あまりにも(裏)な更新日記3               あまりにも1へ   あまりにも2へ   あまりにも4へ

 

12月26日

 年内最後の 「読み週記」更新。おそらくこのページの更新自体が最後だと思うけど。言おうと思えば今世紀最後の更新とも言えるんだけど、こんなたかだか2年しかやってないようなHPに「今世紀」もなにもないと思う。来週は冬休みで更新もお休みである。俺の気持ちの中ではもう休んでるんだけど。

12月21日

 なんと、 「読み週記」の更新をすっかり忘れていた。というより、なんとなく先延ばしにしていたのだ。先週は一冊も読み終えた本が無く、書くことがないことも関係しているのかもしれないけれど、それとは別に、何かを書くエネルギーが圧倒的に不足しているようにも思えるのだ。
 これは、間近に迫っている年末休みの影響であることは間違いない。一年の疲れが年末にどっとでるわけではない。年末の休みがあるから、それを意識して早く楽になりたい、という想いが疲れを表出させるのだ。
 で、俺が疲れるほど何かをしているかどうか、という問題については敢えて触れない。

12月11日

 ここに来て、忘年会シーズンを実感しつつある。元々そう言う物があんまり好きでないし、そもそも年末だからと言って酒を飲んだり、年始だからと言ってはがきをだしたりすることにあんまり意味を感じないんだけど、酒を飲むのは楽しいし、手紙を送るのだって悪くないから、なんとなく便乗させてもらっている。みんな意外にそんなもんなのかしら。
 そんなわけで、年末・年始に向け、徐々におざなりになっていくことが予想される 「読み週記」を更新。

12月4日

  この間詩を更新したせいで、更新日記を週に2回も書くことになる。だからどう、という訳ではないけど、なんとなくちょっとだけ頑張った俺を認めたい気分。ホントにちょっとだけだけど。しかもがんばってないけど。おまけに相変わらず地味な活動だけど。
 そんなわけで定例の「読み週記」を更新。蔵書の管理は一向に進まないけど、この読み週記が、整理に活かせるといいんだけどなぁ。

11月30日

 なんとまあ久しぶりなんだけど、を追加。更新日記が3になってから「読み週記」以外の更新をすることが始めてであることに驚愕する。
追加したのは訳あって埋もれていた「満員電車」と、それを更新しただけでは何の努力もない気がしたので「ライター」をさらに追加。「ライター」の方はなんとなくすっきりしないので、後に訂正するかも。

11月28日

 また月曜から飲みに行ってしまったので、「読み週記」の更新も一日遅れ。家に帰ってからNHKの「葵−徳川三代」のビデオを見ながら飲み直して、すっかり眠くなってしまった。忙しい週に限って酒がおいしいのも考えものである。

11月20日

 いよいよ季節は冬になり、街は徐々にクリスマスの雰囲気を醸し出しつつある。どうもこのところ毎年のようにディズニーランドに一方的にクリスマスを宣告されているように感じる。ディズニーランドを皮切りにクリスマスが押し寄せ、街がその色に染まりだし、やがて山下達郎にとどめを刺されてしまう。どうも納得のいかない気分を味わいつつ「読み週記」を更新。

11月13日

 とにかくひたすらに眠い。しかも風邪が全然治らない。友達に「よく寝てそうなのに風邪なんかひくんだ」と言われ、いたく傷ついた俺であったが、寒さにも眠気にもめげっぱなしのまま「読み週記」を更新する。

11月6日

 寒くなってくると、なぜか心が浮き立ってくる。確かに朝起きるのは辛いし、寒さが本格的になれば、外を歩くのすら厳しいときがある。それでも夏の暑さに比べて、冬の寒さはなにか、耐えること自体に喜びを感じてしまう。夏に「ああ、あつい」とへばっているときは、本当に暑さに辟易してるんだけど、冬の寒さは、その後の暖かい鍋とビール、こたつのぬくもり、暖房のきいた暖かい部屋で会う仲間達を思い起こさせて、つらさの中にどこかほのかな期待を隠しているのだ。
 都心にはまだまだ訪れぬ冬の楽しみを先取りしつつ「読み週記」を更新。ふとんで読書も良いよね。

10月30日

 どんな内容かはともかく、何となく聞き慣れたジャズが流れているのが、俺にとってのリラクゼーションであるらしく、作業の傍らに流れるMP3のジャズが心地よい。仕事に持ち運んでいるテリオスにMP3でジャズを数曲ぶち込み、昼休みにひたすら聞きながら目をつむって静かにしていると、思いの外楽になることを発見して、一人感動している。一緒に働いている人々を心から閉め出すようで、なんとなく申し訳ないなぁ、と思いつつ至福の昼休みを過ごすのである。ハリー・アレンの軽快なテンポにおぼれつつ、「読み週記」を更新。

10月23日

 持ってるCDをmp3におとし始めた。なんとなくジャズのベストを作ろうとしていたんだけど、なんだか同じ人の作品ばっかり大量に入ってしまったので、不思議な感じ。作業のかたわらで聞くようなので、純粋にリラックスして聞ける物が望ましく、結局単純に好きな物ばかりになってしまうからだ。まあいっか、と思いつつ「読み週記」を更新。

10月16日

 更新日記だけは毎回増えていくわけで、そろそろ更新日記4に進む頃合いかもしれない。更新した「読み週記」だけでなく、大量のテキストを吐き出しているだけの毎週で本当に良いんだろうか。やけに内省的になり、後ろ向きなのか前を向いてるのかわからないのだった。

10月10日

 更新日記を書く度に思うんだけど、このところ本当に「読み週記」の更新しかしていない。更新日記も読み週記もメインになることはわかってはいたんだけど、本音のメインは別にある。ところが実際はその別の部分にちっともパワーが向かわないのだ。常にいかんいかん、とは思うのだ。いや、ホントに。

10月2日

 今日遭遇したショッキングな出来事といえば、書店に入ったら入り口前に手帳が並んでいたことだ。なんと、ちょっと気を抜いている間に、新しい年が目前に迫っているというのだ。これだから人生1秒たりとも油断がならない。「20世紀最後の年」なんて言って浮かれていて、やれヨーロッパ選手権だ、やれオリンピックだ、やれ巨人優勝でON対決だ、なんて言っている間に、「21世紀のスタート」なんて事態がもうすぐやってくる。われわれは常に浮かれっぱなしなのに、である。時の過ぎゆく様を書店の平台に感じながら「読み週記」を更新。みんながんばれ。

9月25日

 夏休みで一回休んでの更新の「読み週記」に書いたとおり、休みの最終日には池袋の書店で大量に本を購入。久々にうきうきしながら棚を眺めていたんだけど、そこで嫌な感覚におそわれた。買うことを恐れてしまう本が登場しているのだ。
 これは別にそういう本が近年突然刊行されるようになった、というわけではなく、俺の方が変わってしまったと言うことだ。
 例えばその1冊がジョン・ファウルズ『マゴット』(国書刊行会)。新聞記事や裁判の質問の形式などで物語を語る、という凝った形式の長編小説で、そのアイディアだけでもわくわくしてしまうんだけど、買うとなると躊躇してしまうのだ。確かに面白いのかもしれないけど、相当分厚いし、読むペースも落ちてるし、続けて読める時間も無くなっている昨今、これだけの大作を果たして追い続ける体力があるだろうか、とうい不安がよぎってしまうのである。
 これは明らかにピンチだ。楽しみを享受しようとするのを、体力や時間を理由に躊躇してしまう。もちろん生きているなかでこれは何度も行われることだけど、単に本を読む、という俺の屈指の楽しみすらなにか遠慮してしまう、という現実に直面して、俺はちょっと人生のもの悲しさを感じてしまうのだ。
 とにかくもこれは「楽しむのは大変である」という事である。日々の暮らしで何の苦労もせず楽しむことはもちろん出来るが、身を削り、時間を使い、 体にむち打って得られる楽しみもある。なにもそこまで大変そうな表現をする必要はないんだけど、ただ漫然として得られる楽しみとは全く別個の物であると思うのだ。
 忙しくなってなかなか時間を使って楽しむことは難しくなっている。ふと見回してみるとそういう「楽しみ」があふれかえっているように思うのだ。グラフィックが豪華になって対した想像力も必要なく、ただ画面を見るだけで世界が理解できるゲーム(年齢層によっては逆に苦痛みたいだけど)やら、コインを入れてボタンを押したり、ルーチンを覚えて金をつぎ込むだけでアーティストになれる機械なんかを見てると、何だか世の中あんまり面白くない方向に向かってるんじゃないかなぁ、と思ってしまう。

9月11日

 なんと、恐ろしいことに明日12日は俺の誕生日である。だからどうしたと言われればそれまでだけど、なんとなく気持ちが浮き立つのは、子供の頃は誕生日が待ち遠しかったからだ。なんかもらえるし、祝ってもらえるし。この年になるといちいち誕生日をめでたいとも思わないんだけど、なんとなく祝ってもらったりするとうれしくなる。別に年を取ることがうれしいんじゃなくて、祝ってくれる人がいる、という事実が単純にうれしいんだろうなぁ。
 浮ついた気持ちで「読み週記」を更新。えらく短くなったけど、ほとんど読んでないんだからしかたなし。そっちにも書いたとおり、来週は仕事の夏休みを取るのでこちらの更新もお休みである。今頃夏休みなんての、どうかと思うけど、なに、3日ある内のもう一日はピンポイントで29日に取るのだ。だから今月いっぱいは「夏」である。

9月4日

 この頃、異様に暑かったり急に涼しくなったりと、変な日々が続いている。こうやって少しずつ秋が本格化するんでしょうが、いくらなんでも変動が激しすぎないか?
 なんて時候の挨拶を交えつつ、「読み週記」を更新。最近「書き」エネルギーが停滞している。自らを叱咤激励しつつ、なんとなく仕事に甘えつつ。こんなことではいかんなぁ。

8月29日

 今週の「読み週記」更新は一日遅れ。週頭から飲みに行くのはよせ、俺。ま、いいか。
 もうずうっと、ここ以外のページの更新をしようと考えたまま先に進まない。いろいろやりたいことは出て来てるのに。そのかわり、前のパソコンがぶっ壊れる前に少しずつ書き溜めていた話をもう一度書こうかな、という気になってきた。何よりも前書いているときには考えつかなかった、大きな謎の解がおぼろげに浮かんできたのだ。

8月21日

 何年かに一度、持っている本のデータベースを創りたい、という欲求に駆られる。別に対した本を持っているわけでもないので、特に価値はないんだけど、これも所有欲のうち。ところが、今それをしたい、と思うのは、ついに本を捨てる以外に自分が生きていく道はない、と感じ始めたからだ。書庫として部屋を一個借りるくらい稼ぐか、生活空間を今以上に犠牲にするか、あるいはもう過去は振り返らないぞ、とばかりに大量の本を捨てるか。最後の選択肢を選んだ場合、捨てる事を選択した本であっても、やっぱり題名や著者名くらいは記憶か記録に残しておきたい、と思ってしまうのである。そのためのデーターベース。でもやんないだろうなぁ。
 といった矮小な悩みを抱えつつ「読み週記」を更新。今週の文を書いている間は、更新日記には別のことを書こう、といつも思うんだけど、これを書く頃にはすっかり忘れているのが本当に不思議。

8月14日

 さて、なぜ今週の本番が更新した「読み週記」ではなくこちらの更新日記の方であるかというと、ディック・フランシス『敵手』(ハヤカワ文庫)が文庫化されたからである。あちらでは再読の本に関しては基本的に書かないことにしているので、こちらになったけれど、今週は週の途中から現在読んでいる途中の本を全てなげうって『敵手』に集中していて、他には手が回らない予定だったのだ。
 『敵手』において、ディック・フランシスの著作の中で唯一、シッド・ハレーが『大穴』、『利腕』と3回登場する主人公になった。ほぼ毎回違う主人公で物語が語られる中でも、シッドは人気の主人公。だから登場が多いのかどうかは謎だが、彼が並み居るフランシスのヒーローの名かでも魅力的であり、かつフランシス作品のヒーローのテーマを色濃く体現しているのは確かだ。
 競馬騎手時代からの習い性か、スリルを希求してやまない内心と、苦難へと立ち向かう勇気、そしてその裏に隠れ、主人公の中では痛いほど意識されている恐怖心。片腕を失ったシッドにとっての恐怖はもう一方の手を失うこと。その通り、作品のなかでは、シッドが命を失う危険よりも、右手を失う事への恐怖の方がよりリアリティと迫力を持って読者に迫ってくる。
 現代のハードボイルドの特徴とも言える「主人公の弱さ」を、「恐怖」という単純で誰もが共感するベーシックな感情に当てはめた事がフランシスの成功の一員とも言える。その描き方が実に上手い。
 主人公達が恐怖を抱くに至るヴァーヴァルな理由とノンヴァーヴァルな感情が実にリアルに語られていて、同時に結局それに戦いを挑む彼らの葛藤がまた上手く語られている。
 フランシスのヒーロー達はマゾヒスティックなほどにその恐怖に耐える。だがその中から彼のヒーロー像が浮かび上がる。同時にそれが俺達に限りなく近い物を感じさせるからこそ、多少のはずれもあるものの、フランシスが愛される所以である。
 そのなかでも群を抜いて『敵手』が魅力的なのは、主人公シッドが自分の親友であり、国民に愛されるテレビのタレントを告発することで、国中にたたかれる羽目になるというシチュエーション。フランシスの魅力が凝縮されたようなこの作品においても、立ち向かう障壁が高ければ高いほど、主人公の魅力はます一方。
 同時に今回は敵役がまた魅力的である。フランシスのヒーロー達のいわばダークサイドを象徴している敵役、エリス・クイントの人物描写もまた上手い。
 とにかくフランシスのあらゆる要素が詰め込まれて、彼の魅力が一望できる傑作『敵手』。まだフランシスを知らない人は、『大穴』、『利腕』を飛ばしてもいいから(あんまりよくないけど)これを読むべき。

8月7日

 突然だが、今サンタナにはまっている。元々全然知らなかったんだけど、グラミー賞のステージを観て以来気になっていたのだ。今更「気になっていた」なんて言われ方をされるアーティストではないんだけどね。
 もっとも弦楽器は全然わからない上に「生音至上主義」を唱える俺のこと。サンタナのギターには特に興味があるわけではなかった。ところがNHKの衛星で放送された日本でのライブを観て一気に惚れ込んでしまった。なによりも魅力的だったのはバックに控えるコンガとティンバレスの2人。前から好きな楽器ではあったんだけど、2人の表情といい何といい、観ていて聞いていて楽しくて仕方がない。いいよな、ああいうの。
 本を読んでいて、著者が本当に楽しんでるなぁ、と思えるような本に出会うとうれしくなる。それが全てではないにしろ、面白い本の重要な魅力の一つであることは間違いない。
 と上手くつないだところで「読み週記」を更新。 だからってこじつけで言ってるわけではないのだよ。

7月31日

 疲れているから、という理由で今週の「読み週記」の更新はおざなり。とは言ったものの、実際はそれほど手を抜いてるわけじゃないと思うけど。
 それにしても不思議なのは、仕事で疲れた、っていうのは冗談としてはともかくあんまり本気では言いたくないんだけど、遊びで疲れた、というのはむしろ積極的に言いたくなる。なんでだろう。なんでかな。

7月24日

 シャープの人気者ハンドヘルドPC「テリオス」を購入。想像以上に仕事が楽になったことに驚く。一方で、自宅のデスクトップで変換したMP3データを移動させるのに恐ろしく時間がかかるのには参った。楽あれば苦あり。違うか。「読み週記」を更新。

7月17日

 前回の更新日記はなぜ日付が12日なのか。そして今日更新した「読み週記」の前回更新分の区切りが「7/9〜7/11」となっていた(なおしたけど)のは何故か。先週はそんなに更新が遅れたんだろうか。あまりにも暑いのでさっぱり覚えていない。という事にしておく。

7月12日

 暑さに負けて活動性が急落。「読み週記」の更新もおざなりである。ついでに更新日記もおざなりである。すまぬ。

7月3日

 気付かぬうちに更新日記2も相当にでかくなっていたのでまたもや新しくする。毎週確実に一定の時間を使って大量の言葉を消費したものであることに愕然。いいのか悪いのかさっぱり判らない。
 雨にも負けず風にも負けず「読み週記」を更新。ラストの「行数が稼げて〜」ってのは冗談だってば。

 

 

 

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