、単純にスリーの作ったものが大好きだと熱く語っているつもりだったのだった。
電話だったということも一因かもしれない。顔が見えないから、声だけで判断するしかないのだから。
「えっ?うん、そうするけど・・・」
いったい何を怒っているのか全くわからなかった。