「ショッピング」

 

 

ジョーはひとり手持ち無沙汰だった。
ここで待っていればいいのか、それともどこか他の場所で待っていればいいのか皆目わからない。
こんな状況は苦手だった。否、苦手なんてもんじゃない。そもそもどうして自分はここにいるのかも謎だった。

「ふ・・・」

フランソワーズと呼ぶにも、彼女はずうっと奥のほうへ行ってしまっていて大きな声を出すのも躊躇われた。

「・・・・」

大体、女性の下着売り場の付近でうろうろしているなんて、それだけでどうにも不審者になったようで落ち着かない。
もちろん、自分も男とはいえ客には違いないのだから、「商品」を「見る」のは全く問題がないはずである。
それはわかってはいるものの――他の女性客の視線も気になってしまう。
どこか逃げ場はないものかと周囲に視線を巡らせると、階段付近のフロアにソファが置いてあり、そこには老若男性が疲れたように身を埋めていた。満席であった。ここは婦人服フロアだから、男性は見るものがない。が、この階にいるということはおそらくジョーのように彼女あるいは妻と一緒に来たものの、何をしていればいいのか途方に暮れた者たちの集まりなのであろう。
ジョーはため息をつくと、そちらへ向かおうと踏み出した。
途端。
声がかかった。

「ジョー!!」

フランソワーズが奥からこちら目指して走ってくる。

「どこに行くの?」
「えっ・・・」

きらきらした蒼い瞳で見上げられ、ちょっと言葉に詰まる。

「帰っちゃうの?」
「え。いやあ、その」

自分が帰ってしまうのかと思って走ってきたのか――と思うとジョーは嬉しくなった。
そんなに慌てなくてもきみを置いて帰ったりなんてしないのに。

「荷物持ちなのに?」
「――え」
「これからたくさん買うのに。自分で言ったでしょう?荷物持ちがいなくてどうする、って」

確かに言った。言ったけど・・・。
つまりフランソワーズは「荷物持ち」としての自分が必要で、それで慌てて走ってきたのかとがっくりした。
もちろん、そういう役割を主張して無理矢理ついて来たのは自分である。が、そうはっきり言われるとなんだか気持ちが沈むのだった。

「・・・うん。言ったけど、でもちょっとここは」
「え。あ、・・・そうね」

今更ながらフランソワーズは頬を赤らめた。

「どこかで待ってるよ」
「どこか、ってどこ?」
「あのへん」

ジョーの指す方を見つめる。

「『お父さんコーナー!?』」
「お父さんコーナー?」

意味がわからず、ジョーは眉間に皺を寄せた。

「なにそれ」
「だって、あそこって・・・疲れたお父さんたちがいる場所なのよ!」
「・・・そうかな。若いのもいるみたいだけど」
「イヤ。ジョーがあそこに行ったら、馴染んでしまいそうだもの!」

確かに。
なんとなく倦怠ムード漂う退廃的な空気が渦巻いている――ような気がしなくもない。
おそらくあそこに行って席を確保したら、新聞を全部読んでしまうか寝てしまうことだろう。

「でも、ここにいるってのもちょっと」
「・・・わかったわ。じゃあ、どこかジョーの見たいフロアに行っていて。買い物が終わったら連絡するから」
「うん、わかった。――ところで」

ジョーは先刻からあまり見ないようにしていたフランソワーズの胸元を指差した。
フランソワーズはそれを選んでいる途中だったのか、彼女の胸の前でグーに結ばれた両手それぞれには色が異なるキャミソールが握りしめられていたのだった。

「それ。選んでいる途中だったのかい?」
「えっ?――あ。いやっ!」

慌てて両手を後ろに回す。

「――見たのね?ジョーのえっち!」
「えっち、って・・・だって、何持っているんだろうって思うだろ」

ジョーは微かに頬を赤らめた。が、目の前のフランソワーズも負けないくらい顔が赤い。

「先に言ってくれればいいのに!」
「先に、って・・・」

じいっとフランソワーズに見つめられ、ジョーは視線を逸らすのも何だか自分がイケナイコトをしたと認めるようでしゃくだった。ので、負けずに見つめ返す。

大体、僕はきみのそういう姿を見たことがないんだし。どういうのをつけているんだろう・・・って時々ちらっと思ったりなんかもしてしまったりすることだってあるんだからな。無防備に目の前に晒すな。

「――フン。どうせどっちがいいか決められないんだろう?」
「そんなわけじゃっ・・・、たまたまよ?」

右手には白、左手にはピンクを持っていた。

「ふうん」
「何よ」
「――保守的だな」
「何が?」
「色が」
「!!」

もちろん、彼女だったら清楚に白が基調だろう――とは思うのだったが、ジョーはちょっと意地悪をしてみたくなった。
白をつけた彼女は想像に難くないし、おそらくとても綺麗だろうと思う。が、ここで放ったらかしにされた上、えっちなんて言われたら面白くない。

「――私の勝手でしょっ。だったら、ジョーなら何色がいいっていうの?」

言えるものなら言ってみなさいよと挑戦的に見つめる蒼い瞳。全く、むきになっちゃって可愛いなあ――と思いながら、ジョーはさらりと言った。

「赤」
「あかっ!?」

そうしてジョーはくるりと背を向けた。後で連絡してくれよと言い残して。後には呆然としたフランソワーズが残された。

「・・・赤って・・・」

もしも彼の言う通り赤い色のを買ったら「赤いのにしたのよ」って彼に見せなければならないのだろうか?
――そんなの、無理っ。

 

ジョーは紳士服売り場のスポーツコーナーへ向かいながら、赤じゃなくって黒にしとけばよかったなぁ・・・いや、それを言うなら彼女の瞳と同じ蒼と言うべきだったかとずうっと思い悩んでいた。

それを見る機会などしばらく予定も予兆もないのに。

 

 


 

 

買い物が終わり、下着売り場をさっさと後にした新ゼロフランソワーズ。その後をゆっくりと二人で歩いて行った超銀フランソワーズ。彼女たちを見送り、スリーは携帯電話でナインを呼び出していた。

「――ジョー?いまどこにいるの」
「買い物はもう終わったのかい?」
「ええ」
「そうか」

ナインは自分の居る場所を言った。

「・・・わかったわ。いまそっちに行くわ」

電話を切ったあと、フランソワーズは歩き出した・・・の、だけど。その表情は硬い。眉間には皺が刻まれている。

――どうしてそんなトコロに居るのかしら。

何しろ、彼が伝えてきた場所というのは。

 

「・・・ジョー」
「ああ、フランソワーズか」

ショーケースを覗き込んでいたナインはスリーの声に顔を上げた。

「・・・何してるの?」
「何って・・・いろいろさ」

確かに、色々だった。

「――これ、似合いそうだな」

彼が指差したのはハートのチャームがついたブレスレット。
そう。彼が居たのは貴金属品売り場だったのだ。そして、目の前には幾つも並べられたネックレスやイヤリングやブレスレット。
どうやらナインはこういう売り場に入ってゆくことに何の抵抗もないらしい――と、最近になり知ったスリー。
だから、彼がここにいてもすっかり周囲に馴染んでいて、ちっとも不自然ではないのだけれど。

「・・・似合うかもしれないけど」
でも、特別欲しいといわけでもなかった。

ナインはにこにこしながらスリーを見つめていたが、どうも彼女の気持ちがこちらに向いてないとわかると目の前の店員に軽く手を振って商品を下げさせた。

「フランソワーズ。どうかした?」
「えっ」

思いのほか近い距離で声が聞こえてスリーは一歩身体を退いた。

「別に。どうもしないわ」

さっきまではみんながいたから、ナインと一緒でもそんなに緊張しなかった。
だけど――ここは売り場で周囲にひとがいるとはいえ、ふたりっきりになってしまったことには違いない。
それを意識した途端、スリーは落ち着かなくなった。

「・・・みんなは?」
「チョコレート売り場へ行ったわ」
「・・・ふうん」
「でも、もう別行動だから、後は自由に――」
「そうか。じゃあ、メシでも食いに行こう」

明るく言って、当然のようにスリーの手を取るナイン。が、彼の指が触れた途端、スリーは思わず手を引いていた。

「フランソワーズ?」
「あ。・・・その」
「どうかした?」
「・・・・」

ナインの顔を見られない。優しいその瞳が大好きなのに。なのに見るのが恥ずかしい――ような気がする。
ナインは伸ばした手のやり場に困り、そのまま頭を掻いた。

あの日以来、自分をはっきり避けているスリー。その原因はよくわかっているものの――最初は彼女の反応を面白がっていたけれど、幾日経っても避けられたままの状態にそろそろ我慢の限界だった。
何しろ、可愛い笑顔を見せてくれないのだ。近くに行くのが叶わなくても、その笑顔さえ見れればそれでいいのに。

「・・・あのさあ」

ナインの険しい声に、スリーの肩がびくんと揺れる。

「そんなに僕が怖い?」
「・・・怖くなんか・・・」
ないわ、という語尾は小さく消える。

顔を上げようとしないスリーにナインはため息をついた。

「――わかったよ。だけど僕は悪いコトをしたとは思ってないから」

そうして、遠くなってゆく靴音。
スリーは床を見つめたまま顔を上げない。

「・・・・ばか・・・・」

小さく言ったのは、自分に対してなのか。
その視界が微かにぼやけ、スリーは目を拭った。